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異世界料理道  作者: EDA
第七十八章 新たな仕事と闘技会
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祝賀の宴②~宴の始まり~

2023.5/20 更新分 1/1

 俺たちが控えの間で四半刻ばかりも歓談していると、ようやく調理に取り組んでいた面々もやってきた。

 レイナ=ルウ、トゥール=ディン、スフィラ=ザザ、そして護衛役のゼイ=ディンという顔ぶれである。そちらは全員が、新たな宴衣装の姿であった。


 レイナ=ルウは朱色、トゥール=ディンは茶色、スフィラ=ザザは藍色――そして、ゼイ=ディンも茶色である。俺が生誕の月を知るのはレイナ=ルウとトゥール=ディンのみであったが、まあ残りの2名も推して知るべしであろう。スフィラ=ザザの双子の弟であるゲオル=ザザも、同じく藍色の宴衣装であったのだ。


「トゥール=ディンとゼイ=ディンは、おそろいの色なんだね。すごく似合ってると思うよ」


 俺がそのように告げると、トゥール=ディンは心から恥ずかしそうにうつむいてしまった。だが、他の面々より多少ながらシックな色合いをした茶色の宴衣装は、ディンの父娘によく似合っていたのだった。

 ちなみにルウ本家も茶の月の生まれである人間が多く、ジザ=ルウもそのひとりとなる。よって、ジザ=ルウもディンの父娘と同じ色合いの宴衣装となっていた。


 また、レイナ=ルウは小柄ながらも抜群のプロポーションであるし、スフィラ=ザザもすらりとしたモデル体型であるため、俺はまたもや目のやり場に困ってしまう。ふだん友人として接している異性の色香というのは、なかなか扱いに困るものであるのだ。ただし、俺がアイ=ファ以外の異性に胸を騒がせる理由はなかった。


 そうしてレイナ=ルウたちが腰を落ち着ける間もなく、案内の小姓がやってくる。ついに、祝賀会の開始時間となったのだ。

 俺たちは、二列縦隊で回廊を進む。まだ日没までには一刻を残していたが、窓の少ない回廊には燭台が灯されており、それがいっそう宴衣装の絢爛さを際立たせた。


 その行き道で、レム=ドムとモラ=ナハムとドーンは別の入場口へと案内されていく。

 そして俺たちはジェノスの作法に則って、族長に近い血筋の人間から順番に入場させられた。

 こういった流れもひと月ぶりであるので、何も目新しいことはない。しかしやっぱり、緊張や昂揚と無縁ではいられなかった。


 ダリ=サウティとサウティ分家の末妹、ジザ=ルウとレイナ=ルウ、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザ、ラウ=レイとヤミル=レイ、ディック=ドム、トゥール=ディンとゼイ=ディン、フェイ=ベイム――そして最後が、俺とアイ=ファだ。


 会場には、いずれも豪奢に飾りたてた貴族たちが待ちかまえている。しかし誰もが、アイ=ファを筆頭とする森辺の女衆の美しさに感嘆のざわめきをあげていた。

 広大なる空間を明るく照らし出すシャンデリアに、楽団の奏でるゆったりとした演奏の音色、宴料理を並べるための巨大な卓、料理を楽しむための小さな円卓、毛足の深い絨毯、天鵞絨の壁掛け、西方神の巨大な神像――何もかもが、ひと月ぶりの光景である。200名からの参席者がもたらす熱気とさんざめきをかき分けつつ、俺はアイ=ファとともに祝宴の会場を突き進んだ。


「やあ、アスタ! 今日は早々に挨拶できたねー!」


 と、俺たちが壁際の一画に再集結すると、元気いっぱいの声を投げかけられた。青い宴衣装を纏ったディアルと、武官の礼装めいた白装束のラービスである。


「うわー! 近くで見ると、やっぱり大層な宴衣装だねー! あんまり見た覚えのない様式だけど、西の王都の流行なのかなー?」


 と、ディアルはエメラルドグリーンの瞳でアイ=ファの姿を眺め回す。アイ=ファはクールに、「さてな」と応じた。


「我々は貴族の流儀に背かぬよう、あてがわれた装束を身につけるだけだ。狩人たる私には、ラービスのような装束を準備してもらいたいものだがな」


「あはは! 確かにこういう格好も、アイ=ファはすっごく似合うけどさ! でも、アスタがガッカリしちゃうんじゃない?」


「あはは。返答は差し控えておくよ」


 俺はそのように答えたのに、けっきょくアイ=ファに頭を小突かれてしまった。


「でも、そういうアスタも立派な格好だねー! ただ、黒い宴衣装ってのは、ちょっと珍しいかな? 黒ってのは冥神の色だから、普通はおめでたい席で身につけないもんねー!」


