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異世界料理道  作者: EDA
第八十章 天星の集い
1379/1695

再会の晩餐会③~交流~

2023.7/23 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「では最後に、トゥール=ディン殿の菓子ですな!」


 ダカルマス殿下の号令で、空になった皿が下げられていく。

 こちらのテーブルには健啖家が多かったので、さんざん追加分の料理を楽しんだ後である。料理が余れば侍女や小姓に回されるという話であるので、俺はかなりの量を準備したつもりであったのだが、この勢いでは申し訳ていどしか残されていないかもしれなかった。


 ともあれ、食後のデザートである。

 トゥール=ディンが準備したのは、黒フワノを生地に使った2種の蒸し饅頭であった。


「か、片方のまんじゅうにはアールのくりーむ、もう片方にはリッケのじゃむが使われています」


 トゥール=ディンは恐縮した面持ちで、そのように説明した

 アールを使った菓子といえばモンブランケーキが至高であるが、それは5日前の晩餐会でも供していたため、取りやめることになったのだ。まあ、同じ品を出してもゲルドやジェノスの面々が文句を言うことはなかろうが、トゥール=ディンほど豊富なレパートリーを備えていれば、献立に困ることはないだろう。これらの品も、決してモンブランケーキに負けていないはずであった。


「おお! こちらも素晴らしい味わいでありますな! アールというのはもともと素晴らしい食材でありますが、トゥール=ディン殿の手にかかるとまた格別でありますぞ!」


 喜色満面で、ダカルマス殿下はそのように言い放った


「アールのくりーむに、普通のくりーむに、そしてブレの実のあんこというものも使われているのですな! ううむ! やはりアールのみならず、ブレの実も買わせていただくべきなのでしょう! この調和は、見事という他ありません!」


「まったくですな」と同調したのは、デルシェア姫ではなくロブロスであった。


「我々は以前にもアールを使用した菓子を供されましたが、それとも比較にならない出来栄えであるようです」


「はい。あの日の菓子もまたとない出来栄えであったのに、それを遥かに上回るというのは驚きの念を禁じ得ません」


 書記官も、感服しきった面持ちで息をついている。ダカルマス殿下を除くメンバーは、送別会の場でアールのクリームのロールケーキを食していたのだ。


「あれはメライアの食材を手にしてから、ほんの半月ていどしか経っていない頃でしたからね! それからのふた月半ほどで、トゥール=ディン様はこれほどの味を練り上げることができたのでしょう!」


 テーブルに突っ伏すのをこらえるように両腕で身を支えながら、デルシェア姫がそのように声をあげた。

 そして、ふたつ目の饅頭を口にしたならば、あえなく撃沈する。美味なる菓子に対しては、デルシェア姫のリアクションが加速してしまうのだ。


「こちらも……こちらも、素晴らしい出来栄えです……リッケで、このように素晴らしい菓子を作りあげられるなんて……わたしなんて、物心つく前からリッケを口にしていたというのに……我が身の不甲斐なさを思い知らされてしまいます……」


「あ、い、いえ、その……も、申し訳ありません……」


「謝罪の必要なんてありませんわ! この無念の思いも、糧にさせていただきますので!」


 デルシェア姫ががばっと身を起こすと、その小さな顔には輝くような笑みがたたえられている。それでトゥール=ディンも、ほっと息をつくことになった。


 リッケというのは、南の王都の食材であるのだ。ジェノスには干した状態で持ち込まれて、味わいはブドウに似ている。トゥール=ディンはそれを極上のジャムに仕上げて、生クリームとともに封入していたのだった。


 左右のテーブルを見回してみると、オディフィアやピリヴィシュロもきらきらと瞳を輝かせながら饅頭を頬張っている。ピリヴィシュロのおかげで、俺の和み加減も倍増だ。なおかつ彼は笑顔を隠すために、ずっと口もとを隠していた。


「目新しいアールで作りあげられた菓子も、よくよく見知ったリッケで作りあげられた菓子も、等しくわたしの胸を震わせてやみません! どちらの菓子も、きわめて美味です! 本日手中にした食材でもまた素晴らしい菓子が仕上げられることを切に願っておりますぞ、トゥール=ディン殿!」


