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異世界料理道  作者: EDA
第七章 母なる森のもとに
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⑤青の月13日~邂逅~

2014.12/16 更新分 1/1

 翌日は、『ギバ・バーガー』60食、『ミャームー焼き』を90食に戻しての平常営業と定めていた。

 ファの家を拠点とするならば、やはりこれぐらいが適量なのである。


 とはいえ、鉄板を購入したことによって、家でポイタンやパテを焼く時間はかなり短縮することができたので、ちょっと頑張ればもう20~30食ぐらいは増やせそうな目処も立ってはいたのだが。俺はあえて、その道は選ばなかった。生活にゆとりができるのならば、それは他の仕事に回してしまおう、という目論見であったのだ。


《南の大樹亭》で成功を収めれば、別の宿屋からも仕事の依頼が舞い込んでくるかもしれない。それに向けて、新しい献立を開発しておこうと思ったのである。


「……だけどさ、何だか今日もあっさり売り切れちゃいそうじゃない? この前だって、店を休んだ2日後は170食でも売り切れになっちゃったんだしさ」


 隣りに並んだララ=ルウが、そんな風に呼びかけてきた。

 朝一番のピークを終えて、『ギバ・バーガー』は残り25食、『ミャームー焼き』は残り41食。確かにこれは、昨日と比べてさえ、それほど遜色のない売れ行きだ。


「まあでも、以前は150食でもなかなか完売できなかったんだから、そのうち落ち着くんじゃないのかな。今後はしばらく店を休む予定もないわけだし」


 それに最近は、早仕舞いになっても文句を言うお客さんは見かけない。だったら早々に撤退したほうが、他の屋台の皆さんとの軋轢も小さくて済むのではないだろうか。


 このへんのバランスは、けっこう難しいと思うのだ。屋台で軽食と干し肉を売って、さらには宿屋に料理を卸して――と、着実に事業を拡大している我が店ではあるが。あまりアクティブに攻めすぎてしまうと、同業者の不満や反発心が爆発してしまうかもしれない。森辺の民を怖れているのか、表立って敵対してくる店などはないのだが、こちらとしても西の民を敵に回してしまうわけにはいかないのである。


 だから、俺としては宿屋に料理を卸すことによって、屋台の売り上げが下がってもいい、ぐらいのことは考えていた。

 アルダスたちのように熱狂的な人々は、昼も夜もギバ肉の料理を食べることができて万々歳、という心情であるらしいが。晩餐でギバが食べられるなら、軽食はカロンやキミュスにしておくか――とか考える層が発生してもいっこうにかまわないと思うのだ。


 今はがむしゃらにギバ料理の普及に努めているが、最終的な目的は「共生」なのである。


 一時的なムーブメントではなく、キミュスやカロンのように、一般的な食材としてギバの肉を定着させたい。まだ商売を始めて半月ていどであるのだから、安定だけを目指すのは早計であるかもしれないが、そこらへんのことも十分に念頭に置きつつ話を進めていきたいとは思っていた。


「あれ? アスタ、森辺の民だよ?」


 と、ララ=ルウがいきなり俺の袖を引いてくる。

 そちらに目線を動かした俺も、「あれ?」と首を傾げることになった。


「どうしました? 仕事は中天からですよ?」


「はい。少しでも修練を積みたいので、早めに下りてきました」


 それは、昨日も調理の手ほどきをした、スドラの女衆だった。

 名前は、リィ=スドラ。スドラの家長の嫁である。


 すらりと背の高い、なかなかの美人さんだ。黒っぽい褐色の髪を胸のあたりで切りそろえており、瞳の色は、濃い青色。家長は四十路の半ばぐらいだと思うのだが、年齢はその半分ぐらいにしか見えない。