「ああ、なるほど。でも、以前の祝宴ではヴィケッツォも黒い宴衣装だったからね。ティカトラスには、あんまり関係ないのかな」


「あはは! あのお人だったら、そうなんだろうねー! 何せ、渡来の民との間に子を生しちゃうようなお人なんだから!」


 ディアルは普段以上に楽しそうな様子である。そして彼女はじわじわと髪がのびているため、こういう場では格段に女性らしさが増していた。


「ディアルは何だか、ご機嫌みたいだね。何かいいことでもあったのかな?」


「べっつにー! ただ最近は仕事のほうが忙しいし、こういう祝宴もそっちがらみのつきあいばっかりだったからさー! アスタたちが来てくれると、心置きなく祝宴気分を味わえるって感じかなー!」


 ディアルの心を和ませるお役に立てたのなら、俺としても光栄な限りである。

 そうしてディアルが他の面々とも挨拶をしている間に、さらなる貴賓が来場してきた。貴族の中でも、とりわけ身分の高い人々だ。


 トゥラン伯爵家はリフレイアとトルストで、名前は呼ばれないが従者のシフォン=チェルとムスルも同行している。ダレイム伯爵家はポルアースを筆頭に、ご一家が勢ぞろいだ。それに付き従っているのは、シェイラとニコラとルイアの3名であった。

 そしてサトゥラス伯爵家も、普段通りの顔ぶれである。セランジュとの婚約を発表したリーハイムは、とても明るい面持ちであった。


 さらに、王都の外交官たるフェルメスとオーグ、従者のジェムドも入場し――その次が、ティカトラスと息女のヴィケッツォであった。

 そちらの両名が入場すると、森辺の一行に負けない感嘆のざわめきが巻き起こる。ヴィケッツォが美しいばかりでなく、ティカトラスも派手であるため、見る者をおののかせてやまないのだ。


 ティカトラスもまた、長羽織のごとき装束である。ただ、俺が2日前に見たのとは、また異なるデザインだ。そちらはコバルトブルーを基調にしており、俺の目に間違いがなければ竜と思しき生き物の刺繍が銀色の鱗をきらめかせつつ躍動していた。

 頭に巻きつけたターバンも、装束に合わせて青い色合いをしている。そしてそこにも胸もとにも手首にも指先にも、数々の銀細工や宝石が飾られていた。ティカトラスはそれほど個性的な容姿をしていないが、背丈は高くてスリムであるため、宴衣装の映えるプロポーションであると言えた。


 いっぽう、ヴィケッツォは――このたびも、黒一色の宴衣装である。

 ただし、かつての祝宴とはまた異なるデザインだ。起伏の豊かな肢体を強調するぴったりとしたワンピースであることに違いはなかったが、両方の肩と胸もとの上半分が露出するチューブトップのデザインで、足もとは腿の付け根まで深いスリットが入っている。指輪や腕輪や首飾りなどが銀細工で統一されており、もともと髪も瞳も肌も漆黒の色合いであるため、ブラックとシルバーのツートーンになっていた。


 ヴィケッツォというのは、やはり森辺の女衆に匹敵する美しさである。妖艶さではヤミル=レイに負けていないし、剣士として鍛えているためか、アイ=ファに通ずる凛々しさをも兼ね備えているのだ。それで余計に、俺は魅力的に感じてしまうのかもしれなかった。


(それでも俺は、アイ=ファひと筋だけどな)


 それを自分に証明するべく、俺は隣のアイ=ファへと視線を転じる。

 もうそれなりの時間をともにしているのに、やっぱりこちらの宴衣装のインパクトは絶大だ。それで俺が無事に心拍数を上昇させると、何かを察したアイ=ファが頬を染めながら肘で腕を小突いてきたのだった。


 そんな一幕も知らぬげに、最後の来場者の名前と身分が告げられる。

 最後はもちろん、領主の一家たるジェノス侯爵家である。マルスタイン、エウリフィア、オディフィア――出場者のメルフリードは不在であったが、それらの人々もみんな息災であるようであった。


