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異世界料理道  作者: EDA
第七章 母なる森のもとに
143/1675

③青の月15日~真相~

2014.12/24 更新分 1/1

2015.1/3 ・2015.4/5 ・2018.4/29 誤字を修正

「――商団の案内をしていたダリ=サウティらも、小さからぬ手傷を負ったようです。幸い生命を落とした者はありませんでしたが、その内の2名はしばらく森に出られぬほどの深手であったようですね」


 晩餐の後、ルウの集落にて、その報告はガズラン=ルティムから果たされることになった。


 凶賊の脅威は、ごく唐突に取り除かれた。

 しかし、手放しで喜べるような状況ではない。

 より多くの情報を得るために、俺とアイ=ファは家に帰らずルウの集落に立ち寄ることを余儀なくされたのだった。


「正確な数はわかりませんが、10頭以上のギバに襲いかかられたそうです。おそらくは、ザッツ=スンとテイ=スンがその身に『ギバ寄せの実』の汁をあびて、ギバをそこまで導いたのでしょう。……そして、商団の男たちにも『ギバ寄せの実』をぶつけて、ギバの目をそちらに向けさせたわけです」


 まあ、俺が想像していた通りの内容ではあった。

 しかし、《贄狩り》の要領で自らの肉体を餌にして、10頭以上ものギバをおびきよせるだなんて――やっぱり正気の沙汰とは思えない。


「たったの4人でギバが10頭以上じゃあ、そりゃあ勝ち目なんてあるわけねーよな。死人が出なかっただけ、すげーや」


 ルド=ルウの相槌に、ガズラン=ルティムも重々しくうなずき返す。


「それでも、ザッツ=スンとテイ=スンの両名を討ち取れなかったことを、ダリ=サウティは深く悔いているようです。傷が癒えたら必ず謝罪の言葉を述べに来る、とサウティ家からの使者はそのように言っていました」


「そんなのは別にどーでもいいこったろ。ま、あの歩く骸骨みたいなスンの先代家長は森の中でくたばってくれてたほうが面倒は少なかったかもしれねーけどな」


 広間には、8名の人間が居残っていた。

 俺とアイ=ファ、ガズラン=ルティムとルド=ルウ、ドンダ=ルウとジザ=ルウ――それに、ジバ婆さんとミーア・レイ母さんである。


 身体の弱いジバ婆さんがこのような場に居残るのは、非常に珍しい。

 しかし、ザッツ=スンの死を知ったジバ婆さんは、自らの意志でこの重苦しい会議への参加を表明してきたのだった。


「1番の問題は、テイ=スンという男の身柄を押さえられなかったことだろう。その件に関して、ダリ=サウティは何と言っていたのだ?」


 無言の家長に代わって、ジザ=ルウがガズラン=ルティムに問いかけた。


「はい。確かにダリ=サウティも、包帯で顔を隠した男がテイ=スンを斬り捨てた姿を見たそうです。胸もとを深く斬られたテイ=スンは、男の外套にしがみついたが、そのまま突き飛ばされて谷底に転落していった、と」


「ふむ。しかし、死んだ姿を見届けていないのならば、まだ生きていると考えるべきだろう。瀕死の人間でも、集落に火をつけたり女衆を害することぐらいは可能であるかもしれないからな。……けっきょく警護の手を完全になくすことはまだできないということか」


 そう言って、ジザ=ルウは糸のように細い目で俺とアイ=ファのほうを見た。


「アスタ。貴方は明日も宿場町に下りるつもりなのか?」


「はい、いちおう仕込みの準備だけはしておきました。城の人たちは、相変わらずそれを希望しているそうですからね。……ですが、明日からは今まで以上に慎重な対応が必要になると思います」


 ザッツ=スンは、その存在をもって、宿場町の人々にさらなる恐怖と警戒心を与えてしまった。

 許されざるべき罪人が、石の都の欺瞞を弾劾してしまったのである。


 あの凶星のごとき男の言葉のすべてが間違っていたとは、俺は思わない。ジェノス城と森辺の関係は、80年前のそのスタート時から、歪みや欺瞞を内包していたのであろうと思う。


