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異世界料理道  作者: EDA
第八十二章 群像演舞~九ノ巻~
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    茜さす少女(三)

2023.10/11 更新分 1/1

 ファの家のアスタというのは、ずいぶん奇妙な若衆であった。

 ララ=ルウもちょうど昨年あたりから宿場町での買い出しの仕事を手伝うようになっていたので、町の人間が森辺の同胞とどれだけ掛け離れた存在であるかは理解しているつもりであったのだが――どうもファの家のアスタというのは、町の人間としても変わり種であるように思えてならなかった。


 彼は町の人間らしく、のんびりとした空気を纏っている。森辺の男衆にはありえないぐらい弱々しいし、レイナ=ルウと同い年とは思えないぐらい子供めいている。しかしそれでいて、妙に堂々としているような――時には森辺の狩人もかくやという気迫を見せることもあったのだ。


 それに彼は、人間として好ましい部分と腹立たしい部分を同じぐらい持ち合わせていた。ジバ=ルウやリミ=ルウに対する親身な態度はとても好ましく思えるのに、それ以外の部分ではひどく礼を失していたのだ。ルウの家長たるドンダ=ルウに対しての礼儀もわきまえていなかったし、かまど番の分際でやたらと居丈高な態度であったし――ルド=ルウの悪戯で女衆が身を清める場に踏み込んできたときなどは、ララ=ルウも本気で目玉をえぐってやろうかと考えたほどであった。


 しかしララ=ルウは、その後にゆっくりと理解を深めていくことになった。

 アスタが礼儀知らずであるように思えたのは、森辺の習わしをきちんとわきまえていなかったためであり、やたらと居丈高に感じられたのは――彼がそれだけ、かまど仕事に誇りと気概を持っていたためであったのだ。


 森辺の男衆は、誰しも狩人の仕事に強い誇りと気概を持っている。

 彼はそれと同じぐらい、かまど仕事に自分の存在を懸けていた。これまで森辺にそんな気概でかまど仕事を果たす人間はいなかったため、ララ=ルウもなかなか理解が及ばなかったのである。


 それに、森辺の習わしについてもだ。

 彼はアイ=ファから森辺の習わしについて学んでいたそうだが、森辺にやってきてから10日も経たぬ内にルウ家に連れてこられたのだ。たとえララ=ルウが町の習わしを学んだとしても、そんな短い期間で正しい礼儀を身につけられるとはとうてい思えなかった。


 よって、アスタに対する腹立たしさは、顔をあわせるたびに緩和されることになった。

 彼の本質は、ジバ=ルウやリミ=ルウに対する態度に表れていたのだ。しばらく顔を突き合わせていると、彼は礼儀知らずどころか、どのような身分の相手に対しても同じような敬意を抱いていることが知れたのだった。


 そして、ファの家長たるアイ=ファである。

 こちらもまた、ララ=ルウの予想を大きく裏切る存在であった。

 ルウ家への嫁入りを断ったアイ=ファは、ひとりでひっそりと魂を返す覚悟を固めたのだろうと、ララ=ルウはそんな風に想像していたのだが――それは、完全な誤りであった。彼女はそれよりも、狩人として立派に生きようという信念を胸に抱いていたのである。


 また実際に、彼女は2年間という歳月を生き抜いていた。たったひとりで血族の助けもなく、過酷なギバ狩りの仕事を果たし続けていたのである。しかも女衆の身であると考えれば、これほど驚愕に値する話はなかった。


 そして彼女は、美しかった。ララ=ルウの姉たちに負けないぐらい美麗な姿をしていながら、ララ=ルウの兄たちに負けないぐらい狩人としての気迫や風格を漂わせていたのだ。

 なおかつ彼女のほうこそ、ジバ=ルウやリミ=ルウに対して深い親愛の念を抱いていた。初めてルウ家にやってきた夜、ジバ=ルウと語っていたときのアイ=ファは、家族を見るような慈愛にあふれた目でジバ=ルウを見つめていたのだった。


