森辺の勉強会②~再会~
2023.6/27 更新分 1/1
族長ドンダ=ルウとその伴侶たるミーア・レイ母さんの案内で、アルヴァッハとナナクエム、プラティカとニコラの4名がかまど小屋にまでやってきた。
アルヴァッハたちはすでにマントのフードを背中にはねのけて、その魁偉なる素顔をあらわにしている。アルヴァッハは燃えるような真紅の髪に青い瞳、ナナクエムは黒褐色の髪に紫色の瞳――そしてどちらも漆黒の肌をしていながら、草原の民とは趣の異なる厳つい面立ちだ。ごつごつと骨ばっていて彫りが深いのだが、目は鋭く切れあがっていて、唇が薄い。古き時代より、マヒュドラと血の縁を重ねてきた結果である。
なおかつ、ナナクエムはドンダ=ルウと大差のない背丈であるが、アルヴァッハは頭半分以上も大きい。おそらくは、2メートルを突破しているのだろう。それで厳つい顔は完全なる無表情であるのだから、大層な迫力だ。
だが――俺の胸に去来するのは、懐旧の念ばかりであった。
「い、いきなりいらっしゃるとは思っていなかったので、すっかり驚かされてしまいました。でも……お元気そうで、何よりです」
「うむ。アスタ、息災なようで、何よりである」
重々しい声音が、高い位置から降ってくる。
そして、ドンダ=ルウに負けないぐらい強く静かに輝く碧眼が、敷物に座しているジバ婆さんたちの姿を見回した。
「他の皆々、同様である。そして、サティ・レイ=ルウ、出産、無事、果たされたのであるな」
「はい。こちらはわたしの二番目の子となる、ルディ=ルウと申します。みなさんの出立した雨季の終わり頃に、こちらのルディを授かることになりました」
サティ・レイ=ルウがゆったりとした笑顔で応じると、アルヴァッハは山が揺れるように一礼した。
「無事な出産、祝福する。赤子、可愛らしさ、極致である」
「ありがとうございます。今後はどうぞ、こちらのルディもよろしくお願いいたします」
アルヴァッハたちはたびたびルウ家も訪れていたので、サティ・レイ=ルウやジバ婆さんも穏やかな面持ちだ。そうして俺がかまどの間に集結していた女衆を引き連れて表に出ると、アルヴァッハは「おお」と感情を消した感嘆の声をあげた。
「大人数、気配、察していたが……懐かしき顔、多数である。皆、息災なようで、何よりである」
「はい。ようこそジェノスにいらっしゃいました、アルヴァッハにナナクエム」
熱情をみなぎらせたレイナ=ルウを筆頭に、女衆はそれぞれ一礼する。
それらの姿をすべて見回してから、アルヴァッハはあらためて俺のもとに視線を固定させた。
「別離の時間、長かったため、話、順番、迷うところであるが……まず、ジェノス、度重なる災厄、見舞われたこと、聞き及んでいる。アスタたち、無事であったこと、心より、安堵している」
「度重なる災厄というと……邪神教団にまつわる騒乱ですね?」
「うむ。我々、ジェノス、出立して、数日後、最初の騒乱、勃発した、聞き及んでいる」
最初の騒乱――星見の能力を持ったチル=リムと、かつて聖域の民であったディアにまつわる騒乱である。あれはアルヴァッハたちが雨季の食材を満喫してジェノスを出立してから、ほんの数日後の話であったのだ。
そしてその数ヶ月後には、飛蝗の襲撃という災厄にも見舞われている。ジェノスにおけるそういった変事は、数ヶ月置きにやってくる使節団を通じて遠きゲルドにまで伝えられているのだった。
「森辺の狩人、ジャガル、遠征し、邪神教団の一派、壊滅させた、聞き及んでいる。不謹慎ならば、謝罪するが……そちら、武勇伝、胸、躍ったものである」
「はい。誰も生命に関わるような深手は負わずに済んだので、不謹慎なことはないかと思います。あんな大変な騒ぎをこうして安らかな気持ちで語らえるのが、何よりありがたいことですね」
そんな風に応じながら、俺は思わず腰のあたりをまさぐったが――そこに、目当ての品はなかった。
「ああ、今は鋼を預けてしまっていますけれども……アルヴァッハたちからいただいた災厄除けの短剣は、肌身離さず持ち歩いています。俺はそれで、襲いかかってくるムントを撃退することになったのですよ」