 しかしそれは、ザッツ=スンの口から語られるべきではなかった。

 それは、その苦難に耐え忍んできた森辺の民が、自分たちの手で解決していくべき問題であったのだ。


 他者を害し、家に火をつけ、旅人を襲いその富を奪おうとするような大罪人にそのような告発をされたって、人々を怒らせ、恐怖させるだけだろう。

 だから町の人々は、罪人に罵倒されたという怒りと、森辺の民に対する恐怖心の両方を同時にかきたてられてしまったのだと思う。


 そして、自分たちは森辺の民に対して不当な差別をしているのかもしれない――という疑念を少しでも有している者であれば、いっそうの恐怖を覚えるに違いない。


 やはり森辺の民は、自分たちを恨んでいたのだ、と。

 表面上は大人しくしていても、その内には都の人々に対する憎悪と不満が渦巻いているのだ、と。


 実際には、そんなことはないと思う。

 良きにつけ悪しきにつけ、森辺の民はジェノスの民に大きな興味や関心を抱いていないのだ。

 自分たちは己の誇りに殉じているだけだ、という意識が強いので、不当な差別を受けている、という意識が希薄なのである。


 しかし、ザッツ=スンの内には怨念が渦巻いていた。

 族長として、城の人間とも接していたゆえなのだろうか。あの男は、怨嗟と屈辱の情念に凝り固まってしまっているように見えた。


 それが、今日の事態を引き起こす要因となったのだ。


 ジェノスと森辺を繋ぐ縁は、この80年間で複雑にもつれあい、からみあってしまっている。

 俺たちが少しずつゆっくりと解きほどこうとしていたその縁の糸に、ザッツ=スンは妄執の刃を振り下ろしてしまったようなものである。


 この状態でのこのこと宿場町に下りるのは、昨日や今日よりも危険な行為であるはずだった。


「ザッツ=スンは……道を間違えてしまったんだねぇ……」


 ジバ婆さんが、ふいにつぶやいた。

 何か口を開きかけていたルド=ルウやジザ=ルウも、それで押し黙る。


「きっとザッツ=スンは、それで一族の誇りが救えると思ったんだろう……あたしたちが80年前に結んだジェノスとの縁を断ち切って、自由に生きていくことが正しいんだと……それがザッツ=スンには正しい道だと思えたんだろうねぇ……」


「ふーん? だけど、森の恵みを荒らすだけ荒らしておいて、肝心のギバを狩らないんじゃあ、森辺の誇りもへったくれもねーじゃん?」


「でも、ギバが増えて困るのは、森辺の民じゃなくジェノスの民だろう……? スン家だけじゃなく森辺の民の全員がそんな生活に身を置いたら、ジェノスの田畑はみんな食い潰されちまうだろうからねえ……」


「なるほど。そうして森辺の民の存在がいかに重要なものであるかを、ジェノスに示すということか。やはりザッツ=スンという男は、許し難い恥知らずであったようだな。……まあ、あの男が族長の座に居座り続けたところで、そのような命をきく森辺の民は存在しなかっただろうが」


 ジザ=ルウは、さしたる関心もなさそうにあっさりとそう言い捨てた。

 自分であれば、刀を取ってでもそのような命令には従わない、という自負があるのだろう。


 しかし、スン家の人々は、そのありうべからざる命令に従わされていたのだ。

 スン家の次は、スンの眷族であるザザやドムの眷族たち、その次は小さな氏族たち、そうして最後に敵対勢力であるルウの眷族たち――と、ザッツ=スンは少しずつ森辺を自分の妄念で染めあげようと思っていたのかもしれない。


 そしてジェノスに対しては、文句があるなら狩人としての仕事をすべて放棄してやるぞ、と、田畑の安全を人質にして、対等以上の関係を築こうとしていたのではないだろうか?


 もしもザッツ=スンが病魔を得ることなく族長として君臨し続けたら、その影響力はどこまで及んだのか――それは、気軽に笑いとばせるような話ではないと思う。


「それはあたしもそう思うよ、ジザ……だけど、ジェノスのやり口が完全に正しかったわけでもないだろう……? 森の恵みだけを食べ、森の中だけで生きる……南の森であたしたちは、そんな風に生きてきたんだ……ザッツ=スンには、そういった暮らしを取り戻すことこそが正しいんだと、そんな風に思えてしまったんじゃないのかねえ……」


