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異世界料理道  作者: EDA
第七十九章 華燭と奉迎
1370/1695

城下町の晩餐会②~開始~

2023.6/30 更新分 1/1

 リフレイアが退室した後は新たな客人を迎えることもなく、俺たちは予定通りの刻限に料理を作りあげることができた。

 時刻は、下りの五の刻の半となる。別室で働いていたレイナ=ルウたちと合流したのちには、あらためて二手に分かれて、それぞれの食事の場に移動であった。


「それじゃー、また後でねー! 眠くなっても、ずっと待ってるから!」


 ぶんぶんと手を振るリミ=ルウにも別れを告げて、晩餐会に招待された6名は小姓の案内で回廊を進んでいく。

 が――案内されたのは食堂でも広間でもなく、浴堂に併設されたお召し替えの間である。そしてそちらで待ちかまえていたのは、ダレイム伯爵家の侍女たるシェイラであった。


「お待ちしておりました。ご婦人がたは、わたくしもお手伝いをさせていただきます」


「待たれよ。ゲルドの貴人をもてなす晩餐会であれば、着替えも不要なのではなかろうか?」


 アイ=ファが鋭く言いたてると、シェイラはきょとんと小首を傾げた。


「そうなのでしょうか? わたくしはポルアース様のお申しつけでこちらに参じたのですが……」


「……もしや、ゲルドの貴人ではなくティカトラスの意向であろうか?」


「申し訳ありません。侍女の身では、推し量れない点も多々ありますもので……」


 何にせよ、ポルアースまで承知しているのならば、あらがうすべはない。地獄のように不機嫌そうな顔をしたアイ=ファと女衆はシェイラの案内で、俺たちは小姓の案内でそれぞれの部屋に入室することに相成った。


「そういえば、かつてゲルドの貴人に招かれた晩餐会では着替えを申しつけられることもなかったのだったな。もはや1年ばかりも昔日の話であるので、俺もすっかり失念していた」


 森辺の装束を脱ぎながら、ジザ=ルウがそのように発言した。


「そういう面でも、ゲルドの人間は我々に近い気質であるのであろうが……このたびは、ティカトラスの意向が及んでしまったということか」


「はい。ティカトラスは、人を着飾らせるのが大きな喜びだと公言していましたからね」


 まあ、それで眉を吊り上げるのはアイ=ファぐらいであるのだろう。本当に、本当に申し訳ない話であるのだが、アイ=ファが宴衣装を纏うとなると、俺も胸が弾んでしまうのだった。


 しかし、そんな俺でも心から驚かされることになってしまった。

 その場には、また新しい宴衣装がきっちり3名ぶん準備されていたのである。


「な、なんですか、これは? もしかして、またティカトラスが新しい宴衣装を?」


「はい。こちらはジェノスに到着して、すぐさま注文されたそうです」


 小姓の少年は、実に罪のない笑顔でそのように答えてくれた。


「ただしこちらは、宴衣装に仕立てる前の織物に過ぎないのです。長さや幅などは整えられておりますが、それ以外の細工は施されておりません」


「え? それじゃあ俺たちは、どうすればいいのですか?」


「着付けに関しては、わたくしどもが習い覚えました。こういった一枚の織物を宴衣装として纏うのが、シムの作法であるとのことで……わたくしどもも、得難き知識を授かることがかないました」


 小姓の少年のそんな言葉で、俺はプラティカの宴衣装を思い出した。確かに彼女は一枚布を巻きつけるような宴衣装で、あれもティカトラスが準備していたものであったのだ。


(まあ、アイ=ファには新しい宴衣装を準備してるって公言してたもんな。だから、相方の俺にも準備されていることまでは想定してたけど……まさか、ジザ=ルウたちのぶんまで準備していたとはなぁ)


