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異世界料理道  作者: EDA
第七十九章 華燭と奉迎
1362/1695

ナハムとベイムの婚儀④~祝福~

2023.6/8 更新分 1/1

 リリ=ラヴィッツとの語らいを終えたのち、俺たちは隣の簡易かまどを目指した。

 そちらで待ち受けていたのは、メルフリードとゲオル=ザザとスフィラ=ザザ、それにトゥール=ディンとゼイ=ディンという豪勢な顔ぶれである。城下町の客人に対しては、日中と異なる組み合わせになるようにローテーションされているようであった。


「どうもお疲れ様です。この時間も、ポルアースとは別行動なのですね」


「うむ。フェルメス殿はまだしも、ティカトラス殿から完全に目を離す気持ちにはなれなかったのでな。ポルアースには、ずいぶんな苦労をかけさせてしまうが……わたしのような不調法者よりは、よほど適切にティカトラス殿のご面倒を見ることができよう」


 灰色の瞳を静かに光らせながら、メルフリードはそのように言いつのった。

 闘技会におけるレム=ドムとの勝負で負った傷も癒えたようで、顔の包帯は外されている。相変わらず、厳格さを凝り固めたかのような無表情だ。


 しかしそれでも日中に挨拶をした際よりも和んだ眼差しであるように思えるのは、トゥール=ディンたちも行動をともにしているためであるのだろう。メルフリードの一家とディンの父娘は、去年の雨季あたりからぐっと親密になっていたのだった。


「今日はオディフィアをお連れすることができなくて、残念でしたね。まあ、今日はトゥール=ディンも宴料理には関わっておりませんけれど」


「うむ。それでオディフィアも、普段ほどは無念の思いを抱えずに済んだやもしれんな」


 メルフリードのそんな返答に、トゥール=ディンは嬉しさと気恥ずかしさの入り混じった微笑みをたたえる。トゥール=ディンにしてみても、オディフィアとは5日前に祝賀会をともにしたばかりであったので、無念の思いはつのっていない様子であった。


「まあ何にせよ、城下町の祝宴を終えるなり森辺の祝宴だ。俺などはどちらも客人の身だが、早々に返礼できたような気分だぞ」


 と、ゲオル=ザザも陽気に口をはさんでくる。彼もまたディンの父子と親密にしていたので、間接的にメルフリードの一家とも親睦が深まったようであるのだ。城下町の祝宴などでは、メルフリード一家とレイリスの間を行き来しているような印象であった。


「ともあれ、宴料理を楽しむがいい。こちらの料理も、なかなかの出来栄えであったぞ。やはりあのナハムの三姉というのは、たいそうなかまど番であるようだな」


「そうですか。そのように言われると、俺まで誇らしい気持ちです」


 そちらの簡易かまどで配られていたのは、煮込み料理である。ミソと香草の香りが複雑に層をなしているのが、なかなかに印象的であった。

 然るに、その味わいは――先刻の汁物料理よりも、遥かに複雑である。ミソと各種の香草に、あとはおそらく花蜜も使っているのだろう。甘くて辛くて酸っぱくて香ばしい、城下町の料理を思わせる複雑さでありながら、食べにくいことはまったくない。これこそ、マルフィラ=ナハムらしい手腕であると言えた。


「うわー、こういう料理はマルフィラ=ナハムならではだよね! 城下町で出されてたら、あっちの料理人がこしらえたんじゃないかって思っちゃいそうだもん!」


 ユーミが感服しきった様子で声をあげると、メルフリードが月光めいた視線を向けた。


「《西風亭》のユーミよ。これは日中にダリ=サウティから聞き及んだ話であるのだが……そちらはティカトラス殿の目をはばかって、婚儀を延期することになったのであろうか?」


