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異世界料理道  作者: EDA
第七十八章 新たな仕事と闘技会
1348/1695

銀の月の二十三日~再会~

2023.4/30 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

・明日の5/1は、当作のコミック版の第8巻の発売日となります。ご興味を持たれた御方は、よろしくお願いいたします。

 その後も俺たちは、トゥランにおける商売を無事に継続することがかなった。

 上りの六の刻の半になったら宿場町を出立し、四半刻かけて作業場に到着したならば、もう四半刻で料理を温めなおす。中天となったら営業開始で、半刻も経たずに仕事は終わるので、やはり行き来の時間を加算しても拘束時間は一刻半足らずだ。それだけの時間で500名分もの料理をさばけるというのは、こちらとしても割のいい商売であるはずであった。


「それに、トゥランでは食器や食堂を準備する手間もないし、人手も4人で足りちまうんだからサ。これで赤銅貨650枚も稼げるんなら、ずいぶんお得なもんだネ」


 ルウの血族の金庫番たるツヴァイ=ルティムも、まんざらでもない面持ちでそのように申し述べていた。もともと銅貨に執着していた彼女は、血族が富をなすことに大きな喜びを見出しているようであるのだ。


 ちなみに赤銅貨650枚というのは、あくまで売り上げの金額である。500名という人数で、6割の男性が赤銅貨3枚、4割の女性や子供が赤銅貨2枚を支払うと、それだけの売り上げになるわけである。総売り上げは赤銅貨1300枚であるので、それをファの家と折半しているわけであった。


 赤銅貨1300枚といえば、俺の感覚では26万円にものぼるのだから、わずか一刻半足らずの成果であると思えば大した話であろう。そして、食材費は宿場町での商売と差が出ないように設定しているので、労働時間が短くて人件費が抑えられている分、純利益はいっそうまさっているはずであった。


 なおかつ現地で商売に取り組む人間は、宿場町での商売に負けないぐらいの充足感をも手中にしている。道端に敷物を広げて料理を食する人々の笑顔や温かい言葉が、こちらの胸を満たしてくれるのだ。それで俺は精神的な意味でも、この仕事を引き受けてよかったと心から思うことがかなったのだった。


「仕事そのものも、それほどの手間じゃないってことがわかったしね。まあ、しばらくはあたしかレイナ姉のどっちかが出向くつもりだけど……10日や半月ぐらい経っても同じ調子だったら、他の女衆にまかせようかと思うよ」


 ルウ家の側の取り仕切り役であるララ=ルウは、そんな風に言っていた。

 俺としても、異存はない。最初の内は俺が出向き、その後は常勤組の誰かに責任者を任せ、さらにその後はあるていどのキャリアを持つ女衆に仕事を託すつもりであった。


「ただやはり、街道を行き来する以上は護衛役が必要となろう。今後の護衛役に関しては、ドンダ=ルウや近在の氏族の家長らと相談して決めようかと思う」


 そのように語っていたのは、もちろんアイ=ファだ。トゥランそのものに危険はなくとも、街道で無法者や野獣に出くわす可能性はゼロではなかったので、やはり護衛役は必須であるという方針に落ち着いたのだった。

 しかしまた、ルウやファや近在の氏族であるならば、下りの一の刻ぐらいには家に戻ることができる。それならば仕事を休みや半休にせずとも、一刻遅れで森に入ることがかなうのだ。ギバ狩りの仕事に支障が出ない限り、護衛役の仕事に渋い顔をする人間はいないはずであった。


「ただし、スンやミームやラヴィッツの血族あたりになると、我々よりも半刻ていどは遅い帰りになろうからな。デイ=ラヴィッツの額に皺を刻ませないよう、こちらで手を打とうと考えている」


 そんなコメントを発する際には、可愛らしい茶目っ気をにじませるアイ=ファであった。


 まあとりあえず、トゥランでの商売は順調にスタートを切ったと言えるだろう。

 となると、次なる課題は料理の献立についてである。俺とレイナ=ルウはそれぞれ3パターンの料理を考案していたので、しばらくは飽きられることもないかと思われるが、数ヶ月単位で考えると、やはりレパートリーを増やすことは必須であった。


