門出の日④~祝福~
2023.9/21 更新分 1/1
俺たちは人波と熱気をかき分けて、広場の中央を目指した。
そこには儀式の火が明々と燃えており、丸太の壇には5名の勇者が、敷物には6名の勇士が座している。さらに敷物にはジバ婆さんやミーア・レイ母さんやタリ=ルウの姿もあり、数々の宴料理が並べられていた。
外来の客人だけでも60名という人数であったため、そちらも大層な人混みである。祝福を捧げると言ってもただお祝いの言葉をかけるのみであるのだが、やはり実際に力比べを見届けた面々などは大いに余熱を残しているのだろう。リッドの家長たるラッド=リッドなどは壇の裏手に回り込み、豪快に笑いながらダン=ルティムと酒杯を酌み交わしていた。
すでにお祝いを済ませているシュミラル=リリンはひとり離脱して、ジバ婆さんのもとを目指す。俺とアイ=ファ、ユーミとジョウ=ラン、ユン=スドラとクルア=スンは、勇者の壇を取り囲む人垣に整列だ。熱気の渦巻く祝宴の場にあって、こちらにはいっそうの熱気が吹き荒れていた。
「なんだか、すごい賑わいですね。ルウの血族の猛々しさをあらためて思い知らされる心地です」
クルア=スンが小声でそのように言いたてると、ユン=スドラは笑顔で「そうですね」と応じた。
「いずれの氏族でも強き力を求めることに変わりはないのでしょうが、やっぱりルウとザザは猛々しさが異なっているのでしょう。それを目の当たりにした他の氏族の狩人たちも、血が騒いでならないのでしょうね」
ユン=スドラの言う通り、その場では男衆の盛り上がりが際立っていた。ルウの血族であれば女衆も同じように盛り上がっているのであろうが、外来の氏族の女衆の何割かは力比べそのものを目にしていないのだ。そしてその責任の一端は、俺に存在するのだった。
「俺の仕事を手伝うために、ユン=スドラたちは力比べを見届けられなかったんだもんね。やっぱりちょっと、心苦しく思っちゃうな」
「とんでもありません。女衆が力比べを見届けるというのは、その……伴侶に相応しい相手を見定めるという意味合いも強いので……わたしたちが、ルウの血族の力比べを無理に見届ける必要はないかと思います」
ユン=スドラはいくぶん頬を染めながら、そのように告げてきた。
クルア=スンは長い睫毛を伏せながら、「ええ」と同意の声をあげる。
「とりわけスンの家などは、ルウの血族と血の縁を結ぶこともなかなかありえないでしょう。たとえ他の血族と関わりのない婚儀というものが認められた現在でも、スン家が族長筋と血の縁を結ぶことはそうそう許されないはずです」
「うん、まあ、それはそうなのかな。でも、どうしても婚儀を挙げたいっていう人が出てきたら……絶対に許されないってことはないと思うよ?」
「そうかもしれませんね。でも、わたしは身をつつしみたく思います。……そうでなくとも、今はアスタの手伝いに力を尽くしたいと願っていますので」
「あはは。アスタを森辺の家人に迎えて唯一の弊害は、女衆の婚儀が遅れてしまうことかもしれませんね」
ユン=スドラは時おり見せる悪戯な表情で、そのように言いつのってきた。
なおかつ彼女は、俺に対する恋心を打ち捨てた身であるのだ。それで俺が目を白黒させていると、ユン=スドラはくすりと笑った。
「ただの軽口なのですから、そのように慌てないでください。……それとも、真面目な話をいたしましょうか?」
「ま、真面目な話というと?」
「森辺の民はいずれの氏族においても、魂を返す人間が減っています。それはひとえに、ファの家が豊かな生活をもたらしてくれたためでしょう。それでルウ家は真っ先に、家を分けることになったのでしょうからね」
そのように語りながら、ユン=スドラは幸せそうに目を細めた。
