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異世界料理道  作者: EDA
第七章 母なる森のもとに
137/1675

⑦青の月13日~森辺の縁と夜~

2014.12/18 更新分 1/1 誤字修正

 営業終了後。ファの家の前にて。


「それでは、明日もよろしくお願いします」


 今日こそは粗相をすまいという意気込みのもと、俺はヴィナ=ルウにきっちりと別れの挨拶を述べてみせた。


《南の大樹亭》における仕込みの作業も、俺とヴィナ=ルウ抜きで後半戦をしのぐことになった屋台の商売も、アクシデントらしいアクシデントもなく、無事に終えることができた。


 帰宅時間も、予定通りである。

 俺の胸には、普段以上の充足感が去来している。


 が、ヴィナ=ルウの表情はさえなかった。


「……あなたはファの家に居残るのねぇ、リィ=スドラ……?」


「はい。このまま料理の手ほどきを受けるよう、家長に申しつけられておりますので」


 初の仕事をやりとげたリィ=スドラは、仕事前と同じく穏やかで気品のある微笑を返す。

 その静かなたたずまいを見返しつつ、ヴィナ=ルウは切なげに吐息をついた。


「わたしだって、アスタに手ほどきされたいわよぉ……あああ、帰りたくないなぁ……」


「うーん……でも、ミダはルウの本家で暮らしているわけではないのですよね? だったら、そこまで気に病むこともないのではないですか?」


 ミダは、俺とアイ=ファの常宿であった空き家で寝起きしているはずなのである。

 が、ヴィナ=ルウは栗色の髪を揺らしながら、ぷるぷると首を振った。


「だってぇ、どっちみち晩餐は本家で食べているんだものぉ……帰ったら、嫌でも顔を合わせなくちゃならないのよぉ……? こんな生活が毎日続いたら、わたしは気がふれてしまうかもしれないわぁ……」


 ララ=ルウからの情報によると、ミダのほうはなかなか健やかに新生活を営んでいるらしい。

 女衆と同じ時間に起き、女衆の仕事を手伝った後は、男衆とともに、森へ。そうして1日みっちりと働いた後は、ルウの本家で晩餐をとり、空き家に帰って、就寝。


 ミーア・レイ母さんの評は「すぐにへたばるけど、力があるから薪集めには重宝するね」であり、ルド=ルウの評は「どんくさいけど、ギバの皮なんかはあっという間に剥いじまうな」であるそうな。


 で、経緯なんかはちっともわからないのだが、どうやらリミ=ルウやシン=ルウの下の弟などといった小さな子どもたちに、ずいぶんなつかれているらしい。シン=ルウの家がもっと広ければ、そこで暮らしていたかもしれない、とのことだ。


 そのような話を聞かされて、俺はずいぶん心を和まされたわけであるが、ヴィナ=ルウは相変わらず悲嘆に暮れてしまっている。


「これだったら、あの毒々しい長姉のほうがまだましだったわぁ……今からでも交換できないかどうか、レイ家に相談しようかしらぁ……」


「うーん、ヤミル=レイはすでにレイの氏を授かっているわけですから、難しいんじゃないですかねえ。……ところで、あの、何度も同じことを言って恐縮ですが、ヤミル=レイを長姉と呼ぶのも差し控えたほうがいいと思いますよ?」


 彼女たちは、スンの氏を失い、家族との縁を断ち切られたのだ。

 もはやヤミル=レイは誰の姉でもないし、ミダは誰の弟でもない。それでようやく彼らは生きていくことを許されたのだから、周囲もその取り決めは重んじるべきだろう。


 それでも俺は不安定きわまりない和解を果たしたばかりのヴィナ=ルウが相手であったのでかなり言葉を選んだつもりであったのだが、けっきょくは恨みがましい目つきでじっとりとにらまれてしまった。


