異郷の貴公子(中)
二刻半にも及ぶ午前の演習が終わりを迎えると、昼の食事の刻限であった。
演習を見物していた面々は、同じ顔ぶれで食事の場に移動する。蒼鳥宮という武官のための小宮に、準備が整えられているという話であった。
50名の武官たちは別室で身を休めるらしく、十数名から成る見物人の一行だけが立派な広間に招かれる。それからほどなくして、メルフリードとロギン、レム=ドムとゲオル=ザザだけがこちらの広間に姿を現した。
「おお、お疲れ様だったね、レム=ドム殿! 君の勇姿は、余さず拝見させていただいたよ!」
ポルアースがそのように呼びかけると、レム=ドムは「ふふん」と不敵に鼻を鳴らした。
「森辺の修練に比べたら、どうという内容でもなかったけど……でも、デヴィアスやレイリスと勝負できたのは、ありがたい限りだったわ。やっぱりあのふたりは、実力が図抜けているようね」
「うんうん! レイリス殿も2年前から、闘技会で入賞し続けているからね! きっとシン=ルウ殿との出会いが、彼の才覚を開花させることになったのだろう!」
「ええ。あのふたりを打ち負かしたシン=ルウの力量を、あらためて思い知ることになったわ。……あなただって、レイリスとは勝敗をひとつずつ分け合っているものね」
レム=ドムに皮肉っぽい流し目を送られて、ゲオル=ザザは「やかましいわ」と苦笑する。
「ところで、俺たちはこの格好でかまわんのだな。余計な着替えをせずに済むというのは、ありがたい話だ」
「ええ。そのために、蒼鳥宮にご案内したのです。こちらは武官のための小宮でありますため、身なりを問われることもありません」
ロギンがそのように答えると、レム=ドムはまた皮肉っぽく笑った。
「それじゃあ森辺の狩人にもっとも相応しいのは、この場所なのでしょうね。アイ=ファに話したら、さぞかし羨ましがられそうだわ」
「ははは! しかしこちらで祝宴や晩餐会が開かれることはなかろうね!」
ティカトラスが笑い声をあげ、レム=ドムは肩をすくめる。
それからレム=ドムは「あら」と表情をあらためて、オディフィアのほうに近づいていった。
「あなたはそちらだったのね。小さいなりをしているから、目に入らなかったわ。……っと、貴族の姫君にこんな口を叩くのは、さすがに失礼だったかしら?」
「いえ。この場においては剣士ならぬわたしたちのほうが部外者の立場なのですから、お気遣いは無用よ」
母親のエウリフィアがころころと笑いながら、そのように応じる。
いっぽうオディフィアは、きらきらと輝く灰色の瞳でレム=ドムを見上げていた。
「レム=ドム、すごくかっこよかった。せなか、だいじょうぶ?」
「ええ。あんな浅い打ち込みじゃ、痕にもならないわ。それでもまあ、負けは負けだからしかたないことね」
オディフィアと語るときだけ、レム=ドムは穏やかな表情になる。そうすると、もとは美麗な面立ちをした女人である。先刻までの勇猛な振る舞いが嘘のように、レム=ドムは優しげに見えた。
そこに、台車を押した従士の少年たちが入室してくる。料理と菓子の芳しい香りに、ティカトラスやゲオル=ザザが喜びの声をあげた。
「おお! 菓子ばかりではなく、料理まで準備されているのだね! これは楽しみなことだ!」
「ふふん。甘い菓子だけで腹を満たす習わしなど、森辺には存在せんからな! こちらから注文をつけてやったのだ!」
そうして従士たちの後からは、食事の準備を整えた森辺の女衆も入室してくる。アラウトが見知っているのはトゥール=ディンとスフィラ=ザザのみで、それ以外にも2名の娘が同行していた。護衛役は、トゥール=ディンの父親たるゼイ=ディンと、やはり見知らぬ若者だ。
「ははん。そちらは、着替えを申しつけられていたのか」