「それではこれより、闘技会の授賞式を執り行いたく思う」


 西方神の足もとに到着したマルスタインが、朗々たる声音でそのように告げた。


「本年も立派な大会であったことは、皆々もその目で見届けた通りである。またとない武勇で我々の胸を高鳴らせてくれた剣士たちに、祝福を捧げてもらいたい。……では、入賞者の8名をここに」


 小姓たちの手によって、大広間の左手側の扉が開かれた。

 8名の剣士たちが、下位の順位から入場してくる。ドーンの素っ頓狂な格好に今さら驚く人間はいなかったし、森辺の狩人たるモラ=ナハムもそれは同様であったが――ただし、レム=ドムだけは驚嘆のざわめきを生み出していた。


 もちろんレム=ドムが女性であったことは周知されていたのであろうが、しかし試合中はずっと甲冑を纏っているため、素顔をあらわにするのはこれが初めてのことであったのだ。俺たちにとっては見慣れているレム=ドムの姿も、城下町の人々にとっては驚きに値するのだろうと思われた。


 レム=ドムは、180センチ近い長身の持ち主である。それに、狩人としてその身を鍛えぬいているために、手足にも腹部にも筋肉の線が浮かんでいる。もともと筋肉質であったのか、その身の逞しさはアイ=ファ以上であるのだ。

 しかしレム=ドムもまた、女性らしい優美さをしっかり保っている。胸も腰も大きく張って、腰だけがぎゅっとくびれているのだ。しかも彼女は容姿が整っているし、人並み以上の色香も持ち合わせているため、美しき女戦士と呼ぶに相応しい姿であるのだった。


 それにレム=ドムは、森辺の装束を纏っている。外来の客人の証である朱色のマントを羽織っているものの、それは背中のほうにはねのけられているため、彼女の逞しくも優美な肢体はおおよそ人目にさらされていた。

 森辺の装束というのは渦巻き模様の胸あてと腰あてのみであるので、単純な露出度で言えばこの会場でナンバーワンであろう。さらに彼女は狩人の証たる牙と角の首飾りをさげていたし、腕や腰には骨の飾り物を装着している。それでいっそう、勇猛な印象が上乗せされるのだった。


 これでレム=ドムが厳つい容姿をしていたら、それこそ祝宴の場には似合わないほどの猛々しさになっていたかもしれない。しかし、目尻の上がった大きな目に、彫りの深い顔立ちに、肉感的な唇という、端整かつ色香の漂うレム=ドムの容姿が、美しさと勇猛さの絶妙なバランスを構築していた。


(そういえば、ひとつひとつのパーツはヴィケッツォと似てるのかもな)


 だが、トータルとしての印象はまったく似ていない。同じような要素を持ち合わせつつ、ヴィケッツォは妖艶なほうに、レム=ドムは勇猛なほうに、それぞれ大きく針がふれているのだ。それにやっぱり骨格に関しては、レム=ドムのほうが逞しいのだろうと思われた。


 ともあれ――森辺では見慣れた姿でも、城下町の祝宴の場では異彩を放ってやまないレム=ドムである。なおかつ彼女は人々の驚嘆など素知らぬ顔で闊歩しているため、その堂々たるたたずまいがいっそうの風格を生んでいるようであった。


 そんなざわめきの中、デギオンとレイリスも入場する。

 そちらの両名はレム=ドムのインパクトにまぎれてしまったが、メルフリードが登場した際には別種のざわめきがあげられた。メルフリードは近衛兵団団長としての立派な礼装であったが、左腕を三角巾で吊っており、顔の真ん中を灰色の包帯に巻かれていたのだった。


「……どうやら、レム=ドムの攻撃がずいぶん響いてしまったようだな」


 と、アイ=ファがこっそり囁きかけてくる。

 メルフリードはレム=ドムとの対戦で左肩を打たれ、顔面を殴りつけられていたのだ。それ以外の対戦では、いかなる攻撃もくらっていないはずであった。


 そうして最後にデヴィアスが登場すると、またまた別種のざわめきがあげられる。そしてそこには、笑い声も含まれていた。意気揚々と進軍するデヴィアスもまた武官の礼服姿であったが、銀灰色の毛皮のマントを羽織っており、右肩には銀獅子の頭部が鎮座ましましていたのだった。