「それに、3種の献立というのも、焼き物と汁物で味付けを入れ替えているだけですものね。これではなおさら、飽きられる恐れがあるかと思われます」


 レイナ=ルウは、真剣な面持ちでそのように語っていた。

 3種の味付けというのは、タウ油、ミソ、タラパという内容になる。タウ油とミソはおおよそ費用に変わりはなかったし、タラパを基調にするといっそう食材費も安く済むので、とりあえずそれらの味付けは即採用となったのだ。


「わたしとしては、香草を主体にした献立も考案したいのですけれど……でも、シムの香草を数多く使うと費用がかさんでしまいますし……それに、トゥランの働き手には子供も多いので、あまり辛みの強い料理は忌避されてしまうでしょう」


「そうだねぇ。マロマロのチット漬けだけだったら、そこまで辛みは強くないけど……でも、ツヴァイ=ルティムが許してくれないかな」


「はい。ツヴァイ=ルティムは、頑固ですので」


 と、こういう話の際にはいつも子供のように頬をふくらませるレイナ=ルウである。彼女はルウの血族でミーティングを行うたびに、ツヴァイ=ルティムにやりこめられていたのだった。


「本来的に、外来の食材というのはそれほど割高ではないはずです。最近では、宿場町で安楽ならぬ生活を送っている方々でも外来の食材を買い求めているのですからね。でも、それが500名分になると費用がかさむの一点張りで……」


「うん。たとえ割銭1枚分の差で、1食分につき半個しか使わないとしても、500名分となると赤銅貨125枚の差になっちゃうからね。ツヴァイ=ルティムの計算は正しいと思うよ」


「ではやはり、外来の食材を使うことは許されないのですね。少ない費用でどれだけ美味なる料理に仕上げられるかというのは、考え甲斐のある命題であると思うのですけれど……ここ最近で習得した食材の扱い方を封じられてしまうのは、何とももどかしく感じられてしまいます」


 そんな風に語りながら、レイナ=ルウは実に切なげな眼差しを向けてきた。


「あの、アスタ、ひとつご相談があるのですが……時間のあるときには、城下町で出す料理についても話を進めさせていただけませんか?」


「え? でも、そっちはトゥランでの商売が軌道にのってからっていう話だっただろう?」


「はい。でも、トゥランでの商売は想定以上に順調なようですし……ふんだんに食材を扱える献立に頭を悩ませていれば、もどかしい気持ちも多少はなだめられるように思うのです」


 つくづくレイナ=ルウというのは、料理人として貪欲であるようであった。

 しかし彼女はそんな私心をぐっとこらえて、トゥランでの商売に尽力しているのだ。きっと家でも、そんな思いを家族にぶちまけたりはしていないのだろう。それならば、せめて俺だけでも彼女の熱情の受け皿になってあげたかった。


「わかったよ。料理の内容を考案しておけば、いつでも商売に着手できるもんね。その日に備えて、今の内から話を進めておこうか」


「ありがとうございます! やっぱりアスタは、わたしがもっとも敬愛するかまど番です! ……あ、決しておかしな意味ではないのですけれど!」


 と、レイナ=ルウは顔を赤くする。どうもこちらの仕事に携わって以来、レイナ=ルウの直情的な一面を垣間見る機会が増えたようだ。しかしもちろん、俺がそれを不満に思うことはなかったのだった。


                 ◇


「まったくレイナ姉ってのは、いったん火がつくとおさまらないよねー! やっぱり根っこは、あたしやリミに負けないぐらい子供っぽいんだと思うよー!」


 ララ=ルウがそのように言いたてたのは、トゥランにおける3日目の商売をやりとげた帰り道のことであった。


「最近のララ=ルウは、ちっとも子供っぽくないと思うけどね。それにレイナ=ルウも、かまど番として意識が高いってことなんだと思うよ」


「意識ねー。でも、アスタやユン=スドラやトゥール=ディンだったら、そんな話で熱くなったりはしなそうじゃない? やっぱりレイナ姉は、城下町の人らに影響されてる部分が大きいんじゃないのかなー」