 そうしてララ=ルウは、アスタとアイ=ファの存在に大きく心を揺さぶられることになった。

 そんなさなか――リャダ=ルウが、ギバ狩りの仕事で深手を負うことになってしまったのだ。


 それは、アスタとアイ=ファがルティムとミンの婚儀の祝宴の準備のために、ルウ家に滞在を始めた頃の話であった。

 ララ=ルウはサティ・レイ=ルウとともに、アスタのかまど仕事を手伝っていた。そこに、ギバとリャダ=ルウの血で装束を真っ赤に染めたルド=ルウが踏み込んできたのだ。


 リャダ=ルウは、おそらくもう狩人として働くことはできない。

 わずか16歳の身であるシン=ルウが、家長の座を受け継ぐことになる。

 そのように語るルド=ルウの言葉を、ララ=ルウは平静な顔で聞いていた。胸の内では心臓が痛いぐらいに跳ね回っていたが、それは森辺の民として取り乱すような話ではなかったのだ。


 狩人は、いつ森に朽ちても不思議はない。

 そんな覚悟を携えていない限り、森辺の民として生きていくことはできないのである。

 間もなく13歳になろうとしていたララ=ルウは、そんな思いでもって暴れる心臓を懸命に抑えつけていたのだった。


(大丈夫……大丈夫だよ。リャダ=ルウは、魂を返したわけじゃないし……シン=ルウの家が、おかしなことになったりはしない)


 ララ=ルウがそんな風に信ずることができたのは、ルド=ルウの後からやってきたシン=ルウがいつもと変わらない沈着な顔を保っていたためであった。


「父リャダが生命を落とさずに済んだのはお前のおかげだ、ルド=ルウ。お前が血族であることを俺は誇りに思っている」


 そんな言葉を告げたときには、ぎこちなく微笑をたたえていたぐらいなのである。

 だからララ=ルウも、森辺の民として正しく振る舞うことができた。

 ただ――どれだけ平静な顔をしていても、胸の奥のざわめきが消えることはなかった。


(本当に……大丈夫だよね?)


 数日後、ララ=ルウはこっそりシン=ルウのもとを訪れることになった。

 朝方の仕事の合間である。狩人の中には中天近くまで目を覚まさない人間も少なくなかったが、シン=ルウは早起きの部類であったため、なんとか言葉を交わすことができた。


「おはよう、シン=ルウ。リャダ=ルウの具合は大丈夫?」


「うむ。昨晩まではずいぶん苦しそうにしていたが、それもずいぶん楽になったようだ。いずれは自分の足で歩くこともできるようになるだろう」


 そのように語るシン=ルウは、やはり沈着な面持ちであった。

 ララ=ルウは、ほっと安堵の息をつく。


「それなら、よかったよ。……それで、これからどうするつもりなの?」


「うむ? どうするつもりとは?」


「だってほら、上の弟が森に出られるようになるまで、あと2年ぐらいあるんでしょ? シン=ルウだってそれまで力を貸してほしいって、ルドに言ってたじゃん」


「うむ。血族に力を借りながら、弟を立派な狩人に育てたく思う。俺自身、まだまだたくさんのことを学ばなくてはならない身だしな」


 シン=ルウのそんな返答が、ララ=ルウの胸をいっそうざわめかせた。


「それならやっぱり、他の分家の家人になるつもりはないんだね。シン=ルウは家長の座を継ぐって言ってたもんね」


「うむ。父リャダにさまざまなことを学びながら、家人を正しく導きたいと願っている」


「うん。ディグド=ルウの家なんかは、この前も別の分家の一家を家人として迎えてたけど……そっちとも一緒にはならないの?」


「これで俺たちまで家人に迎えたら、ディグド=ルウの家は本家をも上回る人数になってしまうだろう。……まあ、そうでなくともディグド=ルウに甘えるつもりはない。俺もディグド=ルウも、本家の家長ドンダ=ルウの弟の子という同じ立場であるのだからな。そのように不甲斐ない姿を見せることはできまい」


