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異世界料理道  作者: EDA
第八十一章 壮途の宴
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門出の日⑥~真情~

2023.9/23 更新分 1/1

 その後もしばらく語らってから、俺たちは幼子の集められたルウ本家を辞去することになった。

 幼子の父親たちは居残ったので、戸板を出たのは俺とアイ=ファ、ユーミとジョウ=ラン、そしてリミ=ルウの5名だ。「うーん!」と大きくのびをしたユーミは、大きな仕事をやりとげたように清々しげな顔をしていた。


「赤ちゃんたちに、めいっぱい元気を分けてもらったような心地だなー! ……アスタにアイ=ファも、どうもありがとうね! ここからは、ジョウ=ランとふたりで広場を巡ってみるよ!」


「うん。ユーミもすっかり落ち着いたみたいだね」


「うん! みんなのおかげだよ! じゃ、また後でねー!」


 ユーミはジョウ=ランをせっついて、祝宴の場に颯爽と舞い戻っていった。

 こちらでは、リミ=ルウがアイ=ファの腕をぎゅうっと抱きすくめている。俺と視線がぶつかると、リミ=ルウはにぱっと明るい笑みを広げた。


「リミも、お仕事が終わったの! だから、アイ=ファと一緒にいさせてねー!」


「うん。リミ=ルウもお疲れ様。それじゃあ、宴料理をいただこうか」


 実のところ、俺とアイ=ファはまだ2種の料理と菓子しかいただいていないのだ。本日は行く先々で話し込んでいたため、普段以上にスローペースであった。


 そうして手近な簡易かまどに向かってみると、そちらもまだまだ大層な賑わいだ。そして、ほど近い場所に広げられた敷物からは豪快な笑い声が響きわたっていた。


「おお、アスタとアイ=ファではないか! よければ、腰を落ち着けていくがいい!」


 それは、草冠をかぶったダン=ルティムであった。同じ敷物に座しているのはツヴァイ=ルティムにオウラ=ルティムにラー=ルティム、モルン・ルティム=ドムにディック=ドムという顔ぶれで、ジーンの家長夫妻がのそりと腰を上げたところであった。


「ファの者たちか。俺たちはさんざん語らったので、あとは好きにするがいい」


「俺はまだ、大して語らってもいないがな! まあ、のちのち語らう機会もあろう!」


 ダン=ルティムの笑顔に見送られて、ジーンの家長夫妻は立ち去っていく。せっかくのお誘いであったので、俺たちはそちらで腰を落ち着けることになった。


「本家のほうでは、ガズラン=ルティムにお会いしましたよ。ゼディアス=ルティムは、見るたびに大人びていきますね」


「うむ! 言葉のほうはまだまだ覚束んが、うかうかしていると幼子であることを忘れてしまいそうになるぐらい、ゼディアスは立派に育っているぞ!」


 ダン=ルティムは心から楽しそうに、ガハハと笑い声を響かせた。

 ガズラン=ルティムたちが母屋に姿を見せたのは四半刻ほど前であったので、その頃に勇者や勇士の面々も解放されたのだろう。敷物に集められた宴料理をいただきながら、俺はダン=ルティムに問うてみた。


「実は、シン=ルウと話をする約束をしていたのですよね。シン=ルウがどうしているか、ダン=ルティムはご存じですか?」


「シン=ルウか! あやつは勇者の座を離れてからも、あちこちの人間に囲まれておったぞ! 何せあやつは、この後も大層な役目を控えているからな!」


 やはりシン=ルウは新たな氏族の家長になるということで、内外から注目を集めているのだろう。それも当然の話であった。


(だからシン=ルウも、自分のほうから声をかけるって言ってたんだろうな。待ち遠しいけど、ここは我慢しておこう)


 そんな風に考えながら、俺はディック=ドムに向きなおった。


「ディック=ドムも、お疲れ様です。レム=ドムはご一緒じゃなかったんですね」


「うむ。あいつはすっかり血が騒いでしまって、腰を落ち着けることもできんようだ。家長として、恥ずかしく思う」


「ふふふ。レムも最近は城下町に招かれてばかりでしたので、森辺の祝宴を楽しんでいるのでしょう」


 モルン・ルティム=ドムがゆったりとした笑顔で言葉を添えると、ディック=ドムも「そうだな」とわずかに口もとをほころばせた。母屋の面々に負けないぐらいの、睦まじい空気だ。こちらもお子を授かる日が楽しみでならなかった。