 なんだか森辺の婚儀の衣装を思わせるデザインであるが、デヴィアスが纏っているのは明らかに模造品だ。たてがみまで生えそろっている銀獅子にしてはサイズが小さすぎたし、それなりに精巧な作りをしていたものの、毛並みや質感はいかにも作り物めいている。言ってみれば、巨大なぬいぐるみの頭部を肩にのせているようなものであり、それが人々に笑い声をあげさせているのだった。


「それでは、勲章を授与する」


 マルスタインの言葉に呼ばれて、オディフィアがしずしずと進み出た。勲章のプレザンターは、いつもこの幼き姫君が務めているのだ。トゥール=ディンは隠しようもない情愛を眼差しににじませながら、オディフィアの姿を見守っていた。


 下位の人間から順番にひざまずいて、胸もとに銀色の勲章を授かっていく。

 護民兵団の中隊長、ドーン、モラ=ナハム――そしてレム=ドムの順番になると、彼女の力強い声が大広間に響きわたった。


「ありがとう、オディフィア。トゥール=ディンの大事な友たるあなたにこのようなものを授かって、光栄だわ。まあ、そちらはわたしのことなど、見覚えていないかもしれないけれど」


「ううん、おぼえてる。おめでとう、レム=ドム」


 オディフィアは、かつてザザの収穫祭に招待されているのだ。ただそれは、もう1年近くも昔日の話であった。


「それなら、いっそう光栄だわ。今日は一緒に、トゥール=ディンの菓子を楽しみましょうね」


 オディフィアは無表情のまま、ただ灰色の瞳をきらきらと輝かせつつ、「うん」とうなずいた。

 そうして第4位のデギオンは無言のまま勲章を授かり、その次からはエウリフィアも進み出る。上位3名には、記念の品も贈られるのだ。


 第3位のレイリスは短剣、第2位のメルフリードは細身の長剣、優勝者のデヴィアスは幅広の立派な長剣となる。デヴィアスに長剣を捧げながら、エウリフィアはにこりと微笑んだ。


「おめでとう、デヴィアス。ついに剣王の証を手に入れたわね」


「うむ! メルフリード殿は手負いであったし、森辺の方々とは対戦の機会を得られなかったので、あまり胸を張る気持ちにはなれんがな!」


 大きな声でそのように応じたデヴィアスは、参席者のほうに向きなおりながら鞘ごと長剣を振りかざした。


「きっと勝負を見届けたお歴々も、この結果には納得がいっておらんことだろう! 俺の真なる力は次の闘技会で示す所存であるので、それまではかりそめの剣王として威張らせていただくぞ!」


 さらなる笑い声と盛大な拍手が、デヴィアスを祝福した。

 俺もまた、心からの祝福を込めて手を打ち鳴らす。デヴィアスの優勝は時の運もあったのかもしれないが、それも含めて実力であるというのが森辺の作法であったのだ。なおかつジェノスの闘技会というのは、運だけで勝ち抜けるほど甘いものではないはずであった。


「それでは、祝賀の宴を開始する。宴料理の準備が整うまで、しばしくつろいでもらいたい」


 マルスタインがそのように宣言すると、宴料理のワゴンを押す小姓や侍女たちが大広間になだれこんできた。


「じゃ、僕は挨拶回りがあるから、また後でねー!」


 ディアルはラービスを引き連れて、賑わいの場に突撃していく。

 森辺の一行は、まずグループ分けだ。こういった祝宴では、4名ていどのグループに分かれて行動するのが常であった。


「……ファの両名は、こちらに同行を願えないだろうか?」


 そのように呼びかけてきたのは、ディック=ドムである。

 アイ=ファは綺麗にくしけずられた金褐色の髪を揺らしながら、「うむ?」とそちらを振り返った。


「それはもちろん、まったくかまわんが……しかし、ディック=ドムからそのように願われるのは、珍しいように思えるな」


「うむ。レムがどのような心持ちであるのか、いまひとつ判然としないため……アイ=ファを頼らせてもらいたいのだ」


 セルヴァ伝統の宴衣装で神話の軍神めいた風格であるディック=ドムは、重々しい声音でそのように言いつのった。


「5位の座を勝ち取ったことを誇っているのか、そこまでしか勝ち進めなかったことを無念に思っているのか……まあ、おそらくはその両方であろうと思うのだが……何にせよ、レムは心を乱しているに違いない。しかし、アイ=ファがかたわらにあってくれれば、あやつも粗相をすることはあるまい」


