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異世界料理道  作者: EDA
第七章 母なる森のもとに
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⑩青の月14日~嵐の前~

2014.12/21 更新分 1/1 誤字修正

 中天になると、約束通りリィ=スドラがやってきてくれた。

 スドラの男衆を4名引き連れて、である。


「お待たせしました。今日もよろしくお願いいたします」


 リィ=スドラの表情に変化はない。

 が、そのかたわらに立った家長の顔には、緊張の色が濃かった。


「ファの家長よ。今のところ、凶賊めは姿を現していないようだな」


「ああ。そちらも無事で何よりだ」


「うむ。この後は、俺たちが身命をかけて同胞を守ってみせよう」


 ちょっと猿っぽい顔をしたスドラの家長が、落ちくぼんだ目をぎらぎら燃やしている。

 すると、そんな伴侶にリィ=スドラが穏やかに微笑みかけた。


「家長、勇猛なる森辺の男衆がそのように厳めしい表情をさらしていたら、町の人間たちが怖がって近づいてこれなくなってしまいます。どうぞご自重ください」


「む? そのように悠長なことは言っておられん。スンの先代家長などは骨と皮ばかりの死にぞこないであるにも拘わらず、ジーンの男衆を退けたという話であるし、家長会議で見た分家の男衆もなかなかの手練であるようだった。我らには、生命を投げうつ覚悟が必要であろう」


 確かに、奥方よりも背が低く、骨格もそれほど頑強そうでないスドラの家長である。壮年の男衆でここまで体格に恵まれていない人物は珍しいのかもしれなかった。


 しかし、いつでも陰気なその顔には、決死の覚悟がみなぎっている。

 このような事態になってしまったのだから、ザッツ=スンらが捕らえられるまで仕事を手伝うのは差し控える、という道もあったはずであるが。彼は仕事を断るどころか、護衛の役まで買ってでてくれたのである。


 スドラの男衆はこの4名が総勢であり、残りの女衆は行き道でルウの集落に預けてきたそうだ。


「スドラの家長よ、あちらの林にルウの男衆が潜んでいる。街道を見張る役と背後からの襲撃に備える役と仕事を分担しているはずなので、まずはそちらで話を聞いてくれ」


 アイ=ファの言葉に「了解した」とうなずき、スドラの家長らは雑木林に引っ込んでいった。


 あと1時間ほどで、俺とヴィナ=ルウは《南の大樹亭》に向かわなくてはならない。アイ=ファたち4名は俺たちの護衛、スドラの4名が屋台に居残るメンバーの護衛を受け持つのである。


 しかし、こちらは若年ながらもよりすぐりの精鋭部隊だ。言っては悪いが、スドラの男衆はみな生活の苦しさが体格に出てしまっている感じなので、いささかならず戦力面に不安が残るのではないだろうか。


 リィ=スドラに聞こえぬよう、声を潜めてアイ=ファにそう進言してみると、「大事ない」という答えが返ってきた。


「あのように言っていたが、スドラの家長ならば単身でテイ=スンという男衆を討つこともできるだろう。ザッツ=スンの存在はちと不気味だが、残り3名の男衆でかかれば遅れを取ることはあるまい」


 毎度思うのだが、アイ=ファの瞳にはどういうセンサーが備わっているのだろう。機会があれば、森辺における狩人の戦闘力ランキングを教えていただきたいものだ。


 そんなことを考えていると、皮マントを着た集団が5名ほど近づいてきた。今日は朝から姿が見えなかった《銀の壺》である。


「いらっしゃいませ。このような日にまでご来店いただきありがとうございます」


「はい。今日、遅くなってしまったので、5人、来れませんでした。彼らの分、買っていきます」


『ギバ・バーガー』のほうにいた俺のもとに、シュミラルともう2名が立つ。


「『ギバ・バーガー』と『ミャームー焼き』を5個ずつということですね。毎度ありがとうございます」


 鍋の攪拌をララ=ルウに託し、俺はポイタンをつかみ取る。

 すると、シュミラルがさりげなく顔を寄せてきた。


「アスタ。手配書、見ました。……アスタ、大丈夫ですか?」


「……ああ、ようやく手配書が発布されましたか。はい、俺たちは大丈夫ですよ」


 応じながら、俺もシュミラルの黒い瞳を見つめ返す。


「それよりも、みなさんのほうこそ気をつけてください。手配書にもあったと思いますが、逃げた罪人は本当に危険な連中なんです」


「私たち、大丈夫です。アスタたち、心配です。アスタたち、襲われる怖れある、衛兵、言っていました」


 今度は正式に告知されたのだろう。その罪人たちを告発したのは現在屋台の商売を行っている氏族の者たちであるため、復讐の念に駆られた罪人たちが姿を現す危険性がある、と――