「だから、以前のように急いで子を生す必要もないということです。女衆の婚儀が数年遅くなったぐらいで、もはや氏族の存亡が脅かされる恐れはないでしょう。ファの家は森辺に大きな幸いをもたらしてくれたのですから、どうか胸をお張りください」
「……うん。ユン=スドラにそう言ってもらえるのは、誇らしい限りだよ」
「あはは。軽口を叩いてしまったおわびです」
と、ユン=スドラはまた無邪気な笑い声をあげる。
やっぱり本日は、彼女も昂揚しているのだろう。もともと色んな表情を持っているユン=スドラが、普段以上に惜しみなくそれをさらしてくれているようであった。
そうして楽しく語らっている内に、ようやく勇者の壇が眼前に迫ってくる。
真っ先に声をあげたのは、やはり我らがダン=ルティムであった。
「おお、アスタ! アスタたちの準備した料理は、いずれも素晴らしい出来栄えであったぞ! ギバを使っていない料理まで、ずいぶん美味いと思ってしまったな!」
「ああ、甲冑マロールのチリソース炒めですね。ダン=ルティムのお口にも合ったのならよかったです」
禿頭に草冠をのせたダン=ルティムは、いつも以上に笑みくずれている。愛息たるガズラン=ルティムと並んで勇者の壇に座すというのは、最高の心地であるのだろう。俺もぞんぶんに心を満たされながら、愛息のほうを振り返ることにした。
「あらためまして、ガズラン=ルティムもおめでとうございます。俺も誇らしさでいっぱいです」
「はい。休息の期間を終えたならば、この結果に恥じない力でギバ狩りの仕事を果たしたく思います」
陽気な父君とは対照的に、ガズラン=ルティムはこのような場でも沈着で誠実だ。しかし、そんな両名がそろっていることこそが、ルティムの大きな魅力なのだろうと思われた。
「ドンダ=ルウにダルム=ルウも、おめでとうございます。失礼ながら力比べは拝見できませんでしたが、ルウ本家の底力に感服させられました」
「ふん。そのように仕向けたのはこの俺なのだから、貴様が恐縮するいわれはあるまい」
ドンダ=ルウは素知らぬ顔で、土瓶の果実酒をあおった。
そのように仕向けたというのは、屋台の営業についてである。俺はいっそファの屋台も臨時休業にしてはどうかと考えたのだが、そこでドンダ=ルウが異を唱えてきたのだ。
「今は宿場町ばかりでなく、トゥランにおいても仕事を受け持っている。それでも血族の祝いを二の次にすることはできんが、血族ならぬ人間まで商売を二の次にする必要はなかろう」
それが、ドンダ=ルウの言い分であった。
宿場町とトゥランの仕事を臨時休業にすれば、俺も朝から宴料理の準備に取り組み、力比べを観戦することもできた。しかしドンダ=ルウは、それよりも町の仕事を重んずるべしという主張であったのだ。
それはきっと、血族の祝いと町での仕事をどちらも二の次にはしないという信念に基づいているのだろう。それで俺も、ドンダ=ルウの提言に従うことになったわけであった。
「ほんの3日ずらすだけで、屋台の休業日に収穫祭を行うことができたわけですが……このたびは、休息の期間に新たな集落を開くという仕事も控えていますからね。なおかつ雨季も迫っているため、3日といえども日をずらすべきではないという話に落ち着いたのです」
と、ガズラン=ルティムが横からそのように言い添えてきた。
ドンダ=ルウは、不機嫌なライオンのように「ふん」と鼻を鳴らす。
「そうでなくとも、ギバの去った狩り場で3日も遊びほうける理由はない。どれだけ豊かになろうとも、ギバ狩りの仕事をおざなりにすることは許されんのだ」
「はい。今日の祝宴に招いていただけただけで十分に嬉しいですし、宴料理の準備まで任せていただけたのですから、なおさらです。今日は色々とありがとうございました」
