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異世界料理道  作者: EDA
第七十九章 華燭と奉迎
1372/1695

城下町の晩餐会④~希望を胸に~

2023.7/2 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「それでは最後は、トゥール=ディンの菓子であるな」


 マルスタインの呼びかけによって、新たな皿が運ばれてきた。

 菓子は、思い切って3種を取りそろえている。こちらで力を入れるために、俺の班の料理は3種に留めることになったのだ。まずは、その理由から解説することになった。


「ジェノスはこの近年で、菓子に適した食材を数多く手にすることができるようになりました。その成果をお伝えするべく、今日は少しだけ料理の品数をおさえて、菓子を多めに仕上げることになったのです。ゲルドの方々にもお楽しみいただけたら幸いです」


「うむ。我、期待、募るばかりである。また、ピリヴィシュロ、喜び、ひとしおであろう」


「わたしの孫娘たるオディフィアも、それは同様でありましょうな。喜びのあまりに貴婦人としての礼儀を忘れてしまわないか、心配なところです」


 そのように語りながら、マルスタインも楽しげな面持ちだ。あまり人前で祖父らしい顔を覗かせることはないが、もちろん初孫であるオディフィアに対しては深い情愛を抱いているのだろう。俺としても、オディフィアの灰色の瞳が星のようにきらめく姿を想像するだけで、胸が温かくなってやまなかった。


 しかし本日はピリヴィシュロが同席しているので、物寂しいことはひとつもない。3種の大皿を眼前に迎えた彼は、それこそオディフィアに負けない勢いで瞳を輝かせていた。


「がいけん、ふしぎです。あじ、そうぞう、できません」


「うむ。味、想像しても、そちら、上回ること、確定している。トゥール=ディン、力量、確かである」


 アルヴァッハもまた瞳を輝かせているが、そちらは迫力たっぷりである。ただ、内心に渦巻く思いはピリヴィシュロと同様であるのだろう。彼は菓子に関しても、まったく二の次にしていないのだ。


「本日ご準備したのは、ラマンパ・フレークとモンブランケーキとスイート・ノ・ギーゴという菓子になります。どの順番で口にしても、大きな問題はないかと思います」


 それらはいずれも、どこかでお披露目されたことのある内容である。ただし、ゲルドの人々にとってはすべて目新しいはずだ。今日の主役はゲルドの人々であるので、そちらに喜んでいただくことを最優先にさせていただいたのだった。


 それに、他の人々もトゥール=ディンの菓子を口にできるのは月に数回のことであるので、どのような内容でも食べ飽きていることはないだろう。オディフィアに限っては3日にいっぺん、特別にトゥール=ディンの菓子が届けられているわけであるが――それこそ、昨日食べたばかりの内容でも喜びが減じることはないのではないかと思われた。


「こ、こちら、あじ、かみごこち、どちらも、ふしぎです」


 と、まずはラマンパ・フレークから口にしたピリヴィシュロが、口もとを隠しながらそのように告げてきた。彼が真っ先に声をあげるのは初めてのことであったので、それだけ甘い菓子を好んでいるということなのだろう。


「そちらは西の地でも収獲されるラマンパと、南の王都から買いつけたラマンパの油を主体に味を作っています。内側の硬めの生地は、ゲルドの方々から買いつけたメレスとなりますね」


「えっ! メレス、われ、このんでいます。でも、あじ、かたち、まったくちがいます」


「そちらはメレスを入念にすり潰したり焼きあげたりして、そのように加工しているのです。いささか手間はかかりますが、森辺でも城下町でも好評であるようですね」


 トウモロコシに似たメレスをフレークに仕上げて、それを甘いラマンパのクリームでコーティングした菓子である。トゥール=ディンはパフェなどで活用しているが、単体でも十分な美味しさであるはずであった。