「あー、はいはい。その通りでございますよ」


 相手が領主の息子ということで、ユーミはいくぶんかしこまった調子で言葉を返す。すると、メルフリードが眼光の鋭さを増幅させた。


「そちらがティカトラス殿の参席を望まないのであれば、こちらが責任をもって掣肘する心づもりであったが……そちらは悶着を避けるために、自ら身を引くことになってしまったのであろう。我が身の不甲斐なさを恥じ入るばかりである」


「いやいや、未来の領主様にそんな風に言われたら、こっちも挨拶に困っちゃうなー」


「其方が恐縮するいわれはない。民の信頼を得られないのは、こちらの不徳のなすものであろうからな」


 ユーミは胸もとの飾り物をいじくりながら、うろんげに眉をひそめた。


「えーと……そっちを頼らずに勝手な真似をしたから、気分を害しちゃったって話? だったら、頭でも下げてみせようか」


「否。婚儀を先延ばしにするという無念の思いを抱かせてしまい、心より申し訳なく思っている。今後は民からの信頼を得られるように、力を尽くす所存である」


「いやいや! こっちが勝手にやったことなんだから、そんな大げさな話にしないでよ! もー、なんであたしがこんな矢面に立たないといけないのさ?」


 すると、スフィラ=ザザが静かな面持ちで発言した。


「ユーミはずいぶん、言葉を選んでいるご様子ですね。やはりメルフリードが相手では、率直に語ることも難しいのでしょうか?」


「そりゃーそーでしょ! 森辺の人らが頑張って築いてきたものを台無しにしちゃったら、どんなに詫びても詫びきれないんだからさ!」


「なるほど。やはり森辺と宿場町では、貴族に対する心持ちというものがまったく異なっているのでしょうね。ですが今のメルフリードは個人としてユーミに詫びようとしているのでしょから、言葉を飾る必要はないように思います」


「……そーなの?」とユーミが疑わしげな視線を送ると、メルフリードは鉄仮面のごとき面持ちで「うむ」と首肯した。


「婚儀の祝宴というめでたき席で、公人としての立場を振りかざすつもりはない。もちろんわたしは見届け人として参上したのだから、公人としての立場を忘れるわけにもいかないのだが……何にせよ、そちらが言葉を飾る必要はあるまい」


「あっそう。それじゃあさっきも言った通り、気にしないでよ。あたしらはあたしらの判断で、婚儀を先延ばしにしただけなんだからさ」


 そんな風に言ってから、ユーミは彼女らしい陽気な笑みをたたえた。


「あたしらの婚儀は、きっと雨季の後になると思うよ。そのときも、そっちをお招きすることになるのかな?」


「うむ。森辺の民と宿場町の民が初めて挙げる婚儀とあらば、わたしも調停官として見届ける責務が生じよう」


「それじゃあ、そのときをお楽しみにね。長々と待たせた分、きっと盛大な祝宴になるだろうさ」


 ユーミの気安い物言いに、メルフリードはすっと目を細めた。

 しかし気分を害した様子はなく、むしろ笑顔に近づいた印象である。それは、その後に続く言葉も同様であった。


「森辺の民と正しき関係性を築くことに尽力してきた我々としても、宿場町の民が森辺に嫁入りするという話はきわめてめでたく思っている。どうか滞りなく婚儀を挙げて、健やかな行く末を手にしてもらいたい」


「うん、ありがとう」と照れ臭そうに笑ってから、ユーミはかたわらのジョウ=ランをにらみつけた。


「それであんたは、いつまであたしを矢面に立たせるつもりさ? まったく、頼り甲斐のないことだね!」


「え? メルフリードはユーミと語らいたいようであったので、俺は大人しくしていたのですが……婚儀の話ではあまり余計な口を叩くなと、普段から言いつけられていますし……」


「ああもう、わかったよ! つくづく機転のきかないやつだね!」


 ユーミは荒っぽい物言いであったが、決して本心からジョウ=ランを責めている様子はなかった。ジョウ=ランを見るその瞳には、むしろ普段以上の明るさが宿されているようである。もしかしたら日中のやりとりで、ユーミたちはさらに絆を深めることができたのかもしれなかった。


