祝賀の宴⑥~告白~
2023.5/24 更新分 1/1
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
「レム=ドムが何か騒いでいたようだが、何かあったのであろうか?」
隣の卓に到着するなり、ジザ=ルウが糸のように細い目を向けてくる。卓と卓の間にはそれなりの距離が空けられているのに、しっかりこちらの動向をうかがっていたようだ。
「話せば、長くなる。何か問題が生じた際は、ディック=ドムから報告があろう」
「そうか。了承した」
ジザ=ルウは、速やかに歓談の場へと向きなおる。レイナ=ルウは少し離れた場所でリーハイムやセランジュを筆頭とする若き貴族らと語らっており、レイの両名が相対しているのはポルアースの上官たる外務官および外交官補佐のオーグなど、いずれも壮年の貴族たちであった。
「おお、アスタにアイ=ファ! いいところに来てくれた! ヤミルは小難しい話にかかりきりで、ちっとも俺にかまってくれんのだ!」
ラウ=レイは、子供のように頬をふくらませている。するとジザ=ルウが長身を屈めて、俺とアイ=ファに囁きかけてきた。
「ガーデルとの絆を深めているさなかに申し訳ないが、こちらにも助力を願いたい。やはりラウ=レイの手綱を握るというのは、いささか難儀でな」
ヤミル=レイは優雅に果実酒のグラスを傾けながら、オーグや外務官と語らっている。聞こえてくるのは、「流通」や「旅程」や「確執」といった単語などである。どうも、これからジェノスにやってくるであろう南の王都とゲルドの面々に関する話題であるようであった。
「ラウ=レイは、退屈してたのかい? よかったら、ラウ=レイもガーデルと絆を深めておくれよ。それに、バージを紹介しないとね」
俺はジザ=ルウの期待に応えるべく、ラウ=レイに笑いかける。ラウ=レイはふくれっ面のまま、ガーデルたちに向きなおった。
「ああ、ガーデルか。そっちのその者は、何者だ?」
「だから、お目付け役のバージだよ。ラウ=レイも、事情は聞いているだろう?」
「ふん! 何がお目付け役だ! 幼子でもあるまいし!」
それを言うなら、今のラウ=レイのほうがよっぽど幼子めいている。
しかし、そんなことを言おうものなら大変な騒ぎになってしまうので、俺もせいいっぱいお兄さんぶるしかなかった。
「とにかく、バージを紹介するよ。バージはメルフリードが団長を務める近衛兵団の一員なんだ。バージ、こちらはルウの眷族であるレイの家長、ラウ=レイです」
「ああ、このガーデルが粗相を働いたとき、ジィ=マァム殿とご一緒に面倒を見てくれた御方だな。どうかよろしく願いたい」
バージはにやにやと笑いながら、ラウ=レイの様子を検分している。彼が他者の力量を見抜くのを得意にしているならば、ラウ=レイがただの駄々っ子でないことも伝わるはずであった。
「……なんだか、カミュア=ヨシュを思い出させる面がまえだな。そんな値踏みするような目で、俺を見るな」
「そのように気を立てるな。お前とて、さまざまな相手と絆を深めるべきであろうが?」
アイ=ファが落ち着いた声音でたしなめると、ラウ=レイは勢いよくそちらを振り返った。
「おお、アイ=ファ! やっぱりお前は、美しいな! お前を見ると、ヤミルの美しさも霞んでしまいそうだ!」
ヤミル=レイはラウ=レイに背中を向けたまま、ひらひらと手をそよがせる。
ラウ=レイは「むー!」とうなりながら、地団駄を踏んだ。これでは絢爛なる宴衣装も台無しである。それで、さしものアイ=ファも苦笑することになった。
「どうしたのだ、ラウ=レイよ? いくらお前でも、今日は度を越しているように思えるぞ」
「せっかくの祝宴であるのに、やたらと窮屈な心地であるのだ! これなら家でヤミルと過ごしていたほうが、よほど楽しいぞ!」
「お前は普段から家でヤミル=レイとともに過ごしているのだから、こういう場では異なる心持ちを楽しむべきではないか?」
「ふん! アイ=ファだって、アスタにべったりくっついているではないか! そんなアイ=ファに説教をされるいわれはない!」
アイ=ファは顔を赤くするでもなく、再び苦笑する。