 そんな感慨を噛みしめながら、俺は小姓の手に身をゆだねることになった。

 その場に準備されていたのは、まさしく宴衣装で使われそうな豪奢な織物だ。その細長い形状をした織物で、全身をくるまれるわけである。

 肩や胴体にくるくると織物が巻きつけられて、必要な箇所はブローチのような留め具で固定される。それで一枚の織物が、立派な宴衣装に仕立てられるわけであった。


 やがて着付けが完了すると、なんの不足もない宴衣装が完成された。

 プラティカのように、片方の足が剥き出しにされたりもしていない。裾にあたる部分は膝の下まで垂れていたし、腰には帯も巻かれていたので、どんなに乱暴に動いてもそうそうあられもない姿になることはないようであった。

 ただ上半身は、左肩と左胸の斜め半分ぐらいが剥き出しにされるワンショルダーのデザインであったが――これは、森辺の男衆の装束でもまま見られる様式である。森辺の狩人のような肉体美を有していない俺でも、羞恥心を刺激されることはなかった。


 それにとにかく生地の刺繍が豪奢であるし、数々の飾り物も加えられたため、どこからどう見ても立派な宴衣装だ。祝宴ならぬ晩餐会では準礼装ぐらいが妥当なのであろうから、いささか華美すぎるのではないかと心配になるぐらいであった。


「しかしまあ……着心地そのものは、もっとも森辺の装束に近いようだな」


 ジザ=ルウがそのようにつぶやくと、寡黙なゼイ=ディンがふっと面をあげた。


「そういえば……我々は東の血を受け継いでいる可能性があるという話だったな。シュミラル=リリンがもともと纏っていた装束も、我々と大きな差はないようであったし……我々は古くから、シムの習わしを受け継いでいたのであろうか?」


「そうやもしれんな」というのが、ジザ=ルウの短い返答であった。

 かつてシムから出奔した雲の民と、森辺のかつての族長筋が、同じ『ガゼ』という名を持っていた――俺たちが知るのは、そんな伝承だけであるのだ。それが同一の存在であるのかどうか、今では調べるすべも残されていないのだった。


「それでは、控えの間にご案内いたします。晩餐会の開始は下りの六の刻ですので、それまでごゆるりとおくつろぎください」


 小姓の導きで、男衆の3名はひと足早く控えの間に案内される。

 城下町の晩餐会にしては遅いスタートであったが、それは昼下がりまで働いていたかまど番への配慮であるのだろう。このような刻限でも、俺たちとしてはかなりタイトなスケジュールであったのだった。


「やっぱりこういう場にダリ=サウティやグラフ=ザザがいないというのは、少し落ち着かない気分ですね。俺などは族長筋の血筋でもありませんし、なおさらです」


「もとよりファの家は誰よりも早く貴族に取り立てられていたのだから、今さら臆する理由はあるまい。……しかし、かまど仕事を任される上に客人として招かれるというのも、すっかり当たり前の話になってしまったな」


「そうですね。かまど番と招待客が完全に分けられていたのが、懐かしく思えるほどです」


 それもまた、かまど仕事の責任者である俺やレイナ=ルウやトゥール=ディンとも親睦を深めたいと考える貴族が多数存在するためなのであろう。少しばかり苦労は上乗せされるものの、俺としても光栄な限りであった。


 そうして控えの間で待機すること、四半刻――ようやく、アイ=ファたちがやってきた。

 その美麗なる姿に、俺はやっぱり息を呑んでしまう。かつてのプラティカの姿からおおよそのイメージはできていたものの、アイ=ファの美しさがそんな心の準備を大きく覆してしまうのだ。


 宴衣装の様式そのものは、かつてのプラティカと同一のものである。俺たちと同じように一枚の織物をくるくると巻かれて、たくさんの飾り物をつけられている。そして、男性は左肩を露出しているが、女性は右肩と右足がさらけ出されていた。


 ただ――俺の知るシムの女性というのは、いずれもほっそりとしているのだ。然して、アイ=ファはきわめて女性らしいプロポーションをしているため、それでさらなる艶やかさが生まれてしまうのだった。

 腰に帯を巻かれているために、美しいボディラインがいっそう強調されている。それに、普段の宴衣装に比べれば胸もとの露出は控えめであるが、そのぶん右足の露出が際立ってしまうのだ。ほとんど腿の付け根まであらわにされたその姿は、目のやり場に困るほどの色香であった。