(まあきっと、ジョウ=ランはサムスやシルのためにあれこれ思いのたけを語ることになったんだろうしな。ジョウ=ランも、やるときはやるじゃないか)


 そんな思いを抱きながら、俺はメルフリードたちに別れを告げることになった。

 そうして次なる宴料理を目指すと、そちらは大層な人だかりである。ずっと芳しい香りを撒き散らしていたギバの丸焼きが、ちょうど仕上がったタイミングであったのだ。


「あっ、アスタ! よければアスタたちも、食べていってください!」


 そちらで切り分けの役を担っていた女衆のひとり、ナハムの末妹が満面の笑みで呼びかけてくる。マルフィラ=ナハムやモラ=ナハムの妹で、きわめて明朗な気性をした可愛らしい娘さんである。


「やあ。血族の挨拶は終わったんだね。それじゃあ、俺たちも挨拶に行かないとな」


「その前に、こちらをどうぞ! きっと半刻も待たずに食べ尽くされてしまいますので!」


 ギバの枝肉がふたつも同時に焼かれていたので、分量はちょうどギバ1頭分だ。しかしこの勢いでは、確かにすぐさま食べ尽くされてしまいそうなところであった。

 ということで、まずは俺たちもそちらの行列に並ばせていただく。ギバの丸焼きはタレを塗った状態で焼かれていたらしく、その芳香にはあらがいがたい吸引力があったのだ。


 そうして、いざそちらの出来栄えを確かめてみると――期待以上の仕上がりであった。タレはタウ油ベースのシンプルな出来栄えであったが、ほのかに感じられる香草の風味が炙り焼きにされたギバ肉の美味しさをこれ以上もなく引き立てていたのだ。


「ふむ。ギバの丸焼きというものは、特別な味付けがなくとも十分に美味だと思えるが……しかし、この味付けは格別であるようだな」


 アイ=ファをして、そのように言わしめていた。

 ユーミもまた、びっくりまなこになってしまっている。


「ほんとにこれは、美味しいね! そんなに香草がきついわけじゃないのに、すごく風味がいいみたい!」


「うん。マルフィラ=ナハムは複雑な味付けを得意にしてるけど、一番に考えているのは森辺の同胞のことだからね。そういう思いが結実してるんじゃないかな」


 こんな話を持ち帰ったら、ますますレイナ=ルウが歯噛みしてしまいそうなところである。ここ最近はマルフィラ=ナハムの手腕を味わう機会も減っていたので、その間にずいぶんな成長を遂げていたようであった。


(これはまた、アルヴァッハやダカルマス殿下たちを夢中にさせちゃいそうだな。俺としては、心強い限りだ)


 そうして腹と心を満たした俺は、あらためて新郎新婦のもとを目指すことに相成った。

 同じことを考えた客人たちが、広場の中央に寄り集まっている。ラヴィッツの家人はモラ=ナハムに、屋台の関係者はフェイ・ベイム=ナハムに、それぞれひとかたならぬ思いを抱いているはずであるのだ。その熱気と賑わいが、また俺の心を温かくしてくれた。


「ああ、アスタ。ようやくフェイ・ベイム=ナハムにご挨拶をできますね」


 その賑わいの中から、ダゴラの女衆が微笑みかけてくる。フェイ・ベイム=ナハムの血族である上に屋台でも仕事をともにしている彼女は、にこやかに笑いながらも目もとを赤く泣きはらしていた。


 こちらの女衆は、フェイ・ベイム=ナハムよりも先んじて屋台の商売を手伝っていた身となる。ダゴラはベイムの眷族であるので、まずは先行隊として派遣されたのだろう。そうしてフェイ・ベイム=ナハムが満を持して働き始めた初日、気を張るあまりにヤミル=レイと口論になって涙をこぼしてしまったとき、こちらの彼女が懸命にフォローしていた姿がとても印象的であった。