「そうですね! 気質はまったく違いますけれど、マルフィラ=ナハムにも似た部分はあるように思います! レイナ=ルウもマルフィラ=ナハムも、とりわけヴァルカスに心をひかれていますものね!」


 と、同じ荷台で揺られていたレイ=マトゥアが、そのように声をあげる。3日目の本日は、彼女が俺の相方であったのだ。


「でもわたしは、マルフィラ=ナハムもレイナ=ルウも好ましく思っていますよ! 腕の悪いかまど番に貴重な食材を渡すぐらいなら、埋めてしまったほうがマシだーなんて言い出したら、さすがに見損なっちゃいますけれど!」


「あはは。それって、ヴァルカスの台詞? 森辺でそんな言葉を吐いたら、家から追い出されちゃうよ。まあ、そこまで極端な話じゃないとしても……やっぱりレイナ姉は、持てる力を全部使って立派な料理を作りたいって気持ちが強いんだろうね」


 さすがララ=ルウは、姉に対しても鋭い洞察力を発揮していた。

 すると、本日の護衛役であったタムルの男衆が「なるほど」とひかえめに声をあげる。


「城下町の人間と親密になると、そのような影響を受けることもあるのだな。サウティの血族では、そうまで城下町の民と関わる人間も多くはないので……少なからず、意外に思う」


「まあ、べつだん悪い影響だとは思わないけどさ。森辺の流儀には外れる気持ちだろうから、一番しんどいのは本人なんじゃないのかなー」


「お前は若年だが、ずいぶん物の道理をわきまえているようだな。さすがは、ルウ本家の家人だ」


 タムルの男衆が感心したように声をあげると、ララ=ルウは「そんな大した話じゃないよ」と朗らかに笑った。


 なかなか交流の機会もないタムルの男衆とこうして同席できるのも、トゥランにおける商売の得難い副産物であろう。護衛役は早くも2名に絞られて、御者台で手綱を握っているのはこれからタムルの男衆とともに森に入るガズの男衆であった。


「それにまあ、城下町のロイやシリィ=ロウたちだって、森辺の民の影響を受けまくってるんだろうしねー。同じジェノスの民として、おたがいに影響を与えながら、正しく生きていけるように心がけるしかないんじゃないのかなー」


「うむ。そのような物言いにも、感心させられてならんな。ルウの女衆というのは、誰もがお前のように聡いのであろうか?」


「だから、そんなんじゃないってばー」と、さしものララ=ルウも照れ臭そうに真っ赤な頭をひっかき回す。年齢が近くて仲のいいレイ=マトゥアは、そんなララ=ルウの姿を笑顔で見守っていた。


「でも確かに、城下町での商売が楽しみだという気持ちもわかります! トゥランでの商売も宿場町とはまったく趣が違いましたけれど、城下町ではまた異なる楽しさがあるのでしょうからね!」


「そうだねー。まあ、城下町の屋台ってのがどんな感じなのかは、レイナ姉やリミたちから聞いてるけど……あのときって、あんたもいたんだっけ?」


「はい! 一昨年の復活祭の前に、城下町を検分した日のことですよね? わたしも同行を許していただきました!」


 とりもなおさず、それは俺たちが初めてガーデルと出会った日のことである。俺たちはその日に城下町の商店区や《銀星堂》などを巡ることになったのだ。


「城下町の民というのは、森辺の民を忌避する気配もありませんでしたからね! それに、リコたちはしょっちゅうあちらで傀儡の劇を見せているのでしょうから、いっそう理解が深まったのではないでしょうか?」