「なんかジバ婆はあの骸骨野郎をかばってるみたいなことを言うんだな。まさか、あいつの考えが正しかったとか思ってるわけじゃねーよな?」


 と、ルド=ルウは少し不安そうな感じで眉をひそめた。

 ジバ婆さんは、重たく垂れ下がったまぶたで隠されてしまった瞳で、その場にいる人間たちをゆっくり見回していく。


「そいつは、あたしのほうこそ聞きたいぐらいだねえ……あんたたちは、ザッツ=スンの言葉を聞いてどう思ったんだい……?」


 上座で最長老のかたわらに陣取ったドンダ=ルウは、果実酒を一口あおってから、答えた。


「本当にジェノスのやり口が気に食わねえっていうなら、ザザの家長が言うように、このモルガの森を捨てりゃあいいだけのことだ。褒賞金をせしめたあげく、旅人を襲って富を得るなんざあ、狩人のやることじゃねえ」


「……俺も家長と同じ気持ちだ」とジザ=ルウが言い、ルド=ルウも「そーだよな。俺もそう思うよ」と同意する。


 ガズラン=ルティムは、しばし沈思してから答えた。


「しかし、故郷と定めたモルガの森を捨てるというのも、並大抵の話ではありません。西の王国には裏切りの徒として追われる可能性すらありますし、だからといって2度までも仕える神を変えることなどなおさら許されないでしょう。……ならば私は、あくまでこのモルガの森辺で正しく生きる道を探すべきだと思います」


「相変わらずあんたは堅苦しいなあ。……アスタとアイ=ファはどうなんだよ?」


 ルド=ルウに問われて、アイ=ファはわずかに首を傾げる。


「城の人間たちとどうしても相容れないというのならば、討ち倒すか森を捨てるかしかないだろう。しかし私は、ジバ婆たち先人の定めた掟に従って、可能な限りはこの森辺で生きていきたいと願う」


「あたしもアイ=ファに賛成だね。町の人間は好かないけど、あたしはここでの暮らしが大好きなんだ」


 ジバ婆さんにつきそったミーア・レイ母さんがそう言うと、ルド=ルウは「俺だって別にこの森辺を捨てたいわけじゃねーさ」と、ちょっとすねた顔つきになった。


「それじゃあ、アスタは? まあ、別に聞かなくてもわかってるけどさ」


「うん。俺もみんなと同じ気持ちだよ。……つけ加えるとしたら、やっぱりザッツ=スンはやり方を間違えたんだと思う。ザッツ=スンのやり方じゃあ、森辺の民を率いていくことはできなかったっていうことなんだろうね」


「んー? そいつは親父も言ったことだろ?」


「うん。それにつけ加えて、森の恵みを荒らすって行為もさ。森辺の民は自由に生きるべきって信念で一族を導こうと思ったんなら、それをきちんとみんなに説明すれば良かったのにって思ったんだ。新参者の俺としては、どうして餓えで死んでまで森の恵みを我慢しなくちゃならないんだっていう気持ちもあったから」


 俺は、正面と右側から、おもいきりにらみつけられることになった。

 すなわち、ルウと我がファの家長がそれぞれ物騒な眼光を突きつけてきたのである。


 俺はとりあえずドンダ=ルウに向かい、口調も改めることにした。


「それこそが狩人としての誇りなのだということは、頭では理解しているつもりです。……ですけどね、たとえば、ジェノスから払われる褒賞金を貧しい氏族に分配する、とかいう話でも、やっぱりそれは狩人の誇りを汚す行為になってしまうのでしょうか? そうだとしたら、褒賞金って何のために存在するんだろうっていう疑問がわいてきてしまうのですが」


「……褒賞金は、貧しい氏族のためにつかうべきものだよ……今ではどうだかわからないけれど、小さな氏族には刀や鉄鍋を手に入れるだけの力もなかったからねえ……」


 ジバ婆さんの説明に、俺は「なるほど」とうなずいてみせた。


「それじゃあ、最初の数十年ですべての氏族に刀や鉄鍋がそろってしまったから、明確な使い道を見失ってしまったんですかね。で、スン家がそれを独り占めするようになってしまった、と」


「いったいそれが何だってんだ? アスタもガズラン=ルティムと同じぐらい、わけのわかんねーことを喋りだしたりするよなー」


「ごめんごめん。俺も気持ちや考えを整理しながら喋ってるんだよ。……いや、俺は宿場町でザッツ=スンの言葉を聞いてから、ずっと思い悩んでいたんだ。この男の言葉は、どうしてこんなに心に響かないんだろうってさ」


