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異世界料理道  作者: EDA
第七十八章 新たな仕事と闘技会
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祝賀の宴③~和解と提案~

2023.5/21 更新分 1/1

「では……次は我々が、ドムの両名に足労を求める番だな」


 ひとしきりレム=ドムと語ったのち、アイ=ファが鋭い面持ちでそのように言いたてた。

 その視線を追うと、ひときわ華やかな姿をした人物が元気な笑い声を響かせている。その正面にたたずんでいる人々の姿を見て、俺は「うわ」とのけぞることになった。


「ガーデルたちが、ティカトラスに挨拶をしてるのか。これはちょっと、出遅れちゃったな」


「うむ。何も危ういことはなかろうが、我々も参ずるとしよう」


 ということで、俺たちは挨拶回りのために集まった人だかりを迂回して、そちらの一画を目指すことになった。

 ヴィケッツォとデギオンを左右に控えさせたティカトラスと、ガーデルおよびお目付け役のバージが相対している。そちらの抱えた事情は貴族の間にも通達されているらしく、他には近づこうとする人間もいなかった。


「失礼する。我々にも、挨拶をさせていただきたい」


 アイ=ファが凛々しい声音でそのように告げると、ティカトラスが「おお!」と歓喜の雄叫びをあげた。


「やはりアイ=ファには、そちらの宴衣装がまたとなく似合っているね! ダームの仕立て屋をせかした甲斐があったというものだよ! いやあ、まったくもって、炎の精霊のごとき美しさだ! かえすがえすも、アイ=ファを側妻として迎えられなかったことが無念でならないよ!」


 ティカトラスは遠慮なく笑みくずれながら、アイ=ファの麗しき姿を上から下まで検分した。その視線を跳ね返すように、アイ=ファは毅然と言葉を返す。


「また新たな宴衣装を贈られてしまい、こちらは恐縮するばかりだ。して、ガーデルとは和解できたのであろうか?」


「和解も何も! わたしは彼に謝られる覚えもないからねぇ。まあ、ヴィケッツォたちはやいやい騒いでいるけどさ」


「当然です」とヴィケッツォは尖った声で発言する。彼女もまた、近くで見ると輝くような美しさであった。


「兵士の身で貴族に無礼を働くなど、決して許される行いではないでしょう。どうしてジェノス侯がこの者に刑罰を与えないのか、わたしは理解に苦しみます」


「そこはそれ、ティカトラス殿のご意向というものを重んじなければなりませんので」


 と、バージがするりと会話に割り込んだ。彼やガーデルは、武官の白い礼服である。今は背筋を真っ直ぐのばしているためか、ふてぶてしい面がまえをしたバージも立派な武官に見えなくもなかった。


「確かにこちらのガーデルは、王都の貴族たるティカトラス殿に大変な無礼を働いてしまいました。ティカトラス殿がお望みでしたら、正式に審問を執り行って、その罪に相応しい刑罰を下す所存にてございます」


「審問なんて、とんでもない! そのガーデルなる御仁は、ただわたしをにらみつけただけのことだろう? それ自体、わたしは覚えていないぐらいなのだからね! そんな相手をいちいち審問にかけていたら、審問官は寝る間もなくなってしまうよ!」


「ですが――」


「それに、そんな騒ぎになってしまったら、わたしが気楽に宿場町をうろつくことも難しくなってしまうじゃないか! ただにらんだだけの相手を審問送りにしたなんていう評判が広まったら、誰もわたしの相手をしてくれなくなってしまうだろうからね!」


 ティカトラスは長羽織のごとき装束の袖をぱたぱたとそよがせながら、そのように言い放った。


「だからわたしはなんべんも、不問に処すと言っているだろう? 謝罪の言葉なんてもう腹いっぱいだし、ヴィケッツォの怒った顔も見飽きたよ! せっかくの宴衣装なんだから、剣士としての勇ましさは引っ込めておいてほしいものだね!」


 やはりティカトラスは、こういうスタンスであるのだ。それはガーデルとの再会を果たした最初の日にも、宿場町の往来で示されていたのだった。

 いっぽうガーデルは、おどおどと目を泳がせている。立派な装いも形無しの弱々しさだ。


「せ、せっかくの祝宴の場でご面倒をおかけしてしまい、本当に申し訳ありません。ですが、俺は……あ、いや、小官は、何としてでもあの日の無礼を償わなければなりませんので……」


