試食の祝宴③~開会~
2023.8/10 更新分 1/1
しばらくして、後続の狩人たちが大挙してやってきた。
その数、実に14名である。宴衣装の女衆によって華やいでいた控えの間は、猛烈なる生命力の熱気で満たされることに相成った。
今回も、狩人はかまど番とペアとなる形で人選されている。ただ、血族の内でどのような組み合わせにするかは、それぞれの氏族に任されていた。たとえばレイ分家の女衆のパートナーはシュミラル=リリンであったし、マルフィラ=ナハムのパートナーはラヴィッツの長兄となる。さらに、ティカトラスから個人的に招待されていたレム=ドムもけっきょく参席することになったのだが、ディック=ドムはモルン・ルティム=ドムのパートナーであるため、彼女はディン分家の女衆のパートナーという名目で参ずることになったのだった。
「……レム=ドムは、何故にそのようないでたちであるのだ?」
と、そんなレム=ドムに向かって不服そうに声を投げつけたのは、アイ=ファである。
なんとレム=ドムは、俺やラウ=レイと同じ様式の宴衣装を身に纏っていたのだ。人並み以上に立派な胸もともぎゅうぎゅうに押し潰されて、ちょっとワイルドな貴公子さながらの姿であった。
「知らないわよ。これはティカトラスが勝手に準備した装束なのでしょう? そんな問いかけは、ティカトラス本人にぶつけてほしいものね」
そんな風に応じながら、レム=ドムは皮肉っぽく微笑んだ。
「まあ、女狩人には相応しい宴衣装なのじゃないかしら? だけどアイ=ファはそのひらひらとした宴衣装がびっくりするぐらい似合っているから、何も心配はいらないわよ」
「……私とて、かなうことならばそういった装束を纏いたかったと思う」
「だから、そんな恨みがましい目で見ないでってば。文句は、ティカトラスにお願いね」
たとえティカトラスに文句を言っても、こちらには理解の及ばない答えが返ってくるばかりであろう。けっきょくアイ=ファは口をへの字にして黙り込み、俺はその愛くるしい姿を見守るばかりであった。
あとの面々は、想像した通りの姿である。レム=ドムの他に宴衣装を新調されたのは、ゲオル=ザザとゼイ=ディンだ。ティカトラスから立派な宴衣装を贈られた女衆のパートナーは、最終的に対になる宴衣装を贈られる運命にあった。
ただ今回、男女で宴衣装の様式が統一されていないペアが、2組存在した。レム=ドムとディンの女衆はしかたないとして、ユン=スドラのパートナーたるフォウの長兄も誰かの着回しでセルヴァ伝統の宴衣装を纏っていたのだ。
「ああ、この前はユン=スドラとジョウ=ランで組になってたんだっけか。ま、俺たちにはどーでもいい話だけどなー」
ルド=ルウの言う通り、かつてユン=スドラのパートナーとして豪奢な宴衣装を与えられていたのは、ジョウ=ランであった。しかし本日、彼はユーミの同伴者となったため、ユン=スドラのパートナーはフォウの長兄に定められたのだ。
「これは確かに、想像していた以上に珍奇な姿だ。しかしまあ……これだけの同胞が同じ姿をしていれば、心細いこともないな」
フォウの長兄はいくぶん緊張した面持ちで、そのように語っていた。彼が城下町の祝宴に参席するのは、これが初めてのことなのである。というよりも、フォウの血族の男衆でその機会があったのは、ジョウ=ランとチム=スドラの2名のみであったのだ。つい先日の晩餐では、ライエルファム=スドラとバードゥ=フォウが祝宴の参席者についてあれこれ論議していたものであるが――やはりここは若い人間が見識を広めるべきという結論に至ったようであった。
それにもう1名、今回はレイ=マトゥアの兄たるマトゥアの長兄も参じている。これまでレイ=マトゥアのパートーナーはガズの長兄や別なる氏族の人間があてがわれていたが、このたびは同じ氏族から選ぶことができたのだ。初めて兄と祝宴をともにするレイ=マトゥアは、とても嬉しそうだった。
その他の面々は、礼賛の祝宴や送別の祝宴などに参じた経験を有している。ジーダ、モラ=ナハム、ラッツの家長、ガズの長兄は、それぞれセルヴァ伝統の宴衣装を纏っていた。