いっぽうバージは興味深げに、にんまりと笑っていた。
「森辺には、実にさまざまな人間が集っているのだな。これではアスタ殿も、退屈するいとまはあるまい」
「ええ、まったくです。……あ、バージにはジザ=ルウも紹介しないといけませんね」
俺がそのように言い出すまでもなく、ジザ=ルウはひそかにバージの様子を検分していたようだ。ただ、それでどのような感慨を抱いたのかは、まったく知れなかった。
「こちらが次代の族長殿か。ダリ=サウティ殿も実に立派な男っぷりであったが、ジザ=ルウ殿もまったく負けていないな。つくづく森辺の方々というのは、興味深い」
「ええ。次の機会には是非、ガーデルともども森辺にいらしてください」
俺がそのように答えたとき、ガーデルが「あっ」と身をすくめた。
その視線を追うと、黒い人影が目に映る。それは、普段通りのゆったりとした装束を纏ったアリシュナに他ならなかった。
「失礼します。森辺の料理、いただき、うかがいました」
俺たちもまだ口をつけていなかったが、こちらにはレイナ=ルウたちの準備した宴料理が並べられていたのだ。
しかし、呑気に食事をしている場合ではなかった。ガーデルは真っ青な顔になって、今にもくずおれてしまいそうであったのだ。その姿に、アイ=ファが「どうしたのだ?」と鋭く呼びかけた。
「アリシュナは占星師だが、断りもなく他者の運命を読み取ることはない。そのように怯える必要はないのだぞ」
「はい……はい……それは、承知しているのですが……」
ぐらりと倒れかかったガーデルが卓にもたれかかり、そのはずみで何枚かの皿が床に落ちてしまった。
幸い足もとは毛足の深い絨毯であったので、陶磁の皿も無事である。しかしガーデルはいよいよ蒼白になって、脂汗まで浮かべてしまった。
「も、申し訳ありません……ちょっと気分がすぐれないので……しばし休ませていただいてもよろしいでしょうか……?」
「そんなざまでは、交流もへったくれもないな。お前さんの弱腰には、呆れるばかりだ」
バージは慌てる素振りもなく、ガーデルの右脇に腕を差し込んだ。
「ガーデルは、別室で休ませておく。祝宴が終わる前に回復したならば、またお相手をお願いするぞ」
そうしてガーデルはバージに支えられながら、大広間を出ていった。
それを見送る俺たちは、言葉もない。その中で最初に口を開いたのは、アリシュナであった。
「……交流、お邪魔して、心苦しい、思います」
「あ、いえ。アリシュナに責任のある話ではありませんので……」
「ですが、責任、感じます」
アリシュナは、夜の湖を思わせる目をそっと伏せる。それは優美なシャム猫がしょんぼりしてしまったかのようで、ずいぶんあわれげに見えてしまった。
「アスタの言う通り、お前に罪のある話ではない。森辺の料理を食しに来たのなら、存分に腹を満たすがいい」
普段はアリシュナに素っ気ないアイ=ファも、さすがに気の毒そうな面持ちでそのように呼びかける。アリシュナは悄然としたまま、上目遣いでアイ=ファを見た。
「アイ=ファ、輝くような美しさです。アスタ、魅了される、当然です」
「……お前は私に喧嘩を売っているのであろうか?」
「いえ。アイ=ファ、気遣い、嬉しかったので、その思い、報いたい、思いました。ですが、本心です。アイ=ファ、美しさ、際立っています」
「それで私が喜ぶと考えているのなら、お前も大概だな」
嘆息をこぼすアイ=ファのかたわらから、俺はアリシュナに笑いかけてみせた。
「とりあえず、宴料理をいただきましょうか。俺もアイ=ファも、まだ同胞の心づくしを口にしていなかったのですよ」
こちらの卓は贅沢に、レイナ=ルウの準備した3種の宴料理だけが並べられている。最新のメニューである『マロマロのシチュー』に、微調整を重ねてどんどん進化していく『ギバ肉の香味焼き』、そして香草の料理にばかり偏らないようにという思いで準備された『ミソ仕立ての角煮』だ。
「ほらほら、香草の料理が2種もありますよ。きっとどちらも、アリシュナのお好みに合うと思います」
アリシュナはどこか幼子めいた仕草で、「はい」とうなずく。そのタイミングで、卓の向こうからレイナ=ルウが呼びかけてきた。
