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異世界料理道  作者: EDA
第七章 母なる森のもとに
142/1675

②青の月15日~凶星~

2014.12/23 更新分 1/1

 その日も、仕事は無事に終えることができた。

 仕事自体は、無事に終えることができた。


 その一団がやってきたのは、中天と日没のちょうど中間ぐらいの頃合いであったのだ。


 屋台の商売も《南の大樹亭》の仕込み作業も終えて、昨日と同じように《キミュスの尻尾亭》の前でみんなと合流した、ちょうどそのときである。


最初に「それ」に気づいたのは、アイ=ファであった。


「……何やら通りの向こうのほうが騒がしいな」


 そう言い捨てると同時に、アイ=ファは俺の腕をひっつかみ、道の端に寄せるとともに俺をかばうような態勢をとった。


 俺にはまだ何の予兆も感じとれないのだが、ルド=ルウたちも無言で女衆たちを背後に追いやり、狩人の眼差しを南の方角に向ける。


「ど、どうしたんだ? いったい何が起きたっていうんだよ?」


「わからん。空気が乱れている。……しかもそれが、こちらに近づいてきているようだ」


 しかしここは、宿場町のど真ん中だ。

 まさかザッツ=スンたちが、普通に森辺からの道を下って宿場町に下りてきた、とでもいうのだろうか。


「だったら早急に屋台を返して、宿場町を出たほうがいいんじゃないか?」


「今は動くな。凶賊どもが攻めいってきたという様子ではない。だが、これは――」


 と、アイ=ファはそのまま口をつぐんでしまう。

 その横顔からうかがえるのは、強い不審と警戒の表情だった。


 そして――「それ」がやってきた。


 何も気づかずに街道を歩いていた人々も足を止め、慌てた様子で道の端に引く。

 低いどよめきが地震の前触れのようにじわじわと近づいてくる。

 若い娘のか細い悲鳴が、遠いどこかであがった気がした。


「あれは……?」


 俺は思わずアイ=ファの肩に手を置いて、身を乗りだそうとしてしまった。

 しかしアイ=ファの身体はびくともしないので、その肩ごしに顔を出すことしかできない。


 街道の南側から、奇妙な一団が接近してきていた。

 けっこうな大人数なのだろう。その全員がフードつきの皮マントを着込み、比較的ゆったりとした足取りで歩いている。


 その中から、恐鳥トトスの頭がひょっこりとのぞいていた。

 2頭連れで、大きな荷車を引かされているようだ。


 それでも街道の幅は10メートルぐらいあったので、その一団を避けて道を進むことも容易であったはずだが、誰もが道の端に寄り、足を止め、息を詰めつつその一団を見守っている。


 それぐらい、その連中は一種異様な雰囲気をかもしだしていたのだ。


「すまんな! 何も危険なことはないから、心配は無用だ! ただし、俺たちの手の届く範囲には近づかないでくれ!」


 その先頭に立っていた体格のいい男が、豪放な笑いを含んだ声でそう言った。


 その声で、俺はさらに驚きをかきたてられる。

 まだその集団とは7、8メートルぐらいの距離があったし、その男も皮マントのフードを下ろしていたので人相はまったくわからなかったのだが、その太い声音には聞き覚えがあった。


 それは、このような場所にいるはずもない男――シムに向かった商団の長、ザッシュマの声だった。


 それでは、これは彼の率いていた商団の男たちなのだろうか。

 しかし彼らは、いまだモルガの山麓の森の中にいるはずだ。


 それに、人数的には十分だが、トトスなどは2頭しか見えないし、それ以外には荷を携えている様子もない。


 そして――俺は自分の感じていた異様な雰囲気の正体を、嗅覚から知ることになった。


 2種類の香りが、風に乗って俺の鼻腔に忍びこんでくる。


 それは。

 熟れすぎた果実のように甘い香りと。

 錆びた鉄のように酸味をおびた生臭い匂いだった。


(これは――)


