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異世界料理道  作者: EDA
第八十章 天星の集い
1386/1695

試食の祝宴⑥~提案~

2023.8/13 更新分 1/1

・明日は二話同時更新になりますので、読み飛ばしのないようにご注意ください。

 しばらくその場で歓談したのち、俺たちは何名かの相手と行動を別にすることになった。

 ヴァルカスは体調が思わしくなかったので、広間の端に準備されていた座席でしばし身を休めることになったのだ。


 それに、レイ=マトゥアたちはすでにトゥール=ディンの菓子をいただいていたという話であったので、ここで別行動と相成った。現在はレイ家の両名も同行しているので、用心深いアイ=ファもそれを引き留めることはなかった。


 ということで、ティカトラスの一行とファおよびレイの家人という顔ぶれで、総勢は7名だ。それでも決して少人数ではなかったし、ティカトラスとラウ=レイのおかげで賑やかさにも事欠かなかった。


「きっと今日は、ガズラン=ルティムたちが貴族どもの相手をしてくれているのだろうな! 前回の祝宴とは打って変わって、愉快な心地だぞ!」


 ラウ=レイなどは誰の耳をはばかることもなくそんなことを言いたてながら、跳ねるような足取りで歩を進めている。いっぽうヤミル=レイは、クールに肩をすくめるばかりだ。

 ヤミル=レイの意趣返しは、行き道ですでに完了したのだろうか。貴族との社交に励むこともなく、ラウ=レイに引っ張り回されている現状を嘆いている風でもない。両名のすこやかな行く末を願う俺にとっても、それは喜ばしい話であった。


 そんな感じに、俺たちはトゥール=ディンの準備した菓子の卓を目指したわけだが――そちらでは、ちょっとした騒ぎが持ち上がっていた。

 若き貴婦人が寄り集まって、きゃあきゃあと嬌声をあげているのだ。その中心からちらりと覗いているのは、レム=ドムの黒褐色をした髪であった。


「ほうほう! さすがレム=ドムは、大した人気だね! 宴衣装を準備したわたしも、誇らしい限りだよ!」


 ティカトラスはご満悦の表情で、貴婦人の群れを迂回する。俺たちもそれに続くと、卓のそばではトゥール=ディンやスフィラ=ザザたちがいくぶん心配そうにレム=ドムのほうを見やっていた。


「やあ。トゥール=ディンも、ここにいたんだね」


「あ、はい。先刻まで、ダカルマスたちに菓子の説明をしていましたので……それまでは、オディフィアたちと料理の卓を巡っていたのです」


 そのオディフィアはトゥール=ディンのかたわらで菓子を頬張りながら、灰色の瞳を幸福そうに輝かせている。また、ゲオル=ザザやゼイ=ディンは、エウリフィアやレイリスを相手に談笑していた。


「あら、ティカトラス殿もいらっしゃったのね。どうぞトゥール=ディンの力作をご堪能あそばせ」


 こちらの接近に気づいたエウリフィアが、優美な微笑を投げかけてくる。いっぽうゲオル=ザザは、俺とアイ=ファのほうを見て「ふふん」と苦笑を浮かべた。


「ダカルマスのそばに姿がないと思ったら、やはりティカトラスにつかまっていたか。まったく苦労の絶えないことだな」


 本人を前にして明け透けな言いようであるが、まあそれも親睦の深まった証であるのだろう。ティカトラスは悪びれた様子もなく、からからと笑った。


「アイ=ファとヤミル=レイにはさまれていたら、美味なる料理や菓子の味わいもひとしおであるからね! さあさあ、それではトゥール=ディンの力作とやらをいただこうかな!」


 俺とアイ=ファも、卓の前まで進み出た。

 俺の考案した料理はすべて晩餐で試食しているアイ=ファであるが、トゥール=ディンの新作を目にするのは初めてのことだ。アイ=ファは「うむ?」とうろんげに眉をひそめた。


「これが、菓子であるのか? 私の目には、凝り豆なるものに見えるのだが」


「そう。これは、凝り豆を使った菓子であるのよ。これには、わたくしも驚かされてしまったわ」


 そのように応じるエウリフィアは、我がことのように誇らしげであった。

 大きな卓には、ガトーショコラやガトーラマンパやガトーアールといった既存の菓子もどっさり並べられている。その中で白く燦然と輝くのは、トゥール=ディンが新たに考案した凝り豆プリンであった。


