麗風の会、再び①~下準備とお召し替え~
2023.9/1 更新分 1/1
ゲルドの貴人たちをファの家に招いた日の、翌日――茶の月の20日である。
その日は城下町で開催される大規模な茶会、『麗風の会』の当日であった。
『麗風の会』が開催されるのは2度目のことであり、前回の開催は復活祭の少し前であったので、およそ2ヶ月ぶりとなる。
ただ今回は、あれこれ趣向が異なっていた。今回も主催者はエウリフィアを筆頭とする貴婦人の有志であったが、ダカルマス殿下の意向が少なからず反映されることになったのだ。そもそもこの時期に『麗風の会』が企画されたのも、ダカルマス殿下からの提案であったのだった。
「通常の祝宴や晩餐会では、やはり菓子よりも料理こそが主役でありますからな! わたしはトゥール=ディン殿の菓子作りの手腕も、余すところなく味わわさせていただきたく願っているのです!」
そんなわけで、『麗風の会』の開催が決定された。
前回と異なる趣向というのは、おもに2点。菓子を作りあげる顔ぶれと、参席者の人数である。このたびはあくまでトゥール=ディンが主役に祀りあげられており、そして参席者は120名から150名に増員されていた。
前回の『麗風の会』で菓子を準備したのは、トゥール=ディン、俺、リミ=ルウ、ダイア、カルスの5名となる。
しかし今回は、トゥール=ディン、デルシェア姫、プラティカという顔ぶれであり――なおかつ、トゥール=ディンは3種の菓子の準備を申しつけられていた。トゥール=ディンは、ひとりで3名分の仕事を受け持つわけである。
そして参席者が増員されたのは、外来の客人が多いのと、それにつれてジェノスの側からも立場のある人間が名乗りをあげたためであった。『麗風の会』はあくまで貴婦人を主体にしたイベントであるので、前回はマルスタインやメルフリードなども出席していなかったのだ。しかしさすがにダカルマス殿下やアルヴァッハなどが参ずるのであれば、マルスタインたちも動ざるを得ないようであった。
なおかつ森辺の民に関しては、2名だけ増員されていた。
トゥール=ディンとゼイ=ディン、俺とアイ=ファ、リミ=ルウとルド=ルウ、ララ=ルウとシン=ルウ、ヤミル=レイとラウ=レイ、スフィラ=ザザとゲオル=ザザ――ここまでは前回と同じ顔ぶれで、そこにレム=ドムとリッドの女衆も組み込まれて総勢14名となったわけであった。
「本当に、ひとつのきっかけでどう転ぶかわからないものね。あともう少しでも苦労がつのったら、闘技会に出たことを後悔してしまいそうだわ」
城下町に向かう道中、レム=ドムはそんな風に言いながら、肩をすくめていた。彼女はこれまで城下町に足を踏み込んだ経験もなかったのに、闘技会に出場してからのひと月足らずで3度目の来訪になったのだ。
「あなたなんかは自分の意思で闘技会に出たのだから、まだあきらめもつくのでしょうね。わたしなどは、落雷にでも見舞われたような心地よ」
クールな面持ちでそのように応じたのは、ヤミル=レイである。彼女もまた城下町と縁のない身であったが、ティカトラスに見初められたばかりに招待の頻度が急上昇してしまったのだ。
しかしまた、『麗風の会』に関してはティカトラスの思惑ばかりが反映されていわけではない。前回の『麗風の会』などはティカトラスが王都に帰った後の話であったので、それこそまったくの無関係であったのだ。ヤミル=レイの参席を望んでいるのは、彼女の美しさに魅了された若き貴婦人たちに他ならなかった。
レム=ドムについても、それはおおよそ同様である。ただしこちらは若き貴婦人ばかりでなく、ジェノス侯爵家の思惑も反映されていた。オディフィアを筆頭に、侯爵家の面々はすっかりレム=ドムがお気に召したようであるのだ。オディフィアとの交流をそれなりに重んじているレム=ドムは、それでヤミル=レイほど不満そうな姿を見せていないのかもしれなかった。
