ナハムとベイムの婚儀①~前段~
2023.6/5 更新分 1/1
・今回は全7話です。
フェイ=ベイムとモラ=ナハムが、ついに婚儀を挙げることになった。
そもそもモラ=ナハムがフェイ=ベイムに己の恋情を告げたのは、ずいぶん昔の話となる。あれはたしか俺たちが王都の外交官フェルメスと出会い、仮面舞踏会に招待されてから少し後のことであったから――おそらく、一昨年の黒の月あたりであろう。現在は銀の月の下旬であるから、1年と3ヶ月ぐらいは経過しているのだろうと思われた。
また、モラ=ナハムが実際にフェイ=ベイムを見初めたのは、もっと昔日の話となる。モラ=ナハムはその先々月あたりに開かれたランとスドラの婚儀の祝宴において、宴衣装を纏ったフェイ=ベイムに心を奪われたと語っていたのだ。彼はそれからふた月ばかりも思い悩んだのち、妹のマルフィラ=ナハムにまつわる騒ぎをきっかけとして、フェイ=ベイムに思いのたけを伝えることになったわけであった。
ディック=ドムもモルン・ルティム=ドムも、つい先日婚儀を挙げたフォウとヴェラの両名も、それに負けないぐらい時間をかけた上で、思いを結実させている。また、ユーミとジョウ=ランなどはモラ=ナハムたちよりも古くから、婚儀を視野に入れたおつきあいを続けているのだ。そういった人々は、森辺の常識をくつがえす婚儀のために、それだけの慎重さを求められているのだった。
もちろんフェイ=ベイムとモラ=ナハムはどちらも立派な森辺の民であるし、族長筋の人間でもないのだから、先にあげた人々よりはまだしも精神的な負担は少なかったことだろう。しかしそれでも、やはり血族ならぬ相手との婚儀というのは並々ならぬ話であるのだ。
しかし、そんな両名もついに婚儀を挙げることになった。
城下町の祝宴の場でおたがいの気持ちを確かめ合った両名は、森辺に戻ってすぐさま親に報告をして、勝手な真似をするなと厳しい叱責を受けつつも、めでたく許しをもらうことがかなったわけであった。
◇
「……それでユーミが、すっかり気分を損ねてしまったようであるのです」
嘆息まじりにそんな言葉をこぼしたのは、ユーミと婚儀の約束を交わしているジョウ=ランであった。
デヴィアスの優勝で幕を閉じた闘技会から5日を経て、銀の月の30日――場所は、宿場町の露店区域となる。婚儀の当日であるその日も俺は屋台の商売に取り組んでおり、ジョウ=ランは額に汗する俺たちの背後で切々と語っていた。
「気分を損ねるって、どうして? 自分たちの婚儀が先延ばしにされたことと関係あるのかな?」
鉄板でソース焼きそばを仕上げながら俺がそのように反問すると、ジョウ=ランは「そうなんです」とまた嘆息をこぼした。
「この時期に婚儀を挙げるとティカトラスが押しかけてくるのではないかと案じて、俺たちは婚儀を先延ばしにすることになりました。宿場町の民であるユーミを嫁に迎えるというのは大ごとですので、バードゥ=フォウたちは可能な限り厳粛に執り行いたいという考えであるのですよね」
「うん。それは俺も、聞いているよ。けっきょく今日の婚儀も、城下町の人たちを招待することになっちゃったしね」
モラ=ナハムたちは祝宴の場で婚儀を挙げると決断したため、耳の早いティカトラスにすぐさま察知されてしまったのだ。そうしてティカトラスが参席を願うと、芋づる式にフェルメスやジェノスの立場ある人々も巻き込まれてしまうのだった。
「でも、そんなことで気分を損ねるものなのかな? ユーミだって、バードゥ=フォウたちの言い分に納得していたんだろう?」
「はい。ユーミ自身も、ティカトラスの参席を望んでいませんでした。事情が事情ですので、王都の外交官フェルメスを招くことには異論もないようですが……ティカトラスはあまりに奔放な気性をしているので、婚儀の場で騒がれたくないという思いであったようですね」