ゲオル=ザザが笑いを含んだ声を飛ばすと、スフィラ=ザザが横目でそちらをねめつけた。ゼイ=ディンたちは森辺の装束であったが、女衆はいずれも侍女のお仕着せを纏っていたのだ。
(こういう際、森辺の方々は白い調理着を準備されていたはずだけど……このたびは、責任者であるトゥール=ディン殿のいでたちで統一したということなのかな)
トゥール=ディンは、調理着の寸法が合わないぐらい若年の少女であるのだ。それで昔日から侍女のお仕着せが準備されるようになったという話だが、とても純朴そうな面立ちをした彼女にはそのいでたちがとてもよく似合っていた。
いっぽう秀麗な容姿で毅然とした立ち居振る舞いであるスフィラ=ザザには、いささか不相応であるように思えたが――存外、似合っていないことはない。ただ、彼女は風格が尋常でないため、名のある貴婦人が戯れで侍女のお仕着せを着込んでいるような風情であった。
「トゥール=ディン、今日はどうもありがとう。屋台の商売のほうは、大丈夫だったのかしら?」
エウリフィアがそのように呼びかけると、トゥール=ディンは「はい」とはにかむように微笑んだ。
「時おりのことであれば、他の女衆におまかせすることができますので……今も懸命に、力を尽くしてくれているはずです」
「以前にバナームまでおもむいた際も、そうして他の方々がトゥール=ディンの留守を預かっていたのですものね。それを聞き及んでいたから、わたくしもつい我がままを言ってしまったの」
「はい。どうぞお気になさらないでください。わたしもこちらに参ずることができて、嬉しく思っています」
と、トゥール=ディンはオディフィアやレム=ドムに微笑みかけた。
オディフィアはいっそう明るく灰色の瞳をきらめかせており、レム=ドムも温かな笑顔になっている。レム=ドムは、血族としてトゥール=ディンと縁を深めているという話であったのだ。
「本日は、食事の準備を受け持ってくださった森辺の方々にも同じ場で食事をとっていただこうかと思います。客人のお歴々にも、ご了承をいただけますでしょうか?」
ロギンの言葉にティカトラスは「もちろん!」と元気に応じ、アルヴァッハは無言のままうなずいた。
こちらはそれなりの広さを持つ広間であるが、円卓や椅子は壁際に追いやられている。決まった座席はなく、祝宴のように立ったまま料理や菓子を食するのだ。格式張ったバナームで生まれ育ったアラウトも、もちろんジェノスの流儀に文句をつけるつもりはなかった。
「それではさっそく、いただきましょう! 演習に取り組んだ方々は、どうもお疲れ様でした!」
ポルアースの号令で、昼の食事が開始された。
トゥール=ディンたちが準備してくれたのは数種類の菓子と、汁物料理およびフワノ料理である。昼の軽食にしてはずいぶんな量であったが、それはきっと演習に取り組んだ面々に対する配慮であるのだろう。レム=ドムやゲオル=ザザなどは、真っ先に汁物料理を所望していた。
アラウトもまた、サイとともにそちらの卓に向かう。やはりこの場では、汁物料理の芳しい香りに心をひかれてならなかった。
「失礼します。レム=ドム殿にゲオル=ザザ殿、演習お疲れ様でした」
「挨拶はいいから、まずはお食べなさい。放っておいたら、わたしとゲオル=ザザだけでたいらげてしまいかねないからね」
レム=ドムはそのように言っていたが、とうていふたりでは食しきれないぐらい料理は準備されている。汁物料理は赤く辛そうな香りをしており、フワノ料理にはタラパや乾酪やギバのベーコンがたっぷりのせられていた。
「ああ、これは窯焼きの料理ですね。たしか……ぴざという名でしたか」
バナームにおいても、窯焼きの料理は珍しくない。しかし森辺のかまど番というのは何を作らせても大層な腕前であるし、カロンの乾酪を好んでいるアラウトにとってこちらの仕上がりはいっそう満足に思えてならなかった。
