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異世界料理道  作者: EDA
第八十章 天星の集い
1382/1695

試食の祝宴②~下準備~

2023.8/9 更新分 1/1

 その後も俺たちは、ひたすら作業を進めることになった。

 作業開始は上りの四の刻ぐらい、作業終了は下りの五の刻を目指しているので、作業時間は八刻ていどとなる。20名の人員で200名分の宴料理を仕上げるというのは大仕事であったが、それだけの時間があれば何とかなるはずであった。


 やがて中天に至ったならば、ユン=スドラの班にお願いした汁物料理と焼きポイタンで昼食をいただく。見物人たちの分まで準備すると、デルシェア姫は飛び上がらんばかりの勢いで喜んでくれた。


「わたしたちの分まで、わざわざありがとー! このお礼は、いつか絶対にさせていただくからね!」


「いえいえ。新しい食材をジェノスに運んでいただいただけで、もう十分ですよ」


「でもそれは、父様やロブロス様の決めたことだからね! わたしなんて、お世話になるばっかりの立場だもん!」


 昼休憩には広々とした部屋をあてがってもらえたので、すべての人員が同じ場所で昼食をいただている。ロデともう1名の武官も、厳しく引き締まった面持ちのまま汁物料理をすすっていた。


「そーいえば前回の祝宴では、昼間っからジザ兄たちが貴族を相手にくっちゃべることになったよなー。今回は、貴族たちの手が空いてねーってことか?」


 ルド=ルウが誰にともなく問いかけると、プラティカが凛々しい面持ちで「はい」と応じた。


「貴き方々、交易について、論じ合っています。ジェノス、ゲルド、南の王都、西の王都、バナーム、それぞれ、関与しているので、話、入り組んでいるようです」


「あー、ティカトラスも商売に関わってるんだっけか。どんだけ入り組んでるのか、想像もつかねーなー」


「はい。すべての方々、苦労、甚大です。そちら、わずかでも、ねぎらえるように、私、力、尽くしたい、思っています」


「うんうん! たとえひと品でも宴料理を手掛けるからには、責任重大だもんねー! アスタ様の引き立て役になっちゃわないように、わたしたちも死ぬ気で頑張らないと!」


 ロデたちの懸念など知らぬげに、デルシェア姫はプラティカに対してもフレンドリーだ。いっぽうプラティカは誰に対しても厳格な態度であったので、デルシェア姫だけに厳しく接しているという気配もなかった。


 そうして十分に食休みも取ったならば、作業再開である。

 俺は午前中と同様に、ふたつの厨を行き来する。もちろん指示を出すばかりでなく、俺も調理を受け持つひとりである。特に新しい食材については、俺自身が責任をもって手掛けなければならない場面が多々あった。


 デルシェア姫とカルスのコンビは基本的に俺を追いかけているが、時おり離脱してトゥール=ディンたちの厨にも出向いている。プラティカとニコラのコンビも、まんべんなく3つの厨を巡回しているようだ。そしてどちらのコンビにおいても、トゥール=ディンの手腕に深い感銘を受けていた。


「まさか、トゥール=ディン様があんな菓子を準備するなんて、想像もしてなかったよ! あれってやっぱり、アスタ様が伝授した技なの?」


「技というほど、大した話ではないですよ。俺の故郷にああいう菓子が存在したので、それを伝えただけの話ですね。あとの作業工程は、すべてトゥール=ディンの考案です」


 俺がそのように答えると、デルシェア姫は小さな身体をもじもじとさせた。その姿にぴんときた俺は、心からの笑顔を届けてみせる。


「故郷の話を持ち出されたって、俺はそうそう我を失ったりしませんよ。昼間のあれは何かの巡りあわせだったので、デルシェア姫もお気になさらないでください」


「うん。それならいいんだけど……わたしもこれ以上、アイ=ファ様に嫌われたくないからさ!」


 デルシェア姫が持ち前の朗らかさを復活させて笑顔を作ると、壁際にたたずむアイ=ファはまた口をへの字にしてしまった。


「まあ何にせよ、トゥール=ディンに比べるとこちらは目新しさもないでしょう? 見知った料理ばかりで、退屈ではありませんか?」


「退屈なんて、とんでもない! そもそも厨の見学をさせてもらうのだって、すっごくひさしぶりなんだからさ! 前にジェノスでお世話になってたときだって、森辺にお邪魔することもなかなかできなかったしね!」