宿場町の民たるユーミが森辺に嫁入りするというのは、ジェノスにとって変事となる。そうすると、外交官のフェルメスも職務としてそれを見届けなければならなくなるのだ。しかしそうしてフェルメスを招待するならば、いっそうティカトラスの参席を断りにくくなってしまうわけであった。
「だったらなおさら、ユーミが気分を損ねる理由はないんじゃないかな? やっぱりティカトラスの参席をお断りするっていうのは、ずいぶん難しい話であるみたいだしね」
「はい。それでもやっぱり、割り切れない気持ちが出てきてしまうのでしょう。俺とユーミはモラ=ナハムたちよりも古くから、婚儀について話し合っていたわけですし……」
「うん、まあ、今を逃すと婚儀は雨季の後までもつれこんじゃいそうだもんね。それは気の毒に思うけど……お待たせしました。こちら、5人前です」
俺は焼きあがったソース焼きそばを木皿に取り分けていく。
そうして俺が新たな具材を鉄板に広げたところで、隣の屋台で働くユン=スドラが声をあげてきた。
「ジョウ=ラン、ひとついいですか? 気分を損ねるという言い方は、あまり適切でないように思います。ユーミはただ、婚儀が先延ばしになったことを無念に思っているだけであるのでしょう? 気分を損ねるなどという言い方をしてしまうと、まるでフェイ=ベイムたちに悪い感情を抱いているように思えてしまいますよ」
「ええ? そんなことは、決してありません! アスタもどうか、誤解しないでもらいたく思います!」
「あと、もうひとつ。そういう大事な話は、仕事の終わりを待つべきかと思います」
「はあ……でも、この後はユーミを迎えに行かなければならないので……アスタと話すには、この時間を狙うしかなかったのです」
作業中の俺は背後を振り返れなかったが、ジョウ=ランのしょんぼりとした姿は簡単に想像することができた。
「ジョウ=ランがそんなに落ち込むなんて、最近では珍しいね。それに、俺なんかに相談しようっていうのも、なかなか珍しいんじゃないかな?」
「はあ……ユーミがあのように気落ちしていると、俺まで悲しい気持ちになってしまいますし……俺にはアスタぐらいしか、頼る相手がないのです」
「ええ? こんな話で、俺が頼りになるのかなぁ?」
「はい。だってアスタは誰よりも長きの時間、婚儀を我慢している身ではないですか?」
ユン=スドラが、とてもゆっくりと噛みしめるような口調で「ジョウ=ラン」と呼びかけた。
「それもまた、仕事のさなかにする話ではないように思います。あなたがギバ狩りのさなかにそのような話を持ち出されたらどのような心地になるか、少し想像してみてください」
「も、申し訳ありません」と、ジョウ=ランが珍しくも慌て気味の声をあげた。彼はかつて、ユン=スドラにおもいきり引っぱたかれた経験があるのだ。そのときの痛みが蘇ったのかもしれなかった。
「ただ俺は、アスタを見習いたく思っているのです。アスタもアイ=ファも婚儀を我慢しているのに、とても健やかな関係を保っているようですし……」
「ジョウ=ラン」
「は、はい。申し訳ありません。アスタの手が空くのを待ちます」
そうして俺はユン=スドラのおかげで、仕事に集中することができた。
本日は、ユーミも特別に婚儀の祝宴に招待されることになったのだ。それでユーミを迎えに来たジョウ=ランは、その足でまず俺のもとを訪れたわけであった。
(まあ、こればっかりはタイミングだよな。ティカトラスも悪いお人じゃないんだけど、いるだけで場を騒がしちゃう存在だし……俺だって、自分の婚儀にティカトラスを招待したいとは思えないもんな)
そうしてアイ=ファのあらぬ姿を想像した俺は、ひとりで赤面することになってしまった。
その後、無事に料理を完売して、ジョウ=ランとゆっくり語らう時間が取れたのは、半刻ほどが経過したのちのことである。俺たちは荷車の駐車スペースまで身を引いて、ひっそりと言葉を交わすことにした。