「こんなときでも、アスタは他の女衆を気づかうのねぇ……もういいわぁ……どこにいても死にたいような気分を味わわされるなら、家に帰るわよぉ……」


 かける言葉が見つからないとは、このことか。

 何だかえも言われぬ罪悪感をかきたてられつつ、俺はとぼとぼと去っていくヴィナ=ルウの背中を見送ることしかできなかった。


「ルウの本家の長姉は、ずいぶん不思議なものの考え方をされる方なのですね」


 と、無言でこのやりとりを見守っていたリィ=スドラが、にこりと微笑みかけてくる。

 本当に、清楚で綺麗な奥方である。ちょっとサティ・レイ=ルウに似た雰囲気があるかもしれない。


「えーと、それでは仕込みの作業に取りかかりますね。もうじき他の家の女衆も到着するでしょうから、良かったら先にかまどを使ってください」


「ありがとうございます。あの、本当に鉄鍋をお借りしてもよろしいのでしょうか?」


「はい。いちいち家に戻るのは手間でしょう? ご遠慮なくどうぞ」


 今日は、アイ=ファは不在であった。

 予定では、ファの家から少し離れたラッツやガズといった氏族の集落に出向いて、血抜きと解体の手ほどきをしているはずだ。


「最終的に、ファの家はいくつの氏族から手ほどきを頼まれることになったのですか?」


「直接手ほどきをするのは、そこまで家の遠くない氏族だけです。でも、俺たちの取り組んでいる仕事には、全部で11もの氏族が賛同してくれましたね」


 しかもそれは、族長筋の眷族を抜いた数である。

 森辺の氏族は全部で37であり、その内で族長筋と血縁のない小さな氏族は、わずか17――つまり、ルウとサウティとザザが族長筋を襲名したことによって、その眷族が森辺のおよそ半数ほどを占める結果になってしまったのだ。


 その、17しかない氏族のうち、11もの氏族がファの家に賛同を示してくれた。

 正確な人数までは把握できていないが、小さな氏族の総勢はおよそ270名ほどであるはずなので、丼勘定でも170名に及ぶ。


 それに、100余名の眷族を有するルウ家がいちおう肯定的な立場である、ということをあわせて考えれば、500余名の森辺の民の内、270名の人間が賛同してくれている、ということだ。


 なおかつ、サウティ家も全面的な賛同は示していないが、好意的な姿勢は示してくれている。

 あとは、結果を出してザザの家長たちにも認めてもらえるよう、励むしかない。


「素晴らしいことです。ファの家は、滅びゆく氏族に希望の光を与えてくれました」


 と、リィ=スドラは澄みわたった眼差しで俺を見つめてくる。


「その中でも、スドラは特に滅びに瀕しておりました。お恥ずかしいことに、今日の仕事で銅貨を得ていなければ、数日の内に食糧庫の野菜は尽きていたでしょう。……もちろん、そうならぬよう男衆は今日も森でギバを追っているはずですが」


「ああ、そうだったのですか」


 リィ=スドラは、今日の代価を渡すなり、それでアリアとポイタンを買っていた。

 3枚の赤銅貨から得られるのは、およそ3食分のアリアとポイタンのみである。それを手に入れるのが難しいほど、スドラは生活に困っていたのか。


「あの……それで、明日もスドラの家に宿場町での仕事をお申しつけくださるのでしょうか……?」


 と、今度はいくぶん不安そうな眼差しを向けてくる。


「はい。今日の仕事でご理解いただけたと思うのですが、森辺の民にとってはかなり馴染みのない仕事ですので、時間をかけて修練を積む必要があるのですね。ですから、他の氏族に仕事を回すとしても、5日とか10日とかそれぐらいの期間で交代していただきたいなと考えています」


