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異世界料理道  作者: EDA
第七十八章 新たな仕事と闘技会
1349/1699

ジェノスの闘技会①~下準備~

2023.5/15 更新分 1/1

・今回は全9話です。*5/20追記 全10話に変更します。

 俺たちがガーデルとティカトラスの再会を見届けてから、2日後――銀の月の25日である。

 その日はついに、ジェノスの闘技会の当日であった。


 最初の年にはシン=ルウとゲオル=ザザが、次の年にはジィ=マァムとディム=ルティムが出場した、剣技を競う大会である。いまや森辺の民にとっても、それは年に1度の大きなイベントという扱いになっていた。


 最初の年に森辺の狩人が出場を願われたのは、サトゥラス伯爵家との因縁があってのことだ。しかしそれ以外でも、森辺の狩人は集落の治安を守るためにその力量を天下に知らしめるべきではないかとメルフリードに提案され――それで毎年、2名の狩人を出場させようという話に落ち着いたのだった。


 ただし、どれだけの力量を持つ狩人を出場させるかは、入念に吟味されることになった。有り体に言って、森辺の狩人が剣王の座を独占し続けるのはジェノスの貴族の面目を潰しかねない所業であるのだ。それで昨年は、あと一歩でルウの血族の勇者であるという力量のジィ=マァムに、見習い狩人のディム=ルティムという組み合わせが選出されたのだった。


 そうして本年、森辺からエントリーすることになったのは――モラ=ナハムとレム=ドムであった。

 三族長の話し合いでは、そろそろ族長筋ならぬ氏族にも出場の機会を与えようという話になっていた。闘技会というのは大事な交流の場でもあるし、トトスの早駆け大会たる『烈風の会』においても族長筋の血族ばかりが出場しているので、公平を期すためにもさまざまな氏族に席を譲るべきだという流れになっていたのだ。


 そこで頑強に出場を願ったのは、ドムの見習い狩人たるレム=ドムであった。

 目的はもちろん、強者との勝負を望んでのことである。森辺の狩人というのは誰でも強い気持ちで立派な狩人を志しているものであるが、女衆の身であるレム=ドムはさらに苛烈な思いを胸に抱いているようであった。


「もちろん闘技会の場でどれだけ勝ち抜こうとも、狩人の衣を与えられるわけではないでしょうよ。でもわたしは、見習いの狩人となってもう2年が過ぎようとしているわ。そんな不甲斐ない自分を叱咤するためにも、あらゆる困難を糧にしたいのよ」


 族長たちの話し合いの場に押しかけたレム=ドムは、そのように主張していたらしい。

 レム=ドムが見習い狩人として認められたのは、ちょうど最初の年の闘技会の直前であったのだ。それならまさしく、これで2年が経過するわけであった。


 ただし彼女は、すでに狩人として立派な成果をあげているのだと聞き及ぶ。彼女は北の狩人の中で屈指の身軽さを有しているし、弓や猟犬の扱いも巧みである。それでザザの収穫祭においては、的当ての勇士の座まで獲得しているのだ。ザザの血族に限らず、見習い狩人の身分で勇士の座を勝ち取れるというのは、彼女とドッドぐらいしか存在しないのではないかと思われた。


 しかし、ドムの家長たるディック=ドムは、いまだレム=ドムにもドッドにも狩人の衣を与えていない。女衆の身で狩人を志すレム=ドムやかつて大罪を働いたドッドにはより厳しい目が必要であるとして、「その手でギバを仕留めない限り一人前とは認めない」という古来よりの習わしを守っているのだった。


 その一件について、レム=ドムはいっさい文句をつけていない。

 ただ、誰もが認める立派な狩人になりたいという思いだけがぐんぐんとつのっていき――それで、今回の事態に至ったわけであった。


「闘技会においては甲冑というものを纏わなければならないため、身体の小さな人間ほど苦労を強いられるのだと聞き及ぶ。貴様はシン=ルウやディム=ルティムよりも背丈があるし、女衆とは思えぬほどその身を鍛えているようだが……しかし、男と女では骨のつくりからして異なっている。おそらく貴様は、シン=ルウたちよりもさらに大きな苦労を強いられることになろう」