ドンダ=ルウは巨体を揺するばかりで、何も答えようとしなかった。
すると、無言であったダルム=ルウが指先でちょいちょいと俺を招いてくる。俺がそれに従うと、首筋に手をかけられてさらに引き寄せられることになった。
「……シーラとドンティのもとには、もう向かったのか?」
極限までひそめられた声で、そのように囁きかけられた。横並びで座したこの場では、それぐらい声をひそめないと盗み聞きされてしまうのだ。
「あ、いえ。菓子が出されるタイミングでおうかがいしようかと思っていたのですが……」
「……たいみんぐ?」
「あ、すみません。頃合いという意味です」
ダルム=ルウは狩人の膂力で俺の首筋を圧迫しながら、さらに囁きかけてきた。
「俺は何でもかまわんが、シーラはお前に挨拶をしたがっているのだ。リャダ=ルウからも、そのように聞いているはずだな?」
「あ、はい。確かにおうかがいしています」
「……約定を違えるなよ?」
それだけ言って、ダルム=ルウは俺を解放してくれた。
すると、すぐさま仏頂面のアイ=ファがずいっと進み出る。
「ダルム=ルウよ。このような場で秘密ごととは、感心せんな」
「……やかましいぞ。こいつはもう幼子ではないのだから、いちいち口をはさむな」
ダルム=ルウは、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
するとアイ=ファは横目でこちらをにらみつけてきたので、俺は「あとでな」と笑顔を返してみせる。いかに些末な話であっても、ファの家において秘密ごとは厳禁であるのだ。
そんな一幕を経て、俺はようやくシン=ルウに挨拶をすることができた。壇の端に座したシン=ルウはゲオル=ザザやらレム=ドムやらに囲まれていたため、そちらの輪に入らないと言葉も届けられなかったのだ。
「ちょっと失礼しますね。シン=ルウ、勇者と勇士の座の獲得、おめでとう。今日は二重でおめでたい日になったね」
シン=ルウは落ち着いた面持ちで、ただ「うむ」と首肯した。
すると、ゲオル=ザザが代わりに声をあげてくる。すでにすいぶん酒が入っている様子であった。
「確かにこやつは、的当ても木登りもたいそうな力量であった! しかし、棒引きでも闘技でも勇士にすら届かぬとはな! これでは、俺の面目まで潰れてしまうわ!」
「ふん。自分の面目は、自分で守りなさいよ。あなたは余興の力比べでも、シン=ルウに勝てた試しがないものね」
「それは、お前も同じことだろうが!」
「わたしはシン=ルウより若年だし、いまだ見習いの身分なのだからね。これからじっくり追いついてみせるわよ」
俺の記憶に間違いがなければ、ゲオル=ザザはシン=ルウと同い年で、レム=ドムはそのひとつ下であるはずだ。ゲオル=ザザはギバの毛皮のかぶりものの陰で「ふん!」と顔をしかめたが、その目は楽しげに笑っていた。
「ともあれ、ジェノスの剣王もルウの力比べでは、このざまだ! レイリスたちとて、俺と同じ心持ちだろうよ!」
「だから、剣王にも届かなかったわたしたちには、何を言う資格もないでしょうよ」
そんな風に言ってから、レム=ドムはいっそう皮肉っぽく口の端を上げた。
「それにしても、あなたもずいぶんくだけたものね、ゲオル=ザザ。以前はシン=ルウより未熟だと言われただけで、眉を吊り上げていなかったかしら?」
「実際に手を合わせてその結果であったのだから、事実は事実として認める他あるまい! あとは黙って、修練を積むだけだ!」
「だったら、黙っていなさいよ。言っていることが、支離滅裂よ」
なんだか、普段以上に豪快かつ軽妙なやりとりである。ゲオル=ザザもレム=ドムも年々大人びているのに、何だか子供に返ってしまったようだ。
(……つまりそれだけ、シン=ルウが新たな氏族の家長になることを喜んでるのかな)