 その影響か、西の民のお客さんはけっこう顕著に数が減ってしまっていた。通行人の数すらも、普段よりは減じてしまっている気がする。

 ドーラの親父さんはターラとともに買いに来てくれたが、ユーミを始めとする常連のお客さんさえ、なかなか姿を現そうとしないのだ。


 西の民が抱えることになった不安感や恐怖心は、凶賊が捕縛されない限り、緩和されることもないだろう。


「ありがとうございます。でも、俺たちは本当に大丈夫なのですよ。屈強の狩人たちが何人も守ってくれていますので」


 俺は何とか笑顔を返したが、シュミラルの深刻そうな眼差しに変化は見られなかった。

 その目が、ふっと屋台の横に立つアイ=ファを見る。


「……家長、私、《銀の壺》団長、シュミラル=ジ=サドゥムティーノです」


「うむ?」


 屋台と屋台の間に立ち、路上に目線を行き来させていたアイ=ファが、いぶかしそうにシュミラルを見る。


「家長とは私のことか? 私はあなたを知らないが」


「アスタ、聞きました。名前、いいですか?」


 アイ=ファはいっそう不審げに眉をひそめつつ、シュミラルの姿を上から下までねめ回す。


「私はファの家のアイ=ファだ。悪いが、無駄口を叩いているひまはない」


「アイ=ファ、いい名前です。……あなた、アスタ、守るですか?」


「……ああ。家人を守るのは家長のつとめだ」


 答えながら、アイ=ファはまた街道のほうに目を向けた。

 人混みにまぎれて不審な人間が近づいてこないかを最前線で見張るのが、アイ=ファの役割であるのだ。


「アスタ、お願いします。私、アスタ、大事な存在です」


 アイ=ファは、またちらりとだけシュミラルを盗み見た。


「……誰に願われるまでもなく、私はアスタを守りぬく」


 シュミラルはほんの少しだけ目を細めて「ありがとうございます」と、つぶやいた。


 そうしてシュミラルは、最後にヴィナ=ルウのほうにも目を向けたが、そちらには声をかけようとせず、静かに立ち去っていった。


「あのシム人って、すっごくアスタのことを気にかけてるよね。何か昔に縁でもあったの?」


 俺と一緒に『ギバ・バーガー』を担当していたララ=ルウが、不思議そうな顔でそんな風に問うてくる。


「いや、これといって特別な出来事があったわけじゃないけどね。あえて言うなら、料理を買いに来てくれたことが縁さ」


「ふーん、変なの。……でもまあ、ルウとの縁も最初はそれだけだったんだもんね。それなら変ってわけでもないか」


 そう、俺にとっての縁なんて、それは全部料理を通じてのものなのだ。

 シュミラルとは特に親しくさせてもらっているが、今日初めて名前を知ることになったバランのおやっさんやアルダスだって、俺にとっては大事な存在である。


 1日に数分言葉を交わすだけでも、縁は縁。

 そうして少しずつ積み重ねていけば、縁だって太くなっていくだろう。


 そうであるからこそ、俺はこのような異世界でも生きていくことができるのだ、きっと。


 それから1時間ほどが経過して、そろそろ《南の大樹亭》に移動しようか、という頃合いで、また新たなる森辺の民が3名やってきた。

 ガズラン=ルティムとダリ=サウティ、それにサウティの名も知れぬ男衆である。


「あ、どうも。カミュア=ヨシュのほうはいかがでしたか?」


「やはり明日の仕事は変更できないそうです。それは予想の通りでしたが、護衛すら不要と言われてしまいました」


「護衛は不要?」


 明日はいよいよ、商人ザッシュマの率いる商団を先導する大仕事の日なのである。

 もちろんこちらの都合でキャンセルすることはできないのであろうとは思っていたが、護衛が不要とはどういう意味なのだろうか。


「ザッツ=スンがどのような行動に出るかわからないので、サウティの男衆全員で商団を護衛する、と申し出たのです。しかし、もともと森辺の民に依頼していたのは森の中を誘導する案内役のみであったので、最初の約束通り4名でかまわないという話でした」


「だけどそれは――危険ではないのですか?」


「ふん。凶賊どもが2名なら、べつだんこちらが4名でも危険なことなどはないのだがな。それでも念を入れて男衆を増やそうと申し入れたのに、余計なお世話だと突っぱねられてしまったのだ。やっぱり都の人間というのは、虫が好かない」