「あ、は、はい……い、5日後に間に合うかどうかは、お約束できませんけれど……みなさんがお帰りになるまでには、必ず何かをお届けしたいと思います」


「はい! 期待しております! アスタ殿も、ご同様に!」


「はい。ひと月半もあれば、さまざまな料理をお届けできるかと思います」


「楽しみです! 楽しみでなりません!」


 最後にそのように言い放つなり、ダカルマス殿下はぐったりと椅子の背もたれに身を預けた。その厳ついお顔に浮かべられていた歓喜の表情は、どこか陶然とした表情に移り変わっていく。


「我々は新たに8種の食材をお届けしましたが、ゲルドの方々は13種ですものな……あれらの食材から、いったいどのような料理が生み出されるのか……これほどの期待と喜びをもたらしてくださったゲルドの方々には、感謝の思いしかございません」


 それは独り言ではなく、隣のテーブルへの呼びかけであった。

 ロブロスやフォルタは、たちまち表情を引き締める。そして、プラティカと語らっていたアルヴァッハがうっそりとダカルマス殿下を振り返った。


「我、心情、同一である。南の王都の食材、いずれも、素晴らしいので、期待、ふくらむばかりである」


「そのように言っていただけるのは、光栄の限りであります。しかし、ゲルドの食材もドゥラの食材もマヒュドラの食材も、まったく引けは取りませんな。アスタ殿の料理が楽しみなのはもちろん、あれらを故郷に持ち帰れることもありがたくてなりませんぞ」


 ダカルマス殿下もまたアルヴァッハのほうに向きなおり、陶然とした微笑を送る。ロブロスはますます表情を引き締めたが、しかしダカルマス殿下をたしなめようとはしなかった。


「まあ、我々はあくまでジェノスの方々から食材を買いつける身でありますので、あなたがたにお礼を申し述べるのは筋違いなのでしょうが……こうして相対しながら黙殺することはかないませんからな」


「うむ。我、心情、同一である。素晴らしき食材、ジェノス、もたらしたこと、深く、感謝している」


 彼らは日中の厨においてもわずかながらに言葉を交わしていたが、こうまではっきり交流するさまを見せつけられるのは初めてのこととなる。アイ=ファやララ=ルウやゼイ=ディンも、いくぶん張り詰めた眼差しでそのさまを見守っていた。


「……南と東は古きよりの敵対国でありますので、決して手を取り合うことは許されません。なおかつ、責任のある立場である我々は、民の規範になるように心がけねばなりませんからな」


 ゲルドの面々ばかりでなく周囲の人々にも聞かせるように、ダカルマス殿下はいつになくゆったりとした口調でそのように言葉を重ねた。


「その上で、あえて言わせていただきたい。諍いを起こすことの許されない西の地において、あなたがたと巡りあえた幸運を、わたしは何より得難く思っておりますぞ」


「……我、心情、同一である。シム、ジャガル、敵対してしまったが、もとより、四大神、兄弟である。たとえ、友、なれなくとも、同じ四大神、子として、敬意、必要であろう」


 アルヴァッハもまた、普段よりいっそう重々しい口調でそのように答えた。

 すると、大人びた微笑をたたえたデルシェア姫も発言する。


「わたしも同じ料理人として、プラティカ様に最大限の敬意を払っているつもりですわ。皆様が出立される赤の月の中頃まで、どうぞよろしくお願いいたしますわね、アルヴァッハ様、ナナクエム様、ピリヴィシュロ様」


 ゲルドの面々は無言のまま、指先を複雑な形に組み合わせて一礼する。

 それを見届けたのち、ダカルマス殿下は「さて!」と声を張り上げた。


「それではここからは、歓談の刻限でありますな! 菓子も尽きてしまいましたので、酒の準備をお願いいたしますぞ!」


 ダカルマス殿下の陽気な声が、その場に立ち込めていた厳粛な空気を打ち砕いた。

 ロブロスやフォルタや書記官は、それぞれ深く息をつく。書記官などは、織布で額の汗をぬぐっていた。


「それではいささか無作法ですが、席の交換も自由ということにいたしましょう! オディフィア姫も、トゥール=ディン殿との語らいを心待ちにしておられるでしょうからな!」