「それじゃあ……ダルム兄に、シーラ=ルウと婚儀を挙げてもらおうよ。ダルム兄と一緒だったら、シン=ルウも心強いでしょ?」


 シン=ルウは、不思議そうに小首を傾げた。


「それは、ダルム=ルウとシーラが決めることだ。俺がとやかく口を出すことはできない」


「そ、それじゃあこの先、どうするの? まさか本当に、たったひとりで5人の家族の面倒を見るつもりなの?」


「もちろん、そのつもりだ」


 いつも通りの沈着な面持ちのまま、シン=ルウはうなずいた。

 その切れ長の目には、深い覚悟がたたえられている。


 それでララ=ルウは、いつまでも消え去らない胸のざわめきの正体を知ることになった。

 シン=ルウの覚悟の深さが、ララ=ルウに安堵ではなく不安の思いを抱かせたのだ。


 シン=ルウはいまだ16歳であり、つい昨年ようやく一人前の狩人と認められた立場である。そんな若年の身として、ひときわ弱いわけではなかったが――同時に、ひときわ強いわけでもなかった。ひとつ年少のルド=ルウやひとつ年長のラウ=レイなどはすでにミンやマァムの家長を力比べで下すほどの力量になっていたが、シン=ルウはルド=ルウにもラウ=レイにも一度として勝利したことがないのだ。


 それでもシン=ルウは、家長として家族の面倒を見ようとしている。

 もしも力及ばなかったら、森に朽ちるしかない――そんな覚悟で、シン=ルウは家長の座を受け継いだのだった。


 もちろんそれは、森辺の民として正しい振る舞いであっただろう。

 そうして実際に、狩人の数多くは森に朽ちているのだ。それでつい先日にも、分家の一家がディグド=ルウの家の家人となったわけだし――それを招き入れたディグド=ルウ自身も、現在は深手を負って寝込んでいるさなかであった。


 シン=ルウは、間もなく魂を返してしまうかもしれない。

 そんな思いが、これまで以上の重さでララ=ルウにのしかかってきた。


「……どうしたのだ、ララ=ルウ? 何だか今日は、様子が普通でないようだぞ」


 そんな風に言いながら、シン=ルウはララ=ルウの顔を覗き込んできた。

 いつも通りの、優しいシン=ルウの眼差しだ。

 ララ=ルウは胸の中にわきあがった重い感情をぐっと抑えつけて、無理やり笑ってみせた。


「なんでもないよ! アスタのやつは、毎日ああでもないこうでもないって頭を悩ませてるからさ! ルティムとミンの婚儀の祝宴では、きっと愉快な宴料理を口にできると思うよ!」


「そうか。シーラもいつになく、昂揚しているようだった。婚儀の祝宴を楽しみにしている」


「うん! それで力をつけて、狩人の仕事を頑張ってね!」


 ララ=ルウは身をひるがえして、自分の家に駆け戻ることになった。

 これ以上シン=ルウと語っていたら、涙をこぼしてしまいそうであったのだ。それはきっと、シン=ルウの覚悟を踏みにじる行いであるはずだった。


(シン=ルウは、絶対に大丈夫だ……あたしは、母なる森を信じてるから!)


 こらえようもなく、目もとに熱いものがにじんでくる。

 それを乱暴にぬぐってから、ララ=ルウは朝の仕事の続きに取りかかることにした。


                 ◇


 それから数日が過ぎ去って、ルティムとミンの婚儀の日がやってきた。

 ルティムの長兄たるガズラン=ルティムとミンの長姉たるアマ=ミンの婚儀である。そんな両名のたっての願いで、余所者であるアスタが宴料理の準備を任されることになったわけだが――彼はたった5日間で、素晴らしい宴料理を仕上げることができた。それでその日の祝宴は、いつも以上の熱気に包まれることになったのだった。


 祝宴のさなかにスン家の男衆が乱入するというとんでもない騒ぎが巻き起こってしまったが、それでもその日の喜びが損なわれることにはならなかった。朝からさまざまなかまど仕事を受け持ったララ=ルウも、大きな充足の思いを抱くことができた。


 そうして婚儀を挙げた両名に祝いの料理が供されるのを見届けたのち、ララ=ルウはシン=ルウの姿を探すことにした。今日は朝から忙しくしていたので、シン=ルウとゆっくり語らう時間も取れなかったのだ。ララ=ルウは、まだ胸の奥に大きなつかえを残してしまっていたが――それでも、森辺の民として正しく振る舞うのだと決めていた。