 邪神教団にまつわる騒乱があったために、デルシェア姫も当時は行動に制限がかけられることになってしまったのだ。それでもジェノス滞在を取りやめることにはならなかったのだから、文句を言ってはバチが当たるはずであった。


「そういえば、使節団の方々が赤の月に帰られても、デルシェアはジェノスに留まるのですよね?」


 レイ=マトゥアがそのように問いかけると、デルシェア姫は満面の笑みで「うん!」と応じた。


「わたしは、そのためにやってきたんだからね! 今度こそ、余すところなくアスタ様たちの手腕を学んでいくつもりだよー!」


「そうですか。森辺でお会いできる日を楽しみにしています」


 レイ=マトゥアが無邪気な笑顔を届けると、デルシェア姫もそれに負けない笑顔で「ありがとー!」と応じた。


「あー、やっぱりわたしは森辺の人たちが好きだなー! カルス様も、そう思うでしょ?」


「え? あ、は、はい……森辺の料理人の方々は、誰もが優れた手腕をお持ちですので……」


「あはは! 今は料理人としてじゃなくって、お人柄の話でしょ? カルス様って、わたし以上の料理馬鹿なのかもねー!」


「ふ、不心得者で、申し訳ありません」


 小柄でころんとした体格のカルスは、ぺこぺこと頭を下げる。なんだかデルシェア姫とは、いいコンビのようである。常に真剣なプラティカとニコラのコンビとは、実に対照的であった。


「さて。デルシェア姫は、下りの三の刻からご自分の作業を開始されるのですよね? それならその前に、こちらの目新しい料理を仕上げておこうかと思います」


「わーい、ありがとー! でもそれなら、プラティカ様たちも呼んであげないと! すぐに呼んでくるから、ちょっとだけ待っててねー!」


 デルシェア姫が野ウサギのような軽やかさで厨を出ていくと、カルスとロデも慌てて追いかけていく。カルスなどは追いかける理由もないように思えるが、それも彼の人柄なのだろう。見ている側としては、微笑ましい限りであった。


 そうして4名の見学者が集結したならば、俺が自ら調理を披露する。

 本日は7種の献立で新しい食材を使用しているが、献立そのものが目新しいのはこのひと品のみとなる。それでも、びっくりするぐらい目新しいわけではないはずであったが――デルシェア姫もカルスもプラティカもニコラも、それなり以上に驚いてくれたようであった。


「えーっ! これこそ、味の想像がつかないなー! まあ、ゲルドと南の王都の食材がいっぺんに使われてて、しかもアスタ様の故郷の作法なんだから、それが当然なんだろうけどさ!」


「はい。きわめて、不可思議です。こちら……美味、仕上がりますか?」


「あはは。ちょっと食べなれない面はあるかもしれませんけれど、森辺でも不評ではありませんでしたよ」


 俺がそのように答えると、フェイ・ベイム=ナハムが厳格なる面持ちで「そうですね」と声をあげた。


「ただやはり、ギバ肉が使われていないのが残念です。こちらの料理は、ギバ肉と調和しないのでしょうか?」


「まったく調和しないことはないと思いますけど、あれこれ研究が必要になるでしょうね。今回はその時間が取れなかったため、これらの食材を使用した次第です」


「そうですか。では、今後はギバ肉を使う試みにも力を尽くしたく思います」


 やはり森辺の民にとっては、ギバ肉を使用するか否かが大きな判断材料であるのだ。

 ただし最近は多くの氏族で、マロールやジョラを主体にした副菜も扱われているのだと聞き及んでいる。それでもこのたびフェイ・ベイム=ナハムが声をあげたのは、これが副菜に留まらない献立であるためなのだろうと思われた。