(血族の近しい人たちだったら、フェイ・ベイム=ナハムの内面もしっかりわきまえてるんだろうな)


 そんな風に考えると、俺もいっそう胸が熱くなってくる。

 涙こそこぼれなかったが、俺は存分に情動を揺さぶられていた。それぐらい、フェイ・ベイム=ナハムというのは俺にとっても慕わしい存在であったのだ。


 そうして順番を待っていると、ようやく新郎新婦のもとまで到着することができた。

 台座に座した両名の間に、5歳の幼子もちょこんと座している。昨年の俺たちが招待された収穫祭ではまだ5歳に至っておらず、ずっと家の中で過ごしていた幼子だ。外見上は父親に似たところもなく、丸々と育った可愛らしい幼子であった。


「モラ=ナハム、フェイ・ベイム=ナハム、あらためておめでとうございます。おふたりの幸福な行く末を願っています」


 俺がそのように伝えると、フェイ・ベイム=ナハムは「ありがとうございます」とゆったり微笑んだ。

 普段の堅苦しさは見る影もなく、とても表情がやわらかい。それだけで、俺は胸が詰まってしまいそうであった。


 いっぽうモラ=ナハムは背筋をのばして座したまま、角張った顔にはらはらと涙を流し続けている。まさか、誓約を交わしてからずっと涙をこぼし続けているのであろうか。だとしたら、脱水症状が心配になるところであった。


「今日は……ファの両名を招くことができて、心から得難く思っている」


 と、モラ=ナハムは重々しい声音でそのように告げてきた。

 涙は流し続けているものの、そのモアイ像めいた顔はあくまで無表情だ。そのくぐもった声にも、感情の機微は感じられなかった。


「アスタはともかく、私などは両名と絆を深める機会も多くはなかった。しかし、そのように言ってもらえることをありがたく思う」


 アイ=ファが穏やかな面持ちでそのように応じると、モラ=ナハムは「否……」とさらに言いつのった。


「確かに我々は、さほど顔をあわせる機会もなかったが……しかし、俺にとって運命の分かれ道であった日に、ファの両名はことごとく立ちあっている……だから俺は、この日の姿も見届けてもらいたく願っていたのだ」


 俺たちは城下町の祝賀会で、モラ=ナハムが嫁取りを願う姿を見届けている。そしてそれ以前にも、彼がフェイ・ベイム=ナハムに恋心を告げる場面に立ちあっていたのだった。


 その当時、おそらくモラ=ナハムは厳しい目で俺たちの行いを見守っていた。その頃にはすでに家長会議でファの家の行いは正しいと認められていたものの、そうすると今度は自分たちで選んだその道が本当に正しかったのかどうかと、いっそう気を張っている様子であったのだった。


 そんな折、モラ=ナハムは俺がマルフィラ=ナハムに恋情を抱いているのではないかと誤解した。俺があまりに彼女を引き立てるものだから、何か下心があるのではないかと疑うことになってしまったのだ。そうして彼は、マルフィラ=ナハムにまつわる軽はずみな言葉を口にしてしまい――それでフェイ・ベイム=ナハムにこっぴどく叱責されることになったのだった。


 それを謝罪する場で、彼はフェイ・ベイム=ナハムに恋情を打ち明けた。

 そのさまを見届けたのは、俺とアイ=ファとマルフィラ=ナハムのみである。それから1年と3ヶ月を経て、彼は今日という日の幸せをつかみとることになったわけであった。


「確かに俺たちは、それほど交流を深める機会がありませんでしたよね。でも、モラ=ナハムが復活祭で宿場町を検分しているお姿だとか、慣れない城下町の祝宴に参ずることになったお姿だとか……忘れられない思い出も、たくさんあります。だから、この婚儀に招いてもらえたことをとても嬉しく思っています」