 これはもちろん、俺が教えた豆腐プリンの存在から着想を得た菓子である。

 ただし俺は、豆腐プリンのレシピまではわきまえていない。菓子作りを得意にする幼馴染の玲奈も、さすがに豆腐プリンにまでは手を出していなかったのだ。これは俺の故郷においても、それほどメジャーではない菓子であるはずであった。


 豆腐を後から加工するのか、それとも豆乳から豆腐に加工する過程で細工が必要なのか。それも俺にはわからなかったので、両方の可能性を伝えておいた。それでトゥール=ディンが選んだのは、後者となる。凝り豆の加工方法はデルシェア姫から伝え聞いていたので、トゥール=ディンは菓子に相応しい細工を豆乳に施しつつ凝り豆を作りあげたのだった。


 細かい分量などはまだ聞いていないが、とりあえず豆乳に少量の卵と塩と花蜜を加えたのち、にがりのごとき塩滓で凝り豆に仕上げたらしい。完成品は通常の凝り豆とほとんど変わらない乳白色の色合いであるので、卵は本当に少量であるのだろう。食感のほうも、凝り豆とほとんど変わらないなめらかさであった。


 さらに、その上に掛けられているのはカラメルではなく、サクランボのごときマホタリから作りあげたシロップである。プリンもシロップも甘さはひかえめの繊細な味わいで、これは貴族の姫君にも好評なのではないかと俺は予想していた。


 まあ、若き貴婦人たちはレム=ドムに夢中であったため、感想のほうはうかがい知れなかったが――とりあえず、オディフィアは幸福そうに凝り豆プリンを頬張っている。その幸福そうな瞳のきらめきだけで、トゥール=ディンの尽力は十分に報われているはずであった。


「ふむふむ! これは実に、典雅な味わいだね! 凝り豆そのものが目新しいのに、まさかそれが菓子に使われるとはね!」


 ティカトラスがそんな声をあげると、アイ=ファが凛々しい面持ちで振り返った。


「あなたは以前から、南の王都と交易しているという話であったな。それでも凝り豆なるものを食する機会はなかったのであろうか?」


「それはそうさ! たとえ海路でも、南の王都から西の王都まではそれなり以上の距離であるのだからね! そんなに時間をかけていては、豆乳も凝り豆も腐り果ててしまうことだろう!」


「そうか。これはタウの豆というものを買いつけた上で、豆乳や凝り豆を自ら作りあげる方法を学ぶ必要があるというわけだな」


「そういうことさ! 我がダームにおいても海水から塩を抽出しているのだから、作り方さえわかってしまえば凝り豆も作り放題だね! このように素晴らしい食材をみすみす見過ごしていたなんて、無念の限りだよ!」


 元気いっぱいに答えてから、ティカトラスはとろけた豆腐のように笑み崩れた。


「それにしても! アイ=ファから世間話を持ちかけられるというのは幸福な心地だね! たったそれだけのことでこんなに胸を高鳴らせてしまうというのが、いっそ気恥ずかしいぐらいだよ!」


「……私は私なりに、あなたと正しき交流を深めようと尽力しているつもりであるのだ。あなたにもそういった心情が生まれれば、ありがたく思う」


「わたしはいつでもめいっぱい、アイ=ファに情愛を捧げているつもりだけれどね! たとえ側妻に迎えることはできなくとも、アイ=ファを愛おしいと思う気持ちに変わりはないからさ!」


