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異世界料理道  作者: EDA
第八十一章 壮途の宴
1395/1696

麗風の会、再び③~無限の可能性~

2023.9/3 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。


「では次は、いよいよトゥール=ディン殿の菓子でありますな!」


 ダカルマス殿下の弾んだ声に従って、次なる菓子の皿が運ばれてきた。

 トゥール=ディンが準備した3種の菓子の、ひと品目である。最初に供されたのは、パイをイメージした焼き菓子であった。


「ほうほう! トゥール=ディン殿の菓子にしては、まったく外連味のない外見でありますな! それで余計に、期待をかきたてられてしまいますぞ!」


 そちらの焼き菓子だけで、3種の味が準備されている。城下町の立派なオーブンで焼かれたその焼き菓子は5センチ四方で切り分けられており、いずれもひと口サイズであった。


「むむ? これは――」と、さっそくそのひとつを口に入れたダカルマス殿下は、もともと大きな目をくわっと見開いた。


「こちらの菓子は、かれーの味がいたしますぞ! 以前の『麗風の会』においては、アスタ殿が菓子にかれーの味を施すという趣向を披露したそうですな!」


「は、はい。アスタの作りあげた塩気のある菓子は、以前の『麗風の会』でもとても好評でしたので……それを真似させていただきました」


 俺は前回の『麗風の会』で、3種の煎餅をお披露目したのだ。甘い菓子だけで昼の食事を済ませるのは森辺の民の流儀ではなかったし、塩気のある菓子は他の面々が作りあげる甘い菓子を引き立てる役目も果たせるのではないかと思案した結果であった。


 それにならって、トゥール=ディンもこちらの菓子を考案した。煎餅ではまるきり模倣になってしまうため、それを焼き菓子にアレンジしたのだ。なおかつ、パイに似た菓子というのは、俺ではなくヤンから習い覚えた手法となる。こちらの焼き菓子のさくさくとした食感も、カレーを筆頭とする味付けにきわめて調和したのだった。


 カレーは俺の煎餅と同じように、パウダー状に仕上げられた上で塩や砂糖が加えられている。カレーとしての風味は守りつつ、菓子に相応しい味わいを目指しているのだ。辛いというよりは、甘じょっぱい味付けであるはずであった。


 残りの2種も俺の煎餅を踏襲して、ミソ風味と梅じそ風味である。ただしそちらは砂糖ではなく花蜜を使用しているため、さらにまろやかな甘さであり――そしてやっぱり、塩気もぞんぶんにきかせていた。


「わたしもアスタ様の手腕については、あちこちから聞き及んでいましたが……これは確かに、お見事な手腕であるかと思われます!」


 小さな背中をわなわなと震わせながら、デルシェア姫がそのように言いたてた。


「これはまさしく、他の菓子を引き立てる味わいでありましょう! それでいて、こちらの菓子そのものも素晴らしい味わいです! わたしたちはまだ2種の菓子しか口にしていませんが、甘さにひたっていた舌が塩や香草で清められた心地です!」


「うむ! まったくでありますな! こちらは単体の菓子としても、きわめて美味ですぞ! それでいて、複数の菓子を口にする『麗風の会』という催しに、きわめて相応しい味わいであるのでしょう! まったくもって、お見事であります!」


「あ、い、いえ。わたしはただ、アスタの手法にならっただけですので……」


 トゥール=ディンがおずおずと答えると、ダカルマス殿下の大きな目が俺に向けられてきた。


「森辺の方々は、アスタ殿の料理や菓子を再現する手腕に長けております! こちらも、アスタ殿の菓子の再現なのでありましょうかな?」


「いえ。味付けの案を見習っただけで、それ以外はすべてトゥール=ディンの手腕です。味の調合からしてまったく違っていますので、再現の名には値しないかと思われます」


「では! アスタ殿を師と崇めるトゥール=ディン殿の功績というわけですな! おふたりの幸福な師弟関係に、心よりの祝福を捧げさせていただきますぞ!」


 ダカルマス殿下のそんな言葉に、トゥール=ディンは顔を赤くしてうつむいてしまう。その隣では、オディフィアが頭上に音符のマークを浮かべつつ3種の焼き菓子をさくさく食していた。ついにトゥール=ディンの菓子まで辿り着き、オディフィアのご機嫌もいよいよ上々であるようだ。


「若き貴婦人は甘い菓子だけで昼の軽食を済ませることも少なくないですが、我々はそういうわけにもまいりません。そんな我々にとっても、こちらの菓子はありがたい限りです」