ともあれ――大変なのは、トゥール=ディンである。何せ『麗風の会』というのは中天から開催されるため、普通の祝宴よりも下準備が大変であるのだ。朝方にこなせる作業量には限りがあるため、その苦労は前日にまで及んでしまうのだった。
「でも、今日はしっかり俺たちも手伝うからね。なんでも遠慮なく申しつけておくれよ」
俺がそのように呼びかけると、トゥール=ディンははにかみながら「ありがとうございます」と答えてくれた。
これだけの大役を担わされながら、気後れしている様子はない。それよりも、オディフィアに数多くの菓子をお届けできる喜びがまさっているようだ。トゥール=ディンが大きな仕事を任されるほど、それはオディフィアの喜びに直結しており――そしてオディフィアの喜びは、そのままトゥール=ディンの喜びに直結しているのだった。
そんなわけで、いざ城下町である。
会場は、またもや紅鳥宮だ。南の王都の使節団が到着してからの半月、俺たちは休業日のたびに紅鳥宮に招集されているわけであった。
(だけどまあ、試食会の連続だった前回に比べれば、まだしも苦労は少ないのかな)
前回の来訪時にはジェノスの料理人の手腕を確かめるべく、ダカルマス殿下もかなり強引に動くことになったのだろう。そして今回は前回の来訪時に得た知識と経験にもとづき、照準を絞ってイベントを開催しているように見受けられた。それでこのたびは、トゥール=ディンひとりに狙いがつけられたわけである。
この後には、俺に再び晩餐会の厨を預けたいだとか、森辺の祝宴に招待していただきたいだとか、さまざまな計画を練っているようである。そしてきっとその合間には、ヴァルカスやダイアやティマロの手腕も楽しんでいるのだろう。いずれはその矛先が、宿場町の宿屋の関係者にも向けられるのかもしれなかった。
(まあ、こっちはその都度、対応するだけだ。どんなに大変でも、ダカルマス殿下の提案するイベントはジェノスにとって有意義なことが多いからな)
そんな感慨を噛みしめながら、俺は13名の同胞とともに朝も早くから城下町に乗り込むことに相成った。
本日参上したかまど番は、もちろん全員がトゥール=ディンの調理助手となる。それもあって、トゥール=ディンにとっては長年のパートナーであるリッドの女衆がレム=ドムの相方に選ばれたのだ。彼女はトゥール=ディン自身よりも誇らしげな様子で頬を火照らせていた。
紅鳥宮に到着したならば浴堂で身を清め、調理着や侍女のお仕着せにお召し替えをする。しかるのちに、二手に分かれて作業の開始であった。この人数であればひとつの厨にこもることもできたが、作業効率を最大限に上げるためにあえて厨を分けることになったのだ。
「それじゃあそちらの取り仕切りは、リミ=ルウにお願いします。手が空いたら、わたしもそちらにうかがいますので」
「はーい! だいじょぶだと思うけど、何かあったらトゥール=ディンに聞きにいくからねー!」
可愛らしいメイドさんのような姿をしたリミ=ルウは、意気揚々と回廊を闊歩していく。それを追いかけるのは、ララ=ルウとヤミル=レイだ。護衛役も、それぞれのパートナーとなる3名の狩人たちが追従した。
トゥール=ディンの率いる本隊は、俺、スフィラ=ザザ、リッドの女衆という顔ぶれになる。人数が多い分、こちらでより多くの作業を担当するのだ。手間のかかる下準備は前日の内に仕上げられていたものの、トゥール=ディンの栄誉と誇りを守るために、俺も力を尽くす所存であった。
「それにしても、トゥール=ディンはずいぶんな大役を任されたものよね。城下町にだって、13歳の若年でこんな大役を任される人間はなかなかいないのじゃないかしら?」
アイ=ファとともに厨房内の警護を受け持ったレム=ドムが、笑いを含んだ声でそのように言いたてた。トゥール=ディンは作業の指示で手一杯であったため、別の壁際で窓の外をうかがっていたアイ=ファが「うむ」と応じる。