(まあ今回は、あくまで新しい食材を使うことが主眼だからな。明日からは、森辺の同胞のために研究を頑張ろう)


 そうしてひと通りの調理が終了すると、デルシェア姫たちは満足そうな面持ちで厨を出ていった。そしてカルスも、この後はデルシェア姫とプラティカの厨を見学するそうである。昨日の下ごしらえからどのような料理が完成されるのか、それを見届けたいとのことであった。


 よって、下りの三の刻に達してからは、森辺の同胞だけで作業を進めていく。

 貴族の面々はやはり会合が忙しいのか、誰も姿を現そうとしない。ことが交易にまつわるならば、リフレイアもそちらに参じているのだろう。フワノとママリアの産地であるトゥランも、交易に関してはまったく他人事ではないはずであるのだ。


 俺たちはラストスパートで、最後の時間を走り抜ける。

 最初に仕事を終えたのは、レイナ=ルウが取り仕切るルウの血族の班である。そちらとも合流して作業を進めると、予定時間より半刻ばかりを残して作業を終えることができた。

 そうして俺たちがひと息ついていると、トゥール=ディンが率いるザザの血族もやってくる。そちらもちょうど作業を終えたとのことであった。


「みなさん、お疲れ様でした。あとは思うぞんぶん、祝宴に集まる人たちと今日の喜びを分かち合いましょう」


 俺がそのように挨拶をすると、数多くのかまど番たちが充足しきった面持ちで笑顔を返してくれた。

 やはり、同じ顔ぶれで何刻もの作業に没頭するというのは、ひときわの達成感であるのだ。俺自身、同じ思いで笑うことができた。


「では、身を休める前に着替えを済ませておくべきであろうな」


 そんなジザ=ルウの宣言によって、シン=ルウが回廊の外に待機していた小姓に声をかける。俺たちは、列を成してお召し替えの間を目指すことになった。


「……よろしければ、お召し替えの前に浴堂を使われては如何でしょうか? 祝宴の開始は下りの五の刻の半ですので、十分にゆとりはあるかと思われます」


 そんな小姓の提案で、かまど番は再び身を清めることにした。確かに七刻以上も厨にこもっていたならば、誰もが汗だくの姿であったのだ。ただし、男衆は俺ひとりであったため、親切なルド=ルウがつきあってくれた。


「どーせ着替えるんなら、装束を脱ぐことに変わりはねーしな。アスタをひとりにするとアイ=ファがうるせーから、つきあってやるよ」


「うん、ありがとう。ルド=ルウも、今日はお疲れ様」


「つっても、なんもしねーで突っ立ってるだけだからなー。もちろん気をぬくことはねーけど、疲れるってほどじゃねーよ」


 そんな風に語るルド=ルウとともに生まれたままの姿になり、蒸気のたちこめる浴堂へと足を踏み入れる。

 本音を言えば川で水浴びでもしたいところであったが、汗を落とせることに変わりはない。それなり以上の心地好さを満喫しながら俺が全身をぬぐっていると、ルド=ルウがいくぶん真面目くさった面持ちで身を寄せてきた。