 ドンダ=ルウがそのようにたしなめても、レム=ドムは一歩も引かなかったという話であった。


「苦労が大きければ大きいほど、わたしの熱情は高まるばかりだわ。決して森辺の狩人の名を汚したりはしないと約束するから、どうか出場を認めてもらえないかしら?」


 そんなやりとりを経て、レム=ドムはついに出場することを許されたのである。

 レム=ドムと小さからぬご縁を持つ俺としては、彼女の熱情が正しい形で報われることを願うばかりであった。


 いっぽう、俺たちかまど番であるが――もちろんこちらにとっても、闘技会というのは一大イベントであった。その日は闘技場前の広場まで出張して、普段と異なる形で屋台の商売に励むことになるのである。


 なおかつ今回は、トゥランにおける商売も並行して行わなければならなかった。トゥランの商売も屋台と同じ日取りで休業日を入れていたが、闘技会の当日は休業日の前日であったため、予定通り商売を敢行することに決めたのだ。


 そこに降ってわいたのが、ティカトラスの来訪であった。

 闘技会の2日前にジェノスにやってきたティカトラスは、森辺の料理人に祝賀会の宴料理を準備してほしいなどと言いたててきたのである。


「ですが、森辺の方々はトゥランでの商売に着手したばかりの時期となります。もしもご都合がつかない場合は、こちらで何とか情理を尽くしてティカトラス殿を説得する所存でありますため、ご無理のない範囲で検討していただきたい――と、メルフリード団長閣下はそのように仰っています」


 のちのちメルフリードからルウ家に遣わされた使者は、そのように申し述べていたという。

 であれば、今回ばかりは辞退させていただくべきか――と、そんな話になりかけていたのだが、そこで発奮したのはレイナ=ルウであった。


「『烈風の会』のように宴料理の大部分を受け持つというのは、確かに至難の業でしょう。でも、ひと品やふた品の話であれば、決して無理はないかと思います」


 城下町での商売を先延ばしにされてしまったレイナ=ルウは、きっと熱情のぶつけどころを欲していたのだろう。族長にして父親たるドンダ=ルウに対してどれだけ熱っぽく語らっていたかは、想像するに難くなかった。


「かまど仕事の苦労については、女衆の領分であろう。本当にそれが無理のない話であるのかどうか、責任あるかまど番たちと論じ合って正しき道を選ぶがいい」


 ドンダ=ルウのそんな言葉によって、俺とトゥール=ディンも急遽ルウ家に招集されることに相成った。

 その末に出された結論は――ファの家は辞退して、ルウとディンがごく限られた品数を供するというものであった。


「こっちは闘技場とトゥランの商売の下ごしらえで手一杯だし、俺とアイ=ファは祝賀会にも招待されちゃったからさ。これ以上の仕事を受け持つのは差し控えて、もともとの商売に力を尽くそうと思うよ」


 ごく早い段階で、俺はそのように決心していた。

 もっとも重要であったのは、下ごしらえについてであろう。闘技会の日の商売は普段よりも営業開始が早いため、ただでさえ下ごしらえには手間がかかるのだ。トゥランの商売と並行してそれを行うのは初めてのことであるのだから、これ以上の負担を手伝いの女衆に強いる気持ちにはなれなかった。


 それに、闘技場とトゥランのどちらかは、別の人間に取り仕切り役を任せるしかない。それにはユン=スドラが強い意欲をみなぎらせて立候補してくれたが、さらに祝宴の仕事まで受け持つというのはやはりキャパオーバーであろう。レイナ=ルウが力強く決断できるのは、妹たるララ=ルウやリミ=ルウに後事を託せるという安心感あってのことなのであろうと思われた。


「わ、わたしはもとよりトゥランの商売に関わっていませんので、ファやルウよりも手は空いています。それに、翌日は休業日ですのでいっそうゆとりがありますし……お忙しいアスタの代わりに、祝宴の仕事も受け持とうかと思います」