「シン=ルウ? ああ、あいつだったら、アスタたちが泊まってた空き家のとこにいたぜ」


 そんな風に教えてくれたのは、ルド=ルウである。

 しかしルド=ルウは、彼らしくない面持ちで眉をひそめていた。


「そういえば、アイ=ファと一緒だった。……くそ、シン=ルウに余計なことを言わなきゃよかったな」


「余計なことって何さ? あんた、シン=ルウに何を吹き込んだの? ていうか、何でシン=ルウとアイ=ファが話なんてしてんのさ!」


「うるせー。お前にゃ関係ねーよ」と、ルド=ルウはララ=ルウのかたわらで身を休めていたアスタのことをじっと見つめる。すると、くたびれ果てていたはずのアスタが気迫のこもった目つきになって身を起こした。


「ララ=ルウ、行ってみよう。俺もアイ=ファを探してたところだからさ」


 そんな風に宣言するなり、アスタはララ=ルウの手をつかんで広場に突撃した。

 家族ならぬ男女がみだりに触れ合うのは、森辺の習わしに背く行いである。しかし、アスタの気迫がララ=ルウを黙らせた。だからララ=ルウは、別の言葉を口にした。


「ねえ、何なのさ? シン=ルウとアイ=ファがどうしたの?」


「それはまだわからないよ。俺はそんなにシン=ルウと気心が知れてないから、ララ=ルウが彼と話してやってくれ」


 アスタは、そんな風に言っていた。

 そうしてふたりは、熱気の渦巻く広場を走り抜け――その最果てで、シン=ルウとアイ=ファの姿を発見した。


 アイ=ファはいつも通りの、凛然とした面持ちだ。

 いっぽうシン=ルウは、どこか消沈した面持ちであり――それが、ララ=ルウを惑乱させた。


「シン! シン=ルウ!」


 ララ=ルウはアスタの手を振り払って、シン=ルウを追いかけた。

 アイ=ファと離れたシン=ルウは、人混みの中にまぎれてしまう。その人混みをかきわけてシン=ルウに追いついたララ=ルウは、迷わずその手を握りしめた。


「ララ=ルウ……血相を変えて、どうしたのだ?」


「どうしたのだって……それは、こっちの台詞だよ!」


 ララ=ルウはまったく心も定まらないまま、シン=ルウを引っ張って人混みを抜け出した。

 広場はどこも賑わっているので、明かりのついていない家のほうを目指す。それは、シン=ルウの家であった。


「アイ=ファといったい何を話してたの? なんでシン=ルウは、そんな落ち込んだ顔をしてるの?」


 家の前の薄暗がりでララ=ルウがそのように問い詰めると、シン=ルウはどこか悲しげな面持ちで目を伏せてしまった。


「俺は……アイ=ファを見習いたかっただけだ。しかしそれは間違ったことだと、アイ=ファにたしなめられてしまった」


「アイ=ファを見習うって、どういう意味さ? もっとわかるように説明してよ!」


「……アイ=ファはたったひとりで、2年もの歳月を生き抜いた。だから俺は、アイ=ファを見習いたく思ったが……しかし、俺とアイ=ファでは立場が違うと、そのようにたしなめられることになったのだ」


 力なく目を伏せたまま、シン=ルウはそのように言いつのった。


「アイ=ファはアスタを家人として迎えるまで、ずっとひとりきりだった。だから、10日に1頭のギバを狩るだけで飢えずに済んだのだ。もちろん、アリアやポイタンの他にも銅貨は必要になるのだから、実際はもっと数多くのギバを狩っているのであろうが……何にせよ、5名の家人を抱える俺はそれ以上のギバを狩らなくてはならない。だから、アイ=ファを見習っても無用の危険を背負うだけだと……アイ=ファは、そのように語っていた」


「無用の危険って……」


 その言葉が、数日前の記憶を呼び起こした。


「それって、『贄狩り』とかいうやつのこと? リャダ=ルウが深手を負った日に、ルドがかまどの間でそんな話をしてたよ。もしかして、アイ=ファは『贄狩り』に手を出してるんじゃないかって……『贄狩り』って、何なのさ?」


「……『贄狩り』とは、ギバ寄せの実の香りを自らの身に纏ってギバを招き寄せる、いにしえの作法だ。しかし、あまりに危険な作法であるため……今ではきっと、アイ=ファの他に手を染めている狩人はいないのだろうと思う」


