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異世界料理道  作者: EDA
第七十九章 華燭と奉迎
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城下町の晩餐会①~下準備~

2023.6/29 更新分 1/1

 そして、翌日――俺たちは、さっそく城下町に招かれることになった。

 昨日の夕刻、ジェノス城からの使者によって、ゲルドの貴人を歓待する晩餐会の厨を預かってほしいという旨が伝えられたのだ。


 祝宴ではなく晩餐会であるならば、準備にそれほどの手間はかからない。とはいえ、貴族と森辺の民をひっくるめて総勢は30余名ということであったので、決して簡単な話ではなかったのだが――森辺の民としても、ゲルドの貴人との交流には最大限の力を尽くそうという所存であったのだった。


「アルヴァッハも、何かと簡単ならぬ用事を申しつけてくる。しかし、ティカトラスやダカルマスに比べれば、ずいぶん間遠であろうし……アルヴァッハは、肖像画を描かせろなどと言いたててくることもないしな」


 アイ=ファなどは、そのように評していた。

 ダカルマス殿下は試食会を乱発していたし、ティカトラスはご存じの通りの人柄であるため、俺たちとしてはアルヴァッハのつつましさを再確認したような心地であったのだ。あとはもう、アルヴァッハの有する人徳というものも少なからず影響しているのかもしれなかった。


 ともあれ――いざ城下町である。

 闘技会からまだ十日も経っていないため、あまりひさびさという感じはしない。ただ、間にナハムとベイムの婚儀をはさんでいるためか、まだそれだけの日数しか過ぎていないのかという心持ちであった。


 宿場町とトゥランでの商売を終えたのち、選出されたメンバーは護衛役の狩人と合流して城下町を目指す。その顔ぶれは、昨日とほとんど変わらぬ面々――俺、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、レイナ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、レイの女衆、ミンの女衆というものになっていた。人数は10名で問題なかろうということで、屋台の当番でなかったララ=ルウと、トゥランの商売の取り仕切りという大役を果たしたムファの女衆は除外されることになったのだ。


 その中で晩餐会そのものにも参席することになったのは、俺、レイナ=ルウ、トゥール=ディンの3名のみとなる。

 そちらの付添人はアイ=ファとジザ=ルウとゼイ=ディンで、仕事の後に別室で晩餐をとる面々のためにも2名の狩人が選出されて、総勢は15名と相成った。


「でも、こういう場にザザやサウティの面々が招かれないのは、少し珍しいように思えますね」


 荷車で城門を目指すさなか、ユン=スドラがそのように告げてきた。


「うん。これは、メルフリードからの提案でね。いずれダカルマス殿下たちが到着したら大々的に祝宴を開くことになるだろうから、今回はルウだけでいいんじゃないかっていう話だったんだってさ。参席者が増えれば増えるほど、俺たちの苦労もかさむだろうっていう配慮もあったみたいだね」


「なるほど。それでこのたびはアルヴァッハたちを歓待するために、ひときわ優秀なかまど番である3名が招かれることになったのですね」


「まあ、そういうことになるのかな。もう何名かの枠があれば、きっとユン=スドラも選ばれていたのにね」


「とんでもありません。わたしはアスタの仕事を手伝えるだけで、十分に光栄です」


 ユン=スドラは、屈託のない笑顔である。実際問題、彼女も仰々しい晩餐会そのものには、それほど大きな関心は持っていないのだろう。ちょっぴり不満げな面持ちであるのは、アイ=ファと晩餐をともにできないリミ=ルウぐらいのものであった。


 そうして3台の荷車は、城門に到着する。

 ギルルの手綱を操っていたアイ=ファが、そこで「うむ?」と不審の声をあげた。


「ガーデルにバージではないか。このような場で、何をしておるのだ?」


「もちろん、そちらをお待ちしていたのさ。晩餐会の会場まで押しかけはしないので、安心するがいい」


 骨張った面立ちをしたバージがにやにやと笑いながら、そのように告げてくる。そのかたわらで、まだ左腕を三角巾で吊っているガーデルはもじもじと大柄な身体を揺すっていた。