 トゥール=ディンは、そのように語っていた。

 きっとそちらは、オディフィアに対する情愛というものも原動力のひとつになっているのだろう。それに現在はスフィラ=ザザたちも滞在しているので、いっそう人手にも不足はないはずであった。


「でもさ、やっぱり仕事っていうのは、最初に引き受けたほうを重んじるべきだよね。商売の相手が貴族だろうと平民だろうと、そこで力加減を変えるわけにはいかないんだからさ」


 と、ララ=ルウは普段以上に厳しい面持ちでそのように言いたてた。


「その日はあたしがトゥランでレイナ姉が闘技場に出向く日取りだったけど、その役割だけは交換してあげるよ。レイナ姉は中天の半までしっかりトゥランで仕事を果たして、それから城下町に向かいな。どれだけの宴料理を準備するかは、城下町に連れていけるかまど番の人数と作業時間から逆算するの。それを今日中に決められるなら、あたしも文句はないよ」


「わかった。ありがとう。夜までには考えてみせるよ」


 そんな風に語らう姉妹の姿を、ミーア・レイ母さんは満足そうに眺めていた。

 かくして、祝賀会の宴料理を受け持つのはルウとディンのみということで決定された。

 夜になって、俺がその結果をアイ=ファに伝えてみると――我が最愛なる家長殿は、家人の頭を力強くわしゃわしゃとかき回してきたのだった。


「お前が冷静な判断力を持っていることを、得難く思う。お前であれば、3種の仕事を同時にやりとげることもできるのやもしれんが……それで大きな苦労を負うのは、手伝いの女衆であろうからな」


「う、うん。それにティカトラスは、俺にだけ執着してるわけじゃないからな。ファの家が辞退しても、機嫌を損ねることはないと思うよ」


「うむ。それがアルヴァッハやダカルマスとの違いであろうな。……しかし、あやつがこのように早くからジェノスにやってくるなどとは、さすがに想像していなかった」


 と、最後には深々と溜息をつくアイ=ファであった。

 しかし何にせよ、来てしまったものはしかたがない。ガーデルとの間にも不和などは生じなかったのだから、それを幸いと思うしかなかった。


「だが……ガーデルもまた、祝賀会に参ずるというのだな?」


「うん。メルフリードやポルアースなんかが、そんな風に取り計らったらしいよ。俺だけじゃなく、ティカトラスともきっちり和解せよって意味合いが強いみたいだな」


 それらの段取りを整えたのは、ガーデルのお目付け役に任命されたバージという人物である。宿場町の往来においてガーデルとティカトラスの再会に立ちあったバージは、その場においても仲裁役としての働きを見せていたのだった。


「だけどまあ、ティカトラスのほうはガーデルの存在を見忘れてるぐらいだったし、ガーデルのほうもティカトラスが俺を連れ去ろうとしない限りは気を立てる理由もないわけだし……この先も、もめる理由はないんじゃないのかな」


「うむ。何にせよ、我々はガーデルと正しく絆を深められるように力を尽くすしかあるまい。……しかしガーデルが動けるようになるなり、ティカトラスがやってきてしまおうとはな」


 けっきょくアイ=ファは、何度となく溜息をこぼすことに相成った。

 そうしてさまざまな思いを抱え込みながら、俺たちは闘技会の当日を迎えたわけであった。


                 ◇


 そんなこんなで、当日の朝である。

 普段よりも早い時間から集まった俺たちは、無事に商売の下ごしらえを終えて、闘技場を目指すことになった。


 実のところ、屋台の商売というのは下ごしらえまでが前半戦である。現地で商売に励むのももちろん重要なことであるが、下ごしらえにはそれ以上の時間と人員が割かれているのだ。下ごしらえを無事に終えたという時点で、長い戦いの半分は終わっているも同然であった。


 ただし、ユン=スドラは今もなお奮闘の最中となる。彼女はフォウのかまど小屋で下ごしらえの現場を取り仕切り、それからトゥランに向かうのだ。トゥランの商売は闘技場の商売よりも遅く始まって早く終わるわけであるが、かといって彼女の苦労は決して軽んじられなかった。