ゲオル=ザザもレム=ドムも向上心が豊かであるために、シン=ルウの力量には感服しているはずだ。そしていつしかシン=ルウの人柄にも心をひかれていたのだろうか。そうであるならば、俺も喜ばしく思うばかりであった。
(まあ、シン=ルウの魅力は俺だってわきまえてるからな)
最近はめっきり込み入った話をする機会も減ってしまっていたが、俺にとってもシン=ルウは特別な存在だ。俺としては、ルド=ルウの次に親しくさせてもらった、古き時代からの若き友人であったのだった。
「……アスタよ。のちほど、時間を作ってもらえるか?」
と、シン=ルウがふいにそのようなことを言い出した。
俺は「もちろん」と笑顔を返してみせる。
「俺はいつだって、シン=ルウと話したいと思ってるよ。何か特別な用事でもあるのかな?」
「いや。ただ、今日という日にアスタと語らっておきたいだけだ」
そう言って、シン=ルウははにかむように微笑んでくれた。
シン=ルウもすっかり大人びていたが、その内には以前と同じやわらかな一面が隠されているのだ。それで俺は、いっそう気持ちを浮き立たせることになった。
「まだまだ祝宴は始まったばかりだからね。ここから動けるようになったら、声をかけておくれよ」
「うむ。こちらから探すので、アスタも自由に祝宴を楽しんでくれ」
「わかった。そのときを楽しみにしているよ」
俺の後ろにはまだまだたくさんの人々が押し寄せていたため、その場はそこで切り上げることにした。
次なるは、勇士たちが控える敷物だ。ジザ=ルウ、ルド=ルウ、ディグド=ルウ、ジーダ、ラウ=レイ、ジィ=マァムと、こちらも個性的な面々が寄り集まっていた。
「おお、アスタにアイ=ファ! やっと顔を見せてくれたな! ずいぶん遅かったではないか!」
こちらでは、ラウ=レイが真っ先に声をあげてくる。そして、ヤミル=レイがそのかたわらに控えているのはいつものことであったが――本日は、ラウ=レイの手ががっしりとヤミル=レイの肩を抱いていた。
「ラウ=レイ、勇士の座の獲得、おめでとう。……えーと、これはどういう状況なのかな?」
「どういう状況もへったくれもないわね。この浅はかな家長は、ただ酔いどれているだけよ」
宴衣装の効果で普段以上に妖艶なヤミル=レイは冷ややかな仏頂面で、そのように言い捨てた。
「わたしはなんべん引っぱたいたかわからないぐらいで、こっちの手が痛くなってしまったわよ。……おかしな冷やかしをかけるようだったら今後のつきあいかたを考えさせてもらうので、そのつもりでね」
「はい。ヤミル=レイを敵に回すのは怖すぎるので、大人しくしておきます」
半ば本気で、俺はそのように答えることにした。
いっぽうアイ=ファは、神妙な面持ちでジザ=ルウのもとに膝をついている。
「ジザ=ルウよ。闘技の勝負は惜しかったな。しかしあれは、ジザ=ルウをあそこまで追い込んだルド=ルウの成長をほめるべきであろう」
「うむ。弟の成長は、俺としても心強いばかりだ」
ジザ=ルウはそのルド=ルウに勝利していたが、そこで力を使い果たしてガズラン=ルティムにあっさり敗れることになったのだ。しかし、ルウの血族の力比べで準決勝戦まで進めただけで、大した話であるはずであった。
「そしてまた、古きよりの朋友たるガズラン=ルティムが勇者になったことも、心から喜ばしく思っている。……俺が無念に打ち沈んでいると思っているなら、余計な懸念であると言わせてもらおう」
「そのようなつもりではなかった。……あるいは、私のほうこそジザ=ルウの敗北を無念に思っていたのやもしれんな」
アイ=ファがそのように答えると、ジザ=ルウはけげんそうに眉をひそめた。
「何故だ? アイ=ファは俺よりも、ガズラン=ルティムと親しくしているはずだが」