「素晴らしい味わいです。こんなことなら、カルスも呼んでおくべきでした。……ああでも、それでは森辺の方々の苦労がかさむばかりですね」
「ひとりぐらい増えたところで、どうということはあるまいよ。別の場所では、南の王族たちも同じものを食しているという話だからな」
ゲオル=ザザは、そんな風に言っていた。
まあ、森辺の料理が供されるとあっては、王族の面々も黙ってはいられないだろう。演習の見学は遠慮できても、料理に関しては遠慮しないはずだ。ダカルマスとデルシェアが喜び勇んでこれらの料理を食しているさまを想像すると、何だか微笑ましい気分だった。
そこに、「失礼する」と巨大な人影が近づいてくる。アルヴァッハを筆頭とするゲルドの一行である。ゲオル=ザザは、恐れげもなくそちらを見返した。
「ああ、そちらもご苦労だったな。あのように座り通しで、ずいぶん退屈だったのではないか?」
「否。レム=ドムの剣技、感服である。ゲルドの武官、手ほどき、願いたいほどである」
「あなたたちだって、故郷では山の獣を相手取っているのでしょう? それなら、わたしから学ぶことなんてないのじゃないかしらね」
「否。ギバとムフル、勝手、違おう。それに、森辺の狩人……力、甚大である。我、感服するばかりである」
黒い石像を思わせるたたずまいで、アルヴァッハはそのように言いつのった。
その足もとでは、幼き貴人ピリヴィシュロが黒い瞳をきらめかせながらレム=ドムを見上げている。それに気づいたレム=ドムが、少し曖昧な微笑をたたえた。
「あなたは何だか、オディフィアを思い出させるわね。あなたたちなら、ずいぶん気が合うのじゃないかしら?」
「はい。いえ。……きょうしゅくです」と、ピリヴィシュロは黒い頬に血の気をたたえつつ目を伏せてしまう。そのオディフィアは、もちろん母親やトゥール=ディンとともに菓子の卓を囲んでいた。
「まあとにかく、お食べなさいな。あなたたちにとっては、こちらのほうが本領でしょう?」
「うむ。森辺の剣技、森辺の料理、ともに味わえる、至福である」
アルヴァッハは指先を組み合わせて食前の礼を施してから、フワノ料理をつまみあげた。
それをひと口で食すると、青い瞳に激しい輝きが浮かべられる。そしてその目がトゥール=ディンの姿を探し求めると、ナナクエムが溜息まじりの声をあげた。
「トゥール=ディン、オディフィア、親交、深めている。アルヴァッハ、遠慮するべきである」
「うむ。……のちほど、時間、もらえようか?」
「不明である。とにかく、この場、遠慮するべきである」
アルヴァッハは小さく息をつき、従士の少年に汁物料理を所望した。
そしてそれを口にすると、再びその目がトゥール=ディンの姿を追い求める。ナナクエムはおもいきり溜息をつきながら、ただ「アルヴァッハ」とだけ声をあげた。
「……確かにこちらの汁物料理も、素晴らしい出来栄えですね。香りから感じられるほど辛みは強くないようですが、マロマロのチット漬けがまたとない味わいを生み出しているようです」
アラウトがそのように声をかけると、アルヴァッハがゆっくりと視線を向けてきた。
「うむ。こちら、マーボー料理、応用である。マーボー料理、汁物、煮物、焼き物、3種の調理法、複合されているが、こちら、同じ手法で、汁物料理、構築されている。その手腕、見事である」
「ああ、確かにこちらの料理は、まーぼー料理というものを連想させますね。ただ汁気を増やすだけでは、このような仕上がりにはならないのでしょうか?」
「うむ。マーボー料理、味、強いため、汁気、増やすのみでは、本来の質、保てまい。味、強いままでは、汁物料理として、不相応であるし、味、薄めては、食べごたえ、損なわれる。印象、大きく変えぬまま、汁物料理、相応しき加減、実現させる手腕、見事である。調味料、出汁の配合、如何なる手腕か、痛切、教示、願うばかりである」