「……だから、そういう言葉を控えてほしいと申し述べているのだ」


 アイ=ファが溜息まじりに答えたとき、嬌声の塊がこちらに近づいてきた。レム=ドムが若き貴婦人の群れごと接近してきたのだ。


「わたしにばかり面倒を押しつけて、優雅なものね。本来これは、アイ=ファが背負っていた苦労なのでしょう?」


「ああ! アイ=ファ様もいらしたのですね! それに、ヤミル=レイ様も! どちらも麗しきお姿です!」


 と、アイ=ファやヤミル=レイも貴婦人の奔流に呑み込まれてしまう。

 そこからはじき出された俺は、同じ立場であったラウ=レイと顔を見合わせることになった。


「やっぱりヤミル=レイも、すごい人気なんだね。まあ、それが当然なんだろうけどさ」


「うむ! しかし普段は、遠巻きにされることが多いのだがな! そら、あやつらのようにだ!」


 ラウ=レイの指し示すほうを見ると、数名ばかりの貴婦人たちが遠い場所からヴィケッツォに熱い眼差しを送っている。ヴィケッツォはヤミル=レイに負けないぐらい冷ややかである上に公爵家の息女であるものだから、いっそう近づき難いのだろうか。しかし確かに、彼女も武人としての凛々しさを備え持っているため、貴婦人の胸を騒がせる資質は十分なのだろうと思われた。


「まあ、相手が娘たちであれば、俺たちがしゃしゃり出る必要はなかろう! ヤミルがもてはやされるのは、誇らしい限りだしな!」


「うん。まあ、そうだね」


 根本の考えは、俺もラウ=レイと大差ない。アイ=ファには申し訳なかったが、しばらくはトゥール=ディンの菓子を味わいながら静観させていただくことにした。

 しかし本日は料理人の参席者が多い代わりに、貴族の参席者が削られているはずであるのだ。それでアイ=ファたちも、普段よりは速やかに貴婦人の包囲網を突破できたようであった。


「ああもう、貴族の娘というのはどうしてあのように甘ったるい匂いを撒き散らしているのかしら。鼻がどうにかなってしまいそうだわ」


 まずはレム=ドムがそのように言いたててきたが、それほど不平がましい表情はしていない。普段通りの、皮肉っぽい笑顔だ。

 そして彼女のかたわらには、ディン分家の女衆も控えていた。そういえば、彼女がレム=ドムのパートナーであったのだ。彼女は小柄であったので、貴婦人の影に隠れてしまっていたようであった。


「ど、どうもお疲れ様です。みなさん、大丈夫でしたか?」


 心優しきトゥール=ディンがそのように呼びかけると、ディン分家の女衆がやわらかい笑顔で「はい」と応じた。


「わたしは、レム=ドムの隣で小さくなっていただけですので……それに、レム=ドムには申し訳ないのですが、血族の人間がこうまでもてはやされるというのは誇らしい心地です」


「ふふん。わたしはあのように騒がしい娘たちより、あなたのようにつつましい女衆のほうが好みなのだけれどね」


 レム=ドムが意味ありげな流し目を送ると、ディン分家の女衆は「じょ、冗談はおやめください」と赤くなってしまう。レム=ドムは男性用の宴衣装であるため、いたいけな娘さんを惑わせる悪い貴公子のようだ。


「レム=ドム、だいじょうぶ? おかし、たべる?」


 と、闘技会の祝賀会でご縁を持ったオディフィアも、レム=ドムにねぎらいの言葉を投げかける。レム=ドムは微笑から皮肉の成分を薄めて、「ええ」と応じた。


「わたしはあなたほど甘い菓子に夢中ではないけれど、この凝り豆ぷりんというのはなかなかの味わいよね。もうひとついただいてもかまわないかしら?」


「はい。余っても捨てられることはないので、多めに準備しています。どうぞお好きなだけ、お食べください」


 トゥール=ディンが笑顔で答えると、レム=ドムも素直に「ありがとう」と微笑む。もともとレム=ドムはトゥール=ディンと仲良くしていたし、それゆえにオディフィアとの交流を重んじていたようであるのだ。そんな三者が集まると、その場にはとても優しい空気が形成された。


「レム=ドムは、凝り豆の菓子が気に入ったのだね! それはきっと、武勇に励む人間の力になる食べ物であるはずだよ!」


 ティカトラスが横から口をはさむと、レム=ドムは横目で皮肉っぽい眼差しを送った。


「料理だろうと菓子だろうと、すべては力の源でしょう? どうしてこの菓子ばかりが、ことさら力になるのかしら?」


「食材には、それぞれ異なる滋養が詰まっているからね! もともと菓子に使われるフワノやポイタンというのは、文字通り生きる力の源だ! 然して! 凝り豆の材料たるタウの豆というのは、筋肉を作る滋養が多いとされているのだよ!」