「今日はミダ=ルウにとっても、大事な日であろう。かたわらにいてやらなくてもいいのであろうか?」


 アイ=ファがそのように声をあげると、ツヴァイ=ルティムは「フン!」と勢いよく鼻を鳴らした。


「どうしてルティムのアタシたちが、アイツの世話を焼いてやらないといけないのサ? そんなモンは、筋違いでしょうヨ!」


「それはそうなのやもしれんが……ルウとルティムで、大事な血族であることに変わりはあるまい?」


「それでもやはり、今日はルウの方々に順番を譲るべきでしょう。もとよりわたしたちは別々の集落で過ごす身ですが、ルウの方々にとっては別れの日になるのですからね」


 けたたましい娘に代わって、オウラ=ルティムが穏やかな表情でそのように答える。すると、ダン=ルティムがまた豪快に笑いながらツヴァイ=ルティムの小さな頭を撫でくり回した。


「ツヴァイもそのように考えて、ミダ=ルウに寄り添いたい気持ちをぐっとこらえておるわけだな! お前さんも、立派に成長したものだ!」


「やかましいヨ! 気安くさわるんじゃないって、なんべん言ったらわかるのサ!」


 ツヴァイ=ルティムは顔を真っ赤にして怒りながら、ダン=ルティムの腕をぺしぺしと引っぱたく。しかしもちろんダン=ルティムの丸太のごとき腕は、びくともしなかった。


 いつまで経っても小さな子供めいた容姿をしているツヴァイ=ルティムであるが、宴衣装を纏う際にはタマネギのようにひっつめている髪を垂らしているので、ずいぶん印象が違っている。そして相変わらず、ダン=ルティムとのやりとりも微笑ましいばかりであった。


「ザザから分かたれたジーンは、百歩と離れていない場所に新たな集落を開くことになったが……このたびは、ずいぶん離れた場所に新たな集落を開くようだな」


 ディック=ドムが重々しく声をあげると、それに負けないぐらい厳格な声音でラー=ルティムが「うむ」と応じた。


「新たな眷族に与えられるのは、かつてルウの眷族が住まっていた地となる。しかしそれは、ルティムがルウと血の縁を結ぶより古きの時代となるため……今ではすっかり、草木に覆われてしまっている。あの地を再び切り開き、三つの家を建てるには、数日がかりの話となろうな」


「そうか。森辺には、滅びた氏族の数だけそういう場所が残されているということだな」


 ギバの頭骨の陰で黒い瞳を思慮深げに光らせつつ、ディック=ドムはそのようにつぶやいた。


「ジーンがザザから分かたれたのは俺が生まれるより前の話となるし、若年たる俺は眷族の滅びを見届けたこともない。しかし……そんな俺でも、この夜には色々なことを考えさせられるようだ」


「うむ。若い人間が、古い話で胸を痛める必要はなかろうが……しかしまた、自分には関わりのなきことと切り捨てることも許されん。滅びの苦しみを知らなければ、それからまぬがれようという力も弱まってしまおうからな」


「うむ。北の集落には古き時代の話を知る人間も少ないので、ラー=ルティムにはこれからも導きの言葉を授かりたく思う」


 ディック=ドムが静かに頭を垂れると、ダン=ルティムがまた陽気に笑い声をあげた。


「かえすがえすもディック=ドムは、俺よりも父ラーの息子めいているな! そんなお前さんがルティムと血の縁を結んだのも、きっと母なる森の思し召しであったのであろうよ!」


「うむ。ラー=ルティムと縁を持てたことは、俺も心から得難く思っている」


「であればいっそ、祖父ラーとでも呼んでやればどうだ? 俺の家とお前さんの家に限っては、まぎれもなく家族なのであろうからな!」


「いや、それは……森辺の習わしにもそぐわないように思うのだが……」


 ディック=ドムが珍しく口ごもると、ラー=ルティムは小さく息をついてから鷹のように鋭い目を子息の巨体に向けた。


「嫁を取った家の人間が、相手の家の家人の氏を外して名を呼ぶ習わしなど存在せん。筋違いの言葉も大概にせよ、うつけものめ」


「わはははは! ひさかたぶりに、お叱りを受けてしまったわ! 父ラーとて、ディック=ドムと縁が深まれば嬉しかろうにな!」


「すでに縁は結ばれている。掟や習わしを二の次にする理由はない」


 確かにラー=ルティムというのは、北の一族に負けない厳格さであった。ダン=ルティムともガズラン=ルティムとも、まったく異なるお人柄であるのだ。そこにディック=ドムまでもが加わると、ルティムにはいっそうの魅力がふくれあがるのではないかと思われた。