「それでは、会場にご案内いたします」
下りの五の刻の半が近づいたところで、迎えの小姓がやってきた。
俺たちは、二列縦隊で回廊を進む。総勢40名の、大所帯だ。今さらながら、これだけの人数で城下町の宴衣装を纏っているというのは、壮観のひと言であった。
(それでまあ、ティカトラスのおかげで壮観の度合いも跳ね上がったんだろうな)
隣を歩くアイ=ファの美しさに胸をときめかせながら、俺はそのように考えた。
この後はフェルメスに相談ごとを持ちかけるべきか否かという難題を抱えていたが、まずは料理長としての責務を全うしなければならない。それに俺自身、白日夢の影響はまったく残されていなかったので、滞りなく目の前の仕事に集中することができた。
「本日は、厨をお預かりになったアスタ様とトゥール=ディン様から入場をお願いできますでしょうか?」
入場口の手前でそんな提案を受けて、ジザ=ルウたちはすぐさま承諾した。そもそも身分の序列に従って入場するというのは城下町の流儀であったので、こちらが文句をつける筋合いはないのだ。
ということで、俺とアイ=ファが先頭に立たされてしまう。
文句をつける筋合いはないが、やっぱり多少は緊張してしまうものだ。しかしもちろんアイ=ファのほうは、普段通りの凛々しき面持ちであった。
「森辺の民、アスタ様、アイ=ファ様、ご入場です」
触れ係の言葉に従って、俺とアイ=ファは明るい大広間へと足を踏み込む。
赤みがかった煉瓦で形成された、紅鳥宮の大広間である。ただし、その場には絨毯や壁掛けや衝立などが設置されているため、剥き出しの壁や床などはほとんど見当たらなかった。
シャンデリアに照らされる大広間には、楽団の手による流麗な演奏の音色が舞っている。そして大勢の参席者たちが、アイ=ファの美しさにざわめきをあげていた。
本日は森辺の民ばかりでなく、宿場町の宿屋の関係者や城下町の料理人、それに区長や商会長などといった人々も多数招待されている。そういう貴族ならぬ身分の参席者が多いと、こういう際のざわめきはいっそうの熱をはらむように感じられた。
そんなざわめきもどこ吹く風で、アイ=ファはしずしずと歩を進めている。かつてトゥラン伯爵邸に潜入するために習い覚えた、貴婦人の作法だ。それでアイ=ファは凛々しさと同じぐらいの優美さをも体現し、なおさら数多くの人々を魅了するのだろうと思われた。
大広間に踏み入った後はなんの案内もないのに、アイ=ファは迷わず歩を進めていく。
そしてその先には、見知った人々が顔をそろえていた。アイ=ファは狩人の眼力でもって、最初からその所在を認識していたようだった。
「アスタにアイ=ファ、お疲れー! あー、これでやっと人心地がついたなー!」
そんな言葉で出迎えてくれたのは、ユーミである。かつて試食会に選出された宿屋からは、2名ずつの人間が招待されているのだ。そうしてサムスやシルからの提案で、ユーミの相方にジョウ=ランが選ばれたわけであった。
ユーミもかつて礼賛の祝宴に招待されていたため、立派な宴衣装の姿である。そしてジョウ=ランは、ユン=スドラのパートナーとして贈られた宴衣装に身を包んでいた。和装めいた宴衣装ではなく、ジザ=ルウたちと同じ様式の宴衣装だ。ユーミとは様式が異なっているのであろうが、俺には何の違和感も感じられなかった。
さらにその場には、《キミュスの尻尾亭》のレビとテリア=マス、《南の大樹亭》のナウディスと伴侶も居揃っている。数ヶ月ぶりの祝宴であるためか、誰もが俺たちとの合流にほっとしているようであった。
そこにトゥール=ディンとゼイ=ディンも到着し、その後も続々と森辺の民が入場してくる。ここから先は、やはり森辺の序列に従った順番であった。
ダリ=サウティとサウティ分家の末妹、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザ、ジザ=ルウとレイナ=ルウ――ルド=ルウとリミ=ルウ、シン=ルウとララ=ルウ、ジーダとマイム――ガズラン=ルティムとルティムの女衆、ラウ=レイとヤミル=レイ、シュミラル=リリンとレイ分家の女衆――ディック=ドムとモルン・ルティム=ドム、ディン分家の女衆とレム=ドム、リッドの女衆とリッドの長兄――族長筋の血族は、ここまでだ。
