試食の祝宴⑧~まだ見ぬ明日~
2023.8/14 更新分 2/2
・本日は二話同時更新となりますので、読み飛ばしのないようにご注意ください。
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
「失礼します。アスタたちが真剣なご様子であったので、つい心配になって馳せ参じてしまいました」
ガズラン=ルティムが穏やかな面持ちでそのように告げると、フェルメスがすぐさまその後に続いた。
「ただし、星読みにまつわる話であったのなら、僕の耳には入れないようにお願いいたします。そのような話を調書にしたためると、王陛下の不興を買ってしまいますので」
「……あなたは邪神教団にまつわる騒動の折にも、星読みの話をさんざん耳にしたのではないのか?」
アイ=ファが面白くなさそうな面持ちで反問すると、フェルメスは「ええ」と優雅に微笑んだ。
「その際にも、僕は外交官としての責務を二の次にして、恐れ多くも王陛下に秘密を抱えることになってしまいました。そういった心の負担は、なるべく小さくしておきたいのですよ」
「……もとより、そのような話は語るつもりもない。だが……」
と、アイ=ファは俺の耳もとに口を寄せてきた。
「……やはりあの件に関しては、フェルメスに助言を仰ぐべきなのであろうか?」
俺は小首を傾げつつ、アイ=ファに囁き返すことになった。
「でも、その話とアリシュナの話は無関係だろう?」
「そうかもしれんが、そうではないかもしれん。このような話が同じ日に起きるというのが、私は気に食わんのだ」
確かに俺は、理由もわからず不可解な感覚に見舞われた。これが星図の乱れというやつを原因にしているのだとしたら――無関係どころの話ではないのだ。
(アリシュナは、藍の鷹ってやつに邪なものを感じないって言っていたけど……だからこそ、俺も悪夢までは見ないで済んだのかもしれないもんな)
俺はアイ=ファにうなずきかけてから、フェルメスに向きなおった。
「実は今日、おかしな疑念にとらわれることになってしまったんです。もしよかったら、フェルメスにも話を聞いていただけますか?」
「……アスタが僕に、悩みを打ち明けてくださるのですか?」
フェルメスはくらりと身を傾けて、その華奢な肩をジェムドに支えられることになった。
「……すみません。嬉しさのあまり、ちょっと取り乱してしまいました」
そのように語るフェルメスは、恥じらう乙女のごとき面持ちである。
アイ=ファはさっそく後悔しかけているようであったが、俺は続けさせていただくことにした。
「内容自体は、まったく大した話ではないんです。ただ、どうしてジェノスの人たちは俺の故郷について興味を持たないんだろうって……今さらそんな疑念にとらわれてしまったのですよね」
フェルメスは姿勢を整えつつ、「なるほど」と微笑んだ。
「それには、多面的な理由が存在するかと思われます。それに、身分や立場によって、それぞれ思惑は異なってくるでしょうしね」
「森辺の同胞の心情であれば、ガズラン=ルティムからうかがうことができました。一番気になるのは、やっぱり貴族の方々の心持ちでしょうかね。立場のあるお人こそ、俺の素性というものは気にかかるものでしょう?」
「それはまさしく、その通りです。ですからジェノスの貴族の方々は、アスタの言葉を信じることにしたのではないでしょうか?」
「俺の言葉を? でも、それなら――」
「アスタが他なる世界で生命を落とし、気がついたらモルガの森に倒れていたという逸話ではありません。アスタは頭を打って記憶が混乱しているのかもしれない、という話についてです」
フェルメスは可憐な乙女のごとき表情から、聡明なる学者のごとき表情に移り変わっていた。その緑と茶色が入り混じったヘーゼルアイも、きわめて理知的な光を帯びている。
「まず大前提として、アスタはこの世界の住人……大陸アムスホルンの住人であるようにしか思えない外見をしています。ジェノスにおいて黒髪というのは珍しい部類であるようですが、バナームあたりではそれも珍しくないようですしね。顔立ちや肌の色、骨格から背丈に至るまで、西の民の範疇から外れるものではないでしょう。そして何より顕著であるのは、やはり言葉の巧みさです。異国の生まれでそこまで巧みに西の言葉を操れる人間は、そうそう存在しないでしょうからね」
俺としても、そこまで西の言葉を流暢に操れるのは、《黒の風切り羽》の団長たるククルエルぐらいしか思いあたらなかった。