 マルスタインも、ゆったりとした笑顔でそのように語っていた。

 そして俺の隣では、アイ=ファも満足げに口を動かしていたが――俺のほうをちらりと見やるその目には、「どうせだったら煎餅を食べたかった」という内心がこぼれていた。


「こちら、かし、きわめて、びみです。かれー、かし、つかえる、かんがえていませんでした」


 と、ピリヴィシュロも小さな手で口もとを隠しながら、俺に感想を伝えてくれた。ピリヴィシュロがこういう場で自ら発言するのは珍しかったので、よほど感銘を受けたのだろう。俺は心からの笑顔で「ありがとうございます」と答えてみせた。


「では、次なる菓子をいただきましょう! 塩気と香草で洗われた舌でどのような菓子を味わわさせていただけるのか、楽しみなばかりですな!」


 空の皿がさげられて、新たな皿が届けられる。そしてトゥール=ディンの指示で、新たなブケラの茶が注がれた。

 2種目は試食の祝宴でもお披露目された、『凝り豆プリン』である。ただしそちらも3種に分けられて、それぞれ異なるソースが掛けられていた。


「ほうほう! 凝り豆ぷりんでありましたか! こちらも再び食せる日を心待ちにしておりましたぞ!」


 ダカルマス殿下に不満そうな様子がなかったので、トゥール=ディンはほっと安堵の息をついていた。こちらの卓についている面々は、6日前にも同じ菓子を口にしたばかりであったのだ。ただ本日は試食の祝宴に参席できなかった貴婦人がたも多数来場しているので、そちらはダカルマス殿下以上に喜んでいるはずであった。


 それに前回は、サクランボに似たマホタリのシロップしか準備できなかった。今回はそこにさらなる細工を施して立派なソースに仕上げていたし、その他にイーナとエランのソースも準備していたのだった。


『凝り豆プリン』は匙で丸くすくったものが、皿にちょこんとのせられている。そこに色とりどりのソースが掛けられているのだ。

 ソースの基本は果実を煮込んだ上で、さまざまな調味料を加えている。甘さがひかえめのマホタリには花蜜、西洋ナシに似たイーナにはシナモンに似た香草とレモンに似たシールの果汁、マンゴーに似たエランには生クリームなどなどだ。それ以外にもわずかな塩やカロン乳や豆乳など、トゥール=ディンのセンスによって繊細に味が組み上げられていた。


「つい10日ほど前に手にしたばかりの、エランとイーナとマホタリを使っているのですか……そもそも凝り豆だって、トゥール=ディン様は10日前に手にしたばかりでありますのに……」


 と、デルシェア姫はまた小さな背中をわなわなと震わせてしまっている。いっぽうオディフィアはこれまで以上に瞳を輝かせており、ピリヴィシュロも口もとを隠すのに懸命であった。


 しかし、こちらに準備されたのはひとつの味付けに対してひと口ずつの分量だ。トゥール=ディンの菓子は入念にゆっくりと味わうオディフィアでも、あっという間に食べ終えてしまう。それでオディフィアがしょんぼり肩を落とすと、トゥール=ディンは慌ててそちらに呼びかけた。


「ここは味見の場だと聞いていたので、ひと口ずつ運んでいただいたのです。どの菓子もたくさん準備していますので、あとでゆっくりお楽しみください」


 たちまちオディフィアは瞳の輝きを取り戻し、トゥール=ディンに抱きつきたいのをこらえるようにそわそわと身を揺すった。それに気づいたエウリフィアは優しげに微笑み、正面のメルフリードもひそかに灰色の目を細めていた。


 ダカルマス殿下とデルシェア姫が賑やかであるためか、ずっと静かにしている人間が多い。俺はまだメルフリードやフェルメスやアルヴァッハ、ロブロスやフォルタの声を一度も聞いていないような気がする。席が遠い人々は、俺の気づかないところでひそかに言葉を交わしているのかもしれないが、そんなものは王家の父娘の元気な声にかき消されてしまうのだ。

 すると――ダカルマス殿下が、初めてかたわらのロブロスを振り返った。


「ロブロス殿は、如何でありましょうかな? リミ=ルウ殿の菓子を味わえなかった無念を少しでも晴らされたのなら、幸いであるのですが!」


 ロブロスが珍しくも「あ、いや……」と口ごもると、エウリフィアがすかさず声をあげた。


「ロブロス殿は、リミ=ルウの菓子を楽しみにしておられたのですか? それは、存じませんでしたわ」


「はい! ロブロス殿が最初に味わったのは、リミ=ルウ殿の菓子であるというお話でありましたからな! もちろんトゥール=ディン殿の手腕に不満などは持ちようもありませんでしょうが、やはり最初に受けた衝撃というのは忘れ難いようであります! かつての試食会においても、ロブロス殿はリミ=ルウ殿の菓子に強く感銘を受けられたご様子でありましたしな!」