「ただ、森辺と城下町では、比較にならんように思うぞ。城下町の者たちは、我々以上に見習いの期間が長いのではないだろうか?」
「ふうん? アイ=ファはどうして、そんな風に思うのかしら?」
「身近な人間の様子を鑑みてのことだ。ヴァルカスの弟子たるロイやシリィ=ロウなどは、私と同じかそれ以上の齢でありながら、いまだ見習いの立場であるようだからな」
「それならなおさら、トゥール=ディンの輝かしさが際立つということね。同じ血族として、誇らしい限りだわ」
レム=ドムがそのように言いたてると、アイ=ファはうっすら苦笑を浮かべた。
「レム=ドムは、トゥール=ディンの関心を引こうとしているのか? トゥール=ディンは大きな仕事のさなかであるのだから、年長の人間として見守ってやるがいい」
「あら、意地悪なことを言うのね。だったら、アイ=ファがわたしを慰めてよ」
そんな軽妙なやりとりを聞きながら、俺たちは作業を進めることになった。
俺としてはこういった顔ぶれで作業に取り組むのも珍しい話であったので、何やら新鮮な心地だ。そして、スフィラ=ザザやリッドの女衆の手際のよさに感心するばかりであった。
「……そういえば、ただいまディンとリッドに滞在している女衆の働きぶりは、如何でしょうか?」
と、作業の合間にスフィラ=ザザがそんな風に問いかけてきた。
ザザの血族は先月の中頃から、若い家人をディンやリッドの家に滞在させているのだ。フォウの集落に滞在しているサウティの血族ともども、そちらのかまど番は屋台の商売や下ごしらえを手伝ってくれていた。
「今回の顔ぶれも、まったく不足のない働きぶりだと思いますよ。誰を正式に雇うことになっても、問題はないでしょう」
「そうですか。そちらに出向かせている家人も、すでに3組目となるわけですが……今のところ、不適格な人間はひとりもいないということですね。では逆に、際立って腕のいいかまど番も見当たらないということでしょうか?」
「はい。あえて言うなら、それ以前から滞在の経験があった方々ということになりますね。サウティの血族には、たびたびファの家にお招きしていた方々がいますし……ザザの血族では、やはりスフィラ=ザザが際立っているように思います」
「……それは、真情からのお言葉でしょうか?」
「あはは。虚言は罪でしょう? それに俺は調理に関して、お世辞は言わないように心がけています」
「そうですか」と、スフィラ=ザザは深く息をついた。
「アスタにそのように言っていただけるのは、誇らしい限りです。また、手ほどきをしてくれたトゥール=ディンにも申し訳が立ちました」
「スフィラ=ザザこそ、もっとも昔から手ほどきされていた立場ですもんね。その成果は確実にあがっていると思いますよ」
スフィラ=ザザはトゥラン伯爵家にまつわる騒乱を終えてからすぐルウの集落に滞在し、その後は荷車を駆使してたびたびトゥール=ディンに手ほどきを願っていたのだ。トゥール=ディンと接している時間の長さは、血族でも指折りであるはずであった。
いっぽうこちらのリッドの女衆は、トゥール=ディンが屋台で菓子を販売し始めてからずっと手伝いをしていた立場である。この近年でディンとリッドから1名ずつ増員されていたが、それでもやっぱりもっとも頼もしいのは彼女であった。
ザザの血族もルウの血族に追いつかんとする勢いで、着々と腕を上げている。それもこれも、トゥール=ディンという素晴らしいかまど番が先頭を走っているためであろう。さらに言うならば、トゥール=ディンの魅力的な人柄がいっそうの求心力を発揮しているものと思われた。
(出会った頃は、あんなにはかなげな女の子だったのに……人生、どう転ぶかわからないものだよなぁ)