『ギバ寄せの実』の香りと、血の匂いだ。


 わけもわからぬまま立ちつくす俺の眼前にまで、その一団が近づいてくる。


 その先頭に立った男は、やはりザッシュマだった。

 見覚えのある褐色の髭と大きめの口が、深くおろしたフードの陰からのぞいている。


 そして。

 そのザッシュマが纏った皮のマントには、赤黒い血がべったりとこびりついていた。


「……おお、お前は屋台の主人か」


 と、ザッシュマはふいに足を止めて、俺のほうに目線と言葉を投げかけてきた。

 後に続いていた男たちもそれにならい、うっそりと俺たちを振り返る。


 ザッシュマは、笑っていた。

 しかし、男たちのほうからは、威圧的な空気が漂ってくる。


「今日は色っぽい女衆ばかりでなく、狩人たちも同伴か。森辺の民がそんなに大勢で町に下りてきたら、ジェノスの民びとが怯えてしまうだろうに」


「あなたは、ザッシュマ――でしたよね? あの、これはいったい……? あなたたちは、シムに旅立ったのではないのですか?」


「こちらとしてはそのつもりだったのだがな。荷物を台無しにされてしまったので、おめおめ引き返す他なかったのだ! 手ぶらでシムに向かったところで、商売なんぞにはならんだろう?」


 そんな台詞を吐きながら、ザッシュマはいよいよ楽しげに笑っていた。

 もともと野盗の頭領のごとき悪党面ではあったが、返り血にまみれた姿でそんな風に笑うザッシュマは、もはや1ミリたりとも商人などには見えなかった。


 それに――その腰にもしっかりと大刀が下げられているのがうかがえる。

 総勢10名以上にも及ぶ森辺の民を前にしながら、怯える様子のひとつも見せない。


 困惑する他ない俺の顔を愉快げに見返しながら、ザッシュマはさらに言った。


「だからこれは、ジェノスの法に則った公正なる粛清の結果なのだ! お前たちも森辺の民とはいえその身はジェノスに属するのだから、おかしな考えを起こすのではないぞ?」


「公正なる粛清……?」


「まあ、ちょうどいいと言えばちょうど良かった。見間違えるような面相ではないが、他ならぬ森辺の民と遭遇できたのだから、面通しでもしてもらおう。これが今生の別れともなるだろうしな」


 ザッシュマはにやにやと笑いながら、後方の男たちに顎をしゃくった。

 ひとかたまりになっていた男たちが、ちょうどその集団の真ん中に位置していたトトスの前後に分かれていく。


 それで俺は、完全に言葉を失うことになった。


 荷車を引かされたトトスの後ろに、3人の男たちが立っていたのだ。


 その内のひとりは、カミュアである。

 やはりフードをおろしているが、そのひょろ長い体型は見間違えようもないし、特徴的な鷲鼻と金褐色の無精髭におおわれた下顎も見えている。


 もうひとりは、ダバッグのハーンだ。

 こちらは何故かマントを着ておらず、包帯でぐるぐる巻きにされた頭部と、粗末な布の服を纏った頑健なる肉体、腰に下げた2本の剣を人目にさらしてしまっている。

 その爬虫類のように冷たい灰色の目は、何の関心もなさそうに俺たちを――森辺の民を、見やっていた。


 そして。

 そのふたりにはさまれる格好で、その男が立っていた。


 骸骨のように痩せ細り、ぼろくずのような布の服を纏った、生ける屍のごとき男が。


 スンの本家の先代家長、ザッツ=スンである。

 そうであることに間違いはない。


 本当に骨と皮しか残っていないような、凄惨な有り様だった。

 その顔などは頭蓋骨の形状をそのままさらしており、眼窩はくぼみ、頬肉はそげ落ち、ひからびた唇の間から黄色い歯がのぞいている。まばらに黒い毛の残った頭にまで深いしわが刻みこまれ、肌はどす黒く変色し、本当にこれが生ある者なのかと目を疑いたくなるほどである。


 腕も足も、首も胴体も、何もかもが枯れ枝のように干からび、しなびており、その痩せ細った手首を鉄の鎖で拘束され、荷車の尻につながれている。その身に纏ったぼろくずのような布地には、かろうじて渦巻きの紋様が見てとれた。


 もともとは、それなりに長身だったのだろう。

 しかし今は、真っ直ぐに立つ力も残っていないらしく、腰と膝を深く曲げ、墓から暴かれた死骸がさらしものにされているような、そんな胸の悪さを誘発されるおぞましい姿だった。


「この男が、森辺の大罪人ザッツ=スンで間違いなかろう? こやつは俺たちにおかしな果実を投げつけて、それでギバをけしかけたのだ! おかげでこちらもこれだけの手傷を負い、荷物は台無しにされ、トトスの大半を手放すことになった。たまさか生け捕りにすることはできたが、このような大罪人を許す法は、どの王国にも存在せぬだろう!」


