ファの家の晩餐②~交流~
2023.8/31 更新分 1/1
「本日も、新たな食材を中心に献立を組み立ててみました」
それぞれ食事を開始した客人たちの姿を見回しながら、俺はまず料理の内容を解説することにした。
「主菜は豆乳のハンバーグリゾット、汁物料理はドエマを使ったタラパのスープ、副菜は魚卵と凝り豆の和え物に、アラルとドミュグドのソテーとなります」
主菜をハンバーグリゾットにしたのは、アイ=ファばかりでなくジバ婆さんを気づかった結果である。キミュスの骨ガラで出汁を取り、調味料は塩とピコの葉とシャスカ酒のみとなる。豆乳の優しい風味を活かすには、調味料を最小限に留めるのが有効であった。他なる具材も、アリアとブナシメジモドキのみだ。獣肉を食せないフェルメスには、ハンバーグを除いた豆乳リゾットを供していた。
汁物料理は牡蠣のごときドエマとギバ肉の共存を目指した、第2弾の献立である。豆乳スープでは繊細な味の組み立てに試行錯誤しているさなかであるが、タラパは味が強いので難なくドエマとギバ肉の味をまとめてくれた。あとは海草の出汁を使っており、具材はチンゲンサイのごときバンベ、長ネギのごときユラル・パ、白菜のごときティンファ、豆腐のごとき凝り豆、そしてマツタケのごときアラルの茸であった。
副菜のひとつ目は、イクラのごときフォランタの魚卵と凝り豆、そしてホウレンソウのごときナナールで和え物をこしらえた。味付けはめんつゆのみとなるが、こちらもシャスカ酒を使用している。ニャッタの蒸留酒とシャスカ酒は調理酒としてまさり劣りのない存在であるが、シャスカ酒のほうがいっそうコクのある印象であった。
もう片方の副菜は、マツタケのごときアラルとアスパラガスのごときドミュグドを乳脂でソテーに仕上げた。ジバ婆さんのみ、食べやすいようにドミュグドは輪切りだ。実に罪のない味わいであるが、アラルの風味は乳脂ともきわめて相性がいいように感じられた。
「そしてもうひと品、プラティカにも準備していただきました。プラティカ、お願いします」
「はい。ニレ、ノノ、フォランタの魚卵、和え物です。ギラ=イラ、香りづけ、使用しています」
ウドのごときニレとミョウガのごときノノを千切りにして、イクラのごとき魚卵を和えた副菜である。そちらは魚醤と貝醤をベースにした調味液が使われており、強烈な辛みを持つギラ=イラが微かな香りづけとして使われていた。ピリ辛の一歩手前というレベルであるので、これならばアイ=ファを筆頭に舌を痛めることもないだろう。
こちらはもちろんプラティカがゲルドで暮らしていた時分から手掛けていた料理となる。俺が和え物でフォランタの魚卵を使うと聞き及んだプラティカは、対比の品としてこちらの献立を選んだのだという話であった。
「あ、汁物料理もフェルメスの分はギバ肉を使っていないので、安心してお召し上がりくださいね」
「また僕のためにいらぬ手間をかけさせてしまったのですね。その親切な行いに、心よりの感謝を捧げさせていただきます」
と、フェルメスはポルアースの隣から可憐な乙女を思わせる眼差しを送ってくる。俺は恐縮するばかりであるし、アイ=ファはもちろん仏頂面であった。
「いやあ、これは素晴らしい! 城下町でもはんばーぐに似た料理が数多く出回るようになったけれど、やっぱりアスタ殿の作は格別だね!」
ポルアースがそのように言いたてると、アイ=ファがぴくりと眉を震わせた。
「……ポルアースよ。城下町では、そのような料理が出回っているのであろうか?」
「うん! 何せアスタ殿は、はんばーぐかれーという料理でジェノス一の料理人という称号を賜ったわけだからね! それはもう、追従しようとする料理人も後を絶たないさ!」
「それはまた、喜ばしいような落ち着かないような……なんとも奇妙な気分だな」
「あはは! 城下町の料理人であれば、どうしたって自分ならではの工夫を凝らそうとするからね! なかなか愉快な出来栄えの品も少なくはないけれど、森辺の方々の口に合うかどうかは別の話だろうね!」
アイ=ファは「そうか」とだけ答えて、それ以上の言及はつつしんだ。自分の大好物であるハンバーグが城下町の料理人によってアレンジされるというのは、ずいぶん複雑な心境であるのだろう。そんなアイ=ファをなだめるために、俺は笑顔を送っておくことにした。