 そしてやっぱりアイ=ファは金褐色の長い髪をほどくと、印象が一変する。そのゆるくウェーブがかった髪の輝きこそが、何より豪奢にアイ=ファの美しさを彩るのだ。さらに、こめかみには透明な花の形をした髪飾りが、胸もとには銀の装飾と青い石がきらめき――それが、俺の心を深く満たしてくれた。


「……まさか、新しい宴衣装を準備されているとは思っていませんでした。わたしたちは、つい先日にも宴衣装を贈られたばかりでしたのに……」


 と、足もとがあまりはだけないように気をつけながら、レイナ=ルウがジザ=ルウのもとに歩み寄る。いっぽうトゥール=ディンだけは足もともしっかり隠蔽されていたので、実に罪のない可愛らしさであった。


 そしてアイ=ファはいつも通り、楚々とした足取りで俺のほうに近づいてきたのだが――何故だか、口をきく前から眉をひそめてしまっていた。


「……男衆の宴衣装は、そのような有り様であったのだな」


「うん。何か変かな?」


「貴族の纏うような宴衣装が、我々の身に馴染む理由はない。しかも、このたびの宴衣装は……いささか肌を出しすぎではないのか?」


 その言葉に、俺は目をぱちくりさせることになった。

 俺が露出しているのは、左肩と左胸の斜め半分ぐらいであるのだ。なおかつ、城下町の宴衣装や調理着にはノースリーブの様式も多かったので、肩や腕の露出というのは珍しくもない話であった。


「そんなに露出が多いかな? むしろ前回の宴衣装のほうが、ざっくり胸もとが開いていたように思うけど」


「……しかしその際は、数多くの飾り物で肌が隠されていた」


「でも、そんな大した露出じゃないだろう? 狩人の装束だって、こういう様式はよく見かけるしさ」


「しかしお前は、狩人ならぬかまど番だ。普段の装束でも、そうまで肌をさらすことはあるまい」


 そうしてアイ=ファがぐっと身を乗り出してきたので、俺はいっそうどぎまぎしてしまった。


「まあ、男衆としては珍しくないというのも、確かな話なのであろうが……何にせよ、お前が自らの意思と関わりなくそのような格好をさせられているのは、どうにも不本意に思えてしまう」


「そ、そうなんだな。それを言ったらアイ=ファなんて、毎回大変な格好をさせられてるわけだけど……」


「私のことは、どうでもよい。……いやしかし、お前は毎回、このような心地を抱かされているというわけか」


「いやぁ、それはどうだろう。俺の場合は、個人的な嬉しさのほうが先に立っちゃうのかもな」


 そうして俺は本日も、頬を染めたアイ=ファに足を蹴られることになった。

 そんな中、女衆が腰を落ち着ける間もなく、再び扉がノックされる。


「それでは、広間にご案内いたします。こちらにどうぞ」


 俺たちは、本日の会場へと案内された。

 本日は祝宴ならぬ晩餐会であるため、大仰な入場の儀式もない。ただ小姓が森辺の民の到着を告げて、守衛が扉を引き開けた。


 紅鳥宮の広間は、本日もシャンデリアの輝きに満たされている。

 なおかつ、東の流儀に従って、もともと絨毯が敷かれている床にさらなる敷物が敷かれていた。西の貴族の面々も、椅子を使わずに座しているのだ。


 俺がこのような情景を目にするのも、アルヴァッハたちを見送る返礼の晩餐会以来――およそ11ヶ月ぶりであろう。俺は何だか、しみじみと懐かしさを噛みしめることになってしまった。


 あの日の晩餐会よりも、今日はささやかな規模に留められている。何せ森辺の民は6名のみであったし、ジェノスの貴族も侯爵家と伯爵家から主要の数名ずつが参じているのみであるのだ。そこに、ゲルドと西の王都とバナームの一行が加えられて、30余名という人数であったのだった。


「ご苦労であったな、森辺の面々よ。さあ、それぞれの席に着くがいい」


 マルスタインの呼びかけに従って、小姓が俺たちを導いていく。ただ今回は、2名ずつ別々の敷物に招かれることになった。ジザ=ルウとレイナ=ルウはサトゥラス伯爵家とダレイム伯爵家で構成された敷物、ゼイ=ディンとトゥール=ディンはメルフリードの一家とトゥラン伯爵家で構成された敷物――そして俺とアイ=ファは、マルスタインと外来の客人で構成された敷物である。


