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異世界料理道  作者: EDA
第七十八章 新たな仕事と闘技会
1345/1697

銀の月十三日②~会合(下)~

2023.4/27 更新分 1/1

「続いて、城下町における商売についてだが――」


 メルフリードがそのように切り出したのは、木札を使った配給制というものについて四半刻ほど話を詰めたのちのことであった。


「そちらに関してこちらから提案したいのは、ただ一点。当面は、なるべく小規模な商売に留めてもらいたいということのみとなる」


「小規模というと、具体的には?」


「屋台の数は、1台か2台。料理の数は、1台につき100食ていどに留めてもらいたい」


 その返答に、俺は大いに驚かされることになった。


「あ、あの、その条件だけで、城下町で屋台を開くことを許していただけるのですか?」


「うむ。森辺の民のこれまでの功績を考えれば、何も驚くには値しまい。むしろ、そのような制限をかけてしまうことが心苦しいぐらいだ」


「うんうん、ごもっともですね! 何せアスタ殿を筆頭とする森辺の料理人というのは、ダカルマス殿下の開催した試食会であれほどの栄誉を授かっているのですから! 城下町においても、その手腕を味わいたいという人間はいくらでもいるはずです!」


 ポルアースは元気いっぱいに発言してから、俺たちをなだめるように微笑んだ。


「ただ、そのように期待をかけられているからこそ、こちらも制限をかけざるを得ないのだよ。森辺の方々が大々的に屋台を開いて、軽食のお客を独占してしまったら、それこそ他の商売人から大きな反感を買ってしまうだろうからさ。それは、君たちにとっても望むところではないだろう?」


「え、ええ、もちろんです。それより、城下町での商売をこんなあっさり許されるとは思っていなかったので……むしろ、そちらのほうが意外です」


「そうかな? まあ我々も、森辺の民ばかりを優遇していると思われないように、自らを律していたからね。そうでなければ、もっと早い段階から実現していただろうと思うよ」


 ポルアースの言葉に、フェルメスはゆったりとうなずいている。ジェノスの貴族が森辺の民を不当に優遇していないか、それを見定めるのは外交官の役割であるのだ。もしかしたら、屋台の規模に関してはフェルメスの意見も取り入れられているのかもしれなかった。


「でも、本当に大丈夫なのでしょうか? 城下町の通行証というのは、そんな簡単に発行できるものではないのでしょう?」


「そこのあたりを、これから詰めていかないといけないね。まず、城下町で屋台を開くとしたら、人員はどれぐらいの規模になるのかな? 屋台の当番が交代制となるのなら、その総勢を教えていただかないといけないね」


「え、えーと、こちらはそこまで具体的に考えていたわけではないのですが……ルウ家だったら、どうだろう?」


 俺が水を向けてみると、ララ=ルウが「うーん」と腕を組んだ。


「たとえば、ルウ家で1台の屋台を受け持つとして……これはけっこうな責任のつきまとう話だから、そんなあちこちの人間には任せられないよね。取り仕切り役にはルウ本家のあたしかレイナ姉のどちらかが必ず同行して、その手伝いは……3人ぐらいの女衆に交代で任せるような感じかなぁ?」


「そうだね。一番古くから働いてるレイとミンの女衆と……あと、マァムの末妹だったら問題ないと思うよ」


 レイナ=ルウは、凛々しい面持ちでそのように応じる。

 ポルアースは「なるほど」と破顔した。


「1台の屋台で働くのは2名で、5名の人間が交代制で受け持つという形かな? その人数なら、問題ないよ。アスタ殿のほうは、どうだろう?」


「はい。その人数なら、こちらも問題ないかと思います。ただ、屋台の当番というのはときどき代替わりの機会が生じるのですが、そのあたりも問題はありませんか?」


「ふうん? これまでにも、屋台の仕事から退いたお人がいるのかな? それは、どういった理由からなのだろう?」


「はい。お子を授かったり、遠方の氏族に嫁いだり、家の仕事が忙しくなったりと、理由はさまざまです。みなさんがご存じのヴィナ・ルウ=リリンやシーラ=ルウも、その中に含まれておりますね」