「だから! 君がいつまでもへどもどしているから、ヴィケッツォも引くに引けなくなってしまうのだよ! もとよりヴィケッツォは、柔弱な男子というものを何より毛嫌いしているからさ!」


 ティカトラスは珍しくも眉を下げて笑いながら、またアイ=ファのほうに向きなおった。


「アイ=ファも、何とか言ってくれないかなぁ? このガーデルなる若者は、君たちの友人なんだろう?」


「うむ。我々は、ガーデルと正しき縁を結ぶべく尽力している。それについても、メルフリードらから説明があったのでは?」


「うん、いちおう聞いているよ。ジェノスはこの先も大勢の貴人を迎えるから、この若者がまた無礼を働いたら一大事! ということなのだろう?」


 そう言って、ティカトラスはぽんと手を打った。


「そうだ! それなら、心配の種を摘み取ってしまえばいいのだね! ガーデル! 君はわたしがアスタを王都に連れ去るのではないかと心配して、わたしをにらみつけることになったというのだろう? でもわたしは、アスタにそこまでの価値を見出しているわけではないのだよ!」


「ええ? で、ですが……あなたはアスタ殿をお屋敷の料理人として迎えようとしていたのでしょう……?」


「うん! でもそれは、トゥール=ディンやレイナ=ルウも同じことだからね! わたしにとってのアスタというのは、優秀な料理人のひとりに過ぎないんだ! それよりも、側妻として迎えたかったアイ=ファのほうが、よほど特別な存在だね! 側妻か従者か迷うことになったヤミル=レイも、また然りだ!」


 そんな言葉を並べたててから、ティカトラスはにわかに語調を静めた。


「それに……アスタに相応しいのは、王都ではなくジェノスだと思う。いや、きっとシムにもジャガルにも、ジェノスよりアスタに相応しい土地はないのだろう。森辺の民にさんざん誘いをかけたわたしが言うのも、なんだけれども……やっぱり森辺の民というのは、森辺で暮らすべきだと思うのだよね」


「はあ……」


「それで、もうじきジェノスにはジャガルやゲルドの貴き方々が集結するのだよね? もしもそれらの方々がアスタを連れ去ろうとしたならば、わたしもそれを阻止するべく力を尽くしてあげようじゃないか」


「ほ、本当ですか?」と、ガーデルは身を乗り出す。

 そこで「待たれよ」と発言したのは、我が最愛の家長殿である。


「そもそもダカルマスやアルヴァッハは、アスタを連れ去ろうなどとは考えていない。ガーデルに無用の心配を与えるのは、差し控えてもらいたく思うのだが」


「本当に、そのように言いきれるのかな? 人の心というのは、移ろいやすいものであるのだよ?」


「……少なくとも、ダカルマスやアルヴァッハは信用に足る人間であるはずだ」


「そうかそうか。では、その側近たちはどうなのかな? 王子殿下や藩主の子息殿のご機嫌を取るために、アスタを献上しようなどと考える悪辣な人間がまぎれこんでいるかもしれないじゃないか。そのような者は絶対に存在しないと、アイ=ファに断言することはできるのかな?」


 アイ=ファがぐっと言葉を詰まらせると、ティカトラスは「それにね」と言いつのった。


「それ以外にも、アスタの存在を求めてジェノスにやってくる人間は後を絶たないかもしれない。何せアスタの評判というのは、傀儡の劇や行商人を通して大陸の隅々にまで行き渡っているのだからね。そんな際にも、わたしの力を貸してあげようじゃないか」


「あなたの力を? しかしあなたは、この先ジェノスで暮らすわけではなかろう?」


「うん。もしもわたしの不在時にそんな輩が現れたならば、わたしの名前を貸してあげるよ。ダーム公爵家のティカトラスはファの家のアスタが森辺に留まることを望んでいると、そのように告げてあげるといい。そうしたら、公爵家よりも格式の低い貴族はすごすごと引き下がるしかないだろうさ」