「よって、ジェノスの人々のおおよそは、アスタを西の民であると確信しているかと思われます。よって、大陸の外からやってきたというのはアスタの記憶違いであり、何かの事情で記憶が混乱しているのだと見なしているのでしょう。それでためらいなく、西方神の洗礼を受けることにも許しを与えたのではないでしょうか?」
「ですがアスタは、大陸の外からやってきた異郷の民として、神を移す儀式を行ったのです。アスタがもともと西の民であったならば、もっとも神聖なる儀式の場で虚言を吐き、死後に魂を砕かれることになってしまうのではないですか?」
ガズラン=ルティムがすかさず口をはさむと、フェルメスは悠揚せまらずそれに答えた。
「それについては、ふた通りの思惑があるのでしょう。まずひとつは……記憶が混乱しているならば、アスタ自身に虚言を吐いているという罪は生じないため、神々もお許しになるだろうという解釈。もうひとつは……虚言を吐いたならば魂を砕かれるもやむなし、という解釈です」
アイ=ファはいくぶん不快げに眉をひそめた。
しかしフェルメスは、ゆったりと微笑んでいる。
「アスタと懇意にしている方々は、もちろん前者でしょう。そして、アスタと交流を結ぶ機会のなかった人々は、すべてをアスタ自身の判断と神々の裁定にゆだねたということです。それはきわめて公正な話であるかと思われますが、アイ=ファにはご不満がおありでしょうか?」
「……たとえ話でもアスタを罪人呼ばわりされるのが不快であっただけだ。私は、アスタの言葉を信じている」
「もちろん僕も、それは同様です。アスタはまぎれもなく、異なる世界からやってきたのでしょうからね。……ただし、世間の人々は森辺の民ほど清廉ではありませんし、僕のように『星無き民』の知識も有しておりません。であれば、アスタが大陸の外の生まれであるなどとは信じることができず、記憶が混乱しているという話を信じるしかなかったのでしょう」
あくまでもやわらかな口調で、フェルメスはそのように言いつのった。
「つまり、世間の人々の数多くは、アスタの故郷について問い質す必然性を持ち合わせていない、ということです。アスタの夢想の中にしか存在しない故郷について取り沙汰しても、詮無きことですからね。また……アスタが虚言を吐いているとしたら、それは魂を砕かれることさえ厭わないほどの重大な秘密であるということになります。そのような話を問い質しても正直に打ち明ける道理はありませんので、やっぱり口をつぐむしかないわけですね」
「なるほど。理解できました。ちょっと切ない気分ではありますけど……そういう話なら、故郷について興味を持たれないのも当然ですね」
俺は清々しさと物寂しさを等分に味わいながら、そのように答えてみせた。
すると――フェルメスのヘーゼルアイが、深みを帯びる。出会った当時の俺であれば、魂を吸い込まれそうだと感じたような眼差しだ。
「ですがそれは、アスタにとっても好都合の話であったのでしょう? アスタ自身、故郷についてはあまり詳細を語りたくないのではないですか?」
「ええまあ、それはその通りですけれど……フェルメスは、どうしてそのように思うのですか?」
「僕がアスタの故郷について取り沙汰するたびに、アイ=ファに怖い目でにらまれてしまいますし……それにきっとアスタの故郷というのは、我々の想像を絶するほどに文明が進んでいるのでしょうしね」
あまりに正確に真実を言い当てられて、俺は思わず言葉を失ってしまった。
フェルメスは妖しい精霊のように、くすくすと笑う。
「何も驚くには値しません。アスタはマヒュドラの食材であろうとジャガルの食材であろうと、同じように使いこなすことができますからね。それはつまりアスタの故郷には、氷雪に閉ざされた地と灼熱の日差しが降り注ぐ地の食材が存分にあふれかえっていたという事実を示しています。さらに、アスタの調理手順というものは……おそらく、原始的な調理器具で何とか代用しようと苦心した結果であるのでしょうしね」
「フェ、フェルメスは俺が調理する姿なんで、そんなに目にしていないでしょう?」
「ええ。あくまで、伝聞から導きだした推論です。そしてそれ以前に、僕は『星無き民』の存在をわきまえていますからね。『星無き民』が大陸アムスホルンに新たな力をもたらす存在であるとしたら……それは、より文明の進んだ世界の住人でないと、とうてい務まらない役目でしょう? ですから、答えから逆算したようなものです」