「それでは、少なくとも5日間はわたしを使ってくださるのですね。わたしが重大な失敗などを犯さない限りは」


 そう言って、リィ=スドラは胸の前で両手を組み合わせた。


「懸命に励みます。どうぞ手ほどきをお願いいたします」


「はい。こちらこそよろしくお願いします」


 本当によくできた奥方だ。スドラの家長は果報者だな、とかついついそのようなことを考えてしまう。


「それでは、おたがいに調理の準備を――」と言いかけたところで、戸板が外から叩かれた。


「はい。どなたですか?」


「……ディン家の女衆、2名です」


 これまた聞き覚えのない氏族である。

 人の名前を覚えるのは得意なほうだが、そろそろ容量オーバーだ。この近所にそのような名前の氏族がいたかなあとか考えながら、俺は玄関口に向かおうとした。

 その手を、リィ=スドラにつかまれる。


「ファの家のアスタ。ディン家というのは、スン家の眷族――今で言うなら、ザザ家の眷族です」


 ザザ家の眷族か。

 それならば、ザザ家の意向に沿って、宿場町の商売には否定的な見解であるはずだ。


 それに、ザザやドムといった勇猛なる北の一族たちは、スン家の裏切り行為にはっきりと怒りの心情をあらわにしていたが。それ以外のスン家のかつての眷族たちが、ファの家に対してどのような心情を抱いているのか、それを確認する機会も得られてはいなかった。


 静かな中に強い警戒の色をにじませたリィ=スドラにうなずき返しつつ、俺は戸板の前に立つ。


「ご用向きは何でしょう? ディン家とはこれといって縁を結んだ記憶もないのですが」


「はい。晩餐の準備の手ほどきを受けたく参上しました。ご了承をいただけますでしょうか?」


「調理の手ほどきですか。それはザザ家も承知しているのですか?」


「はい。手ほどきを受けること自体は禁じられておりません」


 なるほど。宿場町の商売や加工ギバ肉の準備などに力を貸す気はないが、美味なる食事そのものには興味あり、ということか。

 もちろん、こちらとしては歓迎こそすれ拒絶する理由はない。


 それでも俺は慎重に、かんぬき用の棒を手に取りつつ、ほんの少しだけ戸板を引き開けた。


 言葉通り、2名の女衆が立っている。

 年配で既婚の女衆と、まだ幼い10歳ぐらいの女の子だ。

 その足もとには生のポイタンが詰まった鉄鍋が置かれており、他の人影などが見当たらないことを確認してから、俺は戸板を全開にした。


「突然の来訪に応じていただき、ありがとうございます。わたしはディンの家長の姉ジャス=ディン、こちらは家人のトゥール=ディンです」


「……トゥール=ディン?」


 俺は目線を女の子のほうに固定する。

 まだあまり長くない褐色の髪を首の横でふたつに結んだ、ちょっと気弱げな表情をした女の子だった。

 その子犬のように大きな目が、何やら思いつめた光を浮かべて、俺の顔をじっと見つめ返してくる。


「ああ! 君はスンの分家だった子だね! スンの集落には残らずに、ディンの家に入ったのか」


「はい。この娘の母は、わたしと家長の妹でした。妹はすでに亡くなっていたので、父親とともにディンの家人となったのです」


 そう答えたのは。ジャス=ディンと名乗った年配の女衆だった。

 スンの分家の半数は、スンの集落を出て眷族の家人となったのである。集落に居残ったのは、眷族と近しい血の縁をもたない者たちばかりであるのだ。


「そうか。元気そうで何よりだ。家長会議から3日しか経ってないのに、なかなか気づけなくてごめんね?」


 そんな風に呼びかけると、トゥール=ディンはハッとしたように目を見開いた。

 そして、その大きな目を涙でうるませてしまう。


「ど、どうしたの? 俺は何かまずいことを言ってしまったかな?」


 トゥール=ディンは、ぷるぷると首を横に振った。

 大粒の涙が、それで地面に落ちていく。


「ファの家のアスタ。この娘は、あなたたちを害そうとしたスンの家の血族であった者です。ですが、今後はスンとの縁を絶ち、ディンの人間として生きていくことになりました。この娘のかつての罪を、許していただくことはかないますか?」


「罪? 俺は別にトゥール=ディンから何か悪いことをされた覚えはありませんが」


「ですが、大罪を犯したスン家の血筋であったことは事実です。特にファの家の人間にとっては、スン家を憎む理由があるはずです」


 顔立ち自体は柔らかいが、とても厳しい眼差しをした女衆だった。

 何だか、昨日のラウ=レイたちとのやりとりを彷彿とさせる展開である。


「……スンの分家の罪を問わないと決めたのは新しい族長たちであり、すべての家長がその言葉に賛同しました。その上、俺は最初から分家の人々を憎む気持ちはありませんでした。このトゥール=ディンを拒む理由はどこにもありません」