 見ようによっては、ユン=スドラに責任を負わせすぎであるという向きもあろう。

 しかしユン=スドラは大きな仕事を任されることに大きな誇りを抱いていたし、俺のほうもこれは必要な行いであると判じていた。ユン=スドラただひとりの成長ばかりでなく、俺たちは森辺の行く末をも考えなければならないのだった。


 いつの日にかは、俺やユン=スドラも町での商売から身を引くことになる。その際には、誰かに仕事を受け継いでもらわなければならないのだ。そのとき、すべてのノウハウを知るのが俺ひとりであるというのは心もとない。だからこそ、俺はさまざまな相手に責任を分散させて、来たるべき日に備えたく思っていた。その筆頭が、ユン=スドラであり、トゥール=ディンであり、レイナ=ルウであり、ララ=ルウであるわけであった。


「ユ、ユ、ユン=スドラは本当に立派ですよね。わ、わたしなどには、とうてい務まりません」


 同じ荷台で揺られていたマルフィラ=ナハムがしみじみとつぶやいてから、慌てて俺のほうに向きなおってきた。


「あ、い、今のは、今日みたいに最初から最後までアスタの手を離れて仕事を果たすのがすごいという話で……し、下ごしらえの取り仕切り役に関しては、なんとか近日中にお引き受けしたく思っています」


「うん、ありがとう。マルフィラ=ナハムにも、期待しているからね」


 本日、トゥランでの商売を一任したのは、ユン=スドラとラッツの女衆である。ユン=スドラはこれが3日目、ラッツの女衆は2日目の勤務だ。ふたりはどちらも力強く、このたびの仕事を引き受けてくれたのだった。


 いっぽう闘技場に向かう一団も、マルフィラ=ナハムにレイ=マトゥアにフェイ=ベイムなど、頼もしい面々が居揃っている。そして、モラ=ナハムが闘技会に出場する兼ね合いから、フェイ=ベイムはずっと厳しい面持ちであった。


「モラ=ナハムが最後の8名まで勝ち抜いたら、フェイ=ベイムも祝宴に参席できるのですよね! おふたりが参席できるように、わたしも祈っています!」


 レイ=マトゥアがそのように言いたてると、フェイ=ベイムは同じ面持ちのまま「ええ」と応じた。


「祝宴など、わたしにとっては些末な話ですが……それでも、モラ=ナハムがその力に相応しい結果を得られるように祈っています」


 モラ=ナハムがどれだけの力量を有する狩人であるのか、俺はあまり正確にはわきまえていない。彼がラヴィッツの血族において屈指の力量であることはわきまえているものの、ルウやザザの血族との相対的な差というものがわからないのだ。たとえば彼は荷運びの勇者であり、闘技や棒引きでも卓越した力を見せていたが――それがジィ=マァム以上の実力であるのかどうかは、判別のしようがなかった。


(ジィ=マァムは荷運びの勇者になれなかったけど、それはダン=ルティムっていう強敵がいるからだもんな。それに闘技のほうだって、ルウの血族には物凄い面々が居揃ってるし……モラ=ナハムは余所の祝宴の余興でもあんまり力比べに参加しないから、いまひとつ力量がわからないんだよな)


 しかしまあ、モラ=ナハムだって俺にとってはご縁のある相手だ。レム=ドムと同じように、彼の健闘を祈るしかなかった。


「ふむ。ルウの集落は、ずいぶん賑わっているようだな」


 と、御者台のアイ=ファがそのようなつぶやきをもらす。

 それで俺も広場の様子をうかがってみると、そこには確かにアイ=ファが言う通りの賑わいが繰り広げられていた。


「おお、アイ=ファにアスタ、ひさしいな! 息災なようで、何よりだ!」


 その賑やかさを象徴するような人物が、こちらに向かってどすどすと近づいてくる。多少ひさびさでも見忘れようがない、我らがダン=ルティムである。


「どうも、おひさしぶりです。やっぱりダン=ルティムも、闘技場に向かわれるのですか?」


「うむ! レム=ドムは、俺たちにとっても大事な血族であるからな! ドムとルティムはギバ狩りの仕事を休みとして、自由のきく人間はのきなみ出向くことになったのだ!」


 確かにその場には、ギバの頭骨をかぶった男衆や骨の飾り物をつけた女衆も少なからず散見できた。きっと朝一番で荷車を飛ばして、こちらに駆けつけたのだろう。同じように、こちらは空いている荷車を総動員させてラヴィッツの血族を引き連れていたのだった。