出会った当時は死んだ魚のように曇った目をしていたトゥール=ディンが、今は星のように瞳をきらめかせながら大役を果たそうとしている。ごく早い段階からトゥール=ディンと深く関わることになった俺としては、それこそ我が子の成長を見守るような心境であった。
「む? 誰か客人のようだな」
と、厨の扉がノックされて、アイ=ファが颯爽とそちらに向かう。
扉の外に控えているのは、ゲオル=ザザとゼイ=ディンだ。そちらと小声でやりとりをしたのち、アイ=ファは俺のほうを振り返り――そうして口を開く寸前に、トゥール=ディンへと向きなおった。今日の責任者はトゥール=ディンであると思い直したのだろう。
「……トゥール=ディンよ。アラウトとカルスとサイの3名が、かまど仕事の見物を願っている。了承するか?」
「あ、はい。もちろんです」
アイ=ファが扉を開くと、その3名が入室してくる。5日ぶりの再会となるアラウトは、本日も純真かつ明朗な面持ちをしていた。
「失礼いたします。デルシェア姫とプラティカ殿の厨を拝見していたため、すっかり出遅れてしまいました。今からでも、見学は間に合うでしょうか?」
「は、はい。カルスのお役に立てるかどうかは、わたしにも判断はつかないのですけれど……」
「それはきっと、カルス次第なのでしょう。お邪魔をしないように心がけますので、みなさんはどうぞ作業をお続けください」
さすがに本日は、交易にまつわる会合も開かれなかったのだろう。アラウトや従者のサイが厨にまで参ずるのは、ずいぶんひさびさのことであった。
「あ、そちらはレム=ドム殿ですね。先日の祝宴ではあまりお言葉を交わす時間も取れませんでしたが、懇意にしていただけたら幸いです」
誰に対しても礼儀正しいアラウトは、壁際にたたずむレム=ドムに一礼する。レム=ドムは遠慮のない眼差しで、3名の客人たちをじろじろと見回した。
「バナーム侯爵家の、アラウトというお人よね? ここ最近でいきなり貴族と顔をあわせる機会が増えたから、顔と名前を覚えるだけでひと苦労だわ」
「はい。僕などはさしたる立場でもありませんので、頭の片隅に留めていただけたら幸いです」
「殊勝なことね。それを言ったら、見習い狩人のわたしなんて頭の片隅に留める甲斐もないでしょうよ」
「とんでもありません。闘技会におけるレム=ドム殿のご活躍は、僕も聞き及んでいます。女人の身で闘技会に入賞するなど、生半可な話ではありませんでしょう。僕などは名ばかりの剣士ですので、感服するばかりです」
アラウトは、あくまでも折り目正しい。
そんなアラウトの姿をじっと見つめてから、レム=ドムは気安く肩をすくめた。
「あなたはどこか、あのレイリスという貴族に似ているようね。あのレイリスは、ずいぶんな力量を持っているけれど……あなたはきっと、剣技とは別のものに注力してきたのでしょうね」
「ええ。僕は兄上とともに、父上の遺志を受け継ぐことに尽力して参りました。剣技の修練は余人に任せて、交易について学ぶ必要があったのです」
「それで剣技の修練を受け持ったのが、あなたというわけかしら?」
と、レム=ドムはいくぶん鋭さを増した目つきでサイを見やる。
「あなたはたしか……ディガ=ドムが氏を授かる儀式の日に、わたしたちと一緒に剣技の手ほどきをされていた男衆よね?」
アラウトの忠実な従者にして幼年からの友人であるというサイは、引き締まった面持ちで「ええ」と応じた。彼らはディガ=ドムと正しき絆を結ぶべく、その儀式の日にドムの集落を訪れていたのだ。そしてその場では、ジェムドやサンジュラを指南役として剣技の手ほどきをする時間が設けられていたのだった。
「これが不遜な問いかけであったなら、無視してくれてかまわないけれど……あなたは剣士として、どれほどの力量であるのかしら?」
「……どれほどの力量と申しますと? 恥ずかしながら、闘技会に入賞されたレム=ドム殿やレイリス殿とは比べるべくもないでしょう」
