大試食会の予選大会②~開会~
2023.12/12 更新分 1/1
そうして、下りの五の刻――大試食会の予選大会は賑々しく開始されることになった。
貴き身分の方々も多数来場されるが、何も格式張った催しではない。身に纏っているのも準礼装に類する装束であるし、会場に足を踏み入れる際に仰々しく名前を呼ばれることもなかった。
森辺の民も第二陣が到着して、20名の大所帯だ。先発組の男衆もきっちり上衣を着込んで、全員が凛々しい武官のお仕着せの姿である。本日は若い貴婦人も少なめであったので黄色い声をあげられることもなかったが、それでも数多くの人々がアイ=ファたちの凛々しさに感服しているのではないかと思われた。
何せ本日はジェノスの貴族も20名限りであったため、ごく主要の顔ぶればかりなのである。俺がよくよく見知っている顔ぶれだけで、ジェノス侯爵家からは当主のマルスタインとメルフリードの一家、ダレイム伯爵家からは当主の夫妻と第二子息ポルアースとメリムの夫妻、サトゥラス伯爵からは当主のルイドロスと第一子息のリーハイムと許嫁のセランジュ、トゥラン伯爵家からは当主のリフレイアとトルスト――と、もう13名の枠が埋められているわけであった。
外来の貴き客人たちは、もちろん全員が顔をそろえている。南の王都の使節団からはダカルマス殿下、デルシェア姫、ロブロス、フォルタ。ゲルドの使節団からはアルヴァッハ、ナナクエム、ピリヴィシュロ、プラティカ。ダーム公爵家からはティカトラス、デギオン、ヴィケッツォ。バナーム侯爵家からは、アラウト、サイ、カルス――そして貴族ならぬ身としては、占星師のアリシュナ、鉄具屋のディアルとラービス、俺が初めて目にするバルドという地の商団の関係者も含めて、こちらも20名きっかりだ。
それとは異なる城下町の領民の枠には、名のある料理人や商会長などといった立場のある面々が招集されている。前回の試食会で結果を出せず、今回の予選に参加できなかった《ヴァイラスの兜亭》や《四翼堂》の関係者も呼ばれているらしい。そして本選に出場することが決定されている《銀星堂》からは、5名全員が招待されていたが――ただし今回も、ボズルは料理を供する側であり、ロイとシリィ=ロウがそれを手伝ったのだそうだ。いずれにせよ、そちらの5名には投票権がなく、20名の人数には含まれていなかった。
宿場町も、基本の構成は城下町の領民と変わらない。ただ料理人として招集されたのは、予選に参加できなかった《ラムリアのとぐろ亭》と《タントの恵み亭》、および本選に出場が決まっている《南の大樹亭》の関係者のみとなる。あとはやっぱり区長や商会長という身分のある人々で枠が埋められていた。
これが、本日の料理の審査をする100名である。
それと相対するのは、料理を準備した10組の陣営から2名ずつで、総勢は20名だ。そこからあぶれたユーミの悪友たちなどは、別室でもてなされているという話であった。
城下町の陣営で料理を準備したのは、ジェノス城の料理長ダイア、ダレイム伯爵家の料理長ヤン、サトゥラス伯爵家の料理長、《銀星堂》のボズル、《セルヴァの矛槍亭》のティマロという顔ぶれだ。
宿場町の陣営は、俺たちもすでに挨拶を終えていたが――特筆するべきは、《アロウのつぼみ亭》であろうか。そちらの厨の責任者たる初老の男性とともに、レマ=ゲイトが着飾った姿をさらしていたのである。彼女は調理助手たちを別室に追いやって、調理に携わっていない自らがこの場に参じたのだった。
(まあ、どっちみち出場者の関係者に投票権はないから、ダカルマス殿下も気にかけてないのかな)
それに、調理助手よりも宿屋の主人が他なる面々の手腕を確認したほうが、のちのちのためになるという面もあるのかもしれない。何にせよ、俺が文句をつけるような話ではなかった。
ともあれ――これが、本日の会に参席する総勢である。
あとは小姓や侍女も山ほど控えているため、普段の祝宴と変わらぬ賑やかさだ。むしろ、貴族ならぬ人間が多数を占めているため、普段よりも雑多な賑わいであろう。よくよく考えると、参席者の4割ぐらいは貴族どころか城下町の領民ですらないのだ。その目印となる朱色の腕章も、いやというほど目についていた。
「それでは参席者の方々もおそろいになったようですので、本日の催しを開始させていただきます!」