 それ以外にもリィ=スドラやアマ・ミン=ルティムが懐妊で、オウラ=ルティムやリリンの女衆が赤子のお世話のサポートで、モルン・ルティム=ドムがドムへの嫁入りで、それぞれ屋台の商売から身を引いている。そう考えると、ファの屋台の関係者で引退したのはリィ=スドラただひとりなわけであった。


「そうかそうか。まあ、そんな頻繁に人員が入れ替わるのでなければ、問題はないと思うよ。どのみち通行証を発行する相手とは、僕やメルフリード殿が事前に顔あわせすることになるわけだしね」


 すると、そのメルフリードがいくぶん迷うような素振りで声をあげた。


「ところで、この場にトゥール=ディンが参じていないということは、あちらの菓子を城下町で売るつもりはない、ということであろうか?」


「え? ああ、はい、そうですね。ディンの家にはトゥール=ディンしか取り仕切り役を果たせる人間がいないため、宿場町の外にまで商売の手を広げるのは差し控えようという方針であるようです」


「なるほど……しかし、トゥール=ディンがバナーム城の婚儀に招待された折や、鎮魂祭で城下町に招待された折にも、菓子の屋台は開かれていたという話ではなかったか?」


「そうですね。古くから働いているリッドの女衆であれば、トゥール=ディンの留守を任せられるようですが……でもさすがに、城下町における商売の責任を負わせるのは忍びないという考えであるようですよ。かといって、トゥール=ディンが城下町に出ずっぱりになってしまうと、彼女自身が宿場町で交流を広げる機会が失われてしまいますからね」


「そうか……」と、メルフリードは小さく息をつく。

 彼は相変わらず冷徹な無表情なままであったが、その仕草には人間らしい情感が垣間見えていた。


「どうなさったのです? メルフリードは、トゥール=ディンが城下町で屋台を出すことを期待されていたのですか?」


「うむ。期待というよりは、当然そういう流れになるのであろうと考えていた。何せトゥール=ディンは、ジェノスで一番の腕を持つ菓子職人であると認められた身であるのだからな」


 すると、ララ=ルウもけげんそうに「ふーん?」と声をあげた。


「でも、それでどうしてメルフリードが残念がるのかな? たとえトゥール=ディンが城下町で商売をしても、オディフィアが買いにこられるわけじゃないんでしょ?」


「うむ。侯爵家の息女たる身で、商店区の屋台にまで足を運ぶことなどは許されない。しかし……それでトゥール=ディンの名声が高まれば、オディフィアもさぞ誇らしかろうと思ってな」


 やはりメルフリードが情感をこぼすのは、オディフィアがらみの話が多いようだ。ララ=ルウは、どこか満足そうな面持ちで白い歯をこぼした。


「だったら、トゥール=ディンにもういっぺん考えてもらえばいいんじゃないのかな。そもそもあたしたちは、こんな簡単に城下町での商売を許されるなんて思ってなかったからさ。トゥール=ディンも、そこまであれこれ考える前に自分の出番はないって決めちゃったんだと思うよ。何せ、根っこがつつましいからね」


「うむ……それでトゥール=ディンが考えをあらためる余地は残されているのであろうか?」


「それはトゥール=ディン次第だけど、今のメルフリードの言葉を伝えたら、ちょっとは心を動かされるんじゃないのかな」


「なるほど」と、メルフリードは居住まいを正した。


「では、トゥール=ディンにその旨を伝えてもらいたく思う。それとも、こちらから使者を出すべきであろうか?」


「あはは。そんな話ぐらいでトトスを走らせたら、トゥール=ディンもびっくりしちゃうんじゃない? きっとアスタが、いい具合に伝えてくれるよ」


「ええ、おまかせください」


 俺が笑顔で応じると、メルフリードは「よろしく願いたい」と目礼した。

 すると今度は、レイナ=ルウが勢い込んで発言する。


「ですが先刻、屋台を出すのは2台までというお話があげられていましたよね。もしもトゥール=ディンが屋台を出すと決めたならば、ルウとファのどちらかは差し控えなければならないということでしょうか?」