「えーとね、俺なんてこういう話には疎い朴念仁だから、何も大した話は語れないんだけど……」
「はい。ですが、アスタとアイ=ファが出会ってから、もう2年半以上が過ぎているのでしょう? アスタがいつアイ=ファを見初めたのかは存じませんが、どうすればそのように心を強く保てるのか……それをご教示願いたいのです」
「いきなり、真正面から攻めてくるなぁ」
俺は再び熱くなりそうになった頬を撫でながら、苦笑してみせた。
「だいたい、俺に見習う部分なんてあるのかな? ジョウ=ラン自身も、婚儀が延期されたことをそれほど苦にしていないんだろう?」
「はい。たとえそれが雨季の後でも、数ヶ月後にユーミを伴侶として迎えることができるのなら、心が浮き立ってなりません」
「それじゃあ、そういう気持ちをユーミと共有できるように心を尽くすべきなんじゃないかな? ……それに、ユーミだってそういう気持ちは持ち合わせていると思うんだよね。それでもユーミが気落ちしているとしたら、別の理由があるんじゃないかな?」
「別の理由? 俺にはさっぱり、思い当たらないのですが……」
「怒らないで聞いてほしいんだけど、ユーミはジョウ=ランより視野が広いと思うんだよね。ユーミは自分だけじゃなく、周囲の大切な人たちの気持ちを慮ってるんじゃないのかな? 特にユーミのご両親なんかは、もともと森辺への嫁入りを反対していた立場なわけだし……それでようやく婚儀が本決まりになりかけたところで先延ばしにされちゃうっていうのは、ものすごく申し訳ない気分なんだと思うよ」
「はあ……何故です?」
「いや、立場を置き換えてみたら、ジョウ=ランにも想像はつくだろう? ユーミの立場になって考えてみなよ」
「はあ……ただ、俺も親からはさんざん考えなおすように説教されていた立場ですので……それでもあまり、ピンとこないのですが……」
残念ながら、ジョウ=ランは余人の心情を慮ることを苦手にしているのだ。
俺はさんざん頭をひねって、そんなジョウ=ランの心にも響きそうな言葉を探すことになった。
「うーん、それじゃあ……もうちょっと想像力の翼を羽ばたかせてみようか」
「はあ。その言い回しも、俺には少々難しく思います」
「まあ、聞いておくれよ。たとえば、ジョウ=ランとユーミが無事に婚儀を挙げて、可愛い女の子の赤ちゃんを授かったとしようか」
「そんな想像をしただけで、俺は舞い上がってしまいそうです!」
「うんうん。それでだね、その子もすくすくと育って、ついにお年頃になるわけだよ。それで……たとえば城下町の誰かに嫁入りしたいと願ったとしようか」
「城下町の誰かですか。まあ、10年以上も先のことなら、そのような話もありえるかもしれませんね」
「うん、そうそう。でも、ユーミが猛反対したとしよう。何せ城下町ってのは易々と出入りできる場所じゃないし、流儀も習わしも異なっているからね。そんな場所に大切な娘を嫁入りさせたくはないと、ユーミはそんな風に思ってしまうんだ」
「はあ……まあ、ありえない話ではないかもしれませんね。俺も娘が遠くに嫁入りしてしまうのは、とても寂しいです」
「うん、そうだろう。でもユーミも、最後には嫁入りを許すことになった。やっぱり一番大切なのは、本人の気持ちだしね」
「はい! ユーミであれば、そのように考えると思います!」
「それでユーミは歯を食いしばって、娘を送り出すことにした。それで無事に、婚儀を挙げることになったわけだけど……不測の事態で、それが数ヶ月ばかりも延期されることになっちゃうんだ」
「なるほど。今の俺たちと、同じ状況になるわけですね」
「そうそう。そのとき、娘さんはユーミに対してどんな思いを抱くと思う?」
「はい?」と、ジョウ=ランは目を丸くした。これがいわゆる、キミュスがくちばしを弾かれたような顔というものであろうか。
「ユーミではなく、娘のほうの気持ちですか? 実際には存在しない人間の気持ちを想像するというのは、いっそう難しいように思うのですが……」