その後に続くのは、フォウの長兄とユン=スドラ、ラヴィッツの長兄とマルフィラ=ナハム、モラ=ナハムとフェイ・ベイム=ナハム、ラッツの家長とラッツの女衆、ガズの長兄とガズの女衆、マトゥアの長兄とレイ=マトゥア――これで、総勢40名であった。
もともと賑やかであった大広間が、ますます賑やかになっていく。森辺の民の勇壮さや美しさにわきかえるのと同時に、森辺の民の生命力というものが小さからぬ影響を与えているのだろう。200名中の40名が森辺の民であるのだから、その影響力は馬鹿にならないはずであった。
ただし、ひときわ身分の高い面々は、これから入場が開始される。
参席者たちに息をつかせる間もなく、触れ係がその旨を伝えてきた。
まずは、三大伯爵家の陣営だ。ダレイム伯爵家の当主パウド、その伴侶リッティア、第一子息アディス、その伴侶カーリア、第二子息ポルアース、その伴侶メリム――サトゥラス伯爵家の当主ルイドロス、第一子息リーハイム、トゥラン伯爵家の当主リフレイア、後見人のトルスト――俺が名前を知る人間は、のきなみ顔をそろえている。そして、侍女のシェイラやルイアやシフォン=チェルなども、それぞれの主人にひっそりと追従していた。
そして今回も、ここでジェノス侯爵家の面々が登場する。本来は領主として大トリを飾るべき立場であるが、かつて送別の祝宴でもその座は客人たちに譲っていたのである。
当主のマルスタイン、第一子息メルフリード、その伴侶エウリフィア、その息女オディフィア――俺にとっては5日ぶりの再会だが、誰もが息災なようだ。生けるフランス人形のように可愛らしいオディフィアがしずしずと入場する姿を、トゥール=ディンはとても温かい目で見守っていた。
その次に名前を呼ばれたのは、バナーム侯爵家のアラウトであった。
本日は宿場町の人間も多数招待されていたが、彼もついに素性を明かすことになったのだ。それはつまり、今後はサイ以外の護衛もなしに森辺や宿場町まで出向くことを控えるという意志表示であるはずであった。
(まあ最近は商談が忙しくて、こっちに顔を見せる機会も少なくなってたもんな。ちょっとさびしいけど、しかたないことか)
俺がそのように考えていると、新たなざわめきが発生する。王都の貴族の順番となって、ティカトラスたちが入場してきたのだ。
ティカトラスは相変わらずの、ターバンに長羽織めいた上衣にバルーンパンツめいた脚衣という、きわめてけばけばしい姿だ。やたらと縦長の体格をしたデギオンも、武官の礼服めいた白装束である。
そして、いつも美しき宴衣装を披露しているヴィケッツォは――アイ=ファやヤミル=レイと同じ様式の宴衣装で、その色彩は漆黒であった。
彼女もアイ=ファたちに負けないぐらい起伏にとんだプロポーションをしているため、とてつもない色香である。しかしそれ以上に、黒い肌に黒い宴衣装というのが鮮烈であった。このたびの宴衣装はひらひらとしたフリルの飾り物が多いので、まるで黒い炎が燃えさかっているかのようであるのだ。それは端麗であるのと同時に、ひどく迫力のある姿でもあった。
その後には、外交官のフェルメスとオーグが続く。
フェルメスは相変わらず派手なところのない宴衣装であったが、そちらは容姿の端整さだけで目引き袖引きされている。そして、武官の礼服を纏ったジェムドも従者の身でありながら、存分に貴婦人の胸を騒がせているようであった。
その次は、ゲルドの使節団の面々である。
その顔ぶれは、アルヴァッハ、ナナクエム、ピリヴィシュロ、プラティカ、そして使節団の団長を担っている人物である。彼は貴人ならぬ武官であり、普段は他のメンバーとともに野営をしている身であったが、送別の祝宴でも貴賓として招待されていたのだ。そして彼らは全員が、ティカトラスから贈られたシムの宴衣装を身に纏っていた。
それでようやく大トリは、南の王都の使節団であった。