そんな風に語ってから、アルヴァッハはまた視線を巡らせた。
すると、黙ってこのやりとりを聞いていたレム=ドムが皮肉っぽく声をあげる。
「残念だったわね。あのフェルメスという貴族だったら、南の王族とご一緒しているはずよ」
「……何故、心情、読み取れたのであろうか?」
「それぐらいは、察しがつくわよ。あなたの評判は、これまでに何度も聞かされているしね」
「恐縮である。……言葉、不自由であること、アラウト、謝罪する」
「いえ、とんでもない。こちらこそ、アルヴァッハ殿のご期待に沿えず申し訳ありません」
「かまど番じゃなければ、そんな疑問に答えられるわけもないわよね。……スフィラ=ザザ、ちょっといいかしら?」
トゥール=ディンと同じ輪を囲んでいたスフィラ=ザザが、侍女のお仕着せには不似合いな颯爽たる足取りでこちらに近づいてきた。
「何でしょう? 料理に、何か不備でも?」
「いえ。こちらのアルヴァッハが、何か疑問を持たれたそうよ。あなただったら、あるていどは答えられるのじゃないかしら?」
そうしてアルヴァッハが先刻と同じ言葉を繰り返すと、スフィラ=ザザは「そうですね……」と思案顔になった。
「わたしもまだ手ほどきを受けているさなかですので、確かなことはお答えできませんが……それでも本日ともにかまどを預かった身ですので、あるていどはお答えできるかと思います」
「こちら、マーボー料理、異なる調味料、使われていようか?」
「はい。そもそもファの家アスタはまーぼー料理に貝醤やシャスカ酒といった新たな食材を使い始めたので、そちらの影響も大きいのではないでしょうか? また、ドエマの貝やアラルの茸といった食材から出汁を取っていることも、小さからぬ影響になっているかと思われます」
と、スフィラ=ザザは毅然とした態度で説明を始めた。
アルヴァッハと一緒に、ピリヴィシュロも熱心に話を聞いている。それを横目に、ナナクエムがレム=ドムへと声をかけた。
「レム=ドム、配慮、感謝する。ただし……スフィラ=ザザ、面倒、かけてしまい、遺憾である」
「別にかまいはしないでしょうよ。スフィラ=ザザも、今は貴族との交流というものに力を入れようとしているさなかであるみたいだしね」
その言葉に、アラウトも興味をひかれることになった。
「横から失礼いたします。スフィラ=ザザ殿は、何か心境の変化でもあられたのでしょうか?」
「心境の変化というか……あなたは、ルウの三女をご存じかしら?」
「ルウの三女と申しますと、ララ=ルウ殿ですね。ええ、もちろん存じあげています」
「最近そのララ=ルウと語らって、貴族との交流に関して何か目覚めてしまったようよ。スフィラ=ザザも猛々しい気性をしているから、あまり夢中にならないといいのだけれどね」
「なるほど」と、アラウトは納得した。
ララ=ルウというのは、森辺の女人としてはひときわ進歩的な考えを持っているようであるのだ。他の人々が身分を問わずに友や同胞として絆を深めようとしている中、彼女だけはおたがいの身分を重んじているような――貴族と森辺の民がそれぞれの立場を重んじながら正しい関係を結べるように思案しているように見受けられるのである。それはまさしく、貴族の世界において社交と称される振る舞いであるのだった。
(トゥール=ディン殿やオディフィア姫のように友として絆を深めるのも、重要なことだろう。それとは別に、社交として貴族と正しく交わりたいと願うのは……ジェノスにおいて特異な立場である森辺の民として、素晴らしい心意気であるはずだ)
アラウトがそのように考えていると、ふいにレム=ドムが身を寄せてきた。そして、わずかに身を屈めながら、アラウトの耳もとに唇を寄せてくる。彼女はアラウトよりも、拳ひとつぶんほど長身であるのだ。