「そこは何とか、3交代制ということにしてもらいたく思う。すべての屋台が3日に2日の出店という形にすれば、問題はなかろう」


「ああ、なるほど。そういうお話であれば、わたしも異論はありません」


 レイナ=ルウは、ほっとした様子で息をつく。

 今度こそこの議題も終了かと思われたが――そこでアイ=ファが、初めて発言した。


「では、護衛役に関してはどうであろうか? 城下町で商売をするかまど番には、狩人の同行を認めていただきたいのだが」


「え? 城下町は、宿場町よりも安全であるはずだよ。それなのに、護衛役が必要なのかな?」


 ポルアースがびっくりまなこで反問すると、アイ=ファは凛然たる面持ちで「うむ」と首肯した。


「確かに城下町には、無法者も存在しないのであろう。しかしその代わりに、貴き身分の人間が行き来しているはずだ。見知らぬ外来の貴族などというものは、我々にとって警戒すべき相手であろう」


「ああ、なるほど……貴き身分の人間に目をかけられると、いろいろ面倒な面もあるからね。まあ、ティカトラス殿のような御方は、他にそうそういないだろうけどさ」


 と、ポルアースは理解を示すように微笑んだ。


「それでもまあ、あまりに仰々しく護衛役などをつけていると、城下町では悪目立ちしてしまうからね。1台の屋台につき護衛役は1名までという取り決めでどうだろう? 交代役の人間は、別途相談ということで」


「うむ。仔細については、族長筋の面々に託したく思う」


 アイ=ファは差し出口を詫びるように、ジザ=ルウへと目礼を送る。ジザ=ルウは鷹揚なるたたずまいで、それを受け取った。ジザ=ルウとて、アイ=ファに負けないぐらい同胞の身を案じているはずであるのだ。


「よし! それじゃあ、この議題もここまでかな? アスタ殿も何か疑問があったら、遠慮なく言っておくれよ」


「いえ、今のところは疑問もないのですが……ただ、何だかあまりにとんとん拍子で、まだ実感が持てません」


「うんうん。僕としても、森辺のギバ料理が城下町でも評判を呼ぶのは誇らしい限りだよ。でも……僕たちとしては、できるだけトゥランのほうを優先してもらいたいのだよね。荘園の食事事情というのは、前々から問題視されていたからさ」


 と、ポルアースは笑いながら眉を下げた。


「せっかくジェノスの領民になれたのに思ったほど安楽じゃないだとか、これならもとの領地で畑を耕していたほうがマシだったとか、そんな声まであがり始めている始末であるのだよ。まったくもって、食べ物の恨みというのは恐ろしいものだねぇ」


「あはは。食欲というのは、三大欲求のひとつとされていますからね」


 俺がついそのような軽口を返すと、フェルメスがするりと口をはさんできた。


「それは耳なれない言葉です。残るふたつは、どのような欲求なのでしょう?」


「え? それはその……睡眠欲と、異性を求める欲求だと聞いています」


「なるほど。生き物としての生存および繁栄に関わる三つの欲ということですね。これは勉強になりました」


 何だか先刻に引き続き、またフェルメスの関心を引いてしまったようである。その結果として、俺はアイ=ファに肘で腕を小突かれることになった。


「しかし確かに、これはこちらの思惑以上の進展でありましょう。もともとトゥランや城下町で屋台を開きたいというのは、いずれサウティやザザの家人を雇い入れるために商売の手を広げたいという話から始まっていたのですが……それは、数ヶ月ばかりも先のことを見越しての考えであったのです」


 ガズラン=ルティムがやわらかな微笑とともに、そう発言した。


「サウティとザザの家人はつい数日前から働き始めたばかりですので、いまだ正式に雇い入れる目処は立っていないことでしょう。この状況で、商売の手を広げることは可能なのでしょうか?」


「はい。まったく問題はないかと思います」


 レイナ=ルウが勢い込んで返答すると、ララ=ルウが「ちょっとちょっと」と苦笑した。


「そんな安請け合いをしちゃ駄目だよ。トゥランのほうはともかく、城下町のほうは人手が足りるかどうか計算が必要でしょ?」


「トゥランのほうは、問題ないのかな?」と、ポルアースもレイナ=ルウに負けない勢いで身を乗り出す。それに対して、ララ=ルウは「うん」とうなずいた。


「だって、トゥランでは一刻しか商売できないんでしょ? 500人分の料理を準備するのは簡単な話じゃないだろうけど、下ごしらえの人手にはまだまだゆとりがあるからさ。ファの家と半分ずつ受け持つっていう話なら、何とかなると思うよ」