広間の奥に陣取ったダカルマス殿下が、朗々たる声を響かせた。
「事前に周知させていただきました通り、本日は来たるべき大試食会に備えた、予選大会であります! 本日料理と菓子を準備してくださった10組の中から、上位の4組を選出する形と相成ります! まずは、採点の形式に関してご説明いたしましょう!」
ダカルマス殿下のおつきである小姓が、澄みわたった声音でその役目を果たした。
100名の審査員は、それぞれ10組の中からベストスリーを選出する。それで1位には3つの星、2位には2つの星、3位には1つの星が捧げられるのだそうだ。10組で600もの星を奪い合うという、なかなかに熾烈なバトルであった。
なおかつその採点は、城下町や宿場町、料理や菓子といった区分をつけずに、自由につけていいらしい。ダカルマス殿下は城下町と宿場町の陣営から2組ずつ選出するつもりだと言っていたが、それは絶対の取り決めではなかったようであった。
「理想を言うならば、城下町と宿場町の陣営から料理と菓子を供した組を1組ずつ選出したいところであります! ですが、獲得した星の数によっては、その限りではありません! わたしはとにかく優れた手腕をお持ちの方々に、大試食会の厨をお預けしたく願っております!」
きわめて陽気かつ大らかでありながら、そういう部分は気持ちいいぐらいシビアなダカルマス殿下であった。
「つまり、宿場町と城下町のどちらかいっぽうに偏ってしまう可能性もあるというわけですね。なんだか……ちょっと怖くなってきてしまいました」
と、心優しいトゥール=ディンが俺にすがるような目を向けてくる。
それを励ますために、俺は「そうだね」と笑いかけてあげた。
「でもきっと、どの組の人たちもみんな素晴らしい料理や菓子を準備してるだろうからさ。勝負の結果は天にまかせて、俺たちはとにかく自分の舌を信じて投票するしかないんじゃないかな」
去年の試食会においては、《四翼堂》や《ヴァイラスの兜亭》が2票ていどしか集められないという残念な結果に終わった。しかしそれは、《銀星堂》が圧倒的な手腕でもって半数以上の星を独占したためであったのだ。本日は、それほど極端な結果には終わらないのではないかと思われた。
「それでは、試食会を開始いたします! みなさん、ご自由に卓をお巡りください!」
ダカルマス殿下はそのように仰っていたが、俺とトゥール=ディンは同行を求められていた。このたびはジャガルの王家を筆頭とする貴き身分の方々も特別席に腰を落ち着けることなく、最初から大広間を練り歩くのだそうだ。
そうして俺たちがアイ=ファとゼイ=ディンとともにダカルマス殿下のもとを目指すと、本日も満面の笑みで出迎えられることになった。
「アスタ殿にトゥール=ディン殿! ご足労をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします!」
にこにこと笑うダカルマス殿下とデルシェア姫の左右と背後は、フォルタやロデといったジャガルの武官たちに警護されている。さすがにこれだけ貴族ならぬ人々が集まる場では、警戒が必要になってしまうのだろう。それにこのたびは、アルヴァッハたちも呼ばれていなかった。
(ここ最近は、アルヴァッハたちと接する時間が少なくなってるな。このお役目が終わったら、ご挨拶させていただこう)
しかしまずは、料理の吟味である。
そちらはそちらで、胸の躍る話であった。10組の陣営がどれだけ見事な品を準備したか、俺もずっと楽しみにしていたのだ。
「まずは、城下町の方々の手腕から味わわさせていただきましょう! どのような品が待ち受けているか、楽しみな限りですな!」
案内役の小姓を先頭に、俺たちは大広間を横断した。大男のフォルタがこれ見よがしに闊歩しているため、人々はすぐさま道をあけてくれる。それをいくぶん申し訳なく思いつつ、俺はデルシェア姫に呼びかけた。
「今日は厨でお会いすることもありませんでしたね。デルシェア姫は、城下町の方々の調理を見学されていたのですか?」
「はい! 建物を移動するのは時間が惜しかったので、泣く泣くそのように取り計らいました! 普段はなかなか、ボズル様の調理を拝見する機会もありませんので!」