「それじゃあ、その辺りをうろついている兵士なんかと比べたら、どうなのかしら?」
レム=ドムの言葉をはかりかねた様子で、サイは口をつぐんだ。
すると、黙って成り行きを見守っていたアイ=ファが発言する。
「レム=ドムよ。それは確かに、不遜な物言いであるようだ。正しき絆を育むためにも、礼を失した問いかけは取りやめるがいい」
「だってわたしはアイ=ファほど余人の力量を見抜くのが得手ではないし、そもそもジェノスの兵士たちと顔をあわせる機会もそうそうなかったのだからね。こちらの男衆の力量はあの儀式の日に知ることができたけれど、兵士たちの力量などは皆目見当もつかないのよ」
そう言って、レム=ドムは挑発するような流し目でアイ=ファを見た。
「だから、こちらの男衆と兵士たちの力量を比べるすべがないの。もしよかったら、アイ=ファが答えてくれないかしら?」
「そのような話を本人の前ですることも、礼を失していよう」
すると、アラウトが「いえ」と声をあげた。
「アイ=ファ殿がそれほどの眼力をお持ちなのでしたら、僕たちもそのお答えを聞かせていただきたく思います。ジェノスの兵士の方々と比較して、サイの力量というのは如何ほどであるのでしょうか?」
「……兵士などというのは数多く存在するのだから、そのひとりひとりと比べることはできん。ただ……そちらのサイほどの力を持つ兵士というものは、これまでほとんど見かけたことがないように思う」
「そうですか」と、アラウトはあどけなく笑った。
「サイもまた若年の身ですので、そうまで高望みすることはできません。ですが、森辺の勇者と名高いアイ=ファ殿にそのように言っていただけるのは、誇らしい限りです」
それはどうも、主人ではなく旧友としての思いであるようだ。その証拠に、サイは引き締まった面持ちのままいくぶん頬を赤くしていた。
「それで、レム=ドム殿はどうしてサイの力量などをお気にかけていたのでしょうか?」
「ああ、ジェノスの兵士たちがそちらのサイぐらいの力を持っていたら、わたしの指南なんて役に立たなそうだと考えただけよ。無関係のあなたたちに面倒をかけてしまって、申し訳なかったわね」
「なるほど。そういうことでしたか。指南の件に関しては、僕も聞き及んでいます。レム=ドム殿に指南されたならば、ジェノスの兵士の方々はいっそうの力を育まれることでしょう」
「ふん。そんな話は、ヴィケッツォにでも振ればいいのにね。あいつは毒の武器を使わなくても、わたしを超える力量なのだから」
レム=ドムがそのように言い捨てると、アラウトは「ああ……」と息をついた。
「あのティカトラス殿のご息女は、かつて袋剣の勝負でレム=ドム殿を打ち負かしたのだというお話でしたね。レム=ドム殿にアイ=ファ殿にヴィケッツォ殿と、女人の身でそれだけ優れた剣士が数多く存在するというのは、実に驚くべき話です」
「ふん。わたしなんかと並べられたら、アイ=ファやヴィケッツォはさぞかし不本意でしょうけれどね」
「とんでもありません。レム=ドム殿は、闘技会で入賞されているのですからね。その時点で、ジェノスで屈指の剣士であるということは証明されているではありませんか」
そう言って、アラウトは深みのある眼差しをサイに向けた。
「このジェノスには、優れた剣士の方々が数多くひしめいています。サイとしては、忸怩たる思いでしょうが……それは、僕やカルスにしても同じことです」
「うん? まさかそちらのかまど番まで、剣をたしなんでいるわけではないでしょう?」
「カルスは料理人として、僕は貴族としてです。ジェノスに素晴らしい料理人の方々が数多く居揃っていることは言うまでもありませんし……それは、貴族の方々も同様です。僕はジェノス侯やメルフリード殿やポルアース殿と親しくさせていただくことで、自分の至らなさを思い知ることになりました。それは、サイがレム=ドム殿やアイ=ファ殿に抱くのと同じような思いであることでしょう」