「アスタたちも、こちらにいらしたのですね。リーハイムがご挨拶を願っていますので、少々よろしいでしょうか?」
俺は思わず、アイ=ファと顔を見合わせてしまう。アリシュナはまだちょっと心配な感じであったし、ラウ=レイのことも放っておけないのだ。ジザ=ルウとヤミル=レイはまだオーグたちとの会話にかかりきりで、手を離せそうになかった。
さらに、賑わいの向こうから新たな一団が近づいてくる。それは、トゥラン伯爵家のご一行と合流したディアルおよびラービスであった。
「あー、いたいた! アスタにアイ=ファ、リフレイアを連れてきてあげたよー! ……あ、あんたもいたんだね。そんなしょんぼりして、どうしたの?」
「……敵対国の人間、関わらず、気遣い、いただいて、ありがたい、思います」
「もー、うるさいな! どうしたのって聞いたんだから、まずはそれに答えなよ!」
ディアルは顔を赤くして、アリシュナをにらみつける。ディアルであれば、傷心のアリシュナを託せそうなところであったが――その反面、わざわざ足を運んでくれたリフレイアをほったらかしにすることもできなかった。
(ここはいっそ、みんなでまとめてレイナ=ルウたちと合流するべきかな。リフレイアとリーハイムが語らってる姿はあんまり見たことがないけど、べつだん確執とかはないだろうし――)
俺がそのように思案したとき、アイ=ファが深く溜息をついた。
ディアルたちを追いかけるようにして、さらに騒がしい一団が到着したのだ。
「おお、アイ=ファ! ようやく再会できたね! ヤミル=レイも顔をそろえているなら、おあつらえむきだ!」
それは、デギオンとヴィケッツォを引き連れたティカトラスに他ならなかった。
これではますます、収拾がつかなくなってしまう。それで俺が思考停止しかけると、別の方角からさらなる一団がやってきた。
「ああ、ここにいたのか、アイ=ファにアスタよ。ちょっと相談したいことがあるのだが、時間をもらえるか?」
それは、ダリ=サウティとサウティ分家の末妹であった。
先日の森辺の祝宴においても、ガーデルの相手に注力していた俺とアイ=ファは後からまとめて交流を求められて、なかなかの騒ぎであったのだが――本日は、それ以上の勢いである。
それで俺は頭を抱えそうになってしまったが、アイ=ファはむしろ能動的に身を乗り出した。
「祝宴のさなかに相談とは? モラ=ナハムらの姿が見えないが、何か不測の事態でも生じたのであろうか?」
「うむ。不測の事態というほどのことではないのかもしれんが……あやつらと縁の薄い俺たちでは、どうにも取りなしようがなくてな」
アイ=ファは「そうか」と末妹のほうに向きなおった。
「我々は、あちらのリーハイムに挨拶を願われたところであったのだ。いつまでも待たせるのは礼を失しているであろうから、こちらの事情を伝えてきてもらいたい」
「承知しました。おまかせください」
明朗なばかりでなく機転もきくサウティの末妹は、長羽織のごとき装束の裾をひらめかせてレイナ=ルウたちのほうに近づいていった。
それを横目に、アイ=ファはラウ=レイへと向きなおる。
「聞いての通り、我々には所用ができた。ヤミル=レイともども、ティカトラスのお相手を願いたい」
「承知した! ほらほら、ヤミル! いつまでも同じ相手と語らっていないで、ティカトラスに挨拶をするがいい!」
ラウ=レイは尻尾をふりたてる猟犬のように、ヤミル=レイのしなやかな肩を揺さぶった。
そしてアイ=ファは、無言のリフレイアに向きなおる。
「申し訳ないが、リフレイアにもしばし待っていてもらいたい。こちらの用事を片付けたら戻るので、容赦を願えるであろうか?」
「わたしはべつだん、差し迫った用事があるわけではないもの。でも、その後にゆっくりお相手をしてくれたら、嬉しく思うわ」
リフレイアは大人びた笑顔で、そんな風に言ってくれた。
そうしてその場では、次々に新たな歓談の場が形成されていく。オーグも相手がティカトラスでは文句を言うこともできず、レイ家の両名ともども巻き込まれたようだ。リーハイムのほうも何か至急の用事があったわけでもないだろうから、サウティの末妹という新たなゲストを迎えて盛り上がっているようであった。
