試食の祝宴⑦~予兆~
2023.8/14 更新分 1/2
その後はしばらく、ガーデルとバージも交えて歓談することになった。
ガーデルは相変わらず左腕を吊った痛々しい姿であるし、豪勢な祝宴に腰が引けてしまっている様子だ。ただ、根本の部分では周囲の環境に影響されにくい気質であるため、おどおどした姿も相変わらずと言えば相変わらずであった。
(そういう部分は、カルスとも似てるんだよな)
ただ、カルスとガーデルは印象が大きく異なっている。カルスの場合は気弱げでも意外に芯はしっかりしているという印象で、ガーデルの場合は外界に無関心であるという印象になってしまうのだ。
「えーと、君はたしか、ガーデルだったっけ? 相変わらず、浮かない顔をしているね! せっかくの祝宴なのだから、君もめいっぱい楽しむがいいよ!」
ティカトラスがそのように呼びかけても、ガーデルは「はあ……」と力なくうつむくばかりである。
するとティカトラスは、珍しくも俺に耳打ちしてきた。
「どうも彼は、まったくもって地に足がついていないようだね。このような人間と関わっても、得をすることはないと思うよ」
ティカトラスが他者を悪く言うのは珍しいことであったので、俺はずいぶんびっくりしてしまった。
するとティカトラスは立派な鷲鼻で「ふふん」と笑ってから、さらに囁きかけてくる。
「こうまで心の定まっていない人間は、周りに大きな迷惑をかけてやまないものであるのだよ。まあ、アスタぐらいの器量であれば、足をすくわれることはないだろうけれど……大きなトトスでも毒虫のひと刺しで息絶えることもあるのだからね。せいぜい油断だけはしないことだ」
人の魂の色合いが見えるというティカトラスには、何か俺たちに見えないものが見えているのだろうか。
しかし、ガーデルが危うい部分を持っているということは、百も承知だ。だからこそ、俺たちは彼と正しい絆を結ぼうと尽力しているのである。この場でも、めげずに力を尽くすしかなかった。
「ガーデルも、祝宴を楽しんでいますか? 今日の宴料理は如何でしたか?」
「はあ……いずれも素晴らしい出来栄えであったかと……あの甘酸っぱいシャスカ料理だけは、いささか苦手な感じでしたが……」
「苦手というか、はっきり不味いと言い放っていたな。壺に吐き出すのを、懸命にこらえていたではないか」
人の悪いバージがまぜっかえすと、ガーデルは慌てた顔をする。
「そ、そんな話をご本人にお伝えするのは、控えたほうが……バ、バージ殿は、俺のお味方ではないのですか?」
「だからこそ、こうして口を出しているのだ。森辺の面々というのは、本音のつきあいというものを望んでいるのだろうからな。そういえば、茸を使ったシャスカ料理に関しても、美味いのか不味いのかよくわからんなどとほざいていたな」
「ほ、本当にご勘弁ください」
と、ガーデルは盛大に目を泳がせてしまう。
しかしそれは、確かに人間がましい挙動であっただろう。ガーデルにはいささか気の毒であったが、バージの人の悪さというのはガーデルの感受性を刺激するのに有効であるようなのだ。俺たちは、ガーデルのそういう人間くさい部分をもっと知りたいと願っていたのだった。
「そういえば、今日は傀儡の劇も披露されないそうだな。それでこやつは、いっそう落胆することになったのだ」
「ええ。試食の祝宴に余興は不要というお話であるようですね。ただ、リコたちは劇の内容を手直ししているさなかですので、王家の方々に披露されるのはその後に持ち越されたそうですよ」
そんな話を、俺はリコ本人から聞いていた。彼女たちは茶の月となった現在も森辺の空き家に滞在し、新たな傀儡の衣装の作製や脚本の見直しに励んでいるのだ。
「きっとそちらの手直しが済んだら、あの劇はいっそう素晴らしい仕上がりになりますよ。完成の日が、楽しみですね」
俺がそのように呼びかけると、ガーデルはようやく「はあ……」とうっすら微笑んでくれた。
俺がささやかなる満足の吐息をついていると、にやにや笑いながらこのやりとりを見守っていたティカトラスが「さてさて!」と声を張り上げた。
「菓子も堪能できたから、残りの料理も味わわさせていただくことにしようか! よかったら、ガーデルとバージもついてくるがいい!」
「おや。小官どもの同行をお許しいただけるのでしょうか?」
貴族に対しては、皮肉屋のバージもいくぶんかしこまる。それに対して、ティカトラスはにんまりと微笑んだ。
「そちらのガーデルは、アスタに夢中なのだろう? いっぽうわたしは、アイ=ファに夢中であるからね! こうして行動をともにすれば、おたがい意中の相手と語らう機会が増えようというものさ!」
どこまでも果てしなく率直なティカトラスに、アイ=ファは何度目かの溜息をつく。そうして俺たちはまた新たなメンバーを加えつつ、菓子の卓を離れることになったのだった。