 そう答えたのは、ダリ=サウティだった。

 ガズラン=ルティムよりもさらに長身で、体格だけならドンダ=ルウにも匹敵する偉丈夫である。面立ちは柔和で朴訥としているが、三族長の重責を担うに相応しい風格が、その大きな身体には満ちている。年齢は、ガズラン=ルティムより少し上なぐらいだろう。

 

 で、この御仁はもっと温和で大らかな印象であったのだが、やはり事態が事態だけに少し気が立ってしまっているようだ。そんな状態でカミュア=ヨシュを相手どるのは、確かにしんどいだろうなと思う。


「彼らには彼らなりの矜持や誇りというものがあるのでしょうね。商団を護衛するのは《守護人》の仕事なのだから、そこに手出しはしてほしくないとのことでした。出自が森辺であろうと凶賊は凶賊、もしも商団に襲撃などを仕掛けてきたら、《守護人》としての仕事をまっとうさせていただく、と」


「気にくわん話だ。もしかしたらあの連中も城の人間と同様に、自分たちの手で凶賊どもを討ち取りたいとでも願っているのではないのかな」


 それは、どうなのだろう。印象としては、カミュアとサイクレウスの間に友好的な関係は存在しないように思えるのだが。


 あるいは、カミュア自身にスン家の大罪人を討ち取りたいという望みでも存在するのか――あのすっとぼけた男の心情も、謎である。


「何にせよ、商団の人間18名に対して、《守護人》という護衛役は5名いるそうです。わずか2名の凶賊など恐るるに足らないとのことでした。……そして、凶賊によって商団の人命や荷物などが損なわれた場合、その責任を問われるのは《守護人》である自分たちなのだから、何も案ずることはない、と」


「そうですか。あのカミュアがそこまで言うのなら、心配はいらないのかもしれませんね」


 カミュアと、そして、あの包帯で人相を隠した、ダバッグのハーンという男。ああいった手合いがあと3名もいて、なおかつダリ=サウティ率いる森辺の男衆が4名加わるなら、むざむざ遅れを取ることはないだろう。


 というか、それで太刀打ちできないような相手であるならば、この屋台を守るメンバーだって戦力不足、ということになってしまう。


 ディガとドッドから伝え聞くザッツ=スンの印象はあまりに化け物じみていたが、それでも数年間も寝たきりであった瀕死の病人なのである。どれほど執念深い人間であっても、その能力には限界があるはずだ。