(モルン・ルティム=ドムはもちろん、ツヴァイ=ルティムやオウラ=ルティムだって魅力的な人柄だもんな。本当に、ルウ本家にも負けないぐらいの華々しさだ)


 俺がそんな風に考えたとき――広場の中央から、横笛の音が高らかに鳴らされた。

 そちらに目を向けると、勇者の壇の上にルド=ルウが立ちはだかっている。横笛から口を離したルド=ルウは、笛よりも派手に声を張り上げた。


「女衆の舞の時間だってよー! 横笛や草笛を吹ける人間は、こっちに集まってくれー!」


 ルド=ルウの声に従って、若い男衆がわらわらと集合する。それと同時に、宴衣装を纏った女衆もちらほらと儀式の火を囲み始めた。


「もうそのような刻限になってしまったのですね。ツヴァイも今日ぐらいは、舞を見せてきたら?」


「フン! 嫁入りする準備もないのに、無駄な汗をかく気にはなれないね!」


 女衆の舞というのは求婚の意思表示でもあり、決して強制ではないのだ。いまだ10歳のリミ=ルウも、にこにこと笑いながら広場の様相を見守っていた。


 すると、こちらにふたつの人影が近づいてくる。

 それは、シン=ルウとレム=ドムであった。


「ああ、いたいた。こんな人数だと、目当ての人間を探すのもひと苦労ね」


 レム=ドムが、強く輝く目でアイ=ファを見つめてくる。その視線を受け止めながら、アイ=ファは「うむ?」と小首を傾げた。


「シン=ルウは、アスタと語らう約束をしていたな。レム=ドムは、何用であるのだ?」


「わたしはあなたを探していたのよ、アイ=ファ。女衆の舞が終わったら、お次は余興の力比べでしょうからね。わたしたちには、その準備が必要でしょう?」


 準備とは、長袖の上着と脚衣を纏うことである。アイ=ファは溜息をこらえているような面持ちで言葉を返した。


「何もそのように急ぐ必要はあるまい。あれらの装束は、暑苦しくてならないのだからな」


「アイ=ファの準備が遅れたら、勝負の時間が短くなってしまうじゃない。そうしたら、いったいどれだけの狩人が落胆すると思っているの?」


「……お前もぞんぶんに血をたぎらせているようだな」


「もちろんよ。日も高い内からあんな勝負をさんざん見せつけられたんだから、それが当然でしょう?」


 アイ=ファはこらえていた溜息を吐き出してから、しかたなさそうに身を起こした。


「まったく、頑是ない幼子のようだな。……シン=ルウよ、アスタをよろしく願いたい」


「うむ。アイ=ファとも、のちほどゆっくり語らせてもらいたく思うぞ」


 シン=ルウは、あくまで沈着な面持ちだ。

 アイ=ファは俺にうなずきかけ、リミ=ルウの赤茶けた髪をひと撫でしてから、レム=ドムとともに立ち去っていく。そしてシン=ルウは、切れ長の目でルティムとドムの面々を見回した。


「少しだけ、アスタを借りてもいいだろうか? 舞が終わる頃には、話も終わると思う」


「うむ! 俺たちに遠慮する必要などなかろうよ! 思うさま語らうがいい!」


 ダン=ルティムにそう言っていただけたので、俺も敷物から腰を上げることになった。

 しかし、そうまで敷物から離れる理由もなかったので、手近な樹木のかたわらで足を止める。その間に、ようやく広場の中央でも舞の準備が整ったようであった。


 横笛を携えた若衆の一団は身を引いて、十数名の女衆が儀式の火を取り囲んでいる。

 そこに、誰よりも鮮やかな真紅の髪のきらめきを発見した俺は、思わず息を呑むことになった。


「あ、あれ? ララ=ルウも、舞を踊るのかな?」


「うむ。何か不思議なことでもあろうか?」


「いや、不思議なことはないけど……」


 ただ、ララ=ルウとシン=ルウはすでに婚儀の約束をしている。それは何年後のことかも決まっていないし、家長同士の正式な約定を交わした話でもなかったが――しかし、当人たちにとっては真情からの約束であるはずであった。


(……まさかこの数ヶ月の間で、その約束が反故にされたわけじゃないよな?)


