表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第八十一章 壮途の宴
1394/1697

麗風の会、再び②~開会~

2023.9/2 更新分 1/1

 14名の森辺の民は、紅鳥宮の大広間へといざなわれた。

 前回の『麗風の会』と同じく、「森辺のご一行様、ご入室です」という簡単な紹介とともに、全員いっぺんの入室を許される。どれだけ貴き身分の客人が増えようとも、これはあくまでくだけた茶会の場であるのだ。その場にひしめいていたのは、やはり過半数は妙齢の貴婦人であった。


 よって、普段の祝宴よりもいっそう華やかな雰囲気である。ざっと見た感じ、男女の比率が3対7というのも変わりはないようであったし、年配の貴婦人よりも若い貴婦人のほうが圧倒的に多かった。


 それもあってか、森辺の民に向けられる眼差しも普段以上に熱っぽい。こちらはこちらで、壮年の人間はゼイ=ディンただひとりであるのだ。俺を除く男衆は勇壮なる武官の礼服であるし、女衆は色とりどりの宴衣装であるし、平民の身でありながら見た目の豪奢さは誰にも負けていないように思われた。


(まあ、見た目には内面も反映されるんだろうしな)


 森辺の民はただ容姿が整っているばかりでなく、きわめて清廉な人柄と猛烈な生命力をもあわせ持っているのだ。それらがすべて合わさって、初めてこれだけの魅力が生まれるのだろう。俺などはいまだに、こういう場では自分だけが場違いなのではないかという思いを払拭しきれていなかった。


「森辺のお歴々も、お疲れ様。今回も無事にお招きできて、何よりだったわ」


 大広間を横断してもっとも奥まった場所まで到着すると、そちらには本日の主催者たる貴婦人がたが待ちかまえていた。ジェノス侯爵家のエウリフィア、トゥラン伯爵家のリフレイア、ダレイム伯爵家のメリム、サトゥラス伯爵家の若き貴婦人だ。


「まあ、今日は少しばかり外来の客人がたの意向が反映されているけれど……どうか、お力添えをお願いね」


「うむ。我々は、どのように振る舞うべきであるのだ? やはりトゥール=ディンなどは、ダカルマスたちの面倒を見るべきなのであろう?」


 族長代行としてゲオル=ザザがそのように応じると、エウリフィアは「そうね」と微笑んだ。


「やっぱりこのような集いで身分ある殿方に闊歩されると、おたがい気が休まらないでしょうから、そちらの方々には席をご準備することになったの。トゥール=ディンとアスタは、まずそちらでご一緒していただけるかしら?」


「ふむ。トゥール=ディンばかりでなく、アスタもか。アスタも今日ばかりは、トゥール=ディンの手伝いに過ぎないという話であったがな」


「ええ。でも、トゥール=ディンに菓子の案を授けているのは、アスタであるのでしょう? それでダカルマス殿下も、アスタの同席を望んでおられるようなの。どうかご了承をいただけるかしら?」


「うむ。この中をうろつき回るよりは、むしろ苦労も少ないやもしれんな」


 まだちょっぴりご機嫌ななめのアイ=ファがそのように応じると、エウリフィアは「あら」と微笑んだ。


「今日はティカトラス殿のご意向で、アイ=ファにそちらの宴衣装を準備したのだけれど……でもわたくしも、毎回アイ=ファに殿方の礼服を着てもらおうとは考えていなかったので、どうかお気を悪くしないでね。それにアイ=ファはどのような姿でも、貴婦人の胸を騒がせるということに変わりはないのじゃないかしら?」


「であれば、男衆と同じ装いのほうがまだしも望ましいと考えただけだ。それでも城下町の流儀に文句をつける気はないので、心配は無用に願いたい」


「ありがとう。……ああ、レム=ドムも素敵な召し物ね。あなたもアイ=ファと同様に、けっきょく貴婦人の胸を騒がせてやまないでしょう」


「ふふん。あんまりしつこい娘がいたら、接吻でもして黙らせてあげようかしらね」


 レム=ドムが皮肉っぽい面持ちで言い返すと、エウリフィアは楽しそうにころころと笑った。どうやらレム=ドムは荒っぽい部分も含めて、エウリフィアたちに好かれているようである。