「それに、ザザやジーンはもちろん、ダナやハヴィラからもかなりの人数が駆けつけるようだぞ! まあ、そやつらは俺たちよりも古くから、レム=ドムの血族であるわけだからな!」


「ええ。ディンやリッドも、それは同様であるようです。今日はまた、森辺中の荷車が持ち出されそうですね」


 そうして俺たちが和気あいあいと語らっていると、どこからともなく長身の人影が現れた。本日の主役のひとり、レム=ドムである。


「アイ=ファにアスタ、お疲れ様。出立の前に顔をあわせることができて、よかったわ」


 御者台に座したままであったアイ=ファは、レム=ドムの姿を見下ろしながら「ふむ」と目をすがめた。


「すっかり準備はできているようだな。しかし、出立の前からそのように入れ込んでいると、勝負の時までもたんやもしれんぞ」


「あら、ずいぶん見くびられたものね。わたしがそのていどの人間だと思われているなんて、心外だわ」


 そのように応じるレム=ドムは、きゅっと目尻の上がった黒い目を爛々と燃やしている。その肉感的な唇には不敵な笑みがたたえられており、筋肉の目立つしなやかな体躯には炎のごとき気迫がみなぎっていた。


「レム=ドムはディム=ルティムと力比べをしても、決して後れを取ることはないからな! であれば今日も、立派な結果を残すことがかなおう! まったくもって、楽しみなことだ!」


「ええ。期待に応えてみせるわ。……アイ=ファもわたしに、期待してくれるかしら?」


「……お前が望む通りの誇りを得られるように、母なる森に祈っている」


 アイ=ファの返答に納得したのかどうか、レム=ドムは「ふふん」と鼻を鳴らしつつ身をひるがえした。


「それじゃあどうか、その目で行く末を見届けてちょうだい。アスタは自分の仕事を頑張ってね」


「うん、ありがとう。中天の後は、俺も応援に行くからね」


 レム=ドムは手を振りながら立ち去り、ダン=ルティムもガハハと笑いながらそれを追いかけていく。すると、それと交代するようなタイミングでダリ=サウティが近づいてきた。


「ああ、アスタたちも到着したか。ようやくねぎらいの言葉を届けることができるな」


「アスタにアイ=ファ、お疲れ様です! 今日はそちらの仕事を手伝えなくて、申し訳ありません!」


 ダリ=サウティのかたわらから笑顔で挨拶をしてきたのは、森辺の宴衣装を纏ったサウティ分家の末妹であった。本日も、族長筋から2名ずつの人員が闘技会の観戦と祝賀会に招待されているのだ。


「トゥランでの仕事は滞りなく進められているのだと聞いている。俺の思惑よりもずいぶん早くからアスタたちに苦労をかけることになってしまい、ずっと申し訳なく思っていたのだ」


「いえいえ、とんでもありません。トゥランでの商売はとてもやりがいがありますので、むしろお礼を言いたいぐらいです。サウティの血族の方々にも、ぞんぶんにご協力をいただいておりますしね」


「うむ。下ごしらえの仕事においては、こちらの女衆も銅貨で雇ったという話であったな。それに関しても、いささか申し訳なく思っていたのだ」


「いえいえ。これまでよりも多くの人手が必要になったので、そちらに関してもありがたいぐらいですよ」


 数日前から、フォウの集落に滞在しているサウティの血族の女衆も下ごしらえの人員として正式に雇い入れることになったのだ。作業場の片方はフォウのかまど小屋であったので、そういう意味でも都合がよかったのだった。