アルヴァッハは無表情のまま、少しだけ長身をのけぞらせた。
「ムント、腐肉喰らい、危険である。アスタ、ムント、対峙する事態、至ったのであるか?」
「はい。肩に少しだけ手傷を負うことになりましたが、ご覧の通り事なきを得ました。もちろん最後にムントを仕留めてくれたのは、別の人なのですけれど……俺が魂を返さずに済んだのは、あの短剣に施されたまじないのおかげかもしれませんね」
アルヴァッハはのけぞらせた長身を戻すとともに、深く重く息をついた。
「アスタ、負傷した、聞き及び、胸、痛んで、ならないが……しかしまた、アスタの言葉、得難い、思う。四大神、加護、感謝する、ばかりである」
「はい。そして俺は、アルヴァッハとナナクエムにも感謝を捧げさせていただきたく思います」
俺が心よりの笑顔を送ると、アルヴァッハは至極満足そうに首肯した。
「アスタ、大きな苦難、乗り越えたこと、祝福する。……そして、別の話、アスタ、トゥール=ディン、祝福、捧げたい、思う」
「はい。俺とトゥール=ディンに、祝福ですか?」
「うむ。ジャガルの王子、開催した、試食会なる、催しにて、アスタ、トゥール=ディン、優勝した、聞き及んでいる。我々、ジャガル、敵対、立場であるが……喜びの思い、変わらない。祝福、捧げたい、思っている」
そのように語る間も、アルヴァッハの表情はぴくりとも動かない。
ただその青い瞳は、いっそう強く光っている。そこから感じられるのは――どこか、誇らしげな思いであった。
「ありがとうございます。それも俺たちにとっては、ずいぶん懐かしい話ですけれど……アルヴァッハにまで祝福していただけるのは、光栄です」
「うむ。しかし、当然の結果、思っている。アスタ、トゥール=ディン、両名の力、正しく認められたこと、喜ばしい、思っている」
他の人々を差し置いてそのような言葉をかけてもらえるのは、光栄な限りである。そして、俺の胸にはアルヴァッハとようやく再会できたという喜びの思いがぐんぐん募っていくことになった。
他の面々も、おおよそは穏やかな面持ちでアルヴァッハたちと相対している。アルヴァッハも俺を筆頭とする森辺の民に興味津々であったため、城下町でのかまど仕事を申しつけたり、リリンの婚儀やザザの収穫祭に押しかけてきたりと、何かと場を騒がせがちであったが――しかし、ティカトラスに比べれば、まだしも礼節をわきまえているのだ。なおかつ、ゲルドの民というのは狩人の一族で、森辺の民とよく似た空気を有しているので、こと森辺においては疎まれることも少なかったのだった。
それに俺は、つい2日前に観た傀儡の劇のことを思い出していた。
名前や身分は語られなかったし、容姿もマントのフードで隠されていたが、アルヴァッハとナナクエムも傀儡の劇に登場していたのだ。そもそも彼らがジェノスに参じたのは、《颶風党》の不始末を詫びるためであり――その時点で、彼らの誠実な人柄は証し立てられていたのだった。
(それに、あるていど接する機会が多ければ、アルヴァッハがどれだけ愉快なお人であるかも伝わるからな)
そんな具合に俺たちが再会の喜びを噛みしめていると、この場でもっとも張り詰めた面持ちをした人物が進み出てきた。言うまでもなく、これがアルヴァッハたちと初対面になるアラウトである。
「お初にお目にかかります。僕はバナーム侯爵家の末席にして使節団団長ウェルハイドの代理人を務める、アラウトと申します。以後お見知りおきいただければ、光栄の限りです」
アルヴァッハとナナクエムはどちらも藩主の第一子息という立場であり、侯爵家よりも格式が高いようであるのだ。まあ、そうでなくても初対面であれば、アルヴァッハたちの迫力に気圧されて然りであった。
「バナームの食材、我々、買いつけている。黒きフワノ、白き酢、および白き果実酒、いずれも、素晴らしき食材である」
アルヴァッハがそのように応じると、ナナクエムがすかさず声をあげた。