「だけどこいつは、本当に格別だねぇ……あたしはこの豆乳ってやつも、好ましく思うよ……」
「ああ、豆乳はカロンの乳よりも口当たりがやわらかいですからね。そのまま飲もうとすると風味やのどごしが重たい感じもしますけれど、食材としては扱いやすいように思います」
「うん……リミたちが作ってくれる汁物料理も、たいそうな出来栄えだったからねぇ……」
ジバ婆さんのそんな言葉に、リミ=ルウは「えへへ」と嬉しそうに笑う。アイ=ファとジバ婆さんにはさまれたリミ=ルウは、最初から幸せいっぱいの面持ちであった。
そしてやっぱり気になるのは、俺やアイ=ファの正面に陣取る幼子たちだ。
そちらもまた、最初から笑顔で料理を食べてくれていた。ピリヴィシュロだけは無表情であるが、時おり木皿で口もとを隠しているので、その下にはコタ=ルウたちと同じ表情が浮かべられているのだろう。今日は辛みの強い料理もないので、コタ=ルウとアイム=フォウも大人たちとまったく同じ喜びを分かち合えているはずであった。
「ピリヴィシュロは、如何ですか? 前回もハンバーグだったので、ちょっと申し訳なく思っていたのですが」
「いえ。あじわい、まったく、ことなっています。きわめて、びみです」
口もとを隠したまま、ピリヴィシュロはそのように答えてくれた。
「ほかのりょうりも、きわめて、びみです。ししょくのしゅくえん、うわまわっている、おもいます。アスタ、しゅわん、かんぷくです」
「ありがとうございます。まだあれから5日ていどしか経っていませんけれど、毎日新たな食材の研究に励んでいますからね。その成果が出ていれば、嬉しいです」
「せいか、かくじつです。……それに、プラティカも、りょうり、きわめて、びみです。やっぱり、しゅわん、こうじょうです」
「恐縮です」と、プラティカは深々と頭を垂れる。幼年なれども、ピリヴィシュロもプラティカにとっては主君の血筋であるのだ。
「でもこれは、本当に目覚ましい成果だね! 目新しいことに間違いはないのに、びっくりするぐらい舌に馴染むようだよ! やはり新しい食材を使いこなす手腕は、アスタ殿の右に出るものはないね!」
ご満悦の表情で、ポルアースも会話に加わってきた。
「そしてプラティカ殿の料理には、熟練の技が感じられるよ! たとえ使い慣れている食材であっても、君はアスタ殿よりもさらに若年であるのにね! まったく感服するばかりだ!」
「恐縮です」と、プラティカはまた一礼する。
そして、隣の主人をちらちらとうかがうが、アルヴァッハは歓談の場を邪魔しないように無言である。その巨体に渦巻く激情は、のちほどまとめて届けられるはずであった。
「でも確かに、どれもこれもうめーよなー。レイナ姉も、こーゆー料理に夢中になればいいのによー」
「あはは。そっちはギラ=イラの使い方に苦労してるみたいだね」
「あー。毎日必ずひと品は、辛い料理が出されるんだよなー。ま、飛び上がるほどの辛さじゃねーけどよー。コタだって、自分の食えねー料理を出されるのはつまんねーだろ?」
「ううん。おとなになって、たべられるのがたのしみ」
「あはは! やっぱりコタのほうが、ルドよりしっかりしてるねー!」
「うるせーよ、ちびリミ」
ルド=ルウがジバ婆さんの背中ごしに赤茶けた髪をひっかき回すと、リミ=ルウは楽しそうに「きゃー」と悲鳴をあげた。そんな姿を見せつけられると、ますます優しげな眼差しになるアイ=ファである。
「ところで、そちらのご婦人はきっと初顔だよね。サリス・ラン=フォウ……だったっけ?」
ポルアースがそのように呼びかけると、サリス・ラン=フォウはわずかに姿勢を正して「はい」と応じた。
「家長バードゥの末弟に嫁入りしました、サリス・ラン=フォウと申します。貴き身分にある方々とお会いする機会はあまりありませんでしたので、何か失礼がありましたらご容赦をお願いいたします」
「ああ、バードゥ=フォウ殿の義理の娘さんであられたのだね。僕たちこそ森辺においては身をつつしむべき立場であるのだから、何も固くなる必要はないよ」
ポルアースはふくよかなお顔に、にっこりと笑みをたたえた。