「ところでアスタは、朝っぱらに心を乱したらしいな。いったい何があったんだよ?」


「え? そんな話を、誰から聞いたんだい?」


「マトゥアの娘っ子が、リミやマイムとしゃべくってたんだよ。小声だったけど、ま、俺は狩人だからなー」


 ルド=ルウの淡い茶色をした瞳にも、どこか真面目くさった光がたたえられている。この陽気な少年がこんな目つきをするのは、きわめて珍しいことであった。


「もしかして、それで浴堂までついてきてくれたのかい? ルド=ルウまで心配させちゃったなら、申し訳なかったね」


「そんな話はどーでもいいから、そっちの話を聞かせろよ。今は元気みてーだけど、他の連中が心配するぐらい心を乱したってんだろ?」


「うん。心を乱したっていうか、周りが心配するぐらいぼんやりしちゃったって話なんだけどね」


 俺がそのように答えると、ルド=ルウはますますうろんげな表情になった。


「アスタが仕事中にぼんやりするなんざ、ありえねーだろ。マトゥアの娘っ子は、故郷がどうとか言ってたぜ?」


「そうだね。簡単に言うと……どうしてみんなは俺の故郷に興味を持たないんだろうって、それを不思議に思ったんだよ」


「なんだそりゃ?」と、ルド=ルウは目を丸くした。


「なんでそんな話で、アスタが頭を抱えるんだよ? 俺たちがそんな話に興味を持たねーと、何か困ることでもあるってのか?」


「いや、そういうわけじゃないんだけど……でも、俺ぐらい得体の知れない人間なんて、そうそういないだろう? それなら普通は、俺がどんな土地からやってきたのか、もっと根掘り葉掘り聞かれるもんなんじゃないかと思ってさ」


 ルド=ルウは顔をしかめながら、黄褐色の頭をひっかき回した。


「俺たちは、そんな話に興味がねーってだけのこったろ。シュミラル=リリンからシムの話を聞こうとするやつだって、そうそういねーんだぜ? そんな余所の土地に興味があるのは、ジバ婆ぐらいだろーよ」


「そっか。でも俺は、ジバ=ルウにも故郷のことを聞かれた覚えはないし……ジェノスの貴族とかだったら、なおさらそういう話を気にするんじゃないのかな」


「外の連中のことは、知らねーよ。俺たちはただ、興味がねーから聞かねーだけさ」


 そう言って、ルド=ルウはすねたように口をとがらせた。


「アスタはもう、森辺の同胞なんだからな。それより前の話なんざ、知ったこっちゃねーよ。……アスタがどうしても話してーんなら、聞いてやってもいいけどよ」


「いや、別にそういうわけじゃないんだよ。でも、そんな風に言ってもらえるのは、嬉しいよ。……どうもありがとう、ルド=ルウ」


「うるせーよ」と言いながら、ルド=ルウは手をのばして俺の頭までひっかき回してきた。


「ったく、わけがわかんねーな。そーゆーややこしい話は、ガズラン=ルティムにでも聞いてもらえよ」


「うん。でも俺は、ルド=ルウに質問されたから答えたわけだけどね」


「だから、うるせーってんだよ」


「痛い痛い。ごめんよ、悪かったってば」


 ルド=ルウの強靭な指先に頭皮を蹂躙されながら、何だか俺はどうしようもなく胸が詰まってしまった。

 こんなに親切で心優しいルド=ルウにまで心配をかけてしまって、本当に申し訳なく思う。そして、俺なんかにそうまで気をかけてくれるのが、ありがたくてならなかったのだった。


 そうして浴堂を出てみると、4名の狩人たちはすでに着替えを終えている。ガズラン=ルティムとシン=ルウはセルヴァ伝統のゆったりとした宴衣装であり、ジザ=ルウはかつてティカトラスが準備した豪奢な宴衣装、そしてラウ=レイは――またもや、これまで目にしたことのない宴衣装であった。


「うわ、ラウ=レイはまた新しい宴衣装なんだね。これでもう4着目だろう?」


「うむ! 城下町に呼び出されるたびに、新たな宴衣装を準備されているような心地だな!」


 朝方の不機嫌そうな様子とは打って変わって、ラウ=レイはご機嫌な面持ちである。ラウ=レイに新たな宴衣装が準備されたということは、きっとパートナーのヤミル=レイも同様であるのだ。その麗しき姿を想像して、ラウ=レイはご満悦なのだろうと思われた。


「もちろんアスタにも、これと同じような宴衣装が準備されていたぞ! きっとこのたびは、俺たち4人にだけ新しい宴衣装が準備されたのであろうな!」


「うん、まあ、ティカトラスはアイ=ファとヤミル=レイに特別な思い入れを抱いているみたいだからね」


 そして、その同伴者たる男衆にも新しい宴衣装を準備するというのが、ティカトラスらしいはからいであった。


「まったく、酔狂な話だよなー。そんな窮屈そうな装束じゃなくて、こっちは幸いだったぜ」


 そのようにぼやくルド=ルウに準備されていたのは、ガズラン=ルティムやシン=ルウと同じくセルヴァ伝統の宴衣装であった。ゆったりとした長衣に袖なしのガウンめいた上衣を羽織る、ギリシア神話か何かを思わせる様式だ。そちらも瀟洒な刺繍が施されているし、数々の飾り物も準備されているため、見劣りすることはまったくなかった。