「家の仕事は大丈夫なの? 早く来たって、代価が多くもらえるわけじゃないんだよ?」


 なかなかに遠慮のないララ=ルウの言葉に、リィ=スドラは「もちろん、わきまえています」と穏やかに微笑んだ。


「家の仕事はきちんと果たしてきました。せっかくファの家のアスタの仕事を手伝える栄誉を賜われたのですから、1日も早く力になれるよう励みたいのです」


 どことはなしに気品があるが、伴侶に負けず能動的な気性であるらしい。

 こちらとしては、喜ばしい限りだ。


「それでは、あちらの屋台の仕事から覚えていただきましょう。ララ=ルウ、交代したばかりだけど、俺はあちらに移るね」


「はーい」


 現在は、俺とララ=ルウで『ギバ・バーガー』を受け持っていたのだ。『ミャームー焼き』の屋台へと移動しながら、俺はヴィナ=ルウにも声をかけた。


「すみません。リィ=スドラが到着したので、しばらく俺が『ミャームー焼き』を担当します。ヴィナ=ルウはまた『ギバ・バーガー』のほうをお願いしますね」


 ヴィナ=ルウは、つんと顔を背けてから『ギバ・バーガー』のほうに戻っていった。

 昨日の俺の粗相から、ずっとこのような感じなのである。

 仕事中にこのような私情をはさむのは、ヴィナ=ルウとしても非常に珍しい。それだけ俺が迂闊であったということだ。本当に申し訳なく、心苦しい。


「シーラ=ルウ、こちらがリィ=スドラです。朝にも説明した通り、しばらくはこのリィ=スドラに中天から手伝ってもらうことになりますので、どうぞよろしくお願いいたします」


「はい」とシーラ=ルウは目礼し、リィ=スドラも「よろしくお願いいたします」と頭を下げる。


「注文が入ったら、シーラ=ルウが料理を作ります。リィ=スドラはお客様から赤銅貨を2枚受け取って、料理を手渡してください。今のところ、料理を持ち逃げするような人は現れていませんが、必ず銅貨を先に受け取るようにしてくださいね。――そして、いずれは自分も料理を作成できるように、シーラ=ルウの動きをよく観察しておいてください」


「はい」


 口数は少ないが、非常に誠実そうではあるし、ルウ家に対する気負いや気後れも感じられない。第一印象としては、なかなかの好感触だった。


 そこに、さらなる森辺の来訪者が現れた。

 なんと、ガズラン=ルティムである。


「あれ? ずいぶん早かったですね?」


 リィ=スドラと同様に、ガズラン=ルティムの来訪も中天の予定であるはずだった。

 ガズラン=ルティムはふたりの女衆に礼をしてから、「アスタ」と俺を差し招く。


「サイクレウスという城の人間との面談が終わったので、こちらにお邪魔しました。申し訳ありませんが、少し時間をいただけますか?」


「はい、わかりました。……それじゃあ、シーラ=ルウ、しばらくお願いします。最初のお客さんが来たら、見本を見せてあげてください」


 宿場町でガズラン=ルティムと顔を合わせるのは、何だか奇妙な心地である。


 それにやっぱり森辺の男衆が現れると、通行人の目線が少なからず警戒の色をおびる。俺たちは、屋台から離れて後ろの雑木林に身を寄せることにした。


「仕事の邪魔をして申し訳ありません。ですが、できるだけ早くアスタの意見を聞きたかったのです。ドンダ=ルウたちは、町に入らずあちらの街道のほうで身を潜めています」


「かまいませんよ。俺もそちらの状況は気になってしかたがありませんでしたから。……サイクレウスという人物は、いかがでした?」


「はい。一言で言うと、かなり厄介です。ザザの家長などは、非常に憤慨してしまっています。……サイクレウスは、スン家の人間を全員ジェノスに引き渡すべきではないか、と言ってきました」


「え?」


「モルガの山の恵みを荒らすのは、ジェノスの法で定められた禁忌です。その法を破った罪人ならば、ジェノスが裁くのが道理なのではないかと言ってきたのです」


 ガズラン=ルティムは、いつも通りの沈着な面持ちだった。

 しかし、その色の濃い碧眼には、きわめて真剣な光が浮かんでいる。


「それはそうかもしれませんが……家長や先代家長ばかりでなく、本家の人間を全員ジェノスに引き渡せと言うんですか?」


「いえ。禁忌を破った人間を全員です。分家までを合わせたスン家の家人41名、それらの全員が裁きを受けるべきだと言うのです」


 それは、想像のななめ上をいく要請であっただろう。

 瞬間的に怒りを覚えつつ、それでも俺は「なるほど」と平静を装ってみせる。


「それぐらいは想定しておくべきでしたかね。俺もちょっと城の人間を甘く見ていたのかもしれません。……だけどまさか、その全員を処刑するとかいう話ではないのでしょう?」