 それはきっと、復活祭の期間にジェノス城の祝宴の下ごしらえまでこなした経験から発せられた言葉であるのだろう。俺としても、下ごしらえに関しては何の不安も抱いていなかった。


「それに、屋台の商売に関しても、もっと働きたいって声がやまないぐらいだからね。それは、ファの家も一緒でしょ?」


「うん。だからダリ=サウティも他の氏族の仕事を奪わないように、商売の手を広げることを提案してくれたわけだからね。当番の日取りを増やしてほしいってお願いしたら、おおよその女衆は喜んでくれると思うよ」


「それは、実にありがたい! またこちらの都合を押しつけてしまって申し訳ないけれど、どうかトゥランのほうを優先して話を進めてもらいたく思うよ!」


「うん。城下町の話を考えるのは、その後だろうね。いっぺんにふたつも仕事を増やすのは、あまりに大がかりだろうからさ」


 ララ=ルウがそのように答えると、レイナ=ルウはひとりでもじもじした。きっとレイナ=ルウとしては、城下町の案件を優先したいぐらいの気持ちであるのだろう。ただ、それが自分本位の欲求であると自覚して、発言を控えているのだろうと思われた。


(俺たちとしては、まず困ってる人たちに手を差しのべたいもんな。なかなかしっかりとご縁を持つことのできていなかったトゥランの人たちが相手なら、なおさらだ)


 おそらくは、この場に集った森辺の民の全員がそのように考えている。レイナ=ルウもそれがわかっているからこそ、口をつぐんでいるのだ。あらためて、俺は森辺の民としての誇りを噛みしめることに相成ったのだった。


「では、屋台にまつわる案件はひとまず終了として……時も過ぎてきたので、残る2件についても語らっておきたく思う」


 冷徹なる口調でもって、メルフリードがそのように宣言した。


「まず、シルエルと《颶風党》にまつわる騒乱を傀儡の劇に仕立てたいという申し出に関してだが……これは以前と同じように、完成された劇の仕上がりでもって判断を下したく思う。以前にも通達した通り、聖域の民が森辺で過ごしていたことをむやみに喧伝するのは危うき話であるように思うので、そこに不備がないかどうかは入念に吟味する必要があろう」


「うむ。それがひいては、リコたちのためにもなろうからな」


「そう。邪神教団というものが聖域の民をどのようにとらえているかは、不明なれども……ともあれ、危険の芽は事前に摘んでおくべきであろう。新たに作られる傀儡の劇において聖域の民たるティアの素性を完全に隠匿できているかどうか、それは我々と森辺の民の双方が入念に検分して、不備があった際には手直しをさせる。昨日の協議でそのように取り決められたので、聖域の民ととりわけ深い関係にあったファの両名もそのように心得てもらいたい」


「承知した」と応じるアイ=ファの青い瞳には、誰よりも真剣な光が宿されている。ことがティアにまつわる案件であれば、それが当然の話であった。


「では続いて、護民兵団の兵士たるガーデルについてだが……こちらの案件に関しては、我々も少なからず驚かされた。まさかあの者が、我々の知らないところでそのような騒ぎを起こしていたとはな」


「ええ、本当に。ティカトラス殿の鷹揚さに救われたわけでありますね」


 ポルアースも、これまでの元気をなくして嘆息をこぼす。


「しかしまあ、貴き身分を顧みずに宿場町を闊歩するティカトラス殿の奔放さが招いた事態とも言えるわけですが……ああ、こんな発言は書きとめないでおくれよ。今のは、ただの軽口だ」


 書記官は、理解ある笑顔で手を止めた。きっと彼も、外交官の補佐役たるポルアースがどれだけティカトラスの奔放さに苦労させられていたかをわきまえているのだろう。


「しかし何にせよ、兵士ガーデルの行いはあまりに短慮で無軌道なものといえよう。当時のガーデルは発熱によって正気を失っていたとのことであるが……アスタよ、それで相違はなかろうか?」