やはりデルシェア姫は、同国民のボズルに目をかけているようである。また、ジェノス城や貴族の屋敷の厨は普段から見学し放題なのであろうが、商店区に存在する《銀星堂》や《セルヴァの矛槍亭》まで足を運ぶ機会はあまりないのだろうと思われた。
(しかも、ボズルが取り仕切り役を担う機会なんて、そうそうある話じゃないんだろうしな)
そうして最初の卓に到着してみると――当のボズルが、笑顔で待ちかまえていた。
「お待ちしておりました、王子殿下。本日もわたしのような者にこれほどの栄誉ある仕事をお任せくださり、心より感謝しております」
ボズルはいつも通りの大らかな笑みをたたえつつ、恭しげに一礼した。
ただ実際、ボズルがどれだけ感謝しているのかはわからない。もちろん栄誉なことは確かであろうが、彼はヴァルカスの弟子にすぎない自分がこのような場に引っ張り出されるのは分不相応だと考えているはずであった。
そんなボズルが準備していたのは、煮込み料理である。
煮汁は赤褐色の色合いで、なかなか刺激的な香りが漂っている。ダカルマス殿下は大きな鼻をひくつかせながら、「ほうほう!」と声を張り上げた。
「こちらの料理は、マロマロのチット漬けを主体にしておられるようですな! 汗をぬぐう織布を準備して、存分に楽しませていただきますぞ!」
そこには調理助手の代表たるロイの姿もなく、小姓が料理を取り分けてくれる。試食会はおおよそ2回に分けて味見をするのが通例であるため、取り分けられたのはごく少量だ。ごろんとした肉塊に、具材の野菜――ぱっと見で判別できるのは、パプリカのごときマ・プラとレンコンのごときネルッサであった。添え物の焼きフワノは各自お好きな分量をという話であったので、俺はとりあえずひと切れだけ所望した。
そうして、いざその料理を口にしてみると――きわめて力強い味わいが、ガツンと舌にぶつかってくる。やはりボズルの持ち味は、この力強さであった。
ダカルマス殿下が予想していた通り、味の主体となっているのは豆板醤のごときマロマロのチット漬けだ。ただしそれ以外にも、さまざまな香草と調味料が使われている。タウ油、魚醤、貝醤、砂糖、ホボイ油――山椒のごときココリ、セージのごときミャンツは、すぐさま判別することができた。俺が仕上げる中華風の料理に、香草で強いアクセントをつけたような仕上がりだ。
肉は当然のようにギバ肉で、部位は肩であろう。脂身は少ないが、じっくり煮込まれてほろほろにやわらかくなっている。煮汁の味がその内側にまでしっかり染み入って、とにかく力強い印象であった。
ただ、外連味のない剛速球でありながら、粗野な感じはまったくしない。ボズルは南の民らしい真っ直ぐな味わいを目指しつつ、それでもやっぱりヴァルカスの弟子であるのだ。彼はおそらく繊細かつ正確な手腕でもって、この力強い料理を作りあげたのだろうと思われた。
(今にして思うと……カルスに通ずる部分があるように思えるな)
ただそれは順番が逆であり、カルスはヴァルカスを筆頭とする城下町の精鋭に調理を手伝ってもらうことで、繊細かつ正確な印象が生まれるのだろう。ただ、外連味はないが手間を惜しまず立派な料理を目指すという意味において、ボズルとカルスは似ているのだろうと思われた。
「うむ! 素晴らしい味わいでありますな! やはり汗だけはどうしようもありませんが、きわめて美味でありますぞ!」
そのように語るダカルマス殿下は、さっそく織布で額をぬぐっていた。香草に耐性のない南の民としても、ダカルマス殿下はひときわ汗腺の反応が過敏であるようなのだ。デルシェア姫やフォルタなどは、汗もかかずに満足そうにボズルの料理を食していた。
そして森辺の面々も、まったく不満を抱いた様子はない。トゥール=ディンはもちろん、アイ=ファやゼイ=ディンもよどみのない手つきで少量の料理をたいらげていた。
「わたしも、美味だと思います! アスタ様は、如何ですか?」
「はい。俺も同感です。ボズルらしい力強い味わいで、それがヴァルカス直伝の手際でしっかり支えられている印象ですね」
「なるほど! トゥール=ディン様は、如何ですか?」
「は、はい。わたしも、美味だと思います。複雑な感じはしないのに、とても奥深い味わいで……これは如何なる食材で出汁を取っているのでしょうか?」