 そこに、「やあやあ!」と声を張り上げながら近づいてくる者がある。そんな遠慮のない人間にはひとりしか心当たりがなかったので、アイ=ファは早々に溜息をつくことになった。


「今日はどこを見回しても美しい貴婦人だらけだけれども、やっぱりアイ=ファたちの美しさというのは格別だね! まるで天上の楽園にでも迷い込んだような気分だよ!」


 言うまでもなく、それはティカトラスであった。

 彼は本日も派手なターバンに長羽織めいた長衣という格好で、デギオンは武官の礼服である白装束、ヴィケッツォは漆黒の宴衣装である。そちらこそ、このような場でも人目をひいてやまない華やかさと賑やかさであった。


「おお! レム=ドムもそちらの宴衣装がよく似合っているね! 黒い宴衣装の姿でヴィケッツォに見劣りしないというのは、大した話だ! アイ=ファとヤミル=レイは言うまでもないし、他の面々も素晴らしい! いっそこの大広間を森辺のご婦人だけで埋め尽くしたくなってしまうね!」


 ティカトラスを『麗風の会』に招くというのは、猫をマタタビの畑に放り込むようなものなのだろう。ただ彼はテンションが上がれば上がるほど稚気が増していくので、子供がはしゃいでいるような風情でもあった。


「アイ=ファたちはこのあとダカルマス殿下に同伴せねばならないという話だから、今の内にその美しさを心に焼きつけさせていただくよ! いやあ、本当に美しい! アイ=ファが真紅の宴衣装を纏うと、また絵筆を取りたくなってやまないね!」


「……あなたはダカルマスたちと同席しないのであろうか?」


「うん! このように華やかな会で腰を落ち着けるなんて、わたしの性分じゃないからね! ダカルマス殿下だって、わたしの同席など望んでいないだろうからさ!」


 そんな風に語りながら、ティカトラスはレイ家の両名にくりんと顔を向けた。


「よって! 最初はまたおふたりに同行をお願いするよ! 甘いひとときを、ともに楽しもうじゃないか!」


「うむ、かまわんぞ。お前と一緒にいたほうが、ヤミルに群がろうとする娘たちも尻込みするようだからな」


 ラウ=レイはにこにこと笑いながら快諾し、ヤミル=レイは知らん顔で肩をすくめた。

 そのタイミングで、新たな入場者の名が告げられる。それは、「ゲルドの料理人プラティカ様のご一行」という内容であった。


 プラティカはティカトラスから贈られた宴衣装ではなく、自前で準備していた男性用の礼服である。黒地に深い紫色の渦巻き模様が刺繍された袖なしの胴衣に、ゆったりとした脚衣という、シックな装いだ。ただ、東の民のたしなみとして数多くの飾り物をさげているため、豪奢さに不足はなかった。


 そんなプラティカの周囲には、数多くの見知った顔が並んでいる。ダレイム伯爵家の料理長ヤンに、弟子のニコラ、《セルヴァの矛槍亭》の料理長ティマロ、《銀星堂》のロイとシリィ=ロウ――そして、リフレイアの侍女たるシフォン=チェルである。


 前回はカルスやダイアの手伝いとして、そういった面々が参席を許されていた。今回はそこにロイやシリィ=ロウまで加えられているのだ。そしてやっぱり人の目を奪っているのは、誰より端麗な容姿をしたシフォン=チェルであった。


「シフォン=チェル、お疲れ様。きちんとプラティカのお手伝いをできたかしら?」


 リフレイアが率先して出迎えると、シフォン=チェルは「はい……」とやわらかく微笑んだ。身に纏っているのは準礼装ていどのつつましい装束であるが、175センチはあろうかという長身に北の生まれならではの端麗な顔立ちが人目をひいてやまないのだ。とりわけ蜂蜜色の巻き毛というのは、なかなか西の地でお目にかかる機会はなかった。