「でも、ユーミのことはよく知ってるだろう? ユーミはそれこそ1年以上も思い悩んで、なんとか娘を嫁入りさせる覚悟を固めることになったんだよ。それでいざ婚儀を挙げようって話になったら、いきなり数ヶ月ばかりも延期されることになっちゃったんだ」
「それはあまりに、ユーミが気の毒です! ユーミの気持ちを想像すると、俺は居ても立ってもいられません!」
「それが今の、サムスやシルの気持ちなんだよ。だからユーミは、サムスたちに申し訳ない気持ちでいっぱいであるはずさ」
ジョウ=ランはもういっぺんきょとんとしてから、いきなり「わーっ!」と声を張り上げた。
「ど、ど、どうしましょう! お、俺はサムスたちがそこまで心を痛めているなんて、まったく想像もしていませんでした! そ、それに、サムスたちを思いやるユーミだって、同じぐらい悲嘆に暮れているはずです!」
「うん。最初から、そういう話をしてるんだけどね」
「こ、こうしてはいられません! 俺は、ユーミのもとに向かいます! それから森辺に戻る前に、サムスたちとも話をしてきます!」
ジョウ=ランは狩人の衣をなびかせて、駆け去ろうとした。
しかしすぐにUターンすると、狩人の膂力で俺の手を握りしめてくる。
「ありがとうございます、アスタ! アスタのおかげで、俺は自分がどれだけ至らない人間であるかを思い知ることができました! このご恩は、必ずお返ししますので!」
「俺のことはいいから、ユーミのところに行ってあげなよ」
「はい! それでは、またのちほど!」
ジョウ=ランは今度こそ、つむじ風のように駆け去っていった。
俺はひとつ息をついてから、まだまだ賑わいのさなかである青空食堂へと足を向ける。そちらでは、ユン=スドラに笑顔で出迎えられることになった。
「お疲れ様です。ジョウ=ランが悲鳴をあげていたようですが、大丈夫でしたか?」
「うん。ただ、これからジョウ=ランの熱情をぶつけられるユーミたちが、ちょっと心配かな」
「それもまたジョウ=ランの偽らざる姿なのでしょうから、きっと問題はないかと思われます」
そう言って、ユン=スドラはいっそう朗らかに微笑んだ。
「ともあれ、アスタはお疲れ様でした。こちらの人手は足りていますので、夜の祝宴に備えて身を休めてはいかがですか?」
「あはは。それで俺が、休むと思うのかな?」
「思いません」と、ユン=スドラはちょっぴり悪戯小僧のような笑顔に切り替える。どのような笑顔でも、魅力的なことに変わりはないユン=スドラであった。
しかしまあ、確かに青空食堂の人手は足りているようである。もう半数の屋台は料理を売り切っているし、本日もザザやサウティの血族が研修に励んでいるのだ。それに、トゥランでの商売を終えたレイ=マトゥアたちも元気に手伝ってくれていた。
トゥランにおける商売は、今日でちょうど10日目となる。それでついに、レイ=マトゥアにも取り仕切り役を任せることになったのだ。相方は、かつてユン=スドラの補佐役を担ってくれたラッツの女衆である。それで本日も問題は生じなかったので、明日からはいよいよ日替わりで取り仕切り役を交代させていく手はずになっていた。
取り仕切り役は、俺、ユン=スドラ、レイ=マトゥア、ラッツの女衆で、助手役はあらゆる氏族の女衆に担ってもらうつもりでいる。この10日間で、それだけの見込みが立てられたわけであった。
闘技会から5日が過ぎて、本日はついに銀の月の最終日である。ティカトラスの来訪によって少なからず騒がしさは増したものの、まずは平穏な日々であったと言えるだろう。その期間にベイムとナハムで話が進められて、今日という日を迎えることになったのだ。ジョウ=ランの一件がおさまると、俺の心はすみやかに森辺で待つ幸福な時間への期待感で満たされた。
◇
宿場町における商売を終えたならば、いざ森辺に帰還である。