そうして俺たちは賑わいの場から身を遠ざけて、3人きりの輪を作る。そこでダリ=サウティは、まず申し訳なさそうに微笑んだ。
「何やらずいぶん立て込んでいるところに声をかけてしまったようだな。面倒をかけてしまって、申し訳なく思う」
「いや。むしろダリ=サウティに救われた格好だな。相手が森辺の族長であれば、文句をつける人間もあるまい」
「アイ=ファたちが席を空けている間は、俺も存分に穴を埋めさせていただこう。その間に、ナハムとベイムの両名をどうにかしてもらいたい」
そんな風に述べてから、ダリ=サウティはがっしりとした下顎を撫でさすった。
「とはいえ……実のところ、俺にも事情がわからんのだ。ナハムの長兄もベイムの末妹も、余人にうかうかと内心をさらす気性ではないようだからな。しかしあちらの両名は、婚儀を考えている男女とは思えぬほど空気がささくれだってしまっている。あれでは貴族たちに礼を失しかねないので、なんとかあやつらの心を解きほぐしてもらえないだろうか?」
「ふむ。事情は本人に問い質すしかあるまいな。その両名は、どちらに?」
「とりあえず、あちらの壁際に待たせておいた。どうかよろしく願いたい」
「承知した」と応ずるなり、アイ=ファは颯爽とダリ=サウティに指し示された方向に突き進んだ。それを追いかけながら、俺はアイ=ファに耳打ちする。
「なあ、フェイ=ベイムたちはどうしたんだろうな?」
「それがわからんから、問い質すのだ。フェイ=ベイムも、アスタには心を開いていよう。それに、モラ=ナハムも以前ほどは頑迷でないはずだ」
アイ=ファは何だか、強い意欲をみなぎらせているようである。そんなアイ=ファが力強い足取りで進軍すると、周囲の人々も迂闊に声はかけられないようだ。その代わりに、うっとりとした眼差しがあちこちから追いかけてきた。
それらの視線を振りきるようにして、俺たちは大広間を横断する。
料理の卓からも遠く離れた人気の薄い壁際に、モラ=ナハムとフェイ=ベイムが立ち並んでいる。どちらも壁を背にして大広間の賑わいを眺めており、固く口をつぐんでいる様子であった。
「失礼する。ダリ=サウティに願われて、事情をうかがいに参ったぞ」
アイ=ファがそのように呼びかけると、もともと仏頂面であったフェイ=ベイムがいっそう眉をひそめた。
「事情とは? わたしたちは族長ダリ=サウティの言いつけで、この場に控えていたのですが」
「お前たちが常ならぬ姿を見せているということで、ダリ=サウティは懸念を覚えたのだ。お前たちは、何をそのように打ち沈んでおるのだ?」
「……何も打ち沈んでなどはいません。どうかわたしたちのことは、放っておいていただきたく思います」
「そうはいかん」と、アイ=ファは青い瞳を鋭く瞬かせた。
「お前たちがそのように不穏な空気を撒き散らしていたら、ジェノスの貴族らと正しく絆を深めることもままなるまい。私がダリ=サウティであったなら、そのような不心得者は森辺に帰れと言いつけているところだ」
「…………」
「しかし、モラ=ナハムは今日の闘技会で勲章を授かった身であるのだから、祝宴の途中で帰ることは許されまい。また、そうでなくともお前たちは、森辺の代表としてこの場に参じた立場であるのだぞ。自らの行状を顧みて、本分を全うしていると言い張れるのであろうか?」
アイ=ファの物腰は沈着であったが、その眼光と口調には威厳があふれかえっている。それでさしものフェイ=ベイムも、力なく目を伏せることになった。
「そう……ですね。わたしは自分の心情にばかりかまけて、まったく本分を全うできていなかったように思います。かえすがえすも、自分の至らなさを恥ずかしく思います」
「フェイ=ベイムは本来、誰よりも道理を重んずる人間であるはずだ。そんなフェイ=ベイムが心を乱すからには、それ相応の理由があったのであろう?」
アイ=ファがそのように言いつのると、フェイ=ベイムはたちまち目のふちを羞恥に染めた。