 ダカルマス殿下が言葉を重ねるごとにロブロスの顔はどんどん厳しくなっていき、もはや仏頂面と思われかねない形相だ。いっぽうフォルタはとても気の毒そうにロブロスの姿を見下ろしていた。


「……わたしとリミ=ルウでは多少ながら好みに違いがありますので、きっとご不満の気持ちをなくすことはできないのでしょうね。そちらのお気持ちに沿うことができなくて、申し訳ありません」


「何を仰います! トゥール=ディン殿に3種の菓子を準備していただきたいとお願いしたのは、このわたしなのですからな! トゥール=ディン殿が頭を下げる必要はございません! ロブロス殿も、どうかご不満はわたしひとりにお願いいたしますぞ!」


「……これだけ立派な菓子を供されて、不満など持ちようはございません」


 ロブロスとしては、そのように答えるしかなかったことだろう。ダカルマス殿下は今にもその背中を叩きそうな勢いで身を乗り出し、にっこりと笑った。


「もちろんわたしも、リミ=ルウ殿の手腕を楽しみにしている身です! いずれはリミ=ルウ殿にも、ぞんぶんに腕をふるっていただきましょう! その日が、待ち遠しいことですな!」


 という感じに、ダカルマス殿下の騒がしさで始まり、ダカルマス殿下の騒がしさで終わってしまう。俺としても、ロブロスがリミ=ルウの菓子を味わえる日が早く到来することを祈るしかないようであった。


「では、ついに最後のひと品でありますな! もはや心は十全に満たされておりますが、それでも期待はふくらむいっぽうでありますぞ!」


「は、はい。最後はその、まだまだ考案のさなかである菓子もまじってしまっているのですが……他の菓子の引き立て役と思っていただけたら幸いです」


 トゥール=ディンはそのように語っていたが、きっと不満を持たれることはないだろう。俺も先日味見をさせていただいたが、そちらの完成度も他の菓子にまったく負けていなかった。


 そうして最後に運ばれてきたのは、こういった場でも定番であるロールケーキである。直径5センチていどで2センチぐらいの厚みに切り分けられた、とても可愛らしいサイズだ。

 そちらも、3種が準備されている。ひとつはプレーンを思わせる黄色みがかった生地に白いクリーム、もうひとつは淡い青紫色の生地に黄色みがかったクリーム、そして黒褐色の生地に淡い褐色のクリームという、バラエティにとんだ色合いであった。


「ほうほう! 最後も焼き菓子でありましたか! しかしこういった菓子にこそ作り手の技量が示されることは、すでに幾度となく証明されておりますからな!」


 ダカルマス殿下は、プレーンに見えるロールケーキを手に取った。トゥール=ディンは慌てた顔をしたが、止める間もなくそちらは口に運ばれてしまう。それこそが、いまだ研究段階であるひと品であったのだ。


 だが――ダカルマス殿下の目は、これまでで最大の大きさに見開かれることになった。

 俺が先日味わわされたのと同じ驚きに見舞われたのだろう。それは完成度が高いばかりでなく、きわめて目新しい味わいであったのだ。


「こちらは……イーナとエランが使われておるのですな……?」


「は、はい。10日ていどの日しかありませんでしたし、わたしは凝り豆ぷりんのほうを優先していましたので……そちらはまだまだ、味を組み上げているさなかとなります」


「しかし……しかしこれは、美味ですぞ!」


 ダカルマス殿下は、これまでで一番の大きな声を張り上げる。

 そしてそのかたわらでは、ついにデルシェア姫が卓に突っ伏していた。


「本当です……わたしたちにとっては馴染みの深いエランと、10日ばかり前に知ったばかりのイーナが、またとない調和を果たしています……トゥール=ディン様はどちらの果実も最近手にされたばかりであるのに、もうこれほどの菓子を作りあげることがかなうだなんて……」


 西洋ナシのごときイーナはクリームに、マンゴーのごときエランは生地のほうに使われている。イーナはもともと淡い色合いであるし、エランの色彩はもともと生地に使っている卵の色合いに隠されて、一見はプレーンのロールケーキに見えてしまうわけであった。