「そうですか……」


「はい。特にこのトゥール=ディンとはけっこう長い時間をともにしましたからね。生きる気力を失ってしまっていた人々の中で、彼女は懸命に頑張っていたほうだと思いましたよ」


 俺の言葉に、トゥール=ディンはまたじんわりと涙をためてしまう。

 まだちょっとその表情には幼子らしからぬ無機質さが残っていたが、その瞳だけは、しっかりとした輝きを取り戻している。それだけで、俺は胸が詰まるほど嬉しかった。


「トゥール=ディンは一緒に鍋を作ったりポイタンを焼いたりしたから、調理の腕前には一日の長があるだろうね。しっかり学んで、他の女衆にも手ほどきをしてあげなよ」


「……ありがとうございます……」


 力なくうつむいてしまう少女の頭に、ジャス=ディンがぽんと手の平を乗せる。

 その眼差しはまだ厳しいままだったが、しかしその仕草には亡き妹の忘れ形見に対する愛情が十分に感じられるような気がした。


「それじゃあ、始めましょう。あ、こちらはスドラ家のリィ=スドラです。そのうちフォウやランの女衆もやってくると思いますので」


 ついつい話しこんでしまったが、今日は定刻で帰宅したので、いいかげんに仕込みの作業を始めないとまずいことになってしまう。ディン家の2名を家に引き入れて、俺は自分の仕事の準備に取りかかることにした。


「とりあえずはポイタンの焼き方のおさらいですよね。俺はここで仕事をしていますので、わからないことがあったら声をかけてください」


「はい」と応じながら、鉄鍋を掲げた2人が俺の前を横切っていく。

 そのトゥール=ディンの横顔を目にしたとき、俺は思わず「ああ」と声をあげてしまった。

 トゥール=ディンが、びくりと俺を振り返る。


「あ、ごめんごめん。そういえばあのときの火傷の痕は残らなかったんだなって思っただけなんだ。……よかったね?」


 表情の暗い少女を元気づけたくて、俺はにっこりと笑いかけてあげた。

 すると――トゥール=ディンも、ぎこちなくだが微笑を返してくれた。


「あのときは、ありがとうございました。……わたしなんかを心配してくれたあなたとルウ家の赤い髪をした女衆の優しさは、とても嬉しかったです」


「いやあ、俺なんかは慌てて水をぶっかけただけだからねえ。ララ=ルウにも君の言葉を伝えておくよ」


 ミダも、ヤミル=レイも、トゥール=ディンも、こうして少しずつ新しい生活を積み重ねていくのだろう。


 まだ家長会議からは3日ほどしか経過していないが、やっぱりドンダ=ルウの裁定は間違っていなかったと思う。本家の男衆たちに対してはまだ不明な部分も多いが、少なくとも、森を荒らす以外には罪を犯していない人間に対しては、これ以上の罰などは必要ないはずだ。


 城の人間たちに、こういった現状が理解できるのか――理解しようという心づもりがあるのか。まずはそこが焦点になるだろう。


 そんなことを考えながら、俺は板の上に広げたアリアをみじん切りにする作業に取りかかることにした。


             ◇


「……で、その後にはまたガズラン=ルティムがダリ=サウティと一緒にやってきてな。カミュアとの打ち合わせの内容を説明してくれたんだよ」


 夜である。


 約束通りのハンバーグによる晩餐の後、残った仕込み作業を片付けながら、俺はアイ=ファにそう説明してみせた。


「商団は、普段ルウ家が使ってる道を通って宿場町から森辺に入り、そのまま南下してサウティの集落を通過したのち、森に入るんだそうだ。その森を半日ばかりかけて踏破すると、岩場に出るらしい。そこから街道まで出るのにはまた何日もかかるらしいけど、そのあたりの岩場にはもうギバも出ないし、森辺の民にとっても縄張りの外だ。だから、初日の森を抜けるまでの案内をサウティ家に受け持ってほしい、という話だったわけだな」