「カロンの乳にひたして食べると、また違う美味しさを味わえるかと思います。ラマンパの甘みが乳に溶けて、メレスの食感もしっとりするので、なかなかの趣だと思いますよ」


「ゲルド、カロン、いません。ギャマのちち、だいよう、かのうですか?」


「あ、そうでしたね。うーん、俺はギャマの乳をいただいたことがないので、何とも言えないのですが……癖のない乳であれば、代用は可能だと思います」


「われ、このよろこび、こきょう、かぞく、わかちあいたい、ねがいます」


 ピリヴィシュロは口もとを隠したまま、輝く瞳でアルヴァッハを見上げる。しかしアルヴァッハも菓子を味わうのに夢中で、「うむ」としか答えなかった。


「……こちら、以前、食した菓子、似て異なる、仕上がりである」


 と、そのように発言したのはアルヴァッハではなくナナクエムだ。彼が食していたのは、スイート・ノ・ギーゴであった。


「ああ、それはきっと雨季の食材であるトライプの菓子ですね。その応用で、こちらの菓子を考案しました」


 というよりも、俺としてはサツモイモに似たノ・ギーゴのほうがスイートポテトの再現としては王道であり、カボチャに似たトライプのほうが応用版であるのだが――そんな俺の故郷にまつわる話は、誰にとっても意味は為さないはずであった。


「僕はやっぱり、こちらのアールを使用した菓子に感服してしまいます。アールというのは僕にとっても馴染みの深い食材でありますが……それをこうまで美味なる菓子に仕上げられる人間は、バナームに存在しませんでした」


 モンブランケーキを食したアラウトは、感服しきったように息をついている。今回は、アルヴァッハが長広舌を発揮させる前にと感想を申し述べる人が多かった。

 そうしてひと通りの菓子を食したならば、満を持してアルヴァッハが口を開く。


「こちらのモンブランケーキなる菓子は、味も食感も秀逸である。フワノをゲルドに持ち帰ってひさしいが、これほどに好ましい食感に仕上げられる人間は、いまだゲルドに存在しない。こちらの生地は歯が必要ないほどにやわらかく、羽毛のごとき食感を有している。そして、アールを練り込んだくりーむなる存在が、七色の羽根を持つ精霊のごとき輝かしさでフワノの生地を豪奢に飾りたてている。また、アールのくりーむのやや重たい食感が、その内側に隠された白きくりーむおよび生地のやわらかな食感と相まって、至福の極致である。そして何より、アールの香ばしい風味と舌を溶かすかのような甘さが、とてつもない鮮烈さである。優美さも極まれば、これほどの鮮烈さを生み出すのであろう。こちらの菓子は優雅に舞う貴婦人のように軽やかで、美しく、そして鮮烈である。このような調和を体現することのできるトゥール=ディンは、まさしくジェノスで一番の菓子作りの名手であろう」


 そんな調子で、ラマンパ・フレークもスイート・ノ・ギーゴも同じだけの熱量で語られることになった。

 それらをすべて聞き終えたところで、ティカトラスがまた手を打ち鳴らす。


「いや、失礼! アルヴァッハ殿のお言葉は、やはりわたしの詩人としての胸を震わせてやみません! 七色の羽根の精霊というのは、シムに伝わる伝承の精霊を指しているのでありましょうな?」


「うむ。御伽噺である」


「わたしもかつて、旅芸人の傀儡の劇で拝見した覚えがあります! 羽根の色合いが単色でなかったために迫害されていた精霊が、最後にはその唯一の美しさを精霊王に見初められるという、美しき物語でありましたな!」


 と、ティカトラスはいきなりヴィケッツォの肩を抱いて、自分のほうに引き寄せた。


「火の精霊は赤き羽根、水の精霊は青き羽根! そのように定められているのだから、七色の羽根を持つ精霊はどこにも居場所がない! それでも最後には王たる存在に美しさを認められるという、その筋書きがわたしの心を震わせるのです! 自らと異なる外見であることを忌避してその美しさに気づくことができないなど、愚の骨頂でありましょうからな!」


「うむ。……ヴィケッツォ、母親、渡来の民、聞き及んでいるが、何か、迫害、受けたのであろうか?」


「いえいえ! そのような真似は、父たるわたしが許しませんでした! まあわたしがそのような世話を焼かずとも、このヴィケッツォであればどのような苦難でも乗り越えたでしょうけれどもね!」