 そのように語りながら、俺はモラ=ナハムとフェイ・ベイム=ナハムに笑いかけてみせた。


「俺はフェイ・ベイム=ナハムの血族でも何でもありませんが、2年以上も仕事をともにしてきた間柄です。そんなフェイ・ベイム=ナハムがモラ=ナハムという素晴らしい伴侶を授かることができて、本当によかったです。……君も、新しいお母さんを大切にね」


 最後の言葉は、もちろん幼子に向けたものだ。

 幼子はきらきらと瞳を輝かせながら、「うん」とうなずく。そしてモラ=ナハムは無表情のまま、ただ涙の量だけを増大させた。


「ありがとうございます、アスタ。わたしが子を授かるまでは、どうか屋台の商売も引き続きよろしくお願いいたします」


 フェイ・ベイム=ナハムは、あくまで柔和な面持ちである。

 そちらに向かって、俺はもういっぺん「はい」と笑いかけてみせた。


「これからも、フェイ・ベイム=ナハムの力を頼らせていただきます。どうか、お幸せに」


 そうして俺は、後ろに並んだ人々に場所を譲ることになった。

 人垣から脱出すると、アイ=ファが青い瞳でじっと見つめてくる。そちらに向かって、俺は「どうしたんだ?」と笑ってみせた。


「また涙の確認か? ご覧の通り、ぎりぎり目の奥に留められてるよ」


「うむ……どうもこのたびは、いくぶん心持ちが異なっているようだな」


「心持ち?」


「うむ。お前はどこか、妹や娘の嫁入りを見守る家族のごとき心持ちを抱いているように見えるぞ」


 それはなかなか、意想外の見解であった。

 しかしまあ、決して悪い気分ではない。確かに俺は、シーラ=ルウやヴィナ・ルウ=リリンの婚儀の際とはずいぶん異なる心持ちであったのだ。


「フェイ・ベイム=ナハムは年長だけど、長らくファの屋台で働いてもらってたからな。それでちょっと、見守るべき存在っていう意識が芽生えちゃったのかな」


「うむ。ユン=スドラやレイ=マトゥアなどが嫁入りする際も、お前はそのような眼差しになるのやもしれんな。……きっとフェイ・ベイム=ナハムは、またとなく幸福な心地であろう」


 そのように語るアイ=ファこそ、俺の心臓を騒がせるぐらい優しげな眼差しになっていた。

 しかも宴衣装の姿であるものだから、魅力の度合いも倍増だ。フェイ・ベイム=ナハムたちに対する祝福の思いにひたっていた俺は、不意打ちで胸を貫かれたような心地であった。


「あー、いたいた! こんな人混みだと、うっかりはぐれちゃいそうだね!」


 と、挨拶を終えたユーミとジョウ=ランがこちらに駆け寄ってくる。

 それと同時に、別なる一団もこちらに近づいてきた。


「やあやあ、アイ=ファ! ようやく再会できたね! うんうん、やっぱり炎の明かりで見る君の美しさも、格別だ!」


 その台詞だけで、説明の必要はないだろう。ルウとレイのカルテットに左右をはさまれた、ティカトラスの一行である。どの女衆よりも派手な身なりをしたティカトラスは、両手に果実酒の土瓶を掲げながら満面の笑みであった。


「おお、そちらは《西風亭》のユーミだね! そういえば、君も招かれていたんだっけ! いやあ、君もなかなかの美しさだ! その優美にして豊満なる肢体などは、森辺の女人にも負けていないね!」


「うーん。あたしはまだ森辺の民じゃないけど、軽々しく見てくれを褒めそやすのを禁じたくなってくるなー」


 ユーミもティカトラスに対しては、遠慮がない。何せ相手は宿場町を徘徊して、安宿の滞在客と酒を酌み交わすようなお人であるのだ。そんなさまを見せつけられれば、貴族として敬服する気持ちも吹き飛んでしまうのだろうと思われた。