 俺はかつてファの家で、その約定が交わされる瞬間を見届けている。あれは、ララ=ルウが生誕の日を迎える直前のことであったから、青の月の下旬であり――もう7ヶ月ぐらいは昔日の話になっていた。


(まあ、もしもそんな大変な話になってたら、シン=ルウもララ=ルウも黙ってるわけがないか。シン=ルウだって、こんなに落ち着いてるしな)


 であれば、これは、シン=ルウのために舞を見せるということだ。

 それはそれで、俺としてはいささか落ち着かない気持ちであった。


「それなら話は、舞の後にしようか? シン=ルウだって、ゆっくり見届けたいだろう?」


「うむ。しかし、余興の力比べが始まったならば、俺も腰を落ち着けてはいられないだろうからな。よければ、舞を見物しながら語らせてもらいたい」


 シン=ルウがそのように言ったとき、再び横笛が吹き鳴らされた。

 今度はそこに、複数の音色が重ねられていく。さらに草笛やギバの大腿骨を打ち鳴らす音も重ねられると、女衆はそれに合わせてゆっくりと動き始めた。


 ララ=ルウは火のように赤い髪を腰の近くまで垂らしているため、ひときわ目立っている。

 その姿を目で追いながら、俺は会話を続けることになった。


「な、なんだか俺のほうが落ち着かないな。……でも、シン=ルウとおしゃべりをできるのは嬉しいよ」


「そのように言ってもらえると、俺も嬉しい。俺がこのめでたき日を迎えられたのは、アスタのおかげでもあるからな」


 とても静かな声音で、シン=ルウはそのように言いつのった。


「もちろん俺はさまざまな相手に支えられながら、今日まで生きてきた。だがやはり、アスタの存在なくして今の俺はなかったと思う。だから、今日の内に礼を言っておきたいと思ったのだ」


「そんな、お礼なんて必要ないよ。そもそも俺なんて、大した役目は果たしていないじゃないか」


「そんなことはない。俺が強き力を求めたのは……アスタを守るという仕事を果たせなかったためであるのだからな」


 遥かなる昔日、俺はサンジュラとムスルの手によって誘拐されることになった。その際に護衛役を担っていたのが、シン=ルウとルド=ルウであったのだ。なおかつシン=ルウはサンジュラとの力の差を感じ取り、いっさい身動きが取れなくなってしまったのだった。


 そして、ポルアースの協力のもとに、俺がトゥラン伯爵邸から解放された夜――跳ね橋のすぐ外で待ち受けていたシン=ルウは、俺の身を抱いてむせび泣くことになった。それぐらい、シン=ルウは俺の身を思いやってくれていたのだ。


「それはまあ、シン=ルウにとって大きなきっかけだったんだろうけど……でも、俺はただ誘拐されただけの身だからなあ。やっぱりお礼を言われる立場ではないと思うよ」


「アスタにしてみれば、そうなのやもしれんな。しかし、俺にとってはそれがまぎれもない事実であるのだ」


 俺たちが語らっている間に、笛の音はどんどん勢いを増していく。それにつれて、女衆の舞もどんどん激しくなっていった。

 最初はゆるやかであった手足の動きが、燃えさかる炎のような熱をおびていく。その際にも、ひときわ目をひくのはララ=ルウの姿であった。


 ララ=ルウは齢を重ねるごとに背がのびて、女性らしさも増していっている。姉たちのようにグラマーなタイプではないものの、そのしなやかで引き締まった体躯は猫型の動物を思わせる優美さを有していた。

 そのしなやかな肢体を躍動させて、ララ=ルウが壮麗なる舞を見せている。真っ赤な髪をしているために、本当に炎そのものであるかのようだ。その勇ましい気性もそのまま表出しているかのようで、彼女はその場の誰よりも激しく、力強く見えた。