「名乗り、先である。……我、ドの藩主、第一子息、ナナクエム=ド=シュヴァリーヤである」
「……我、ゲルの藩主、第一子息、アルヴァッハ=ゲル=ドルムフタンである。バナーム、ジェノス、正しき絆、育まれたこと、祝福する。そして、素晴らしき食材、ゲルド、もたらしたこと、感謝している」
「こちらもつい先年から、ゲルドの方々のもたらす食材を買いつけることがかなうようになりました。ジェノスを通じてゲルドの方々と交易を結べたこと、心より光栄に思っております」
アラウトは決して怯むまいという凛々しい表情で、一礼する。サイも存分に面を引き締めており、カルスは相変わらず目を泳がせていた。
「でも、本当にびっくりしました。城下町より先に、こちらにいらしてくださったのですか?」
俺がそのように声をあげると、アルヴァッハはタランチュラのように巨大な手の平を掲げてきた。
「事情、説明する。その前に、もう1名、紹介、必要である」
アルヴァッハの巨体の陰から、小さな人影がちょこちょこと進み出てきた。
その姿に、俺はまた驚かされてしまう。それはアルヴァッハたちと同じように旅装束を纏い、赤褐色の髪と黒い瞳をした、小さな小さなゲルドの幼子であったのである。
「こちら、ファの家のアスタである。挨拶、するがいい」
「はい。……われ、アルヴァッハ、あねのこ、ピリヴィシュロ=ゲル=ドルムフタンです。ファのいえのアスタ、おあい、こうえいです」
「……お会いできて、光栄、正しき言葉である」
「おあいできて、こうえいです」
小さな小さなゲルドの幼子は、そっと一礼する。
ゲルドの民なのでそこそこの背丈であるが、しかしリミ=ルウよりは遥かに小さい。つまり、それぐらいの幼さであるのだろう。その顔も、切れ長の目をした彫りの深い端整な顔立ちで、厳つさなどとは無縁である。ゲルドに限らず東の民の幼子などというものは初めて目にしたので、俺はすっかり驚かされてしまっていた。
「あ、姉の子ということは、アルヴァッハの甥御さんということですか。でも、どうして甥御さんまでジェノスに? 普通、幼い子供は長旅を控えるものだと聞かされていたのですが……」
「ピリヴィシュロ、かねてより、ジェノス来訪、望んでいた。しかし、長旅、危険である。家族一同、誰もが、反対していた。……しかし、ピリヴィシュロ、条件、達成して、権利、獲得した」
「条件?」
「うむ。西の地、おもむくならば、西の言葉、必須である。我の父、藩主、そのようにたしなめた。すると、ピリヴィシュロ、一年がかり、西の言葉、習得したのである」
「それじゃあ、こちらの甥御さんは一年も前からジェノスに来ることを望んでおられたわけですか。……失礼ですが、甥御さんはおいくつになられたのです?」
「ピリヴィシュロ、6歳である」
6歳――それならば、リミ=ルウよりもコタ=ルウに近いぐらいである。
「そんな幼さで西の言葉を習得するなんて、すごいですね。使節団の方々でも、西の言葉を習得していない御方は多いですもんね」
「うむ。よって、父たる藩主、油断したのであろう。ピリヴィシュロ、熱情、甘く見た、報いである」
「……アルヴァッハは、何だか嬉しそうですね」
「感情、こぼれたならば、羞恥である。だが、ピリヴィシュロ、熱情、報われたこと、喜ばしい、思っている」
アルヴァッハがそのような思いであるならば、俺としても異存はない。あらためて、俺は幼き貴人に一礼してみせた。
「ご挨拶が遅れました。俺は森辺の民、ファの家のアスタといいます。以後よろしくお願いします、ピリヴィシュロ」
幼き貴人ピリヴィシュロは、「はい」と目礼した。
その小さな顔も東の習わしに従って無表情であるが、ただ黒い頬に血の気がのぼっている。それに、黒い瞳もきらきらと輝いていた。
(なんか、オディフィアを思い出しちゃうな。この子がこれから生誕の日を迎えるとしたら、オディフィアのひとつ下ってことになるのか)
そうして俺は、ごくすみやかにアルヴァッハの甥御さんにも好感を抱くことができた。
そこで「さて」と声をあげたのは、アイ=ファである。