「そうか」と、アイ=ファが鋭くフェルメスの言葉をさえぎった。
「ともあれ、あなたのおかげでアスタの疑念は解けたことだろう。その親切には、感謝する」
「アスタの疑念は、解けましたか? 『星無き民』としての立場からは、まったく解けていないように思うのですが」
「アスタは『星無き民』である前に、森辺の民だ」
アイ=ファが強い口調で言いたてると、フェルメスはどこか嬉しそうに目を細めた。
「アスタは『星無き民』ではなく、森辺の民だ。――とは、仰らないのですね。アスタの言葉を信じるアイ=ファであれば、アスタが『星無き民』であるという事実を認めざるを得ないわけですか」
「……だったら、なんだと言うのだ?」
「アスタには、『星無き民』ならではの疑問や苦悩が生じるということです。アスタが本当に異なる世界からやってきたならば、こちらの世界の人々に故郷のことを問い質されないのは、あまりに都合がよすぎるのではないか――という疑念に見舞われてしまうでしょうからね」
俺は頭を殴られたような衝撃に、立ちすくむことになった。
「そう……です。俺が感じたのも、そういう疑問です。振り返ってみると、俺はずいぶん都合のいい運命のもとに今の立場を確立できたんじゃないかって……そんな疑問に見舞われてしまったんです」
「それに関しては、ふたつの仮説を提示できるかと思われます」
フェルメスは白魚のような手で2本の指を立てた。
「まず、ひとつ目は……それが、神々の意思であるということです。『星無き民』とはまぎれもなく四大神の御心から誕生した存在であるのですから、そこには神々の意思というものが介在していることでしょう」
「……神々の意思ですか。それこそ、ご都合主義の最たるものではないですか?」
俺が思わずそのように反問してしまうと、フェルメスは幼子をあやすように微笑んだ。
「きっとアスタは異郷の生まれであるために、神の概念までもが異なっているのでしょう。この世界において――いや、大陸アムスホルンにおいて、神々とは世界そのものです。大神アムスホルンは大陸そのものであり、四大神は四大王国そのものであるのですよ」
「ええ。それは以前にもお聞きしていますけれど……」
「つまり、手から落ちた皿が地面に落ちるのも、地面に落ちた皿が割れるのも、すべて神々の意思であるのです。ギバ狩りのさなかに狩人が魂を返したならば、それも母なる森の思し召しである――それと同じように、世界はすべて神々の意思で運行されているのです。つまり、アスタにとって都合の悪い事態に陥らないのも、すべて神々の意思であるということですね」
そこでフェルメスは、くすりと笑った。
「ですがまあ、これは真理の片面でありますが、神々の真意をはかることのできない人の身では、何も語っていないのと同義です。そこで僕は、卑小なる人の身としてもうひとつの仮説を打ち立ててみました」
「……その仮説というのは、どういった内容であるのでしょう?」
「まず出発点として、『星無き民』というのはきわめて稀なる存在です。僕は可能な限りの文献や伝承を調査しましたが、『星無き民』である可能性を秘めた存在は、ごく少数しか見出すことがかないませんでした。この600余年にわたる王国の歴史において、その数は数名ていど……大陸の創生期に現れた聖人アレシュなどを除くと、100年にひとりていどしか存在しなかったのです」
その内の1名が、『白き賢人ミーシャ』であり――そしてもう1名が、俺なわけである。
俺はフェルメスの言葉に呑み込まれてしまわないように、懸命に足を踏まえることになった。
「もちろん、それらのすべてが『星無き民』であったという確証はありませんが……その可能性を秘めた存在すら、そのていどの人数しか確認できなかったのです。およそ100年にひとりしか誕生しない『星無き民』が、神々の加護のもとで大いなる勇躍を果たした……そのように考えると、いっそう都合がいいように思えてしまうことでしょう」
「……ええ。確かに、そうですね」
「ですからそこで、発想を逆転させるのです。『星無き民』は、100年にひとりの割合でしか生き残ることができなかった……そのように考えてみるのは、如何でしょうか?」
俺は何だか、冷たい指先で心臓をつかまれたような心地であった。
しかし、決して耐えられない感覚ではない。俺はもっと恐ろしい感覚に、悪夢の中で見舞われていたのだった。