ダカルマス殿下にデルシェア姫、使節団団長ロブロス、戦士長フォルタ、そして書記官――人数はささやかであったものの、誰もが祝宴に相応しい正装であるため、その絢爛さはなかなかのものであった。
(そういえば、俺はこれだけダカルマス殿下と顔をあわせてるのに、城下町の祝宴っていうのは礼賛の祝宴しかご一緒してないんだよな)
俺がダカルマス殿下と同席したのは数々の試食会と小規模の晩餐会、あとはせいぜい森辺の祝宴ぐらいであったのだ。もちろんダカルマス殿下は普段から立派な装いをしているが、祝宴ともなるとその豪奢さが上乗せされるのだった。
それに、髪を綺麗にくしけずられて、白と金を基調にした宴衣装を纏ったデルシェア姫も、王家の姫君に相応しい絢爛さである。ただしどのような格好であっても、その無邪気な笑顔に変わるところはなかった。
そうしてすべての参席者が居揃うと、大広間にはいっそうの熱気がわきかえる。
やはり貴族ならぬ身分の人間も多いためか、普段以上に生々しい熱気だ。それに、どれだけ立派な祝宴であろうとも、あくまでこれは新たな食材を吟味するための試食会なのである。こうして名だたる貴族と料理人が一堂に会する祝宴というのは、やはり礼賛の祝宴以来であるはずであった。
「みなさん、よくぞおいでくださいました! 今日という日を無事に迎えることができて、心より嬉しく思っておりますぞ!」
やがて、ダカルマス殿下ご本人が挨拶の声を張り上げた。
さんざめいていた人々も、急速に静まり返る。そしてこちらには、楚々とした足取りで小姓が近づいてきた。
「森辺の料理人アスタ様、ダカルマス殿下がひと言ご挨拶をお願いしたいとのことですので、こちらにご足労を願えますでしょうか?」
ずいぶん急な話であったが、ダカルマス殿下じきじきのお言葉であればお断りすることもできない。俺はいっそう凛々しい面持ちとなったアイ=ファとともに、ダカルマス殿下のもとを目指すことになった。
「本日は、我が南の王都およびゲルドから届けられた、新たな食材を味わうための試食の祝宴と相成ります! 我々のもたらした食材がジェノスの方々のお好みに合致するか否か、まずはジェノスきっての料理人たるアスタ殿の料理でもって、最初のご確認をお願いしたく思いますぞ!」
俺とアイ=ファが足を急がせるさなかも、ダカルマス殿下は意気揚々と語らった。
「また! 本日はわたしの不肖の娘たるデルシェアとゲルドの料理人たるプラティカ殿にも、ひと品ずつの料理を準備していただきました! 古き時代からこれらの食材に慣れ親しんでいる両名と、つい6日前に新たな食材を手にしたばかりのアスタ殿で、いったいどれほど異なる料理が供されるものか! その妙も楽しんでいただきたく思います! ……おお、アスタ殿! 本日は、お疲れ様でございました! どうかひと言だけでも、ご挨拶をお願いいたしますぞ!」
そちらに到着するなり、そんな言葉をぶつけられてしまった。
これ以上もなく笑みくずれているダカルマス殿下に「はい」と一礼してから、俺は大広間の人々に向きなおる。200名の参席者に言葉を届けるというのは、やはりなかなかのプレッシャーであった。
「本日は、ご来場ありがとうございます。準備期間は5日ていどでしたが、自分は周囲の人たちに助けられながら最善を尽くしたつもりです。南の王都とゲルドから届けられた食材が素晴らしいことは確かですので、その素晴らしさを少しでも伝えることができたら幸いです」
それだけ言って一礼すると、思わぬほどの勢いで拍手が返されてきた。
貴族ばかりが参席者であったなら、きっともっとつつましい対応であったのだろう。しかしまた、森辺の祝宴に比べればささやかな熱気であるので、俺はスピーチを終えた後にリラックスすることになってしまった。
「では、挨拶はここまでとさせていただきますが……その前に、一点だけ!」
と、ダカルマス殿下の大声によって、拍手が静められる。
ダカルマス殿下はにこにこと笑ったまま、そのエメラルドグリーンの瞳をいっそう強く明るく輝かせた。
「本日も、この場にはジャガルとシムの方々が少なからず同席しております! しかし! 西の地において諍いを起こすことは大きな禁忌となりますため、どなたもゆめゆめ短慮は起こしませぬように! たとえ手を取り合うことはかなわなくとも、同じ四大神の子として同じ喜びを分かち合っていただきたく思いますぞ!」