 ダカルマス殿下の鶴の一声で、そんな措置が取られることになった。

 であれば、アルヴァッハのもとに向かうべきかと、俺は視線を向けてみたが――とたんに、タランチュラを思わせる巨大な手の平が制止のジェスチャーを見せてきた。


「我、ナナクエム、語らい、必要である。アスタ、のちほど、料理の感想、伝えたい、願っている」


「承知しました。それでは、またのちほどということで」


 ならば次点で、ティカトラスであろうか。

 俺がそのように考えていると、隣のテーブルから腰を上げたゲオル=ザザが近づいてきた。


「何も、自ら苦手な相手のもとに向かう必要はなかろう。しばらくは俺たちが相手をしてやるので、お前たちはこちらに移るがいい」


「そうですか? 俺もアイ=ファも、そうまでティカトラスを忌避しているわけではないのですが……」


「ならば、それよりも先にマルスタインらの相手をしてやるがいい。あちらもお前に話があるようだからな」


 そんな言葉を残して、ゲオル=ザザはスフィラ=ザザとともにティカトラスのテーブルへと向かっていった。

 貴族の側は腰を上げようとしないので、森辺の民だけが移動する格好だ。その結果、俺とアイ=ファはディンの父娘とともにジェノス侯爵家のテーブルに移ることになった。


 ルウの血族はララ=ルウと合流したのちに二手に分かれて、南の王都およびティカトラスたちのテーブルに散る。ダリ=サウティと分家の末妹、ユン=スドラやマルフィラ=ナハムやレイ=マトゥアは、空いた席を埋める格好でゲルドのテーブルに腰を落ち着けた。


「ああ、ようやくアスタたちに挨拶をできるわね。せっかくだから、トゥール=ディンはオディフィアの隣に来ていただけないかしら?」


「では、わたしも席を移るとしよう」


 と、メルフリードが席を立ち、別なるテーブルへと向かっていく。それで隣り合うことになったトゥール=ディンとオディフィアは、心から幸福そうに視線を見交わした。


「今日は大儀であったな、アスタよ。いずれも素晴らしい料理であったぞ」


 と、マルスタインが真っ先に俺へと声をかけてくる。その端整な顔には彼らしい鷹揚な微笑がたたえられていたが、他のテーブルまで届かないように声量が抑えられていた。


「また、6日後には今日以上の苦労をかけてしまおう。もちろん我々の側からも、十分な褒賞を準備する心づもりだが……とりわけ大きな苦労を担ってくれるアスタには、深く感謝している」


「いえ、とんでもありません。自分だってジェノスの一員であるのですから、力を尽くすのは当然でしょう」


「うむ。アスタをジェノスの民として迎えることのできた得難さを、決して軽んじることはできん。そもそもジェノスがゲルドと南の王都の架け橋になれたのも、アスタの功績あってのことなのだからな」


 綺麗に整えられた口髭の下で、マルスタインはゆったりと微笑んだ。


「普段はこういった役目もメルフリードやポルアースにまかせきりだが、せっかくの機会であったのでわたしからも感謝の言葉を伝えたかったのだ。本来であれば、アスタに勲章を送りたいぐらいの気持ちであるのだが――」