「んー? そりゃああいつが、下衆だからだろ」


「それを言っちゃあ身も蓋もないんだけど。……でもね、さっきも言った通り、新参者の俺は、最初からジェノスのやり口は気に食わなかったんだ。森の恵みを荒らしちゃいけないとか、森辺の民が『ギバ喰い』として蔑まれてるとか、そういう話が本当に腹立たしかったんだよ。だから、城の人間に干渉されない自由な暮らしっていうのは、すごく魅力的に聞こえる話でもあるんだよね」


 それじゃあやっぱりザッツ=スンに賛同する気なのか、と怒鳴られないうちに、俺は急いで言葉を続ける。


「だけど、ザッツ=スンの言い分にはまったく納得できなかった。それはたぶんザッツ=スンが盗賊まがいのことをしていたからじゃなく、スンの分家の人たちが、ちっとも幸福そうに見えなかったからなんだ。……きっとザッツ=スンは、恐怖でしか人を縛ることのできない族長だったんだろう。自分が正しいと思ったから、他者もそれに従わせる。そんなやり方じゃあ、最初の信念がどんなに正しくても、正しい方向には導けない――と、そんな風に思ったんだ」


「……ザッツ=スンの信念は、正しいのか?」


 難しい顔で、アイ=ファが問うてくる。

 頭痛など起こしてはいないだろうかと心配しつつ、俺は首を振ってみせた。


「いくら不当に差別されていたからって、旅人を襲ったりするのは絶対に間違ってると思う。でも、不当に差別されるのはおかしい、森辺の民はもっと自由であるべきだって思ったんなら、それを家長会議の場とかで心情を述べて、みんなと意見を交わしたりすれば、正しい道を見つけることもできたかもしれないじゃないか? そうならなかったことが、俺にはすごく残念に思えたんだよ」


「残念……本当に残念だねえ……」と、ジバ婆さんが低くつぶやく。


「ザッツ=スンの父親は、たいそう立派な狩人だった……だから、族長筋のガゼやリーマの家が滅んだとき、あたしたちルウの人間も納得してスン家に族長の座を譲ったし、ドムやザザといった荒くれ者たちもそれに従ったのさ……だけどきっとザッツ=スンは、自尊心や野心の強さだけを父親から引き継いで、同胞を思いやる気持ちなんかは引き継ぐことができなかったんだろう……それは本当に残念な……無念な話だねえ……」


「……俺たちにとって大事なのは、昔話じゃなくこの先のことなんだぜ、最長老」


 ドンダ=ルウが低く言い、またガズラン=ルティムに向きなおった。


「サウティの使者が言っていたのは、それだけか? だったら、ルドたちが町で聞いた話に嘘はなかったってだけのことだな」


「いえ、もうひとつ。看過できない話がありました。……トトスの引いていた荷車はあらかた崖の下に落ちてしまったのですが。そこからこぼれた荷袋のひとつが、ダリ=サウティの目の前でギバに踏みにじられ、中身をぶちまけていたらしいのです」


「何だ、人間の死骸でも詰まっていたのか?」


「いえ。荷袋の中身は、ただの砂だったそうです」


 ドンダ=ルウは、いぶかしそうに眉をひそめる。


「ただの砂なんぞに銅貨を払う人間はいねえだろう。砂によく似た食い物か何かだったんじゃねえのか?」


「私もそのように問うてみたのですが。商団の人間たちはギバが現れるなり荷物やトトスを打ち捨てて刀を抜き、そして果敢に戦い始めたそうなのです。そして、ギバを退け、ザッツ=スンを捕らえたのちは、崖下に落ちた荷物を気にする風でもなく、意気揚々と町に帰り始めた、と。……もしかしたら、彼らは最初から東の王国に向かうつもりなどなかったのではないでしょうか?」


「……そいつはつまり、どういうこった?」


「はい。彼らはザッツ=スンをおびきよせるために、商人を装っていただけなのではないかと……カミュア=ヨシュからは、18人の商人に5人の護衛役、と聞いていましたが、ダリ=サウティにはどれが商人でどれが護衛役なのか、それを見極めることもできなかったそうです」