「彼女たちを雇い入れたのは、それに相応しいだけの手腕を持っていたからです。屋台の商売に関しても、この短期間でめきめき腕を上げておりますよ」


「それは、心強い言葉だな。血族の長として、俺も誇らしく思う」


 そうしてダリ=サウティがゆったり微笑むと、ルド=ルウが「おーい」と遠くのほうから手を振ってきた。


「全員そろったんなら、さっさと出発しよーぜ。こんな大人数だと、身動きも取りにくいんだしよ」


「うん、了解。それじゃあ、また現地で」


 きっとルウ家も本日を休息の日として、狩人の何名かが闘技場まで出向くのだろう。それに、トゥランから城下町まで出向くレイナ=ルウにも、血族の護衛役がつくはずであった。


 広場の出入り口にたたずんでいた俺たちが荷車を出発させると、広場からも続々と荷車が続いてくる。これだけの人数で町を目指すのは、いまや懐かしき復活祭以来のことであった。


(って言っても、年が明けてからまだひと月も経ってないのにな。今年も賑やかな幕開けだ)


 そんな思いを噛みしめながら、俺は荷台で揺られることになった。

 闘技場まで出向くのは『烈風の会』以来であるので、やはりひと月も経過していない。それでもやっぱり新鮮な気持ちが損なわれることはなかった。


 宿場町を抜け出すと、南北にのびる主街道は本日も大変こみあっている。しかし、徒歩の人々はきちんと端に寄ってくれているので、荷車を駆けさせるのに不自由はなかった。

 四半刻ばかりも街道を駆けると、ここ数日でずいぶん見慣れてきたトゥランの木の塀が見えてくる。闘技場は、ここからさらに四半刻の位置であった。


 やがて闘技場の手前まで到着したならば、衛兵による検問だ。闘技会の出場者と招待客はそのまま真っ直ぐ街道を進み、屋台の関係者と観客は左手側の広場に誘導される。闘技場の手前に広がる広大な広場は、すでに大勢の人間でわきかえっていた。


 俺たちは、革の屋根が張られた調理場の裏側を進んでいく。そちらでも、すでにたくさんの人々が商売の準備を始めていた。ずいぶん顔馴染みの相手も増えてきた、宿場町の宿屋の関係者だ。ただやっぱり今回も、《キミュスの尻尾亭》や《南の大樹亭》は出張していなかった。下ごしらえに時間のかかる宿屋や移動の手間を苦にする宿屋の関係者は、宿場町で普段通りの商売に励むのが通例なのである。


 先頭を進むアイ=ファは迷う素振りもなく、調理場の最果てを目指す。長々と続く調理場の最西端で商売に励むのが、俺たちの通例であったのだ。闘技場での商売もこれで5度目となるので、アイ=ファも手慣れたものであった。


「ユーミ、お待たせしました。今日も天気に恵まれて、何よりでしたね」


 と、俺たちを小走りで追い抜かしたジョウ=ランが、端から9番目の位置で商売の準備をしていたユーミのもとに駆け寄った。相変わらず、ご主人を目指す猟犬のような微笑ましさである。が、それを迎えるユーミは仏頂面であった。


「あんたは朝から、ご機嫌みたいだね。よくもまあ、へらへら笑っていられるもんだよ」


「はい。無念な気持ちはユーミと同様ですが、幸福な行く末を思い描けば自然に顔がほころんでしまいます」


「お、大勢の人がいる前で、滅多なことを言うもんじゃないよ!」


 と、ユーミは顔を赤くしてジョウ=ランを引っぱたくふりをする。

 そのやりとりの裏にある事情は、俺もバードゥ=フォウから聞き及んでいた。ユーミとジョウ=ランは、ついに婚儀の日取りを決めようかというぐらい、話が進められていたのだが――ティカトラスの来訪によって、それが先延ばしにされてしまったのである。


「ユーミとジョウ=ランが婚儀を挙げると知れれば、きっとティカトラスは参席を願うであろうからな。それを頑なに拒む理由はないのだが……これはフォウの血族にとってもきわめて重要な話であるので、なるべく厳粛に執り行いたく思っているのだ」