《西風亭》の屋台はこちらよりも閉店の時間が遅いため、ユーミたちは後からの合流となる。なおかつ商売の後にサムスたちのもとにまで出向くのなら、いっそう到着は遅れそうなところであった。
そちらの話も丸く収まることを願いつつ、俺はギルルの手綱を操って森辺の集落を目指す。まずルウの集落に立ち寄ると、そこには本日お休みの日取りであったリミ=ルウが待ちかまえていた。
「ララ、おかえりー! ジザ兄は、あっちで待ってるってよー!」
「うん。このままアスタの荷車に乗せてもらう手はずになってるよ。それじゃあリミとレイナ姉は、明日の下準備をよろしくね」
「うん。ララも、頑張ってね」
本日も、族長筋から2名ずつの見届け人が招待されている。それで本日は貴族も多数招待されているので、ララ=ルウに白羽の矢が立てられたようであった。
リミ=ルウとレイナ=ルウは、とても羨ましそうな面持ちでララ=ルウを見送っている。リミ=ルウはアイ=ファと一緒に祝宴を楽しむことを、レイナ=ルウはマルフィラ=ナハムの手腕を味わうことを、それぞれ痛切に願っていたのだろう。それでも不満の声をあげることもなく、ララ=ルウの姿をじっと見守っている両名の姿は、ご馳走を前に「待て」と言いつけられた子犬のようにいじらしかった。
(なんか、まとめて頭でも撫でてあげたいような気分だけど……かたや10歳、かたや19歳なんだよな)
なおかつレイナ=ルウは、つい5日前に闘技会の祝賀会に招かれていた身となる。美味なる料理に対しては、かくも貪欲なレイナ=ルウであった。
ともあれ、そんな両名に見送られつつ、俺は荷車を出発させることになった。
「明日も商売なのに、大変だね。って、俺が言う台詞じゃないけどさ」
御者台から荷台に呼びかけると、ララ=ルウは「あはは」と笑い声をあげた。
「まったくもって、その通りだね! でも、アスタもユン=スドラたちのおかげで、ずいぶん楽になったんじゃない?」
「うん。トゥランでの商売も、取り仕切り役をおまかせする目処が立ったからね。これで何とか、一段落かな」
「そうしたらまた、レイナ姉が城下町での商売に熱くなっちゃいそうだね! その前に、ジャガルやゲルドのお人らが来ちゃいそうだけどさ!」
「うん。アルヴァッハあたりは月が変わる前に姿を見せるんじゃないかって考えてたけど、今回は自重したみたいだね」
たしかアルヴァッハが前回ジェノスにやってきたのは、去年の今日であったはずだ。アルヴァッハもまた今回のティカトラスと同じように、復活祭を終えるなり故郷を出立したあげく、途中でトトス車の本隊を置き去りにして先行してきたのだった。
「アルヴァッハやダカルマスたちが来たら、いっそう騒がしくなるんだろうなー。そこにティカトラスまで居揃ってるなんて考えるだけで、こっちはくたびれちゃうよ」
「うんうん。今や外交役のララ=ルウだったら、なおさらだろうね」
「そんな大げさな話じゃないよー。だけどまあ、ロブロスたちと会えるのは、ちょっと楽しみかな。どうせダカルマスやデルシェアは、アスタやレイナ姉に夢中だろうしねー」
ロブロスは、南の王都の使節団の団長を務める、きわめて厳格なお人である。どうもララ=ルウはロブロスや外交官補佐のオーグといった厳格なお人たちとの対話を好んでいるようであるのだ。それもまた、外交役の資質なのではないかと思われた。
(だったら俺は精一杯、アルヴァッハやダカルマス殿下やデルシェア姫との交流に励まなくっちゃな)
俺がそんな想念を噛みしめている間に、ファの家に到着した。
母屋の戸板をノックすると、すぐさま「開けるな」というアイ=ファの声が返ってくる。
「今は、着替えのさなかとなる。しばし待つがいい」
「うん。アイ=ファも、もう帰ってたんだな。それじゃあ他のみなさんも、よろしくお願いします」
俺がそのように呼びかけると、複数の挨拶が返ってくる。本日は婚儀の祝宴であるため、アイ=ファも最初から宴衣装を纏う予定であったのだ。その際には、いつも近在の女衆が着付けの面倒を見てくれるのだった。