「うむ」


「だけど、そもそも宿場町からサウティの集落まででも相当な距離があるから、商団が朝一番で出発しても、森を抜ける頃には夕暮れになってしまうらしいんだ。で、夜間に森を通って集落に戻るのは危険らしいから、案内役の人間も商団の人々と一緒に岩場で夜を明かさなくちゃいけないらしくて、ダリ=サウティはその点でげんなりしてしまっていたな。『スン家の連中は何と面倒な仕事を引き受けたのだ』と、それはもうご立腹だったよ」


「うむ」


「スン家はどうやらテイ=スン――いや、テイひとりにその仕事を押しつけるつもりであったらしいけど、半日もの間、ギバを避けて森の奥部を進軍しなくちゃならないんだから、最低でも4名ていどの男衆が必要だろうとダリ=サウティは嘆いてた。まあ商団のほうも総勢20名以上の大人数だから、そうそうギバに襲われることもないはずなんだけど。なまじ大人数だから、1頭のギバにばったり出くわすだけで大混乱は必至だとか何とか。何だか本当に大変な仕事みたいだな」


「うむ」


「……アイ=ファ、会話に疲れたのなら、正直にそう言ってくれよ?」


「何がだ? べつだん問題はない」


 そんな風に仰りながら、アイ=ファは昨晩以上に自堕落な格好ですんべんだらりと横たわってしまっていた。

 腹ばいの体勢で、ほどいた髪が顔のほうにまで垂れているので、表情はよく見えない。刻み終わったミャームーとアリアを果実酒とともに皮袋へと投入しながら、俺は小さく息をつく。


「まあそんなわけで、カミュアとの打ち合わせは何事もなく終了したそうだよ。ガズラン=ルティムがどういう感想を抱いたのかはとても興味深かったんだけれども、今のところは『とても不思議な人物ですね』としか聞けなかった。ダリ=サウティのほうは『やっぱり都の人間は好かん』だそうだ」


「うむ」


「で、明後日の仕事はサウティ家に一任されて、無事終了。三族長たちはいったん自分の集落に戻って、各々の眷族の長たちとジェノス城からの要請に対する意見をまとめるそうだ。スンの集落には6名ていどの男衆が見張りとして居残ったままだけど、これでようやく一区切りってとこなのかな」


「うむ」


「……俺からの報告は以上であります。ご清聴ありがとうございました」


「大事ない。頭の痛くなりそうな話は適当に聞き流していたからな」


 敷布に片方のほっぺたをくっつけたまま、アイ=ファは覇気のない声でそう言った。


「族長たちも、存分に頭を悩ますがいい。私は私の仕事で手一杯だ」


「えーと、今日はラッツの家に出向いてたんだっけ?」


「うむ。ラッツの眷族と、ガズの男衆もやってきていた。……昨日よりも、うんと疲れた」


「ふむふむ。だけどみんな、快くアイ=ファを迎えてくれたんだろ?」


「向こうは快くとも、私は不快だった」と、アイ=ファの声が不機嫌そうな響きを帯びる。

 角度的によく見えないが、たぶん唇をとがらせていると思う。


「しかも、ラッツの男衆のひとりが、いきなり嫁取りを申し入れてきてな」


「な、何?」


「そうしたら、ガズの男衆までもが同じようなことを言いだして、わけもわからぬ内につかみあいの騒動になってしまったのだ。怒り狂ったラッツの家長がその場を収めてくれたが、危うくラッツとガズの縁がこじれてしまうところだった」


「そ、それは大変だったな。……で、その2人はきっちりあきらめてくれたのか?」


「……もしも私がまた怪我などを負って狩人の仕事が果たせなくなった折にはもう1度考えてほしいとか抜かしていた。あなたがたは私が深手を負うことを望んでいるのかと怒鳴りつけたくて仕方がなかったわ。……まったくもって不愉快な一幕だった」