 俺は、心から驚かされることになった。


「ど、どうしてティカトラスが、そこまでしてくださるのです? ティカトラスは、俺にそれほどの関心は抱いておられないのでしょう?」


「うん。でもやっぱり、君は森辺に留まるべきだと思うのだよね。君はどこからどう見ても、清く正しい森辺の民だから……森辺でこそ、君の存在は調和するのだろうと思うのだよ。そんな君が森辺を出たら、どんな騒乱を巻き起こすか知れたものではないからさ」


 そんな風に言ってから、ティカトラスはにんまり微笑んだ。


「そして、わたしにとっての君は特別な存在でないけれど、アイ=ファは側妻に迎えたいとまで願った相手だ。アイ=ファの悲しむ姿なんて、わたしは想像したくもないのだよ。だったら君には、魂を返すまで森辺に留まってもらわないとね」


 俺は目を白黒とさせ、アイ=ファは眉を吊り上げながら顔を赤くした。そして、ヴィケッツォはそんな俺たちの姿をじっとりとにらみつけており――バージは、いつになくかしこまった面持ちで一礼した。


「ティカトラス殿にそこまでのお言葉を賜り、恐悦至極にてございます。ガーデルは感銘のあまり言葉も出ないようですので、僭越ながら小官から御礼の言葉を申し述べさせていただきたく存じます」


「うんうん。これでガーデルも、もうわたしに無礼を働こうなんてことは……うわ」


 と、ティカトラスがおかしな声をあげて長身をのけぞらせる。何事かと思ってガーデルを振り返ると、彼は涙目になってティカトラスを見つめていた。


「あ、ありがとうございます……ティカトラス殿が、アスタ殿のためにそこまで尽力してくださるなんて……」


「嫌だなぁ。女人の涙は美しいけれど、殿方の涙なんて目の保養にもならないよ。そんな目で、わたしを見ないでくれたまえ」


 ティカトラスを困らせるなどというのは、ガーデルも大したものであった。

 ティカトラスはガーデルの涙目から逃げるように俺たちのほうを振り返って、「さて!」と手を打ち鳴らす。


「それじゃあこれで、手打ちということにしようじゃないか! お詫びの言葉もお礼の言葉も、ここでおしまいだ! わたしはさっさと挨拶を済ませて、祝宴を楽しみたいのだよ! ただでさえ、今日は窮屈な席で半日を過ごすことになってしまったしさ!」


「それじゃあわたしも、挨拶をさせていただこうかしら」


 レム=ドムが皮肉っぽい笑顔で進み出ると、ティカトラスは嬉しそうに口の端を上げた。


「そうそう! レム=ドムには、祝福を捧げないとね! 5位入賞、おめでとう! デギオンと対戦の機会がなかったのは残念な限りだけれども、実に立派な結果じゃないか! ただ惜しむらくは、君の宴衣装を拝見できなかったことだね!」


「ふふん。そのデギオンも、ひとまず元気そうで何よりだったわ。ずっと医術師に面倒を見られていたようだったから、わたしも心配だったのよ」


「レム=ドムに心配されるなんて、光栄な限りだね! 見ての通り、デギオンは元気だよ! ただ、咽喉をひどく痛めてしまって、しばらくは呼吸もままならなかったみたいなんだ!」


 ティカトラスの言葉に、デギオンはうっそりと一礼する。彼は礼装の白装束であったが、その詰襟から灰色の包帯が覗いていた。


「おかげで数日ばかりは声も出せないようなので、挨拶をできない無礼は許していただきたく思うよ! それにしても、レム=ドムの剣を振るう姿は美しかったねぇ」


 そこでティカトラスは、またにんまりと微笑んだ。


「ついては、君を我が屋敷の守衛にお招きしたいのだが……やっぱり、肯じてはもらえないかな?」


「ええ。あなたの屋敷にギバがいないのなら、お断りさせていただくわ」


「うむ、残念だ! 気が変わったら、いつでも声をかけてくれたまえ!」


 ティカトラスはかつて森辺の集落をまんべんなく巡っていたため、レム=ドムとも気安い関係を構築できているようである。そんな両名のやりとりを、ディック=ドムは無言で見守っていた。