近場にたたずんでいる人々は、誰もがつつましい面持ちでダカルマス殿下の言葉を聞いている。
ダカルマス殿下は最後にまたにっこりと笑ってから、満足そうに首肯した。
「では、試食の祝宴を開始いたしましょう! みなさん、ご存分にアスタ殿の手腕をお楽しみください!」
人々は、あらためて拍手を打ち鳴らした。
そんな中、ダカルマス殿下はくりんと俺のほうに向きなおってくる。
「アスタ殿! あらためて、お疲れ様でございました! まずはご一緒に卓を巡りながら料理のご説明を願いたいのですが、ご了承をいただけますでしょうかな?」
「ええ、もちろんです。アイ=ファの同伴もお許し願えますか?」
「もちろんですとも! アイ=ファ殿も、お疲れ様でございました! 本日も、素晴らしいお召し物ですな!」
真紅の宴衣装を纏ったアイ=ファは凛々しい面持ちのまま、たおやかに礼を返す。そんな作法も、かつてシェイラから習い覚えていたのだ。
「それでは、参りましょう! みなさんも、ご準備はよろしいでしょうかな?」
ダカルマス殿下の言葉に従って、さまざまな人々が寄り集まってきた。
ポルアースとメリム、アラウトとカルスとサイ、フェルメスとジェムド――そして、アルヴァッハとナナクエム、ピリヴィシュロとプラティカである。
「こ、こちらのみなさんもご一緒に卓を巡るのですか?」
「はい! 生まれ育ちが異なれば、同じ料理に対しても異なる感想が生まれるものでしょうからな! ずいぶんな大人数になってしまいましたが、どうぞよろしくお願いいたしますぞ!」
もちろん、どれだけの人数になっても文句をつけるいわれはない。しかしやっぱり、アルヴァッハたちまでもがメンバーに加わっているというのは、驚くべき話であった。
(まあ、今日はゲルドの食材も取り扱ってるんだから、当然と言えば当然なんだけど……感想を聞くだけなら、プラティカひとりでも事足りるだろうにな)
いっぽう南の王都の関係者で同行するのは、ダカルマス殿下とデルシェア姫と戦士長フォルタのみのようである。それ以外には武官の姿もないので、フォルタが護衛役を兼ねているのかもしれないが――それにしても、大胆な試みであることに疑いはなかった。
「本日は、7種の料理で15種もの新しい食材を使っておられるそうですな! どのような料理に仕上げられたのか、期待がふくらんでなりませんぞ!」
「はい。お気に召したら、幸いです」
そうして俺たちは、ものすごい顔ぶれで大広間を横断することになった。
さすがにこれだけの顔ぶれがそろえば、誰も迂闊には近づけない。遠巻きに頭を下げながら、道を譲るばかりである。すると、メリムがこっそり俺とアイ=ファに微笑みかけてきた。
「本日も、おふたりは素晴らしい装いですわね。なんだか、目が眩んでしまいそうです」
「いえいえ、とんでもない。アイ=ファはともかく自分なんて、恐れ多いばかりです」
「そんなことはありませんわ。さすがティカトラス様の宴衣装を選ぶ目は確かですわね。義母のリッティアも、そちらの一点だけは毎回感服しておられるようですわ」
ただ無邪気なばかりでなく、どこか少女めいた雰囲気を持つメリムである。本日も、淡いピンク色を主体にした宴衣装が可憐であった。
「……そのティカトラスは、こちらの一団に選ばれなかったのだな」
アイ=ファが小声で問いかけると、メリムはくすりと可愛らしく微笑んだ。
「ダカルマス殿下とティカトラス様は、とても相性がよろしいようですけれど……でもティカトラス様は、美味なる料理よりも美しきご婦人に夢中になられてしまうでしょう? ダカルマス殿下は料理の味に集中なさりたいという思いから、ご同行を遠慮していただいたようですわね」
「そうか。それでもつつがなく交流を深められているなら、幸いなことだ」
アイ=ファがそのように答えると、メリムはいっそうあどけなく笑った。
「やっぱりあなたは公正にして清廉なるお人柄であられるのですね、アイ=ファ。とても好ましく思います」