「いやいや、わたしは本心で語っているのだよ! この場には美の究極たるアイ=ファまで居揃っているというのに、見劣りしないというのは大した話だ! しかも君は森辺の集落という特殊な環境で育ったわけでもなく、市井の民に過ぎないのだからね! それでも君はそれほどの輝きをそなえているからこそ、森辺の民に見初められることになったのだろう!」


「ああもう、うるさいな! せいぜいそっちも、祝宴を楽しみな!」


 そうしてユーミが身をひるがえそうとすると、ティカトラスは「いやいや!」と声を張り上げた。


「まだまだ君やアイ=ファの美しさを堪能しきれていないよ! せっかくだから、ともに祝宴を楽しもうじゃないか!」


「えー? こんな大人数じゃ、身動きが取れないっしょ」


「そうだね! では、ルウとレイの面々は、またのちほどということで!」


 その言葉に、ラウ=レイが「ふむ?」と小首を傾げた。


「俺はまったくかまわんが、もうヤミルの美しさに見飽きたというわけか? だとしたら、いささか腹立たしいところだな」


「ヤミル=レイに見飽きるなんて、ありえるわけないじゃないか! でも、アイ=ファとヤミル=レイが居揃っていると、目移りしてしかたないからさ! そちらとは、またのちのち合流させていただきたく思うよ!」


「そうか。まあ確かに、ヤミルとアイ=ファの美しさは格別だからな。お前の言い分もわからなくはないぞ」


 ラウ=レイはあっさり納得していたが、ジザ=ルウは糸のような目でティカトラスの笑顔を見据えていた。


「しかし本日は、いちおう族長筋の人間が案内役を担う手はずになっていた。それはあくまで、こちらが定めた取り決めに過ぎないが……俺としては、責務を全うしたく思っている」


「であれば、ポルアース殿の案内を続ければいいじゃないか! 君たちだって、いつまでもわたしを追い回していたら、祝宴を楽しむどころの話じゃないだろう?」


 世にも無邪気な笑みをたたえながら、ティカトラスはそのように主張した。


「ジェノス侯も森辺の族長らも、わたしがめでたい席で何か騒ぎを起こすのじゃないかと案じているのだろうけどさ! お目付け役なんて、アイ=ファたちがいれば十分じゃないか! きっとアイ=ファはジザ=ルウに負けないぐらい厳格な人柄なのだろうしね!」


 ジザ=ルウは無言のまま、アイ=ファのほうに向きなおった。

 アイ=ファはそれこそ厳格そのものの面持ちで、「うむ」と首肯する。


「私もアスタも、ティカトラスとは正しき絆を結べるように力を尽くすべき立場であろうからな。しばし行動をともにすることに異議はない」


「おお! さすがアイ=ファは、内面までもが美しいね! だからわたしは、君に魅了されてならないのだよ!」


「……絆が深まり、そういった物言いが少しでも減ずることを願っている」


 感情を殺したアイ=ファの言葉に、ジザ=ルウの「そうか」という言葉が重ねられる。


「もとより我々は、ティカトラスの行動を縛る立場ではない。ポルアースは、如何であろうか?」


「そうだねぇ。それじゃあ、半刻ばかりはファの方々におまかせすることにしようか」


 というわけで、せっかく相まみえたポルアースたちとは、すぐさま別行動である。しかし俺もアイ=ファと同じ心境であったし、ポルアースたちにもしっかり祝宴を楽しんでほしいという思いがあった。


「……すでに誓約の儀は果たされているからな。ティカトラスがどのように騒ごうとも、もはや神聖なる儀式を邪魔される恐れはない。それでジザ=ルウたちも、身を引くことにしたのであろう」