 ララ=ルウは愕然と立ちすくむことになった。


「シン=ルウは……そんな危険な作法を習おうと考えたの……?」


「うむ。しかしそれは自分のみならず、身近な狩人にも危険を招く行いであるし……血族の多いルウの狩人には不相応な真似であると、厳しくたしなめられた」


「当たり前だよ! どうしてシン=ルウが、そんな危険な真似をしないといけないのさ!」


 ララ=ルウ呆気なく取り乱して、シン=ルウの胸に取りすがることになった。

 こらえようもなく、涙があふれかえってくる。それをシン=ルウの胸もとにしみこませながら、ララ=ルウはわめきたてた。


「たったひとりで家を支えようっていうシン=ルウは、立派だと思うよ! だからあたしも、黙ってシン=ルウを見守ろうって覚悟したんだよ! でも、普通の狩人より危険な真似をしようだなんて……そんなの、あたしには我慢できないよ!」


「……うむ。俺が浅はかであったのだ」


「浅はかだよ! 少しはみんなの気持ちを考えてよ! みんながどんな気持ちでシン=ルウを見守ってると思ってるのさ!」


「……本当に、すまなかった」


 シン=ルウの手が、おずおずとララ=ルウの肩に触れてきた。


「家族を守るのだと気負う余り、俺は間違えた道に進もうとしてしまった。これからは厳しく心を律すると誓うので……どうか、泣かないでほしい」


 シン=ルウの声は、とても優しかった。

 それでララ=ルウは、余計に涙をこぼしてしまった。

 だけどララ=ルウは、この夜にまた一歩、シン=ルウに近づけたのではないかと――のちになってから、そんな風に考えることができるようになったのだった。


                  ◇


 それからしばらくは、慌ただしく日々が過ぎていった。

 シン=ルウは約束通り、ルウの狩人として心正しく仕事に励んでくれたのだが――アスタが宿場町で商売をしたいと言い出したり、それに目をつけたスン家が家長会議にアスタを招きたいと言い出したり、カミュア=ヨシュという怪しい男が森辺に踏み込んできたりと、てんやわんやの騒ぎであったのだ。


 そんな騒ぎの末に、スン家は滅ぶことになった。

 スン家はギバ狩りの仕事も果たさずに、森の恵みを荒らしていたことが明るみになったのだ。それでスン本家は解体されて、末弟のミダ=スンはルウ家の預かりとなり、さらにルウ家が新たな族長筋の座を担うことになったのだから、言語を絶するほどの大騒ぎであった。


 だが――それすらも、本当の騒乱の前兆でしかなかった。

 スン家の罪が暴かれると同時に、今度は貴族の罪までもが浮かびあがってきたのである。


 若年の女衆に過ぎないララ=ルウとしては何の役目を果たすこともできず、アスタの商売をひたすら手伝うばかりであったが――しかしまた、激甚なる災厄が身近に降りかかってきた。アスタが無法者にかどわかされて、シン=ルウが打ちひしがれることになってしまったのである。


 アスタは、シン=ルウの目の前でかどわかされた。サンジュラという得体の知れない人間が、アスタを人質にとって逃げおおせてしまったのだ。護衛役としてアスタのすぐそばに控えていたシン=ルウは、それでおのれの無力さに苛まれることになってしまったのだった。


「俺が外の見張りに立って、ルド=ルウがアスタのそばに控えていれば、こんな結果にはなっていなかったかもしれないのに……すべては、俺が未熟であったためなのだ」


「そんなことないよ! アスタを人質に取られたら、誰にだってどうにもできないさ!」


 ララ=ルウはそんな言葉で励ましたが、シン=ルウの眼差しは暗いままだった。

 そしてシン=ルウは深い無念を抱えたまま、悲壮なまでの覚悟をあらわにしたのだった。


「とにかく俺は、アスタを無事に取り戻す。この生命にかえても、そうしなくてはならないのだ」


 そうしてシン=ルウたち狩人は、毎日アスタの身を探し回ることになった。

 いっぽうララ=ルウは、宿場町で屋台の商売である。そうするべきだと主張したのは、レイナ=ルウであった。


「わたしたちは、屋台の商売を続けるべきです。アスタは森辺の行く末を願って、屋台の商売を始めたのですから……アスタが戻ってくる日のために、この灯火を守るべきだと思います」