「……あのときの俺は、自らをくびり殺したいほどの絶望を抱え込むことになった。アスタの身に何かあったら、死んで詫びるしかない……俺はそこまで思い詰めることになってしまったのだ」


 俺はララ=ルウの舞に目を奪われているため、シン=ルウの表情を確認することもままならない。

 ただシン=ルウの声音には、彼らしい穏やかさと優しさがにじんでいた。


「だがそれは、決して普通の話ではないはずなのだ。アスタは森辺の家人に迎えられた身であったが、ルウと血の縁があるわけでもなかったし……友たる相手を守れなかったからと言って、自らの生命で贖おうというのは、森辺において決して普通の話ではない。森辺においては、友よりも家族や血族を重んじるべきであるのだからな」


「うん。それなのに、シン=ルウはそんなに俺のことを思いやってくれたんだね」


「うむ。俺が魂を返したならば、それこそ残された家族たちは悲嘆に暮れることになろう。しかも俺は、すでに家長の身であったのだからな。家族を残して友のために魂を返すなど、許されるわけもない。だから、俺は……あの頃すでに、アスタのことを家族と同じぐらい大切だと思っていたということだ」


 静かで、優しい声で、シン=ルウはそう言った。


「そして俺は、さらに思った。友たるアスタばかりでなく、家族や、大切な相手を守るためには、力が必要なのだ、と。そのためにこそ、俺は力を求めたのだ。友や、家族や、これから家族になりたいと願っている相手を、この手で守れるように……俺は友たるアスタばかりでなく、家族やララ=ルウの大切さもあらためて噛みしめることができたのだ」


 きっとシン=ルウも、一心にララ=ルウの姿を見つめているのだろう。

 シン=ルウの想いに応じるかのように、ララ=ルウはいっそう激しく、美しく躍動した。


「だから俺は、アスタに感謝している。アスタが、俺の前に現れたことを……家族と同じぐらい大切な存在として、俺に新しい気持ちを育んでくれたことに、深く感謝しているのだ」


「うん。それは、すごくありがたい言葉だけど……でもやっぱり、俺がお礼を言われるようなことなのかなあ?」


「もちろん、アスタとの出会いをもたらしてくれた母なる森にも、何度となく感謝を捧げている。それでもやはり、アスタ自身にも礼を言わずには済ませられないのだ」


 優しい響きを保ったまま、シン=ルウは断固としてそう言った。


「そんなアスタを守れなかった無念が、俺に力を与えてくれた。まあ、いまだルド=ルウにもかなわない身だが……それは、ルド=ルウも同じぐらい成長しているためだろう。ルド=ルウだって、俺と同じぐらいの無念を抱え込んでいたわけだからな」


「うん……」


「それにアスタは、森辺にこれほどの豊かさをもたらしてくれた。だからこそ、ルウは家人が増えに増えて、家を分けることになったのだ。かえすがえすも、アスタなくして今日という日はありえなかった。俺がディグド=ルウに打ち勝つほどの力を授かれたのも、ルウがこれほど豊かになったのも……思い返せば、ミダやジーダたちがルウの家人となったのも、アスタが縁を繋いでくれたおかげであろう。俺はさまざまな相手に支えられてきたが、やっぱりアスタの存在は特別だ。だから、礼を言わずにはいられなかった」


 骨を叩く音色が、どんどん加速していった。

 横笛は哀切な響きをおびながら狂おしく響きわたり、女衆も炎のように舞っている。宴衣装のヴェールや飾り物がきらめき、飛び散る汗は火の粉のようであった。


「それに、ララ=ルウのこともな。あの夜にファの家まで押しかけることになったのは、ララ=ルウがアスタを頼った結果だが……ララ=ルウにとっても、アスタはそれだけの存在であったということだ。アスタやアイ=ファの前で婚儀の約定を交わせたことを、俺は心より嬉しく思っている」


「うん。あの約定は、あのときのままなんだよね?」


「うむ。俺たちは、いずれ必ず婚儀を挙げる。俺が新たな氏族の家長として確かな力をつけ、ララ=ルウも納得いくまで今の仕事を果たしたならば……そのときこそ、俺はララ=ルウを嫁に迎えるつもりだ」


