第七話 黒き高潔の雛鳥(一)
2023.11/4 更新分 1/1
ジェノスという異郷の地に行ってみたい――ピリヴィシュロがそんな思いにとらわれたのは、もう1年以上も前のことであった。
あれは叔父たるアルヴァッハがジェノスから戻ってすぐの話であったから、一昨年の紫の月であっただろう。太陽神の復活祭を目前にして、ピリヴィシュロはそんな思いに胸を焦がすことに相成ったのだった。
もとよりピリヴィシュロは、異郷に憧れを抱く性分であった。
氷雪に閉ざされたマヒュドラの領土や、ドゥラの海辺や、ジギの草原や、ラオリムの王都――行ける場所には、すべて行ってみたいと願っている。そこにいっそう明確な形をもたらしたのは、アルヴァッハの語るジェノスの土産話であった。
ジェノスには森辺の民という不思議な一族がいて、ギバ料理という素晴らしい料理が存在するという。それを語るアルヴァッハの熱い言葉と眼差しが、ピリヴィシュロの心にも新たな熱を宿したのだ。
『……ぼく、ジェノスにいってみたい』
ピリヴィシュロがそんな真情を家族に打ち明けたのは、復活祭における『暁の日』の2日後であった。ここ数日は祝宴続きで、家族だけでゆっくり過ごす機会がなかなかなかったのだ。屋敷の食堂で晩餐をとっていたピリヴィシュロの家族たちは、べつだん驚いた様子もなく食事を進めていた。
『あなたは本当に、ジギの草原の民のようね。でも、ゲルドの民にとっても外界との交易というものはどんどん重要になっていくのでしょうから……いずれそちらで力になれるように励めばいいわ』
そのように応じたのは、ピリヴィシュロの母親である。
その場には、9名の家族が集っている。ピリヴィシュロの両親に、祖父たる藩主とその伴侶たる祖母、母の弟妹たちが4名、そして一番上の弟であるアルヴァッハの伴侶という顔ぶれだ。
『おじさまにも、おんなじふうにいわれたよ。でも……ぼくはいますぐ、ジェノスにいきたいの』
ピリヴィシュロがそのように言葉を重ねると、数名の家族が食事の手を止めた。
そして、藩主たる祖父が厳しい眼光をアルヴァッハに突きつける。
『アルヴァッハよ……よもや、おぬしがピリヴィシュロをそそのかしたのではあるまいな』
『そそのかしたとは? 我は、ジェノスという地の素晴らしさを語って聞かせたのみである』
『うん。だからぼくは、じぶんのめでジェノスをみてみたいっておもったの』
祖父は小さく息をついてから、厳しい眼光をピリヴィシュロの父親に向けなおした。父親は匙を置き、真剣な眼差しをピリヴィシュロに向けてくる。
『ピリヴィシュロよ。お前はまだ5歳になったばかりの身だ。異郷に思いを馳せる前に、まずは為すべきことを為すがいい』
『うん。りっぱなきじんになれるように、ぼくはがんばってるよ。あとは、なにをすればいい?』
『……何をすればいい、とは?』
『なにをしたら、ジェノスにいけるの? ぼくにひつようなものは、なに?』
父親もまた溜息をついてから、いっそう真剣な眼差しになった。
『だから、そのようなことを考えるのは10年早いと言っているのだ。まずお前は、貴人としての知識と作法を習い覚えて――』
『じゅうねん? ぼくはじゅうねんたたないと、ジェノスにいけないの?』
大きな衝撃に見舞われたピリヴィシュロは、慌てて両手で顔を覆った。静謐に保たなければならない顔が、泣き顔に崩れてしまいそうであったのだ。
『10年というのは、言葉のあやだが……しかし、10年が過ぎても、お前はまだ15歳だ。ゲルドの外に出るには、まだ若すぎるぐらいであろう』
『どうして……どうしてぼくは、ゲルドのそとにでたらいけないの……?』
『それは、危険であるためだ。外界には、思わぬ危険がひそんでいるものであるのだからな』
『おもわぬきけんって? ムフルよりきけんなけものがいるの?』
『いや、ムフルより危険な獣はそうそうあるまいが……』
『そとのひとたちは、むしろゲルドのたみをこわがってるってきいたよ。だから、とうぞくとかもちかづいてこないんだって……それなら、なにがきけんなの?』
父親は閉口した様子で、アルヴァッハのほうを振り返った。