 レイナ=ルウはそのように語り、ドンダ=ルウがそれを認めることになった。

 それでララ=ルウもシン=ルウと一緒に町を駆けずり回りたい気持ちをぐっとこらえて、これまで通りの仕事に励むことになったのだ。


 そうしてシン=ルウは、日を重ねるごとに憔悴していった。

 まるで、自分の家族がかどわかされたかのような憔悴っぷりである。アスタがルウ家と縁を結んでから、およそひと月半――そのわずかな期間で、シン=ルウはそれほどの思いをアスタに抱いていたのだった。


 もちろんララ=ルウも、シン=ルウに負けないぐらいアスタの身を案じているつもりでいる。アスタと接している時間はララ=ルウのほうがよほど長いし、この頃にはもうアスタに対して確かな信頼と親愛を抱いていたのだ。もしもアスタがすでに魂を返してしまっていたらと想像しただけで、ララ=ルウは頭が爆発してしまいそうなほどであった。


 しかしシン=ルウは、さらにそれが自分の責任であるという思いまで背負ってしまっているのだ。

 それがいったいどれほどの苦悶であるのか――ララ=ルウはアスタに対するのと同じぐらい、シン=ルウの身を案じることになってしまった。


 そんな惑乱に満ちた日々が終わりを迎えたのは、5日後のことである。

 ジーダとミケルのおかげでアスタの居場所がわかり、ポルアースとザッシュマのおかげでアスタを救い出すことがかなったのだ。


 その日の夜、アスタは無事な姿で城下町から戻ってきた。

 それを出迎えたのは、何十名もの森辺の同胞と、何十名もの町の民たちである。城門の外にはルウの広場にも収まりきらないほどの人間が詰めかけて、アスタの帰還を出迎えることになったのだった。


「ああ、アスタ、よくぞご無事で……!」


 レイナ=ルウは泣きながら、アスタの胸に取りすがることになった。

 その他にも、泣いている人間はたくさんいた。ララ=ルウはかろうじてこらえることができていたのだが、しかしそれも時間の問題であった。レイナ=ルウに続いてアスタの身に取りすがったシン=ルウが、子供のように泣きだしてしまい――そんなシン=ルウの姿を見せつけられたら、ララ=ルウだって我慢がきくはずもなかったのだった。


「すまなかった……俺の力が足りなかったばっかりに……」


 シン=ルウは本当に、幼子に戻ってしまったかのようであった。

 いや、幼子の時代にも、シン=ルウがこれほど取り乱したことはない。少なくとも、ララ=ルウが仲良くなった6歳以降は、それが絶対の事実であった。


(……よかったね、シン=ルウ)


 ララ=ルウは肩から羽織っていた織物で自分の顔をぬぐってから進み出て、シン=ルウの震える背中を引っぱたいた。


「さ、もういいでしょ? 明日からもめそめそしてたら、あたしが怒るからね?」


 そうしてララ=ルウがアスタに笑いかけると、アスタも屈託なく笑ってくれた。

 その後にも大勢の人間がアスタのもとに押し寄せてきたので、ララ=ルウはシン=ルウの腕を引っ張って脇に退く。シン=ルウは手の平で頬をぬぐってから、幼子のような顔でララ=ルウに微笑みかけてきた。


「ララ=ルウにも心配をかけて、すまなかった。明日からは男らしく振る舞うと約束するので、どうか許してほしい」


「ふーんだ。どうせこの5日間は、アスタのことで頭がいっぱいだったんでしょ?」


「そんなことはない。ララ=ルウがどれだけ俺のことを案じてくれていたか……俺はきちんと、わきまえていたつもりだ」


 そう言って、シン=ルウは切れ長の目で暗い天空を振り仰いだ。


「俺はつくづく、自分の弱さを思い知らされた。もう2度と、こんなぶざまな姿を見せずに済むように……俺は、強くなると誓う」


 そのように語るシン=ルウの瞳は、とても澄みわたっていた。

 それは、家長の座を継ぐと宣言した日と同じぐらい、深い覚悟をたたえた眼差しであったが――しかしこのたびはララ=ルウの胸をざわめかせることもなく、大きな安らぎを与えてくれたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 多分今まで一番にアスタの物語別視点で沿っていると思いまして、感慨深いです。ララ=ルウがこの様な感想で居ていたのは知って嬉しいし、当時彼女に対しての感想とも照り合わせできてほっこりしました。…
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