「はい。頭の皮を剥ぐというのは森辺の民が定めた掟であり、ジェノスの法ではないと言っておりました。ではどのような罰なのかという問いには、それには審議が必要であるという答えしか得られませんでしたが」


「ふむ……ちょっとおうかがいしたいのですが、そのサイクレウスという人物とは、どのような形で面談することになったのですか?」


「はい。私たちは日の出とともにスンの集落を出て、裏門の衛兵に取り次ぎを願ったのですが。石塀の外にある大きな館に導かれて、そこで太陽が二刻ほど動くばかりも待たされました。そこに、20名ほどの衛兵を引き連れたサイクレウスがやってきた格好ですね」


「20名ですか。こちらの側は何名でしたっけ?」


「三族長と、男衆がひとりずつ。それに私を含めた7名です。それだけの人数が入ってなおゆとりがあるほどの、大きな建物でした」


「そうですか。ちなみに、帯刀は許されたのでしょうか?」


「いいえ。刀は館の入口で預けることになりました。もちろん衛兵たちは全員刀を下げておりましたが」


「なるほど」ともう1回言ってから、俺はしばし黙考した。

 建物のディティール以外は、たやすく想像できる気がする。

 刀を取り上げられた7名の男衆と、20名もの衛兵に守られた城の人間、サイクレウス。領主に森辺との交渉役を託されている、おそらくは貴族だか大臣だかなのだろう。


「それで、ドンダ=ルウらはどのように返答したのですか?」


「はい。三族長で話し合い、道を決すると。サイクレウスには、10日の猶予を与えられました」


「10日ですか。なかなか長いですね。……その間に向こうも方針を定めたいってことなのかな……」


 俺の独白を聞き逃さず、ガズラン=ルティムは「方針とは?」と問うてきた。


「いや、あくまで俺の憶測ですけども、あちらはあちらで大混乱しているのではないですかね。80年もの歳月を族長筋として君臨してきたスン家が突如として失脚し、支配権を失ってしまったというこの事実を。……まあ、城の人間が森辺の情勢をまったく把握していない、という前提にもとづく憶測なんですが」


「はい。……すると、どういうことになるのでしょう?」


「ええ、ですからそういう状況だと、向こうにも考える時間が必要になると思うのですよね。今までは世俗にまみれたスン家が相手だったので適当にあしらうこともできたでしょうが、ドンダ=ルウたちのような生粋の森辺の男衆が相手ではそうもいきません。時間をかけてじっくりと対応策を練りたいと考えるのが妥当ではないでしょうか?」


「そうですか。そのわりには、最初からずいぶんと高圧的な態度であるように思えましたが」


「ですからそれは、森辺の民に対する畏怖心や警戒心の裏返しなのではないですかね」


 考え考え、俺は自説を述べていく。


「これは俺も町育ちの人間だから身にしみてわかるのですが、ドンダ=ルウやグラフ=ザザのような人物を初めて目の前にしたときの恐怖心は相当なものだと思うのですよ。今後はこのような者たちを相手に上手く手綱を握っていかなければならないのか、とか考えたら、それはもう気が遠くなるぐらいなのではないですかね」


「はい。それはわかる気がします」


「ですから、スン家の人間を全員引き渡せというのは、ブラフ――つまりは威嚇のこけおどし、という意味合いもあったのではないでしょうか。それで新たな族長たちがどのような反応をするかを確認したかったのかもしれませんし、あるいは、最初に強気な態度を見せて主導権を確保しようとしたのかもしれませんし――とにかく、スン家の人間を処断すること自体が目的なのではなく、精神的に優位に立とうとしているような気がします」