アイ=ファの宴衣装に期待を馳せながら、俺はかまど小屋へと足を向ける。そちらでは、大勢の女衆が明日のための下ごしらえに励んでいた。本日は勉強会の予定もなかったので、午後からゆっくり作業を進める手はずになっていたのだ。
「おかえり、アスタ。こっちも順調に進んでるよ」
下ごしらえの取り仕切り役であるバードゥ=フォウの伴侶が、にこやかな笑顔で出迎えてくれる。婚儀の余波か、かまどの間には普段以上に和気あいあいとした空気が満ちているように感じられた。
「どうも、お疲れ様です。サウティの血族のみなさんが合流しますので、引き続きよろしくお願いします」
「ああ、まかせておくれよ。アスタは祝宴を楽しんできておくれ」
たくさんの笑顔に見送られながら、俺はかまど小屋を後にする。サウティの血族は作業に合流したため、俺のかたわらに残されたのはララ=ルウただひとりだ。15歳を過ぎてからもぐんぐん成長中であるララ=ルウは、もはやヴィナ・ルウ=リリンとさして変わらない目線から俺に笑いかけてきた。
「なんか、アスタとふたりきりって珍しいね! まあ、こんな静かなのは今だけなんだろうけどさ!」
「うん。ジザ=ルウはもうあっちで貴族を相手に奮闘中なんだろうしね」
本日、城下町から招待されたのは、ティカトラスとデギオンとヴィケッツォ、メルフリードとポルアース、フェルメスとジェムドの7名となる。それでティカトラスが早い時間から見物を願ってきたので、他の面々も道連れとなったわけであった。
そしてそれとは別口で、本日は森辺の内部でもさまざまな氏族の人間が祝宴に招待されている。具体的には、屋台の商売でフェイ=ベイムと交流を深めた面々である。あくまでファの屋台と、かつてファの屋台を手伝っていたディンおよびリッドに限られていたが、それでも2ケタに及ぶ女衆と付添人たる男衆が招待されることになったのだ。
「そんなにたくさんの氏族が招かれるなんて、あたしはちょっと意外だったかなー。ナハムとベイムの家長なんて、とりわけ頑固そうだもんね!」
「うん。ナハムの親筋であるラヴィッツの家長なんかは、それ以上にね。でも、それだけフェイ=ベイムが広げてきた交流を重んじてるっていうことなんじゃないかな」
ベイムとラヴィッツは、ザザと並んで保守派の筆頭である。かつてファの家のふるまいに否定的な見解を示していたのが、それらの三氏族を親筋とする面々であったのだ。最終的にはすべての氏族がファの家の行いに賛同してくれたとはいえ、彼らが保守的な気質であることに変わりはないはずであった。
しかしそれでもフェイ=ベイムは、かなり早い段階から屋台の商売を手伝ってくれていた。あれは最初の復活祭が始まってすぐのことであったから、もう2年以上が経過しているのだ。ベイムの家はとりわけ宿場町における交流というものを疑問視していたため、ファの家の行いを厳しく見定めるために見届け人を派遣することになったわけであった。
「ベイムの家は、宿場町の無法者のせいで血族を失うことになったんだっけ。あの頃は、フェイ=ベイムもずーっとおっかない目つきをしてたもんね」
「うん。その血族っていうのがフェイ=ベイムの祖父にあたる人物だったそうだったから、なおさらやりきれなかったんだろうね」
かつて、宿場町の無法者が森辺の女衆を害した。それでその女衆の家長であった人物が、復讐のために無法者を害したのだ。しかもそれが無法者を連行しようとする衛兵たちをなぎ倒した上での行いであったため、そちらの家長もジェノスの法で死罪を申し渡されてしまったのである。
家長を失ったそちらの氏族は、氏を捨てて親筋たるベイムの家人になることになった。それでベイムの家長と婚儀を挙げたのが、その家人のひとり――処刑された家長の娘にしてフェイ=ベイムの母親にあたる人物であったわけである。