 いっぽうジザ=ルウは、袖なしの胴衣に丈の短い儀礼用のマント、それにゆったりとしたバルーンパンツめいた脚衣という、ジェノスでもよく見かける様式だ。これはティカトラスが送別の祝宴にて準備したもので、様式そのものはオーソドックスであったものの、刺繍や装飾の具合がひときわ絢爛であるのだった。


 そして、ラウ=レイに準備されていたのは、西と南の様式が入り混じっているような宴衣装となる。基本は西洋風の軍服めいた様相であるのだが、肩から斜めに掛けられた短いマントや脚衣を留める帯がふわりとたなびくさまや、どことなくアラビア風に感じられる刺繍のデザインなどが、西の様式を思わせるのだ。そして、刺繍や装飾の豪奢さは、ジザ=ルウにまったく負けていなかった。


 なおかつ特筆するべきは、主体となる色彩がラウ=レイの生まれ月である朱色をしていることだろう。そちらと同じ様式で仕上げられた俺の宴衣装は、当然のように黒をベースにしていた。


「うむうむ! やはりアスタは髪も瞳も黒いので、そういう宴衣装が似合うようだな!」


 俺が着付けをされる姿を眺めながら、ラウ=レイはまた陽気な声をあげる。

 いっぽう俺は、ほんの少しだけ複雑な心境だ。黄の月の生まれである俺に黒い宴衣装が準備されるのは、『星なき民』としての色彩があてがわれた結果なのだろうと推察できるのである。おかしな白日夢に見舞われた本日は、その事実が以前よりも少しだけ重く俺の心にのしかかってきたのだった。


(でも、今さらそんな話を気にしたって、しかたないよな)


 そんな風に考えた俺は、あらためて背筋をのばして控えの間を目指すことになった。

 この時点で、ようやく調理の完了を目指していた下りの五の刻である。祝宴の開始まで、まだたっぷり半刻も残されているのだ。俺たちはおのおの長椅子に腰を落ち着けて、身を休めることがかなった。


 それから10分ほどが経過すると、着替えを終えた女衆もやってくる。

 そちらは20名という人数であったので、広大なる控えの間が別世界のように華やいだ印象であった。


 レイナ=ルウとユン=スドラとサウティ分家の末妹の3名は、やはり送別の祝宴で準備された立派な宴衣装である。かつてアイ=ファが肖像画を描かれる際に準備された宴衣装と同じ様式で、レイナ=ルウは朱色、ユン=スドラは灰色、サウティ分家の末妹は黄色を主体にした配色だ。

 上半身はぴったりフィットしており、スカートは大輪の花のようにふわりと広がった、ジェノスでもよく見かける様式なれども、その豪奢さは段違いである。また、サウティ分家の末妹だけは胸もとをフリルで飾られているが、あとの両名は胸もとの上半分が露出するぐらい襟ぐりが開かれているため、いささかならず気恥ずかしそうな面持ちであった。


 そしてさらに今回は、新たな2名にそちらと同じ様式の宴衣装が準備されていた。トゥール=ディンとスフィラ=ザザの両名である。


(そっか。もともとサウティの娘さんは送別の祝宴よりも前にこの宴衣装を準備されていて……送別の祝宴は、彼女じゃなくミル・フェイ=サウティが参席したんだっけ)


 そこで今回、トゥール=ディンとスフィラ=ザザにまでこの宴衣装が新調されたというのは――試食会の優勝者に族長筋の代表者という肩書きを重んじてのことなのだろう。同じ立場である俺やレイナ=ルウやサウティ分家の末妹がこういった姿であるのだから、バランスを取るにはこのように取り計らう必要があるのだ。