「うむ? それはあまりに、大仰な物言いではなかろうか?」
「いえ。あなたはティカトラス様を苦手に思われているようですのに、まずはダカルマス殿下とのご関係を案じられたのでしょう? なかなか人は、そうまで公正に振る舞えないかと思います。……公正というよりは、心優しき振る舞いと言うべきなのかもしれませんけれど」
アイ=ファの優しさをメリムに理解してもらえて、俺も誇らしい気持ちでいっぱいであった。
すると、アイ=ファが横目でねめつけてくる。きっと俺の感慨などは、お見通しなのだろう。これほど周囲に貴き身分の方々がひしめいていなければ、頭を小突かれているところであった。
「おお! 芳しい香りが漂ってまいりましたぞ!」
と、先頭を進むダカルマス殿下がそのように声を張り上げる。
最初の卓は、汁物料理とシャスカ料理である。解説役の仕事を果たすべく、俺はアイ=ファとともにダカルマス殿下のもとへと歩を進めた。
「こちらの汁物料理には、ドエマとバンベと凝り豆と豆乳を使っています。アラルの茸を使ったシャスカ料理は簡素な仕上がりですが、汁物料理の添え物としてお楽しみください」
ドエマは牡蠣に似た貝類、バンベはチンゲンサイに似た野菜、そして凝り豆は豆腐に似た食材である。それで俺はタウの豆乳をベースにして、汁物料理を作りあげていた。牡蠣の豆乳鍋をイメージした献立である。
もちろん既存の食材も、具材として数多く使っている。長ネギに似たユラル・パ、白菜に似たティンファ、ニラに似たペペ、ニンジンに似たネェノン、それにシイタケモドキというラインナップだ。
「ドエマだけでもかなり上質な出汁が取れるようでしたので、今回はそこにアネイラの出汁だけを加えています」
「それで調味料は、塩しか使っていないのですよね! いったいどのような味わいであるのかと、ずっと楽しみにしておりました!」
調理の見学をしていたデルシェア姫が、はしゃいだ声をあげる。その間に、小姓たちはせっせと料理を取り分けていた。
立った状態で汁物料理をすするというのは、ジェノスにおいてお行儀が悪いとされている。それで料理の卓のそばにはいくつも円卓が置かれていたが、そちらに向かおうとする人間はいなかった。ダカルマス殿下が開催した数々の試食会においても、おおよその人々は立ったまま汁物料理をすすっていたのだ。
ということで、真っ先に食器を受け取ったダカルマス殿下とデルシェア姫も迷うことなく汁物料理を口にして――そして同時に、エメラルドグリーンの目を見開くことになった。
「素晴らしい! 豆乳の汁物料理というのは、我々の故郷においてもごく一般的な献立でありますが……ドゥラの食材たるドエマによって、まったく目新しい味わいが完成されておりますぞ!」
「本当ですわね! それに、豆乳の味わいもこの上なく活かされているようです! 調味料は塩しか使っていないのに、これほどの奥深い味わいが得られるとは想像できませんでした!」
それに続いて料理を口にしたポルアースたちも、それぞれ満足の吐息をついている。しかしやっぱり、ダカルマス殿下たちに遠慮をしているのだろう。アルヴァッハでさえ、口を開こうとしない。
すると――ダカルマス殿下は昂揚しまくった面持ちで、アルヴァッハを振り返った。
「ゲルドの方々は、どのように思われますかな? ドエマやバンベをよくご存じの身として、ご意見をうかがいたく思いますぞ!」
「……きわめて、美味である。ドエマ、バンベ、不足なく、魅力、引き出していよう」
「ふむふむ! さらに詳しくお聞かせ願えますでしょうかな?」
アルヴァッハは青い瞳を静かに光らせながら、ダカルマス殿下の姿を見下ろした。
両者の身長差は、40センチ以上にも及ぶだろう。そうして遥かな高みからダカルマス殿下の笑顔を検分したのち、アルヴァッハは東の言葉で長々と語った。
戦士長フォルタはいくぶん嫌そうな顔をしていたが、口出しはせずに料理をすすっている。しばらくしてアルヴァッハが口を閉ざすと、フェルメスが優美に微笑みながら進み出た。