「何故と言われても返答に困るが、ただそう思ったのだ。ジザ=ルウは、勇者に相応しい狩人であるからな」
ジザ=ルウはひそめていた眉を開くと、もともと微笑んでいるように見える顔に本当の微笑をたたえた。
「よくわからんが、その言葉はありがたく受け取っておこう。……ところで、アスタよ」
「はい。なんでしょう?」
「今日は、ギバを使っていない宴料理が出されていたようだ。その目的を、聞いておきたい」
俺はたちまち、背筋をのばすことになった。
「はい。最近はいずれの氏族でもギバを使わない魚介の料理を出すことも少なくないと聞き及び、俺もこの祝宴で手掛けてみた次第です」
「ふむ。……魚介という食材には、ギバと異なる滋養が含まれているという話であったな?」
「はい。さらに言うなら、ギバを使っていない料理を食することで、ギバ料理の素晴らしさを再確認できるのではないかという思いも携えています」
ジザ=ルウは糸のように細い目でじっと俺を見つめてから、「そうか」とうなずいた。
「アスタの思惑は、承知した。あとは自分の身で、その是非を見定めようと思う」
「はい。よろしくお願いします」
ジザ=ルウは次代の族長として、俺の行いを厳しく見定めると宣言している身であった。それも、俺が道を踏み外したならばジザ=ルウがその手で斬り捨てるので、自分の信ずる道を憂いなく進むといい――という、強烈に過ぎる叱咤激励であったのだ。その言葉と同時に受け取ったギバの牙とともに、俺がその重さを忘れることはなかった。
(……忘れてはないんだけど、今のは不意打ちだったな。まあ、ジザ=ルウらしいと言えばジザ=ルウらしいけどさ)
そんな風に考えながら、俺は残りの面々に目をやった。ルド=ルウとジーダとディグド=ルウはひとつの輪を作り、挨拶に出向いた人々の相手をしていたのだ。
「みなさん、おめでとうございます。俺からも、祝福を捧げさせてください」
「よー、アスタ。そんなかしこまる必要はねーだろー?」
「いや、これはディグド=ルウも含めてのご挨拶だからさ」
ディグド=ルウは年長である上に、古傷だらけの強面と猛々しい気配をあわせもつ迫力満点の御仁であるのだ。どちらかというとダルム=ルウに似たすらりとした体形であるのだが、剥き出しの闘志がひとまわり身体を大きく見せているような印象であった。
「ファの家のアスタか。口をきくのは、ひさかたぶりだな。今日の料理も、美味かったぞ」
「そうですか。お口に合ったのなら、何よりです」
「ふん。どれだけ目新しい食材というやつが増えても、お前につけ入る隙はないようだ。立派すぎて、鼻につくほどだな」
そう言って、ディグド=ルウはにやりと笑った。
彼は顔中の古傷によって皮膚が引き攣れて、顔そのものが歪んでしまっている。だからこうして笑うだけで、いかにも恐ろしげな顔になってしまうのだ。なおかつ、勇猛な気性がいっそうの凄みを生んでしまうのだが――ただ、根っこの部分は誠実な人柄であるのだと、俺はそのように信じることができていた。
(家族を大切に思う気持ちは、人一倍って話だもんな。ある意味では、ルウ家を象徴するようなお人なんだろう)
そんな彼も、家族ともども新たな氏族として生きることになる。それでかつてはどちらが新たな氏族の家長になるべきか、シン=ルウと闘技の力比べを行うことになったのだ。そうして地力ではまさるはずのディグド=ルウは、シン=ルウに敗れてしまったわけだが――それこそが母なる森の思し召しなのだろうと、彼は勇猛に笑っていたのだった。
「ディグド=ルウにとっても特別なこの夜に宴料理を任せてもらえたのは、俺にとっても大きな喜びです。この後の儀式も、しっかり見届けさせていただきますね」