「今日はひときわ身分の高い方々ばかりが集う晩餐会であるため、このガーデルが招かれることにもならなかった。その代わりについ先刻、ゲルドの方々にお目通りを願うことになったのだ。それについて、いちおう報告しておこうと思ってな」


「ふむ。ガーデルが、アルヴァッハたちに挨拶をしたわけか」


「ああ。貴き方々の協議によって、こやつの妄執については事前に周知させておこうという話に落ち着いたのだ」


 何も語らぬガーデルの代わりに、バージが得々と言葉を重ねた。


「こやつがアスタ殿に抱く妄執からティカトラス殿に無礼を働いた旨も、ゲルドの方々に伝えられることになった。じきに到着される予定であるジャガルの貴き方々にも、同じように取り計らわれることになる。そちらもそのように思し召すがいい」


「ふむ……何故にそのような措置が取られたのであろうか?」


「事前に告知しておけば、のちの面倒を回避することができよう? アスタ殿を連れ帰ろうなどと考えた折には、こういう無作法者がくってかかる恐れもあるので、誤解を招くような言動はおつつしみくださいませ、ってなもんさ」


 相変わらず、お目付け役のバージは飄々としていた。

 アイ=ファは「なるほど」と首肯しつつ、ガーデルのほうに視線を転じる。


「して、ゲルドの面々の反応は如何様であったのだ?」


「はあ……俺はその、ずっと心を乱していたもので、自分が何を語ったのかもあまり判然としないのです」


 その頼りない返答に、アイ=ファは小さく息をつく。


「そうか。ガーデルは、東の民を苦手にしているのだったな。それで無礼と叱責されることにはならなかったのか?」


「幸い、お目こぼしをいただけたよ。東の方々の顔色を読むのは難儀に過ぎるが、まあこやつの惑乱っぷりに呆れていたのではないかな」


 ガーデルの代わりに、バージが皮肉っぽい笑顔で答えた。


「あとはその場にプラティカ殿も同席していたので、上手い具合に取りなしてくれた。まったく、ありがたい限りだ」


「そうか。……ガーデル自身も、心を安らがせることはかなったのであろうか?」


「はあ……あの方々もアスタ殿の手腕に感服しながら、ゲルドに連れ去ろうなどというお気持ちは微塵もないそうですね。その代わりに、あのプラティカという御方に修練を積ませているのだとか……」


「うむ。たとえどのような身分の人間であっても、余所の地の人間を連れ帰ろうなどと考えることはそうそうありえないのであろう。ガーデルも心を痛めることなく、怪我の療養に注力してもらいたく思うぞ」


 アイ=ファが噛んで含めるように言いつのると、ガーデルは目を伏せたまま「はい……」と弱々しく微笑んだ。


「ということで、俺たちの用件はここまでだ。そちらは貴き方々のために、存分に腕をふるってやるがいい」


「はい。わざわざありがとうございました。ガーデルも、どうぞお大事に」


 俺の言葉に、ガーデルはまた「はい……」と微笑む。

 なんとも頼りないところであるが、笑ってくれるだけ進歩しているのだろう。それでも若干の物足りなさを覚えた俺は、もう少しだけ交流を紡がせていただくことにした。


「そういえば、城下町でも新しい傀儡の劇が披露されたのですよね。ガーデルたちも、ご覧になったのですか?」


「あ、はい……貴き方々ばかりが集められた白鳥宮の広間に、俺も呼び出されることになりました。あれは……素晴らしい内容であったかと思います」


 ガーデルは目を伏せたまま、色の淡い瞳に陶然とした輝きをたたえた。


「名前は伏せられていましたけど、最後の回想の場面ではガーデルの傀儡も準備されていましたよね。今からでも名前を出す心持ちにはなりませんか?」


「はい……? ああ、そういえば、あれは俺自身の姿であったのですね。そんな話は失念して、物語に見入ってしまいました。あんな素晴らしい物語に俺などの名前が使われるのは、恐れ多いばかりですので……やはりこのまま、辞退させていただきたく思います」


 彼はその際に負った深手にまだ苦しめられているというのに――そして、その手でシルエルを殺めたという内容であるのに――それを失念することなど、ありえるのであろうか?