「それでは、ドンダ=ルウらにも報告しなければならないので、私たちは森辺に戻ります。……アスタ、どうぞお気をつけて」


 最後にまた力強い視線で俺を見つめてから、ガズラン=ルティムはダリ=サウティらとともに去っていった。


「それではこちらも出発しましょう。シーラ=ルウ、みんなをよろしくお願いします」


「はい。アスタたちもお気をつけて」


 俺とヴィナ=ルウとアイ=ファ、それに雑木林から姿を現したルド=ルウたち3名の狩人が屋台を離れる。


 途中で必要な野菜を購入し、普段以上にとげとげしい視線を満身に浴びながら、俺たちは《南の大樹亭》に向かった。


「また役割を決めねーとな。表と裏の入口にひとりずつ立って、もうひとりが建物の周囲を見回る役、もうひとりがアスタたちと建物に入る役、って感じかな」


 意外というか何というか、護衛役の中でリーダーシップ性を発揮しているのは、最年少のルド=ルウであった。


「表の入口はアイ=ファにまかせるとして、あとは誰がどこでもかまわねーか」


「待て。どうして私が表の入口なのだ? 私は建物に入る役を希望する」


「んー? だけど、宿屋の入口に男衆が立ってたら、西の連中が近づけなくなっちまうだろ。宿屋の親父だって、かなり嫌そうな顔をしてたしさ」


 ナウディスには、《キミュスの尻尾亭》に向かう前に、すでに話を通しているのである。万が一の事態に備えて、森辺の狩人を護衛役として立たせてほしい、と。


「いや、しかし……私だって、刀を下げた狩人だ。べつだん男衆であろうと女衆であろうと、西の民に忌み嫌われているという点で差はあるまい」


「そんなことねーよ。アイ=ファみたいに綺麗な顔をした女衆だったら、男衆ほど避けられねーだろ」


「それを言うなら、お前たちだって女衆のように優しげな顔をしているではないか? 背だって、私のほうが高い」


 おやおや、何やら不穏な雰囲気になってきた。

 が、ラウ=レイは「ずいぶん愉快なことを言うやつだ」と笑っている。


「だけど俺は、お前よりは背が高い。じっとしているのも飽きてきたから、俺は周囲を見回る役をいただこう。後は勝手に決めてくれ」


「背の高さとか関係ねーだろ! 俺とアイ=ファだって、これっぽっちしか変わんねーし!」


「……しかし、私のほうが高い」


「俺はファの家長と同じぐらいだな」


「てめー! シン=ルウ! お前まで俺をちび呼ばわりすんのかよ!」


「そんなことは言っていない。狩人としての力は俺よりもルド=ルウのほうが上だ」


 そのようなことを言い争っているうちに、《南の大樹亭》に到着してしまった。


「……町の建物などに入るのは気が進まぬので、俺は裏口に回る」とシン=ルウが戦線離脱し、「何かあったら草笛を吹くからな」とラウ=レイも姿を消す。


 後には、いつになく険悪な様子でにらみあうアイ=ファとルド=ルウが残された。


「あのさぁ……町のことを1番わかってるのはアスタなんだから、アスタに決めてもらえばぁ……?」


 いくぶん呆れ気味にヴィナ=ルウが提案すると、ルド=ルウは「そんなのアイ=ファを選ぶに決まってんじゃん!」と、子どものようにわめき散らした。


 店の前で、これはまずい。

 そこで俺も発言させていただくことにしたわけだが、アイ=ファの心情を思うと、いささかならず気が重かった。


「俺に決めさせてもらえるなら、やっぱり外に立つのはアイ=ファがいいと思うけど……どうだろう?」


 予想通り、アイ=ファは愕然と立ちすくんでしまう。


「………………何故だ?」


「いや、理由はさっきルド=ルウが言った通りで。この宿は西の民もけっこう利用してるらしいから、できるだけ刺激したくないんだよ。さっきの屋台でも、そういう理由でアイ=ファが表に出ていてくれたんだろ?」


「それは……その通りだが……」


 と、見る見るうちにアイ=ファはしょんぼりしてしまい、その力を失った目がとても申し訳なさそうにルド=ルウを見た。


「……そうか。自分の都合ばかりを重んじていたのは私のほうだったのだな。道理もわきまえず我を通そうとして、悪かった」


「んー? いや別に、謝られるほどのことじゃねーけどよ」


「……しかし、私のほうが背が高いというのは事実だ」


「うるせーな! それが何なんだよ!」


「何でもない。苦しまぎれの横言だ」


 そうしてアイ=ファは壁にそって足を進め、宿屋の入口から3メートルほど離れたところで、すとんと腰を下ろした。

 片膝あぐらでなく、子どものように両膝を抱えながら、暗い眼差しを街道に向ける。


「私はここから街道を見張る。……アスタ」


「はい!」


「……仕事に励めよ」


「……はい」


 何だろう、この胸中に押し寄せる罪悪感は。

 俺は溜息を噛み殺しつつ、ルウ本家の姉弟とともに、両開きの戸板を押し開けた。


「おお、アスタ、お待ちしておりました」と、受付台に座っていたナウディスが柔和な笑顔で出迎えてくれる。

 男衆とは朝方も顔を合わせているし、今はルド=ルウひとりしかいないので、そんなに緊張の色もない。


「ではでは、今日もよろしくお願いいたします。いやいや、何事もなくアスタを迎え入れることができて、本当にほっとしております」


「すみません。こちらの都合でバタバタしてしまって。それに、護衛の件もありがとうございます」


「いえいえ、危険な大罪人などがうろついているのなら、むしろ心強い限りです。森辺の民が相手では、町の衛兵など頼りになりませんからな」


 しかしそもそも、俺の出入りを禁止していれば、ザッツ=スンの襲撃に怯える必要もなくなるのだ。それでも仕事は約定通り続けてほしいと言ってもらえたのは――申し訳ないと思うと同時に、本当にありがたい話だった。


「朝方は時間がなかったのできちんとお話できませんでしたが、昨晩の料理は大好評でした。肉の一片を余らせることもなく売り切ることがかないましたよ」


「はい、俺もほっとしています。赤銅貨5枚でも売れるものなのですね」


「はいはい。アスタのご提案通り、フワノ抜きの半分の量で赤銅貨2枚、という売り方もさせていただきましたからな。味のわからぬ料理に赤銅貨5枚は出せない、というお客様でも、それで気軽に注文をいただけたようです」


 ナウディスは、とても満足そうな顔をしてくれていた。

 預けていたギバ肉の包みをほどきながら、俺も笑顔を返す。


「そういえば、お客様の比率はいかがでした? 西の民のお客様からもご注文はいただけたのでしょうか?」


「もちろんです。今ではギバ肉への抵抗もなくなったお客様も大勢いらっしゃいますからな。……ただ、今後はどうなのでしょうね?」


 それは、俺にもわからない。


 屋台の商売においては、西の民のお客さんが激減してしまっている。うかつに近づくと何かの騒ぎに巻き込まれてしまうかもしれない、というのがその主たる理由であるならば、宿屋における料理の売れ行きに大きな影響はなさそうだが。もしもこれで森辺の民に対する差別感情が再燃してしまったとなると――影響は、小さくないだろう。