「ふふん。特別な夜、か。……それはこれほど特別な夜など、そうそうありえないだろうな」
そう言って、ディグド=ルウは強く輝く青灰色の瞳を夜空に向けた。
「まさか、このルウの集落を離れて生きていくことになるなど、俺の家族とて誰ひとり想像していなかったはずだ。まあ女衆であれば余所の血族に嫁入りすることもありえるのだろうが……男衆であれば、なおさらにな」
「ふーん。さすがのディグド=ルウでも、さすがに感傷的になってるみたいだなー」
「それは当然の話だろうよ。とっととこのような場は切り上げて、心を乱している家族のもとに戻ってやりたいものだ」
ディグド=ルウが不敵かつ恐ろしげな笑顔でそのように応じると、ジーダも低く声をあげた。
「ディグド=ルウの家は家長のもとにしっかり結束しているので、きっとそうまで心を乱してはいないだろう。……ディグド=ルウやシン=ルウは、分家の家長として俺の手本だった。たとえ離れて暮らすことになろうとも、俺は今後もディグド=ルウたちを見習わせてもらいたく思っている」
「ふん。お前からそのように殊勝な言葉を聞かされるのは、初めてのことだな」
「うむ。今日は、特別な夜だからな」
と、ジーダは目もとだけで微笑んだ。
そしてアイ=ファも、ジーダと同じような眼差しでそのやりとりを見守っている。それに気づいたディグド=ルウが、また「ふん」と鼻を鳴らした。
「どいつもこいつも、今日は心がゆるみまくっているようだな。余興の力比べで恥をかかないように、せいぜい気を引き締めておくがいい」
「余興の力比べでどのような姿をさらそうとも、恥になることはあるまい。それよりも、私は心安らかにこの夜の様相を見守りたく思っている」
「それでもいざ余興が始まれば、そこら中の狩人がお前のもとに駆けつけるのだろうからな。あまりぶざまな姿をさらすと、そこの家人が嘆き悲しむぞ」
そこの家人とは、もちろん俺のことである。
しかし俺は怪我さえなければ、何があっても嘆き悲しむつもりはなかった。
「ともあれ、ルウの勇士たちを祝福する。時間があれば、またのちほどな」
そうして俺たちは後続の人々に席を譲り、遠からぬ場所でくつろいでいるジバ婆さんたちのもとを目指すことにした。
ミーア・レイ母さんとタリ=ルウにはさまれたジバ婆さんが、シュミラル=リリンと語らっている。俺とアイ=ファがそこに加わると、ジバ婆さんは嬉しそうに皺くちゃの顔で笑ってくれた。
「ああ、アスタはやっと挨拶をできたねえ……今日の宴料理も、みんな立派だったよ……」
「ありがとうございます。今日はひときわ嬉しい1日ですね」
「うん、まったくねぇ……まさかあたしが生きている内に、新しい眷族の生まれるさまを見られるとは思っていなかったよ……」
やはり誰もが、思いはひとつであるようだ。
しかしその中でも、ジバ婆さんはひときわ深い感慨を噛みしめているはずであった。誰よりも長き生を過ごしているジバ婆さんは、誰よりも数多くの滅びを見届けてきたはずであるのだ。
「……私、黒き森の時代、お話、うかがっていました。当時から、血族ならぬ氏族、交流、薄かったようですが……やはり、賑わい、今以上であったようです」
シュミラル=リリンがそのように語ると、ジバ婆さんは「うん……」とまぶたの垂れた目をいっそう細めた。
「まあその頃のあたしなんて、5歳かそこらだったから……大したことは覚えちゃいないんだけどさ……ルウだけで、10ぐらいの眷族があったんじゃないかねぇ……だから、余所の氏族と顔をあわせる機会がなくっても、十分に賑やかだったのさ……」
「……10もあった眷族が、みんな滅んでしまったんですねぇ」
と、タリ=ルウが静かな声で相槌を打った。
ジバ婆さんは決して悲しい思いを覗かせることなく、「うん……」とうなずく。