 ヴィケッツォはいくぶん気恥ずかしそうに、目を伏せている。

 すると、ナナクエムが「ふむ」と発言した。


「ゲルド、渡来の民、存在しないが……海辺の領土ドゥラ、渡来の民、数多く、やってくる、聞き及んでいる。しかし、渡来の民、見初めて、子を生す、聞いた覚え、皆無である」


「左様ですか! まあ、我がダームにおいても、わたしの他にそういった人間が存在すると聞いた覚えはありませんな!」


「うむ。ティカトラス、異国の民、忌避していない、証であろう。我々、西の地、交流、薄いため、ティカトラス、出会えたこと、得難い、思っている」


「わたしもゲルドの方々とお近づきになれて、光栄なばかりです! どうか今後とも、よろしくお願いいたします!」


 そんな両名のやりとりを、フェルメスはよそゆきの微笑で、アイ=ファはいくぶんうろんげに見守っている。フェルメスは内緒話のできる距離ではなかったので、俺はアイ=ファに囁きかけることにした。


「どうしたんだ? 何か腑に落ちないことでもあったのか?」


「いや……ティカトラスは娘たるヴィケッツォの存在を利用して、ゲルドの面々と交流を深めようと画策しているのかと思ったが……どうにも心を偽っている様子はないので、いったいどういう思惑であるのかと判じかねていたのだ」


「なるほど。だったら本心をぶつけることで、ゲルドの人たちと交流を深めようとしてるってことなんじゃないかな。それもいかにも、ティカトラスっぽいじゃないか」


「うむ……となると、ティカトラスは本心をさらけだすだけで、ゲルドの面々から親愛を得られるということであろうか……」


「あはは。アイ=ファはそれが気に食わないのか?」


「気に食わないのではなく、釈然としないだけだ。ティカトラスとゲルドの民では、心のありようがあまりに異なっているのだからな」


 などと言いながら、アイ=ファは今にも口をとがらせそうな面持ちである。ティカトラスに対しては複雑な気持ちを抱いているので、その要領のよさが鼻についてしまう、ということであろうか。もしかしたら、フェルメスも似たような心境であるのかもしれなかった。


(確かにティカトラスの性格は、シムよりジャガルの人たちのほうが相性はよさそうだと思ってたけど……でも、あれだけ真正直な人間だと、誰から好かれても不思議はないのかな)


 それに、シムの民だとかジャガルの民だとかを意識しすぎるのは、七色の羽根を持つ精霊を異端者と見なすのと同じ結果を招いてしまうのかもしれない。俺はどんな生まれの相手であっても忌避する感情がなかったので、あまり深く考えたことがなかったのだが、この世界の人々は人種で区分する意識が強いはずだった。


(何せ、敵対国の人間とは友人にもなれないっていう取り決めなんだもんな。もしかして……ティカトラスはこれからジャガルの使節団が到着することを見越して、そんな話題を持ち出したのかな)


 俺がそんな風に考えたとき、マルスタインが「さて」と声をあげた。


「まだまだ話は尽きないでしょうが、時が過ぎる前に傀儡の劇をご覧いただこうかと思います。ゲルドの方々も、ご異存はありませんでしょうかな?」


「うむ。傀儡の劇、森辺の料理、同程度、期待している」


「では、その手並みをお楽しみいただきましょう。……傀儡使いの者たちを、これに」


 マルスタインの言葉に応じて、小姓のひとりが楚々と立ち去っていった。

 しばらくして、準礼装ぐらいの格好をしたリコとベルトンが登場する。そして、俺たちの敷物のすぐそばに立てられていた衝立が片付けられると、そこにはすでに劇の舞台が設えられていた。