試食の祝宴が開始されて、もう一刻以上は経過していることだろう。人々の半数ぐらいは食事の手を止めて、歓談に励んでいる。いよいよ宴もたけなわといった様相だ。
普段であればこのあたりで余興が開始されるところであるが、本日は演劇も傀儡の劇も舞踏の時間も準備されていない。試食会では美味なる料理について語り合うべし、というのがダカルマス殿下のコンセプトであるのだ。人々が何について語らっているのかはうかがい知れなかったが、まあ盛況であることだけは確かであった。
そうして次なる卓に近づいてみると――ガーデルが「あ……」と大きな身体を縮めてしまった。その場には、彼が苦手とする東の民の姿があったのだ。
「あーっ、アスタにアイ=ファ! ようやく挨拶できたねー!」
と、まずは南の民たる女の子が元気な声を投げかけてくる。鉄具屋の少女、ディアルである。ティカトラスたちの姿に気づくと、ディアルはたちまち取りすました顔になって貴婦人のように礼をした。
「ティカトラス様もご一緒だったのですね。はしたない姿をお見せしてしまい、失礼いたしました」
「いいさいいさ! わたしに気遣いは不要だよ! わたし自身が、貴族らしい作法とは無縁なのだからね!」
そんな風に答えてから、ティカトラスは「おや」と笑った。
「そちらは、占星師のアリシュナか。ダカルマス殿下のご意向に従って、東の民たる彼女と喜びを分かち合っていたというわけかな?」
「いえ。決してそういうわけではないのですけれど」
と、ディアルは顔を赤くしながら口をとがらせてしまう。彼女のかたわらには武官の礼服めいた装束を纏ったラービスと、そしてアリシュナが控えていたのだ。
もちろん3名きりというわけではなく、ユーミにジョウ=ラン、リフレイアにシフォン=チェル、ユン=スドラを筆頭とする森辺のカルテットなども控えている。そちらに視線を巡らせたティカトラスは「ほうほう!」と目を輝かせた。
「リフレイア姫もご一緒だったのか! そちらのシフォン=チェルまで顔をそろえていると、あらゆる王国の美女がそろいぶみだね!」
「それは恐れ多き言葉ですけれど、北の生まれたるシフォン=チェルもすでに南方神の子であるのですから、それだけはお忘れなきようお願いしますわ」
リフレイアがそれなりに真剣な眼差しで応じると、ティカトラスは「これは申し訳ない!」と悪びれずに笑い声をあげた。
「ともあれ、誰もが麗しき姿であることに変わりはないさ! いやあ、どこに出向いても心が満たされるばかりだね!」
「それよりも、俺は腹を満たしたく思うぞ! まだまだギバ肉を満足に食していなかったからな!」
ラウ=レイはヤミル=レイのなよやかな腕をひっつかみつつ、ずかずかと卓に近づいていく。そちらには新たな食材を使用していない、3種のギバ料理が準備されていたのだ。ミソ煮込み、香味焼き、アール仕立てのクリームシチューというラインナップである。
「……ガーデルは、大丈夫ですか? しつこいようですけれど、アリシュナは勝手に星を読んだりはしませんからね?」
俺がそのように囁きかけても、ガーデルは冷や汗を垂らしながら縮こまるばかりである。
するとそこに、豪奢な宴衣装のユン=スドラが近づいてきた。
「あの、アリシュナがアイ=ファとアスタにお話があると仰っているのですが……少々お時間をいただくことはできますか?」
「うむ? このような場で、いかなる話であろうか?」
「それはわたしにもよくわからないのですが……どうも、星読みにまつわる話であるようです」
アイ=ファは眉をひそめつつ、いくぶん遠い場所にたたずんでいるアリシュナとすぐ隣にいる俺の姿を見比べた。
「……承知した。ティカトラスよ、少々席を外させていただくぞ」
「うんうん! わたしはここで、アイ=ファの帰りを待ちわびているからね!」
ティカトラスはシフォン=チェルにも小さからぬ関心があるようで、案外すんなり了承してくれた。
そうしてアリシュナのもとに参じると、夜の湖のごとき眼差しを向けられてくる。
「ご足労、恐縮です。少々、時間、いただけますか?」
「それはかまわんが、いったい如何なる話であるのだ?」
「詳細、あちらで」と、アリシュナは音もなく移動を始めた。向かう先は、立派な壁掛けに覆われた壁際だ。
アリシュナは普段通りの装いであるが、もともと数多くの飾り物をさげているため祝宴の場で悪目立ちをすることもない。壁際に到着したアリシュナは、あらためて静謐なる眼差しを俺たちに向けてきた。
「アイ=ファ、星読み、嫌っていること、承知しています。また、現時点、見えている星図、不確かです。……それでも、語ること、許されますか?」