「はい。最終的には熱に耐えかねて意識を失う始末でしたからね。痛めてしまった古傷の治療のさなかで、ずいぶん無理をしていたのだと思われます」


「うむ。ただし、その一点を考慮したとしても、まずは其方に対する執着が原因であり、森辺の民はその事実を憂慮している――と、こちらはそのように聞いている」


 昨日の会合にも参席しているガズラン=ルティムが、「ええ」と首肯した。


「そのために、我々はガーデルを親睦の祝宴に招待いたしました。その顛末は、昨日お知らせした通りです」


「うむ。あやつがきわめて未熟な人間であるということは、我々も理解した。虚偽の申告で職務を放棄した件と、ティカトラス殿にあらぬ悪意を向けた件に関しては、こちらから厳重に注意させていただく。ただ……護民兵団から除名するほどの罪ではないと、我々はそのように判じている」


「ええ、もちろんです。我々も、そのような話を願っているわけではありません。彼が兵士の職から退くのであれば、それは本人の意思から為されるべきでしょう」


「……ガズラン=ルティム自身は、ガーデルが兵士の職を辞することを望んでいるのであろうか?」


 メルフリードが厳格なる面持ちで問い質すと、ガズラン=ルティムは「どうでしょう?」と微笑んだ。


「あまりに未熟な人間に帯刀を許すのは、危険であるように思いますが……しかし、兵士でなくとも刀をさげることは許されています。であれば、護民兵団という規律のある組織に身を置いていたほうが、まだしも安全であるのかもしれません」


「……やはりガズラン=ルティムは、少なからずガーデルを危険視しているようだな」


「それは、これまでの行状を鑑みてのことです。飛蝗の騒乱の際には彼も熱に浮かされていなかったはずですが、それでも人が変わったように暴れていたのだと聞き及びます。きっと彼は、アスタを救うためであれば……どのように暴虐な真似も辞さないのでしょう」


「けっきょくは、アスタ殿に対する執着が問題であるというわけだね」


 表情の選択に困っているような笑顔で、ポルアースが口をはさんだ。


「まあ我々の目から見てもアスタ殿というのは魅力ある大人物であるし、ダカルマス殿下やアルヴァッハ殿といったお歴々もたいそうな執着を抱いておられるわけだけれども……ガーデルなる人物は、べつだん料理人としての手腕に魅了されたわけでもないようだしねぇ」


「はい。ガーデルが執着しているのは、あくまで傀儡の劇の『ファの家のアスタ』なのだと思われます」


「こればかりはアスタ殿の申し述べる通り、地道に理解を深めるしかないのかな。もちろん我々も、かなう限りは力を添えたく思うよ」


「というと?」とジザ=ルウが反問すると、ポルアースは笑顔を無邪気なものに変じた。


「たとえば、城下町の祝宴や晩餐会などで同席できるように取り計らうとかね。その際には自分がお目付け役として同行すると、上官のデヴィアス殿も力強く提案してくれたよ」


 俺の隣で、アイ=ファが小さく息をついた。

 それを励ますかのように、メルフリードが厳粛なる声をあげる。


「それに、我々もガーデルの挙動を入念に見守りたく思う。森辺の民への悪影響のみならず、王都の客人に対する非礼というのは看過できぬ事態であるからな。決して不安のある人間を野放しにはしないので、その点は心を安らがせてもらいたい」


「……まさか、ガーデルを拘束したりはしませんよね?」


 俺がおそるおそる問いかけると、メルフリードは「無論」と首肯した。


「罪なき者を拘束する法はない。ただし、危険の兆候を見せた人間を放置することもできん。今後、ガーデルにはお目付け役をつけることとする。デヴィアスのように多忙かつ奔放な人間ではなく、然るべき手腕と分別を持っている人間にな」


「お目付け役か。そちらも我々と同じかそれ以上に、用心をしようという心づもりであるようだな」


 ジザ=ルウの言葉に、メルフリードは重々しく「うむ」と応じる。


「護民兵団ではなく、わたしの指揮下にある近衛兵団から然るべき人間を選出する。もはやあやつが単身でアスタに近づくことはない。そしてあやつが法を犯して、暴虐な真似に及ぼうとした際には……その者が、然るべき処断を下すことになろう」


 その果断なる言葉に、俺は思わず息を呑んでしまう。

 すると、アイ=ファが凛然と発言した。


「そちらの迅速なる対応は、得難く思う。ただ……ガーデルというのは幼子のように心が未熟であるので、厳しく律するだけでは悪い影響が出る恐れもあろう。その一点は、どうか考慮を願いたい」