「いえいえ。そのようなものをいただくのは、恐縮です。森辺の族長たちだって、きっと困惑してしまうでしょう」


「うむ。その分は、褒賞の額を上乗せさせていただこう。銀貨であれば、どれだけ手にしても邪魔にはならなかろうからな」


 マルスタインとこうまでじっくり語らうのは、俺としてもあまりなかった体験である。どうも前回の晩餐会以来、マルスタインは俺の存在を気にかけてくれているようであった。


「常にアスタとともにあるアイ=ファも、なかなか心が休まるまい。そちらにも、感謝とねぎらいの言葉を届けたく思うぞ」


「うむ。アスタが大きな苦労や責任を担うのは、私としても安らかならぬ心持ちだが……しかしまた、同じだけの誇らしさを授かっているつもりだ」


 優美な準礼装のアイ=ファが凛然とした面持ちで答えると、マルスタインは「うむ」といっそう柔和に微笑んだ。


「アスタがこれだけの仕事を果たせるのは、アイ=ファの支えがあってのことなのであろう。そしてそれは、逆もまた然りなのであろうな」


「うむ。そうしておたがいに支え合うのが、森辺の家人のあるべき姿であるからな」


「アスタばかりでなく、生粋の森辺の民たちを同胞として迎えられた喜びも、決して忘れたことはない。……其方たちが西方神の洗礼を受けてより、間もなく2年に達するのだな」


 そう言って、マルスタインは遠くの景色を眺めるように目を細めた。


「その間に《颶風党》の襲撃があり、ゲルドの方々と縁が結ばれ……そして、北の民たちの処遇を巡って、南の王家の方々とも縁が紡がれることになった。その他にも騒動には事欠かなかったし、何とも目まぐるしい歳月であったな」


「ふむ。そちらは傀儡の劇を目にしたことで、そういった思いを募らせることになったのであろうか?」


「そういう面も、確かにあろう。しかしそれよりも、やはりこれだけの客人をいちどきに迎えた影響が大きかろうな。ゲルドの方々も南の王家の方々もティカトラス殿も、ひいてはこちらのアラウト殿も、それぞれの思惑があってジェノスに集ったわけだが……そこに大きな影響をもたらしたのは、やはりアスタを含む森辺の民の存在であるように思えてならんのだ」


 そのように語りながら、マルスタインはテーブルに両肘をついて指先を組み合わせる。そこに軽く下顎をのせつつ、微笑をはらんだ眼差しで俺とアイ=ファの姿を見比べてきた。


「ジェノスの領主として、わたしも大きな責任と覚悟を担っているつもりだ。この先も同じジェノスの民として、どうか苦労と喜びを分かち合ってもらいたい」


「まあ。今日のジェノス侯は、ずいぶんかしこまっておられますね。今からそのように肩肘を張っていたら、赤の月までもちませんわよ?」


 愛娘とその友の語らいを見守っていたエウリフィアが、ころころと笑い声をあげた。


「まあ、それだけこれはジェノスにとっての一大事なのでしょうね。でも、心配はいりませんわ。どのような騒ぎになろうとも、客人がたが求めておられるのは美味なる料理からもたらされる喜びの思いだけですもの」


「うむ。そして、それにまつわる交易についてだな。そちらの面倒は、我々が責任をもって担わせていただこう」


 マルスタインが穏やかな笑顔でそのように応じたとき、ルド=ルウを筆頭とするルウ家の一団がぞろぞろと近づいてきた。


「よー。そろそろティカトラスの我慢が切れてきたみたいだぜー。ザザのふたりが踏ん張ってくれてるけど、限界みてーだ」


「そうか。そちらにも苦労をかけてしまったな。ここはアスタではなく、アイ=ファに詫びるべきであろうか?」


 マルスタインの苦笑まじりの呼びかけに、アイ=ファは嘆息をこぼしつつ「いや」と応じた。


「べつだん、そちらに詫びられる筋合いはあるまい。我々も、あやつとは正しき絆を結ばなければならんからな」


「正しい絆と言えば、明日にでもガーデルを王家の方々に引きあわせようと考えている。おそらく試食の祝宴にもあやつを招くことになろうから、そのように心得てもらいたい」


「承知した。では、失礼する」


 俺とアイ=ファが席を立つと、ルド=ルウとレイナ=ルウとマイムが余っていた席を埋めた。

 俺たちは、右端から左端のテーブルを目指す。その道行きで、アイ=ファが俺に囁きかけてきた。


「アスタが料理にまつわる苦労を担うのは、懸念と同じだけの誇らしさが得られる。しかし、ティカトラスやガーデルにまつわる苦労というのは、そのようなものとも無縁だな」


「うん。ティカトラスに関しては、俺じゃなくってアイ=ファが苦労を背負わされてるしな」


 そんな内緒話を繰り広げつつ、俺たちはふたつのテーブルを通りすぎた。

 最果てのテーブルには、ザザの姉弟とリミ=ルウが待ち受けている。また、貴族の側も席替えをしたようで、ポルアースとオーグの代わりにプラティカとピリヴィシュロが陣取っていた。