「ふーん。なるほどね。確かにあいつらは、みんな元気に自分たちの足で歩いてたもんな。荷台でうんうんうなってたのは、せいぜい5、6人だったかな。サウティの連中が手傷を負うぐらいのギバの群れだったのに、都の商人なんざがそこまでしぶとく生き残ってるのは不自然だよなー」


 ルド=ルウの言葉に、ガズラン=ルティムはまたうなずく。

「しかし」と声をあげたのは、ジザ=ルウだった。


「森辺の集落を通って東の王国に向かうというのは、2ヶ月がかりの計画という話ではなかったのか? たとえそれが虚言だったとしても、実際に俺たちは20日以上も前にその話を聞いている。その頃にはまだスン家も没落はしていなかったのだから、話の辻褄が合わなくなるではないか」


「はい。私にもそれが腑に落ちなかったのですが、もしかしたら、昨日ザッツ=スンらの逃走を知ってから、急遽そのような策を練ったのかもしれません。あのカミュア=ヨシュという人物であれば、それぐらいのことは平気でやってのける気がします」


「いや――」と、俺は声をあげることになった。


 これを言ったら、カミュア=ヨシュがドンダ=ルウの怒りを買ってしまうかもしれない。

 しかし俺は、森辺の民の一員として発言せざるを得なかった。


「むしろ、そのように大がかりな仕事を罪人ひとりのために変更するのは不自然ではないでしょうか。それだったら、最初からそれはスン家を陥れるための罠であったと考えるほうが自然であるように思えます。……たぶん、都の人間たちは10年前も森辺の民が商団を襲ったのだ、という確証を得ていたでしょうから」


「……それはどういうことでしょう?」


 静かだがとても力に満ちたガズラン=ルティムの視線が飛んでくる。

その視線を受け止めながら、(そうだったのか……)と、俺は自分自身の想念に打ちのめされてしまっていた。


 カミュアは最初から、10年前の事件の犯人がスン家である、と疑っていたはずだ。

 そんなことがわかったところで本質は何も変わらないではないかと、俺は自身の違和感や不安感をねじふせようとしていたのだが。それこそが俺の考え違いだった。


 このような裏があったのだ。

 カミュアたちは、スン家の襲撃に用心していたのではない。スン家の襲撃を誘発させるためにこそ、このような謀略を仕掛けたのだ。


 えもいわれぬ虚脱感を味わわされつつ、俺は言葉を重ねていく。


「俺とカミュアの共通の知り合いが、10年前のその商団の関係者だったんです。その人は、事件の犯人が森辺の民であるということを確信していました。……俺は今日までその亡くなった方が商団の関係者であるということを知らなかったんですが、カミュアは最初からそれを知っていたんだと思います」


 そうして俺は、無言で双眸を燃やしているドンダ=ルウを振り返った。


「ドンダ=ルウ、覚えていませんか? 20日以上も前、カミュアがこのルウの集落を訪れた日、カミュアとその商団について話しましたよね。そのときに、カミュアはすでに森辺の民を疑っているような発言をしていませんでしたっけ……?」


「……森辺の民が侮辱された言葉を俺が忘れるとでも思っているのか、小僧?」


「その話なら、俺も覚えている」と、ジザ=ルウも声をあげた。


「父ドンダは、10年前に森辺を通ろうとした商人たちは全員ギバに殺されたと言った。するとあのカミュア=ヨシュという男は、本当にギバに殺されたかどうかはわからない、と答えていた」


「すげーな。そんな昔の話、俺は覚えてねーよ」と、ルド=ルウが肩をすくめる。


 俺も、そんな言葉はすっかり忘れてしまっていた。

 覚えていたところで、今日のこの事態を止められていたわけではないだろうが――それでも、自分の迂闊さが呪わしい。


「きっとスン家は、10年前にも同じ方法で商団を襲ったのでしょう。今回だって、スン家が族長筋のままであったら成功していたはずです。……相手が本当に無力な商人たちであったら、ですが」


 だけど、荷車を引いていたのは、商人などではなかった。

 きっと全員が、荒事の専門家――《守護人》か何かであったのだろう。

 そして、荷車の中身もシムで売る商品などではなく、ただの砂袋だった。

 すべてがスン家を陥れるための謀略であったのだ。


「そもそも、現在のスン家で身動きが取れるのはザッツ=スンとテイ=スンの2名だけだったのですから、普通に考えたら商団を襲う力などはありませんよね? だから、ザッツ=スンたちをおびきよせるために急遽このような策を練ったというのは、なおさら不自然だと思います。むしろ、2ヶ月がかりでこのような策を練った彼らにとっては、スン家が没落してしまったことのほうが、想定外だったのではないでしょうか?」