 他の敷物よりも、こちらは明らかに大人数となる。何せ、ゲルドの貴人たるアルヴァッハとナナクエム、ピリヴィシュロとプラティカ、王都の貴族であるティカトラス、デギオン、ヴィケッツォ、バナームの貴族であるアラウトと料理人のカルス、それに王都の外交官たるフェルメスまでもが居揃っているのだ。そこに領主たるマルスタインまでもが陣取っているのだから、なかなかの顔ぶれであった。


 ちなみに外交官補佐のオーグはメルフリードの一家と同じ席であり、ジェムドの姿は見当たらない。今日は小規模の晩餐会であるため、衝立の向こうかどこかで警備の仕事を担っているのだろう。デギオンやヴィケッツォは護衛役である前にティカトラスの実子であるため、こういう際にも参席を許されるわけであった。


 そしてさらに特筆するべきは、貴族の面々も宴衣装を纏っていたことである。

 祝宴さながらの姿をした西の貴族ばかりばかりでなく、ゲルドの一行も俺たちと同じような姿であったのだ。なおかつアルヴァッハたちはもともと数多くの飾り物をさげているため、俺たちよりもいっそう豪奢な姿であった。


「……なるほど。森辺の民、東の宴衣装、準備したのであるか」


 アルヴァッハが重々しくつぶやくと、ティカトラスが陽気な笑顔で「ええ!」と応じた。


「この日のために、東の上等な織物を買い占めることになりました! やはり東の貴人をお迎えするからには、東の宴衣装が相応でありましょう!」


 そのように語るティカトラス自身、俺たちと似たような格好をしている。ただ、頭にターバンのようなものを巻いているのが、彼らしい名残であった。

 さらには、デギオンとヴィケッツォも同じ様式の宴衣装だ。この場において、ゲルドの民と森辺の民とティカトラスの一行だけが、東の宴衣装を纏っているわけであった。


「こちら、宴衣装、東の王都、様式であるため、我々、馴染み、薄いのだが……森辺の民、同じ宴衣装、小さからぬ喜びである」


「そうでしょう! アルヴァッハ殿は森辺の民にひときわ心を寄せておられるとうかがっていたので、わたしもこのような趣向を凝らすことになったのです!」


 ティカトラスの言葉づかいからして、やはりアルヴァッハとナナクエムのほうが身分は高いようだ。しかし、ティカトラスの陽気さと奔放さに変わりはなかったし――宴衣装の趣向に関しては、アルヴァッハのお眼鏡にかなったようであった。


(まあ、仲良くやっていけるなら、それに越したことはないよな)


 しかしやっぱり、ゲルドの貴人とティカトラスの一行をいっぺんにお相手するというのは、奇妙な気分だ。とりあえず、俺とアイ=ファは一礼してこの恐れ多い敷物に座らせていただくことにした。


「すでに森辺にも通達されているかと思うが、ゲルドの方々を正式に歓待する晩餐会は、昨日の内に終えている。これはあくまで略式の催しであるので、ファの両名にもくつろいでもらいたく思うぞ」


 立派な宴衣装で敷物に座したマルスタインが、鷹揚に微笑みかけてくる。

 女衆らしい横座りの姿勢を取りながら、アイ=ファは凛々しい面持ちで「うむ」と応じた。


「しかし、外来の客人がすべてこちらの敷物に集められているのだな。族長筋ならぬ身としては、恐れ入るばかりだ」


「アスタは、それだけの名声を得ているということだな。ファの家長として、アイ=ファも誇らしいのではないのか?」


 アイ=ファは言葉少なく、「うむ」とだけ答える。アルヴァッハやアラウトはまだしも、やはりティカトラスの存在が小さからぬ重荷になってしまうのだろう。

 だが――ティカトラスはきらきらと目を輝かせてアイ=ファの美しさを検分しつつ、賞賛の言葉を口にしようとしない。それがアルヴァッハたちの目をはばかってのことならば、アイ=ファの気苦労もずいぶん減じるのではないかと思われた。