しかしアルヴァッハは、黙々と食事を進めている。今日の晩餐の出来栄えはどれほどのものかと、アルヴァッハはずっと真剣な眼差しであったのだ。
『アルヴァッハよ。これもアルヴァッハの入れ知恵であろうか?』
『入れ知恵とは? 我はピリヴィシュロに、盗賊について語った覚えはない』
『うん。それは、プラティカがおしえてくれたの。プラティカはずっととうさんとふたりたびで、さいごにはひとりになっちゃったけど、それでもとうぞくにおそわれることはなかったんだって』
プラティカとは、つい先日こちらの屋敷に料理番として迎え入れられた娘である。ピリヴィシュロは、勇敢で優しいプラティカのことをとても好ましく思っていた。
『プラティカがゲルドをでたのは、じゅっさいのころだっていってたよ。それなのに、ぼくはじゅうねんもまたないといけないの?』
『……お前とプラティカでは、身分が異なっている。プラティカは、料理番の娘に過ぎないのだからな』
『りょうりばんのむすめは、きけんなめにあってもいいの?』
父親が言葉に詰まると、母親が優しげな眼差しで口を開いた。
『決してそのようなわけではないけれど、貴人というのは普通の人間よりもいっそう身をつつしまなければならないの。あなたにも、それはわかるでしょう?』
『うん。でも、たみをみちびくきじんは、けんしきをひろげないといけないんでしょ? おじさまも、そのためにゲルドのそとにでたんでしょ?』
母親は眉が下がるのをこらえるような面持ちで、アルヴァッハのほうを振り返った。
汁物料理の検分をしていたアルヴァッハは皿を下ろしてから、その視線を迎え撃つ。
『それもまた、我の言葉ではない。どうして誰も彼もが、我にすべての原因を求めようとするのであろうか?』
『うん。それをおしえてくれたのは、いちばんしたのおじさまだよ』
ピリヴィシュロの言葉によって、家族の視線は第三子息に向けられた。そちらは14歳の少年である。
『はい。アルヴァッハ兄さんは次代の藩主として見識を広げるために、率先して外交に励んでいるのだと、そのように語りました。……それは、間違った考えであったでしょうか?』
『いや、何も間違ってはいないが……ともあれ、いまだ幼いピリヴィシュロがそのようなことを考えるのは、早い』
『どうして? ぼくはきじんとして、いろんなことをべんきょうしているよ。がいこうのことだけは、かんがえちゃいけないの?』
ピリヴィシュロがそのように言いつのると、祖父が『もうよい』と重々しい声を発した。
『今は、復活祭のさなかである。そのように些末な話で、晩餐の場を騒がせるものではない』
『さまつ……』と、ピリヴィシュロはまた大きな衝撃に見舞われてしまった。
ピリヴィシュロはこれほどに真剣であるのに、愛すべき祖父に些末と切り捨てられてしまったのだ。ピリヴィシュロは何とか泣き顔を隠していたが、涙をこぼすことだけは止めようがなかった。
『……何を泣いておるのだ? 我は、おぬしの願いを軽んじているわけではないぞ?』
祖父はいくぶん慌てたように声をあげてから、すぐさま藩主としての威厳を取り戻した。
『他の家族らも申しておる通り、おぬしが外界のことを考えるのはまだ早いのだ、ピリヴィシュロよ。おぬしのような幼子が外界におもむいたところで、見識を広げることはできん』
『……どうして?』
『それはおぬしが、幼いからだ。そもそも西の言葉も扱えぬ身で西の地までおもむいて、何とする? すべての言葉を、他の者たちに通訳してもらうのか? それでは他の者たちの苦労がつのるばかりで、むしろ外交のさまたげとなろう。アルヴァッハたちは、遊楽のために外界へとおもむいているわけではないのだ』
『それじゃあ……にしのことばをおぼえたら、ジェノスにいってもいいの?』
『おぬしがそれほどの熱情をもって西の言葉を習得したならば、一考しないでもない。しかし今は、それよりも学ぶべきことがあろう。貴人としての務めを二の次にする者に、勝手な真似を許す気はないぞ』
ピリヴィシュロは母親が差し出す織布で涙をぬぐってから、『わかりました』と頭を垂れた。
家族たちは、ほっとした様子で食事を再開させる。そしてピリヴィシュロも、悲しみではなく大きな希望を胸にすることができた。