 マンゴー味の生地というのは、きっと俺の故郷でもそれほど珍しくはないのだろう。しかしそこは、トゥール=ディンの手腕である。エランの強い甘みが嫌味になってしまわないように、細心の注意を払って味の調合が為されていた。

 クリームのほうは、さらに繊細な味わいである。西洋ナシのごときイーナのやわらかな風味をめいっぱい活かせるように、こちらも何度となく試作を繰り返したのだという話であった。


 秀逸であるのは、それらの異なる果実を使った生地とクリームを組み合わせたことである。きっと単体の果実であれば、難なく調和を目指せていたのだ。それも生半可な料理人であれば簡単な話ではないのだろうが、トゥール=ディンであればすみやかに理想の味を組み上げられたのだろうと思われた。

 しかし、トゥール=ディンの発想はそこで止まらなかった。エラン味の生地とイーナ味のクリームならば独自の調和を目指せるのではないかと思いたち、さらなる研究を重ねることになったのである。


 こちらの菓子は、その試作品となる。

 しかし、他の菓子に負けない完成度であるのだ。きっとその先には、他の菓子では得られないさらなる調和がひそんでいるのだろうと思われた。


「なるほど……残る2種の菓子についても、同じ試みが為されているのですね」


 そのように声をあげたのは、フェルメスだ。彼もずっと静かにしていたひとりであったが、菓子であれば問題なく食せるし、ついでにティカトラスも同席していないためか、最初からご機嫌のうるわしそうな面持ちであった。


「同じ試みということは、生地とくりーむで異なる味付けが施されているということですな!」


 我に返ったダカルマス殿下が、ふたつ目の菓子を頬張った。淡い青紫色の生地に黄色みがかったクリームであるそちらは、干しブドウに似たリッケとサツマイモに似たノ・ギーゴの組み合わせである。そちらでは、リッケの清涼なる風味とノ・ギーゴのまろやかな甘みがまた妙なる調和を見せているはずであった。


 そして黒褐色の生地に淡い褐色のクリームというのは果実ではなく、ギギのチョコレートとピーナッツに似たラマンパクリームの組み合わせとなる。こちらは俺の故郷であれば珍しくなさそうな組み合わせであったものの、やはりトゥール=ディンの手腕で素晴らしい味わいに仕上げられていた。


 デルシェア姫は卓に突っ伏しっぱなしという王家の姫君にあるまじき姿であるし、ダカルマス殿下は恍惚とした面持ちで言葉を失ってしまっている。すると、アルヴァッハが狩人の気迫を撒き散らしながら「いいだろうか?」と初めて口を開いた。


「我、のちほど、感想、伝える場、作っていただく、予定であったが、このひと品のみ、この場、語らせてもらいたい」


 ダカルマス殿下は陶然とした面持ちのまま、「どうぞ」とうながした。

 たちまちアルヴァッハは、堰を切ったように東の言葉で語り始める。ナナクエムは溜息をこらえており、フォルタは嫌そうな顔をしていたが、アルヴァッハもついに熱情の内圧に負けてしまったようであった。


「では、通訳させていただきます。……トゥール=ディンの手掛けるろーるけーきに関しては、昔日より何度となく口にする機会に恵まれている。その素晴らしい出来栄えには毎回感服させられていたが、今日この場で抱かされたのはそれともまた質の異なる驚きと感動である。生地とくりーむで異なる味を掛け合わせるというのはそうまで目新しい手法ではないはずであるのに、その完成度の高さが我々の胸を打ち震わせてやまないのであろう。そしてこれは、ろーるけーきという菓子に無限の可能性が秘められているという事実を示している。世にあまたある果実の組み合わせだけで、いったい何種の調和を目指せるものであるのか、それを想像しただけで我はいっそうの感動を禁じ得ない。これは、アスタの作りあげるさまざまなかれーにも通ずる思いである。そして……デルシェアの見事な手腕によって、その可能性はいっそう無限の広がりを見せるのではないだろうか?」


 フェルメスの優雅なチェロの音色を思わせる声に、デルシェア姫はゆっくりと身を起こした。

 フェルメスはそちらに微笑みかけてから、さらに言葉を重ねる。


「それはすなわち、エランを他の果実に掛け合わせる手腕についてである。トゥール=ディンも語っていた通り、デルシェアの手掛けた菓子には未知なる果実のごとき味わいが生まれていた。果実と果実を掛け合わせることでそのような調和を目指せるのであれば、それだけでも無限の可能性が広がるに相違ない。もちろんそれはエラン独自の特性であるという可能性も否めないが……たとえそうであったとしても、エランをすべての果実に掛け合わせるだけで味の種類は倍にふくれあがるのである。さすれば、2種の味を掛け合わせるろーるけーきの種類は、倍以上の数となろう。デルシェアの菓子を口にした際、トゥール=ディンがどれほどの喜びと感動に見舞われたか、我はようやく理解できたように思う」