「これは、ダリ=サウティに進言を願った結果なのであろうか? であれば……俺は余計な口を出してしまったのかもしれんな」


 と、ジザ=ルウが珍しく嘆息をこぼしている。

 前回の闘技会の祝賀会にて、入賞者の付添人たるディック=ドムやフェイ・ベイム=ナハムを差し置いて自分たちばかりが新しい宴衣装を纏うというのは、いささか筋違いではないのか――ジザ=ルウはそんな疑念を抱くことになり、ダリ=サウティの口からティカトラスにまで伝えられることになったのである。


「ティカトラスの真意はわかりませんが、彼はもともと宴衣装を贈ることに大きな喜びを抱いているそうですからね。こちらが何を言わずとも、トゥール=ディンとスフィラ=ザザには遅かれ早かれこういった宴衣装が贈られていたのではないでしょうか?」


 と、ガズラン=ルティムが穏やかな面持ちでジザ=ルウをなだめた。

 そんな中、残る女衆も続々と入室してくる。レイナ=ルウたち5名を除く面々は、やはりセルヴァ伝統の宴衣装だ。天女の羽衣のようにふわふわとたなびくそちらの宴衣装も、ティカトラスが準備した宴衣装とはまったく異なる趣で優美さの極致であった。


 そして最後に、アイ=ファとヤミル=レイも入室してくる。

 その姿に「おお!」と声を張り上げたのは、もちろんラウ=レイであった。


「やはり、ヤミルとアイ=ファの美しさは際立っているな! 俺はヤミルを愛する身だが、ついアイ=ファにも目を奪われてしまうぞ!」


「……そういった言葉は、家人にのみ向けるがよかろう」


「そんなつれないことを言わないで、アイ=ファもわたしと同じ苦労を分かち合っていただきたいものね」


 アイ=ファとヤミル=レイはクールな言葉をぶつけあいながら、しずしずと入室してきた。

 予想通り、ふたりは新しい宴衣装である。宴衣装にはどれだけのバリエーションがあるのかと呆れつつ、俺もアイ=ファの美しさにしっかり心を奪われてしまっていた。


 俺とラウ=レイの宴衣装はどこか西と南の折衷のように感じられるので、アイ=ファたちもそういった様式であるのだろうか。

 ボディラインをくっきりと描き出す上半身にふわりと広がったスカートというのは、レイナ=ルウたちと同様である。襟ぐりが大きく開かれて胸もとや肩まで露出しているのも、また然りだ。ただ、ひらひらとしたフリルなどの装飾の過剰さが、これまでの宴衣装と大きく異なっていた。


 もとよりスカートなどは何枚ものひだを重ねた作りであるが、このたびは上半身にまでそういった装飾が施されている。ボディラインの美しさだけは決して邪魔しないように、襟や袖などにもフリルが大きく渦巻いているのだ。それは本当に、肖像画などで見るマリー・アントワネットもかくやという豪奢さであった。


 それに今回はヤミル=レイばかりでなく、アイ=ファも髪を結いあげられている。サイドの部分だけは自然に垂らされつつ、金褐色の長い髪がポニーテールの形に結われて、そこにも数多くの飾り紐や銀細工などが織り込まれていたのだ。


 アイ=ファはもともと髪を結っているので、その形式がいささか異なっているだけであるのだが――しかし、剥き出しにされたうなじから肩までのラインが、俺の心臓をどうしようもなく騒がせてやまなかった。


 そして、宴衣装の色合いは、アイ=ファが真紅でヤミル=レイが深い緑色である。茶色のトゥール=ディンと藍色のスフィラ=ザザも合わせて、やはり全員が生まれ月の色彩であった。