「これだけ立派な料理人がそろっていれば、シフォン=チェルの手伝いなんて不要だったのでしょうけれどね。わたしが無理を言って、加えさせていただいたのよ」


 リフレイアはそんな言葉を、むしろ誇らしげに語っていた。これは、侍女のシフォン=チェルを茶会の参席者に仕立てるための手管であったのだ。そういう行いが許されるのも、格式を重んじない『麗風の会』ならではであった。


「俺たちなんかは、むしろダカルマス殿下のご意向でねじこまれたようなもんなんだよな。《銀星堂》の人間も、この会で大いに学ぶべしって話らしいぜ」


 貴族の耳をはばかって、ロイがそのように耳打ちしてくる。シリィ=ロウもようやく肚が据わったのか、愛くるしい宴衣装の姿で仏頂面をさらしていた。ロイとコンビでお招きされたならば、宴衣装が恥ずかしくても逃げ隠れできないのだろう。しかしロイもスマートな若者であったので、なかなかお似合いのふたりであるように思えた。


 そうして歓談に励む間もなく、また新たな入場者の名が告げられる。ゲルドの貴人、および南の王家のご一行である。おそらくは、プラティカたちの入場待ちであったのだろう。そちらの2組だけは別なる扉から登場し、そのまま大広間の右奥に準備されていた卓のそばに立ち並んだ。


「それでは、開会の挨拶ね」と、エウリフィアが進み出た。

 ダカルマス殿下たちの登場で、大広間はすでに静まりかえっている。そこに一石を投じたいかのように、エウリフィアの声はことさら快活な響きをおびていた。


「本日はご来場いただき、心より感謝しておりますわ。ついに2回目の『麗風の会』を開くことができて、主催者のわたくしたちも胸を撫でおろしています」


 リフレイアとメリム、それにサトゥラス伯爵家の若き貴婦人もエウリフィアとともにしとやかな礼を見せる。『麗風の会』というのは、侯爵家と伯爵家を代表するこちらの4名が責任者であるのだ。


「それで本日は、きわめて貴き身分にあられる方々もご招待することがかなったので、まずはそちらからご紹介をさせていただきますわね。……ジャガルの第六王子ダカルマス殿下に、ご息女のデルシェア姫、使節団団長のロブロス殿、戦士長のフォルタ殿です」


 ダカルマス殿下が満面の笑みで手を振ると、つつましい拍手がそれに答えた。


「そして、ゲルの藩主の第一子息アルヴァッハ殿に、第一息女のご子息ピリヴィシュロ殿、ドの藩主の第一子息ナナクエム殿です。本日はデルシェア姫とゲルドの料理人たるプラティカにも菓子の準備をしていただいたので、どうか心ゆくまでお楽しみあれ。……そして今日は、ジェノスで一番の菓子作りの名手と認められたトゥール=ディンに、3種もの菓子を準備していただきましたわ」


 そこでまた拍手が打ち鳴らされると、トゥール=ディンは頬を赤らめながら一礼した。


「貴き身分にあられる方々も、どうかご自分たちに遠慮なく美味なる菓子を楽しんでいただきたいと仰ってくださいました。それでも節度だけは忘れることなく、この甘やかなひとときを楽しみましょう。……それでは、『麗風の会』を開始いたします」


 エウリフィアの合図で扉が開かれて、数々の台車が運び込まれた。

 人々の昂揚が、波紋のように広がっていく。そのさまをしばらく見守ってから、エウリフィアは俺とトゥール=ディンのほうを振り返ってきた。


「では、席のほうに移動しましょう。メリム、しばらくはそちらをお願いね」


 ポルアースの伴侶たるメリムは屈託なく微笑みながら、「はい」と応じる。そうして俺とアイ=ファとディンの父娘およびプラティカは、エウリフィアの案内でダカルマス殿下たちの待ち受ける卓を目指すことになった。


 そちらはジャガルとゲルドの面々の他に、マルスタインとメルフリードとオディフィア、ポルアースとフェルメスも控えている。その全員で、巨大な楕円形の卓を囲む格好であった。


「お待たせいたしました。間もなく菓子が届けられますので、もう少々お待ちくださいね」


「はい! 本日は無理に参席を願ってしまい、まことに申し訳ありませんでした! 決して会場の方々のお邪魔にならないように心がけますので、どうかご容赦をお願いいたしますぞ!」