 あくまで、俺の印象である。

 これまで事なかれ主義を通してきた城の人間が、いきなり血の粛清を求めるとは考えにくい。もしくは、事実上の「共犯者」でもあったスン家をまるごと処分したい、とかいうおぞましい企みが潜んでいる可能性もゼロではないが。何にせよ、相手の言い分をそのまま飲むわけにはいかないだろう。


「ですから、こちらも自説を曲げるべきではないと思います。森辺の理と都の理を上手く添わせることができるように、粘り強く交渉していくべきなのではないでしょうか?」


「森辺の理と、都の理ですか」


「はい。ドンダ=ルウは、スン家の堕落には森辺の民の全員にも責任があると考えて、このたびの処遇を決したのですよね。まずはその理をジェノスにも当てはめる、というのが最善であるように思えます」


 俺みたいな若造がガズラン=ルティムのような大人物に講釈を垂れるのは恐縮きわまりないのだが。たぶん、森辺よりはジェノスに近いと思われる環境で生きてきた俺ならではの視点、というものは存在するだろう。


 なおかつ、森辺の清廉な人々とも長く接してきた俺としての気持ちや考えを述べさせていただく。俺にできるのは、それだけだと思う。


「言うまでもなく、スン家を堕落させた要因のひとつは、ジェノス城の不当な優遇です。その点をつついて自分たちの理を主張する、というのはどうでしょうかね?」


 これは、俺自身が問い質したい内容でもある。


 スン家の人間は宿場町で騒ぎを起こしても城の人間に擁護されていた、という傍証があるのだ。


 ミダが暴れて屋台を破壊したとき、城の人間が出てきて丸く収めた、という件。

 ドッドと俺たちがもめたとき、衛兵がスン家の言い分を重んじようとした件。


 さらに言うならば、町の人間が不審な死を遂げた際、森辺に捜査の手が及ばなかった、という件についても言及する必要があるだろう。


 最後の一点に関しては、まだ犯人がスン家の人間と確定したわけではないが。それならばいっそう、うやむやにすることはできない。


「そうして、これまではスン家を擁護していたのに、失脚したとたんに手の平を返す、それがジェノスの法なのか――という主張を暗に匂わす、という感じですかね」


「暗に匂わす、ですか。アスタはとても困難な試練を私たちに課していますね」


 と、ガズラン=ルティムは少し困ったように微笑した。


「ですが、言わんとしていることはわかります。要するに、やみくもにスン家を処断するだけではすべてを解決することはできないのだから、ともに正しい道を探すべきだ、という話なのですね」


「はい。それこそがドンダ=ルウの選んだ道なのでしょうし。俺もその論には、心から賛同することができました」


 スン家の堕落に拍車をかけたのは、まず間違いなくジェノスの支配者層の対応だったのだろうと思う。


 スン家がどれほど堕落しようとも、森辺の民がきちんと仕事をこなしていれば、文句はない――おそらくは、そんなていどの考えしか持ち合わせていなかったのだろう。


「例えばですね、41名もの人間を処断してしまっては、狩人としての戦力が不足することになってしまいます。それではジェノスの田畑の被害が増えることになってしまうわけですが、そのあたりのことは話題にあがらなかったのですか?」


「いえ。しかし、この数年スン家が狩人としての仕事を果たしていなかったというのならば、その罪人たちが森辺から失われても現状は維持できるのだから問題はなかろうと返されてしまいました」


「やっぱりですか。どうせそんなことだろうとは思いました。城の人間は、南側の田畑に関してはそこまで重視していないのですね」


 また新たな怒りと苛立ちがふつふつとわいてくる。


「ここ数年、南の田畑ではギバの被害が増えているはずなのです。北の田畑を守る壁はもう何年も前に完成しているという話だったのに、どうして南の田畑はほったらかしなんだろう、というのがちょっと引っかかっていたんですが。今ぐらいの被害だったら、壁を築く労力のほうが惜しい、という話なのですね、きっと」