「……なるほど。それこそが、あなたの選び取った道であるということね」
「はい。領民に正しき道を指し示す貴族として、僕は力を尽くしたく思います。僕もサイもカルスも、このジェノスで自分の至らなさを思い知り、そしてさまざまなことを学ぶことがかないました」
「……そちらのお人は、今も修練に夢中ですものね」
と、レム=ドムはカルスに皮肉っぽい目を向ける。カルスは入室して以来、ずっと調理の見学に夢中で、アラウトたちの会話などいっさい耳に入っていない様子であったのだ。
「そうですね。カルスの主人として、僕も心強い限りです」
アラウトが屈託なく笑うと、レム=ドムも愉快げに口の端を吊り上げた。
貴族に対して意外な順応力を見せるレム=ドムであったが、やっぱり純真なるアラウトを相手にしてもその資質は存分に発揮されるようであった。
◇
その後、アラウトたちはリミ=ルウが取り仕切る厨やデルシェア姫およびプラティカが働く厨まで巡回し――あっという間に、数刻ばかりの時間が過ぎ去った。
『麗風の会』が開始される中天の半刻前、予定していた刻限ぎりぎりに3種の菓子が完成する。それが小姓たちの手によって台車に移されていくさまを見守りながら、トゥール=ディンは深々と息をついた。
「みなさんのおかげで、どうにかすべての菓子を仕上げることがかないました。心より、感謝の言葉を伝えさせていただきたく思います」
「とんでもない。ひさしぶりにトゥール=ディンの仕事を手伝うことができて、俺も楽しかったよ」
俺がそのように伝えると、トゥール=ディンはやわらかく微笑みながら少しだけ目を潤ませてしまった。
「アスタに菓子作りを手伝っていただくなんて、不遜の限りですよね。でも……わたしも、とても幸福な心地でした」
「うん。オディフィアたちの喜ぶ姿を見るのが楽しみだね」
そうして俺たちが和やかに語らっていると、ダレイム伯爵家の侍女たるシェイラがおずおずと声をかけてきた。
「それでは、お時間も差し迫って参りましたので、お召し替えをよろしいでしょうか?」
「あ、はい。どうぞよろしくお願いします」
14名の森辺の民は、シェイラの案内でお召し替えの間を目指す。最近は女衆の着付けも念入りになってきて、半刻でもけっこうぎりぎりになってしまうのだ。なおかつ『麗風の会』というのは若き貴婦人を中心にした集いであるため、通常の祝宴と同じかそれ以上に宴衣装も豪華であるのだった。
(でもアイ=ファも、前回は武官の礼服だったもんな。今回もあんまりティカトラスの意向は反映されてないみたいだから……期待しないで待っておこう)
ひそかにそんな思いを抱きつつ、俺はお召し替えの間に待ちかまえていた小姓に身をゆだねることになった。
俺に準備されていたのは、ジェノスにおいてもオーソドックスである宴衣装――袖なしの胴衣に丈の短い儀礼用のマント、それにゆったりとしたバルーンパンツめいた脚衣という一式だ。俺はかつてリッティアからも同じ様式の宴衣装をプレゼントされていたが、こちらはティカトラスからいただいた、より豪奢なバージョンである。
そして俺以外の5名に準備されていたのは、やはり武官の礼服だ。軍服のようにかっちりとしていながら、刺繍や飾り物が上等で絢爛な、勇壮にして美々しい装いである。前回の『麗風の会』でも感じた通り、ルド=ルウたちにはその礼服がきわめてよく似合っていた。
「そうかそうか! 『麗風の会』という集まりでは、こういう装束だったな! まあ、男衆はどのような格好でもかまうまいよ!」
5日前の試食の祝宴も楽しく過ごすことのできたラウ=レイは、本日もご満悦の面持ちだ。ヤミル=レイも今では4種ばかりの宴衣装を準備されていたので、本日はどれが持ち出されるのかと胸を弾ませているのだろう。女衆の宴衣装に期待をかけるというのは、森辺においても俺とラウ=レイぐらいしか存在しないのかもしれなかった。