「せかすようで申し訳ないが、こちらに参じた理由をうかがってもいいだろうか? 私はそろそろ家に戻り、仕事の支度をしなければならないのだ」
「うむ。我々、たった今、ジェノス、到着した。そして、森辺の屋台、出向いたが……本日、休業であった。それで、悲嘆、暮れていると、プラティカ、通りかかったのである」
ずっと無言のプラティカが、恭しげに一礼する。感情のこぼれやすい彼女は主人たるアルヴァッハと再会できた喜びと緊張で、きゅっと眉をひそめていた。
「使節団、本隊、ジェノス城、向かった。しかし、我々、昼の食事、森辺の屋台、決めていたので、断念かなわず、こちら、訪れた。……仔細、以上である」
「つまり……アスタたちの料理が目的で、ジェノスの貴族への挨拶を後回しにしてしまったというわけか」
アイ=ファはこらえかねたように、苦笑をこぼした。
「貴人に対して失礼な物言いであったなら、詫びさせてもらいたく思うが……アルヴァッハは相変わらずのようで、私は微笑ましく思う」
「うむ。詫び、不要である」
アルヴァッハが堂々たる態度でそのように応じると、ナナクエムが深々と溜息をついた。
「我、掣肘したが、無駄であった。迷惑、重々、承知しているが……料理、所望、許されるだろうか? 時間、過ぎるごと、ジェノス城、挨拶、遅れて、非礼、つのるばかりである」
「そうですか。もちろん、俺はかまいませんけれど……でも、ルウの集落で俺が勝手にお引き受けすることはできないのですよね」
俺の返答に、ドンダ=ルウがじろりとにらみつけてくる。
「このような状況で、俺が断るとでも思うのか? いいからさっさと、準備してやるがいい。マルスタインが待ちくたびれない内に、こやつらをジェノス城に送り出してやるべきだろうよ」
「承知しました。それでは、少々お待ちくださいね」
かまど番の一団は、もといた場所へと舞い戻る。その中で誰よりも早く発言したのは、やはりレイナ=ルウであった。
「アスタ。先刻の料理も、まだ多少ばかり残されています。新たな料理が完成するまで、こちらを食していただいてはいかがでしょうか?」
「ああ、そうだね。俺たちのほうも、『麻婆まん』は残ってたっけ?」
「はい。半個分だけ、余っています」
半個分では腹の足しにもならなかろうが、アルヴァッハの感想は気になるところである。俺はその『麻婆まん』をさらに半分に切り分けて、他の料理や菓子とともに供することにした。レイナ=ルウの『腸詰肉のポイタン巻き』とトゥール=ディンの『ガトー・アール』は、かろうじて3名ぶん確保できたようだ。
「あの、こちらは最近になって考案した試作品です。俺が仕上げた分は2食分しか余っていないのですが、よろしかったら味見をどうぞ」
俺が木皿を差し出すと、アルヴァッハは鋭く目をすがめた。
「得難き申し出、感謝する。……ナナクエム、相談、あるのだが」
「相談、無用である。両名、食するがいい」
「ナナクエム、温情、感謝する。……ピリヴィシュロ」
「ナナクエム、おんじょう、かんしゃします」
そんな短いやりとりを経て、4分の1サイズの『麻婆まん』はゲルの両名が口にすることになった。
そうして『麻婆まん』を小さな口に運ぶなり、ピリヴィシュロはぱあっと顔を輝かせる。それから慌てて喜びの表情を引っ込めようとするさまが、なんとも可愛らしかった。
「び、びみです。きわめて、びみです」
「ありがとうございます。お気に召したのなら、幸いです」
すると、アルヴァッハもずいっと俺のほうに進み出てきた。
「ジェノス、来訪して、最初の食事、アスタの料理、決めていた。その願い、かなって、感無量である。アスタ、重ねて、感謝の言葉、捧げたい、思う」
「いえ、とんでもありません。アルヴァッハのお口にも合いましたか?」
「うむ。しかし、この喜び、西の言葉、伝える、困難である。通訳、必要である。……フェルメス、ジェノス、滞在中であろうか?」
「はい。フェルメスも外交官としての任期が延長されて、今もジェノスに滞在しておられますよ」
「僥倖である。この思い、いずれ伝える、約束する」