それは、俺も気になっていた。香草と調味料の味が強くて判然としないが、この力強さは確かな出汁に支えられている印象であったのだ。ボズルはにこやかな面持ちのまま、それを解説してくれた。
「こちらには、アラルの茸とドエマの貝を使っているのです。まだそれらの食材を手にして日が浅いので、完全に使いこなせているかどうかは心もとないところであるのですが……多少なりとも手応えを感じたので、本日お披露目することにいたしました」
「ほうほう! 貝醤ばかりでなく、アラルの茸とドエマの貝も使っておられたのですか! それはまったく気づきませんでしたぞ! 出汁だけ取って、除去したということでありましょうか?」
ダカルマス殿下の問いかけに、ボズルは笑顔のまま「いえ」と応じる。
「そちらのふた品はまともな形が残らないぐらい入念に煮込みましたため、出汁を取ったのちにすり潰して、煮汁に溶かし込むことに相成りました」
「なるほど! ではこの力強い味の土台は、アラルの茸とドエマの貝に支えられているわけですな! たとえ形は残されていなくとも、そこまで要となっている食材の存在を見過ごしていたとは、お恥ずかしい限りであります!」
そのように言い放ってから、ダカルマス殿下はにっこり笑った。
「ですが、トゥール=ディン殿でも判別できなかったと仰るなら、我々が恥じ入る必要はないのでしょう! 食材の判別はつかずとも、その素晴らしい出来栄えはしっかり感じ取りましたぞ!」
「過分なお言葉、恐縮でございます」
ボズルはあくまで、悠然としたたたずまいだ。
彼はおそらく師匠を差し置いて出しゃばりたくないという思いと、それでも《銀星堂》の看板に傷をつけることは許されないという思いを、同時に抱えているのだろうと思われるが――それでも決して心を揺らすことのない度量を有しているのだった。
「試食会のひと品目に相応しい、素晴らしい料理でありましたな! 期待は高まるいっぽうです!」
ダカルマス殿下のそんな言葉とともに、俺たちは次なる卓を目指すことになった。
その頃には、大広間も大層な熱気に包まれている。100名の人間が10の卓に散って、それぞれ料理や菓子を検分しているのだ。通常の祝宴とはまた趣の異なる、賑々しい活力が感じられてやまなかった。
そうして隣の卓に到着すると、そちらには見知った顔ぶれが寄り集まっている。それは、リーハイムとセランジュ、レイナ=ルウとジザ=ルウ、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザの6名であった。
「これはこれは、ダカルマス殿下。こちらも、素晴らしい出来栄えでありますよ」
普段は荒っぽい口調のリーハイムが、かしこまった面持ちで一礼する。やはり王族が相手では、口調をあらためるしかないのだろう。婚約者のセランジュも、つつましい面持ちで貴婦人の礼を見せた。
「どうもどうも! こちらは、ティマロ殿の料理でありますな!」
「はい。厳正なる審査をお願いいたします」
ティマロもまた、恭しげに一礼する。そして、俺やトゥール=ディンにもこっそり目礼してくれた。
そちらに準備されていたのは、乳白色の汁物料理だ。やはりティマロは、彼が得意とする乾酪とカロン乳の料理で勝負に出たようである。
乾酪の濃厚な芳香に、香草の香りが複雑に入り混じっている。複雑すぎて、香りだけでは何とも判別できないほどだ。ただ、複雑な料理を好まないザザの姉弟も平然とそちらの料理を食しており、レイナ=ルウはきわめて真剣な面持ちになっていた。
「こちらは、素晴らしい出来栄えであるかと思われます。ぜひアスタのご感想もお聞かせください」
「うん、了解」と、俺は小姓から深皿を受け取った。
乾酪が使われているためにとろりとした質感で、見た目はクリームシチューに酷似している。そこに香草の香りが入り混じるのは城下町ならではの手腕であったが、俺たちもだいぶんそちらの作法に慣れてきたし、そしてティマロ自身も大きな変化と成長を見せているのだ。昨年の試食会でも、俺はティマロの料理を苦手だと思うことはなかった。
そうしてまずは、煮汁をすすってみると――香りの通りに、複雑な味わいが口いっぱいに広がっていく。
ただ、方向性ははっきりしていた。まろやかな甘みを際立たせるために、わずかな辛みと苦みを使っているのだ。風味は強いが、口あたりはやわらかで、きわめて繊細な印象であった。