「では、ひとまず挨拶はここまでにしてもらえるかな? アイ=ファの麗しき姿はまだまだ見足りていないので、またのちほどね!」


 そうして俺たちは珍しくも、ティカトラスに追い払われる格好で身を引くことになった。

 ティカトラスのもとにも、挨拶回りの人々が集結する。それを尻目に、アイ=ファはひとつ息をついた。


「とりあえず、話は丸く収まったようだな。ある意味では、ガーデルの執念にティカトラスが折れた形であろうと思うぞ」


「執念? こやつはただ、しつこく頭を下げていただけだがな」


 バージが皮肉っぽく応じると、アイ=ファはガーデルをじっと見据えた。


「ティカトラスは、最初から許すと述べていたのであろう? それでガーデルは、何故に謝罪を重ねることになったのであろうか?」


「は、はい……ティカトラス殿は、確かに許すと言ってくださったのですが……ご息女のほうは、まったく怒りが収まっていない様子であられたので……」


 ガーデルが目を泳がせながら答えると、アイ=ファは満足そうに目を細めた。


「以前のあなたは、他者の心情などまったく慮っていなかったはずだ。あなたの変化を、得難く思う」


「きょ、恐縮です……」と、ガーデルははにかむように微笑む。

 それを見て、バージは「ふふん」と鼻を鳴らした。


「言っては悪いが、何やら母子の問答のようだな。……このように美しき母親であったなら、子も素直になろうというものだ」


「……昼にも問うたが、あなたは森辺の習わしを存じていないのであろうか?」


「外見を褒めそやすなと言い張るならば、着飾らなければいいではないか。そのように麗しき姿をさらしながら余人に我慢を強いるというのは、ずいぶん傲慢であるように思えるぞ」


 アイ=ファは意表を突かれた様子で、わずかばかり眉をひそめた。


「しかし……城下町の祝宴で宴衣装を纏うべしと言いつけるのは、貴族の側だ。許されるならば、私も普段の姿で参じたいと願っている」


「であれば、参席を断るべきでは? それでべつだん、罰せられることはなかろう?」


「……しかし我々は、外界の人間と正しき縁を紡ぎたく願っている」


「であれば、城下町の流儀に従うべきでは? 城下町の祝宴において貴婦人の美しさを褒めそやすのは、もはや礼儀の一環であるのだぞ。そのような場に乗り込んできて賞賛の言葉を禁じるというのは、正しき交流と呼べるのであろうかな?」


 アイ=ファはひどく思い詰めた面持ちで、考え込んでしまった。


「確かに……あなたの言葉にも理はあるかと思うが……」


「そうであろう? 思うに、森辺の民は過去のいきさつから、大事に扱われすぎているのではなかろうかな。そのように遠慮をされていては、いつまで経っても絆は深まるまいよ」


 そう言って、バージはいっそう愉快げに白い歯を見せた。


「とまあ、そんな屁理屈をこねたくなるぐらい、俺はアイ=ファ殿の美しさに心を奪われているのだ。しかも、剣士としての凛々しさもまったく損なわれていないのだから、驚きだ。そんな気迫がこぼれていなかったら、強引にでも寝所に連れ込みたいところだぞ」


「……それは、城下町の祝宴に相応しき言葉であるのか?」


「おっと、こちらは下町の流儀がこぼれてしまったな。俺もいちおう騎士階級の身分なんだが、下町で悪さをするのが一番の楽しみであったのだ」


 バージは含み笑いをこぼしつつ、その場にたたずむ面々をぐるりと見回した。


「それにしても、これは大層な顔ぶれだな。森辺の民は誰もが非凡なのやもしれんが、その精鋭を目の前に迎えた気分だぞ」


「ふうん。わたしなんて、見習い狩人に過ぎないけれどね」


 レム=ドムが不敵な笑顔で発言すると、バージは「いやいや」と手を振った。


「狩人としてはどうだか知らんが、剣士としては立派なものだ。俺は毎年、闘技会を拝見しているが……これほどに心が震えたのは、シン=ルウ殿とメルフリード殿の一戦以来であろうな」