「僕たちも、伴侶を持たれる森辺のご婦人とご縁を持つ機会が少なかったからさ。城下町まで参じるのは、ダリ=サウティ殿やディック=ドム殿やチム=スドラ殿の奥方たちと……あとは最近婚儀を挙げられた、フェイ・ベイム=ナハムぐらいだろうからねぇ」
「そうですね。屋台のほうも若い方々が中心になって手伝ってくれているので、城下町にお招きされる際も自然にそういう顔ぶれになっていたかと思います」
俺がそのように言葉を添えると、ポルアースは鷹揚に「うんうん」とうなずいた。
「できればこちらもさまざまな身分の方々とお会いして、理解を深めたいところだからねぇ。今日はサリス・ラン=フォウばかりでなく、森辺の行く末を担う面々とも食卓を囲むことができて喜ばしい限りだよ」
それが自分のことであると気づいたらしいコタ=ルウが、ポルアースに負けないぐらい朗らかな笑みを返す。いっぽうアイム=フォウは、母親の背中に隠れたいかのようにもじもじとした。
「あー、コタも森辺の祝宴では家の中に閉じこもってるから、ポルアースもそんなに顔をあわせたことがないんだっけか」
「うん。僕がコタ=ルウ殿とお会いするのは、ルウ家の晩餐に招かれたときぐらいだろうね。今日はそれよりも少人数だから、いっそう近しく感じられるよ」
そのように語るポルアースは、とても楽しげだ。もしかしたら、ポルアースも子供好きであるのかもしれなかった。
コタ=ルウたちは静かにしていても、その愛くるしい姿だけで場を和ませてくれる。俺などは彼らの正面に座しているため、和み放題だ。そもそものきっかけを作ってくれたピリヴィシュロには、感謝するばかりであった。
「そういえば、ピリヴィシュロはオディフィアと仲良くなれましたか?」
俺が何気なく問いかけると、ピリヴィシュロはぎょっとしたように身をすくめてから、空の木皿で口もとを隠してしまった。その切れ長の目のまわりが、血の気をおびているようである。
「そ、そのしつもん、なぜですか?」
「あ、いや、城下町でお会いする同じ年頃の御方というのは、オディフィアぐらいかなと思って……何かまずいことを聞いてしまいましたか?」
「い、いえ。オディフィア……すてきです」
そんな風に答えてから、ピリヴィシュロはいっそうあたふたしてしまった。
「に、にしのことば、むずかしいので、てきせつ、ことば、みつかりません。ごかい、ない、おねがいします」
すると、ずっと無言であったナナクエムが解説してくれた。
「オディフィア、幼いが、表情、つつしむ手腕、見事である。よって、ピリヴィシュロ、感服している、思われる。オディフィア、貴婦人として、完璧である」
「ああ、そういうことですか。確かにオディフィアは、東の方々に負けないぐらい表情が動きませんよね。それでもまあ、感情を汲み取るのに苦労はありませんけれど」
俺がそのように答えると、ナナクエムはいくぶんうろんげに目を細めた。
「アスタ、オディフィアの心情、汲み取る、容易であろうか?」
「え? ああ、はい。自分では、そのつもりでいますけれど……」
「では、我々、心情、同様であろうか?」
「うーん、どうでしょう。オディフィアに対してもみなさんに対しても、自分の勝手な思い込みかもしれませんし……あまり確かなことは言えないかもしれません」
すると、ルド=ルウが助け船を出してくれた。
「別にそんなの、アスタに限った話じゃねーんじゃねーの? あんたたちが怒ってるか喜んでるかぐらいは、誰だって気配でわかるだろうしなー」
「そちら、狩人ならでは、眼力では?」
「あー、そーなのかなー。ちびリミは、どーなんだよ?」
「うーんとねー! 昔はよくわかんなかったけど、屋台の商売で慣れちゃったかも! シムの人たちも、みんな嬉しそうに屋台の料理を食べてるから!」
「なるほど。アスタのみならず、森辺の民、意思の疎通、支障、感じない、考えていたが……納得である。心情、正しく、汲み取ってもらい、ありがたい、思っている」
ナナクエムがそのように答えると、ルド=ルウは「ふーん?」と小首を傾げた。
「だったら顔を動かしたほうが、話は早いんじゃねーの? そもそもあんたたちは、どーして顔を動かさねーんだよ?」