「わたしは、ただ……モラ=ナハムが、あまりに悄然としているので……それを心配するのと同時に、苛立たしく思っていただけのことです」
「ふむ。確かにモラ=ナハムは、ずいぶん気落ちしているようだな」
アイ=ファはそのように語っていたが、モラ=ナハムはモアイ像のごとき無表情だ。ただその淡い水色の瞳は、普段以上に暗く陰っているように感じられた。
「控えの間に参じた折から、モラ=ナハムはいささかならず打ち沈んでいたように思う。やはり、闘技会の結果に不満を残しているのであろうか?」
「うむ……自らの弱さに、ほとほと嫌気がさしている」
モラ=ナハムが重々しい口調でそのように応じると、フェイ=ベイムはキッとまなじりを上げた。
「モラ=ナハムが弱かったら、森辺の狩人の半数以上が弱いということになってしまうはずです。あまりに自分を卑下するのは、同胞の誇りを踏みにじるのに等しい行いなのではないでしょうか?」
「いや……俺は弱い……肉体ばかりでなく心までもが弱いから、あのようにぶざまな姿をさらすことになったのだ」
「そんな――」とフェイ=ベイムが詰め寄ろうとすると、アイ=ファが身振りでそれをさえぎった。
「心の弱さとは、レム=ドムを相手に気が引けてしまったことについてであろうか? 確かにあれは、レム=ドムの覚悟を踏みにじる行いであったやもしれんな」
「うむ……しかし、それだけの話ではない……俺はおそらく、気負いすぎていた……力比べの場においては、ただ力を尽くすことを心がけるべきであるのに……そこに、私欲を持ち込んでしまったのだ」
「私欲?」と、アイ=ファはうろんげに目を細める。
フェイ=ベイムは怒りの表情を消して、真剣な面持ちだ。それらの視線に囲まれながら、モラ=ナハムは「うむ……」とうなだれた。
「2年前の闘技会において、シン=ルウは優勝を果たし……ゲオル=ザザは、第4位であった……昨年の闘技会において、ジィ=マァムは第2位であり……ディム=ルティムは第6位であった……ゲオル=ザザは、俺よりも強き狩人なのであろうが……第4位に終わったのは、その前の勝負で力尽きたためと聞き及んでいる……ならば俺でも、第3位ぐらいの座は望めるのではないかと……俺はそのように考えて、今日の勝負に挑んだのだ」
「ふむ。それはいささか早計であろうが、べつだん私欲と呼ぶほどではあるまい。いかなる人間でも、まずは最後まで勝ち抜くことを目標にしているのであろうからな」
「いや……俺はデギオンに敗れることで、第3位の座にまでのぼりつめるすべを失った……その時点で、いささかならず気概を失ってしまったのだ……それこそが、俺の心の弱さとなる」
俺は、アイ=ファと一緒に小首を傾げることになった。
「お前はあくまで、第3位の座を望んでいたということか? どうして優勝ではなく第3位であるのかが、私には理解できないのだが」
「メルフリードは、俺の力が及ぶ相手ではない……ゆえに、最初から優勝をあきらめていた……それもまた、俺の心の弱さであろう……しかし、第3位までは祝いの武具を与えられるという話であったので……そこまで勝ち抜けば、胸を張ることができるのではないかと……俺はそのように考えていた……しかし、デギオンに敗れてしまったために、俺は目標を見失ってしまい……敗北してもなお執念を燃やすレム=ドムの前に、膝を屈することになってしまったのだ……」
それでようやく、俺も話の筋道を理解できたような気がした。
しかし、まだ完全に納得できたわけではない。同じように考えたアイ=ファが、さらに言葉を重ねた。
「レム=ドムが執念を燃やしていたのは、見習いの身分から脱したいという思いがあってのことであろう。しかし元来、剣の勝負というのは森辺の狩人の領分ではない。お前は何故、剣の勝負にそうまで執着していたのであろうか?」
「それは先刻も述べた通り、誇りを手中にするためだ……そうしたら……」
と、モラ=ナハムはいっそう深くうつむいた。
「そうしたら……俺もディック=ドムのように、婚儀を願うことができるのではないかと……そんな浅ましい思いにとらわれてしまっていた」
「な……!」と、フェイ=ベイムががっしりとした身体をのけぞらせた。