 ザッシュマのその言葉により、俺はようやくトトスの引く荷車の中身を知ることになった。


 屋根のないその荷台の上には、返り血でない血にまみれた男たちが、あるいは屍のようにぴくりとも動かず、あるいは苦悶の声をあげながら、いずれも無残な姿で横たえられていたのだ。


 その数は、6名。

 総勢23名であったメンバーの内の、6名だ。

 残りの男たちは、荷台と罪人を取り囲む格好で、静かに立ちつくしている。

 その身に纏った皮マントを、おそらくはギバの返り血で真っ赤に染めながら。


(ギバ寄せの実……そうか、それを使って商団を襲ったのか……)


 その言葉が虚偽でないことは、少なくとも俺にだけは理解できた。

 強烈に甘い果実の香りが、その場にはむせかえるほどに漂っていたのだ。これぐらい香気が強ければ、アイ=ファにだってはっきり感じ取れるだろう。


「サウティ家は……あなたたちを案内していた森辺の民はどうしたんですか?」


 半ば無意識にそう問いかけると、ザッシュマは「ああ」とせせら笑った。


「もちろん彼らは真っ先にギバどもを迎え撃ってくれたがな。いかんせん、ギバの数が多すぎた。4人ともに深い傷を負ってしまったので、集落まで運んでやったよ。とても気の毒な結果に終わってしまったが、頑健なる森辺の民ならば、生命を落とすことはないだろうさ」


「それじゃあ、テイ=スンは……? 凶賊はこのザッツ=スンひとりだったのですか?」


「あの灰色の髪をした爺さんは、《双頭の牙》が斬り捨てた。そのまま谷底に落ちてしまったので、今頃はムントの餌だろう。仮に生きていても、あの傷では助かるまい。森辺の大罪人に怯える日も今日限り、ということだ!」


「……テイ=スン……?」という、地獄の底から響きわたってくるような声音が、一気にその場にいる人々を緊迫させた。


 ザッツ=スンが――深くうなだれていたその顔を、ゆらりと持ち上げる。


「……テイ=スンはどこに行ったのだ……? スン家の失われた栄誉を、我らの手に取り戻すのだ……テイ=スン……?」


「驚いたな。まだ喋る力が残っていたのか、この生ける屍めは」


 ザッシュマは、いくぶん薄気味悪そうに笑顔を引きつらせつつ、ザッツ=スンに向きなおった。


「貴様の同胞は森に朽ちた! 貴様の生命も今宵限りとなろう! それまでは、せいぜい見果てぬ夢でも追っているがいいさ!」


「……何を抜かすか、穢れた石の都の住人め……森辺の民への恩義を忘れた貴様たちこそ、いずれ無残な最期を遂げるであろう!」


 それこそ本物の髑髏のように落ちくぼんでいるその眼窩に、不気味な黒い炎が宿った。


 干からびた皮膚に亀裂を入れながら、その顔が邪悪な笑みを形づくっていく。


「己の力ではギバを狩ることもできぬ貴様たちが、どうして我々を蔑むのだ……? 貴様たちは、我々を蔑むことでしか誇りを保ち得なかったのだ! 脆弱なるセルヴァの子らよ! 穢らわしき石の都の住人よ! 貴様たちこそが呪われし存在だ!」


「ふん。急に賢しげなことを言いだしたな、凶賊め。ではその石の都の富を奪おうとした貴様は何なのだ? 貴様なんぞに誇りを語る資格があるか、下衆め!」


 威勢のいい声をあげながら、しかしザッシュマの面にははっきりと畏怖の色が浮かんでしまっていた。


 ザッツ=スンの言葉の内容ではなく、その声音の迫力と邪悪さにこそ、気圧されているのだろう。


 そしてそれは、俺自身の心情でもあった。


 死を眼前に迎えた人間とは思えぬ、凄まじいばかりの生命力――ディガやドッドの恐れた怪物じみた迫力と妄念を、俺たちは目の当たりにすることになったのだ。


「何とでも言うがいいわ、呪われし都の民め……貴様たちの富は、我々の血と誇りによって築かれた富だ! 忘恩の徒め! 悪辣なる簒奪者め! 貴様たちの安寧は、我々の働きによって守られているのだ!」