「とんでもありません。今日はデルシェア姫の手腕まで味わえるのですから、誰もが胸を弾ませておりますわ」


 如才なく応じながら、エウリフィアも腰を下ろす。彼女の隣はオディフィアで、そこにトゥール=ディン、ゼイ=ディン、俺、アイ=ファが並ぶ格好だ。その左側をジャガルの面々、右側をゲルドの面々にはさまれた格好で、向かいにマルスタインたちが座している。ジェノスの人間が二手に分かれて、ジャガルとゲルドの面々が隣り合わないように配慮したようであった。


(それでもやっぱり、王家とゲルドの人らが同じ卓につくんだな)


 俺がそんな感慨を噛みしめていると、ダカルマス殿下がまた元気な声を張り上げた。


「本日は、デルシェア、プラティカ殿、トゥール=ディン殿の順番で、菓子を運んでいただくように手配いたしました! まずは不肖デルシェアの手によるジャガル流の菓子を楽しんでいただきたく思いますぞ!」


「いきなりデルシェア姫の手掛けられた菓子を味わえるというのは、実に贅沢な趣向でありますね。まあ本日に限っては、どなたから始めても同じ心地を抱くことになりそうですけれども」


 ポルアースも普段通りの朗らかさで、そのように応じた。昨晩はそこそこ遅い帰りになってしまったが、まったく疲れは残されていないようだ。ゲルドの面々も、もちろんそれは同様であった。


 そんな中、侍女や小姓たちが最初の菓子を運んでくる。

 デルシェア姫の手による、焼き菓子である。いくぶん平たいピンポン玉のような形状をした焼き菓子が、それぞれの皿に3種ずつ並べられている。そして、味の違いを示すために、赤、青紫、黄のしるしが、菓子の真ん中にちょんとつけられていた。


「こちらの菓子は茶の種類を選ばないと思いますけれど、本日はブケラの茶を準備しましたわ」


 黄色を主体にした宴衣装のデルシェア姫がにこにこと笑いながらそのように説明すると、マルスタインが「ほほう」と微笑んだ。


「さっそくゲルドの食材を茶にまで取り入れたのですな。これは菓子のほうも楽しみなことです」


「はい。ジェノスの方々であればどれだけゲルドの食材を織り込んでも驚かれることはないでしょうけれど、故郷ではそれなりの評判をいただくことがかないました」


 ブケラというのはヨモギに似た香草で、それがジェノスに持ち込まれたのは1年ほど前のことになる。デルシェア姫はそれから長きにわたってジェノスに滞在していたので、その時代に持ち込まれた食材であれば何の不足もなく使いこなすことができるのだろう。


 それでも俺が期待を込めて、菓子のひとつを味わわさせていただくと――期待を裏切らない味わいが、口の中に広がった。

 俺が選んだのは赤いしるしのついた菓子で、フワノの生地の内側には甘い餡が仕込まれている。それはキイチゴに似たアロウの風味が豊かであったが、しかしそれ以上にまろやかな甘みが特徴的であった。アロウの風味はくっきりしているのに、初めて口にする風変わりな味わいであったのだ。俺は何だか、アロウと一緒に未知なる果実も味わっているような心地であった。


 さらに、生地にはクランチクッキーのようなものが仕込まれている。フワノの生地のやわらかさとそちらの小気味好い食感が相まって、食べ心地も素晴らしい。そしていくぶんねっとりとした果実の餡が、ぞんぶんに後味を残しながら咽喉を通過していった。


「これは……アロウばかりでなく、エランも主体にしているのでしょうか?」


 トゥール=ディンが驚嘆に目を見開きながら問いかけると、デルシェア姫は満面の笑みで「はい!」と応じた。


「トゥール=ディン様は、さすがですね! 最初のひとつでそれを看破されたのは、初めてのことです!」


「はい。ここ最近は、わたしもエランの研究に取り組んでいましたので……そうでなかったら、見過ごしていたかもしれません」


 エランとはこのたびの交易で持ち込まれた、マンゴーのごとき果実である。どうやらこちらの菓子には、アロウとエランをブレンドさせた餡が使われているようであった。


(そうか。エランはそんなに風味が強くないから、アロウの風味が際立ってるんだな。でも、エランはめっぽう甘いから、それが味の中核になってるんだ)