「承知した。それも踏まえて、お目付け役を選出することとしよう」


 メルフリードのそんな言葉で、ガーデルにまつわる案件も終了したかに思われた。そこで声をあげたのは、フェルメスである。


「僕も王都の外交官としてガーデルとの面談を試みたのですが、彼の病状が思わしくなかったために四半刻も語らうことはかないませんでした。彼はそれほどに、危険な人物なのでしょうか?」


「それはこれまでに語られた通りとなる。アスタが外来の貴族や王族といったものに目をかけられるたびに我を失っていては、ジェノスの安寧が脅かされる恐れもあろう?」


 アイ=ファの返答に、フェルメスは「なるほど」と微笑んだ。


「それは確かに、危険ですね。しかも、その責任がアスタにのしかかってくる恐れもあるのかと思えば……どれだけ用心しても気が休まらないように思えてしまいます」


「かといって、罪なき者に刃を向けることは許されなかろう」


 アイ=ファが鋭く言いたてると、フェルメスはいっそう優美に微笑んだ。


「もちろんです。アイ=ファは僕がガーデルの暗殺でも目論むのではないかと危惧しているのでしょうか?」


「……あなたがそのように無軌道な人間でないことを信じたく思っている」


 アイ=ファがずいぶん真剣な面持ちでそのように語るものだから、俺まで心配になってきてしまった。俺を守るためであれば、どのような真似も辞さないというのは――ある意味、フェルメスにも備わっている資質であるのだ。


(嫌だなぁ。俺を巡ってフェルメスとガーデルが敵対するなんて、想像したくもない事態だ)


 そんな思いを込めながら、俺はフェルメスを見つめてみせた。

 すると――フェルメスの優美な微笑が、可愛らしくすねた乙女のごとき微笑みに切り替えられる。俺としては、「まさかアスタまで、僕の本心を疑っているのですか?」と腕をつねられたような心地であった。


 フェルメスはガーデルと似た部分を持っているが、一昨年の復活祭で真情を打ち明け合って、今後は生身の人間としても絆を深めていこうと約束した仲であったのだ。この1年と少しでそれが実現しつつあるのだと、俺はそのように信ずることにした。


 そこでどこか遠くから、鐘の音が聞こえてくる。壁際に控えていた小姓が「上りの五の刻の半です」と告げてくれた。


「では、本日の会合はここまでとさせていただこう。あとはおたがいに使者を使って進捗を伝えあい、必要があればまた会合を開くということで問題はないだろうか?」


「うむ。屋台の一件のみならず、ガーデルにまつわる一件でも何か進展があった際にはお知らせ願いたい」


 そうして二刻近くにも及んだ本日の会合は、無事に終了することになった。

 まずは貴族たちが横手の扉から退室していき、それを見送ってから俺たちも回廊に出る。するとそこには、予想外の人物が待ちかまえていた。


「お疲れ様です。アスタ、少々、時間、よろしいでしょうか?」


 それはリフレイアの従者たる、サンジュラであった。

 ジザ=ルウは、糸のように細い目でサンジュラのゆったりとした笑顔を見据える。


「ひさしいな、サンジュラよ。何かアスタに用向きであろうか?」


「リフレイア、挨拶、願っています。別室、控えていますので、お越しいただけたら、ありがたい、思います」


「ふむ。我々は、同席を遠慮するべきであろうか?」


「はい。森辺の方々、全員、挨拶、願っていますが……まず、アスタのみ、挨拶させていただけたら、ありがたい、思います。もちろん、アイ=ファ、同席、問題ありません」


 それは思わぬ提案であったが、相手がリフレイアであれば今さら悪だくみを疑う理由もない。俺たちは、サンジュラの案内で別室とやらに出向くことに相成った。

 ジザ=ルウたちにはその隣の部屋でお待ちいただき、俺とアイ=ファだけが扉の内へと招かれる。飾り気の少ない一室で、リフレイアはシフォン=チェルをかたわらに置きながら、優雅にお茶を楽しんでいた。