「……はい。あまりに可能性が広がりすぎて、わたしは目がくらみそうになってしまいました」


 トゥール=ディンは静かに微笑みながら、アルヴァッハに一礼した。

 ひとまず熱情を発散させたアルヴァッハもまた、重々しく礼を返す。

 すると、寝起きの赤ん坊めいた微笑をたたえたデルシェア姫が声をあげた。


「わたしとしては、2種の果実を掛け合わせる手腕でトゥール=ディン様に上をいかれたような心地であったのですけれど……アルヴァッハ様のお言葉で、どこか救われたような心地です。アルヴァッハ様に、感謝のお言葉を捧げさせていただきたく思いますわ」


 おそらくデルシェア姫がアルヴァッハに直接語りかけたのは、これが初めてのことであっただろう。アルヴァッハはやはり石像のごとき無表情のまま、デルシェア姫にも礼を返した。


「ううむ。トゥール=ディン殿の力量はしっかりわきまえていたはずでありますのに、すっかり度肝を抜かれてしまいましたな。恥ずかしながら、トゥール=ディン殿はあくまでアスタ殿のお弟子であるという思いがわたしの中に残されていたのやもしれません」


 ダカルマス殿下もいつになく穏やかな面持ちと口調で、そのように告げてきた。


「トゥール=ディン殿とは、またのちほどゆるりと語らせていただけますでしょうかな? しばし他の料理人の方々と語らって、気持ちを落ち着けたく思います」


「では、そのように取り計らいましょう。……カルス、ダイア、ティマロの3名を、こちらの席に。また、ヤン、シリィ=ロウ、ロイの3名も、四半刻の後に参ずるように声をかけておきなさい」


 マルスタインがすかさず声をあげると、小姓たちが大広間に散っていった。


「トゥール=ディンたちは、しばしあちらで茶会を楽しんでくるといい。……よければ、エウリフィアとオディフィアも同行させていただけるかな?」


「は、はい。もちろんです」


 すると、アルヴァッハが「では」と声をあげた。


「アスタとアイ=ファ、ピリヴィシュロ、預けること、可能であろうか?」


「……ピリヴィシュロ、別行動、許すのであろうか?」


 ナナクエムが驚きの念をにじませた調子で問い質すと、アルヴァッハは「うむ」と首肯した。


「アスタとアイ=ファ、信頼、最大限である。ナナクエム、異論、あろうか?」


「……否。意外、思ったが、異論、あらず」


 ということで、俺とアイ=ファはピリヴィシュロをお預かりすることになってしまった。

 なおかつ、トゥール=ディンたちとも行動を別にする理由はない。エウリフィアとオディフィアの両名も含めて、7名で卓を離れることになったのだ。他の方々に頭を下げてから離席すると、エウリフィアは持ち前の朗らかさでピリヴィシュロに微笑みかけた。


「ピリヴィシュロ殿とご一緒できるのは光栄な限りですわ。オディフィアともども、よろしくお願いいたします」


 ピリヴィシュロは黒い頬に血の気をのぼらせつつ、「はい」とうなずいた。彼はつい昨日、オディフィアのことを「素敵な貴婦人」と評していたのだ。さらに昔日までさかのぼると、アイ=ファのことも素敵だと語っていたはずであった。


 オディフィアは8歳でピリヴィシュロは6歳であるが、男子である上にゲルドの民であるピリヴィシュロのほうが上背でまさっている。そんなふたりが並んで立つと、実に微笑ましい幼き貴公子と貴婦人の組み合わせだ。そして、エウリフィアにうながされたオディフィアが貴婦人の礼を見せると、ピリヴィシュロはいっそう真っ赤になってしまった。


「ダカルマス殿下たちは、大変な驚きに見舞われてしまったようね。まあ、あれだけ目新しい菓子を出されたら、何も不思議なことはないけれど」


 人で賑わう大広間をしずしずと進みながら、エウリフィアは微笑まじりにそう言った。


「それにやっぱりご本人も仰っていた通り、心の準備が足りていなかったのでしょうね。ダカルマス殿下たちは、アスタの料理にだって同じぐらいの感銘を受けているはずですもの。あとはやっぱり、トゥール=ディンの年若さに対する驚きも上乗せされているのでしょうね」