「このモルガの森に辿り着くまでの間にも、いくつかの眷族が滅んだはずだよ……何せ、一族の半分ぐらいはそこで魂を返しちまったんだからさ……もともと家人の少なかった氏族は、そこで氏を捨てることになっちまっただろうねえ……」
「それで生き残った眷族も、このモルガの森でみんなルウの家人になって……その後に、ルティムやレイと血の縁を結んだってわけですねぇ」
「うん……それはあたしの子が大きく育った後の話だから、そんなに昔の話じゃないさ……まあ……それでも50年ぐらいは経ってるんだろうけどねぇ……」
つまり、最初の30年ほどで、もともとの眷族はのきなみルウの家人となったわけである。ジバ婆さんは、それだけの滅びを目にしてきたわけであった。
「あの頃は、生きることに必死だったから……ルティムやレイと血の縁を結んだときも、嬉しいってよりはほっとしたって気持ちのほうが大きかったように思うねぇ……」
「その頃のジバ婆は、家長であったのであろう? であれば、なおさらであろうな」
アイ=ファの言葉に、ジバ婆さんは「ふふ……」と微笑んだ。
「あたしなんて、名ばかりの家長さ……年頃の家人はみんな眷族の生まれだったんで、本家で一番年をくっていたあたしが家長を名乗るしかなかったんだよ……アイ=ファみたいに立派な家長とは比べようもないさ……」
「私など、人の家人はアスタしか持たぬ身だ。何十名もの血族を導いたジバ婆とは、それこそ比べようもなかろう」
「そんなことはないよ……みんなの支えがあったから、あたしも大きな顔をできたってだけさ……ミンやマァムと血の縁を結べたのは、ルティムやレイのおかげだろうしねえ……」
そう言って、ジバ婆さんは遠い眼差しをした。
「それでドグランが家長になってからは、ムファと血の縁を結ぶことができて……ドンダが家長になってからは、リリンと血の縁を結ぶことができたわけだけど……それはみんな、滅びからまぬがれるための行いだからねえ……新しい氏族が生まれるっていうのとは、まったく違う話なんだと思うよ……」
「うん。これは文字通り、子が生まれるのと同じことなんだろうからね」
ずっと笑顔でみんなのやりとりを見守っていたミーア・レイ母さんが、のんびりした口調でそう言った。
「でもそれも、最長老やドグランやドンダの頑張りがあってのことさ。色んな氏族を血族に迎えて、これだけの力をつけることができたからこそ、新しい子を生むこともできるんだよ。だからどうか最長老も、めいっぱい誇らしく思っておくれよ」
「ふふ……心配しなくても、あたしは誇らしさでいっぱいさ……こんなにたくさんの血族に囲まれて、誇らしくないわけがないじゃないか……」
そんな風に語るジバ婆さんは、とても静謐な表情をしており――俺は何だか、胸が詰まってやまなかった。
本日新たな氏を授かるシン=ルウやディグド=ルウは、ジバ婆さんにとって直系の曾孫であるのだ。シン=ルウの父親たるリャダ=ルウも、すでに魂を返しているというディグド=ルウの父親も、ドンダ=ルウの弟であるのだから、それはジバ婆さんの子であるドグラン=ルウという人物の子たちであったのだった。
さらに言うならば、ガズラン=ルティムも血筋の上では同様の立場となる。彼の祖父たるラー=ルティムの伴侶こそが、ドグラン=ルウの妹か姉であるのだ。他にも俺の知らないところで、ジバ婆さんの血は脈々と受け継がれているはずであった。
(だからこれは本当に、ジバ婆さんにとっても新しい子供が生まれるようなものなんだろう)
間もなく88歳になろうとしている身で、そんな喜びを授かれるというのは――やっぱり、母なる森の思し召しなのだろうか。
そんな風に考えると、俺はいっそう胸が詰まってならなかったのだった。