「……やはりお前も、新たな宴衣装を準備されていたのだな」


 こちらに近づいてきたアイ=ファが、そっと囁きかけてくる。そうすると、俺の胸はいっそう激しくバウンドしてしまった。


「それはともかくとして、この短い時間にまた心を乱したりはしておらんだろうな?」


「うん。今はアイ=ファの宴衣装に心を乱されちゃってるけどな」


 俺が冗談めかした返事をすると、アイ=ファはめいっぱいの不満を込めてにらみつけてくる。俺はすぐさま「ごめんごめん」と謝罪の言葉を申し述べてみせた。


「本当に大丈夫だよ。その話を小耳にはさんだルド=ルウにまで心配をかけちゃったけどな」


「なに? ……それでルド=ルウは、なんと言っていたのだ?」


「俺の故郷になんて興味はないって言ってたよ。あと、そういうややこしい話は、ガズラン=ルティムにでも相談しろってさ」


 俺は明るく努めた声で、そのように囁き返してみせた。

 するとアイ=ファは、鋭い眼差しを俺の背後に巡らせる。


「ガズラン=ルティムよ。しばし時間をもらいたいのだが、かまわないだろうか?」


「え? おい、アイ=ファ。こんな祝宴の直前に、そんな相談事をしようってのか?」


「……祝宴の直前だからこそだ。城下町の者たちは、また何かのはずみでお前の故郷の話を持ち出す恐れがあるからな」


 こんなに美麗な姿をしながら、アイ=ファはすっかり狩人の目つきになってしまっている。

 そんな中、ガズラン=ルティムはゆったりとした笑顔でこちらに近づいてきた。


「どうしました? ……やはり、アスタの故郷にまつわるお話でしょうか?」


「やはり、ガズラン=ルティムも聞き及んでいたか。何か思うところでもあれば、それを聞かせていただきたい」


 そんな言葉を交わしながら、俺たちはできるだけ人気の薄い壁際へと移動した。

 そちらに到着すると、ガズラン=ルティムは澄みわたった眼差しで俺とアイ=ファの姿を見比べてくる。


「デルシェアが故郷の話を口にしたのがきっかけで、アスタは心を乱すことになったようだとうかがいました。アスタはどうして、心を乱すことになってしまったのでしょうか?」


「いえ、心を乱したというよりは……どうしてみんなは俺の故郷に興味を持たないんだろうと、それが不思議に感じられただけなのですよね。まったくもって、今さらの話なのですが」


「ああ……」と、ガズラン=ルティムは優しく微笑んだ。


「それは単に、アスタの心情を慮っていたに過ぎません。ですが、中には私のように浅ましい思いにとらわれていた人間もいるかもしれませんので……それでアスタに無用の疑念を抱かせてしまったのなら、申し訳ない限りです」


「ええ? ガズラン=ルティムがそんな浅ましい思いにとらわれるなんて思えませんし……だいたい、どういう思いにとらわれたら、俺の故郷の話を聞くのはやめておこうということになるのですか?」


「……かつてのアスタには、故郷について触れられたくないという気配を感じてやみませんでした。アスタは家族や故郷を失ってしまった悲しみに暮れながら、懸命にそれを乗り越えようとしているように思えましたので……誰もが、アスタの心情を慮ることになったのでしょう」


 そんな風に語りながら、ガズラン=ルティムはいっそう優しげに目を細めた。


「私もそういった思いから、故郷について問い質すのはやめておこうと考えていました。ですが……のちのちアスタが元気になられた折には、別なる思いにとらわれることになったのです」


「……それは、どういう思いだったんでしょう?」


「それは……アスタに郷愁の念を覚えてもらいたくないという、浅ましい思いです。アスタには森辺の民として生きてほしかったので……故郷のことは、なるべく思い出してほしくなかったのです」


 そうしてガズラン=ルティムは、頑強なる指先で俺の手をそっと握ってきた。


「ですが、私がそのような思いにとらわれていたのは、せいぜい最初の1年ばかりのことです。この地で生誕の日を迎えたアスタは、もうすっかり森辺の同胞であるように感じられました。ですからその後は意図的に故郷の話題を避けていたのではなく、故郷について問い質す意義を失っていたのです。アスタはまぎれもなく森辺の同胞であるのだから、過去のことなどはどうでもいい……心からそう思えるようになるまで、私は1年もかかってしまったのです」