 もちろんただ2種の果実を混ぜ込んだだけではなく、さまざまな趣向が凝らされているのだろう。何らかの乳製品は使われているように思えたし、甘さの裏にはうっすらと香ばしさも感じられる。その香ばしさは、ピーナッツオイルに似たラマンパ油であるようであった。


「それに、こちらの生地に練り込まれているのは……メレスのふれーくですよね?」


「また正解です! トゥール=ディン様から教えていただいたふれーくを、さっそく使わせていただきました!」


 そんな風に答えてから、デルシェア姫はくりんと俺のほうに向きなおってきた。


「あ、でも、そもそもふれーくの作り方をトゥール=ディン様に指南したのは、アスタ様なのですよね! ご感想は、いかがですか?」


「はい。まだひとつしか口にしていませんが、素晴らしい味わいです。こちらはデルシェア姫がもともと手掛けていた菓子に、メレスのフレークを加えたということですか?」


「はい! 以前は、ラマンパの実を使っていました! メレスのふれーくはラマンパよりも軽やかな食感ですので、より望ましいかと考えた次第です!」


 メレスのフレークを食感の彩りとして使うのは、トゥール=ディンにとっても常套手段である。それに、乳製品が使われた果実の餡というのも、果汁を混ぜたクリームに通ずる作法であろう。こちらの菓子は全体的に、トゥール=ディンの手掛ける菓子と似た部分を持っており――そうであるためか、オディフィアも惜しみなく灰色の瞳を輝かせていた。


「あら、こちらの菓子には、アマンサが使われているのですね。わたくしはてっきり、リッケなのかと思っていましたわ」


 エウリフィアがそのように評すると、デルシェア姫はまた元気に「はい!」と応じた。


「ジェノスの方々ももうリッケの扱い方には困っておられないでしょうから、このたびはアマンサを使わせていただきました!」


「メレスもアマンサも、前回の交易で持ち込まれた食材ですものね。デルシェア姫の手腕が、これ以上もなく発揮されているようですわ」


 エウリフィアが語っているのは、青紫のしるしがついた菓子についてであった。マヒュドラの食材であるアマンサも、南の王都の食材であるリッケも、ともに青紫色をしているのだ。そしてこちらもエランとブレンドされているようだが、ブルーベリーに似たアマンサもアロウに負けないぐらいの調和を見せていた。


 さらに、黄色のしるしがつけられた菓子には、エランの味わいが真っ直ぐに示されている。こちらは他の果実とブレンドさせずに、エラン単体に乳製品やラマンパ油の細工が施されているのだ。順番としては、まずこちらから食するべきであったのかもしれなかった。


「エランはさまざまな果実と調和するので、本日はそれを主眼にしようと考えました! これからエランを扱っていくことになるみなさんの、ささやかな手本になれば幸いです!」


「いやあ、これは素晴らしい味わいです。きっと数多くの料理人がデルシェア姫を見習うことになるでしょう。……トゥール=ディン嬢も、そう思うだろう?」


 ポルアースがそのように呼びかけると、トゥール=ディンは真剣な面持ちで「はい」とうなずいた。


「アロウを使った菓子もアマンサを使った菓子も、まるで初めて口にする果実のような味わいでした。これはエランばかりでなく、他の果実の扱い方の幅まで広げる手腕だと思います」


「トゥール=ディン様にそうまで言っていただけたら、誇らしい限りです!」


 デルシェア姫が元気に応じると、トゥール=ディンは持ち前の謙虚さを取り戻してあわあわとしてしまった。

 そしてその反対側では、ゲルドの面々も黙々と菓子を食している。ピリヴィシュロはオディフィアに負けないぐらい明るく瞳を輝かせており、アルヴァッハは炯々たる眼光に成り果てていた。