「おお、アイ=ファ! ようやく挨拶ができたね! 昼から顔をあわせていたのに言葉をかける機会に恵まれず、ずっとやきもきしていたよ! たとえ準礼装であろうとも、やっぱり光り輝くような美しさだね!」


 ティカトラスは半日分の熱情を解き放とうとばかりに、そんな言葉をぶつけてくる。その向かい側では、ゲオル=ザザが苦笑していた。


「どうも俺たちでは用が足りなかったようだ。いっそレイの連中でも連れてくるべきだったな」


「いやいや! スフィラ=ザザの美しさもわたしの心を満たしてやまないよ! でも、アイ=ファは特別な存在であるからね! 何せ、側妻に迎えたいとまで思った相手なのだからさ!」


 アイ=ファはティカトラスの熱情をはねのけるようにして、無言のままに着席した。とたんに、笑顔のリミ=ルウが腕にからみつく。ようやくアイ=ファと同席できるという喜びに違いはなかろうに、こちらはひたすら微笑ましいばかりであった。


「プラティカたちも来てくれたのに、ティカトラスはぜーんぜん静かにならないの! 大変だけど、一緒にがんばろーねー!」


「うむ。しかし、本人の前で相手をするのが大変だと述べるのは、つつしむべきであろうな」


「あはは! でもティカトラスって、貴族って感じがしないんだもん!」


「貴族である前に、わたしはわたしであるからね! そうでなければ、森辺や宿場町でくつろぐこともできないさ!」


 あらためて、ティカトラスは賑やかである。異国の貴人や王族たちと別のテーブルになったため、心置きなく羽根をのばしているようだ。ただ美しい準礼装の姿をしたヴィケッツォは、さきほどの「側妻」のひと言でぶすっとしたお顔になってしまっていた。


「ティカトラス様。まずは6日後の祝宴について、必要な話を告げておくべきではないでしょうか?」


「うん? ああ、そうだったね! 実はアスタに、お願いしたいことがあるのだよ! どうかその日は、ヤミル=レイとレム=ドムも参席できるように取り計らってもらえないものかな?」


「え? どうして、俺が? 参席者を決めるのは、ダカルマス殿下や貴族の方々の領分ではないですか?」


「ダカルマス殿下の主催する祝宴に、わたしがあれこれ口出しすることはできないからね! それでダカルマス殿下は、かつて試食会という場で腕をふるった8名がいればそれでいいというお考えであるのだよ! あとは、アスタが手伝いを所望した面々だけが祝宴に参席できるわけさ! それなら、アスタの領分だろう?」


「だから、俺に口出ししておられるわけですか」


 俺は、苦笑をこらえられなかった。


「でも、ヤミル=レイはまだしも、レム=ドムはかまど番ならぬ狩人ですからね。俺の裁量では、どうこうできないのです」


「それは困るよ! レム=ドムの宴衣装もついに出来上がったから、彼女にも参席していただかないと!」


「ですから、それを決めるのは俺でなく、こちらのゲオル=ザザの父君なのですよ」


「まったくだな」と、ゲオル=ザザも苦笑している。


「かまど番に同行する狩人の顔ぶれを決めるのは家長や族長の役割だし、ザザの血族から誰を出すか決めるのは俺の親父の役割だ。それぐらい、少し考えればわかりそうなものだろうに」