 でもきっと、虚言は吐いていないのだろう。彼はそれだけ、物語に没入してしまう人間なのである。何気ない世間話のつもりであったのに、俺はガーデルの特異さを再確認させられた心地であった。


「こやつは名声に興味がないようであるからな。まあ、あの劇が市井でも披露されるようになったら、あの勇敢な兵士こそがこの気弱げな大男なのだと、俺が喧伝してやるさ」


 人を食ったような面持ちで笑いつつ、バージはひょいっと肩をすくめた。


「それじゃあ、失礼するぞ。ジャガルの貴き方々を歓迎する祝宴では俺たちも招集されることになろうから、そのときはよしなにな」


「はい。どうもお疲れ様でした」


 ガーデルとバージは、連れだって跳ね橋を渡っていく。

 すると、遠からぬ場所でこちらの様子をうかがっていた初老の武官が、苦笑を浮かべつつこちらに近づいてきた。


「ガーデルも、少しばかりは人間がましい面が出てきたようですな。それでも相変わらず、見ているこちらが心配になるほど茫洋としておりますが……どうぞ今度も、あやつをお願いいたします」


「はい。焦らずじっくり、ガーデルと交流を深めさせていただきたく思います」


「森辺の方々のご温情には、感謝するばかりです。……それでは、紅鳥宮にご案内いたします」


 ということで、俺たちも立派なトトス車で跳ね橋を渡ることになった。

 その道行きで、同じ車になったジザ=ルウが静かに声をあげる。


「確かにガーデルは、以前よりも地に足がついたように見受けられる。しかし、傀儡の劇などが関わってくると……いささかならず奇妙な性根が浮き彫りになるようだ」


「うむ。あの熱情を、どうにか自分の行く末や人の世の動向に向けてほしいところだな」


 そのように語るアイ=ファは、とても真剣な眼差しであった。

 やはり、シルエルにまつわる一件をも傀儡の劇として楽しんでしまうというのは、あまり健全な状態とは言えないことだろう。見ようによっては、ひどく恐ろしい話なのではないかと思われた。


(でもまあ、焦らず一歩ずつだ。少なくとも、アルヴァッハやダカルマス殿下がガーデルに悪い影響を与えることはないだろう)


 そんな風に自分に言い聞かせながら、俺は目前の仕事に気持ちを切り替えることにした。

 トトス車は、やがて本日の会場たる紅鳥宮に到着する。まずは浴堂で身を清めてから厨に向かうと、そちらにはプラティカとニコラが待ち受けていた。


「アスタ、挨拶、申しあげます。本日、よろしくお願いいたします」


 本日の彼女たちは見物人ではなく、調理に励む側である。プラティカはひと品だけ料理を準備するように申しつけられ、ニコラがそれを手伝うことになったのだ。プラティカは藍色、ニコラは純白と、それぞれ調理着の姿であった。


「どうも、よろしくお願いいたします。プラティカたちも、頑張ってくださいね」


「はい。死力、尽くす所存です」


 プラティカは紫色の瞳に狩人の気迫をみなぎらせており、ニコラもまたそれに引きずられて普段以上に面を引き締めている。自分で言うのも何だが、森辺の民の準備する料理の中に自分の料理をひと品だけ織り込まれるというのは、ずいぶんなプレッシャーになるのではないかと思われた。


(でもきっとプラティカなら、アルヴァッハを感心させられるはずだ。俺たちも、それに負けないように頑張ろう)


 プラティカたちは、早々に自分の厨へと戻っていく。そしてここからは、俺たちも二手に分かれての作業であった。


「それじゃあ、レイナ=ルウたちも頑張ってね」


「はい。では、またのちほど」


 プラティカに負けない気迫をみなぎらせながら、レイナ=ルウも回廊の向こうへと去っていく。それに追従するのは、マイムとレイおよびミンの女衆だ。今回は俺個人への依頼ではなかったため、4割ていどの料理をレイナ=ルウの班に一任することになったのだった。