「……まあ、罪人が捕まるまでの辛抱です。南からのお客様だけでも十分な数はさばけますので、今後もよろしくお願いいたします」


 そう言い残して、ナウディスは立ち去っていった。

 表面上はいつも通りでも、やはり同じ空間にルド=ルウがいるのが落ち着かないのかもしれない。


「なあなあ、ここで作る料理ってのは、アスタがルウの集落に住んでたときに作ってたアレなんだろ? ヴィナ姉も作り方を覚えて、家で作ってくれよ!」


「えぇ……? だけどあの料理は、ルドとリミぐらいしか気に入ってなかったじゃなぁい……?」


 俺の指示を待つまでもなくかまどに火を焚いていたヴィナ=ルウが気のない返事をする。

 そう、『ギバの角煮』は森辺において今ひとつの人気であったのである。


「そんなことねーよ! ララとかレイナ姉だって美味いとか言ってたじゃん! ジバ婆なんて大喜びだったし! ……まあ、ジバ婆以外は、肉が柔らかすぎるとか味が濃すぎるとかも言ってたけどさ」


「これはちょっと町の人間むきの料理なんだろうね。森辺の家でだったら、バラ肉じゃなくモモ肉を使うとか、それともいっそタウ油の照り焼きなんかのほうが口に合うんじゃないかなあ」


 三枚肉にへばりついた保存用のピコの葉を丁寧に除去しつつそう口をはさんでみると、「てりやきって何だ?」と、ルド=ルウが食いついてきた。


「まあ、『ミャームー焼き』なんかと一緒かな。タウ油と果実酒を混ぜたタレをからめて焼くだけで、十分に美味しいと思うよ。……ただ、タウ油ってのは高いからねえ。家で使うには量も多いし、良かったらファの家と半分ずつ銅貨を出しあって買ってみる?」


「高いって、いくらぐらいなんだ?」


「果実酒と同じぐらいの量で、白銅貨1枚。……でも、1回の量でほんのちょっとの量しか使わないし、鍋に入れても美味しいだろうから、俺はもともと買うつもりでいたよ」


「だったら買おうぜ! 文句があるなら、俺の角と牙をつかうよ!」


 何だかルド=ルウは妙に上機嫌であるようだった。

 屋台のほうでは雑木林に潜んで監視を続けるだけの仕事であったから、少なからずフラストレーションが溜まっていたのかもしれない。


「……ザッツ=スンたちが捕まるまでは狩人の仕事もまともにできなくなってしまうから大変だね?」


 肉塊を焼きあげながらそんな風に声をかけてみると、「ほんとだぜ、まったく」と、ルド=ルウは口をへの字にした。


「1日や2日だったら、町に下りるのも面白いけどよ。こんな生活が10日も20日も続いたら、さすがにやってらんねーだろうな。小さな氏族なんかは、食うものもなくなっちまうだろうし」


「いや、さすがにそこまで長引くことはないだろう? そこまで長引いてしまったら俺も困るよ」


「だけどさー、あいつらが人前に姿を現す前にくたばっちまう可能性もあるじゃん。森のどこかでギバと出くわして、それでくたばっちまったら、あっという間にムントの餌だぜ? そうなったら俺たちはいつまでこんなことを続ける羽目になるんだろうな」


 そうか――そういう可能性もあるのだ。

 というか、本来であれば、森の中で夜を過ごす、というだけで十分に危険な行為なのである。病身のザッツ=スンと、初老のテイ=スン。ろくな装備も持ち合わせていないはずの彼らが、誰にも知られぬまま森に朽ちる可能性は非常に高い、と考えざるを得ないだろう。


 そうしたら、俺たちは一生その幻影に警戒し続けなければならないのだろうか。


 いったいザッツ=スンという存在は、どこまで俺たちを悩ませれば気が済むのか。調理の手だけは休めずに動かしながら、俺の胸に去来するのは(ザッツ=スンは、毒の塊みたいな男だったわ……)という、かつてヤミル=レイから聞いた不吉きわまりない言葉だった。