 と、アイ=ファがこっそり耳打ちしてくる。

 であれば俺も憂いなく、ティカトラスのお相手を務める所存であった。


「それじゃあとりあえず、宴料理で胃袋を満たそうか! 果実酒も空になってしまったところだしね!」


 空の土瓶を振り上げながら、ティカトラスは意気揚々と進軍する。俺たちもそれに追従すると、今度はユーミがジョウ=ランに耳打ちする声がかすかに聞こえてきた。


「あんたはあんまり、あの素っ頓狂なお人を苦手にしてないみたいだね。あいつがあたしをからかっても、腹を立てる素振りもないじゃん」


「からかう? ティカトラスは、ユーミの美しさを賞賛していただけでしょう? 俺はむしろ、誇らしい気持ちです」


「……あっそう。普通、婚儀の相手に色目を使われた男は、眉を吊り上げるもんだと思うけどね」


「色目ですか。うーん。確かに食堂のお客なんかがユーミに向ける目などには、時おり嫌な気持ちをかきたてられてしまうのですが……ティカトラスには、そういう嫌なものを感じません。きっとティカトラスがそういう思いを抱いた際には、側妻というものに迎えようとするのでしょうからね。ティカトラスはただ純粋に、ユーミの美しさに感服しているのだと思われます」


「あ、あんたまで妙なことを言うんじゃないよ」


 ユーミは顔を赤くして、ジョウ=ランを叩くふりをした。

 するとこちらでは、再びアイ=ファが俺の耳もとに唇を寄せてくる。


「であれば私も、狭量のそしりは受けずに済みそうだな。あやつは明らかに、私に色目というものを使っていよう」


「うん。アイ=ファがしっかりしてなかったら、俺も眉を吊り上げていたところだよ」


 アイ=ファもまた顔を赤くして、叩くふりではなく俺の頭を叩いてきた。その優しい力加減に、幸福を感じてしまう俺である。


 そんなこんなで、手近な簡易かまどに到着した。

 そちらで待ち受けるは、本日の取り仕切り役たるマルフィラ=ナハムだ。ティカトラスの登場に、マルフィラ=ナハムは盛大に目を泳がせた。


「よ、よ、ようこそ。よ、よろしければ、こちらの料理もお召し上がりください」


「うん! 最初からそのつもりだよ! あと、果実酒もお願いできるかな? いやあ、果実酒を割らずに飲む機会なんてそうそうないから、新鮮でならないね!」


「か、か、果実酒でしたら、こちらに……あ、アスタたちもいらしたのですね」


 と、マルフィラ=ナハムは心の底からありがたそうに、ふにゃふにゃと微笑んだ。そのさまに、ティカトラスは「ふむ!」と声を張りあげる。


「やっぱりマルフィラ=ナハムの笑顔というのは、魅力的だね! わたしも早くそのような笑顔を向けられてみたいものだよ!」


「あ、い、いえ、その……か、果実酒を、どうぞ」


 マルフィラ=ナハムはたちまち目を泳がせて、土瓶の詰め込まれた木箱を指し示す。すると、ヴィケッツォが無言で土瓶の一本を抜き取り、香りを嗅いで、舌先でわずかに味わってから、それをティカトラスに差し出した。


「……お前は毒見という役目を負っているのであろうか?」


 アイ=ファがしかつめらしく問い質すと、ヴィケッツォはそれ以上に厳しい面持ちで「ええ」と応じた。


「あなたがたは果実酒の質を確認していないという話でしたので、そのように取り計らうことになりました。もしも果実酒が傷んでいたならば、病魔を招く恐れがありますので」


「うんうん! もちろん料理では、毒見なんてさせないよ! 食事の大切さを知っている森辺の民が、傷んだ食材など使うわけがないからね! それじゃあ、宴料理をいただこうか!」