「いいかげんにしろ! 誇りを忘れた恥知らずはお前のほうだ!」


 鋼のような声が、ザッツ=スンの呪詛の声を断ち切った。

 アイ=ファである。


「褒賞金を独占し、森を荒らし、狩人の仕事もまともに果たしていなかったお前などが、森辺の民の誇りを語るな!」


「ほう……貴様は、女狩人だな……ということは、貴様が石の都の愚者どもにおもねって莫大なる富を築いたという、恥知らずの家の家長ということか……」


 怨念の渦巻く鬼火のような眼光が、のろのろとアイ=ファのほうに差しむけられる。


 アイ=ファは怒れる山猫のような形相になり、青く燃える瞳でそのおぞましい眼光をはね返した。


「お前などに恥知らず呼ばわりされる覚えはない! お前は道を誤ったのだ、スンの先代家長よ!」


「道を誤ったのは貴様のほうだ……都の人間は、敵だ! 許されざるべき罪人だ! 我々を森辺という牢獄に閉じこめ、己だけが安寧にひたろうとする、穢らわしき咎人どもなのだ!」


「森こそが、私たちの神だ! 森を牢獄などとほざくお前には、森辺の民を名乗る資格もない!」


「愚か者め……恵みをもたらさぬ森など、神ではない! 我々の祖は、騙されたのだ! その身を森に置きながら、銅貨を稼がなければ飢えて死ぬしかない、そんな生の何が狩人だ! 森辺の民の誇りなど、80年前にとっくに打ち砕かれ、踏みにじられているのだ! 貴様たちは、ギバという名の銅貨を狩ることに生命をかけているにすぎん!」


 アイ=ファは、ぎりぎりと奥歯を噛み鳴らした。

 その引き結ばれた唇が再び怒号を発するより早く、ルド=ルウが半歩だけ進み出る。


「てめーはさっきから何をほざいてるんだよ? 何をどう言いつくろったって、罪を犯してきたのは、てめーだ。森辺の民の誇りを汚したのは、てめーなんだよ」


「違うな……我は、誇りを取り戻そうとしたのだ……やはりズーロなどでは、我の大志を継ぐことはできなかった……我の身が病魔などに犯されなければ、森辺の民は誇りを取り戻すことができた! 誰におもねることもなく、森の恵みだけを喰らい、森の中だけで生きる、本来のあるべき生を実現することもできたはずなのだ!」


「馬っ鹿じゃねーの? 旅人を襲って富を奪うのが、森辺の民の正しい姿だとでも言うのかよ?」


「それでも城の人間には、我々を罰することなどできなかった! 10年前のあのときも、あいつらは見て見ぬふりをすることしかできなかった! 自分たちではギバを狩ることもできない都の人間には、しょせん森辺の民を裁くことなどはできないのだ!」


 その言葉は、稲妻のように俺の心を打ちのめした。

 やっぱり――やっぱりこのザッツ=スンは、10年前にも同じ罪を犯していたのか。

 そして、その際にはまんまと成功せしめてしまったのか。


 ギバをけしかけ、商団の人間を皆殺しにして、積み荷を奪い――そうして罪に問われることもなく、こうして笑っていたのだろう。


「いま少し力を蓄えれば、確固たる自由を手にできたものを! 貴様たちが、すべてを台無しにしてしまったのだ! ファの家め! ルウの家め! 貴様たちさえ邪魔をしなければ、スン家は森辺の民を正しき道に導けたのだ!」


 その瞬間――

 革鞘に収められた刀の一撃が、ザッツ=スンの背中に振り下ろされた。


 ザッツ=スンは、獣のようなうめき声をあげて、石の街道に崩れ落ちる。


 刀を振り下ろしたのは、包帯で人相を隠した長身の男――ダバッグのハーンだった。


 ダバッグのハーンは、爬虫類のように無機質な目でザッツ=スンの姿を見下ろしつつ、包帯に覆われた口で「下衆め」と言い捨てる。


 さらにその手が刀を振り上げようとするのを見て、カミュアが静かに腕を上げた。


「捕らわれた罪人を裁く権利は、俺たちにはないよ。せっかくの功労を自分の手で台無しにしてしまうつもりかい、ハーン?」


 ハーンは無言でカミュアを見返してから、何事もなかったかのように刀を腰に戻した。

 カミュアは小さく息をつき、すっかり大人しくなってしまっていたザッシュマのほうを振り返る。


「……ザッシュマ。これ以上の問答は無益だろう。この御仁は病魔に犯され、すでにまともな人間としての心を失ってしまっているようだからね。このような厄介者はとっとと城に引き渡すべきじゃないかな?」