「わざわざ呼び出してしまって、ごめんなさいね。まがりなりにも伯爵家の当主が扉の前で立ちん坊というのは体裁が悪かったので、こちらで待たせていただいたの」


 すました面持ちで起立したリフレイアは、ドレスの裾をつまんで貴婦人の礼をした。


「どうも、おひさしぶりです。……あ、いや、口調をあらためるべきなのかな?」


「ええ。そのために、人の目のないところにお呼びだてしたのですからね」


 リフレイアと顔をあわせるのも、やはり『烈風の会』の祝賀会以来だ。ついに14歳となった彼女はすっかり髪も長くなり、ついでに身長も高くなって、いよいよ若き貴婦人という優美さであった。それでもやっぱり、どこか幼げな部分も残されているように思えるのは――俺自身も、同じだけ齢を重ねているためであるのだろうか。彼女が11歳であった頃、俺は17歳であったのだ。


「今日の会合については、メルフリードの使者から伝えられていたわ。トゥランにまつわる重要な案件なのだから、わたしやトルストにも同席させてほしかったぐらいなのだけれど……どうせメルフリードにはすげなく断られるだろうと思って、会合の終わりを待つことにしたの」


「うん、そっか。とりあえず、トゥランで商売をできるように、これから準備を整えるつもりだよ」


「そう。それはありがたい限りだわ。でも……アスタたちは、不本意じゃなくって?」


「不本意? どうしてだい?」


「だって、アスタたちが望んでいるのは、屋台の商売であったのでしょう? でも、トゥランの荘園というのはそういう環境じゃないのだから……どうしたって、ただの賄い仕事という形に落ち着いてしまうのじゃないかしら?」


「ああ、確かにね。でも、それでトゥランの人たちに喜んでもらえるなら、俺たちとしても不満はないよ。俺たちにとってもフワノやママリアは重要なんだから、荘園で働く人たちにはこれからも頑張ってもらわないとね」


 俺が笑顔でそのように答えると、リフレイアはすました面持ちのままもじもじとした。


「そう。……それじゃあ本当に、荘園で食事を出す仕事を受け持ってくれるのね?」


「うん。何か思わぬ問題でも持ち上がらない限り、この話が流れることはないと思うよ」


「……ありがとう。たとえ名ばかりの領主でも、感謝の思いは尽きないわ。もしもトゥランの荘園が立ち行かなくなってしまったら……北の民たちを解放したことまで文句をつけられてしまいかねないもの」


 リフレイアは、再び一礼する。そのかたわらで、シフォン=チェルは若き主人を励ますように微笑んでいた。


「トゥランっていうのは、リフレイアが治める領地だもんね。結果的にリフレイアの力にもなれるなら、俺もいっそう嬉しいよ。美味しい食事でトゥランの人たちを力づけられるように頑張るね」


 リフレイアは「ありがとう」と繰り返しながら、自らも微笑んだ。大人びた雰囲気とあどけなさが同居する、彼女ならではの魅力的な笑顔だ。


「本当は、そろそろアスタたちの家にお邪魔できないものかと思案していたのだけれどね。こちらの都合で忙しくさせてしまったのだから、自重せざるを得ないわ」


「うん。こっちが落ち着いたら、またいつでも遊びに来ておくれよ」


「いつでもと言ったって、来月は大変な騒ぎになることが目に見えているもの。この欲求は、ずいぶん長きにわたってこらえることになりそうだわ」


 そのように語りながら、リフレイアの眼差しは澄みわたっている。きっと彼女も領民の食事事情には心を痛めていたのだろう。そんなリフレイアの力になれるのは、俺としても喜ばしい限りであった。


「それじゃあ、他の方々にもご挨拶をさせていただくわね。ついついアスタと気安く語らいたくて、特別扱いしてしまったけれど……他の方々の不興を買ってはいないかしら?」


「きっと大丈夫だと思うよ。みんなだって、リフレイアの人柄はわきまえているだろうからね」


「それは、礼儀を知らない貴族の小娘という意味でかしら? だったら、その印象を塗り替えられるように身をつつしまないとね」


 と、今度は悪戯小僧のように微笑むリフレイアである。

 彼女はずいぶん笑うことが多くなってきたし、笑顔のバリエーションも増えたように思う。それに、アラウトとの別離が暗い影を落としている様子もなかったので、俺は内心で安堵していた。


(本当に、リフレイアは成長したよなぁ。俺もリフレイアのために、頑張ろう)


 そうして俺は充足した思いでもって、新たな仕事に立ち向かうことに相成ったのだった。

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