「は、は、はい。こ、こちらは煮込みの料理となります」


 マルフィラ=ナハムはぺこぺこと頭を下げながら、人数分の料理を取り分けてくれた。

 つやつやと照り輝く、赤褐色の煮込み料理である。ギバ肉やシィマやチャッチなどが、かなり大きめに切り分けられている。見た目は、豪快な仕上がりであった。


 だが――お味のほうは、豪快どころの騒ぎではない。真っ先にそれを口にしたティカトラスは、「おお!」と感嘆の雄叫びをほとばしらせることになった。


「これは、素晴らしい味わいだね! ヴァルカスの料理のように入り組んだ味わいでありながら、森辺の料理らしい力強さも備わっている! いったいどうしたらこのような味わいを生み出せるのか、わたしには想像もつかないよ!」


「きょ、きょ、恐縮です。あ、あれこれ食材を使っているので、ご説明は難しいのですが……」


「でも、これは本当に美味しいよ。これもマルフィラ=ナハムが考案した新しい料理なんだよね?」


 俺が口をはさむと、マルフィラ=ナハムはまたふにゃんと微笑んだ。


「は、は、はい。ア、アスタにも味見をお願いしたかったのですが、最近はなかなか時間も取れなかったので……ま、まだまだ不出来な部分は多いでしょうけれど、家族には美味しいと言ってもらえました」


「不出来な部分なんて、ひとつも見当たらないよ。これは、すごい出来栄えだね」


 こちらの料理もまた、甘くて辛くて苦くて酸っぱい、ヴァルカスの作法を思わせる出来栄えである。とりわけ強調されているのは、甘みと酸味であった。

 このふくよかな風味は、ママリアの酢と果実酒だろう。俺の見込みに間違いがなければ、赤と白の両方が使われている。それが味のベースとなって、甘みと酸味と香りを大きく担っているのだ。そこに各種の香草や調味料が加えられて複雑な風味を添加しつつ、しかし基本の部分は酢豚を思わせる力強い味わいであった。


 酢豚を連想させるのは、具材を煮込む前に軽く揚げているためだ。しかもギバ肉は、ぷちぷちとした愉快な食感になっている。これは城下町の料理人から伝授された、蜜漬けにした肉の食感であった。

 それらの具材はチャッチ粉をまぶした上で揚げているのだろう。そのしっかりとした衣が煮汁を吸っているために、きわめて濃厚な味わいである。さらに、ダイコンに似たシィマやジャガイモに似たチャッチはその内部にまで煮汁が浸透していた。


 チャッチはともかく、シィマをいったん揚げるというのは、なかなか物珍しい発想だ。しかし、衣と具材の食感はいい具合に調和している。しかも、これだけ濃厚な味わいであるのに、そこまで後を引くことはない。繊細な手際で調合された香草が、むしろ清涼な後味を残してくれた。


 本当に今日はひさびさに、マルフィラ=ナハムの手腕を思い知らされた心地だ。

 アイ=ファなどは鋭く目をすがめており、ティカトラスは再度の雄叫びを発した。


「うん! これは本当に、上出来だ! 先日の祝賀会でもレイナ=ルウが見事な手腕を見せてくれたけれど、マルフィラ=ナハムの料理にはひとかたならぬ個性というものが感じられてならないよ! ただ美味しいだけでなく、鮮烈で、印象的だ! 見た目はこんなに素朴であるのに、わたしは芸術家としての感性も揺さぶられてならないね!」


「きょ、きょ、恐縮です……」と、マルフィラ=ナハムはまた縮こまってしまう。

 するとこちらでは、アイ=ファが厳しい面持ちで囁きかけてきた。


「私もこの料理には、心から驚かされた。レイナ=ルウは、また対抗心をかきたてられてしまうやもしれんな」


「うん。レイナ=ルウもヴァルカスに対する思いが強いから、こういう料理には過敏に反応しちゃうだろうな」


「……しかしお前は、心を乱す必要はないぞ。私は、お前の作る料理のほうが好ましく思える」


 と、最後には優しい眼差しを見せてくれるアイ=ファであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ティカトラスにしろひと言多い街の人間は『素晴らしい』とかの単語で誤魔化せばいいのに変化させる気がないのかぁ…
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