 俺が受け持つのは全体の6割で、その中に菓子も含まれている。トゥール=ディンは班を分けずに、6名がかりで料理と菓子をこしらえるのだ。それでルウの血族からただひとり手伝いに抜擢されたのは、リミ=ルウであった。


「そーいえば、今日はカルスも料理を作ってくれるんだよねー! カルスやプラティカがどんな料理を準備するのか、楽しみだなー!」


 リミ=ルウは弾むような足取りで厨に入室しつつ、そんな声を張り上げた。別室で晩餐をとるリミ=ルウたちにも、両名の料理は味見ていどに準備されるという話であったのだ。昨日の夕刻の段階でそんな話まで取り決められていたのは、きっとアルヴァッハの配慮なのだろうと思われた。


 そんなこんなで、作業の開始である。

 こちらの護衛役には、アイ=ファとゼイ=ディンがついてくれている。ゼイ=ディンは扉の外で控えて、アイ=ファは外窓のすぐそばに待機した。もはや城下町で気を張る必要はないのであろうが、万が一に備えての用心だ。貴族の側が鷹揚にそれを了承してくれるのも、ありがたい限りであった。


「そういえば、ティカトラスはもうアルヴァッハたちとお会いになられたのでしょうか?」


 ユン=スドラの問いかけに、俺は「うん」とうなずいてみせた。


「どうやら昨晩は、城下町に戻ったみたいだからね。ティカトラスたちは中天から宿場町をうろついていたはずだから、そこでゲルドの使節団が到着したことを知ったんじゃないのかな」


「そうですか。たったひと晩で城下町に舞い戻ることになってしまったのなら、慌ただしい限りですね」


 ユン=スドラはくすりと笑ってから、さらに言いつのった。


「ところで……アルヴァッハたちとティカトラスでは、どちらがより高い身分なのでしょう?」


「うーん。俺もそういう話には疎いんだけど、これまでに聞いた話から察すると、やっぱり僅差でアルヴァッハたちなんじゃないのかな。シムの藩主とセルヴァの五大公爵家ってのは、ほぼ同格の身分であるみたいだからさ」


「なるほど。家の格式は同程度でも、領主の弟より跡取りである長兄のほうが身分は高い、というわけですか。それでフェルメスは分家の血筋であるため、それよりも格が低いということになるのですね」


「うん、たぶんね。……でも、どうしてユン=スドラが貴族の格式なんかを気にしているのかな?」


「はい。アルヴァッハたちのほうが高い身分であったほうが、森辺の民にとっても安心なのかなと考えたまでです。でも……さほど大きな差がないのでしたら、あまり関係ないのかもしれませんね」


「うん。やっぱりはっきりと格上なのは、王家のダカルマス殿下やデルシェア姫ぐらいなんだろうと思うよ」


 少なくとも、ティカトラスが丁寧な言葉で応対していたのは、後にも先にもデルシェア姫ただひとりであったのだ。ティカトラスがアルヴァッハたちにどのような言葉づかいを見せるかで、そのあたりの格式ははっきりするのだろうと思われた。


「デルシェアは、時おりティカトラスの奔放さを掣肘してくれましたものね。ただ、ダカルマスの場合は……どうなるのでしょうね。わたしは何だか、ダカルマスとティカトラスが笑顔で酒杯を交わしている姿ばかりを想像してしまうのです」


「あはは。それでも仲良くやってくれるなら、それが一番なんじゃないのかな」


 何にせよ、貴き身分の客人が増えるたびに、ジェノスの騒々しさは増していくいっぽうであろう。俺たちにできるのは、その騒乱の中で森辺の民としての規律を守りつつ、精一杯のおもてなしをすることのみであった。