 ようやく仕込みの作業を終えた俺は、水瓶の水で手を洗うのももどかしく、大急ぎでアイ=ファのもとに馳せ参じる。


「その男衆たちは、ダルム=ルウみたいに凶悪な感じではなかったのか? 今後もしつこくつきまとってくるようなことはないよな?」


「そのようなことは当人に聞け。私の知ったことか」


「いや、だけど――」


「やかましい。仕事が終わったのなら、とっとと手をよこせ」


「え? 手?」


 よくわからなかったが、とりあえず昨晩と同じように、アイ=ファのこめかみあたりにそっと手の平を置いてみた。

「うむ」とアイ=ファは満足そうな声をあげたので、どうやら俺の判断は間違っていなかったらしい。

 何となく、むずがる子猫の咽喉でも撫でているような感覚である。


「大勢の人間と口をきくだけで疲れる。お前はよく宿場町であのような仕事を続けていられるな。……いや、お前ばかりでなくルウの女衆らも同じように仕事を果たせているのだから、私の気持ちが脆弱なだけなのか」


「いやいや、そんな風に自分を卑下するのはアイ=ファらしくないぞ? 人間には向き不向きってもんがあるんだから。それに昨晩も言った通り、時間をかければ、いずれなれるさ」


「……私は早く狩人としての仕事を果たしたい」


 何だか本当に気の毒になってきてしまった。

 ので、俺はアイ=ファの頭をそっと撫でてやることにした。

 いつぞやはそれでボディブローの反撃をくらったような気がしなくもないのだが。今宵のアイ=ファは満足そうにまぶたを閉ざして、俺の手から逃げるそぶりも見せなかった。


「まあ何にせよ、あと数日の辛抱だな。私の腕さえ治れば、自ずと他家の人間と関わる時間は短くすることができる」


「後ろ向きな発言だなあ。だけど今日は、俺もなかなかに疲れたよ。おたがい早めに休んだほうがいいのかな」


「うむ」


「じゃあ、寝るか」


 立ち上がり、燭台を消したのち、さっきよりは少しアイ=ファと離れた位置に身体を横たえる。


 すると、何故かしらアイ=ファがにじり寄ってきた。


「何故そのように遠くで眠るのだ?」


「え? いや、いつも通りの距離感じゃないか?」


「……私はまだ少し頭が痛いのだ」


 と、仰向けで転がった俺の左手首を取り、自分のこめかみに導こうとする。

 結果的に、俺は肘関節を極められて悲鳴をあげることになった。


「痛い痛い痛い! ちょっと待て! それは人間の関節の可動範囲を超えた動きだ!」


「だったら、無理のない体勢をとればいいだろうが」


 無理のない体勢って。相手のこめかみに手を置くには、至近距離で向かい合うしかないのではなかろうか。

 まあ暗くてよく見えないし問題はないかなとか思ったが、実際にやってみると、そんなに問題がないことはなかった。

 近いのだ、距離が。


「あのですね、家長」


「やかましい。私はもう眠くなってきた」


 俺の手の平を顔の横に乗せ、その上から自分の手の平をかぶせた格好で、アイ=ファは静かにまぶたを閉ざす。


 目の頼りになるのは、窓から差し込む月明かりのみ――だが、その綺麗な顔立ちや、横向きに寝そべった身体のラインぐらいは、普通に見てとれる。


(……やっぱり何か、猫になつかれてる気分だなあ)


 アイ=ファの側におかしな気持ちなどないのは百も承知だが、それにしても、何だか日を追うごとにスキンシップの度合いが増してきているように感じられる。


 それだけ俺のことを気兼ねのない家族として認めてくれている、ということなのだろうから、それ自体は非常に喜ばしいことであるのだが――不必要にかき回される俺の気持ちはどうしてくれるのだろう。


(……こんなに綺麗で、魅力的で、気持ちも真っ直ぐな女の子だったら、そりゃあ嫁取りの話なんていくらでも出てくるだろうな)


 抜群の寝つきのよさで寝息をたて始めたアイ=ファの寝顔を見つめながら、俺はひとりそんなことを考えてしまった。


(そういえば、森辺で嫁や婿を迎えるのが許されるのは男女ともに15歳からって話だったもんな。そう考えたら、アイ=ファはそれが許されるようになった年に、スン家と悪縁を結んでしまったんだ。みんながファの家と普通に縁を結べる環境になったら、ルウ家以外でも嫁に欲しがる家が出てきても当然か)