 もちろんこのまま被害が拡大されれば、宿場町の繁栄に陰りが生じ、それはジェノス全体の繁栄にも影響を及ばすのだろう。


 しかし、今ぐらいの被害ならば問題はない、という判断なのだ。


「だけど、町の人々の考えは違います。森辺に近い田畑では、首をくくりたくなるほどの被害が出ているはずなのです。そのような被害を捨ててはおけない――という論調は、森辺の民にとって正しいと思えますか?」


 俺の質問に、ガズラン=ルティムは不思議そうに首を傾げた。


「よくわかりません。もう少し詳しくお願いします」


「はい。サイクレウスという人物は現状維持でかまわないと言っていますが、それはたぶん、貴族の持ち物であるという北側の田畑では被害が出ていないから、だと思うのです。しかし、町人の持ち物である南側の田畑では被害が出ている。そちらをも守りぬくにはこれまで以上の力が必要になるので、スン家の人々にも狩人としての仕事を果たしてもらう必要がある、ということです」


「なるほど。だからザッツ=スンとズーロ=スンを除くスン家の人間は、城に引き渡すのではなく、森辺の民としてきちんと仕事を果たさせるべきだ、ということですね。その言葉はとても正しいと思えます」


「ありがとうございます。それでもなお城の人間が自説に固執するならば、それは南側の田畑など守る必要はないという意味なのか、と問い質すこともできるでしょう。……今では森辺の民も宿場町の人々と交流の機会を得ているのですから、城の人間だってその部分は軽んじられないはずです。迂闊なことを言ってしまえば、宿場町の人々にもそれが伝わってしまう危険性があるわけですからね」


 それでようやく、ガズラン=ルティムにも俺の意図が正しく伝わったらしい。

 強く光る青色の瞳が、じっと俺の顔を見つめやってくる。


「わかりました。スン家の堕落によって害を得たのは、森辺だけではなかったのですね。むしろ直接的な被害を被っていたのは宿場町の民たちであり、城の人間にはそれを正す義務がある、というわけですか」


「そうです。城の人間が最初からスン家の罪に裁きを与えていれば、宿場町の人々が苦しむこともなかったかもしれません。そして、森辺の民が今ほど怖れられたり蔑まれたりすることもなかったはずです。そういった過去の罪をうやむやにしたままで、まるで臭いものに蓋をするようなやり口でスン家の全員を処断するなんて、そんなものは法でも何でもありません。自分たちの利益だけを重んじた、独裁者の粛清でしかないでしょう」


 そんな風にまくしたててしまってから、俺はふっと我に返った。


「……すみません。ちょっと興奮してしまいました。今のは俺の私情なので、あまり気にしないでください」


「いえ。私もアスタと同じ意見です。……そして、ルド=ルウの言っていたことが正しく理解できました」


「え? ルド=ルウがどうしました?」


「はい。スン家の次兄らに襲われたとき、アイ=ファの身を案じるアスタはまるで狩人のような目をしていたと、ルド=ルウは言っていたのです。アスタにはこのように苛烈な一面もあったのですね」


 なんだかごく最近、ヴィナ=ルウにも同じようなことを言われた気がする。

 毎日毎日ギバの肉ばかりを食べているから、こんな俺などにも少しは狩人の苛烈さが備わってきた、とでもいうのだろうか。

 そんな自覚は、これっぽっちもないのだが。


「……とにかく、俺が言いたいのはですね。宿場町には、森辺の民が農作物を奪っただとか、女性をかどわかしただとか、市井の人を殺めただとか、そんな不名誉な話が横行しているのです。森の恵みを荒らすことよりも、それらの罪のほうがよっぽど重いはずでしょう。それらの罪を裁かずに、今回分家の人々の罪まで問おうとする城の人間のやり口は納得できない、ということです」


「わかりました。私は最初からもっとアスタと言葉を交わしておくべきでしたね。それらの話をあわせて考えれば、確かに色々と話の持っていきようはあるように感じられます」


「はい。確かに立場としてはあちらが君主なのかもしれませんが、その反面、むこうだって森辺の民を失うわけにはいかないはずです。唯々諾々と向こうの言い分に従う必要なんて、絶対にないはずですよ」