 ティカトラスは大きく胸をそらしながら、そのように言い放った。


「肉や乳というものにも、そういう滋養は多いのだとされている! しかしあちらは脂も多いので、過剰に食するのは害であるとされているのだ! まあ過酷なギバ狩りの仕事に励む森辺の狩人であれば、余分な脂肪として蓄える前に使いきってしまうのだろうがね! そんな話を抜きにしても、身体を鍛える人間にはタウの豆の摂取が望ましいとされているのだよ!」


「へえ……それは、確かな話なのかしら?」


 レム=ドムの目が、俺のほうに向けられてくる。

 俺はそうまで真面目に栄養学を学んだ身ではないのだが、それでもなけなしの知識を開示することにした。


「俺の故郷でも、それと似たような話は聞いたことがあるよ。それで、そういう滋養は色んな食材からまんべんなく摂取すると効率的なんだってさ」


「効率的っていうのは……それだけ、筋肉をつけられるっていうことかしら?」


「うん。でも、タウの豆っていうのはけっこうお腹にたまるだろう? だから、豆乳や凝り豆に加工したほうが、いっそう効率的に摂取できるだろうね。……まあ、タウの豆が俺の知っている大豆っていう食材と同じ滋養が含まれているならの話だけどさ」


「それはちょっと、聞き流せない話ね。ドムの家では、タウの豆なんてほとんど買っていなかったもの」


「それは、ザザの家も同じことだな。タウの豆を嫌っているわけではなく、それを使った料理の種類が少ないのだ」


 ゲオル=ザザも小さからぬ興味をあらわにしながら、会話に加わってきた。

 ティカトラスは、どこか満足そうな顔で笑っている。


「であれば、豆乳や凝り豆の存在は、森辺の狩人に新たな力をもたらすかもしれないね! それを美味しく食することのできる料理や菓子を考案したアスタとトゥール=ディンは、とても重要な仕事を果たしたというわけだ!」


「ああ、あのまーぼーなんちゃらという料理も汁物料理もこの菓子も、のきなみ大層な出来栄えだからな。ザザの女衆にも、作り方を手ほどきしてもらいたいものだ」


「そのために、血族の女衆をディンやリッドに預けているのですからね。これでまた、その行いにも大きな意味が生まれたということです」


 スフィラ=ザザは真剣な面持ちで、そのように言葉を添えた。

 そして、トゥール=ディンを賞賛されたオディフィアは、きらきらと灰色の瞳を輝かせている。それに気づいたトゥール=ディンは、いくぶん気恥ずかしそうにオディフィアに微笑みかけた。


「……どうもティカトラスというのは、私以外の人間と語らっている姿のほうがよほど好ましく思えるようだ」


 と、アイ=ファはそんな囁きを俺の耳に注ぎ込んできた。

 まあ確かに、ティカトラスはフェルメスに負けないぐらい博識である上に、その気性は限りなく陽性であるのだ。アイ=ファに対する執着さえもう少し抑制してくれれば、もっともっと好ましく思えるはずであった。


「そんな話を聞かされると、俺もまたこの菓子を食べたくなってしまうな。明日の仕事に備えて、もうひとついただいておくか」


「ふふん。他の狩人たちが聞きつけたら、取り合いになってしまうかもしれないわね」


 そうしてその場には、いっそう和気あいあいとした空気があふれかえった。

 そんな場に、ひとつの人影がつかつかと近づいてくる。それに気づいたエウリフィアが、「あら」と声をあげた。


「ロギンも、お疲れ様。ようやくメルフリードのお供から解放されたのかしら?」


「はい。すべての貴き身分の客人がたにご挨拶をできましたので、あとは自由に過ごすことを許していただけました」


 そのやりとりに、俺はぎょっとすることになった。彼はメルフリードの右腕たる近衛兵団の副団長ロギンであったのだ。

 それでどうして、俺がぎょっとしたかというと――俺は初めて、彼の素顔を目の当たりにしたのである。初めて挨拶をされた闘技会の祝賀会において、彼はレム=ドムとの試合で負傷した顔を包帯でぐるぐる巻きにされていたのだった。