「はあ……な、なんだか恐縮してしまいます」


「あなたはあれだけの菓子を供したのだから、どうか胸を張ってちょうだいね。ゼイ=ディンだって、誇らしくてならないでしょう?」


 ゼイ=ディンは「うむ」としか答えなかったが、その目にはとても優しい光が浮かべられている。それでトゥール=ディンは、たちまち涙ぐんでしまいそうだった。


「オディフィアも、うれしい。みんな、トゥール=ディンのおかしがだいすき」


 オディフィアが小さな指先でくいくいと腕を引っ張ると、トゥール=ディンも心から幸せそうに「ありがとうございます」と微笑んだ。


「さて。それじゃあ、どうしましょうね。ピリヴィシュロ殿は、何かお目当ての菓子がありますかしら?」


「いえ。われ、みなさん、ごいこう、したがいます」


「それじゃあ、塩気のある菓子をいただきましょうか。そうしたら、次にどの菓子を選んでも格別のお味ですものね」


 エウリフィアが目配せすると、影のように追従していた侍女が先頭に立って案内をしてくれた。

 実に豪華な顔ぶれであり、真紅の宴衣装を纏ったアイ=ファはとてつもない勢いで人の注目を集めていたが、ジェノス侯爵家とゲルドの貴人の威光によって軽はずみに近づいてこようとする貴婦人もいない。それで俺たちは、目当ての卓に真っ直ぐ辿り着けるかに思われたが――その途上で、何かひときわ騒がしい場に行き当たってしまった。


「あら、何かあったのかしら。ちょっと様子をうかがっておきましょう」


 エウリフィアの声に従い、侍女もそちらに足を向けなおす。本日の主催者として、エウリフィアも素通りはできなかったのだろう。アイ=ファは鋭く目を細めつつ、さりげなく俺やピリヴィシュロをかばいやすそうなポジションを取った。


 しかしもちろん、優雅な茶会の席上で荒事が勃発したわけではなかった。どうやら何者かが転倒して、そのはずみで卓上の食器が床に落ちてしまったようである。


「あら、ロギンだったのね。どこかお加減でも悪いのかしら?」


 卓にもたれるような格好で片方の膝を床についているのは、近衛兵団の副団長たるロギンに他ならなかった。

 そして、そのすぐそばに立ち並んでいたのは、ザザの血族たち――ゲオル=ザザにスフィラ=ザザ、レム=ドムにリッドの女衆の4名である。レム=ドムはひとりでうんざりとした面持ちであり、残る3名は呆れ顔であった。


「……場を騒がせてしまい、申し訳ありません。どうぞお気になさらないでください」


 そのように答えながら、ロギンは力なく身を起こした。その屈強なる武官らしからぬ姿に、エウリフィアは心配そうに眉をひそめる。


「気にするなというほうが無理な話でしょう。本当に、どこかお加減が悪いのではなくて?」


「そういうわけではないのです。ただ……」


 と、ロギンはエウリフィアに身を寄せつつ声を低めた。


「……レム=ドム殿のあまりに麗しき姿に、目が眩んでしまったに過ぎません」


 きっと彼は森辺の習わしを重んじて、声を低めたのだろう。

 が、狩人の聴力というのは、並大抵ではないのだ。それを証し立てるかのように、ゲオル=ザザはいっそう呆れ果て、レム=ドムは天を仰いでいた。


「それはまあ、レム=ドムは輝くような美しさですけれど……あなたの純情も大概ね、ロギン」


「はい。お恥ずかしい限りです」


 エウリフィアはくすくすと笑い、ロギンはきりりと引き締まった無表情だ。黙って立っていれば、彼は目を奪われるほどの美青年なのである。ただやっぱり本日も、額に刻まれた大きな古傷が痛々しくてならなかった。