「なるほど……」と、ガズラン=ルティムが低くつぶやく他は、みな無言だった。


 他者を陥れるためにそこまで入り組んだ策略を練る、などというのは、森辺の民にとって理解の範疇外なのだろう。


「家長会議であのような事態になっていなければ、今でもスン家は族長筋として森辺に君臨していたはずです。10年前と同じような仕事をもちかければ、同じように商団を襲ってくる。そのような見込みで、彼らは策を練ったのではないのですかね。だから本当は、森辺の民が先んじてスン家を没落させたことに、手ひどい肩すかしを食わされたような心地であったのかもしれません。……それでも今さら商団の話をなかったことにはできませんし、大罪人たるザッツ=スンらが玉砕覚悟で現れる可能性もゼロではなかったので、そのまま敢行したのではないでしょうか」


「しかしそれは、いったい誰の意志に基づいた策略であったのでしょう? 

これまでスン家の無法を適当にやりすごしてきたジェノスの領主が、いきなり断罪の刃を奮ってきた、ということになるのでしょうか」


 ガズラン=ルティムの差し迫った声に、俺は首を振ってみせる。


「そこまではわかりません。……でも少なくとも、カミュアが独断でこれほど大きな罠を仕掛けるのは難しいと思います。スン家に仕事を依頼するには城を通す必要があるはずなので、それではジェノスの領主をもあざむくことになってしまいますからね。それなら、最初から何らかの協力態勢はあったと考えるべきではないでしょうか」


 ジェノスの領主が立案し、カミュアに実行を頼んだのか。

 それともカミュアの立案に、ジェノスの領主が協力したのか。

 どの道、ジェノスの領主が無関係、ということはないだろう。


「……それが城の人間のやり口ってわけか」


 と――ドンダ=ルウが、その目をいよいよ炎のように燃えさからせる。


「都の連中は、スン家の凶賊を捕らえたいがために、俺たちを騙したのか? 連中が最初から話を通していれば、サウティの男衆もむざむざとやられはしなかったはずだ」


「それは――難しいところですね。ダリ=サウティはカミュア=ヨシュから、案内役に徹してほしいと願われていました。それでも自らギバに立ち向かったのは、他ならぬダリ=サウティ自身の意志です」


 冷静に応じるガズラン=ルティムに、ドンダ=ルウは野獣のごとき双眸を向ける。


「しかし、サウティの男衆はそいつらが無力な商人だと思っていたからこそ、刀を取ったんじゃねえのか? そいつらが全員、都の兵士だか何だかだということを知らされていれば、話は全然違っていただろうさ。……そして、城の連中は、サウティの男衆が全員で警護をする、という話も断っていたんだったな?」


「……はい」


「しかも連中は、いまだにファの家が商売を休むことを許そうとしない。それだって、殺しそこなったテイ=スンとかいう男をおびきよせたいからなんじゃねえのか? ……あいつらの言うことは、何もかもが嘘っぱちだ。ここまで本心をさらそうとしない連中を、俺たちは何をもって信じりゃいいってんだ?」


 ドンダ=ルウの手が、果実酒の土瓶を握り潰した。

 わずかに残っていた赤い液体が、その指先と床の敷布を濡らす。


「ドンダ=ルウ――いえ、ルウの家長にして森辺の族長よ、どうぞ短慮だけはおつつしみください。族長の行動如何によって、森辺の行く末は定まってしまうのです」


「そんなことは言われるまでもねえ。ただし、民を導くべき族長は、俺と、グラフ=ザザと、ダリ=サウティだ。ジェノスから言い渡された残り8日間で、俺たちは民に指し示すべき道を決する」


 あの、家長会議の夜にも劣らぬ勢いで、ドンダ=ルウは激情の塊と化してしまっていた。


「ドンダ=ルウ、俺からも一言だけいいですか? 俺も城の人間のやり口には納得いきませんが、それでもひとつだけ――さっきドンダ=ルウは、カミュア=ヨシュに侮辱された、と言いましたよね? その点に関して、今はどのように思っているんでしょう?」