「東方神、教えである。心、静謐、保つためである。おそらく……シムの民、勇猛な気性、抑制のためである」
「ふーん? 勇猛なのは、ゲルドの民だけって話じゃなかったっけ?」
「否。東の民、余さず、勇猛である。ゆえに、ひとたび、王国、瓦解したのであろう。草原、ジギの民、もっとも温和、言われているが……それでもなお、真なる気性、西の民より、勇猛である」
「あー。そうじゃなきゃ、森辺に婿入りしたいなんて考えないのかもしれねーなー」
ルド=ルウはようやく納得がいった様子で、にっと白い歯をこぼした。
勇猛という言葉を情熱的と置き換えれば、俺にも納得できないことはない。そもそも草原の民だって、身ひとつで大陸中を駆け巡ろうという人間が数多く存在するのだから――ただ温和なばかりではないはずであった。
「よって、ゲルドの民、勇猛、過ちである。正確には、勇猛な気性、もっとも隠せていない、称するべきである」
「へー。俺たちが顔をあわせるのはゲルドとジギって地の人間だけらしいけど、他にはどんな連中がいるんだっけ?」
「ドゥラ、海の民、ラオリム、王都の民である。ドゥラ、ゲルド、近しい存在である。ラオリム、勇猛な気性、もっとも隠しおおせている。ただし、本性、もっとも、勇猛である」
「なーるほど。だから、ジャガルとの戦が終わんねーわけか。一番偉いやつが一番荒くれてるってのは、苦労が大きそうだよなー」
ルド=ルウの明け透けな物言いに、さしものナナクエムも口を閉ざしてしまった。
すると、フェルメスがふわりと言葉を添える。
「ですが、森辺の族長たるドンダ=ルウやグラフ=ザザも、森辺で屈指の勇猛さを誇る方々でありましょう? 勇猛すなわち野蛮というわけではないのですから、重要なのはそれを律する心がけであるのでしょう。そうすることで如何に得難き力が生まれるかは、森辺やゲルドの方々が立証しておられますからね」
「あー。弱腰なやつに、一族の長は務まらねーだろうしなー」
「はい。そして、ダカルマス殿下もまた然りです。ダカルマス殿下がどれだけ勇猛果敢な御方であられるかは、飛蝗の騒乱で証明されていますからね。ジャガルの方々は静謐に心を保つのではなく、明るく正しい方向に心を解き放つことで勇猛な気性を昇華しているのでしょう」
「うむ。ダカルマス、および、ロブロス、フォルタ、いずれも、敬服、値する。西の地、巡りあえたこと、僥倖である」
ナナクエムがそのように答えると、しばらく静かであったジバ婆さんが透き通った微笑を浮かべつつ発言した。
「あんたがたは本当に、ジャガルの人らとも仲良くやれているようだねぇ……あたしらにとっては、どっちも大切な客人だから……心より喜ばしく思っているよ……」
「うむ。仲良き、語弊、あるやもしれんが……おたがい、尊重、できたこと、僥倖である。ジェノスの面々、尽力、おかげである」
ポルアースはいくぶんかしこまった面持ちになりながら、「とんでもありません」と頭を下げた。
「その事実をもっとも寿いでいるのは、我々でありましょうからね。これも森辺の方々の美味なる料理が紡いでくれたご縁でありましょう」
「ええ。ゲルドの方々がジェノスに来訪したのは、あくまで《颶風党》の一件で謝罪のお気持ちを伝えるためなのでしょうが……その後にこれほど交易が発展したのは、まぎれもなくアスタを筆頭とする森辺の料理人のおかげなのでしょうね。アスタは森辺のみならず、さまざまな地の人々に望ましい運命の変転をもたらしてくれたということです」
フェルメスがそのように言い添えると、アイ=ファは少しだけ鋭い目つきをした。
フェルメスはそれをなだめるように微笑んでから、ピリヴィシュロたちのほうに視線を向ける。
「さらに今回はピリヴィシュロ殿の来訪で、いっそう実りの多い交流が生まれたようですね。いずれゲルドの大きな一翼になられるピリヴィシュロ殿がオディフィア姫やコタ=ルウやアイム=フォウといった未来ある幼子たちと絆を深めるというのは、どの地の人々にとっても小さからぬ出来事でありましょう」
「ふむ。ジェノス侯爵家のオディフィアやルウ本家のコタ=ルウと並べられてしまうと、アイムにはいささか荷が重かろうな」
バードゥ=フォウがそのように応じると、今度はポルアースが軽妙に返した。