            ◇


 そうして2時間ばかりの時間が過ぎ、《南の大樹亭》における仕事も無事に終了した。


 吉報も凶報も訪れない。


 宿を出て《キミュスの尻尾亭》に戻ると、すでに屋台のほうも商売を終えて、明日用の買い出しも済ませた上で俺たちを待ち受けていた。


「今日は料理が余っちゃったよ。ぎばばーがーは全部売れたけど、ミャームーのほうは80食ぐらいだったね」


 今日ばかりは売り上げの如何よりも、1日が無事に終わったことを寿ぐべきであろう。――とはいえ、やっぱりちょっとさえない気分だ。


 何はともあれ屋台を返そう、と扉に手をかけると、それを開ける前に中から抑制を欠いた声が聞こえてきた。


「……だからもう、あんな連中に屋台を貸し出すのはやめるべきだ! あいつらさえ町に下りてこなければ、それで万事が収まる話じゃないか!?」


 俺は思わずフリーズしてしまう。

 あいつらというのは――もちろん、俺たちのことだろう。


「だいたい、城の連中は森辺の民に甘すぎるんだよ!」


「あんな連中の巻き添えになるのは御免だ!」


「屋台さえ貸さなければ商売をすることはできないんだから、場所代なんて突き返しちまえよ!」


 いずれも聞き覚えのない、男たちの声である。

 それがいったん静まった隙をついて、ミラノ=マスの声も聞こえてきた。


「……俺が契約を切ったところで、どうせ《南の大樹亭》あたりが屋台を貸しちまうだろう。城の人間が許可を出してるんだから、俺たちが騒いだって何にもならないさ」


「だからって、唯々諾々と従う必要はないだろう!?」


「そんなに場所代の身入りが惜しいのかよ?」


「あんただって……いや、あんたこそが1番、森辺の民に恨みがあるはずじゃないか?」


 その瞬間、ばしんっという大きな音色が響きわたった。

 誰かが、卓だか壁だかを力まかせに叩いたのだろう。


「俺の身内のことは、いま関係ないだろう! 俺をいま不愉快にしているのは森辺の民じゃなくお前さん方だ! 言いたいことを言い終えたんなら、とっとと帰ってくれ! 商売の邪魔だ!」