「あ、ああ……そうだな」と、ザッシュマは憎々しげにザッツ=スンを見下ろしてから、目指すべき北の方角に足を向けた。


「立てるかい? 立たないと、膝の肉がすりおろされてしまうよ?」


 カミュアの声に、ザッツ=スンはのろのろと起き上がる。

 そして。

 最後に、ザッツ=スンは悪鬼のごとき哄笑をほとばしらせた。


「穢らわしき都の住人と、スン家を裏切った恥知らずの似非狩人どもめ! せいぜい憎みあいながら滅びるがいい! 貴様たちの行く末に待ち受けるのは、回避しえぬ不和と絶望だけだ! 西方神セルヴァに呪いあれ! 南方神ジャガルに災いあれ! 我々は、2度までも仕える神を間違えてしまったのだ!」


 そうして、前後に散開していた男たちがまたその姿を隠し、ひび割れた哄笑もやんでしまうと、後には濁った瘴気のような静寂だけが残された。


 またザッシュマを先頭に、皮マントの一団はゆるゆると動き始める。

 その際に、姿を隠したカミュアがひょいっと伸びあがるようにして、俺たちのほうに目を向けてきた。


 フードを外したその顔には、いつものすっとぼけた笑顔ではなく、何だかとても申し訳なさそうな――俺たちに許しでも乞うているような、ちょっとさびしげな微笑が浮かんでいた。


「……スン家も、今度こそおしまいか」


 ルド=ルウが、肩をすくめつつ小声でつぶやく。

 そちらに目線を向けようとした俺は、途中でぎくりと立ちすくんでしまった。


 街道の端に立ち並んだ人々が、異様な目つきで俺たちを見つめていたのだ。


 異様な目つき――それは、この上ない恐怖と、怒りと、不審と、困惑の入り混じった、まるで未知なる獣でも見るような目つきだった。


 ザッシュマたちはもう街道の向こうに去ってしまったというのに、誰もその場から動こうとしない。

 動かずに、俺たちの姿をねめつけている。

 まるで、背中を向けたらただちに斬りかかられる、と怯えているかのように――人々は、その場に凍りついてしまっていた。


 そんな中、左肩をぽんと叩かれて、俺は飛びあがりそうになる。

 振り返ると、いつのまにやら、ミラノ=マスがそこに立っていた。

 そういえば、ここは《キミュスの尻尾亭》のすぐ正面であったのだ。


「ミ、ミラノ=マス……?」


「余計な口を叩くな。お前たちは、とっとと帰れ」


 ミラノ=マスは、周囲の人々に劣らず、両目を激情に燃やしていた。

 いや、周囲の人々よりもなお激しく、その目は憎悪に猛り狂っていた。


「屋台は俺が片付けておく。自分たちの荷物を持って、今すぐに帰れ。……さもないと、何がどうなっても知らんぞ?」


「いや、ですが……」


「勘違いをするな。お前たちのことなど、俺はどうとも思っていない」


 低い声で言い捨てて、ミラノ=マスは男たちの消えていった北の方角に、憎悪の眼光を差し向けた。


「……俺の親友を殺したのは、あいつだったんだな」


 ほとんど聞き取れないぐらいの声で、ミラノ=マスは確かにそうつぶやいた。


 そして俺は、ミラノ=マスのすぐ横にレイト少年がひっそりと立ちつくしていたことに、ようやく気づくことができた。


 レイト少年は、静かに笑っていた。

 普段と変わらぬ無邪気な微笑をたたえながら、レイト少年も無言で北の方角を見つめていた。


 その様子からは、何の内心も推し量ることはできなかったが――

 ただ、少年のなめらかな象牙色の頬には、透明な涙がとめどもなくあふれていた。


          ◇


 ザッツ=スンの死の報せが届いたのは、それから数時間後のことだった。

 三族長の代表としてジェノス城に向かったドンダ=ルウによって、その報は森辺にもたらされることになった。


 明朝の処刑を待つ身であったザッツ=スンは、獄中に捕らわれるや、1時間と待たずに衰弱死してしまったらしい。


 シムの占星師の託宣通り、凶星は消えてしまったのだ。

 さまざまな運命をねじ曲げて、残された人々を嘲笑うかのように、あっさりと。

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― 新着の感想 ―
再読。 熱量が半端ねえ。。。 マジで凶星というほかは無い怨念っぷりですね。 恨みの根本があるだけやはり一番恐ろしくみえるのはこの男だと思った。 原理主義者が歪むとこうなってしまうという好例。 現実に…
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