1年近くが経過しても、やはりアルヴァッハはアルヴァッハである。俺はアイ=ファと同じように、微笑ましい心地であった。
「では、私はひとまず戻らせてもらうぞ。アルヴァッハたちも、しばらくジェノスに滞在するのであろう?」
アイ=ファの言葉に、ナナクエムのほうが「うむ」と応じた。アルヴァッハとピリヴィシュロは、すでに『腸詰肉のポイタン巻き』の味見に取りかかっていたのだ。
「短くとも、ひと月、及ぶであろう。おそらく、アルヴァッハ、世話、かけるかと思うが……容赦、願いたい」
「うむ。それは、覚悟の上だ。……いや、覚悟などと言っては、礼を失するか。ともあれ、私はナナクエムたちの来訪を歓迎しているので、詫びには及ばぬぞ」
ティカトラスはもちろんダカルマス殿下に比べても、アルヴァッハはまだつつましいほうであるのだ。それでアイ=ファも、ずいぶん穏やかな眼差しでそのように語っているわけであった。
「では、ひとまず失礼する。……客人ピリヴィシュロにとっても楽しき滞在になることを祈っているぞ」
アイ=ファがそんな言葉を投げかけると、ピリヴィシュロはまた黒い頬を赤くしながら一礼した。
そちらに目礼を返し、俺やジバ婆さんやリミ=ルウにも視線で挨拶を述べてから、アイ=ファは颯爽と立ち去っていく。その姿が建物の陰に隠れると、ピリヴィシュロはほうっと小さく息をついた。
「ファのかちょうアイ=ファ、すてきです。……あ、すてき、もりべのならわし、そむきますか?」
ピリヴィシュロが慌てて視線を巡らせると、ジバ婆さんが優しい笑顔でそれを受け止めた。
「素敵という言葉が容姿を褒めそやすことにはなるかどうかは、難しいところだし……そもそも森辺でもそんな習わしを持ち出すのは、男女の別が分けられる10歳になってからなんだよ……だから、何も気にする必要はないさ……」
「ありがとうございます。もりべのならわし、そむかないように、いご、ちゅういします」
幼子であるために、ピリヴィシュロの言葉はいっそうたどたどしい。
しかし、6歳の幼さで異国の言葉をあやつるなど、驚きに値する話である。それだけの熱情でジェノスへの来訪を願ってくれたのなら、光栄なばかりであった。
(きっとアイ=ファもそういう思いで、あんな言葉をかけてあげたんだろうな)
俺はいっそう温かい気持ちを抱きつつ、かまどの間へと引き返す。
すると再び、レイナ=ルウが熱っぽく語りかけてきた。
「アスタ。せっかくですので、次に準備するつもりであった試食の品をアルヴァッハたちに供しては如何でしょうか?」
「え? 試食の品を、昼の食事にしてもらうのかい? それじゃあちょっと、内容が偏っちゃうんじゃないかな?」
「簡単な汁物料理でも添えれば、不備はないように思います。そもそもわたしたちは、屋台で出す昼の軽食の献立を考案していたのですから」
レイナ=ルウは、どうしようもなく発奮してしまっているようである。
俺は「うーん」と首をひねりながら、頭の中で計算した。次の献立に備えて、俺たちはシャスカを炊いているさなかであったのだ。それで3名分の食事がまかなえるかどうかは、考えどころであった。
「そうだねえ。俺たちの味見を後回しにすれば、量的に問題はないのかな?」
「はい。きっと多少のゆとりが出るぐらいでしょう。その分は、カルスたちに食べていただければと思います」
鋭敏なる舌を持つアルヴァッハとカルスに、新しい献立の味見をしてもらいたい――レイナ=ルウは、そんな思いで熱情をたぎらせているわけである。
俺はその熱情を受け止めるべく、「わかったよ」と笑顔を返してみせた。
「それじゃあ、そういうことにしようか。マルフィラ=ナハム、シャスカのほうはどうだろう?」
「は、は、はい。も、もう間もなく炊きあがるかと思います」
「それじゃあ、作業を開始しよう。みんな、段取りの通りによろしくね」
そうして俺たちは、また3組に分かれて調理に励むことになった。
その間に、ドンダ=ルウやルド=ルウも森に入る刻限となったようである。