 本日はゲルドの面々が主役であるため、こちらの敷物は特等席だ。俺とアイ=ファは、これまでと異なる心持ちで気を引き締めることに相成った。


「本日もこのように立派な場に招いていただけて、光栄の限りです。まだまだ拙い部分は多かろうと思いますが、皆様にひとときでも楽しんでいただけたら幸いです」


 緊張の面持ちで頬を火照らせたリコが、ぺこりと一礼する。それでもたびたび貴族のもとに招かれているだけあって、堂々とした立ち居振る舞いであった。

 そうして粛々と、『森辺のかまど番アスタ』の第三幕が披露される。俺やアイ=ファにとっては、この4日間で3度目のお披露目だ。


 こうまで立て続けに観賞していれば、さすがに覚悟も据わろうというものであるが――だけどやっぱりティアとの思い出を想起させられるシーンでは、目頭が熱くなってやまなかった。隣のアイ=ファもきつく眉をひそめて、懸命に涙をこらえている様子である。


 そして、ゲルドの面々はというと――アルヴァッハとナナクエムとプラティカは恐ろしいぐらいの真剣な眼差しで、ピリヴィシュロだけは食事中と同じように瞳を輝かせている。無表情を保つのも忘れてしまって、幼子らしい驚嘆の表情だ。異国の言葉で綴られる劇を過不足なく楽しめているのなら、大したものであった。


 劇が後半まで進んで《颶風党》が登場したならば、アルヴァッハたちの眼差しもいよいよ鋭くなっていく。ティアが斬り伏せられるシーンなどは、こらえかねたように肩を震わせていた。


 そうして最後は、大団円だ。エピローグのひとコマとしてアルヴァッハとナナクエムを模した傀儡が登場すると、また両名はぴくりと身を揺すっていた。


「……これにて、『森辺のかまど番アスタ』の物語は読み終わりでございます」


 舞台の前側に姿を現したリコたちが一礼すると、お行儀のいい拍手が打ち鳴らされる。ただ、ゲルドの面々の拍手はひときわ力強かった。


「今日も見事な手並みであったな。傀儡使いの両名は、こちらに」


 マルスタイン本人から呼びかけられて、リコたちはしずしずと近づいてくる。そちらにゆったりとうなずきかけてから、マルスタインはアルヴァッハたちを振り返った。


「劇の出来栄えは、如何であったでしょうか? ゲルドの方々の誇りを傷つける内容ではなかったかと考えているのですが……もしも手直しが必要であれば、ご遠慮なくお申しつけください」


「手直し、不要である。仕上がり、十全である。……否、十全以上である」


 アルヴァッハは重々しく、そのように応じた。


「アスタたち、見知った相手、我々、知る通りの姿、描かれていた。ならば、その他、同様であろう。我、感服している。……そして、かつての同胞、甚大なる災厄、もたらしたこと、あらためて、恥じ入っている」


「とんでもありません。かの罪人たちは、神を捨てたと公言していたのですからな。その時点で、もはやゲルドの民どころか四大神の子としての資格を失っていたことでしょう。ゲルドの方々が恥じ入る必要はないはずです」