(にしのことばをおぼえたら、ジェノスにいくことをゆるしてもらえるんだ)
そのように考えると、胸の内側が熱くなってやまなかった。
そして――無事に晩餐を終えたのちは、アルヴァッハが人目を忍んでピリヴィシュロに語りかけてきたのだった。
『ピリヴィシュロよ。藩主の言葉は、正しく理解できたであろうか?』
『うん! にしのことばをおぼえればいいんだよね?』
『それと同時に、貴人としての務めを二の次にする者に勝手な真似は許さないとも言っていた。お前はこれまで通りの勉学を続けながら、それと並行して西の言葉を学ばなければならないということだ。それはおそらくピリヴィシュロにとって、大きな苦難の道となろう』
『うん。でも、ジェノスにいけるなら、ぼくはがんばるよ』
ピリヴィシュロがそのように答えると、アルヴァッハは優しげに目を細めた。
『ピリヴィシュロの覚悟が報われるように、我も願っている。ともにギバ料理を食せる日を楽しみにしているぞ』
ピリヴィシュロが『うん!』とうなずくと、アルヴァッハは大きな手で頭を撫でてくれた。
そうしてピリヴィシュロはその日から、1年がかりで西の言葉を学ぶことになったのだった。
◇
アルヴァッハが示唆していた通り、西の言葉の習得というのは生半可な試練ではなかった。
西の言葉というのは、東の言葉とまったく勝手が違っていたのだ。これならば、北の言葉のほうがまだしも安楽に習得できるのではないかと思われた。
しかし、現在のピリヴィシュロが目指しているのは、あくまでジェノスである。いずれはマヒュドラにも足をのばしてみたいと願っていたが、ピリヴィシュロの胸をひときわ躍らせたのはジェノスの土産話であったのだ。森辺の民と、ギバ料理――それを我が身で味わうには、どうしてもジェノスまで出向く必要があったのだった。
ピリヴィシュロは、ひたすら西の言葉の習得に励んだ。アルヴァッハの忠告通り、通常の勉学や貴人としての務めもすべてこれまで通りに果たしながら、空いた時間をすべてそちらに注ぎ込んだのだ。それでも果てが見えないぐらい、西の言葉というのは難解であった。
そんな中、復活祭が終わると同時に、アルヴァッハはまたジェノスに旅立っていった。しかも今回はプラティカを同行させたあげく、そのままジェノスに置いてきてしまったのだ。彼女はジェノスに居残って、料理の修行に励むのだという話であった。
ピリヴィシュロはプラティカのことを好ましく思っていたので、とても残念だった。
しかし、それがまたピリヴィシュロの熱情に拍車を掛けた。ジェノスに行けば、プラティカと会えるのだ。プラティカが一人前の料理番になるのが先か、ピリヴィシュロが西の言葉を習得するのが先か、人知れず競争しているようなものであった。
やがてジェノスから戻ったアルヴァッハは、何かとピリヴィシュロの世話を焼いてくれた。時間のあるときには勉強を見てくれたり、役に立ちそうな書物を貸してくれたり、西の言葉を得意にする人間を紹介したりしてくれた。他の家族はいっさい力を貸してくれなかったので、アルヴァッハの協力はありがたい限りであった。
そうして、1年が過ぎ去って――次の年の、復活祭である。
ピリヴィシュロは1年前と同じ日に、家族の前で修練の成果を披露してみせた。
「われ、にしのことば、おぼえました。ジェノス、おもむくこと、おゆるし、もらえますか?」
ピリヴィシュロが西の言葉でそのように告げると、家族たちは大きくどよめいた。
その中で、祖母が『おやまあ』と楽しげな声をあげる。
『それが、西の言葉であるのですか? ピリヴィシュロは、ずいぶん頑張ったようですね』
「はい。いちねんかん、がんばりました」
『申し訳ないけれど、わたしは西の言葉がわからないのです。と、いうよりも……この場で西の言葉がわかるのは、アルヴァッハだけのはずですね』
『え?』と、ピリヴィシュロは思わず目を丸くしてしまった。
『みんなは、にしのことばがわからないの?』
『ええ。北の言葉はわかるけれど、西の言葉はさっぱりですね。これまで西の王国と交流を持つ機会がなかったので、誰も習得しようとは考えなかったのですよ。ゲルドで西の言葉を学んでいるのは、外務官と一部の武官のみなのでしょうね』