「な、何を仰っているのですか、モラ=ナハム? ドムの家長が、いったい何だというのです?」
「ディック=ドムは闘技の力比べで勇者となることで、婚儀の願いを告げる覚悟を固めたのだと聞き及ぶ……だから俺も、この闘技会で第3位まで勝ち抜き、祝いの武具を手中にできたなら……フェイ=ベイムに婚儀を願おうと目論んでいたのだ」
モラ=ナハムは先刻のアリシュナよりもしょんぼりとした様子で、そのように言いつのった。
「しかし俺は、デギオンに敗れたことで気概を失ってしまった……つくづく、覚悟が足りていなかったのだ……俺のように弱き人間が、ディック=ドムのように立派な狩人を真似ようなどと目論んだものだから……あのように、ぶざまな姿を見せることになってしまったのだ……」
フェイ=ベイムは、マルフィラ=ナハムのように目を泳がせる。
だが――やがて彼女は彼女らしく面を引き締めて、力のある眼差しをモラ=ナハムに突きつけた。
「では……あなたはもはや、わたしに婚儀を願い出る気概も失ったということでしょうか?」
「そんなことは……」と、モラ=ナハムは弱々しく頭をもたげる。
フェイ=ベイムは、厳しい面持ちでそちらに詰め寄った。
「それでしたら、どうか胸をお張りください。わたしは闘技会の結果など、何も重んじてはいません。それに、少なくともデギオンに敗れるまでは、あなたもまたとない力を示していたのですから……わたしは心より、誇らしく思っていました」
「だが……俺はレム=ドムを相手に、力を尽くすことができなかった……」
「それはあなたの優しさであり、柔弱さであるのでしょう。それを美点とするか欠点とするかは、自分次第だと思われます」
フェイ=ベイムは、父親たるベイムの家長にも負けないほど勇ましい顔つきになっている。
その顔に、透明の涙がこぼれ落ちた。
「わたしもまた、あなたの柔弱さを苛立しく思います。ただレム=ドムに膝を屈したというだけでなく、そんな自分の不甲斐なさをいつまでも嘆いているその姿は……あまりに頼りなく思います」
「うむ……」
「だけどきっと、それはあなたの優しさの裏返しでもあるのでしょう。わたしは傲岸でへこたれない人間ではなく、優しくて柔弱なあなたに心をひかれているのです。どうかその一点だけは、忘れないでいただきたく思います」
「俺は……誰よりも優しい気性をしているのに、気丈な振る舞いでそれを隠そうとするフェイ=ベイムに……心をひかれている」
モラ=ナハムは、ほとんど倒れかかるようにしてひざまずいた。
「フェイ=ベイム……ナハムの長兄モラ=ナハムは、ベイムの末妹フェイ=ベイムを伴侶に迎えたく願っている」
「……家長の許しもなく、そのような言葉を告げてもよろしいのでしょうか?」
「たとえ家長に反対されようとも……俺の気持ちに変わりはない」
そのような言葉を告げる際にも、モラ=ナハムはモアイ像のごとき無表情だ。
そしてその水色の瞳に浮かぶのは、とても不安げな光であった。
フェイ=ベイムは頬を涙で濡らしたまま、静かに微笑む。
「ユーミとジョウ=ランはティカトラスの目をはばかって、婚儀を先のばしにしたそうですよ。ティカトラスがいなくなるのを待っていたら、婚儀は雨季の後になってしまうでしょうね」
「俺は誰の目をはばかるつもりもない……皆がティカトラスの参席を拒むのなら、俺の口からそれを告げよう」
「あなたはとてもやわらかな気性をしておられるのに、時として頑なです。……そんなあなたを、好ましく思っています」
フェイ=ベイムもまた絨毯の上にひざまずき、両腕を胸の前で交差させながら一礼した。
「ベイムの末妹フェイ=ベイムは、ナハムの長兄モラ=ナハムの婚儀の願いを了承します。……集落に戻ったら、ふたりとも家長に叱責されてしまいますね」
「うむ……それでも最後には、祝福してくれよう」
モラ=ナハムはのそりと立ち上がると、宴衣装の懐から取り出した織布をフェイ=ベイムに差し出した。
それを受け取ったフェイ=ベイムは、涙をぬぐう。その父親似である四角い顔には、これまで見せたことのないような澄みわたった微笑がたたえられていた。