「それではさっそく、今宵の晩餐会を始めさせていただこう。足労をかけるが、森辺の料理人にはそれぞれの敷物で献立の解説を願うぞ」


 マルスタインの呼びかけに従って、小姓や侍女が料理の皿を運んでくる。すべての料理を持ち込むと敷物がいっぱいになってしまうため、前半には俺の料理、後半にはレイナ=ルウの料理、それからプラティカとカルスの料理を経て、最後にトゥール=ディンの菓子という順番になっていた。


「まずは、自分の取り仕切りで準備した料理になります。お口に合えば、幸いです」


 西の貴族たちはおおよそ笑顔であったが、アルヴァッハはぎらぎらと、ピリヴィシュロはきらきらと瞳を輝かせている。その眼前に、3種の大皿と取り分け用の小皿が並べられていった。


「ゲルドの方々はメライアの食材にご興味をお持ちかと思い、そちらを中心に献立を取り決めました。それに、南の王都の食材も少なからず使っています」


「うむ。南の王都、食材、ゲルド、届けられているが……アスタ、手掛けた料理、初めてである。期待、甚大である。こちら、如何なる、献立であろうか?」


「主菜はギバ・タンとネルッサのハンバーグ、副菜はドーラとジョラとヌニョンパの煮込み、そしてアールの炊き込みシャスカという内容になります」


 レンコンに似たネルッサはほどほどの厚さでスライスして、ギバ・タンのハンバーグの片面を覆っている。プラティカたちの料理がどれだけのボリュームであるのかが不明であったため、ハンバーグのパテは小ぶりに仕上げて、お好きな個数を取り分けていただく形にした。

 パテにタンを利用したのは、小ぶりでも噛みごたえが損なわれないようにという配慮だ。そちらはタウ油とワサビのごときボナを主体にした和風ソースで、付け合わせにはサツモイモのごときノ・ギーゴとブナシメジモドキのソテーを添えていた。


 カブのごときドーラは煮崩れを起こさない限界まで煮込んで、可能な限りやわらかく仕上げている。煮汁は貝類の出汁と魚醤とタウ油を基調にしており、イカやタコに似たヌニョンパとツナフレークのごときジョラの油煮漬けを使用したのは、獣肉を食せないフェルメスへの配慮である。


 栗のごときアールの炊き込みシャスカは、塩と金ゴマのごときホボイを振りかけた、シンプルな仕上がりだ。ただしこちらはシャスカがもともと持っている粘度を活用して、もち米のような食感を目指した。


 こちらの小姓や侍女たちもずいぶんシャスカの扱いに手馴れてきたようで、危なげなく小皿に盛りつけてくれる。それらがすべて配膳されたところで、アルヴァッハたちはいざ食器をつかみ取った。


「ふむふむ? フェルメス殿は、ネルッサだけを食するのかな?」


 と、ティカトラスがわざわざ身を乗り出して、ゲルドの貴人らの巨体ごしに声を投げかける。フェルメスは、優美なよそゆきの微笑をたたえつつ「ええ」と応じた。


「ご存じの通り、僕は獣肉を食せない不調法なもので。アスタの心づかいには、感謝するばかりです」


「なるほどなるほど! でも、ネルッサもそうまで分厚く切り分けると、なかなか立派な見栄えになるようだね!」


 俺の故郷には、レンコンのステーキというメニューも存在したはずであるのだ。まあ何にせよ、厚切りにしたレンコンを焼くだけの内容なのであろうが――こちらのネルッサも、レンコンに負けない味わいと食感を楽しめるはずであった。


 ゲルドの貴人らは、ひとまず黙々と味を確かめている。その隙を縫うようにして、真紅の宴衣装であるアラウトも発言した。


「これらの献立は、以前にも似たような形で披露されておりましたね。でも、あの頃よりもいっそう美味であるように感じられます。メライアの食材をこのように美味なる料理に仕上げていただき、光栄な限りです」