「では、後の世話は伴侶ミーア・レイに任せることにする。こちらも礼を失さぬように心がけるので、客人らにも配慮を願いたい」
「承知した。突然の来訪、容赦、もらい、感謝している。また、ルウの狩人、無事な帰還、祈っている」
たがいに重々しい声音で交わされるそんなやりとりが、かまどの間にも聞こえてきた。
さらに、ミーア・レイ母さんやアラウトの口から、森辺やジェノスの近況が伝えられる。その中心となったのは、やはりティカトラスの存在であった。
「では、現在も、西の王都の貴族、森辺、滞在中であると? ……そちら、驚くべき話である」
「はい。とにかくティカトラス殿というのは、貴族の常識にとらわれない御方であられるようなのです。ゲルドの方々にも失礼が及ばないように、ジェノス侯らも尽力してくださるはずですが……そもそもティカトラス殿は侯爵家よりも格式の高いお立場であられるため、ジェノス侯としても難しい立場であられるのです。どうかその一点だけは、お心に留めていただければと思います」
「なるほど。忠告、感謝である。また、貴殿、誠実さ、敬意、表したく思う」
「いえ、とんでもありません。僕にとってもゲルドの方々は大切な客人であられるので、心安らかにお過ごしになれるよう微力を尽くす所存です」
言うまでもなく、アラウトは誠実さの塊である。そしてアルヴァッハたちも森辺の民に通ずる清廉さを持ち合わせているので、俺は何の心配もなく彼らのやりとりを拝聴することができた。
「時に、南の王都の使節団、到着、未然であろうか?」
「はい。先ぶれの使者も到着していませんので、まだ数日はかかるかと思われます。ただ、そちらもジャガルの第六王子たるダカルマス殿下が参ずる予定になっておりますので……ゲルドの方々と同じ時期にお迎えするというのは、僕としても身の引き締まる思いです」
「東と南、西の地において、諍い、起こさない、絶対の約定である。おたがい、節度、忘れなければ、心配、無用である、信じている」
「はい。僕も決して、みなさんの節度を疑っているわけではないのですが……」
「心配、無用である。諍い、起こせば、ジェノスとの通商、破綻の危険、生ずるのである。南の王子、我々、同じぐらい、ジェノスとの通商、重んじていれば、身、つつしむ、必然である」
「うむ。また、我々、使節団団長ロブロス、面識、得ている。ロブロス、敵対国、人間ながら、信用、置ける相手である」
と、時にはナナクエムも加わって、交流の輪が紡がれた。
その間に、こちらは順調に調理が進められていく。それを見守っているのは、レイナ=ルウに負けない気迫をみなぎらせたプラティカとニコラだ。
「……こちら、城下町の屋台、販売する、候補なのですね? 期待、膨らみます」
「はい。俺としてもそれなりの意欲作ですので、プラティカたちにも意見をいただけたらありがたく思います」
そんな風に答えてから、俺はプラティカに笑いかけてみせた。
「それにしても、突然の来訪でびっくりしましたね。プラティカの場合は、喜びのほうがまさるのでしょうけれども」
「はい。ですが……修練の成果、お見せする、緊張、極致です。アルヴァッハ様、失望させたならば……私、さまざまな方々、顔向け、できません」
「プラティカに限って、そんな心配はいらないでしょう。どうか胸を張って、この滞在期間の成果をお見せください。きっとアルヴァッハは、感情がこぼれないようにこらえるのが大変になりますよ」
「……アスタ、しばらく、私の料理、食していません。よって、その発言、説得力、皆無です」
「そうですか? でも俺は、プラティカがどれだけ頑張ってきたかを見届けてきたつもりですからね。プラティカなら、きっと大丈夫です」
俺の返答に、プラティカは口もとをごにょごにょさせつつ身をよじった。
「アスタ、その笑顔、卑怯です。アイ=ファであれば、頭、小突いていた、思います」
「あはは。プラティカの気持ちをやわらげたいという一心ですので、どうかご容赦ください」
そんな具合に、俺はとても安らかな心地で調理を進めることになったわけであった。