 何だか、気持ちが落ち着かない。

 自分にはこの世界の人間を嫁に迎える資格はない、などと言いながら、もしもアイ=ファの心を射止めるような男衆が登場してしまったら、俺はいったいどうなってしまうのだろう。


 今までに何度となく頭に浮かんできては、そのたびに棚上げされてきた問題である。


(ずっとこのままの関係でいたいってのは、それはそれで無理な願いなのかな……)


 こみあげてくる溜息を飲み下しつつ、俺もまぶたを閉ざすことにした。

 そうすると、手の平から感じられる体温や、目の前のアイ=ファから漂ってくる香りが、いっそうまざまざと知覚できてしまう。


 アイ=ファはもう長いこと『ギバ寄せの実』を扱っていない。

 だからもう他の女衆とそれほど大差もない、香草や肉の匂いが混ざった家庭的な香りしかしないはずなのだが――それでもやっぱり、アイ=ファはアイ=ファだった。


 アイ=ファの体温だから、アイ=ファの香りだから、心地好い。

 それはもう、揺るがしようのない事実なのだ。


 そんなことをつらつらと考えている内に、放埒的な睡魔が俺の上にも舞い降りてきた。

 初めての宿屋での仕事をこなし、女衆たちに調理の手ほどきもして、その合間には森辺の行く末を思い悩み――きっと俺自身も相当に疲れていたのだろう。とてもすみやかに、俺は眠りに落ちてしまっていた。


 そして――


「…………?」


 それからいったいどれぐらいの時間が過ぎ去ったのか。

 気づくと俺は、ふわりと柔らかい感触に口もとを覆われていた。

 夢かうつつかもわからぬ内に、俺はぼんやり目を見開き、そこに山猫のように光る青い瞳を見出す。


 アイ=ファが、俺の鼻先にまで顔を寄せていた。

 いつのまにやら、こめかみに当てていた手の平も外されている。

 その、俺の手に重ねていたはずの手でもって、アイ=ファは俺の口をふさいでいた。


「喋るな。……そして、動くなよ、アスタ」


 ほとんど聞こえないぐらいの声で囁きながら、アイ=ファがさらに身を寄せてくる。

 俺が仰天して身を起こそうとすると、今度は逆の手で肩をつかまれ、床に押し戻された。


「動くなと言っているのだ。私の言うことが聞けぬのか、アスタ?」


 また、囁き声。


 仰向けの体勢で押さえ込まれた俺の上半身に、アイ=ファが横合いから覆いかぶさるような格好になっていた。


 青い瞳が、かつてないほど真剣な光をたたえて、俺の瞳を覗きこんでいる。


 アイ=ファの手の平や腕や胸などに触れている部分が、異様に熱かった。


「何も心配することはない……私の言う通りにするのだ、アスタ」


 そう言って――アイ=ファはさらに、全身で俺に覆いかぶさってきた。

2期目(青の月8~17日)


・第6日目(青の月13日)



①食材費


『ギバ・バーガー』60人前……31.55a

『ミャームー焼き』90人前……41.55a


『ギバの角煮』40人前


○具材

・ギバ肉(10kg)……ルウ家から購入。別途換算

・アリア(40個)……8a


○煮汁

・果実酒(4本)……4a

・アリア(20個)……4a

・タウ油(0.6本)……6a


合計……22a


3品の合計=31.55+41.55+22=95.1a



②その他の諸経費


○人件費……39a

*ヴィナ=ルウとララ=ルウが9a、シーラ=ルウが15aに昇給。

 鉄鍋の賃貸料が3a、リィ=スドラが3a。


○場所代・屋台の貸出料(日割り)……4a


○ギバ肉……12a(ルウ家から購入)


合計……55a



諸経費=①+②=95.1+55a=150.1a


売り上げ=300(屋台150食分)+80(宿屋)=380a


純利益=380-150.1=229.9a



純利益の合計額=764.5+229.9=994.4

(ギバの角と牙およそ82頭分)


*干し肉は、1200グラム、18aの売り上げ。10日目にまとめて集計。

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