『うむ。国境警備の武官たちは西の民と言葉を交わす必要があるため、西の言葉を学んでいる。このたび編成された使節団の責任者も、そちらから引き抜いた人材である』
アルヴァッハはひとり落ち着き払った眼差しで、そのように答えた。
『ピリヴィシュロの西の言葉は、そちらの使節団の責任者と大きな差のない熟練度である。それは、我が保証しよう』
『まさか……このような幼子が、わずか1年ていどで西の言葉を習得したというのか?』
祖父が驚きの声をあげると、アルヴァッハは『否』と力強く応じた。
『1年ていどではなく、1年ちょうどである。ピリヴィシュロはちょうど1年前の今日という日から、西の言葉の習得を開始したのである』
『……何故にそのように細かい日取りまで記憶しておるのだ?』
『それは、復活祭において家族の集える日には限りがあるためである。この年も昨年も、ピリヴィシュロは大切な家族のために今日という日を選んだのである』
あくまで落ち着いた声を発しながら、アルヴァッハは青い瞳に強い光を宿した。
『ピリヴィシュロはそれだけの思いでもってジェノスに行きたいと願い、大きな試練を乗り越えたのである。父たる藩主には、その覚悟と誠実さを重く受け止めてもらいたく願っている』
『いや、しかし……』
『西の言葉がいかに難解であるかは、誰もがわきまえていよう。幼きピリヴィシュロがこれほどの成果をあげられたのは、執念の賜物である。我とて西の言葉の習得には数年がかりであったのだから、感服するばかりである』
そうしてアルヴァッハは、いっそう強く双眸を光らせた。
『して、返答はいかに?』
『返答……返答とは?』
『藩主たる父は、ジェノスにおもむきたいならば西の言葉を習得すべしと言いつけた。ピリヴィシュロはその言いつけに従って、西の言葉を習得した。次なるは、藩主が答えを示す番であろう』
『…………』
『僭越ながら、我からもひとこと申し述べさせてもらいたい。藩主を筆頭とする家族の皆が幼きピリヴィシュロを案じるのは、至極当然の話である。それも、家族たるピリヴィシュロを愛するがゆえであろう。そしてピリヴィシュロもまた、家族のことを何より重んじている。それゆえに、祖父たる藩主の言葉に従い、これだけの試練を乗り越えたのである。家族の絆に亀裂が生じないように、藩主にも正しき決断を願いたく思う』
『…………』
『そして、もう一点。ピリヴィシュロの身は、我が守ると約束する。ジェノスにおいても道中においても、決してピリヴィシュロに危険は近づけぬと誓おう。同じ家族として、我の思いも信じてもらいたく願う』
そうして藩主は、さんざん悩み抜いた末――『しかたあるまい』という言葉を振り絞ったのだった。
『口約束とはいえ、約束は約束……それを粗略に扱えば、藩主としても家族の長としても示しがつくまいな』
「ありがとうございます!」と、ピリヴィシュロは思わず大きな声をあげてしまった。
するとアルヴァッハが、穏やかな眼差しをピリヴィシュロに向けてくる。
『ピリヴィシュロよ。感謝の意を示すのであれば、東の言葉を使うべきであろう』
『あ、そっか。……じい、どうもありがとう』
『爺ではなく、藩主である』と、祖父はアルヴァッハに負けないぐらい大きな手で自分の口もとを覆い隠した。
おそらくは、何らかの表情を隠しているのだろう。祖父がピリヴィシュロの前でそのような姿をさらすのは初めてのことであったが――しかしその目にはとても温かい光が灯されていたので、ピリヴィシュロは安堵の涙をこぼすことに相成ったのだった。
◇
『本当に、甥子をジェノスに同行させることになったのか』
翌日である。
夜の祝宴に備えてゲルの屋敷にやってきたナナクエムは、なんとか無表情を保ちつつも、呆れ返った声をあげていた。
『よくもまあ、そのような話を藩主に認めさせたものだ。貴殿もずいぶんと詭弁を弄することになったのであろうな』
『否。すべてはピリヴィシュロの尽力の成果である。我はそれを代弁したのみである』
『どうであろうかな。慌てふためくご家族の姿が目に浮かぶようだ』