(まあ、ルド=ルウもきっと内心ではリミ=ルウの可愛い姿にご満悦なんだろうけどな)
そうして控えの間で四半刻ほど過ごしていると、ようやく女衆もやってきた。
トゥール=ディンとリミ=ルウは、前回の『麗風の会』でリッティアから贈られた、パーティードレスめいた宴衣装だ。ふわふわとふくらんだフリルのスカートが可愛らしく、ふたりにはよく似合っていた。
そして、ララ=ルウとリッドの女衆は、セルヴァ伝統の宴衣装となる。ボディラインの強調される薄物の長衣と袖なしのガウンめいた長衣で、装束そのものはシックだが、飾り物の絢爛さは他の面々以上であった。
そして、ヤミル=レイは2度目の祝宴で準備されたダークグリーンの宴衣装、スフィラ=ザザは試食の祝宴で準備された藍色の宴衣装であったのだが――残る2名の装いに、俺は目を剥くことになってしまった。アイ=ファは肖像画を描かれる際に準備された真紅の宴衣装で、レム=ドムはそれと同じ様式である漆黒の宴衣装であったのだ。
「なんだ、アイ=ファとレム=ドムも俺たちと同じ格好かと思ってたのに、今回は違ったんだなー」
「ええ。ようやくわたしにも、アイ=ファたちの苦労がわかってしまったわよ。こんな宴衣装は、動きづらいばかりよね」
レム=ドムは取りすました顔で、肩をすくめる。きわどいぐらいに襟ぐりが開いており、上半身はぴったりとフィットして、下半身は大輪の花のように大きくふくらんでいる、きわめて豪奢な宴衣装である。それに、たとえ黒い生地であっても金色の刺繍や数々の飾り物のおかげで、誰と比べても負けることのない絢爛さであった。
それにレム=ドムは男衆さながらの筋肉美であったが、それと同時に女性らしいプロポーションも保持しているのだ。剥き出しの肩や二の腕などはずいぶん筋肉が目立っていたものの、くっきりと割れた腹筋が隠されることでその優美なるボディラインがいっそう際立つように感じられた。
なおかつ、レム=ドムは森辺の祝宴でも宴衣装を纏おうとしないので、俺は彼女が髪をほどいている姿を見るのは初めてのことであった。いつもは適当にくくられている黒褐色の髪が綺麗にくしけずられて背中まで垂らされると、彼女は格段に艶めかしく見えた。誰より勇猛な女衆でありながら、彼女は色香にも不足していないため、それがひときわ強調されるわけであった。
そしてアイ=ファは、目にも鮮やかな真紅の宴衣装である。武官の礼服を想像していた俺は、そのギャップで目がくらんでしまいそうだった。どのような宴衣装でもアイ=ファが美しいことに変わりはないが、やはり真紅の色合いというのはインパクトが絶大であるのだ。それに、いつでも昼間のように明るい紅鳥宮であるが、本当の陽光のもとではその鮮烈さが上乗せされるように感じられてならなかった。
「ア、アイ=ファは武官の礼服じゃなかったんだな」
「うむ。十中八九、ティカトラスの意向であろうな」
こんなに豪奢な姿であるのに、アイ=ファはぶすっとした面持ちになってしまっている。それでも俺がアイ=ファの美しさに見とれていると、レム=ドムがにやにやと笑いながら近づいてきた。
「アイ=ファは不機嫌そうだけど、アスタはご満悦のようね。でも、こんなに胸もとが開いていたら、何かの拍子で乳房がこぼれてしまいそうじゃない? これで裸身を見られたら、相手の目をえぐることは許されるのかしら?」
そんな風に言いながら、レム=ドムが自分の襟もとを乱暴に引っ張ったので、アイ=ファは「やめんか」と顔をしかめた。レム=ドムの凶悪な胸の谷間を見せつけられて、俺は目を白黒させるばかりである。
そうしてお召し替えを完了させた俺たちは、すぐさま『麗風の会』の会場に案内されることになったのだった。