 本日はその中盤戦、ゲルドの一行を歓待する晩餐会だ。ティカトラスも加わることで賑やかさが増大するのは必然であったので、俺はせいぜい気を引き締めておくことにした。


 そうして俺たちが調理に励んでいると、回廊に通ずる扉がノックされる。

 アイ=ファがすかさずそちらに移動して、ゼイ=ディンとのやりとりを報告してくれた。


「リフレイアが挨拶に出向いてきたそうだ。あちらは入室を望んでいるようだが、問題はなかろうか?」


「うん。こっちは大丈夫だよ」


 リフレイアがわざわざ厨にまで出向いてくるとは、ひさびさのことだ。

 アイ=ファが扉を開けると、侍女のシフォン=チェルと武官のムスルを引き連れたリフレイアがしずしずと踏み入ってきた。


「仕事のさなかに、ごめんなさい。どうかわたしにはかまわず、作業を進めてね」


「どうも、ご無沙汰しています。……ああ、いや、ご無沙汰だね、リフレイア」


 俺が取り急ぎ口調をあらためると、リフレイアは「ふふ」と小さく笑い声をこぼした。


「ご無沙汰と言っても、10日も経っていないけれどね。でも、祝宴の場ではアスタも堅苦しい態度を解いてくれないから、とても気持ちが満たされるわ」


「あはは。そのために、わざわざ足を運んでくれたのかな?」


「そうね。今日の晩餐会ではわたしだって節度を守らなければいけないから、今の内にアスタたちと気安く語らっておきたかったの」


 リフレイアはとても穏やかな面持ちで、壁際の一角にまで歩を進めていく。シフォン=チェルもいつも通りの優美な微笑をたたえていたが、ムスルだけはどことなく主人の身を案じているような表情であった。


「昨日も昨日で、ゲルドの方々を歓待する晩餐会だったのだけれどね。ダイアの料理は、見事のひと言に尽きるけれど……きっとゲルドの方々にとっては、今日こそが本番なのでしょうね」


「どうだろうね。まあ俺たちは、ゲルドのみなさんに喜んでいただけるように力を尽くすだけだよ」


「あの方々はジェノスに到着するなり森辺に押しかけるぐらい、アスタたちにご執心なのでしょう? それなら、ご満足いただけるに決まっているわ。……余所からやってくる貴き客人の方々は好きに振る舞うことができて、羨ましい限りね」


 そういえば、アルヴァッハやティカトラスばかりでなく、アラウトも剣士のサイひとりを護衛役として身軽に動く立場であったのだ。


「俺もまた、リフレイアたちを森辺にお招きしたいんだけどね。やっぱり時期を見るべきなのかな」


「大勢が招かれる祝宴ならまだしも、わたしが個人的にファの家にお邪魔するというのは、ちょっと難しいでしょうね。だからせめて、晩餐会の前に語らっておこうと思ったのよ」


「つまり何か、個人的な用事があったのかな?」


 ムスルの不安げな顔が気になっていたので、俺もなるべく手を動かしながらリフレイアの様子をうかがおうと試みた。

 しかしリフレイアは、やっぱり穏やかなたたずまいだ。


「べつだん、特別な用事があったわけではないの。まあ言ってみれば……昨日のアラウト殿と同じようなものかしら」


「アラウトと? それはつまり――」


「あの傀儡の劇の感想について、アスタたちと語らっておきたかったのよ」


 リフレイアは同じ表情のまま、遠からぬ場所に立っているアイ=ファへと視線を転じた。


「そういえば、今日の晩餐会でもあの傀儡の劇が披露されるのでしょう?」


「うむ。本来は、ザザの集落で披露される予定であったのだが……何せ《颶風党》というのはゲルドの罪人の集まりであったし、劇にはアルヴァッハたちを模した傀儡も登場するので、取り急ぎこちらを優先することになったのだそうだ」