「なるほど! そうだったのか! では、是非ともそのように取り計らっていただきたい!」


「俺にできるのは、その言葉を親父に伝えることだけだ。あとのことを決めるのは、親父とディック=ドムだな」


「それじゃあ、何卒お願いするよ! もしも難色を示すようだったら、わたしもじきじきにお願いにうかがうからさ!」


「でしたらヤミル=レイのほうも、あちらのジザ=ルウにお願いしていただけませんか? 俺の裁量で決めてしまうと、俺が恨まれてしまいそうですので」


「そうかそうか! 承知したよ! いやあ、5日後が楽しみだなぁ! もちろんアイ=ファにも新たな宴衣装を準備しておくから、どうかお楽しみにね!」


「……それを喜ぶ気持ちは持ち合わせていないと、なんべん告げれば伝わるのだろうか?」


 仏頂面で応じつつ、アイ=ファはわずかに目を細めた。


「だが、やはり……さしものあなたも、王族が相手ではそうまで奔放に振る舞えないようだな」


「そりゃあそうさ! 異国の王族の方々なんて、もっとも取り扱いが難しいものであるからね! しかもダカルマス殿下は第六王子という貴き身分であられるのだから、なおさらさ!」


「その割には、あなたの意向で試食会が祝宴の形となったようだが」


「それはたまさか、わたしと殿下の意向が一致しただけのことさ! ダカルマス殿下は本当に、アスタの料理に心酔しておられるようだからね!」


 そんな風に言いながら、ティカトラスはにんまりと笑った。


「それに、ゲルドのアルヴァッハ殿もね! わたしもかねてよりお噂はうかがっていたが、これはさすがに予想以上だったよ! まさしく、心酔と称するに相応しい熱意じゃないか! 異国の貴人や王家の方々にそうまで腕を見込まれるなんて、アスタというのは本当に大したものだね!」


「ふん。そちらはアスタ個人に特別な執着は抱いていないようだからな」


「うん! もちろん数多くの料理人を育てあげたアスタの力量には目を見張るものがあるけれど、いまや他の面々だってアスタに負けないぐらいの料理を準備できるわけだからさ! ことさらアスタにだけ執着するいわれはないね!」


 そんな風に言ってから、ティカトラスはいっそうチェシャ猫めいた笑みを浮かべる。


「アイ=ファは、それが不満なのかな? アスタに執着する人間なんて、少ないに越したことはないように思えるけどねぇ」


「……確かにあなたまでアスタに執着していたならば、余計に苦労がかさみそうなところだな」


「うんうん! わたしが心を奪われたのは、アスタではなく君の存在であるからね! アスタの料理を真似ることはできても、君の美しさを真似ることは誰にもできないのだからさ!」


 アイ=ファは深々と息をつき、ゲオル=ザザは右眉の古傷を指先で掻いた。


「まったく、酔狂なことだな。そちらは嫁取りのごとき行いを断られた立場であるのだから、アイ=ファに執着しても詮無きことだろうよ。まさか、断られてなお、未練を抱いているのではなかろうな?」


「そりゃあ未練はあるけれど、今さらアイ=ファが変心することはないだろうからね! この手でその麗しき肢体を掻き抱くことがかなわないのならば、せめてその美しさを心に焼きつけておこうという一心さ!」


「ティカトラス様。幼き貴人の御前です」


 と、ヴィケッツォがいくぶん慌てた顔で、ティカトラスの袖を引っ張った。

 ティカトラスは一瞬きょとんとしてから、「おお!」とピリヴィシュロのほうを振り返る。


「これは、お耳汚しを失礼しましたな、ピリヴィシュロ殿! 酔狂者の戯れ言ですので、どうかお聞き流しください!」


 どうやらピリヴィシュロもアルヴァッハの姉の子という立場であるため、ティカトラスは敬意を払っているようだ。

 すると――ピリヴィシュロは黒い瞳に思わぬ鋭さをたたえながら、ティカトラスを見つめ返した。


「われ、きづかい、むようです。ですが……アイ=ファ、こまらせる、よくない、おもいます」


「いやいや、返す言葉もございません! わたしはこの身に渦巻く情熱に従っているのみであるのですが、清廉なる生活に身を置くアイ=ファにはいささか迷惑になってしまうようであるのです!」