「まったく、人騒がせにもほどがあるわよ。これ以上の騒ぎにならないように、わたしたちは身を離しておくべきでしょうね」


 レム=ドムがさっさときびすを返そうとすると、ロギンは沈着なる声で「お待ちください」と引き留めた。


「実は剣技の指南役について、何点かお伝えしておきたいことがあったのです。茶会のさなかに恐縮ですが、しばしお時間をいただけますでしょうか?」


「……あなたはそんなざまで、まともに語れるのかしら?」


「無論です」と、ロギンはレム=ドムの前に進み出た。

 が、再びぐらりと倒れかかってしまう。それを支えたのは、こちらの側から進み出たゼイ=ディンであった。


「なんというか……こやつは顔をあわせるたびに、愉快さを増していくようだな」


 ゲオル=ザザが苦笑しながらそのようにつぶやくと、レム=ドムは「何が愉快なものですか」と深く溜息をついた。

 すると、オディフィアが灰色の瞳をきらめかせつつレム=ドムのもとに身を寄せる。


「レム=ドム、やっとあいさつできた。うたげいしょう、すごくきれい」


「……ありがとう。あなたの純真な眼差しに、心を洗われるような気分よ」


 レム=ドムはいくぶん屈みながらオディフィアの手を取ると、眉を下げつつ微笑みかけた。そうすると、オディフィアはいっそう嬉しそうに瞳をきらめかせる。そして、ゼイ=ディンに背中を支えられたロギンはしみじみと息をついた。


「まるで一幅の絵画であるかのような神々しさです。……これは決して容姿を褒めそやしているわけではありませんので、どうかご容赦を願います」


「ああもう、せっかく洗われた心が台無しよ。ゼイ=ディン、そのままそのお人を眠らせてもらえないものかしら?」


「無茶を言うな」と、さしものゼイ=ディンも苦笑をこぼす。そしてトゥール=ディンは、オディフィアとレム=ドムが親愛を深めているさまを嬉しそうに見守っていた。


「とにかくロギンは、お茶でも飲んで心を落ち着かせることね。どうしてもレム=ドムにお話があるというのなら、あちらの席までご一緒していただいたら如何かしら?」


 エウリフィアのそんな提案で、ロギンの身は壁際の座席まで導かれることになった。レム=ドムたちも不承不承それに追従すると、遠巻きに様子をうかがっていた貴婦人がたもようやく散開する。それなりの騒ぎであったものの、貴婦人がたもべつだん心を乱している様子はなかった。


「ロギンがレム=ドムに夢中だという話は、すっかり広まっているのでしょうからね。城下町の社交の場ではべつだん珍しい騒ぎでもないから、心配はご無用よ」


 あらためて目的の卓に向かいながら、エウリフィアはそのように告げてきた。

 すると、アイ=ファがいくぶん眉をひそめつつ問い質す。


「城下町においては、色恋の意味合いや重みなどが異なっているのだという話であったな。しかし相手が森辺の女衆であれば、おのずと意味合いが異なってくるのではなかろうか?」


「そうかしら? レイリスとスフィラ=ザザの一件は城下町で秘されているけれど、リーハイムとレイナ=ルウの一件は周知されているし、ベスタやセランジュがシン=ルウに夢中になっていたことも同様よ。ロギンがどれだけ誠実な人柄であるかは知れ渡っているし、誰も心配はしていないのじゃないかしらね」


「そういうものであるのか……まあ、私も決してロギンなる者の性根を疑っているわけではないのだが……」


「どうかロギンを信じてあげてちょうだい。何にせよ、ロギンであればレム=ドムの立場や心情を一番に考えてくれるでしょうからね」


 そんな風に言ってから、エウリフィアは「あら」と微笑んだ。


「噂をすれば何とかというやつかしら。ごきげんよう、セランジュ」


「ごきげんよう、エウリフィア。森辺の方々とご一緒であられたのね」


 目当ての卓には、リーハイムの婚約者たるセランジュが待ちかまえていたのだ。セランジュは俺たちに向かって微笑みかけてから、もう1名の客人の存在にも気づいたようであった。


「あら、ピリヴィシュロ様もご一緒であられたのですね。ご挨拶が遅くなりました。マーデル子爵家のセランジュと申します」


「ゲルのはんしゅ、だいいちそくじょのこ、ピリヴィシュロです」


 ピリヴィシュロは小さな指先を複雑な形に組み合わせて、一礼する。そういう際の彼は実に堂々とした立ち居振る舞いであり、それがまた俺を微笑ましい心地にさせてやまなかった。


「あなたがひとりだなんて、珍しいわね。リーハイムはどこに行ってしまわれたのかしら?」


「リーハイム様は、あちらで語らっておりますわ。従者の姿が見当たらないので、わたくしが菓子を運んでさしあげようと思ったの」


 セランジュの視線を追いかけると、壁際の卓にリーハイムらしき人物の後ろ姿が見えた。そして、同じ卓を囲んでいるのは――ルウの家人が4名に、外交官補佐のオーグ、それに南の王都の書記官という、なかなかの顔ぶれである。