「いったい何を語ろうというのだ? 我々は未知なる行く末を見通すことなど、いっさい望んでおらんのだぞ」
誰よりも豪奢な姿をしたアイ=ファは、狩人の眼差しでアリシュナを見据える。
アリシュナは神秘的なまでの無表情で、「はい」と一礼した。
「私、察知した、大きな混乱、それのみです。おそらく……近日中、ジェノス、大きな混乱、見舞われます」
「……現在も、ジェノスはこのような騒ぎであるがな」
「はい。ですが、混乱の質、大きく異なっています。藍の鷹、星図、大きく動かす、指し示しているのです」
アリシュナは真っ直ぐ俺たちのほうを見つめながら、この世ではないどこかを見つめているようであった。
「藍の鷹、何者か、不明です。その星、いまだ、ジェノス、到達していません。藍の鷹、来訪により、ジェノス、大きな混乱、見舞われるのです」
「……そのような話は、我々ではなくジェノスの貴族に伝えるべきではないだろうか?」
「ジェノス侯、すでに、伝えています。また、アイ=ファたち、告げること、了承、いただいています」
「……マルスタインが、すでに了承しているというのか。何故そのような話を、我々に告げなければならんのだ?」
「それは……混乱、中心、アイ=ファ、存在するためです」
限りなく静かな声で、アリシュナはそう言った。
「藍の鷹、目指している、赤の猫、アイ=ファです。そして、赤の猫、大いなる深淵、寄り添っています。つまり……藍の鷹、目的、大いなる深淵、アスタである可能性、否めません。私、アスタの運命、読み取ること、かなわないため、藍の鷹、赤の猫、目指しているとしか、認識できないのです」
「待て。それは、もしや……邪神教団にまつわる存在であるのか?」
アイ=ファがそのように言いたてると、アリシュナはむしろ不思議そうに小首を傾げた。
「藍の鷹、邪なもの、感じません。何故、邪神教団、思いますか?」
「……我々にとって、もっとも警戒すべきは邪神教団であろうと思うからだ。それに――」
と、アイ=ファはいくぶん口ごもってから、やがて覚悟を固めたように言葉を重ねた。
「ちょうど今日、アスタはおかしな感覚に見舞われることになった。お前も知っている通り、チル=リムと巡りあう前日や飛蝗に襲われる前日にも、アスタはおかしな悪夢に見舞われているのだ。これは……偶然であるのか?」
「……アスタ、この世の星、持っていませんが、大いなる深淵として、星図、存在します。邪神教団、星図、大きく乱すため、アスタ、影響、受ける、思われます」
アリシュナもまた深く思案にふけるような眼差しで、そのように言いつのった。
「ただ……藍の鷹、邪なもの、感じません。むしろ、限りなく、清廉です。ですが、それでもなお……吉兆、凶兆、判別できないのです。わかるのは、大きな混乱、それのみです」
「そうか」と、アイ=ファは息をついた。
「いちおう聞いておくが、その大きな混乱とやらはいつ訪れる見込みであるのだ?」
「確かな時期、不明です。ただし、星の動き、ゆるやかですので……おそらく、雨季の間でしょう」
「雨季の間、か。では、貴き身分の客人たちが帰った後であることを祈るばかりだな」
そう言って、アイ=ファは身を引いた。
「しかしまた、我々が星読みの結果などに心を乱すいわれはない。……話は、これでおしまいか?」
「はい。余計な話、だったならば、謝罪、申しあげます」
「謝罪は、無用だ。……お前はお前なりに、アスタの身を案じてのことなのであろうからな。その親切には、感謝の言葉を伝えておこう」
「恐縮です。……また、アイ=ファの感謝、喜び、ひとしおです」
「やかましいぞ」とアイ=ファがほのかに頬を赤くすると、アリシュナは優雅に一礼して立ち去ろうとした。それで俺も、慌てて声をあげることにする。
「アリシュナ、俺からもお礼を言わせてください。心配してくださって、ありがとうございます」
「いえ。アスタ、大切、友ですので」
アリシュナはもういっぺん一礼して、今度こそ立ち去っていった。
その優美なるシャム猫のごとき姿を見送りながら、アイ=ファは動こうとしない。そして深々と溜息をついたのちに、どこかすねたような目で俺をにらんできた。
「私は星読みなど重んじていないが、あのような言葉を聞かされては無視することもできん。だからいっそう、星読みというものを好きになれんのだ」
「うん。だけど、運命をつかみとるのは人間次第なんだからな。何が起きても慌てないようにしておけば、それでいいんだろうと思うよ」
「私とて、もちろんそのつもりだが――」
と、アイ=ファはそこでうろんげに眉をひそめた。
アイ=ファの視線を追った俺は、「あれ?」と目を丸くする。アリシュナと入れ替わりで、ガズラン=ルティムとフェルメスとジェムドが近づいてきたのだ。