「はい。あれから何ヶ月も過ぎましたので、メライアの食材の扱いもずいぶん手馴れてきたように思います。森辺でも、メライアの食材は変わらず好評でありますよ」


 アルヴァッハがメライアの食材を気に入るかどうかで、交易の規模はずいぶん違ってくるはずであるのだ。大切な友たるアラウトのために、俺も精一杯アピールさせていただいた。


 しかしまあ、重要なのは料理の仕上がりである。

 アルヴァッハのお口に合ったかどうかと、俺も自分の食事を進めながら待ちかまえていると――アルヴァッハは何の前触れもなく、東の言葉で長々と語り始めた。


 ヴィケッツォは事情を知らないらしく、うろんげに目を細めている。ティカトラスは素知らぬ顔で料理を食しており、デギオンは相変わらずの無表情だ。そうしてアルヴァッハの邪魔にならぬようにと、俺たちが口をつぐんでいると――バトンを渡されたフェルメスが、ゆったりと語り始めた。


「それでは、通訳させていただきます。……まず、すべての料理がきわめて美味である。こちらのアールという食材を使ったシャスカの料理などはきわめて簡素な仕上がりであるが、それでもアールとシャスカの魅力を十二分に引き出していることに疑いはない。ほのかに甘いアールは菓子を思わせる味わいであるが、塩気とホボイの風味が繊細なる調和とともに料理としての体裁を守っている。他なる料理とともに味わってもその調和が崩されることはなく、また、単体で食しても物足りなく感ずることは一切ない。他なる献立では抑制されることの多いシャスカの粘り気も、素晴らしい食感を生み出している。こちらのアールはいささか水気の少ない食材であるので、普段の扱いのシャスカでは食感も落ちてしまうことであろう。そういった細やかな工夫が、簡素な料理に優雅な調和をもたらしていることは明白である」


 細められていたヴィケッツォの目が、今度はきょとんと丸くなる。シム風の宴衣装と相まって、何だか可愛らしい姿だ。いっぽうティカトラスはよどみなく食事を進めつつ、楽しそうににまにまと笑っていた。


「そしてこちらの煮込み料理は、ドーラなる食材の食感が素晴らしい。我は昨晩にもジェノス城の料理長ダイアが手掛けたドーラの料理を食する機会に恵まれたが、そちらとはまったく異なる食感である。昨晩のドーラはしんなりとした食感が心地好く、今宵のドーラは新雪のごときやわらかさが心地好い。そしてそのやわらかなドーラの内側に染み入った煮汁の味わいが、秀逸である。貝の出汁と魚醤を中心に据えた魚介の風味は鮮烈でありながら品を落とすことなく、舌の上で優雅な舞を見せるかのようである。さらに、具材として用いられたヌニョンパおよびジョラの風味も少なからず溶け込んでおり、それでひとかたならぬ味わいが完成されている。我はアスタのギバ料理を高く評価しているが、魚介の扱いに関してもまったく隙は見られない。また、こちらの料理も味付けのみならず食感の面でも十分な配慮が為されており、我の心をいっそう浮き立たせてやまない。ドーラのやわらかな食感、ヌニョンパのしなやかな食感、そこにまぶされたジョラの食感――すべてが、幸福な調和を体現している。副菜という名目なれども、これは主菜にも見劣りしない完成度と存在感である」