「そうかもねー。アスタなんかはまた、あれが傀儡の劇の主人公かーって騒がれちゃうんじゃない?」


「あはは。不本意ながら、そういう騒ぎにも慣れてきちゃったよ。ガーデルみたいにおかしな思い込みを抱かれなければ、それで十分さ」


「ガーデル、か」と、タムルの男衆が難しげな顔をした。


「俺はいまだに、その者の顔を知らんのだ。フォウの祝宴に招いた翌日から、ずっと臥せっているという話であったが……いまだに変わりはないのであろうか?」


「はい。それでも多少は加減がよくなったので、メルフリードたちから厳しい叱責を受けたようです」


 そんな話も、俺たちはメルフリードからの使者に伝えられていた。近衛兵団のお目付け役というのも無事に選出されて、今はその人物の監視下で身を休めているのだそうだ。


「ガーデルなる者については、俺も族長ダリ=サウティからつぶさに話をうかがっている。俺では何の役にも立たないかもしれないが、何かあったら力を尽くすつもりだぞ」


「ありがとうございます。そんな風に言っていただけるだけで、心強い限りです」


 俺がそのように答えたとき、荷車が停止した。四半刻ほどの時間が過ぎて、宿場町に到着したのだ。


「おお、この位置からでも屋台の賑わいが見て取れるぞ。トゥランに劣らず、盛況なようだな」


 御者台から降りながら、ガズの男衆がそのように伝えてくる。現在は中天のラッシュを乗り越えて、ひと息ついている頃であろう。しかし、御者台の脇から覗いてみると、確かに青空食堂も屋台の前もたいそうな賑わいであった。


 自分の屋台の賑わいをこうして客観的に眺めるというのも、実に新鮮な心地である。俺と逆側から顔を出したレイ=マトゥアも、うずうずと身を揺すっていた。


「途中から屋台の商売に参ずるというのは、何だか奇妙な気分ですね! でも、まだまだ働き足りなかったので、すごく楽しみです!」


「うん。おたがい最後まで頑張ろうね」


 トゥランと宿場町の商売を同じ日に味わえるというのは、やはり貴重な体験であろう。最終的には、すべての女衆とこの体験を共有したいと俺は願っている。そしてそれは、そんなに遠い日ではないはずであった。


 まずは荷車に乗ったまま屋台を通りすぎ、レビたちの働く《キミュスの尻尾亭》の屋台の横合いから裏手に回り込む。そちらには、この荷車を駐車するためのスペースが空けられていた。


「それじゃー、また後でね! ガズとタムルのお人らは、お疲れさまー!」


 ララ=ルウは本日の相方であるマァムの女衆とともに、10名分の料理が残されている鉄鍋を抱えて立ち去っていった。

 ガズとタムルの男衆はギルルの手綱を木の枝に結んだのち、別のトトスの手綱をほどく。一刻も早くギバ狩りに参加できるように、護衛役の狩人は移動用のトトスを準備しているのだ。


「では、俺たちは帰らせていただく。そちらも帰り道は気をつけてな」


「はい。護衛役、ありがとうございました。ギバ狩りの仕事も、お気をつけください」


 そちらの背中を見送ってから、俺とレイ=マトゥアも自らの仕事場におもむいた。まずは、取り仕切り役を担ってくれたユン=スドラの屋台だ。


「お帰りなさい、アスタ、レイ=マトゥア。こちらは何事もありませんでしたが、そちらはいかがでしたか?」


 サウティの女衆の面倒を見ていたユン=スドラが、朗らかな笑顔を向けてくる。俺はレイ=マトゥアと一緒に笑顔を返すことになった。


「うん。こっちもばっちりだったよ。料理もいつも通り10名分が余ったから、最初に料理が尽きた屋台で売りさばくことにするね」


「承知しました。きっと今日も、最初に売り切れるのはぎばかれーでしょうね」


 たとえ中天のピークが過ぎても、屋台はなかなかの賑わいだ。しかしサウティの女衆も、滞りなく研修を進められているようであった。

 本日も普段と同じ人数を配置しており、サウティとザザから合計5名の研修生が参じているため、俺とレイ=マトゥアは手空きの状態である。後からやってきて屋台の仕事を横取りするのは忍びなかったので、俺は全体の様子を見ながら青空食堂を手伝うのが通例になっていた。


「フェイ=ベイム、お疲れ様です。そちらも問題はありませんでしたか?」


「はい。あえて言うならば、いくぶん客足がのびたように感じられます」


 青空食堂で皿洗いの仕事を果たしていたフェイ=ベイムは、真剣な面持ちでそのように告げてきた。


「ただそれは、今日に限った話ではないのでしょう。年が明けてから客足は落ち着いたように思いますが、それでも日を重ねるごとにじわじわ人が増えているように感じられるのです。料理の売り切れる時間に大きな差はありませんので、早急に料理を増やす必要はないのでしょうが……この先は、どうなのでしょうね」