 そのように語るアイ=ファは、仏頂面だ。俺とアイ=ファは昨日もルウの集落でリコたちの劇を拝見して、織布を濡らすことになってしまったのだった。


「あれは、素晴らしい出来栄えであったわよね。だからわたしは、アスタたちにお礼を言っておきたかったの」


「お礼? どうしてだい?」


「だって、あの劇はアスタたちの言葉をもとに作られたものであるのでしょう? とりわけ今回は、森辺の方々が尽力してくれたはずよ」


 確かに今回の内容では、森辺の民の比重が大きかったことだろう。何せ、舞台のほとんどが森辺の集落であったのだ。


「わたしなんて、傀儡使いの者たちとはひと言も口をきいていないのにね。それでああまで自分の内心がつまびらかにされてしまうというのは……なんだか、不思議な心地だわ」


「うん。それでリフレイアが、苦しい思いをしていないといいんだけど……」


「苦しいことなんてひとつもないし、苦しい思いをしても自業自得でしょう。だってあの劇では、真実しか語られていないのですからね」


 そう言って、リフレイアはふわりと微笑んだ。

 その白くてなめらかな頬に、すうっと涙がこぼれ落ちる。それがいっそう、彼女の笑顔を可憐に見せた。


「でも、あの劇に出ていたわたしは、わたしそのものであったわ。でも、わたしは何も語っていないのだから……あれは、アスタたちが思い描いているわたしの姿ということなのでしょう? だから……お礼を言っておきたかったの」


「いやあ、お礼を言われても、なんて返していいかわからないけど……でも、誰が語ったって、リフレイアはああいう姿になるんじゃないのかな」


「そんなことはないわ。たとえばシフォン=チェルやムスルが語っていたら、わたしは本物よりたおやかな貴婦人として描かれてしまうでしょうし……わたしを嫌う人間であれば、さぞかし底意地の悪い小娘として描かれることでしょう。森辺の方々というのは恐ろしいぐらい鋭い目を持っているから、わたしのちっぽけさを正しく見抜いてくれるのだわ」


「……リフレイアは、ちっぽけな人間として見られるのが嬉しいの?」


 黙って話を聞いていたリミ=ルウが、不思議そうに問いかける。

 リフレイアは静かに涙をこぼしながら、「ええ」と微笑んだ。


「だってわたしは、本当にちっぽけな人間だもの。そんなわたしがありのままの姿で描かれていたから、とても嬉しいのよ。あの舞台に映しだされていたわたしの悲しみは……まぎれもなく、わたし自身が抱いていた気持ちだもの」


 今回の舞台において、リフレイアの傀儡はひと言の台詞もなかった。ただリコのナレーションによって、サイクレウスを失う悲しみと、トゥランを立て直そうとする意気込みが語られたのみであるのだ。

 だけどあれは、確かにリフレイアそのものであった。俺だって、リフレイアとサイクレウスが死に別れる場面には立ちあっていなかったし、リフレイアがトゥランの再建でどのような働きを見せているのかも人づてで聞くばかりであったのだが――それでも、俺が思い描くリフレイアのイメージとぴったり合致していたのだった。


(……きっとリフレイアは自分だけじゃなく、サイクレウスに対しても同じ気持ちを抱いたんだろうな)


 おそらくリコは本人たちと何ひとつ語らぬまま、リフレイアやサイクレウスの抱いた悲しみや無念の思いを体現することがかなったのだ。それが、リフレイアに涙を流させたのだろうと思われた。


「……ね? こんな姿を、晩餐会で見せることはできないでしょう? まあ、あの劇が披露されたら、涙をこぼさずにはいられないでしょうけれど……劇を観た後ではろくに口をきくこともできないだろうから、今の内にお礼を言っておきたかったのよ」


 そう言って、リフレイアは涙で光る瞳で俺たちの姿を見回してきた。


「みんな、どうもありがとう。あの素晴らしい劇が市井でも披露される日を、心待ちにしているわ。わたしはこれからも、心正しく生きていくと誓うから……どうかいつまでも、その鋭く温かな目で見守っていてね」

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― 新着の感想 ―
[良い点] もう何度も思ったことだけど リフレイア変わったなぁ、ほんとに 今、初期の物語読んだらギャップで頭が混乱しかねないぐらいに、本当に素敵になった
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