(……ロギンって、こんな顔だったのか)


 端的に言って、彼は驚くほどの美青年であった。それもただ顔立ちが整っているばかりでなく、剣士としての精悍さにあふれかえった美丈夫であったのだ。

 西の民にしては彫りの深い顔立ちで、静かに光る茶色の目は高い眉の下に落ちくぼんでいる。しかしデギオンのように陰気な印象にならないのは、筋の通った高い鼻や厳しく引き締まった口もとの恩恵であろう。頬から下顎にかけてのラインはいくぶんごつごつしているが、それもまた武人らしさを演出する大事な一要素だ。褐色の髪も短すぎず長すぎず清潔な感じに切りそろえられており、武官の礼服が肉体の一部のようによく似合っていた。


 が――ただ一点だけ、その端麗なる調和を乱す要素が存在する。

 その秀でた額のど真ん中に、稲妻のごとき大きな古傷が刻みつけられていたのだ。


「……レム=ドム殿、ようやくご挨拶ができました」


 ロギンが恭しく一礼すると、レム=ドムは心から嫌そうに顔をしかめた。


「そういえば、あなたも参席していたのよね。……それは、わたしとの勝負でついた傷痕なのかしら?」


「ええ。ですが、向こう傷は武人にとっての誉れです。どうかレム=ドム殿は、お気になさりませんように」


「ふん。あれは相手を傷つけることを禁忌としない勝負であったのだから、そんなものを気にするはずがないじゃない」


 レム=ドムは、つんとそっぽを向いてしまう。

 まあ、森辺の女衆がこういった容姿に心を惑わされることはないだろう。彼は確かに勇壮な美青年であったが、それはいかにも城下町に相応しい都会的で洗練された美貌であったのだ。印象としては、ジェムドに精悍さを上乗せさせたような感じであった。


「頼むから、今日はおかしな話を持ち出さないでよ? これでわたしが不快な気分になったら、名指しで呼びつけたティカトラスを恨むことになってしまうでしょうからね」


「はっはっは! ロギン殿は、レム=ドムに心を奪われてしまったそうだね! もしや、思いのたけを告げに来たのかな? だったら、わたしに遠慮はいらないよ!」


「やめてよ。悪い冗談だわ」と、レム=ドムは鼻の上に険悪な皺を寄せてしまう。

 ロギンは闘技会の祝賀会において、レム=ドムの強さと美しさに魅了されたと公言してはばからなかったのだ。それで万が一、抑制のしようもなく恋情をかきたてられてしまったならば――レイリスと同じ苦悩を背負ってみせようとまで言い放っていたのだった。


 そのレイリスも、スフィラ=ザザとともにこちらのやりとりを見守っている。レイリスはいくぶん心配げな表情、スフィラ=ザザは真剣きわまりない表情だ。かつておたがいに恋情を抱いてしまった両名は、それを乗り越えて友人としての絆を結びなおしたのだった。


「まさしくわたしは、思いのたけを告げるために参じた次第ですが……しかし決して愛の告白に類する行いではありませんので、どうかご容赦をお願いいたします」


「ふん。だったら、何の話なのかしら?」


「実はレム=ドム殿に、折り入ってお願いしたき儀があるのです。……レム=ドム殿に、剣技の指南役をお願いできませんでしょうか?」


 そっぽを向いていたレム=ドムは、横目でロギンをにらみつけた。


「……剣技の指南役って、なんの話よ? まさか、あなたに剣の手ほどきをしろとでも言うつもり?」


「いえ。わたしではなく、護民兵団および近衛兵団の兵士たちにです。わたしはレム=ドム殿に、剣技の臨時指南役としての仕事を依頼したく思っているのです」


「なんだ、それは?」と、ゲオル=ザザも顔をしかめた。


「俺たちの刀は、ギバを斬るためのものであるのだ。森辺の狩人が、兵士に剣の手ほどきなどできるものか」


「いえ、それは――」


「だいたい、そういう話は調停官という立場にあるメルフリードやポルアースから森辺の族長らに伝えられるべきであろうが? こんなものは、家長の承諾もなしに嫁取りを願うのと同様の行いであろうよ」