「私にレム=ドムの手綱を握れるかどうかは、まったく請け負えたものではないが……しかし、ディック=ドムに頼られるというのは光栄なことだ。私は私なりに、力を尽くさせていただこう」


 アイ=ファは沈着な表情のまま、ただ優しげに目を細める。そんなアイ=ファの優美な姿に、俺はまた胸をどきつかせてしまった。

 その間に、グループ分けは完了する。ザザとディン、ルウとレイは血族同士で組み、残りのサウティとナハムとベイムが結集するという、穏当な結果になっていた。


「ラウ=レイの手綱は俺が握っておくので、ヤミル=レイにはララの代わりを務めてもらいたく思っている」


 ジザ=ルウがそのように発言すると、ヤミル=レイは「ふふん」と微笑んだ。そちらも宴衣装の効果で、普段以上の妖艶さだ。


「わたしにそんな大役が務まるとは思えないけれど、家長をおまかせできるなら、そんなありがたい話はないわね」


「何も気負う必要はない。ヤミル=レイは、心のままに振る舞ってもらいたく思う」


 ジザ=ルウはかつてヤミル=レイと交流の場に臨んだことで、彼女の話術だか何だかに一目置いたようであるのだ。その全容は、まったく計り知れなかったが――しかしまあ、ヤミル=レイであれば貴族相手の社交にもまったく怯むことはないはずであった。


 そんなジザ=ルウのかたわらでは、レイナ=ルウがそわそわと身を揺すっている。こちらはもう、ダイアの準備した宴料理に気持ちが飛んでしまっているのであろう。それでいっそうジザ=ルウは、ヤミル=レイを頼りたいという気持ちがつのったのかもしれなかった。


「何でもかまわんから、さっさと出向こうではないか! 俺はもう、ずっと空腹を抱え込んでいたのだからな!」


 ラウ=レイの号令で、ルウおよびザザのグループは大広間に散っていった。

 残された面々は、出場者の2名と合流だ。しかし、こちらに戻ってきたのはモラ=ナハムのみであった。


「……レム=ドムは、あちらで貴族たちと語らっている。やはり、俺などよりもよほど注目を集めているようだ」


 モラ=ナハムがそのように報告すると、フェイ=ベイムはたちまち眉を吊り上げた。


「レム=ドムは女衆の身であるのですから、それは注目を集めることでしょう。ですが、モラ=ナハムとて立派な成績を残したのです。どうか胸をお張りください」


 口の重いモラ=ナハムは、「うむ……」としか答えない。

 いささか心配なところであったが、そちらはダリ=サウティたちにおまかせして、俺たちはレム=ドムの所在を求めることにした。


「ふむ。レム=ドムは、最初の位置から動いておらんようだな」


 アイ=ファの眼力に従って、俺たちは大広間の最奥部を目指すことになった。

 西方神の巨大な神像の足もとで、レム=ドムが貴族たちに取り囲まれている。その貴族たちというのは、ジェノス侯爵家の面々に他ならなかった。彼らは挨拶回りの参席者たちを待たせつつ、レム=ドムと歓談を楽しんでいたのだ。


「あら、わざわざ迎えに来てくれたのね。ついつい話に花が咲いて、立ち去り難くなってしまったのよ」


 レム=ドムが、不敵な笑顔で振り返ってくる。ジェノスの領主との初対面も、彼女を怯ませることはないようであった。


「足労をわずらわせて、申し訳なかったな。レム=ドムの勇姿に、我々もすっかり心をつかまれてしまったのだ」


 マルスタインもまた、悠揚せまらぬ笑顔である。祝宴の開始早々マルスタインと言葉を交わすというのは、俺たちにしてみてもなかなか珍しい話であった。


「本当に、メルフリードとの勝負には手に汗を握ってしまったわ。オディフィアなんて、途中で目を覆ってしまっていたものね」


 エウリフィアが微笑みを投げかけると、オディフィアは「うん」とうなずいた。彼女もついに8歳になったわけだが、フランス人形めいているという基本の印象に変わりはない。そして、そんな幼き姫君のもとに、レム=ドムがまたひざまずいた。


「あなたの大切な父親に手傷を負わせてしまってごめんなさいね、オディフィア。どうか怒らないでくれたら、ありがたく思うわ」


「うん。けんのしょうぶでけがをするのはしかたないって、みんなそういってる。それに……いまのレム=ドムは、こわくない」


 そのように語るオディフィアの言葉は、ずいぶん幼げでたどたどしい。しかしそれも、俺にとってはチャームポイントだ。レム=ドムもまた、彼女にしては穏やかな笑顔でオディフィアを見つめ返していた。