「ならば、アイ=ファ、きもち、おもんずるべき、おもいます。アイ=ファ、このましい、おもっているなら、なおさらです」


「まったくもって、仰る通り! お恥ずかしい限りであります!」


 ティカトラスは悪びれた様子もなく、ターバンに包まれた自分の頭をぴしゃりと叩く。

 それでもピリヴィシュロが鋭い目つきでティカトラスを見つめ続けていると、アイ=ファは優しい眼差しで取りなした。


「ピリヴィシュロの心づかいに、感謝する。しかしそちらもティカトラスとは正しき絆を結ぶべき立場であろうから、私が原因で諍いを起こさないように願いたい」


「……われ、くちだし、よけいでしたか?」


「いや。心より感謝している。そして、ピリヴィシュロもともに安らかな行く末を目指してもらえれば、心強く思うぞ」


 アイ=ファは目だけで、ピリヴィシュロに微笑みかけた。

 するとピリヴィシュロは黒い頬に血の気をのぼらせて、口もとを隠してしまう。その姿に、ティカトラスは「うーむ!」と声を張り上げた。


「わたしもアイ=ファにそんな言葉や眼差しを投げかけてもらいたいものだ! ピリヴィシュロ殿が羨ましくてなりませんぞ!」


「であれば、あなたはピリヴィシュロを見習うべきであろうな」


 アイ=ファがそのように答えたとき、ポルアースが隣の卓から呼びかけてきた。


「アスタ殿、アルヴァッハ殿が料理の感想をお伝えしたいそうだよ。よかったら、こちらの席に移っていただけるかな?」


「はい、承知しました。それじゃあいったん、失礼いたしますね」


 そうしてアイ=ファが俺とともに腰を上げようとすると、ティカトラスがあたふたと身を乗り出してきた。


「呼ばれたのはアスタだけなのだから、アイ=ファまで同行する必要はないじゃないか! わたしはまだ、アイ=ファの美しさを堪能しきれていないよ!」


「……しかし、城下町ではアスタとともにあろうと心がけている。必要であれば、またのちほどうかがおう」


「でも、晩餐会だって終わりが近いはずさ! アルヴァッハ殿の微に入り細を穿つ論評を拝聴していたら、そのまま終わりの刻限を迎えてしまうかもしれないじゃないか!」


 アイ=ファは頭痛でも覚えたように、自分の額に指先を押し当てる。

 すると、石像のように不動であったデギオンが発言した。


「……であれば、我々も同席させていただいたらよろしいのでは?」


「ああ、その手があったか! よしよし、それじゃあ他の方々に席を移っていただこう! ポルアース殿、ご相談があるのだが!」


 ティカトラスはひらひらとした装束をそよがせて、誰よりも早く隣のテーブルに駆けつけた。デギオンとヴィケッツォは、影のように追従する。

 そしてこちらのテーブルでは、ピリヴィシュロがもじもじしながらプラティカの顔を見上げた。


「プラティカ。われ、どうせき、ねがう、めいわくですか?」


「いえ。あちら、もとより、ピリヴィシュロ様、席です。遠慮、いわれ、ありません」


「リミもアイ=ファと一緒にいたーい! 席がなかったら、隣に立ってるから!」


 と、リミ=ルウは笑顔でアイ=ファの腕を抱きすくめる。

 貴き身分の方々が集結した晩餐会とは思えないような騒ぎであるが――まあ、このような騒ぎは序の口であるのだろう。俺たちは、この顔ぶれであとひと月半も過ごす予定であるのだった。


(確かに苦労は尽きないけど、せっかくだったら楽しまないとな)


 そんな思いを込めて、俺はアイ=ファに笑いかけてみせた。

 ティカトラスたちの様相を仏頂面で見守っていたアイ=ファは、今にも口をとがらせそうな面持ちで俺の顔を見返してきたが――最後には目もとで笑い、俺の脇腹を肘で小突いてきた。


 そうしてひと月半にも及ぶ騒動の前夜祭めいた晩餐会は、たいそうな騒ぎの中で終わりを迎えることになったのだった。

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