「へえ。シン=ルウはルウ家の勇者なのだから、ここは光栄と言っておくべきなのでしょうね。……でもどうせ、あなたはわたしに勝てると思っているのでしょう?」


「それは、勝負の形式によるだろうな。……まあ、アイ=ファ殿やディック=ドム殿には、どのような形式でも勝てる気がせんが」


「……俺は、名前を名乗ったであろうか?」


 ディック=ドムが重々しく反問すると、バージは気安く肩をすくめた。


「こちらに入場する際、名前と身分は告げられているではないか。それに、森辺の主要な方々の名前は事前に通達されている。俺としては、ドンダ=ルウ殿やグラフ=ザザ殿にも、早々にお目通りを願いたいところだな」


「……たがいが望めば、いずれ縁は紡がれよう」


 それだけ言って、ディック=ドムは口をつぐんだ。

 バージは満足げにうなずきつつ、ガーデルのほうを振り返る。


「さて。ついつい俺ばかり喋ってしまったな。森辺の方々とご縁を深めるべく尽力するのは、お前さんの役割であろうが?」


「は、はい……ですが俺は、集団の場で語らうのが苦手な性分なもので……」


「たった6名で、何が集団か。まったく、腰の据わらないやつだ」


 バージはにやにやと笑いながら、また俺たちを見回してきた。


「まあ、ガーデルはこういうやつなんでな。ご縁を深めるには、長きの時間が必要となろう。よって本日はともに祝宴を楽しませていただきたく思うのだが、如何であろうか?」


「うむ。我々としても、ガーデルと語らう貴重な機会であるからな」


 そこでアイ=ファとバージは、同時に「しかし」という言葉を口にした。


「おっと、まだ語っている最中であったか。これは失礼した」


「いや。何かあるなら、そちらから語ってもらいたい」


「うむ。宴料理で腹を満たす前に、まず外交官殿に挨拶をするべきではないかと思ってな。どうも外交官殿は、森辺のお歴々がティカトラス殿ばかりにかまいつけていることが不満であられるようだ」


 アイ=ファは驚きの念を隠したいかのように、すっと目を細めた。


「……私も、同じことを語ろうとしていた。先刻から、フェルメスがやたらと視線を飛ばしてくるのでな」


「ほう。アイ=ファ殿の位置からは外交官殿の姿も見えなかろうに、さすが森辺の狩人といったところだな。では、そちらの挨拶を済ませておこうか」


 バージがさっさと身をひるがえしたので、俺たちもそれを追いかける格好でフェルメスのもとを目指すことになった。

 その道中で、レム=ドムが俺とアイ=ファの間に首を突っ込んでくる。


「ガーデルというのはいかにもつまらなそうな男衆だけれど、バージというのはなかなか噛みごたえがありそうね。アイ=ファが町の人間に言い負かされるなんて、想像もしていなかったわ」


「……私はべつだん、口論をした覚えはない」


「その割には、悔しそうな顔をしているじゃない。まったく、可愛いんだから」


 アイ=ファは少しだけ口をとがらせながら、手の甲でレム=ドムの顔を追いやった。

 俺もまた、バージの印象が変わっている。というか、バージは出会って間もない相手であるが、顔をあわせるたびに新たな印象が生まれるといった感じであった。


(まあ、第一印象からして、あまり只者ではなかったからな。ここは、心強いと考えておくことにしよう)


 名のある貴族は挨拶を受けるために、ずっと神像の足もとに留まっている。その行列に並んだ俺たちは、しばらくしてフェルメスの前に到着した。


「どうも、おひさしぶりです。フェルメスのおかげもあって、トゥランの商売も順調に進められています」


 まずは俺が口火を切ると、フェルメスは優美に微笑んだ。


「それは何よりです。レム=ドムも、入賞おめでとうございます。……ガーデルも、ずいぶん元気になられたようですね」


「は、はい。そ、その節は、せっかくおいでいただいたのに、追い返すような形になってしまって……本当に申し訳ありません」


「いえいえ。ガーデルは療養中の身であったのですから、お詫びの必要はありません。どうぞ祝宴をお楽しみください。……バージも、ご同様に」


「は。小官ごときを見覚えていただき、恐悦の至りにてございます」


 バージは、かしこまって一礼する。人を食った御仁であるが、やはり貴族への礼節は重んじているようだ。

 が、フェルメスのほうはいくぶんよそよそしい。ガーデルやバージに対してばかりでなく、俺に対しても嬉しそうな眼差しのひとつも浮かべないのだ。それは何だか、ちょっぴりすねているようにも思える仕草であった。