「アルヴァッハ殿のご感想も気になるところでありますが、それはまた追々ということで! まずは、プラティカ殿のご感想をお聞かせ願えますでしょうかな?」


 ダカルマス殿下がそのようにうながすと、プラティカもまた狩人の眼光をたたえつつ「はい」と首肯した。


「私、トゥール=ディン、心情、同一です。エラン、他なる果実、調和して、さらなる魅力、引き出す存在です。その特性、得難く、さまざまな発展、望めるでしょう。エラン、手にできた喜び、計り知れないです」


「左様ですか! エランをジェノスに持ち込むことのできた我々も、誇らしい限りです!」


 そう言って、ダカルマス殿下はブケラの茶をひと口すすった。


「うむ! ブケラの茶は、こちらの菓子に素晴らしく合いますな! 我々も、ブケラやメレスやアマンサを手にできた喜びを噛みしめておりますぞ!」


「恐縮である」と一礼したのは、アルヴァッハではなくナナクエムであった。アルヴァッハは、内なる熱情を懸命に抑え込んでいる様子である。


「では次は、プラティカ殿の菓子を味わわさせていただきましょう! ジェノス侯、よろしくお願いいたしますぞ!」


 マルスタインは「かしこまりました」と応じたが、小姓たちはすでにスタンバイ済みであった。空になった皿はすみやかに下げられて、新たな皿が並べられていく。そこに鎮座ましましていたのは、何やら珍妙な形状をした菓子であった。


「こちら、ゲルド伝統、シャスカの菓子です。ただし、伝統、則りながら、新たな細工、施しています」


 シムにおいてシャスカというのは、麺の形で食されていた。この菓子は、細長く仕上げたシャスカを丸めて炙り焼きにしたものであるようであった。

 本来は白いシャスカに、ほんのり焼き目がついている。大きさは、デルシェア姫の菓子と同程度だ。こちらはひとりにつき2種ずつで、一見では違いもわからなかった。


「細いシャスカ、苦み、あります。太いシャスカ、酸味、あります。どちらも、ギギの茶、調和する、思います」


 デルシェア姫の準備させたブケラの茶も残したまま、ギギの茶も供されていく。ギギの茶はコーヒーに似た味わいであり、カロン乳の小さな容器もそっと添えられた。


 そして肝心の菓子であるが――確かによくよく検分してみると、丸められたシャスカの太さに違いがあるようだ。片方は5ミリていどでもう片方はその半分ていどというささやかな違いであったが、そうと知れれば見分けるのは容易であった。


 とりあえず、俺は細いほうからいただくことにする。

 そちらを口に入れてみると、まずは食感の好ましさがあらわになった。シャスカというのは普通に仕上げると、粘り気の強いもち米のような食感であるのだ。細長く仕上げたシャスカもそれは同様で、その弾力と焼き目のやや固い食感が、きわめて好ましかった。


 そしてその生地の内側に隠されていたのは、やや苦みのある餡だ。ヨモギに似たブケラの苦みにいくぶんスパイシーな風味も加えられているので、きっとセージに似たミャンツも使われているのだろう。肉料理では、いまや定番になりつつある風味である。

 しかしそちらはあくまで風味づけであり、基本の味はしっかりと甘い。ブケラの苦みも、この甘さを引き立てるための細工であるのだ。餡もきわめて粘り気が強く、それで口中にねっとりとした甘さがからみついてくるかのようであった。


「ふむふむ! こちらの苦みのある菓子は、マヒュドラの食材たるイーナが使われているのですな! きわめて、美味でありますぞ!」


 ダカルマス殿下のはしゃいだ声で、その正体が知れた。こちらの餡の主体になっているのは、西洋ナシを思わせるイーナであったのだ。

 ただ、それだけではおさまらない強烈な甘みと食感が感じられる。こちらの餡はきわめて粘り気が強かったが、どこかこしあんのような食感も感じられるのだ。


「こちらは……タウの豆が使われているのですか?」


 俺がそのように問いかけると、プラティカは「はい」とうなずいた。


「私、ブレの実、あんこ、作り方、習いましたが……当時、ブレの実、買いつける予定、なかったため、タウの豆、修練、重ねました。タウの豆、ゲルド、存在しませんが、似た風味、豆、存在するのです」