「そういえば、あなたも懸命にアルヴァッハを気づかっていたようだけれど……それも、貴族の社交というやつなのかしら?」
「……そうですね。アルヴァッハ殿はもてなすべき貴賓であられるので、そういった気持ちもなかったわけではありません」
アラウトは真情を隠すことなく、そのように囁き返した。
「ただ……僕はアルヴァッハ殿の人柄を好ましく思っています。それは、身分には関わりありません。アルヴァッハ殿が貴族ならぬ身であったとしても、僕は同じように言葉を継いでいたと思います」
「ふうん。やっぱり、難しいわね。わたしなんかには、とうてい務まりそうにないわ」
「いえ。レム=ドム殿とて、アルヴァッハ殿のためにスフィラ=ザザ殿をお呼びになられたではないですか。行いだけを見れば、僕と何ら変わりはないはずですよ」
そう言って、アラウトはレム=ドムに笑いかけてみせた。
「貴族の社交とは、ただ儀礼を重んじるわけではありません。相手の心情を慮ってこそという意味においては、親愛を深めるための交流と変わるところはないのでしょう。ただ、自分の言葉のもたらす影響について意識的かどうかという差に過ぎないのかもしれません」
「だから、そういう御託が面倒だと言っているのよ」
そんな風に言ってから、レム=ドムはくすりと笑った。
「でも、あなたはつくづく生真面目ね。以前にも言ったかもしれないけれど、アイ=ファやわたしの兄なんかとはさぞかし気が合うことでしょう」
「アイ=ファ殿やディック=ドム殿の誠実なる振る舞いには、常々感服しています。ですが、レム=ドム殿のように情感のあふれる御方も好ましく思います」
「あらあら。誤解を招くような発言は控えることね。わたしのようにすれた人間じゃなかったら、頬を染めてしまうかもしれないわよ」
そう言って不敵に微笑むレム=ドムの人柄が、やはりアラウトには好ましく思えた。
すると、フワノ料理を頬張っていたゲオル=ザザも顔を寄せてくる。
「さっきから、何をこそこそ語らっているのだ? ロギンの求愛をはねのけながら、別なる貴族にちょっかいを出しているのではなかろうな?」
「笑えない冗談ね。尻を蹴られたくなかったら、口をつつしみなさい」
「だったらいいがな。そら、お待ちかねのロギンだぞ」
ゲオル=ザザはにやりと笑い、レム=ドムは溜息をつく。ちょうどロギンとメルフリードが、こちらの卓に近づいてきたのだ。なおかつそのかたわらには、ティカトラスの一行も付随していた。
「やあやあ! わたしたちも、加わらせていただくよ! 甘い菓子を食したならば、塩気が欲しくなってしまうものだしね!」
ティカトラスはひとりで笑顔だが、それ以外の4名はのきなみ無表情だ。それぞれ異なる資質によって、そちらの面々はいつも感情を表そうとしないのだった。
その中ではまだしも感情をこぼしがちであるヴィケッツォが、光の強い目でレム=ドムをねめつけた。
「……あなたはこの数ヶ月ほどで、ずいぶん腕を上げられたようですね」
「あら、おほめにあずかり光栄だわ。今ならあなたとも、もっといい勝負をできるかしら?」
「……好勝負なら、可能なのではないでしょうか」
「それでも勝つのは、あなたということね。まあ、わたしだってまだまだ高みを目指す所存よ」
どこか顔立ちの似ている両名が、激しく眼光をぶつけあう。
そんな中、ティカトラスは陽気に笑いながらフワノ料理をつまみあげた。
「まったく剣士や狩人というのは、気苦労が絶えないものだね! そういえば、ゲオル=ザザはこの後も見届け人に徹するのかな?」
「それは、そちらの出方しだいだな」
ゲオル=ザザの視線を受けて、ロギンは静かに一礼した。
「もしご助力をお願いできるのでしたら、昼の演習からはゲオル=ザザ殿にもお力をお貸しいただきたく思います。レム=ドム殿とゲオル=ザザ殿では剣術の質がまったく異なりますため、武官たちにとってもまたとなき修練になることでしょう」