(挨拶が遅れたから、機嫌を損ねちゃったのかな? いやでも、こうやって事前に挨拶をしない日だって珍しくないはずだけど……)


 そんな疑念を抱えつつ、さしたる会話もできないまま、俺はフェルメスの前から退くことになった。

 すると、アイ=ファが溜息まじりに解説してくれる。


「どうもフェルメスには、こちらの心情を見透かされてしまったようだな」


「え? こっちの心情って?」


「こちらがフェルメスの不満を悟ったということを、悟られてしまったのだろう。あやつはあやつで、誰よりも目ざとい人間であるからな」


 そんなお情けで挨拶をされても嬉しくはない、ということであろうか。

 つまりはやっぱり、すねているということなのかもしれなかった。


「まあとにかく、これで外交官殿への義理は果たせた。噂に名高いジェノス城の宴料理を堪能しようではないか。それに、森辺の料理人も宴料理を手掛けているというのなら、期待も倍増だ」


 バージはご満悦の様子で、歩を進めている。

 そちらに疑念の声を投げかけたのは、アイ=ファであった。


「バージよ。あなたはさきほど騎士階級の貴族と称していたが、これまでジェノス城の祝宴に参ずる機会はなかったのであろうか?」


「うむ。騎士階級など名ばかりの貴族であるし、おまけに俺は三番目の男児であったからな。このように立派な祝宴とは、無縁の身だ」


「そうか。それでもあなたはメルフリードからの信頼も厚いようであるし、それに相応しい力を持っているように見受けられる。そんなあなたが祝宴にすら招かれないというのは、少々意外に思えるな」


 アイ=ファの言葉に、バージはまた不敵な笑みをたたえた。


「アイ=ファ殿にそうまで言っていただけるのは、光栄な限りだな。しかし俺は近衛兵団の中でも裏方の、特務部隊の所属となる。どれだけの任務をこなそうとも、このように晴れやかな場とは無縁であるのだよ」


「ふむ。特務部隊とは、どのような仕事を果たす一団なのであろうか?」


「言ってみれば、雑用係だ。任務の内容は多岐にわたるため、とうてい簡単には説明しきれん。たとえば……ガーデルの行状を調査したのも、俺たち特務部隊となる」


 俺は思わず息を呑んでしまったが、ガーデルの茫洋とした面持ちに変化はなかった。


「ガーデルがどれだけ武器商人の屋敷で虐げられてきたか……そして、護民兵団に入営したのちも、どれだけ粗雑に扱われてきたか……そういった行状も、俺たちが入念に調べあげたのだ」


「……それは、ガーデルも承知しているのだな?」


「ああ。俺がお目付け役として配属された日に、すべて伝えている。べつだん、隠すような話ではないからな」


 そう言って、バージは気安く肩をすくめた。


「しかしまあ、屋敷の主人や当時の大隊長に重用されなかったのは、幸いだ。何せそちらの両名は、大罪人シルエルとともに悪事を働いていたのだからな。お前さんが下手に有能な人間であったなら、それらの悪人どもに目をかけられて、道を踏み外していたやもしれんぞ」


 あまりに明け透けなバージの物言いに、アイ=ファはきゅっと眉をひそめる。

 しかしガーデルは所在なさげに視線をさまよわせつつ、「はは」と小さく笑い声をこぼした。


「む、無能であるがゆえに救われるというのは、なんとも皮肉な話ですね。でも……有能な悪人として処断されるよりは、まだしも幸福であるのかもしれません」


「無能と言われて笑うやつがあるか。これでは俺のほうが冷酷非情とそしられてしまうではないか」


 そんな風に言いながら、バージのほうも笑っている。

 なんとも奇妙な人間関係であるが――しかし、あのガーデルが笑っているのだ。それでアイ=ファも文句をつける気が失せたらしく、溜息をつくことに相成った。


(バージはつかみどころがないけど、ガーデルとの相性はいいのかもな。本当に、数年来の友人みたいな雰囲気だ)


 であれば、俺もバージを見習うべきなのであろうか。

 それはあまりに、難しいように思えてならなかったが――それならそれで、俺は俺なりにガーデルと絆を深めなければならなかった。

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[良い点] バージ弁が立つなw
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