「……申し訳ありません、アイ=ファにアスタ。族長ダリ=サウティには、わたしたちから釈明いたします。もうこちらにはかまわずに、どうか祝宴をお楽しみください」
「うむ。ふたりが幸福な行く末を迎えられるように、私も祈っている」
とても穏やかな表情で、アイ=ファはそのように応じた。
俺は満ち足りた気持ちで、ふたりに笑いかけてみせる。
「おめでとうございます、フェイ=ベイム、モラ=ナハム。俺もおふたりの幸せな行く末を祈っています」
「ありがとうございます」と一礼して、フェイ=ベイムはきびすを返す。モラ=ナハムも、よどみのない足取りでそれに続いた。
それを見送りながら、俺はしみじみと感慨を噛みしめる。フェイ=ベイムもモラ=ナハムもあまり内心をさらさない人柄であるが、彼らがどれだけ真剣な気持ちでおたがいに向き合っていたかは、俺も理解しているつもりであった。
「けっきょく最初から最後まで、俺の出番はなかったな。アイ=ファは、さすがだよ」
「ふん。フェイ=ベイムと親しくしているのはお前のほうであったから、まず私が矢面に立とうと思案したまでだ。狩人が刀を抜くまでもなく、猟犬の働きだけでギバを罠まで追い込めたようなものだな」
「あはは。それじゃあ俺たちも、みんなのところに戻ろうか」
と、俺が足を踏み出そうとすると、アイ=ファは長羽織のごとき装束の袖をつまんできた。
「思いの外、早急に問題を解決することがかなった。そうまで急ぐ必要はあるまい」
「え? でも、フェイ=ベイムたちがダリ=サウティと合流したら、どうして俺たちは戻ってこないんだろうってあやしまれちゃうんじゃないか?」
「ふむ。どうあっても、私とふたりで過ごす気にはなれんということだな」
頭のてっぺんから足の爪先まで絢爛な姿をしたアイ=ファが、可愛らしく唇をとがらせる。
そんなアイ=ファの魅力的な姿に、俺があらがえるわけはなかった。
「そんなわけないじゃないか。それじゃあもうちょっとだけ、みんなには待っててもらおうか」
俺が笑顔を送ると、アイ=ファは「ふん」とそっぽを向きながら袖を離した。
「それにしても……城下町で婚儀の約定を交わすなど、前代未聞であろうな」
「うん。しかも、祝宴のさなかだもんな。これは森辺の歴史に残る椿事かもしれないぞ」
「……それでもまあ、ふたりの幸福な心地に変わりはあるまい」
と、アイ=ファはそっぽを向いたまま、とてもやわらかな微笑みをたたえた。
ゆったりとウェーブする金褐色の髪が、その横顔をいっそう美しく彩っている。形のいい耳の上に輝くのは、俺が贈った髪飾りだ。アイ=ファはいつでも美しかったが、この日この瞬間の美しさは息を呑むほどであった。
「アイ=ファは、なんだか……すごく嬉しそうだな」
「うむ? あのようにめでたき場に立ちあうことがかなったのだから、それは得難き話であろう」
と、同じ微笑みをたたえたまま、アイ=ファは俺に向きなおってくる。
美しきアイ=ファに正面から見つめられて、俺は心臓が止まってしまいそうだった。
「それに……レム=ドムもまた、今日という日にはまたとない糧を得ることになった。闘技会など、我々には縁の薄い行いだと判じていたが……案外、そうでもないのやもしれんな」
「うん。町の人たちだって、森辺の祝宴を縁の薄いものだなんて思ってないはずだからな」
「そうだな。つくづく私は、考えが足りていないようだ」
アイ=ファは何のてらいもなく、心のままに微笑んだ。
そうして俺の心は、深く満たされて――俺もまた、心のままに微笑むことになった。
そんな俺たちの幸福な心持ちも知らぬげに、ジェノス城の大広間にはいつまでも祝宴の熱気が渦巻いていたのだった。
たびたび恐縮ですが、第30巻発売キャンペーンの最後の告知をさせていただきます。
明日から、書き下ろしのショートストーリー、29巻までの年表およびキャラクター紹介といったコンテンツが随時公開される予定ですので、ご興味をもたれた御方はご一読くださいませ。
引き続き当作をご愛顧いただけたら幸いです。
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