「はい。それはわきまえております。ただわたしは事前にレム=ドム殿のお気持ちを確かめたかったため、団長殿から事前に通達する許可をいただいて参ったのです」


 その言葉に、ゲオル=ザザは表情をあらためた。


「ではこれは、メルフリードの許した行いであるということだな?」


「はい。もしも団長殿から森辺の三族長へと正式な願い出として通達されたならば、レム=ドム殿のお気持ちとは関わりなく承諾される可能性もありえるのでしょう? そのような事態だけは、何としてでも避けたかったのです」


 ロギンは厳しく引き締まった面持ちのまま、そのように言いつのった。

 ゲオル=ザザは「そうか」と肩をすくめる。


「では、俺が口を出す筋合いはないな。あとは、お前とレム=ドムで語るといい」


「ちょっと待ってよ。そもそもどうして、そんな話が持ち上がったの? どうせ言い出しっぺは、あなたなのでしょう?」


 レム=ドムはロギンのほうに向きなおり、正面からその顔をにらみ据えた。

 とても静かで力のある眼差しのまま、ロギンは「はい」と首肯する。


「まさしく、発案者はわたしとなります。ご了解をいただけますでしょうか?」


「まずは、理由をうかがいたいわね。そもそもわたしは、見習い狩人に過ぎないのよ? 闘技会には他の狩人たちも出ていたのに、どうしてよりにもよってわたしなのよ?」


「理由は、多岐にわたります。まず、最初の理由は……レム=ドム殿が見習い狩人で、しかも女人の身でありながら、それほどの力量を携えているためと相成ります。森辺の狩人というのはたったひとりで10名の兵士を相手取れるという風聞が流れておりますため、どれだけの力を備え持っていても多少は驚きが減じられるところでしょうが……レム=ドム殿に限っては、誰もが驚愕に打ちのめされることでしょう」


「ふん。見習いの女狩人風情であれば、驚きに値するということね。そんな風に兵士たちを驚かせて、何の得になるというのかしら?」


「兵士たちの曇った目を晴らすことがかないます。闘技会を実際に目にしていない兵士の中には、レム=ドム殿を侮る輩が数多く存在するのです。その中には……レム=ドム殿の色香で対戦相手の剣筋が鈍ったのではないかという愚かしい暴言を吐く人間までもが存在するのです」


 そのように語りながら、ロギンの精悍な無表情に変わりはない。

 レム=ドムは、その内心を見透かしたいかのように目を細めた。


「……それで、あなたの誇りが傷つけられたというわけかしら?」


「わたしの心情など、些末な話です。ですが、レム=ドム殿の力量を疑われることには、激しく苛立ちをかきたてられてやみません」


「ふん。兵士たちの評判なんて、わたしにとってはどうでもいい話だけれどね」


「ですが、そのように目の曇った者たちに、ジェノスの安寧をゆだねるわけにはまいりません。女人だから、見習い狩人だからと相手を侮る不心得者に、ジェノスを守る大役が務まるでしょうか?」


「…………」


「そして、次なる理由ですが……これはレム=ドム殿に限った話ではありませんが、森辺の方々は正式な剣術を学んでいないがゆえに、きわめて有用な指南役になりえるのです。我々が相手取るのは、盗賊団や無法者であるのですから……そういった手合いもまた、正式な剣術などは修めていないのです」


「なるほど」と声をあげたのは、ティカトラスであった。その顔には薄笑いが浮かべられているが、普段に比べればよほど真面目くさった面持ちだ。


「無法者の野良の兵法というものは、きわめて厄介であるそうだね。大きな戦を経験した兵士であれば、それ以上に荒々しい兵法を身につけていそうなものだけれども……戦と無縁なジェノスでは、そういった兵法を磨くすべもない、ということか」


「まさしく、仰る通りです。森辺の狩人こそ、野良の兵法……いえ、それは野獣の兵法ともいうべき手練でありましょう。森辺の狩人はギバやムントを相手取るために、自らも野獣のごとき兵法を習得するに至ったのかもしれません」