 ドンダ=ルウの青く燃える双眸が、ガズラン=ルティムから俺のほうに差し向けられる。


 俺は生唾を飲み下し、呼吸を整えてから、言葉を重ねた。


「カミュア=ヨシュの言葉は真実でした。その上で、彼は森辺の民を挑発したか――あるいは警告を与えていたのかもしれません。このままだと、自分たちが先にスン家を裁いてしまうぞ、と。……だけど、ドンダ=ルウはカミュア=ヨシュの言葉を聞いたとき、森辺の民がそんな盗賊まがいのことをするわけがないと思い、侮辱された、と感じたのですよね……?」


「……だったら、何だっていうんだ?」


「だったら、その際のドンダ=ルウの信頼を裏切り、森辺の民としての誇りを傷つけたのは、カミュア=ヨシュではなくザッツ=スンだ、ということになりませんか?」


「アスタ。貴方はこの期に及んでもあの男をかばおうという心づもりなのか?」


 ガズラン=ルティムとは違う意味で熱することのないジザ=ルウの声が、俺にいっそうの冷や汗をかかせる。


 それでも俺は、言わずにはいられなかった。


「彼をかばっているつもりはありません。だけど、ザッツ=スンがそこまでの罪を犯していた、ということに、俺たちは気づくことができませんでした。ザッツ=スンをこれまで野放しにしてきたという罪は、城の人間と森辺の民の双方に責任があることなのではないでしょうか?」


「……我々と城の人間が、同類だと?」


「そんなことは言っていません。でも、今日のような事態を招いてしまったのは、誰に、どれぐらいの非があったのか、それはしっかりと見極める必要があると思います。……10年前の事件に限って言えば、ザッツ=スンによって害されたのは、森辺の民でも城の人間でもなく、町の人々なんです。その非はすべて城の人間にある、と言いきれますか?」


 町の人間など知ったことか! ……という言葉が返ってきていたら、もしかしたら俺は森辺の民としてのアイデンティティを壊されていたかもしれない。


 しかしジザ=ルウは、小さく首を横に振ってから、こう言った。


「俺たちがこれまでスン家を裁けなかったのは、やつらが罪を犯したという確かな証しを手にしていなかったからだ。その証しを手にしながらスン家を裁かなかった城の人間たちとは一緒にしてほしくない、というのが俺の偽らざる本心だ」


「ええ、ですから――」


「わかっている。族長筋を腐らせてしまったのは、それを裁くことのできなかった我々の罪――それは、家長ドンダの言葉でもあるからな。だけど、それでも言わせてもらおう。少なくともこの俺は、城の人間を信用することはできそうにない」


 そう言って、ジザ=ルウは糸のように細い目を父親に向ける。

 ドンダ=ルウは、さきほどからずっと俺の姿をにらみつけたままだった。


「……貴様の言い分はわかった。それも踏まえた上で、俺たちは道を決する」


 それだけ言って、ドンダ=ルウは押し黙った。

 重苦しい沈黙が、広間にたちこめる。


 やがて――その中に、ジバ婆さんの悲しみに満ちた声が響いた。


「……あたしたちがもっとしっかりジェノスとの縁を結ぶことができていたら、こんなことにはならなかったんだろうねえ……」


 とたんにアイ=ファは、「それは違う!」と、いきりたった。


「ジバ婆たち先人が苦難の道を切り開いてくれたからこそ、今の私たちがあるのだ! 今の苦難を切り開くのは、今を生きる人間たちの仕事であろう! ……そして、今もそうしてともに苦しんでくれているジバ婆だって、今を生きる人間のひとりなのだ。ジバ婆がそのような形で嘆き悲しむのは、きっと正しくないことだと思う」


「……そうだねえ……嘆き悲しむよりも、先にやることがあるんだろうねえ……」


 ジバ婆さんのしわくちゃの顔が、たぶん柔らかく微笑んだ。


「ありがとう、アイ=ファ……婆はまた昔の思い出にばっかりとらわれてしまうところだったよ……」


 アイ=ファは怒った顔つきのまま、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 が、その方向には俺がいたので、ばっちり視線がぶつかってしまう。


「……何を見ている」


「家長を見ています」


 薄暗がりの中でアイ=ファは頬を赤くして、俺の頭をひっぱたいてきた。

 夜半にまで及んだ緊急会議は、それでひとまず終了することになった。

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