「それを言ったら伯爵家の第二子息に過ぎない僕がこのような場に駆り出される重責を担わされておりますし、ファのご両名とて本来は森辺で重んじられるべき血筋ではないのでしょう? 血筋は重要でありますが、血筋だけが重要なわけではありません。こちらのアイム=フォウも、森辺の行く末を担うおひとりであるということに変わりはないのでしょう」
「うむ。アイムがアスタやアイ=ファのように立派な人間に育ってくれたら、俺も誇らしい限りだな」
そう言って、バードゥ=フォウはアイム=フォウに微笑みかけた。きっと幼いアイム=フォウには言葉の内容も理解できていないのであろうが、それでも嬉しそうに微笑みを返す。どれだけ話が堅苦しい方向に流れようとも、幼子たちのおかげで和やかな雰囲気に変わるところはなかった。
「そういえば……アイムという名は、アイ=ファに似ていますね。もしやその名には、アイ=ファのように立派な人間になってほしいという思いが込められているのでしょうか?」
フェルメスが何気なく問いかけると、サリス・ラン=フォウもまた微笑をたたえつつ「ええ」と応じた。
「アイ=ファはわたしが知る限り、もっとも立派で好ましい人間でありますので……そんなアイ=ファにあやかりたいと願うことになりました」
「なるほど。アイ=ファはそれほどの昔日から、すでに立派な人間であられたのですね」
フェルメスに優美な微笑を向けられて、アイ=ファはがりがりと頭をかきむしる。アイ=ファは他者からの賞賛を苦手にしているし、フェルメスももちろんそれを承知の上でそんな話題を持ち出したのだろう。まったく困ったものだなあと俺が苦笑していると、アイ=ファに脇腹を小突かれてしまった。
「アイ=ファ殿は本当に、女人とは思えぬ力量をお持ちだものねぇ。あの収穫祭での活躍は、今でもくっきりと心に焼きつけられているよ。……ひょっとしたら、いずれアイ=ファ殿にも指南役の役目が依頼されるかもしれないね」
ポルアースが笑顔で取りなすと、アイ=ファはまた別の理由から鋭い目つきとなった。
「そういえば、レム=ドムを剣技の指南役として迎えたいという一件は、進んでいるのであろうか? 5日が経っても、何も聞こえてこないようだが」
「うん。現在はロギン殿が中心になって、あれこれ調整を進めているさなかだよ。近日中に、日取りや指南の内容なんかが決定されるんじゃないかな」
「そうか。ロギンやメルフリードの望む通りの結果が得られるように、私も祈っておくことにしよう」
「うんうん。また森辺の方々には大きな苦労をかけてしまうのだから、こちらもしっかりと成果をあげないとね」
そこでようやく、晩餐の場に沈黙が落ちた。
すると――青い瞳を爛々と燃やしたアルヴァッハが、頭をもたげる。
「……歓談、ひと区切りであろうか?」
「はい。アルヴァッハ殿のお見事な論評を心待ちにしておりましたよ」
ポルアースは如才なく笑顔で答えたが、ナナクエムは溜息をついている。そしてその紫色をした目が、じっとりと朋友をねめつけた。
「本日、幼子、同席している。時には、長広舌、つつしむべきでは?」
「我、フェルメス、協力、いただき、書簡、したためる、考案した。しかし、アスタ、文字の読み取り、不得手、聞いている。であれば、感想、正しく伝わらない。晩餐の場、乱す、迷惑であれば、のちほど、別に時間、作ってもらいたい、考えている」
「その案、アスタ、余計、迷惑である。……アルヴァッハ、つつしみ、欠けること、謝罪、申し上げる」
ナナクエムは諦念の目つきで、頭を下げてくる。しかしまあ、アルヴァッハの長広舌をそうまで迷惑に思っている人間はいないことだろう。俺も笑顔で取りなすことにした。
「アルヴァッハほど確かな舌と見識を持たれる御方から入念にご意見をいただけるのは、俺にとってもありがたい話です。ナナクエムも、どうぞお気になさらないでください」
「アスタ、温情、感謝する。……アルヴァッハ、せめて、簡潔、心がけるべきである」
「承知である」と告げてから、アルヴァッハは東の言葉で語り始めた。
どこか詠唱を唱えているようにも感じられる、重々しい声音の長広舌である。それを初めて耳にするアイム=フォウはきょとんとしており、そしてコタ=ルウは――何故だか心地よさげに目を細めていた。