「それはもちろん、その通りです。ザザの家長などは、サイクレウスとの面談を終えた後、もはや我々はこの地に留まるべきではないのかもしれない、とまで言っていました」


「ええ? それはまさか、この森辺を捨ててどこかに移り住む、という意味ですか?」


「はい。代理人とはいえ、あのように卑俗な人間を君主と認めることはできない。ならば、80年前と同じように、新たな森を求めてこの地を去るべきなのではないかと、そのように言っていましたね」


 もしかしたらこの半月で1、2を争うぐらいの勢いで俺は仰天させられたというのに、ガズラン=ルティムのほうは穏やかに微笑んでいた。


「それはしかし、森辺の民にとってはひとつの正しい気持ちです。それゆえに、城の人間の考えを動かす大きな要因にもなりうるでしょう」


 本当に納得がいかなければ、この森辺を捨て去る覚悟さえ持ち合わせている。それは確かに、ジェノスの領主に対して最後の切り札になるだろう。


「そうですね。だからこそ、交渉の余地はあると思います。高圧的な態度に出ながらも、森辺の民を失うわけにはいかない、という本心を抱え持つ城の人間たちは、これから10日間をかけて最善の道を模索するつもりなのではないですかね。グラフ=ザザの心中はお察ししますが、ここは短慮を起こさずに、粘り強く交渉するべきだと思います」


「はい。了解しました。アスタの言葉を念頭に置きつつ、私も三族長と最善の道を探したいと思います。……いっそのこと、アスタにもその話し合いに参加してほしいぐらいの気持ちです」


「いやあ、俺なんかは族長筋の眷族でも何でもありませんし……」


「ええ。アスタにそこまでの負担を背負わせるわけにはいきません。大事な仕事の邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした」


 と、最後は彼らしい涼やかな笑みを浮かべて、ガズラン=ルティムはシーラ=ルウたちが仕事に励んでいる屋台のほうに目線を飛ばした。


「町の人間が森辺の民に銅貨を支払い、ギバの料理を買っている。これまでにその成果は逐一聞いておりましたし、今はついにそれを自分の目で確認することができたわけですが――それでもやっぱり、にわかには信じ難い光景です。これだけの仕事を成し遂げてくれたアスタの働きは、決して無駄にはしません」


 そして、今度はその視線を俺の背後のほうに向けなおす。


「では、そろそろ約束の時間でしょうか。わざわざ足を運んでいただき恐縮です」


 俺がぎょっとして振り返るのと同時に、雑木林の間からひょろ長い人影が出現した。


「どうもどうも、こちらこそ恐縮です。何やら込み入ったご様子でしたが、もう大丈夫なのですかね?」


 カミュア=ヨシュである。

 そのすっとぼけた笑顔を、俺はおもいきりにらみつけてみせる。


「カミュア、どうしてあなたはそんな風に人を驚かそうとするんですか? 失礼だし、迷惑です」


「ごめんごめん。別に驚かすつもりも立ち聞きするつもりもなかったんだよ。実際、気を張った狩人を相手に立ち聞きなんてできるはずもないし」


 皮の長マントを羽織ったカミュア=ヨシュが、いつもの調子でひょこひょこと近づいてくる。


 さすがに身長だけならカミュアのほうが上であるが、体格などは比べるべくもない。森辺の狩人としても理想的なまでに均整の取れた体格をしたガズラン=ルティムと、カマキリのように痩せたカミュア=ヨシュが、3メートルほどの距離をはさんで対峙する。


「あなたが、カミュア=ヨシュですか」


「はい。西の王国で《守護人》を生業にしているカミュア=ヨシュです。あなたがサウティ家の家長――というわけではないのですかね?」


 他ならぬこのガズラン=ルティムの婚儀の祝宴を覗き見していたカミュアならば、その主役の顔を見間違えることもないだろう。


 ガズラン=ルティムは、落ち着き払った様子で「ええ」と応じた。


「私はルウの眷族であるルティム家のガズラン=ルティムと申します。サウティ家の家長ダリ=サウティは、あちらであなたをお待ちです」


「ガズラン=ルティムですか。お会いできて光栄です」


 凪の海のように静かだがその内に確固たる力強さを秘めたガズラン=ルティムの青い瞳と、子どものように屈託がなく老人のように透徹したカミュア=ヨシュの紫色の瞳が、真正面から視線をからめあう。