 いつかゲルドに帰る日を想定して、ブレの実ではなくタウの豆で修練を重ねていたということだ。それは、タウの豆の産地であるジャガルのデルシェア姫と同じ行いであった。


 ともあれ、それでこちらの菓子の全容はおおよそ把握できた。タウの豆でこしあんをこしらえて、イーナとブケラとミャンツを混ぜ込み、それをシャスカでくるんだということなのだろう。そして、この強烈な甘みの正体については、トゥール=ディンが指摘してくれた。


「それで、タウの実のこしあんには、マトラを使っているのですね。とても好ましく思います」


 マトラとは干し柿に似た食材であり、砂糖よりも甘いのではないかと評されている。そしてトゥール=ディンやリミ=ルウは、それをブレの実のあんこで使うのが主流になっていた。


「プラティカ殿も、南の王都の食材たるマトラを使いこなしているということだね。それに、もう片方の菓子には……ひょっとして、リッケが使われているのかな?」


 ポルアースがそのように問いかけると、プラティカはまた「はい」とうなずいた。


「以前、アマンサ、使っていましたが、リッケ、別なる味わい、生み出せるため、使用しました」


「うんうん。こちらも、素晴らしい味わいだねぇ」


 ポルアースと同じ喜びを分かち合うべく、俺はもう片方の菓子を口に運んだ。

 確かにそちらには、干しブドウに似たリッケの風味が感じられる。ほのかな酸味が心地好く、そしてマトラとは異なる甘みも感じられた。


「こちらは、ノ・ギーゴも使われているのですね!」


 デルシェア姫の元気な声に、プラティカは「はい」とうなずきを繰り返す。


「こちら、マトラより、ノ・ギーゴ、調和する、考えました。また、香草、不要と思い、除去しました」


「わたしたちには、こちらのほうがより食べやすいようです! もちろん、どちらも美味なのですけれども!」


「うむうむ! 南の王都においても、これらの菓子に文句をつける人間はおりませんでしょう! シャスカは粒のまま仕上げるのが最善かと考えておりましたが、それも早計でありましたな!」


 ダカルマス殿下もデルシェア姫も、ご満悦の様子である。そしてピリヴィシュロは口もとを隠しつつ、プラティカの菓子を頬張っていた。


「……デルシェア姫はリッケの代わりにアマンサを使い、プラティカはアマンサの代わりにリッケを使ったのですな。それは事前に打ち合わせをした結果なのでしょうか?」


 マルスタインがゆったりとした微笑とともに問いかけると、デルシェア姫とプラティカは同時に「いえ」と声をあげた。


「このような偶然もあるのかと、わたしも心から驚かされてしまいました! アマンサとリッケはそうまで似通っているわけでもないのですから、なおさらです!」


「私、心情、同一です。ただ、似通っていなくとも、置換、難しくなかったので……同じ結論、達した、思われます」


 そうして同じ結論に達したということは、おたがいの発想力が均衡しているという証であるのかもしれない。デルシェア姫は明るく澄みわたった目で、プラティカは鋭く瞬く目で、それぞれおたがいの姿を見つめていた。 


「……オディフィアは、こちらの菓子が少し苦手な感じでしたか?」


 と、ゼイ=ディンの向こう側からトゥール=ディンの囁き声がうっすら聞こえてきた。きっとゲルドやジャガルの方々には聞こえない声量であろう。オディフィアは無表情のまま、こくりとうなずいた。


「ちょっとすっぱいほう、おいしかった。にがいほう、ちょっとにがてだった」


「きっとミャンツの風味が気になってしまうのでしょうね。わたしも少しだけ、それを余計に感じてしまったので……わたしもオディフィアも、大人になったらこの美味しさがわかるようになるのかもしれません」


 トゥール=ディンがそのように囁きかけると、オディフィアはたちまち灰色の瞳をきらめかせた。

 たぶん菓子がどうこうではなく、トゥール=ディンと一緒に大人になるという言葉に反応したのだろう。オディフィアはかつてそんな光景を、文字通り夢で見ることになったのだ。


 そうしてふたりの少女がひそやかに交流を深めている間にも、並み居る貴き方々は本日の喜びを思うさま満喫していたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