(それに、すごく味が奥深い。きっとこんなに土台がしっかりしているから、辛みや苦みもそんなに気にならないんだ。これは、もしかして……)
と、俺が無言で思案していると、デルシェア姫が笑顔を近づけてきた。
「アスタ様! こちらの料理はどのような出汁を使っておられるか、判別できますでしょうか?」
「はい。味を判別できたわけではなく、半分がたは直観なのですが……もしかしたら、アラルの茸とドエマの貝ですか?」
「正解です!」と、デルシェア姫はいっそう楽しそうに笑った。厨の見物に励んだ彼女は、使われた食材についてわきまえているのだ。
そして、満足そうに汁物料理をすすっていたダカルマス殿下も「なんと!」と声を張り上げた。
「こちらにも、アラルの茸とドエマの貝が使われているのですか! それはたまたま、ボズル殿と同じ手法を取ることになったのでしょうかな?」
「はい。そちらのふた品は素晴らしい出汁が取れますので、多くの料理人が着手しているかと思われます」
ティマロは内心を覗かせないまま、そのように応じた。
その間に、俺は具材のほうもいただく。そちらにはギバのバラ肉と、ニンジンに似たネェノン、ズッキーニに似たチャン、マッシュルームモドキといったお馴染みの食材から、アスパラガスに似たドミュグド、ウドに似たニレ、チンゲンサイに似たバンベなど、新しい食材も積極的に使われていた。アラルの茸とドエマの貝はボズルと同じようにすり潰したらしく、影も形も見当たらない。
(ギバ肉とドエマの貝の両立には、俺もあれこれ頭を悩ませたけど……ティマロたちもそれぞれの流儀でクリアーしてみせたんだな)
俺がそのように感じ入っていると、デルシェア姫が再び元気な声を響かせた。
「それにこちらの料理には、カロンの乳と豆乳が同時に使われているのですわ! あと、貝醤や花蜜やラマンパの油やマホタリ酒なども使っているのですよね!」
「ほうほう! ティマロ殿はボズル殿以上に、新たな食材を取り入れておられるのですな!」
新たな食材がお披露目されてからまだ20日ていどであることを考えると、それはきわめて意欲的な試みであることだろう。何につけても慎重な城下町の料理人としては、珍しいぐらいの話であった。
(それでもまったく破綻することなく、繊細に味が組み立てられてる。ボズルの料理とは対照的な仕上がりだけど……これはなかなか、甲乙つけがたいな)
そんな風に考えながら、俺はザザの姉弟のほうを振り返った。
「ちなみにおふたりは、どういったご感想なのでしょうか?」
「うむ? そういう話は、つつしむべしという取り決めではなかったか?」
ゲオル=ザザがうろんげに眉をひそめると、ダカルマス殿下がすぐさま「いえいえ!」と割り込んできた。
「つつしんでいただきたいのは、あくまで票の行方について語らうことでありますぞ! 料理のご感想については、どうぞ存分にお語らいください!」
「そうか。まあ、俺はこまかい話など最初から語れんがな。とりあえず、こいつを晩餐で出されても文句をつけることはなかろう」
「そうなのですね」と目を丸くしたのは、トゥール=ディンである。
すると、ゲオル=ザザは眉を下げてそちらを振り返った。
「なんだ? 俺は何かおかしなことでも言ってしまったか?」
「い、いえ。ただこれは、きわめて城下町らしい料理だと思いましたので……ゲオル=ザザのお言葉が、少々意外だっただけです」
「だから俺には、こまかい話などわからん。珍妙という話であれば、アスタが以前に仕上げた甘酸っぱいシャスカの料理のほうがよっぽど珍妙ではないか? ……まあ、あれとて文句をつけるほどではないがな」
これは、ゲオル=ザザも城下町の料理に慣れてきたということなのだろうか。
俺がそのように考え込んでいると、今度はスフィラ=ザザが声をあげた。
「わたしも、ゲオルと同じ心情です。確かに風変りな面はあるかと思いますが……一度でも城下町の料理を口にしたことのある森辺の民であれば、同じような心持ちになるのではないでしょうか?」
「一度でも、ですか?」
「はい。初めてかれーを口にしたときよりも、驚きの気持ちは少ないように思います。それに……レイナ=ルウやマイムが作りあげる料理も、これぐらい風変わりなのではないでしょうか?」