 バードゥ=フォウもまた、苦笑いの中に小さからぬ無念の思いをにじませながら、そのように語っていたものであった。

 ユーミたちは復活祭を乗り越えたのち、サムスとシルを親睦の祝宴に招いて、それから茶の月を待たずに婚儀を挙げようという心づもりであったらしい。茶の月にはあちこちから貴き身分の人々が大集合するので、その前にしっかりと腰を据えて婚儀を挙げるつもりであったのだ。その目論見が、ティカトラスの奔放さに打ち砕かれた格好であった。


(それでもまあ、ついにふたりが婚儀を挙げる決断をしたっていうなら……俺はそれだけで、感無量だな)


 俺がそのように考えていると、ユーミに赤い顔でにらまれてしまった。


「アスタまで、何をにやにやしてるのさ? さっさと商売の準備を始めたら?」


「うん、そうだね。いつも場所取り、ありがとう」


 ユーミのかたわらで働くビアにも笑いかけてから、俺はもっとも奥まった調理場に陣取った。本日のパートナーは、クルア=スンである。


「クルア=スンは、これで2度目の闘技場だね。『烈風の会』のときと要領は変わらないから、慌てずに頑張ってね」


 クルア=スンはひっそりとした笑顔とともに、「はい」と応じる。

 その眉が、ふっと切なげに寄せられて――それからクルア=スンは、調理場の向こう側を振り返った。


「やあやあ、森辺のお歴々! このような早くから、ご苦労なことだな!」


 それはガーデルのお目付け役である、近衛兵のバージであった。三角巾で左腕を吊ったガーデルも、そのかたわらでおどおどと目を泳がせている。


「どうも、お疲れ様です。そちらもこんな早くからいらっしゃっていたのですね」


「うむ! 祝賀会に参じるからには、闘技会の勝負を余さず見届けるべきであろうからな! ……まあ、そうでなくとも剣士たる身なれば、闘技会を見逃せるわけもなかろう!」


 バージは本日も、陽気で大らかであった。

 そちらに愛想笑いを返しつつ、俺はアイ=ファを招き寄せる。


「アイ=ファ、ガーデルがいらっしゃったよ。それでこちらが、お目付け役のバージだ」


 アイ=ファは鋭い面持ちで、「うむ」と進み出る。きっとアイ=ファはその眼力で、とっくにガーデルたちの接近に気づいていたのだろう。

 そうしてアイ=ファが進み出るなり、バージは「おお!」と声を張り上げた。


「そちらが噂の、アイ=ファ殿か! いや、これは聞きしにまさる美しさだ! 狩人としての気迫が、その美しさを一段と際立たせているようだな!」


「……あなたは、森辺の習わしをわきまえておらぬのであろうか?」


「いや。しかしどうにも、頭より先に口が回ってしまう性分なのでな。美しいと言われて気分を害する理由はわからんが、ともあれ礼を失したことは謝罪させていただこう」


 と――バージは骨ばった顔でにやりと笑い、いつも斜めに傾いでいる背筋を真っ直ぐにのばした。


「あらためて、小官は近衛兵団特務部隊所属のバージと申す者。アイ=ファ殿も、どうぞお見知りおきを」


「うむ。我々がガーデルとの交流を求める限り、あなたとも数多く顔をあわせることになろう。ガーデルばかりでなく、あなたとも正しき絆を紡ぎたく願っている」


「そのように言っていただければ、幸いだ」


 何か、バージの調子が以前と違っていた。初対面の折にはずっとへらへらしており、今もそれは同様であるのだが――背筋を真っ直ぐにのばすだけで、その痩身にどこか異なる気配がみなぎるようであった。


「……ガーデルも、ひさしいな。闘技場というのは大変な賑わいであるのだが、身体に差しさわりはないのであろうか?」


「は、はい。観戦を終えたら、祝賀会までは身を休める手はずになっていますので……まあ、俺などがジェノス城の祝賀会に参ずるというだけで、気が引けてならないのですが……」