「それでは、アルヴァッハ殿のご感想を通訳させていただきます。……こちらは塩しか使用していないということで、きわめて簡素な仕上がりである。しかし、それゆえに、食材の美点が十全に示されているのであろう。ドエマとアネイラの乾物のみならず、すべての具材が入念に煮込まれることによって、これだけの奥深い味わいを生み出しているのである。また、タウの豆乳に強い味付けを施したならば、これほど優美な味わいを望むことはかなわない。調味料は塩しか使わず、乾物もドエマとアネイラのみに留めたのは、見事のひと言である。ゲルドの生まれたる我としては、ここに香草を加えられた料理も夢想してやまないが……しかしそれは、別種の料理である。こちらの料理には香草を使わない料理としての優美さが満ちあふれているのだから、それを不満に思う気持ちはない。そして、バンベを筆頭とする具材の選別も、見事である。西と南と東の食材がひとつに絡み合い、またとない調和を生み出している。それを実現させたアスタの手腕に、感服するばかりである」
「まったくですな! わたしも、同じ思いでありますぞ! では、こちらのシャスカ料理は如何でありましょう?」
シャスカ料理は、マツタケに似たアラルの茸だけを具材として使った、マツタケごはんそのものの内容である。それを口にしたアルヴァッハは、再び長広舌を口にした。
「こちらもまた、簡素きわまりない。それゆえに、食材の素晴らしさが際立っている。アラルは我が知る限り最上の風味と味わいを有する茸であり、それが粒のまま仕上げられたシャスカとまたとない調和を果たしている。そしてその土台を支えているのが、シャスカ酒なのであろう。シャスカ、アラル、シャスカ酒、タウ油、そして海草の乾物の出汁という食材だけで、これほどの味わいが生み出されているのである。アスタは汁物料理の添え物と称していたが、それに留まる完成度ではあるまい。むろん簡素は簡素であり、その味わいは繊細さの極みであるが、それゆえに調和の髄が示されていよう。そして、優美なる汁物料理と繊細なるシャスカ料理が、さらなる調和を作りあげている。前言をひるがえすようであるが、こちらは汁物料理の添え物としても完全に正しく機能しているのである。わずか5日間でこれだけの調和を実現したアスタに、我は惜しみなく敬服の念を捧げたく思う」
「まったくもって、仰る通り! さすがアルヴァッハ殿は、どなたよりも確かな舌をお持ちであられるようですな!」
幼子のようにはしゃぎながら、ダカルマス殿下はそう言った。
「そしてこちらもまた、我々の故郷の食材たるアラルとタウ油、ゲルドの食材たるシャスカおよびシャスカ酒が主体となっているのです! 我々がジェノスで邂逅したからこそ生まれ得た料理であるのだと考えると、感慨深くてなりませんな!」
「うむ。我、心情、同一である」
アルヴァッハは、重々しく首肯する。
いっぽうダカルマス殿下はうんうんとせわしなくうなずきながら、輝くような笑顔で俺のほうを振り返ってきた。
「どちらの料理も、きわめて美味でありましたぞ! この後に5種もの料理が控えているのかと思うと、胸が弾んでなりません! わたしもアルヴァッハ殿とともに、最大限の敬意を表したく思いますぞ!」
「恐縮です」と答えながら、俺は俺で別種の感慨に見舞われていた。ダカルマス殿下がこうまで積極的にアルヴァッハに絡むとは、さすがに想像していなかったのである。
きっとダカルマス殿下は、自分たちもゲルドの面々も正しい行いに励んでいるのだと主張しようとしているのだろう。ジャガルとシムがジェノスを仲介役として交易を行うことは、決して間違っていない――そんな決意を表明しているのだ。
(でもだからって、忌避する相手と無理に交流している様子はないし……それが、ダカルマス殿下のすごいところだな)
そんな中、ポルアースやアラウトたちはごく安らいだ面持ちでこのやりとりを見守っている。きっとジェノス城では、すでに見慣れた光景であるのだろう。
「では、次の卓に参りましょう! どのような料理が待ち受けているものか、楽しみでなりませんな!」
ダカルマス殿下のそんな言葉にも、俺はこれまで以上に澄みわたった心地で「はい」と笑顔を返すことができた。