「そうですね。雨季まではもうひと月半もないでしょうから、じっくり見定めようかと思います」


「そしてその前に、明後日はもう闘技会なのですよね! あれもまた普段の商売とはまったく勝手が違っているので、とても楽しみです!」


 と、レイ=マトゥアが元気に言い放ったとき――空いた食器の回収に励んでいたクルア=スンが小走りで近づいてきた。


「アスタ。ガーデルがこちらにやってくるようです」


「え? ガーデルが? 本当かい?」


「はい。遠目ですが、わたしがあの御方を見誤ることはないかと思います」


 クルア=スンは、いくぶん張り詰めた面持ちになっている。ガーデルの星を垣間見てしまった彼女は、他の人々よりもいくぶん強い危機感を抱いているのだ。


「昨日まではまだ熱で臥せってるって話だったけど……でも、ずいぶん容態は安定していたみたいだからね。今日になって、ついに回復したということなのかな」


 俺はクルア=スンの心をなだめるために、笑顔でそのように答えてみせた。


「それじゃあ心して、ガーデルをお迎えしよう。クルア=スンも、あまり気を張らないようにね」


「はい」とうなずくクルア=スンの手から、フェイ=ベイムが食器をひったくった。


「面倒を避けるようで恐縮ですが、わたしのように不愛想な人間ではガーデルの心を安らがせることも難しいでしょう。人手は十分ですので、アスタたちはどうぞガーデルをお迎えください」


「ありがとうございます。それじゃあ、しばらくお願いしますね」


 俺はクルア=スンとレイ=マトゥアをともなって、青空食堂の端まで移動した。

 すると、そちらで待ちかまえていたのはララ=ルウである。彼女も青空食堂の手伝いをしていたので、ガーデルの接近にいち早く気づいたのだろう。俺のほうを振り返ったその顔には、彼女らしい力強い笑みがたたえられていた。


「ガーデルも、やっと元気になったみたいだね。それに、ちゃんとお目付け役の武官ってやつを引き連れてるみたいだよ」


 ララ=ルウのそんな言葉を聞きながら、俺も街道に視線を巡らせた。

 ガーデルはいつもマントのフードをかぶっているが、西の民としてはずいぶん大柄であるため目立つのだ。そして彼は、もう俺たちの目の前に迫っていた。


「ガーデル、ようこそいら――」


 そのように言いかけた俺の言葉は、「おお!」という大声にかき消されることになった。


「これが噂の、森辺の女衆か! これは確かに、噂に違わぬ麗しさだ! しかもそれぞれが異なる美しさを持っているものだから、目移りしてならんな!」


 それは、ガーデルのかたわらに控えていた若者の発言であった。

 ガーデルは目を泳がせながら、「あ、あの……」と気弱げな言葉をもらす。


「たしか森辺の方々は、外見を褒めそやすことを禁じていたはずですので……そういったお言葉は、できるだけ差し控えたほうが……」


「ああ、確かに団長殿もそのように仰っていたな! しかし、これだけ麗しき女人を前に口をつぐんでいるなど、むしろ無礼の極みであろうよ!」


 そんな風に言いたてながら、その人物は勢いよくフードをはねのけた。その下から現れたのは、妙に骨ばった痩せぎすの顔である。


「それでそちらが、ファの家のアスタ殿であられるな? 小官は、近衛兵団特務部隊所属のバージと申す。3日前よりこのガーデルのお目付け役を命じられたので、どうぞお見知りおきを」


 それは、俺の想像を裏切ってやまない人物であった。お目付け役に関してはメルフリードが入念に吟味するという話であったので、俺はもっと慇懃であったり厳格であったりする人物を想定していたのだ。


 しかし、この人物から感じられるのは、デヴィアスにも通ずる大らかさと豪放さであった。

 ただやっぱり、ただ大らかなだけの人間ではないのだろう。彼は痩身である上に姿勢が悪く、頬のこけた顔などは近衛兵とも思えぬような粗野なる印象であったのだが――もしも真剣な表情をしたら、ずいぶんな迫力なのではないかと思われた。