「なるほど。今日はレイナ=ルウも参じていないのに、ルウの方々と語らっていたのね」


「ええ。あちらの方々はレイナ=ルウのご家族であられるのですから、何も不思議はないでしょう?」


 本日参席しているのは、ルド=ルウとリミ=ルウ、シン=ルウとララ=ルウの4名である。オーグや書記官が居揃っているのは、きっとララ=ルウの効果なのであろうと思われた。


「とりわけララ=ルウというのは、素晴らしいお人ですわよね。あれだけ貴き身分であられる方々に物怖じすることなく、立派に社交をされていて……わたくしも、ララ=ルウを見習わなくてはなりませんわ」


 そう言って、セランジュはにこりと無邪気に微笑んだ。

 彼女はかつてシン=ルウに心を奪われた身であったが、その思いを打ち捨てると同時に、ララ=ルウにおわびまで申し上げたのだ。たしかそれは、フェルメスが企画した仮面舞踏会の場においてのことであった。


 いっぽうリーハイムはレイナ=ルウに心を奪われつつ、やはりその思いを打ち捨てて正しき関係を望んだ立場となる。そんなリーハイムとセランジュが婚約したというのは、かえすがえすも運命の妙であった。


「それで今、あちらの席でうかがったのですけれど……シン=ルウ様は、もうすぐ新しい氏族の家長というものになられるそうですわね?」


 そのように語りながら、セランジュは森辺の面々を見回してくる。その言葉と視線を受け止めたのは、我が最愛なる家長殿であった。


「うむ。ルウから三つの分家が離れて、シン=ルウを家長とする新たな氏族が立てられることになった。この数日の内に、収穫祭とともに儀式が行われることになろう」


「やはりシン=ルウ様というのは、それだけのお力を持つ御方であられたのですわね。わたくしもただシン=ルウ様の凛々しさだけに心を奪われたのではないのだと思えて、誇らしい心地です」


 セランジュはひときわ無邪気な笑みを残しつつ、菓子を積んだ皿を手に卓のほうに戻っていった。

 エウリフィアもまたゆったりと微笑みつつ、アイ=ファのほうを振り返る。


「セランジュもリーハイムも、ああして正しい道を見出すことがかなったわ。ロギンなどはあちらのおふたりよりもよほどしっかりした人間であるので、心配はご無用よ」


「そうか。では、エウリフィアの言葉を信じよう。……まあ、レム=ドムがいささか気の毒であるという気持ちに、変わりはないがな」


「それはあれほどの魅力を持って生まれてしまった、レム=ドム自身の責任もあるのでしょうね。アイ=ファだってアスタがいなかったら、それ以上の騒ぎに見舞われていたことでしょう」


 アイ=ファが顔を赤くして眉を吊り上げると、エウリフィアはそよ風に舞う羽毛のような軽やかさで卓のほうに逃げ去った。


「では、トゥール=ディンの菓子をいただきましょうか。オディフィアもピリヴィシュロ殿も、こちらにどうぞ」


 トゥール=ディンの手を握っていたオディフィアとピリヴィシュロも、エウリフィアの後に続いていく。ゼイ=ディンはアイ=ファをなだめるようにやわらかな視線を送ってから、娘たちを追いかけた。


 アイ=ファは飾り物をさけて頭をかきむしりつつ、俺のことをじろりとにらみつけてくる。真っ赤な宴衣装で顔まで赤くしたアイ=ファは、とてつもなく美しくて愛くるしかった。


「うんうん。誰かを小突かないと、気持ちがおさまらないよな。俺の粗末な頭でよければ、いくらでもどうぞ」


 そうして俺が粗末な頭を差し出すと、アイ=ファはいっそう顔を赤くしながら、拳でこめかみを蹂躙してきた。

 それなりの痛みと幸福な気持ちを等分に噛みしめつつ、俺はアイ=ファに笑いかけてみせる。


 もう『麗風の会』が始まってから一刻ぐらいは経っているように感じられるが、会場には熱っぽい空気が満ちみちて、まだまだ終わる気配もない。だいたい俺たちは、それぞれの菓子をまだひと口ずつしか味わっていないのだ。この後はまたダカルマス殿下やアルヴァッハたちのもとに呼び出されるのであろうし、いずれは若き貴婦人がたのお相手もしなければならないのだろうし、ティカトラスも最後まで引っ込んではいないのだろうし、今の内にカロリーを補給しておかなければならなかった。


 そうして俺たちはあらためて、オディフィアやピリヴィシュロともこの時間の喜びを分かち合い――とても充足した気持ちで多忙なる休業日を過ごすことに相成ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こるは…表情の動かないオディフィアは東の民に忌避される事はないつまり…? 楽しみになってきましたねぇ
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