 そう言って、シン=ルウはくすりと小さく笑った。


「ただそれは、決して正式な約定ではない。ララ=ルウの家長たるドンダ=ルウにも、いっさい話は通していないからな。俺とララ=ルウで勝手に交わした、勝手な約束だ。……だからララ=ルウは、この夜も舞を見せると言っていた。婚儀を挙げていない女衆は、舞を見せるべきなのだから、と……森辺の習わしにそぐわない約束を交わした俺たちは、他の部分ではなるべく正しく振る舞うべきなのだと言っていたぞ。それで勇者と勇士を祝福する儀も、序列に従ってレイナ=ルウに順番を譲ったのだ」


「あはは。それは、ララ=ルウらしい言い分だね」


「うむ。この舞で他の男衆に見初められてしまったならば、ヴィナ・ルウ=リリンを見習って片っ端から断ってやると息巻いていたな」


 ヴィナ・ルウ=リリンもシュミラル=リリンと巡りあうまで、そうしていくつもの嫁入り話を断っていたという話であったのだ。

 やはりルウの本家には、どの氏族よりも熱い血が流れているのだろう。女衆も、決して例外ではなかったのだった。


「俺たちが婚儀を挙げられるのは、1年後になるのか2年後になるのか、それはまったく計り知れないが……まあそれは、アスタたちも同様であるしな」


「うん。シン=ルウとララ=ルウは、俺たちより若いしね。何も焦る必要はないさ」


「俺などは、たった1歳しか変わらないがな。しかしそれでも、焦るつもりはない。……今のアスタとアイ=ファがどれだけ幸福な心地であるかは、きっと俺とララ=ルウが一番理解できるのだと思うぞ」


 シン=ルウがそのように語るのと同時に、ひときわ高く横笛が吹き鳴らされた。

 女衆は糸の切れた操り人形のように、身を伏せる。そうして広場には、凄まじい勢いで歓声があげられることになった。


「あらあら、大層な騒ぎね。今日だけで、いくつの婚儀の話が持ち上がるのかしら」


 と、横合いから皮肉っぽい声が近づいてくる。俺がそちらを振り返ると、お召し替えを完了させたレム=ドムとアイ=ファが近づいてきていた。

 町の人間が纏うような、長袖の上衣と細身の脚衣だ。そして胸もとは上衣の下でさらしのようなものを巻かれているため、ふたりとも凛々しい若武者のごときたたずまいであった。


「さして長い時間でもなかったが、そちらも十分に語らえたようだな」


 アイ=ファはそのようにつぶやきながら、やわらかい眼差しで俺とシン=ルウの姿を見比べた。

 思わずシン=ルウのほうを振り返ると、その端整な顔にはとても安らいだ表情が浮かべられている。そして、俺の視線に気づいたシン=ルウは、ほんの少しだけ気恥ずかしそうに口もとをほころばせた。


「それじゃあ次は、わたしたちの出番よ。アイ=ファには、わたしが一番に挑ませていただくからね」


「まったく、せわしないやつだな。……シン=ルウは、どうするのだ?」


「きっとゲオル=ザザが、レム=ドムに負けぬ気概で俺を探していることだろう。それに、ジィ=マァムやディム=ルティムも俺と勝負をすると言って譲らないのだ」


「ふふふ。あなたはそれだけの力を持った狩人だもの。もちろんわたしだって、アイ=ファの後に挑ませていただくわよ。さあ、それじゃあ、さっさと向かいましょう」


 レム=ドムがアイ=ファの腕をひっつかんで、広場の中央に向かおうとする。アイ=ファが視線を向けてきたので、俺は「頑張ってな」と笑顔を返してみせた。


「では、俺もこれで失礼する。このあとは、なかなか語らう時間も取れないやもしれないが……何も、今生の別れではないからな」


「うん。新しい集落が完成したら、お祝いに駆けつけるよ。その前に、この後の儀式だって心待ちにしてるからね」


「うむ。アスタにこの日を見届けてもらえることを、心より得難く思っている」


 シン=ルウは澄みわたった微笑を残して、アイ=ファたちの後を追いかけていった。

 俺は何となく静謐な心地で、その姿を見送る。すると、狩人たちに場所を譲るために女衆が散開していき――その途上であったララ=ルウが、シン=ルウと行きあった。


 ふたりは足を止めて、おたがいの姿を見つめ合う。

 どちらも口を閉ざしたままであったが――儀式の火に照らし出されるふたりの横顔は、とても幸せそうに安らいでいた。

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