バードゥ=フォウはどこかで耳にした経験があるのか、それとも持ち前の沈着さであるのか、普段通りの落ち着いた面持ちだ。いっぽうサリス・ラン=フォウも、アルヴァッハの行状に関しては聞き及んでいるはずであるが、アイム=フォウと同じような面持ちになってしまっていた。
「……まず、主菜であるはんばーぐりぞっとなる料理についてであるが、こちらは素晴らしい出来栄えである。豆乳を煮汁として扱う手腕は試食の祝宴においても証明されていたが、こちらはドエマを使った汁物料理にも劣らない出来栄えであろう。また、豆乳という食材はギャマやカロンの乳に劣らないほど上質な食材であるのであろうが……それにつけても、わずかな調味料で最大限の調和を成すアスタの手腕には感服するばかりである。こちらも先日の汁物料理と同じようにピコの葉以外に香草を使用していないが、それを無念に思う気持ちは生じない。このたびは、ギバ肉の力強い味わいが中核を担っているのである。ただギバ肉を煮込むのではなく、はんばーぐに仕上げているのがまた効果的であろう。細かく刻まれたギバ肉と豆乳の煮汁が口の中で絡み合い、得も言われぬ調和を成立させている。ギャマの腸詰肉を食べ慣れている我々としても、アスタの作りあげるはんばーぐの完成度には毎回舌を巻く思いである」
やがて通訳を開始したフェルメスは、そこでひとつ息をついた。
コタ=ルウはぱっちりと目を開いたが、アイム=フォウは相変わらずきょとんとした面持ちだ。幼子にとっては、フェルメスの言葉も東の言葉と同じぐらい難解であるはずであった。
「アスタは先刻ピリヴィシュロに対して、再びはんばーぐを供したことを詫びていたが、謝罪には及ぶまい。ミャンツとボナとシィマを使用した先日のはんばーぐと本日のはんばーぐは、まったくもって別の料理となろう。もちろんこれが連日であったのならば多少は他なる料理を望む気持ちも生じるのやもしれないが、10日以上を空けてのことであれば食べ飽きる理由は存在しないし、これだけ味付けが異なっていればなおさらである。また、先日はギバの舌を使用しており、本日は異なる部位であるのだから、その点においても大きな相違が生じている。さらに言うならば、我はこの10日余り、アスタのはんばーぐを再び口にできる日を待ち焦がれていた。アスタはかつてダカルマスの主催した試食会なる催しにおいても、はんばーぐかれーなる料理にて勲章を授かったのだと聞き及んでいる。アスタにとって、はんばーぐこそが得意料理のひとつであるのだろう。我はアスタのはんばーぐを口にするたびに心を震わせており、本日もその例外ではない。はんばーぐはさまざまな形で調和を成すことのできる料理であり、アスタの手腕がさらに可能性を広げているのである。本日もはんばーぐの素晴らしい一面を披露してくれたアスタに、我はひたすら感謝するばかりである」
そうしてフェルメスは再び息をつき、チャッチの茶で口を湿した。
「はんばーぐに関しては、以上です。では、次なる料理について、どうぞ」
アルヴァッハはさっそく口を開きかけたが、ナナクエムがそれを制止した。
「アルヴァッハ、簡潔の意味、わきまえていようか?」
「うむ。最大限、要約したつもりである。言葉、倍、語っても、すべての思い、伝えられるか、疑問である」
アルヴァッハのそんな返答に、ナナクエムはがっくりと肩を落とす。
すると、ピリヴィシュロがいくぶんもじもじしながらコタ=ルウのほうを振り返った。
「おじぎみ、ひがしのことばでも、ないよう、むずかしいです。コタ=ルウ、りかい、かのうですか?」
「ううん。ひがしのことば、わかんない」
「そうですか。でも、コタ=ルウ、かお、まんぞくそうでした」
「うん。アルヴァッハのこえ、すきだから。こもりうたみたいで、とうをおもいだすの」
あのジザ=ルウが、コタ=ルウに子守歌を聞かせる機会もあるのだろうか。
そんな姿を想像しただけで、俺は何だか胸が温かくなってしまった。
そうしてファの家の広間には、再びアルヴァッハの重々しい声音が響きわたり――この日の楽しいひとときも、ゆっくりと終わりに近づいていったのだった。