それは、森辺の民にとってもジェノスの民にとっても小さからぬ事件であった。おそらくはスン家の無法なふるまいに次いで、森辺と町の確執を深めた一件であったのだろう。それでベイムの血族は、「町の人間と関わりを持つべきではない」という思いを抱くことになってしまったのだ。
しかしフェイ=ベイムは過去の確執にとらわれず、見届け人としての役割を果たした。彼女はベイムの代表としてファの屋台に参じていたのだから、自分が宿場町で見聞きしたものを余さず家長に報告していたはずであるのだ。その上で、ベイムがファの行いに賛同したということは――彼女自身が、宿場町での交流は忌避するべきではないという思いに至っていたはずであった。
「それに、フェイ=ベイムが屋台を手伝ってなかったら、モラ=ナハムと顔をあわせる機会だってなかったんだろうしね。ふたりが出会ったのは、ランとスドラの婚儀だったっけ?」
「うん、そうそう。あの日も屋台の関係者が祝宴に招待されることになってさ。それでモラ=ナハムもマルフィラ=ナハムの付添人として参席することになったんだよ」
「なるほどねー。だからベイムやナハムの家長たちも、今日の祝宴に屋台の関係者を招こうって考えたのかもね。……これでまた、誰かが血族ならぬ相手を見初めるかもしれないもんね」
そう言って、ララ=ルウは朗らかに微笑んだ。
彼女自身は、従兄弟という近い血筋の相手と婚儀を望んだ身である。しかし同時に、彼女はモルン・ルティム=ドムと仲良しであったため、血族ならぬ相手との婚儀に関しても真剣に向き合っているはずであった。
「血族ならぬ相手との婚儀も、これでついに3組目かー。まあ、ヴィナ姉たちを入れたら、4組目だけど。5組目は、やっぱりユーミとジョウ=ランってことになるのかなー」
「うん、きっとそうだろうね。遅くても、雨季が明けたらそういう話になるんじゃないかな」
俺がそのように答えると、ララ=ルウはにわかに真剣な眼差しとなった。
「あのさ、これは茶化すつもりで言うんじゃないから、そのつもりで聞いてほしいんだけど……やっぱりアスタたちは、まだしばらく婚儀を挙げないの?」
「うん。今はまだ、ね」
ララ=ルウの気持ちに呼応して、俺も真剣かつ沈着な心持ちでそのように答えることができた。
ララ=ルウは、「そっか」と息をつく。
「アスタは、それを苦にしてないんだね。それなら余計な口出しはしないから、アスタたちにまかせるよ」
「うん、ありがとう。ララ=ルウにそんな風に言ってもらえたら、心強いし嬉しいよ」
「あたしはただ、アスタたちにも幸せになってほしいだけさ。……シン=ルウとのことでは、アスタたちにもあれこれ世話をかけちゃったしね」
と、自分のことになるとララ=ルウは顔を赤くして、そっぽを向いてしまう。
シン=ルウはもう間もなく新たな氏族の家長として、ルウとは別の場所に集落を切り開くことになるはずであるが――ララ=ルウは、まだしばらく嫁入りすることはできないと宣言しているのだ。屋台の取り仕切り役として確かな力をつけるまではそちらの仕事に注力したいと、ララ=ルウはそんな言葉をファの家で語ることになったのである。
しかしいずれは婚儀を挙げようと、ララ=ルウたちはそんな約定を交わしている。
何年先になるかもわからないが、いずれは必ず婚儀を挙げよう、と――俺とアイ=ファと同じように、そんな約定を交わすことになったのだ。この森辺において、そこまで長期にわたる約定を交わす男女は、他にいないのではないかと思われた。
(だからララ=ルウは、俺たちのことを心配してくれてるんだな)
ララ=ルウの優しさが、俺の心を深く満たしてくれた。
宿場町では、ジョウ=ランがサムスたちを相手に熱弁をふるっている頃合いであろうか。
そんな俺たちの先駆けとして、フェイ=ベイムとモラ=ナハムには幸せになってもらいたい――ララ=ルウとふたりで木陰にたたずみながら、俺はそんな思いを新たにすることになったのだった。