 俺は慌てて扉の前から後ずさった。

 両開きの扉が内側から押し開かれ――出てきた男たちが、「ひい!」と立ちすくむ。


 10名以上にも及ぶ森辺の民が、入口の前にずらりと立ち並んでいたのである。

 彼らの恐怖は、いかほどのものであっただろう。


 いずれも黄褐色の肌をした商人風のその男たちは、絶望に顔を引き歪めて、がたがたと震え始めた。

 が、会話を盗み聞いてしまったのは俺ひとりであったので、かたわらのララ=ルウやルド=ルウなどはきょとんとしているばかりである。


「……すみません。俺も中に用事があるので、通していただけますか?」


 なるべく平坦な声で俺がそう告げると、男たちは脱兎のごとく逃げ去っていった。


 それを見送ってから俺は再び足を踏み出そうとしたが、その前にまた扉は内側から押し開かれた。

 仏頂面のミラノ=マスが、不機嫌そうに俺たちを見回していく。


「何だ、商売は終わったのか。邪魔になるから、店の前に溜まるな」


「はい。すみません」


 屋台を運ぶのにこれほどの人数は必要なかったので、俺と護衛役の4名だけが、ミラノ=マスの先導で宿屋の裏手に向かうことにした。


「あの……明日以降も屋台をお願いして大丈夫なのでしょうか?」


 運びながら俺が問うと、ミラノ=マスは横目でじろりとにらみつけてくる。


「何かろくでもないことが起きて屋台を壊すようなことになったら弁償してもらう。そいつは最初に説明した通りだ。それ以外に何か説明が必要か?」


「いえ。……ありがとうございます」


 もちろんそんな言葉には、「ふん」という不機嫌そうな鼻息を返されるばかりだった。


 そうして物置のある宿屋の裏手に到着すると、何故かそこには金褐色の頭をしたひょろ長い男が待ち受けていた。


「やあやあ、お疲れ様。今日も美味しい軽食をありがとう」


「何だ、こんなところで何をやってるんだ、お前さんは?」


 ミラノ=マスのいぶかしそうな声に、カミュアはチェシャ猫のような笑みを返す。


「いや、アスタたちとすれちがいにならないよう、待ち受けていただけです。食堂で休んでいると、ついウトウトとしてしまいますからね」


 本日カミュアと顔を合わせるのは、これが初めてのことだった。屋台の料理を食べたというのなら、きっと俺たちが《南の大樹亭》に移ってから買いに来たのだろう。


「お会いできて良かったです。明日は予定通り出発されるそうですね」


「うん。だから挨拶をしておきたかったんだ。出発は早朝だし、帰ってくるのは、早くてもふた月後だからねえ」


 2ヶ月間――まだこの地に来て50日ほどしか経過していない俺には、なかなか気の遠くなるような歳月だ。


 森辺とジェノスの関係性が複雑化してきたこの時期にカミュアがいなくなるのは望ましいことなのか、そうでないのか、俺には判断することもできない。


 だけど、どちらにせよ、カミュアがいなくなるという事実は動かせないのだ。

 後は、残された人間が頭を悩ませるしかない。


「そういえば、サウティ家の助力を断ったそうですね。本当に危険はないんですか?」


「うん? ああ、もちろん! この俺とダバッグのハーンがそろっているだけで十分すぎるぐらいなのに、その上《守護人》があと3人も控えているんだ。2名ばかりの凶賊なんて恐るるに足らないよ! ……というか、正気を失って森辺の集落を出奔した凶賊なんかに、俺たちが襲われる理由もないわけだしね」


「いや、正気を失っているからこそ、何をしでかすかわからないんですよ。……それに、カミュアの守護する商団が狙われる可能性は、少なからずあると思います」


「へえ、どうして?」


 カミュアは興味深そうに瞳を輝かせたが、俺は少しミラノ=マスの存在が気になってしまった。

 べつだんミラノ=マスには関わりのない話だが、森辺の大罪人の話題など、好んで聞きたいようなものでもないだろう。

 ミラノ=マスは、知らん顔をして屋台に損傷がないかの確認作業に取りかかっている。


「……俺はスン本家の人々とそれぞれ言葉を交わす機会があったのですが、そのうちのひとりがおかしなことを言っていたんですよ。人間は銅貨を稼ぐために生きている、森辺で1番豊かなのはスン家だから、その家長が森辺では1番の勇者だ、とか何とか。……それってきっと、先代家長から続いてきたスン本家の偏った価値観だと思うのですよね」


「ふむふむ? だから、お宝の詰まった荷を引く大商団なんかは格好の獲物である、と。なるほどねえ、それは面白い考え方だ」


「面白いで済めばいいんですが。現在手配中の先代家長は『スン家の権威を再興させる』とか言っていたらしいんですよ。だったらそれは、ファとかルウとかの敵対勢力を襲撃するんじゃなく、より多くの富を得ようとしているっていう意味合いであるのかもしれません」


「ははあ。しかし、今さら富を得たところで、スン家の権威は再興できるのかい?」


「できませんよ。そんな考えでいるのは先代家長だけなんですから。むしろ森辺の民には、普通に生きていく以上の富など必要ない、と考える人のほうが多いぐらいです」


「興味深いねえ。シムへと出立する前に、アスタとはもっとたくさん語っておきたかったよ」


 そう言って、カミュアは少しだけ寂しげに微笑んだ。


「だけど、了解した。凶賊と化したスンの先代家長らが商団を襲う可能性は、本当に少なからず存在するのだね。こいつは腕が鳴る――などと言ったら不謹慎なのだろうが、荒事を片付けてこその《守護人》だ。平穏無事な旅なんて、面白くも何ともないからねえ」


 そしてその紫色の瞳で、森辺の狩人たちを見回していく。

 アイ=ファ、ルド=ルウ、シン=ルウ、ラウ=レイ――誰もが油断なく両目を光らせながら、このすっとぼけた男の挙動を注視していた。


「もしかしたら、森辺の先代族長である人物を、都の住人たる俺たちが討ち倒す結果になってしまうかもしれない。だけどそれで俺たちを恨むようなことにはならないだろうね?」


「当たり前だろ。ちっとは癪にさわるけど、黙って殺されろとは言えねーさ。……あんただったら、どんな相手でも真っ二つにできるだろうしな」


 そう答えたのは、ルド=ルウだった。

「いやいや」とカミュアはひょろ長い腕を振る。


「可能であれば、生け捕りにするよ。まあ、他の連中は俺よりも荒っぽいから、そう言っていただけるのはありがたい。……だけどやっぱり、アスタたちが襲われる可能性もなくはないんだろうから、ここはおたがいの息災を祈っておくべきだろうね」