「『星無き民』は、もっと数多く存在したのかもしれません。ですが、異郷の生まれであるためにこの世界の道理がわからず、なすすべもなく迫害され、魂を返し、歴史書に名前を残すこともかなわなかった。その中で、幸運にも生き残った者たちが、100年にひとりだけ存在する……僕は、こちらのほうが真実なのではないかと推察しています。それもまた『幸運』と呼ぶしかない現象なのでしょうが、100年にひとりしか誕生しなかった『星無き民』がすべて生き残ったと考えるよりは、まだしも現実的であるように思えるのです。……現実とは、決して安楽なものではないのですからね」
そのように語りながら、フェルメスが俺のほうにそっと身を寄せてきた。
そのほっそりとした指先が、俺の手を握りしめてくる。体温を感じさせない白さであるが、その指先はとても温かかった。
「そしてまた、幸運というものはただ転がってくるものではありません。アスタの故郷に関しては、『自分は頭を打って記憶が混乱しているのかもしれない』というアスタの釈明が功を奏したというだけのことです。そして、アスタがただ幸運だけを武器にして生き抜いてきたわけではないというのは、アスタ自身が誰よりもわかっておられるでしょう?」
フェルメスのヘーゼルアイが、食い入るように俺を見つめている。
それは魂を吸い込まれるような吸引力を持った眼差しであったが――しかし、まったく恐ろしくはなかった。
「部外者の僕が言いたてるまでもなく、アスタは数々の困難を乗り越えてきました。ギバに襲われた最初の夜、スン家における家長会議、大罪人テイ=スンの襲撃、リフレイア姫の誘拐騒ぎ、サイクレウスおよびシルエルとの会談、ダバッグにおける無法者の襲撃、『アムスホルンの息吹』、聖域の民たるティアとの出会い、『アムスホルンの寝返り』、大罪人シルエルと《颶風党》の襲撃、邪神教団の二度にわたる襲撃――アスタは自らと周囲の人々の助けによって、それだけの困難を乗り越えてきたのです。アスタはただ幸運なだけではなく、それだけの器量を備えているのです。だから、どうか……自分は幸運すぎるかもしれないなどという雑念はお捨てください。アスタはまぎれもなく、自らの力で運命を切り開いてみせたのです」
「……ありがとうございます。フェルメスだって、俺を助けてくれた恩人のひとりですよね。王都で俺をかばってくださったことや、ティアの一件で知恵を授けてくださったことも、忘れたことはありません」
俺がそのように答えると、フェルメスは不思議な色合いをした瞳をまぶたに隠して、あどけなく微笑んだ。
「僕なんて……しょせん『星無き民』という物珍しい玩具に群がる幼子のようなものですけれどね」
「きっとそれ以外の気持ちも持ってもらえたのだと、俺は信じています」
フェルメスは俺の手の甲に軽く爪を立ててから、身を離した。
「……とりあえず、僕に語れるのは以上です。多少はアスタの疑念を晴らすお役に立てたでしょうか?」
「ええ、これ以上もなく。ありがとうございます、フェルメス」
「それなら、幸いです」と、フェルメスはあっさり身をひるがえしてしまった。
ジェムドは目礼をしてそれを追いかけ、ガズラン=ルティムはふっと微笑をこぼす。
「驚きました。あのフェルメスが、どうやら照れているようですね。……本当に、出会った頃とは別人のようです。これもまた、アスタが力を尽くした結果なのでしょう」
「あはは。ガズラン=ルティムこそ、俺なんかよりよっぽどフェルメスを気にかけていたのでしょう?」
「私の力など、微々たるものです。本日も、微力を尽くしたく思います」
そのように言い残して、ガズラン=ルティムもフェルメスを追いかけていった。
俺は大きく息をついてから、背後の壁にもたれる。そして、かたわらのアイ=ファを振り返った。
「フェルメスのおかげで、完全に疑念から解放されたように思うよ。フェルメスは、さすがだな」
「……それは、何よりであったな」
アイ=ファはスカートがぼわぼわと広がっているため、壁にもたれることも難しい。そしてその端麗なる面は、どこかすねた幼子めいた表情を浮かべていた。
「あれ? アイ=ファは何か、気に食わなかったのかな?」
「……お前の疑念が晴れたことは、喜ばしく思う。しかし、このように入り組んだ話では、私が力を添える余地もないので……それをいささか、口惜しく思う」
「何を言ってるんだよ。フェルメスに相談するように言い出したのはガズラン=ルティムだし、ガズラン=ルティムに相談したのはアイ=ファだろ。やっぱり俺は、まんべんなく周囲の人たちに助けられてるってことさ」