「ふふん。レム=ドムは好きに暴れているだけだが、あれで武官たちの糧になっているのか?」
「無論です。ただ敗北を知るというだけで大きな糧でありますし、正道ならぬ剣術や人並み外れた膂力といったものまでもが味わえるのですから、これほどの得難い経験はないでしょう。どうかこれからも、森辺の方々にはご助力をお願いしたく思います」
すると、ヴィケッツォとにらみ合っていたレム=ドムがロギンのほうに視線を転じた。
「この先は、もう別の狩人でかまわないのよね? わたしばかりが城下町まで出向くのは、さすがに手間だもの」
「はい。わたし個人は、レム=ドム殿に指南の継続を願いたく思っていますが……レム=ドム殿おひとりに、そこまでの苦労を担っていただくわけにはまいりません。ですが……またいずれ、レム=ドム殿にもお願い申しあげることは許されますでしょうか?」
ロギンがそのように言いたてると、仏頂面で口をつぐんだレム=ドムの代わりにゲオル=ザザが声をあげた。
「ロギンよ。いちおう確認させてもらうが、それはレム=ドムの腕を見込んでの話であるのだな?」
「無論です。もちろんわたしにしてみれば、レム=ドム殿にお会いできるだけで喜ばしい限りでありますが……そんな私心を公務に持ち込むことはないとお約束いたします」
「ふふん。こちらの言いにくいことをはっきり言ってくれて、ありがたい限りだな」
ゲオル=ザザは陽気に笑い、レム=ドムはまた溜息をつく。
「それに、お前の言葉は虚言でないと信ずることができる。……だからお前も、心置きなく力を貸してやるがいい」
「やかましいわね。少しはわたしの気苦労を想像してみたら?」
「ふん。俺が貴族の娘に見初められることなどはなかろうから、そんな想像はするだけ無駄だな」
すると、汁物料理をかきこんでいたティカトラスが盛大に笑い声をあげた。
「レム=ドムぐらい美しければ、ロギン殿が心をひかれて当然さ! 許されるならば、わたしだって屋敷の守衛として西の王都に連れ帰りたいぐらいなのだからね! これほどの強さと美しさを兼ね備えているなんて、それは実用性を備えた宝剣のようなものだよ!」
「失礼ながら、ティカトラス殿。森辺のご婦人の外見を褒めそやすのは習わしに背く行いでありますし、レム=ドム殿を物品にたとえて評するのは礼を失しているかと思われます」
ロギンが慇懃なる態度でそのように告げると、ティカトラスはいっそう愉快げに笑った。
「それはきっと、わたしとロギン殿で物品に対する価値観が異なっているのだろうね! 宝剣さながらというのはわたしにとって最大の賛辞であり、決してレム=ドムを貶める意図はなかったのだよ!」
「左様ですか。ですが、森辺の方々はわたし以上にそういった物言いを好まれないでしょうから、ティカトラス殿の信頼が損なわれてしまう恐れも生じるのではないでしょうか?」
「うんうん! ご忠告いたみいるよ! 君はつい先年まで森辺の民と交流がなかったという話であるのに、ずいぶん理解を深めたようだね!」
「はい。レム=ドム殿をお慕いする気持ちが、そういった作用を生んだものと思われます」
そんな言葉を平然と口にできるのが、ロギンという人物の特異な人柄であった。
ロギンはレム=ドムに心をひかれているという真情をいっさい隠さないまま、交流を深めようとしているのだ。そしていつか、どうしようもないほどに恋情が募ってしまったら――レム=ドムへの思いを断ち切るか、貴族の身分を捨てて婿入りを願うか、自らの責任において決断を下すと公言しているのである。
(貴族としては、ずいぶん枠からはみ出しているけれど……それは、僕にはない覚悟と強さだ)
ロギンの凛々しい横顔を見やりながら、アラウトはそんな思いを噛みしめることになった。