 何だか――カミュアがルウの集落を訪れたときと同じぐらい、俺は落ち着かない気分になってしまった。


 べつだんどちらにも敵意や悪意は感じられないし、むしろ表情などは穏やかに過ぎるぐらいであるのだが。とてつもない力を持った異種の動物が疑い深そうにおたがいを観察し合っているような、そんな奇妙な空気があたりにはたちこめ始めていた。


「2日後の仕事の打ち合わせについては、サウティ家の2名と私の3名でうかがわせてもらおうと思っています。ですが、せっかくですので、サウティ以外の族長たちにも挨拶をさせていただけますか?」


「それは願ってもないことです。森辺にとってもこれは小さからぬ仕事になるでしょうから、族長たちにしても俺の人となりを見極めておきたいところでしょうしね」


 そう言って、カミュア=ヨシュはにんまりと笑った。

 ガズラン=ルティムは、静かに俺に向きなおる。


「では、行きましょう。アスタ、ありがとうございました」


「あ、ああ、はい」


「それじゃあね、アスタ。後でまたレイトを寄こすので、品切れだけは勘弁してくれよ?」


「……はい。『ギバ・バーガー』をご所望でしたら、お早めにどうぞ」


 そうして2名の対極的な傑物たちは、ごく静かに俺の前から立ち去っていった。

 何だか、狐につままれたような気分である。


(やっぱりカミュアと森辺の男衆が対面すると、見てるこっちがひやひやしちゃうな。ガズラン=ルティムはああいう人だから心配いらないけど、グラフ=ザザなんかは大丈夫なんだろうか?)


 ルティムの祝宴の数日前、カミュアがルウの集落にひょっこり姿を現したときなどは、本当にもう寿命が縮むぐらいの思いを満喫させられたものだ。


 ダルム=ルウは手負いの狼みたいに双眸を燃やし、ずっとカミュアに刀を突きつけていた。ドンダ=ルウは意外に冷静さを保っていたが、分家の男衆たちもそれはもう剣呑きわまりない顔つきになっていたし――


(ああ、そうか。あの頃にはもうすでに、森辺の集落を商団に通過させるっていう話はドンダ=ルウにも伝わっていたんだな)


 そのためにこそ、カミュアは森辺の内部をひとりでふらふら散策していたのである。

 それでもって、宿場町で遭遇した俺とアイ=ファの所在を求めて、ルウの集落にまで姿を現したのだ。

 あれはもう、20日以上も前の出来事になってしまうのか。


(……ん?)


 そのとき、何か、タンポポの綿毛みたいにひそやかな疑念が俺の脳裏をかすめていった。


 しかし、何がかすめていったのか、正体が今ひとつわからない。

 何か大事なことを見落としているような――祝宴の準備で必死になっていた当時の俺には、それほど重要だとも思えなかった何気ない言葉があったような――


(誰が何を言ってたんだっけ? カミュアか? ドンダ=ルウか?)


 いくら頭をひねっても、その解答は降ってこなかった。

 しかたなく、俺も屋台に戻ることにする。


 カミュアが姿を現したということは、もう中天も間近であるはずなのだ。リィ=スドラという新人を迎えたばかりだというのに、すっかりシーラ=ルウにまかせきりにしてしまった。


(目の前の仕事に集中しないとな。あと1時間もしたら、いよいよ《南の大樹亭》で仕込みの作業だ)


 何とも気持ちの悪い違和感だけが残ってしまったが、思い出せないものは思い出せない。仕事が落ち着いたらもういっぺん頭を悩ませてみようと決めて、俺は屋台に駆け戻った。


 しかし、俺がその疑念の正体を思い出したのは、すべての事件が起こってしまった後――それから数日後のことだった。

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