俺は壁から背を離し、アイ=ファの正面に身を移した。
「それ以前に、俺を一番助けてくれてるのは、アイ=ファだ。そんなこと、今さら口に出す必要もないだろう?」
アイ=ファは口をとがらせながら、拳でぽすっと俺の胸を小突いてきた。
そしてそのまま、拳が俺の胸に押し当てられる。立派な宴衣装ごしに、アイ=ファの温もりがじんわりとしみこんできた。
「ともあれ、お前の疑念が晴れたのは幸いだ。あとは、目の前の仕事を果たすのみであろう。……誰に何を言われるまでもなく、苦難が降りかかってきたならば全力で乗り越えるしかないのだからな」
「ああ。アリシュナの星読みは気になるけど、何が起きたってアイ=ファと一緒に乗り越えてみせるさ」
アイ=ファは優しく微笑んでから、ゆっくりと手をおろした。
その温もりが遠ざかっていくのを名残惜しく思いながら、俺はアイ=ファの正面から横合いに身を移す。
祝宴の場は、相変わらず盛況だ。
遠からぬ場所にある卓では、見慣れた人々が歓談にいそしんでいる。ジザ=ルウとレイナ=ルウとルティムの女衆、リーハイムとセランジェ、アルヴァッハとナナクエムとピリヴィシュロ――きっとトゥール=ディンの菓子を食べ終えたところで、ダカルマス殿下たちとは別行動となったのだろう。そのダカルマス殿下とデルシェア姫は、もうひとつ遠い場所にある卓のそばでダリ=サウティたちと語らっていた。
その卓の反対側では、メルフリードがシン=ルウやレム=ドムたちと語らっている。もしかしたら、剣術の指南役について語らっているのだろうか。そこにはザザの姉弟とレイリスに、もちろんロギンの姿もあった。そして、銀獅子のかぶりものをかぶっているのは、間違いなくデヴィアスだ。俺とアイ=ファは、まだメルフリードにもデヴィアスにも挨拶できていなかった。
マイムとジーダはまだボズルやロイと行動をともにしており、卓から卓へと移動しているさなかである。その向かう先にはダイアやティマロ、レビやテリア=マス、ラッツの家長と女衆という面々が集っていたので、いっそう盛り上がりそうなところであった。
そしてそれとすれ違う格好で、別の一団が反対の側から歩いてくる。トゥール=ディンとゼイ=ディン、エウリフィアとオディフィア――それに、きわめてけばけばしい格好をした《アロウのつぼみ亭》の女主人レマ=ゲイトと厨番である初老の男性、《ランドルの長耳亭》の小柄な主人という顔ぶれだ。おそらくは、オディフィアのために菓子作りを得意にする面々が集められたのではないかと思われた。
騒がしいと言えばこの上ない騒がしさであるが、混乱というほどではない。これだけさまざまな土地から貴き客人たちを迎えながら、そこには極彩色の調和が現出しているように思えてならなかった。
(藍の鷹ってやつの正体はわからないけど……今のジェノスだったら、誰を迎えても大丈夫なんじゃないかな)
そんな思いを胸に秘めながら、俺はアイ=ファを振り返った。
「それじゃあ、そろそろもとの場所に戻ろうか?」
「……あちらはシフォン=チェルたちのおかげで、問題なく場が保たれているようだぞ」
俺たちがもといた卓のほうをうかがってみると、さらに人数が増えている。トゥラン伯爵家やユーミやディアルやユン=スドラたちばかりでなく、アラウトの一行にディック=ドムやモルン・ルティム=ドムまで加わっていたのだ。とりあえず、シフォン=チェルとヤミル=レイにはさまれたティカトラスはご満悦の面持ちで酒杯をあおっていた。
「たびたび席を外すほうが不興を買いそうなところであるので、このまましばし身を休めてはどうかと思うのだが……お前に、異存はあろうか?」
「いやいや。ティカトラスの気がまぎれているなら、絶好のチャンスだもんな」
「……ちゃんす?」
「あ、ごめん。俺の故郷の、異国の言葉だよ」
アイ=ファは厳格なる面持ちで俺の頭を小突いてきたが、その目はまだ優しく微笑んでいた。
アイ=ファさえ隣にいてくれれば、俺はどんな困難でも乗り越えることができるだろう。
そしてもしも、『藍の鷹』なるものの目的が俺ではなくアイ=ファ自身であったのなら――もちろん俺だって、アイ=ファのために死力を尽くすつもりであった。
しかし、明日に何が起きるかなど、誰にもわからない。
俺は無用の不安を抱え込むことなく、ただ明日を太く生きられるように――両親の願いが込められた名前の通りに生きられるように、力を尽くすしかなかったのだった。