 そのように語りながら、ロギンは一歩だけレム=ドムに近づいた。


「重要であるのは、その気迫です。わたしはレム=ドム殿を筆頭とする森辺の方々と試合を行うことで、その気迫と剣技の凄まじさを思い知ることがかないました。ですから、兵士たちにも同じ体験をしてもらい……曇った目を晴らしてもらいたく願っているのです」


「ああそう」と、レム=ドムは肩をすくめた。


「おおよその話はわかったわ。でも、わたしたちにはギバ狩りの仕事があるのだからね。もし族長たちがその話を了承したとしても、休息の期間にある氏族の狩人が駆り出されることになるのじゃないかしら。それに……アイ=ファだったらわたし以上に、兵士たちを仰天させられるでしょうよ」


「それでは、いけません。少なくとも、最初の指南役はレム=ドム殿にお願いしたく思います」


「どうしてよ? あなたの誇りが関係ないなら、わたしひとりに執着するいわれはないでしょう?」


 レム=ドムがそのように答えると、ロギンは自分の礼服の胸もとをわしづかみにした。無表情であるその顔も、わずかながらに苦しげな表情を浮かべる。


「わたし個人の心情などは、二の次にしていただいてかまいません。ですが……これだけの力を持つレム=ドム殿が侮られるというのは……どうしても、我慢がならないのです」


「……だったらそれも、あなた個人のこだわりなのじゃないかしら?」


「そうかもしれません。いえ、きっとそうなのでしょう。わたしは、浅ましい妄念にとらわれているのです。レム=ドム殿にはその技量とお人柄に相応しい栄誉と誇りを抱いてほしいと願ってやまないのです」


 レム=ドムは深々と溜息をついてから、天を仰いだ。

 ゲオル=ザザはふてぶてしく笑いながら、そちらを振り返る。


「確かにこのような言葉を伝えられたら、族長たちもあっさり了承してしまいそうだな。その前に、何とかしてやるがいい」


「……わたしに、どうしろと言うのよ?」


「了承するか断るか、お前の気持ちを伝えれば済むことだ。こやつはこれほどに思い詰めているのだから、それを救ってやるのも踏みにじってやるのもお前の役割であろうが?」


「ああもう! どいつもこいつも!」


 と、レム=ドムは足もとの床を絨毯ごしに荒っぽく蹴りつけた。

 

「わかったわよ! 族長たちが了承するなら、指南役でも何でもやってやるわよ!」


「いえ。ですか、レム=ドム殿のお気持ちにそぐわないのであれば、無理にお願いするわけには――」


「わたしを追い込んだのは、あなたでしょうよ! だから町の人間ってやつは、虫が好かないのよ!」


 そのようにわめくレム=ドムは、駄々っ子そのままであった。最近めっきり大人びてきたが、彼女は元来そういう気質であるのだ。


「……ようやく話がまとまったようだな」


 と、俺のすぐ背後から皮肉っぽい声が聞こえてくる。

 俺がびっくりして振り返ると、そこにはロギンと同じような格好をしたバージとガーデルが立ち並んでいた。


「ど、どうも。おふたりは、いつからいらしていたのですか?」


「ちょうど副団長殿と同じ頃合いだ。それですっかり、声をかけそびれたというわけだな」


 バージはにやにやと笑いながら肩をすくめ、ガーデルはおどおどと視線をさまよわせる。俺と一緒に振り返ったアイ=ファは、凛々しき面持ちで「ふん」と鼻を鳴らした。


「そういえば、バージはあのロギンなる者と同じ近衛兵団というものに身を置いているのだったな。あの言いように、異存はないか?」


「副団長殿の申し出に、俺がけちをつけるいわれはねえさ。まあ最近はジェノスもすっかり平和なんで、気を引き締めなおすにはいい頃合いだろうぜ」


「そうか」と、アイ=ファはレム=ドムのほうに向きなおる。

 その横顔は、相変わらずの凛々しさと美麗さであったが――ただその青い瞳には、どこか誇らしげな光も瞬いているように思えてならなかった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ティカトラスは魂の輝きを感じとれるんだよな? 森辺の民が何故輝いて見えるのかといったら、昔から、それこそ聖域の民のとして生きてきて、森の民となってから、またその国の兵士に森を焼かれて…
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