(何だか、カミュアとラヴィッツの長兄を足して二で割ったような雰囲気だけど……どっちに似ていても、それは只者じゃないってことだよな)


 俺がそんな風に思案していると、ガーデルがまたおずおずと発言した。


「ど、どうも申し訳ありません。近衛兵団の団長たるメルフリード殿に、今後はこちらのバージ殿と行動をともにするように言いつけられてしまったので……」


「なんだ、その言い草は? お目付け役をつけられたのは、お前さんが不出来であるからであろうが? しかしまあ、このように麗しい女人がたとお近づきになれるなら、俺の側に不満はないがな!」


 そう言って、バージは高らかに笑い声をあげた。レイ=マトゥアはきょとんとしており、クルア=スンはつつましやかな無表情――そしてララ=ルウは、探るような眼差しだ。


「なんだかずいぶん、騒がしいお人だね。あんたが本当に、メルフリードの選んだ武官なの?」


「おお! その麗しき容姿に相応しい声音だな! まだまだ若年であるようだが、数年先には見事な大輪を咲かせることになろう! とりわけ、その晴れわたった青空のごとき瞳の美しさは格別だ!」


「まったく話にならないね。……アスタは、ガーデルに挨拶をしておいたら?」


「う、うん、そうだね」と、俺はガーデルに向きなおった。


「ガーデル、どうもおひさしぶりです。ずっと熱で臥せっておられたという話であったので、心配していました」


「あ、いえ、俺などは、アスタ殿に気をかけていただく価値もない人間ですので……余計なご心配をおかけしてしまって、本当に申し訳ありません」


 ガーデルと再会するのは半月ぶりであるが、何も変わりはないようだ。がっしりとした大柄な体躯で、くりくりとした褐色の巻き毛で、気弱そうなのっぺりとした面立ちで――それでやっぱり、人と目を合わそうとしない。俺の知る通りの、ガーデルの姿であった。


「それであの、ティカトラスの一件をメルフリードに通達した件ですが――」


「は、はい。そ、そちらに関しても余計なお手間をかけさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。お、俺がどれだけ道理をわきまえておらず、アスタ殿にまで多大なご迷惑をかけてしまったか……あらためて、思い知らされることになりました」


 ガーデルは限界いっぱいまで眉を下げて、いっそう気弱げな面持ちになってしまう。

 そして――色の淡い瞳で、上目づかいに俺の顔を見つめてきた。


「そ、それであの……俺は本当にこれからも、アスタ殿のおそばにあることを許されるのでしょうか? ことと次第によっては、別の領地に赴任させることも考えなくはないと……メルフリード殿に、そのように言い渡されてしまったのですが……」


「それを決めるのは、ガーデルご自身です。でも俺は、このジェノスでガーデルと絆を深めたいと願っておりますよ」


 俺が真っ直ぐに見つめ返すと、ガーデルは目をそらしたいのをこらえるようにきつく眉をひそめた。


「お、俺も、アスタ殿の行く末をこの目で見届けたいと願っています……今後はアスタ殿にご迷惑をおかけしないように心がけますので……俺がジェノスに留まることを許していただけますか……?」


「ええ、もちろんです」


 俺が心からの笑顔を届けると、ガーデルも少しだけ口もとをほころばせてくれた。

 ガーデルが、俺の目を見ながら笑ってくれたのだ。それだけでも、俺は一歩前進できたような心持ちであった。


「本当にお前さんは、こちらのアスタ殿に心酔しているのだな! その周りにはこれだけ魅力的な女人がそろっているというのに、まったく酔狂なことだ!」


 と、バージが再び高笑いをあげる。

 ガーデルはもじもじとしながら、そちらを振り返った。


「あ、あの、バージ殿……さきほども申し上げた通り、森辺の方々の外見を褒めそやすのは控えたほうが……デヴィアス隊長殿も、それで何度となく不興を買っておられたようですし……」