 アラウトは、きっとアルヴァッハのこういう一面について、すでに聞き及んでいたのだろう。それでも驚きの念を隠したいかのように、つつましく目を伏せていた。


「しかしまた、前言をひるがえすようで恐縮の限りだが、こちらの主菜は副菜およびシャスカ料理と比較にならない鮮烈さである。ギバの舌がどれだけ上質の食材であるかは我も十分にわきまえていたつもりであるのだが……やはりこの力強い味わいと食感は、秀逸である。それをこのように細かく刻んでしまうというのはある種の冒険に類する行いであろうが、この仕上がりに文句を述べたてる者はなかろう。そして、適度な噛みごたえを持つネルッサなる食材が食感の面で大きな貢献を見せ、味わいの面でも陰なる功労を果たしている。こちらのネルッサは強い味を持つ食材ではないようだが、それがギバ肉および煮汁の強き味わいをほどよく中和しているのであろう。単体でも十分に美味である肉料理が、こちらのネルッサによってさらなる彩りを加えられている。そして、シムの香草とはまったく趣を異にするボナの風味が、タウ油を主体にした甘辛い煮汁に鮮烈な印象を与えている。……この後にさらなる料理が控えていなければ、こちらの3種の料理でもって腹を満たしたいという欲求にとらわれてならない。本来であれば汁物料理を欲するところであるが、それは副菜のドーラからあふれかえる豊かな汁気でまかなわれているのであろう。それはアスタにとっても計算外の結果であったのやもしれんが……ともあれ、我は満足である。この上もなく、満足な心地である。――以上です」


 フェルメスが口を閉ざすと、ティカトラスが満面の笑みで手を打ち鳴らした。


「いや、食事のさなかに失礼いたしました! しかし! アルヴァッハ殿の寸評というのは、風聞の通りにお見事なものでありますな! わたしもご婦人の美しさを賞賛する際には詩人としての魂が刺激されてつらつらと言葉があふれてしまうのですが、美味なる料理に対してはなかなか的確な言葉を見つけられません! そんなわたしの体内に渦巻く思いを、そのまま言葉にしていただけたような心地でありますね!」


「過分な言葉、恐縮である。ティカトラス、美食家である、聞き及んでいる」


「わたしももちろん、美味なる料理を心より愛しておりますよ! 美味なる料理は、芸術そのものであると心得ております! が……目や耳で感ずる美しさと比べて、舌で感ずる美しさに関しては、言葉による表現が追いつかないのです! それを可能とするアルヴァッハ殿も、わたしにはひとりの芸術家であられるように思えてしまいますな!」


「芸術家、即ち、創作者であろう。であれば、その名、相応しい、料理人である。我、創作の力、皆無である。ただ、素晴らしき料理、楽しむ立場である」


「なるほど! 芸術家ではなく、批評家であるということでありましょうかね! ですが、アルヴァッハ殿のお言葉は、美しき詩のようにも感じられてやまないのです! 何にせよ、アルヴァッハ殿の的確なるお言葉に敬意と共感の意を表させていただきたく思います!」


 ティカトラスは得々と語っているが、アイ=ファもべつだん嫌な顔はしていない。であれば、ご機嫌取りのおべんちゃらではなく、真情からの言葉であるのだろう。半分がたはアルヴァッハの言動を楽しんでいるようにうかがえるが――彼にしてみれば、楽しさこそが正義という考えなのかもしれなかった。


「……それにしても、あれだけのお言葉をまるまる暗記できるフェルメス殿も、大したものだね! さきほどのお言葉が詩的に感じられたのは、君の言葉の巧みさも大きな要因であるかもしれないよ!」


「とんでもないことです」と、フェルメスは取りすました笑顔でティカトラスの言葉を一蹴する。そして、その不可思議な色合いをしたヘーゼル・アイを小さきピリヴィシュロのほうに向けなおした。


「ピリヴィシュロ殿も何かお伝えしたいお言葉がありましたら、ご遠慮なくどうぞ。僕が西の言葉で訳してさしあげます」


「いえ。われ、ひがしのことばでも、きもち、あらわすこと、むずかしいです」


 ピリヴィシュロはフェルメスにお辞儀を返してから、俺のほうをおずおずと見やってきた。


「りょうり、すべて、すばらしいです。……ことば、すくなくて、きょうしゅくです」


「いえ。そのように言っていただけるだけで、心から嬉しく思います」


 俺がにっこりと笑顔を返すと、ピリヴィシュロは慌てて自分の口もとを隠してしまう。

 そんな具合に、本日の晩餐会は華々しくスタートを切ったのだった。

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[良い点] 寸評助かる
[良い点] アルヴァッハの長広舌書くの大変そうだけど面白いですね。読んでいて納得できるし自分でも無意識に感じていた感覚が文章で表されているよう。
[良い点] アルヴァッハはこれがないとね しかし、ほんとにフェルメスはよく覚えられるもんだww
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