 そんな風に言ってから、ガーデルはいっそうせわしなく目を泳がせた。


「あ、そ、それよりも、アスタ殿のご家族であられるアイ=ファ殿にもお詫びを……今後は心を入れ替えて、アスタ殿と正しき絆を結ばせていただきたく思いますので……これまでのご無礼をご容赦いただけたら幸いであります……」


「私はあなたに無礼を働かれた覚えはない。あなたはあなた自身のために、心を入れ替えるべきであろう」


 そう言って、アイ=ファは少しだけ眼差しをやわらげた。


「しかしあなたは、以前よりも他者の心情を慮ろうとしているように感じられる。メルフリードの叱責が、あなたの心に響いたのであろうか?」


「は、はい……それに、あの祝宴の夜にも……みなさんに、情理を尽くしていただいたので……」


 ガーデルは目を伏せたまま、はにかむように微笑んだ。さすがにまだ、アイ=ファの目を見て笑うことはできないようだ。しかしそれでも、アイ=ファは満足そうだった。


「では、仕事の邪魔になっては申し訳ないので、いったん退かせていただこう。……おっと、その前に。ティカトラス殿から、伝言を承っていたのだ」


 と、バージが横から口をはさんだ。


「もとよりティカトラス殿は市井の人間にまじって観戦する心づもりであられたようだが、護衛役たるご息女らにたしなめられて、しぶしぶ貴賓の席に着かれることになった。屋台の料理はそちらで食するので、今日も森辺の料理人の手腕を楽しみにしている、とのことだ」


「そうでしたか。確かに承りました」


「うむ。そして、貴賓の席に着くならば護衛役はひとりで十分であろうと仰り、ご子息のデギオン殿を闘技会に出場させることに相成った。デギオン殿と森辺の狩人の勝負が実現することを願っている、とも仰っていたぞ」


 そのように語りながら、バージはまた不敵に微笑んだ。


「あのデギオン殿というのも、生半可な剣士ではあるまい。それが森辺の狩人とどのような勝負を繰り広げるのか、俺としても楽しみなところだ。では、またのちほどな」


 バージはガーデルをうながして、早々に立ち去っていった。

 俺は屋台の準備を進めながら息をつき、アイ=ファのほうを振り返る。


「なんだか今日のバージは、ちょっと様子が違うようだったよ。たぶん、アイ=ファを相手にして気が張ったんだろうと思うんだけど……どうだろう?」


「うむ。あやつはおそらく、他者の力量を見抜くことに長けているのであろうな。しかし……あやつもまた、大層な力を持っているようだ。それこそ、デギオンやヴィケッツォにも劣らぬ力量であるのだろう」


 デギオンやヴィケッツォは、森辺の一般的な狩人と互角ていどの力量と見なされているのだ。それで互角というのは、立派なものであった。


「それに、言動はいかにも軽薄だが、その力量に見合った胆力をも有しているように見受けられる。メルフリードの人を見る目に間違いはないようだ」


「そうか。アイ=ファがそう言うなら、俺も安心だよ」


「うむ。あれで実直な気性であれば、なお望ましかったのだがな。ところで――」


 と、アイ=ファがクルア=スンのほうを振り返り、声をひそめた。


「お前はガーデルのほうを見るより早く、その接近に気づいていたように見受けられる。それには、星見の力というものが関わっているのであろうか?」


「……はい。ガーデルはあまりに特異な星を持たれているため、その独特の気配がわたしの心に触れてしまうようです」


 クルア=スンが申し訳なさそうに目礼すると、アイ=ファはそれをなだめるように目もとで微笑んだ。


「お前は望んで星見の力を授かったわけではないのだから、何も詫びる筋合いはない。お前はその力に惑わされることなく、ガーデルと正しく絆を結べるように心を砕くべきであろう」


 クルア=スンは、どこか泣くのをこらえるような面持ちで「はい」と微笑んだ。

 そんな一幕を経て――俺たちは、闘技場における商売を開始することになったのだった。

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[気になる点] バージわ礼儀知らずの「仕事」を引き受けた,デヴィアス同じように心からの謝罪ではありません,うんざり感る
[気になる点] 婚儀の知らせ聞いたら、ティカトラスはUターンしてきそうだなぁw
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