「……それは、意外な話を聞かされるものだ。私はアスタが森辺を捨てることなどはありえないと信じたからこそ、ファの家人に迎えたのだぞ」


 アイ=ファは厳しい面持ちでそのように言ってから、ふっと小さく息をついた。


「だが……そんな私でも、多少の不安がないわけではなかった。同じ家で暮らす私でさえそのような有り様であったのだから、ガズラン=ルティムを責めることはできまいな」


「ア、アイ=ファもそんな不安を抱えていたっていうのか?」


「お前の真情を疑っていたわけではない。だが……お前のほうこそが、時おり不安な顔を覗かせていたであろうが?」


 アイ=ファの青い瞳が、真っ直ぐに俺を見つめてくる。

 それで俺は、「そうだな」と笑うことになった。


「そういえば、俺はいつ自分が消えてなくなるかもわからないなんていう不安にとらわれてたんだよな。それでアイ=ファにもさんざん心配をかけちゃったのに、ごめん」


「今さらそのように古い話で、わびの言葉など口にするな」


 アイ=ファはこらえかねたように、俺の胸もとを拳で小突いてきた。


「ガズラン=ルティムも語っていたように、それらはすべて1年以上も古い話であるのだ。お前がどうして今さらそのような話に頓着するのか、私にはさっぱりわけがわからんぞ」


「うん。俺自身、何かの発作に見舞われたような気分なんだよな。これは何の根拠もない、俺の思い込みかもしれないけれど……例の謎の人物と決着をつけない限り、俺の中には何らかの不安が残されるのかもしれない」


 俺の言葉に、アイ=ファはいっそう厳しい面持ちになってしまった。


「だからお前は、悪夢を見た後のような様子になっていたのか。その謎の男というのは、いったい何なのだ?」


「それは俺にもわからないよ。ナチャラが水晶玉で見せてくれたのは、あくまで過去の記憶だっていう話だから……俺は本当に頭でもぶつけて、記憶の一部をなくしちゃってるのかもな」


 俺としては、そのように答えるしかなかった。

 アイ=ファはこれ以上もなく鋭い目つきになってしまっているし、ガズラン=ルティムも穏やかな眼差しの中にうっすらと猛禽めいた眼光を覗かせている。それぐらい、ふたりは真剣に俺の心情を思いやってくれているのだ。


「その謎の人物というものに関しては、私もかねがね気にかかっていたのですが……身の回りに該当する人間がいない以上、アスタの記憶が戻るのを待つ他ありません。それ以外に、アスタに懸念を抱かせる要因はありますか?」


「いえ、特には。……ただ、森辺の外の人たちは、どうして俺の故郷に興味を持たないんだろうっていう疑問は残されたままですね。ジェノスの貴族の人たちなんかは、そういう話を聞きほじろうともしないまま、俺をジェノスの民として受け入れてくれましたし……それは、どうしてなんでしょう?」


「貴族の心情は、貴族にしかわかりません。それが懸念となってしまうなら、直接うかがってみるべきではないでしょうか? ……あるいはフェルメスであれば、正しき答えを示してくれるやもしれません」


 ガズラン=ルティムのそんな言葉に、アイ=ファはますます眼光を鋭くした。


「アスタが気にかけているのは、ジェノスの貴族の心情だ。それをフェルメスに問い質すというのは、いささか筋違いであるように思えるし……もとよりあやつは、アスタにおかしな執着を抱いている。こちらの弱みを見せるような真似は避けるべきではないだろうか?」


「フェルメスは、傀儡の劇でも見るようにこの世界を見ているように感じられます。そんなフェルメスであるからこそ、この世界の出来事を誰よりも正しく、客観的に判ずることがかなうのではないでしょうか?」


 そんな風に言ってから、ガズラン=ルティムは穏やかに微笑んだ。

 その目に宿されていた猛禽めいた眼光も、静かに消え去っていく。あとはもう、いつも通りの柔和で理知的なガズラン=ルティムであった。


「むろん、どのように振る舞うかを決めるのはアスタ本人と、家長のアイ=ファです。私はアスタの懸念が晴れることを祈っていますので、どうかもっとも正しき道をお進みください。私は友として、力を惜しまずにおふたりを支える所存です」

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