「しかし、憤懣、極致である。また、かのごとき、罪人、生んでしまったこと、藩主の子として、慙愧、極致である」


 そう言って、アルヴァッハは燃える碧眼をまぶたに隠した。

 そうして俺やアイ=ファのほうを振り返ると、炎を消した眼差しをまぶたから覗かせる。


「だが……この災厄、あったからこそ、我々、ジェノス、来訪し、アスタたち、出会えた。その一点、心より、得難い、思っている」


「はい。俺もそのように考えています。シルエルたちは、決して許されない罪を犯しましたが……そのおかげで、俺はアルヴァッハたちとお会いすることができたのですからね」


 まだ劇の余韻に乱れている心を何とかなだめながら、俺はアルヴァッハに笑顔を返してみせた。

 すると、ずっともじもじしていたピリヴィシュロがこらえかねた様子で身を乗り出してきた。


「われ、かんめい、ふかいです。とても、とても、きょうたんです。くぐつのげき、すべて、しんじつですか?」


「はい。多少の脚色はされていますが、すべて真実をもとに作られています」


「きょうたんです。われ、もっとも、こころ、おどりました。……あ、アスタたち、たいへんなくろう、みまわれたのに、もうしわけありません」


「いえ。すべては昔の話ですから、お詫びには及びませんよ。リコたちだって、みなさんを楽しませるためにこちらの劇を作りあげたのですからね」


 ピリヴィシュロはそわそわとしながら、アルヴァッハの顔を仰ぎ見た。


「おじぎみ、われ、くぐつつかい、こえ、かけること、ゆるされますか?」


「うむ。ジェノス侯、如何であろうか?」


「それを禁ずる法は、ジェノスに存在いたしません。何か失礼があったら、彼らをこの場に招いたわたしがお詫びを申しあげましょう」


 ピリヴィシュロはひとつうなずいてから、リコたちのほうを振り返った。


「くぐつのげき、すばらしかったです。あなたたち、すばらしいです。われ、かんどうです」


「ありがとうございます。貴き身分の御方にそのように言っていただけて、光栄の限りです」


 リコはつつましい表情を保ちつつ、一礼する。ただその瞳は、とても誇らしげに輝いていた。


「リコたちの劇は本当に、素晴らしい出来栄えでありますからな! 市井で披露される日が、楽しみでなりません! ……でもたしか、リコたちは自らの考えで手直しをするつもりなのだよね?」


 ティカトラスがそのように声をあげると、リコの瞳に精悍なる輝きが宿された。


「はい。アイ=ファのおかげで、いくつもの不備に気づくことができましたので。筋書きに大きな変更はありませんが、そちらの手直しをするまで外で披露することはできません」


「その意気込みが、素晴らしいね! だからわたしは、君たちに期待をかけてやまないのだよ!」


 ティカトラスが引っ込むと、今度はアルヴァッハがリコたちに呼びかけた。


「我からも、賛辞、送りたい。また、これほど、素晴らしき劇、登場できたこと、光栄、極致である」


「はい。お顔やお身分は伏せさせていただきましたが、貴き方々を勝手に傀儡として扱ってしまい、心より申し訳なく思っています」


「謝罪、不要である。光栄、極致である。ナナクエム、同様であろう?」


「うむ。我、アルヴァッハ、背丈の差、正しく、表していること、驚嘆である」


「アスタたちからお二人の背格好はうかがっていましので、それに合わせて傀儡の衣装を作らせていただきました。外套を長くのばせば、背丈を調節することも可能でしたので」


「細かな配慮、および細工、見事である。ゆえに、こちらの劇、出来栄え、見事なのであろう」


 アルヴァッハもナナクエムも、劇の出来栄えに心から満足しているようである。

 なおかつ、旅芸人たるリコたちを見下す気配は微塵もない。アルヴァッハたちの人柄を考えればそれも当然の話であるが、実際に目にするとやっぱり嬉しいものであった。


「では、傀儡使いの両名は控えの間に戻るがいい。お役目、大儀であった」


 リコとベルトンはまた一礼して、小姓の案内で立ち去っていった。彼らは晩餐会の終わりを待ち、俺たちと一緒に城門を出るのだ。

 敷物には新たな茶や酒が運ばれて、歓談の場が再開される。傀儡の劇を観賞したならば、あと半刻ほどでお開きになるはずであった。


「……あらためて、森辺の民、乗り越えた、苦難の大きさ、思い知らされた。筋違い、承知しているが、アイ=ファたち、アスタ、救ったこと、感謝の言葉、送りたい心地である」


「うむ。同胞たるアスタを救うのは当然のことであるし、異国の民たるアルヴァッハたちに礼を言われる理由はなかろう。しかし、そうまでアスタの存在を気にかけてくれることは、ありがたく思っている」


 最後まで涙をこらえたアイ=ファは凛々しい面持ちで、そのように応じた。

 そんなアイ=ファの姿を、ピリヴィシュロはどこかうっとりとした眼差しで見つめている。それは微笑ましくてならないのだが――同じような目つきであるティカトラスは、残念ながらあまり微笑ましくなかった。