「……領主の子たるメルフリードに無用の手傷を負わせてしまったことに関しては、俺からも詫びさせていただこう」


 ディック=ドムが重厚なる声音で発言すると、メルフリード本人が「大事ない」と応じた。


「森辺の力比べとは異なり、闘技会で手傷を負わせることは禁じていないのだからな。わたしとて、昨年にはジィ=マァムに手傷を負わせてしまった身だ」


 そのように語るメルフリードは、近くから見るといっそう痛々しかった。何せ、左腕を吊っている上に、顔のど真ん中に包帯を巻かれているのである。鼻と頬だけを隠すというのは、かつてジェノスにやってきた王都の百獅子長イフィウスを思い出させる姿であり――また、包帯で顔を覆うというのは、メルフリードが『ダバッグのハーン』と身分を偽っていた時代を思い出させてやまなかった。


「しかしまた、数々の森辺の狩人と雌雄を決してきたわたしでも、これほどの手傷を負ったことはなかった。レム=ドムは若年にして女人の身であるが、対戦の組み合わせ次第では剣王になりえる力量であろう」


「でも、わたしはあなたに負けてしまったのだからね。その時点で、力の足りなさは証し立てられているわ」


 オディフィアのもとから身を起こしたレム=ドムは、力強くも澄みわたった眼差しでメルフリードを見返した。


「今日はわたしと勝負をしてくれて、ありがとう。あなたとの勝負はどれだけの糧になったか、計り知れないわ」


「うむ。そうしてレム=ドムがいっそう強い力で狩人の仕事を果たしてくれれば、それこそがジェノスの礎となる。わたしもレム=ドムに負けない力でジェノスを守ると、約束しよう」


 そのように語る両名の間には、死力を尽くして戦った人間だけが持ちえる連帯感のようなものが感じられてならなかった。

 そのさまを満足げに眺めていたマルスタインが、「さて」と声をあげる。


「では、レム=ドムを引き留めるのはここまでとしよう。我々も、挨拶回りの人間を山ほど待たせてしまっているのでな」


「うむ。またのちほど、挨拶をさせてもらいたい」


 そうして俺たちが場所を空けると、タイミングをうかがっていた人々がしずしずと進み出てくる。それを横目に、ふてぶてしさを取り戻したレム=ドムがにやりと笑った。


「ごめんなさいね。オディフィアの心情が心配だったし、メルフリードとも語らっておきたかったのよ。領主の一家と正しき縁を紡ぐのは、必要なことでしょう?」


「べつだん、責める気はない。お前は俺などよりも、よほど貴族相手の礼節をわきまえているようだ」


「あら、ディックにそんな殊勝な言葉を聞かされると、こっちのほうが落ち着かないわね。これならお説教でも聞かされたほうが、まだしも落ち着くわ」


 そんな風に言ってから、レム=ドムは流し目でアイ=ファを見やった。


「それにしても……こういう場で見ると、いっそう光り輝くような姿よね。かえすがえすも、アイ=ファを伴侶に娶れないことが口惜しくてならないわ」


「私には、その姿でこの場に立っているお前こそが、眩しくてならんがな」


 アイ=ファは限りなくやわらかな眼差しで、そのように答えた。


「私の知る限り、宴衣装ならぬ森辺の装束で城下町の祝宴に臨んだ女衆は、お前だけとなる。それはきっと、闘技会やトトスの駆け比べで結果を出さない限り、許されない行いなのであろうから……ことと次第によっては、お前が最初で最後のひとりになるのやもしれんな」


「ふうん。それなら、わたしは今日の結果を誇っていいのかしら?」


「思うさま、誇るがいい。私もまた、誇らしく思っている」


 するとレム=ドムは、苦笑しながら「やめてよ」とそっぽを向いた。


「ディックといいアイ=ファといい、今日は人が違っているみたいだわ。……アスタ、あなたは余計な言葉を叩かないでよ?」


「うん。でも俺も、レム=ドムのことを誇らしく思っているよ」


「やめてってば」とレム=ドムは前髪をかきあげた。

 でもきっと、それは目もとをぬぐうのをごまかすための所作であったのだろう。それでもぬぐいきれなかったものが、レム=ドムの黒い瞳をいつも以上に明るくきらめかせていたのだった。

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