確かにレイナ=ルウやマイムはミケルの影響が強く、どんどん細かな細工が巧みになっている。それでも、ティマロの料理とはまったく似ていないように思えるが――それは、俺が各人の作法の違いを頭で理解しているためなのかもしれなかった。
(とにかくこの料理は、森辺の民にとっても食べにくい料理じゃないってことか。これだけ複雑で繊細な味わいなのに……やっぱりティマロも、只者じゃないんだな)
すると、ゲオル=ザザがぶすっとした顔で発言した。
「文句をつけてほしいなら、つけてやろう。さっきあちらで口にした料理は、まったく満足できなかったぞ。あれを晩餐で出されていたら、俺は閉口していただろうな」
「え? それは……ボズルの料理ではないですよね?」
ボズルの料理が森辺の民の不興を買うとは思えないし、俺たちは真っ先にあちらの卓を目指したのだから、それに先んじることは難しかっただろう。ゲオル=ザザたちは、逆回りでこの卓にやってきたものと思われた。
「それは、サトゥラス伯爵家の料理長が作りあげた料理ですね。わたしは苦手な出来ではありませんでしたが、ゲオル=ザザの口には合わなかったようです」
レイナ=ルウがいくぶん性急に声をあげると、リーハイムが「いいんだよ」と苦笑を浮かべた。
「何も俺に気を使うことはねえさ。俺にとっては食べ慣れた味だが、森辺の民の口に合うとは思わねえからな」
「いえ。虚言は罪ですので、わたしは本心から語っています。あれはきっと、城下町の料理に食べ慣れた人間でなければ満足できない味わいであるのです」
「ふむふむ! ではさっそく、そちらの料理もいただきましょう!」
ダカルマス殿下の号令で、俺たちは挨拶もそこそこに移動することになった。
そちらでは、恰幅のいい壮年の男性が待ち受けている。試食会や新たな食材のお披露目会などで顔をあわせる、サトゥラス伯爵家の料理長だ。彼もまた、昨年の試食会ではかなり厳しい採点をつけられた身であった。
そんな彼が準備していたのは、堂々たる肉料理だ。
小さく切り分けられた四角い肉に、とろりとしたソースが掛けられている。添え物は、アスパラガスのごときドミュグドとマツタケのごときアラルの茸であった。
そちらのお味は――けばけばしいのひと言に尽きた。
甘くて、辛くて、苦くて、酸っぱい。ヴァルカスさながらの味の饗宴であるが、あまりに賑やかで方向性がつかめない。花蜜や果汁の強烈な甘さと、イラの葉やココリの強烈な辛さと、ギギやブケラの強烈な苦みと、ママリア酢やレモングラスに似た香草の強烈な酸味が、好き勝手に暴れている印象だ。
なおかつ、使用しているのはギバのロースであるが、そちらは蜜漬けにされてぷちぷちとした独特の食感になっており、味のいくつかはその内側にまでしみ込んでいる。おそらくは、パナマの蜜に香草を添加した上でギバ肉を漬けたのであろう。味ばかりでなく、食感までもが派手派手しい印象となっていた。
しかしまあ、それだけ激烈な印象でありながら、そこまで味は破綻していない。あともう少しだけ手綱を握れれば、ヴァルカスに似た調和を目指せるのではないか――と、期待をかけたくなるような仕上がりであった。
(きっと、そのもう少しが難しいんだろうな)
ただ、ジェノスの貴族や城下町の領民がどのように判じるのかは、わからない。きっとこれこそが、長らく城下町で育まれてきた料理の王道であるのだ。こういった味わいを好む人間がいるのだと聞かされても、俺は驚く気持ちにはなれなかった。
「なるほどなるほど! これは実に、豪奢な味わいでありますな!」
と、ダカルマス殿下も満面に笑みをたたえつつ、「美味」という言葉は口にしなかった。
そういえば、ティマロの料理に関してはどういう評価であったのだろう。俺は他の面々との会話に気を取られて、ダカルマス殿下の評価を聞きそびれていた。
(だけどまあ、採点はあくまで自分の舌頼みだからな)
しかしまた、俺は現時点でボズルとティマロの料理に甲乙つけがたい心情であった。それぐらい、両者の料理はそれぞれ素晴らしい出来栄えであったのだ。
そしてこの後には、まだ7種もの料理と菓子が待ち受けている。俺はどれだけ思い悩むことになるのだろうと、期待に満ちた懸念を抱くことに相成ったのだった。