「このたびの幕でも、アイ=ファの清廉にして強靭なる魂の輝きが見事に描き抜かれていたね! わたしもまた新たな肖像画を描きたくなってしまったぐらいだよ!」


「……それは是非とも、ご遠慮願いたい」


「うんうん! ああいう手間をかけさせるのは、一度きりという約束であったからね! こうなったら、また心に刻みつけられたアイ=ファの美しさを頼りに筆を取るしかないかな! そのために、その美しき姿もしっかり心に刻みつけておかないとね!」


 すると、アルヴァッハがけげんそうに小首を傾げた。


「ティカトラス。異性、容姿、賞賛する、森辺、禁忌では?」


「おっと! ついに口がすべってしまいました! やはりこればかりは、どうにも我慢がきかないようです!」


 ティカトラスは満面の笑みで、ターバンにくるまれた自分の頭をぴしゃりと叩いた。


「ですがわたしは外見のみならず、魂の美しさをも同時に賞賛しているのです! それでも森辺の方々はなかなか納得してくれないので、わたしも口をつつしもうと心がけているのですが……これほどの美しさを目の前にすると、どうしても抑制を失ってしまうのです!」


「森辺の民、魂、美しい、同感である。であれば、同性、賞賛しては、如何であろうか? アスタ、アイ=ファ、魂、美しさ、同等であろう」


「まさしく、仰る通りで! ただ、そこに外見の美しさが上乗せされるからこそ、わたしも舞い上がってしまうのですよね! ラウ=レイやシン=ルウといった凛々しき狩人には、アイ=ファやヤミル=レイに次ぐほどの昂りを覚えておりますよ!」


 そこにルド=ルウが入らないのは、美的感覚の相違であろうか。俺にとってはその3名が、同じだけの魅力を持つ若き狩人の代表格であった。


「……城下町には城下町の流儀があろうから、私もむやみに森辺の習わしを振りかざすべきではないのかという思いを抱いている」


 と、アイ=ファが仏頂面をこらえているような面持ちで声をあげた。


「ただ、祝宴のたびに新たな宴衣装を準備されるのは、さすがに心苦しくてならない。これを最後に、ティカトラスも宴衣装の準備を控えてはいただけないだろうか?」


「ええ? そうは言っても、仕立て屋に注文している宴衣装もそろそろ完成する頃合いであるのだよね!」


「なに? この宴衣装の他に、まだ別なる宴衣装を準備しているのであろうか?」


「もちろんさ! こちらはゲルドの方々を歓待するための宴衣装で、南の王都の方々を歓待するための宴衣装も間もなく仕上がるはずだよ! それとは別に、もう1着の宴衣装も注文しているけれどね!」


「では、まだ新たに2着もの宴衣装が準備されるということか……」


 さしものアイ=ファがげんなりした様子で息をつくと、ティカトラスは世にも無邪気そうな面持ちで笑い声を響かせた。


「アイ=ファはどうして宴衣装に興味を持てないのだろうね! もちろんアイ=ファぐらい美しければ平素の装束でも余人を魅了してやまないだろうけれど、やっぱり宴衣装というのは格別だ! アイ=ファはその美しさで周囲の人々を幸福な心地にさせているのだから、それを誇るべきだろうと思うよ!」


「……森辺の習わしを振りかざす気はないが、それでも少しはこちらの心情を慮ってはもらえないものであろうか?」


「ごめんごめん! でも何べんも言っている通り、それは魂の美しさも含めての話だからね! アイ=ファの心が穢れていたならば、その美しさだって半減しているはずさ!」


 すると、アルヴァッハも「うむ」という厳粛な声をあげた。


「アイ=ファ、のみならず、森辺の民、魂、美しい。傀儡の劇、観賞して、その美しさ、および魅力、再確認である。人間、有事の際、本性、出るのであろう。アイ=ファたち、本性、魂の輝き、剥き出しにして、災厄、退けた。ゆえに、これほど、心、躍るのである」