「うむうむ! デヴィアス殿は、率直を美徳とされているからな! あのような大人物に目をかけられて、お前さんは果報者だぞ!」


 ガーデルにどれだけ掣肘されようとも、バージはこたえた様子がない。

 ただ俺は、ずいぶん新鮮な心地であった。あのガーデルが掣肘する側に回るなどというのは、あまりない話であるのだ。


(まさか、そこまで見込んでこのお人をお目付け役に任命したとか? ……それはさすがに、考えすぎかな)


 俺がそのように考えたとき、ララ=ルウが「うわ」と声をあげた。


「ちょっと、冗談でしょ? これはあまりに、悪ふざけがすぎるってもんだよ」


 いったい何を発見したのかと、俺はララ=ルウの視線を追いかけた。

 そして俺は、ララ=ルウと同じ驚きと感慨を噛みしめることに相成ったのだった。


「やあやあ! そこにおわすは、アスタにララ=ルウじゃないか! それに、クルア=スンとレイ=マトゥアまで顔をそろえているとは、気がきいているね! 君たちの美しさに、旅の疲れが癒される心地だよ!」


 バージよりもけたたましい声が、宿場町に響きわたる。

 それで、青空食堂から立ち去ろうとしていたお客のひとりが陽気に声をあげた。


「よう。王都の貴族様じゃねえか。もうジェノスに舞い戻ってきたのかい?」


「うん! 宿場町も、相変わらずの活気だね! そちらも存分に復活祭を楽しめたかな?」


 甲高い笑い声が、いっそう周囲の目を集める。そしてその人物は、声よりも派手な身なりをしていた。

 赤地に金色の刺繍がされたターバンに、青地に銀色の刺繍がされた長羽織のごとき装束、指や手首や胸もとには銀や宝石の飾り物を光らせ、巨大なトトスにまたがったその人物は――王都の貴族ティカトラスに他ならなかった。


「ティ、ティカトラス! どうしてティカトラスが、もうジェノスに? ご到着は、早くても月の終わりであったはずでしょう?」


「そのつもりだったけど、どうにも辛抱が切れてしまってさ! 車は途中で兵士たちに預けて、トトスを駆けさせてきたのだよ! 護衛役など、デギオンとヴィケッツォがいれば十分だからね!」


 もちろんそちらの両名も、ティカトラスの背後に控えていた。

 そして、3名が同時にトトスの鞍から石畳に舞い降りる。頭の天辺から足の爪先まで絢爛な姿をしたティカトラスに、驚くほどの長身で白装束のデギオンと、黒い肌で美麗な面立ちをした黒装束のヴィケッツォ――まるで、往来が演劇の舞台に変じたかのような華やかさであった。


「それに、もう数日もしたら闘技会が開かれるのだろう? せっかくだから、そちらも観戦させていただこうと思ってさ! ついては、森辺の面々に祝賀会の宴料理をお願いしたいのだけれども、いかがなものだろう? もちろん、報酬はたっぷり準備しているからね!」


 くちばしのように尖った鼻をそらしながら、ティカトラスはそのように言い放つ。すると、ヴィケッツォがアンズ型の目を鋭くすがめながら、そのかたわらにまで進み出た。


「ティカトラス様、ご用心を。それなる者は、かつてティカトラス様に無礼を働いた人間であるようです」


 ヴィケッツォが敵意の眼差しを向けるのは、もちろんガーデルの姿であった。ティカトラスはジェノスに到着する早々、ガーデルと再会してしまったのだ。もちろん当のガーデルは、おどおどと目を泳がせるばかりであった。


(本当に……これはちょっと、悪ふざけがすぎるよ)


 家に戻ったら、アイ=ファはどれだけ深々と嘆息をこぼすことだろう。

 そんなアイ=ファの姿を想像するだけで、俺も溜息が止まらなかったのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] うるさいやつ集合,デヴィアスとティカトラス,そしてバージ,全員が森辺の风俗を守らない,尊重を感じない,自我中心すぎる,いやな感じがする
[気になる点] うざいのが二人になった!
[良い点] ここ最近の平穏が嘘のような怒涛の展開ですねw [一言] ガーデルが暴走しないといいなぁw
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