「そうですね。ふた月後に再会できるのを楽しみにしています」


 そんな風に俺が答えたとき、ミラノ=マスがようやく屋台から身を離した。


「どこにも傷はないようだ。……用が済んだのなら、とっとと帰れ」


「はい。ありがとうございました」


 ミラノ=マスは、何故かこちらを見ようとしなかった。

 しかし、それ以上その場に留まる理由はなかったので、素直に退散するしかない。


「それじゃあカミュア、道中お気をつけて」


「うん、そちらも息災にね。アイ=ファも、また会おう」


 アイ=ファは愛想のない目礼を返し、それでカミュアとの別れの挨拶も終了と相成った。


 これでもう2ヶ月ばかりもこのすっとぼけた男と顔を合わせる機会はないのか。

 いや、どちらかの身に不幸が訪れれば、これが今生の別れとなってしまうのだ。

 何だか、まったく実感がわかない。


 そうして俺たちが街道のほうに戻ると、人混みをかきわけて駆け寄ってくる人影があった。

 たちまちアイ=ファが俺の前面に回りこもうとしたが、それは凶賊などではなかった。

 褐色の長い髪をした、象牙色の肌の少女――ユーミである。


「ごめん、アスタ! 今日は馬鹿親父のせいで屋台に行けなかったんだ!」などと言いながら、ユーミは走ってきた勢いのまま、俺の胸もとにつかみかかってきた。


「え? お、お父上がどうされたんですか?」


 冷ややかに目を細めるアイ=ファのほうを気にしつつ、とりあえずはそんな風に応じるしかない。


「だからさ! 何か森辺の罪人がどうとかっていう騒ぎになっちゃったじゃん? そのせいで、親父が家から出してくれなかったんだよ! 今やっと親父が出かけたから抜け出してこれたんだけど、商売は終わっちゃったよね……?」


「は、はい。定刻になってしまったので」


「そうだよね。でもあたしは――って、うわあ! 何だよ、あんたたち!」


 と、そこでようやくルド=ルウたちの姿に気づいた様子で、ユーミは俺の胸に取りすがってきた。


 ララ=ルウやスドラの男衆たちなどは通行の邪魔にならぬよう建物の間に引き退いていたので、そこには4名の狩人しか控えていなかったのだが。ユーミの恐怖心と警戒心を引き出すには、それで十分なようだった。俺のTシャツをわしづかみにした手が、気丈な彼女らしくもなく小さく震えてしまっている。


「だ、大丈夫ですよ。みんな俺の同胞たちですから。……えーと、こちらは屋台の常連さんです。《西風亭》という宿屋の娘さんなのですよ」


 ルド=ルウとシン=ルウはきょとんとしており、ラウ=レイは仏頂面。そしてアイ=ファは――無表情で、ただ半眼にした目を冷たく光らせていた。


 それらの人々を、ユーミは怯えた様子で見回していく。


「ア、アスタの仲間なんだね? ……ごめん。ちょっとびっくりしちゃった。森辺の男衆をこんなにたくさん見るのは初めてだったから……」


「男衆は、そんなに町まで下りてこないですからね。……それで、いったい何がどうしたんですか?」


「うん? ああ、そうそう! 今日は屋台に行けなくてごめんって言いたかったんだ! アスタに会えて良かったよ」


 ようやく俺から身を離しつつ、それでもTシャツの生地はつかんだまま、ユーミは少し思いつめた感じで俺の顔を見上げてきた。


「ごめんって……別に謝るような話ではないでしょう?」


「だけどさ! アスタに誤解とかされたら嫌じゃん! 別に他の森辺の民が悪さをしたって、アスタたちのことをおかしな目で見たりはしないから! ……ね、明日も屋台を出してくれるよね? このままいなくなったりしないよね?」


「は、はい。一応その予定ですけれども……」


「そっか。よかった。……うちの親父みたいな石頭は多いけどさ。わかってる連中はみんなわかってるから! こんなことで、宿場町を嫌にならないでね?」


「……そんな風に言ってくださる方がいてくれれば、俺も大丈夫です」


 ユーミは、嬉しそうに微笑んだ。

 アイ=ファの視線は痛かったが、俺も心の奥深いところを癒される気がしてしまっていた。



 そうして、青の月の14日は、波乱の予兆を強く漂わせつつも平穏に終わり――ついに、その日がやってきたのだった。


 総勢20名以上の商団が、森辺の集落を通過して東の王国シムに向かう、青の月の15日である。


 その日、俺はその男といよいよ相まみえることになったのだ。

 スン家の人々に堕落と頽廃をもたらした諸悪の根源――スン本家の先代家長、ザッツ=スンと。

2期目(青の月8~17日)


・第7日目(青の月14日)



①食材費


『ギバ・バーガー』60人前……31.55a

『ミャームー焼き』90人前……41.55a

『ギバの角煮』40人前……22a


3品の合計=31.55+41.55+22=95.1a



②その他の諸経費


○人件費……39a

○場所代・屋台の貸出料(日割り)……4a

○ギバ肉……12a(ルウ家から購入)


合計……55a



諸経費=①+②=95.1+55a=150.1a


売り上げ=276(屋台138食分)+80(宿屋)=356a


純利益=356-150.1=205.9a



純利益の合計額=994.4+205.9=1200.3a

(ギバの角と牙およそ100頭分)


*干し肉は、1200グラム、18aの売り上げ。10日目にまとめて集計。

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