 そのように語りながら、アルヴァッハは俺のほうに目を向けてきた。


「また、アスタ、同様である。アスタ、あれだけ、勇敢ならば、腐肉喰らい、ムント、退けられる、当然である。武力、そなえてなくとも、アスタ、勇者である」


「いえいえ。昨日も言いましたが、最後にムントを仕留めたのは別の人で――」


 と、半ば無意識の内に左肩をまさぐった俺は、そこに素肌の感触を見出した。そういえば、俺はシムの宴衣装で左肩をさらけ出していたのだ。

 そこで俺は、いきなり思わぬ事実に行き当たった。今もなおこの左肩には、ムントの爪にえぐられた古傷がくっきりと残されていたのだった。


(ああ……だからアイ=ファはこの宴衣装を見て、あんなに嫌そうな顔をしてたのか)


 これはアイ=ファにとって、俺を守りきれなかったという苦い記憶の象徴であるのだ。

 しかし、俺にとっては幸福な思い出の象徴である。これは、チル=リムを守るために負った手傷であるのだ。荒事と無縁なかまど番である俺にとって、これは数少ない勲章であったのだった。


(それに、これは……俺がこの地で初めて負った、消えない傷痕だからな)


 俺はこの地で、さまざまなものを授かることになった。この傷痕だって、そのひとつであるのだ。一生消えない傷を負う痛みも、山賊に囲まれる恐怖も、シルエルと相対するおぞましさも――どれだけ不幸な出来事でも、その裏側には希望の光が瞬いている。ムントの爪で深手を負ったおかげで俺はチル=リムを守ることができたし、《颶風党》に襲撃されたおかげでアルヴァッハたちと出会えたのだ。何の災厄にも見舞われない人生など、望むほうが間違っているのだろうから――それなら、苦難や不幸の果てにある希望や幸福を追い求めるしかなかった。


(リフレイアだって、同じことさ。俺もリフレイアもそれぞれ苦難を乗り越えたからこそ、今の幸せがあるんだからな)


 隣の敷物をうかがうと、リフレイアの小さな背中が見えた。

 後ろを向いているので、どのような表情であるのかはわからない。ただ、彼女を取り囲むトゥール=ディンやエウリフィアたちはみんな優しげな笑顔であった。


「……話の途中で、何をあらぬほうに目を向けているのだ? アルヴァッハに、失礼であろうが?」


 と、アイ=ファがこっそり囁きかけてくる。

 そうして身を引いたアイ=ファは、むすっとした顔をしていた。俺はぼんやり考え込んでいる間、ずっと左肩をまさぐっていたのだ。それでアイ=ファも、俺がようやく古傷のことを思い出したのだと察したのだろうと思われた。


 そんなアイ=ファに笑いかけてから、俺はアルヴァッハに向きなおる。

 アルヴァッハは石像のように変わらぬ面持ちで、ずっと俺を見つめてくれていた。


「会話の途中で、失礼いたしました。アルヴァッハたちと出会えた喜びを、あらためて噛みしめていたのです」


「うむ。理由、不明であるが……その言葉、喜ばしい、思う」


 そう言って、アルヴァッハはもともと真っ直ぐであった背筋をいっそう真っ直ぐにのばした。


「では、席、移る前、感想、述べておきたい、思う」


「感想? なんの感想でしょうか?」


「昨日、昼の食事、感想である。今日、フェルメス、助力、願って、伝える、約束である」


 真剣きわまりない眼差しで、アルヴァッハはそのように言い放った。


「そして、その後、レイナ=ルウ、トゥール=ディン、感想、伝える、所存である。残り時間、心もとないので、早急、開始したい、願う」


 俺は思わず、「あはは」と笑ってしまった。


「承知しました。心して、拝聴いたします」


 そうしてアルヴァッハの詠唱にも似た東の言葉が、賑やかな広間に重々しく響きわたった。

 それを安らかな子守歌のように聞きながら、俺はアルヴァッハたちと再会できた喜びをあらためて噛みしめることに相成ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] アスタ以外はみんな古傷が見えてて触れなかったんだね まぁ他人の古傷なんてわざわざ触れないだろうけど
[一言] 最後までぶれないアルバッハさん最高です
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