そのように応じながら、ナナクエムはピリヴィシュロに目を向けてきた。
『……ピリヴィシュロよ。其方は本当に、西の言葉を習得できたのであろうか?』
「はい。まだまだ、ちせつですが、いしのそつう、ふべん、ないはずです」
『……なるほど。これは確かに、立派な成果だ。しかし、まるでジギの民のようにやわらかな言葉づかいであるな』
「はい。われ、おさないので、かたいことば、ごうまん、いんしょう、あたえるおそれ、あったので、やわらかいことば、まなびました」
『まったくもって、周到なことだ』と、ナナクエムは肩をすくめた。彼も公の場では貴人としての礼節を重んじるが、私的な場では気安い人柄であるのだ。
「われ、しゅったつのひ、たのしみです。ナナクエム、めいわく、かけない、やくそくしますので、よろしくおねがいします」
『うむ。藩主が了承したならば、我も口出しをつつしもうかと思うが……しかしどうしてそのように、いつまでも西の言葉で語らっているのだ?』
「はい。しゅうれんです。めいわく、あれば、とりやめます」
『べつだん、迷惑なことはないが……何やら、浮かれて跳ね回るランドルでも眺めているような心地であるな』
ナナクエムは苦笑をこらえるように、口もとを引き締めた。
『まあ、道中でもジェノスでも、我々のことを気にかける必要はない。それよりも、其方はジェノスの民たちと正しく絆を結べるように心がけるべきであろうな』
「はい。ナナクエム、しんぱい、ありますか?」
『心配というか……このような幼子を同行させることになろうとは、夢さら思っていなかったからな。あちらでも、幼き人間と絆を深める機会はあまりなかったし……どのような交流が生じるのか、まったく予測をつけられん』
ナナクエムがそのように語ると、アルヴァッハは『ふむ』と頑丈そうな下顎をまさぐった。
『幼き人間といえば、ジェノス侯爵家のオディフィア……それに、ルウ家のコタ=ルウぐらいであろうか』
『オディフィアはまだしも、コタ=ルウは幼すぎであろう。ピリヴィシュロは、いくつになったのだ?』
「はい。6さいです」
『6歳か。コタ=ルウは、せいぜい3歳や4歳ていどであろう。それよりは、リミ=ルウのほうが近しいのでは?』
『リミ=ルウは、間もなく10歳になるのだとはしゃいでいたように記憶している。森辺の民は10歳で男女の別が分けられて、装束をあらためる習わしであるのだそうだ』
『では、コタ=ルウのほうが近しい齢であるのだな。ますます驚くべきことだ』
ナナクエムは、あらためてピリヴィシュロの顔を見つめてきた。
『そのような齢で西の言葉を習得したゲルドの民は、其方が最初のひとりであろう。これは、驚くべき話であるな。それに関しては、我も賞賛の言葉を届けたく思う』
「はい。ありがとうございます」
『しかし……どうして其方はそれほどの思いでもって、ジェノスにおもむきたいと願ったのであろうか? まさかアルヴァッハのように、美味なる料理に目がくらんだわけではあるまい?』
「はい。……いえ……ギバりょうり、おおきなもくてき、ひとつですが……せつめい、むずかしいです」
『難しいなら、東の言葉で語ればよかろう』
ナナクエムはそのように言っていたが、いかなる言葉でも難しいことに変わりはなかった。
『ぼくは、ただ……おじさまがすごくたのしそうだったから、うらやましかっただけだよ』
『……ではやはり、アルヴァッハがそそのかしたようなものであるな』
ナナクエムが深々と溜息をついたので、ピリヴィシュロは羞恥に頬を染めてしまった。
するとアルヴァッハが、大きな手をピリヴィシュロの頭にのせてくる。その眼差しは、とても優しかった。
『実際に、我はジェノスで大きな喜びを得た。ピリヴィシュロの期待が裏切られることは、決してあるまい。……ピリヴィシュロとあの喜びを分かち合えることを、我は得難く思っている』
『うん!』と答えたピリヴィシュロは、つい口もとをほころばせてしまった。
慌てて両手で隠したが、遅きに失したことだろう。しかしアルヴァッハはピリヴィシュロの無作法をとがめることなく、ずっと優しい目つきで頭を撫で続けてくれたのだった。




