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異世界料理道  作者: EDA
第七十八章 新たな仕事と闘技会
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銀の月の十三日①~会合(上)~

2023.4/26 更新分 1/1

 それから1日、日を置いて――銀の月の13日である。

 その日の朝、紆余曲折を経た俺はアイ=ファの運転する荷車で城下町に向かっていた。


 紆余曲折の内容は、昨日行われた臨時会合である。森辺の三族長とジェノスの調停官が語り合った結果、俺たちが城下町に向かう顛末に相成ったのだった。


「まさか、昨日の今日で城下町に呼びつけられることになるとは思いもしませんでした。貴族の側も、それだけの熱意を抱いているということなのでしょうか?」


 そのように声をあげたのは、同じ荷車に揺られているレイナ=ルウである。

 現在城下町を目指しているのは、6名。俺とアイ=ファ、レイナ=ルウとララ=ルウ、ジザ=ルウとガズラン=ルティムという顔ぶれである。レイナ=ルウの疑問に答えたのは、会合にも参席していたガズラン=ルティムであった。


「本日呼び出されることになったのは、屋台の商売が休みの日取りで都合がよかったためでしょう。ただし、メルフリードやポルアースが今回の一件に熱心であるというのも、事実であるようです」


「うむ。こちらの申し出に関して、ひどく乗り気であったという話であるからな」


 そのように応じたのは、ジザ=ルウだ。こちらはこちらで、父たるドンダ=ルウからつぶさに事情を聞いているのだろう。それがレイナ=ルウやララ=ルウに伝わっていないのは、かまど仕事で時間が取れなかったのだろうか。いっぽう俺は、見届け人たるバードゥ=フォウをファの家の晩餐にお招きして、過不足なく事情を伝え聞いていた。


 昨日の会合で議題にされたのは、3件。トゥランや城下町における屋台の商売についてと、リコたちの傀儡の劇の申し出についてと、ガーデルの所業についてだ。俺たちが本日招集されたのは、もちろん屋台の商売について入念に語らうためであった。


「どうもトゥランにおける食事事情というのは、ダリ=サウティが耳にしていた以上に深刻であったようです。昼の食事が粗末であるために、荘園の働き手の士気が鈍るほどであるとのことで……ジェノスの貴族にしてみても、何らかの対策を講じなければと頭を抱えているさなかであったようですね」


 ガズラン=ルティムのそんな説明に、ララ=ルウが「ふーん」と声をあげる。


「前にトゥランで働いてた北の民だって、自分らで食事をこしらえてたのにねー。今はあの頃より、よっぽど立派な食材を使ってるんでしょ? トゥランの新しい領民ってのは、北の民よりかまど仕事が苦手なのかなー?」


「やはり奴隷と領民では、食事に対する欲求の度合いが異なっているのでしょう。それに……北の民の女衆は、リミ=ルウから手ほどきを受けていましたからね。であれば、かまど番として相応の力量を身につけていたのではないでしょうか?」


「あー、北の民たちは、どんな粗末な食事でも文句を言える立場じゃなかったって話だもんねー。かまど仕事の手ほどきをしたのは、こっちの勝手なんだろうしさ」


 と、ララ=ルウは満足そうに白い歯をこぼす。きっとそのような大役を果たした妹の存在を、誇らしく思っているのだろう。当時は俺が『アムスホルンの息吹』を発症したために、リミ=ルウがその大役を担うことになったわけであった。


「何にせよ、メルフリードたちは森辺の民がトゥランで屋台を出すことを強く願っています。ただし、こちらの思惑と外れる部分も出てくる可能性がありますので……そこは、屋台の取り仕切り役であるアスタたちに判じていただきたく思います」


「はい。メルフリードとポルアースなら、こちらを騙し討ちにするような真似はしないでしょうからね。しっかり話し合って、おたがいに納得のいく結果を出せるように心がけます」


 現在は朝方の、上りの三の刻を過ぎたぐらいである。普段の会合と同じように、狩人の仕事に支障の出ないような集合時間を提示されたのだ。そのあたりの事情もあって、屋台の休業日である本日が選ばれたわけであった。


 すでにそこそこの人出である宿場町を通りすぎ、城下町の城門に到着する。そこで出迎えてくれたのは、お馴染みである初老の武官だ。ガーデルは御者の仕事に復職するどころか、いまだに熱で臥せっているはずであった。


 そちらの容態が回復するなり、ガーデルは厳しく叱責されることになるのだろう。その内容も、今日の会合で語られるはずだ。よって俺は、二重に心を引き締めながら会合の場に臨もうとしているのだった。


 やがてトトス車で案内されたのは、ずいぶんひさびさとなる会議堂だ。

 飾り気のない灰色の回廊を踏破して、少しだけ飾り気のある一室に通される。今日はジェノスの貴族を信用して、3名の狩人の全員が刀と外套を預けて入室した。


「やあやあ、お疲れ様! ガズラン=ルティム殿を除く面々は、実にひさかたぶりだね!」


 やがて待つほどもなく、貴族の一行も入室してくる。調停官のメルフリード、補佐官のポルアース、会議の内容を帳面に記す書記官、そして王都の外交官フェルメスおよび従者のジェムドである。おおよそは、『烈風の会』の祝賀会以来の再会であった。


 座席の右端に陣取ったフェルメスは、俺に向かってこっそり微笑みを投げかけてくる。どことはなしに、想い人とのひさびさの再会を喜ぶ乙女のごとき眼差しである。隣のアイ=ファが小さく息をつく気配を感じつつ、俺は会釈を返しておいた。


「こんな性急に呼び出してしまって、申し訳なかったね! 次の休業日を待つというのは、あまりに時間が惜しかったからさ! こちらにとっても、ダリ=サウティ殿の申し出はありがたくてならなかったのだよ!」


「うむ。ただし、宿場町と同じような形で屋台を出すのは難しいのだと聞いている。そのあたりについて、つぶさに話を聞かせていただきたい」


 ジザ=ルウが沈着に応じると、ポルアースもそれを見習うようにこほんと咳払いをした。


「実のところ、そうなのだよね。いや、本当は何の縛りもなく、自由に商売をしてもらいたいところなのだけれども……荘園の立地や環境などから、あるていどの制約を提示せざるを得ないんだ。なるべくそちらの要望も取り入れられるように吟味するつもりなので、どうかよろしくお願いするよ」


「はい。自分もあるていどはバードゥ=フォウから事情をうかがっていますが、何か行き違いがあるとまずいので、詳しくお聞かせ願えますか?」


 俺がそのように応じると、ポルアースは「うん」と大きくうなずいた。


「まず最初に、荘園の立地に関してだけど……南の王都の使節団を最初にお招きした際、アスタ殿たちも荘園の検分に立ちあっていたよね?」


「はい。北の民のかまど仕事の手際を確認するために、屋外の調理場まで案内されましたね」


「うんうん。荘園においては火の扱いに気をつけなければならないので、アスタ殿たちが料理を供してくれるのなら、屋台ではなくあの調理場で仕事を果たしていただきたいのだよ。闘技場でもああいう調理場で仕事を果たしていたのだから、何も不都合はないように思うんだけど……どうだろう?」


「はい。トゥランまで屋台を運ぶのはひと苦労ですので、こちらとしてはむしろありがたいぐらいです」


「うんうん! それに、食器に関してはこちらに準備があるし、食べる場所に関しても同様だ! きっと普通に屋台を開くよりも、アスタ殿たちの苦労はうんと減じられるのじゃないかな!」


 本日のポルアースは、初手からずいぶん気が急いているようである。

 それをなだめる意味もあって、俺は笑顔を送ってみせた。


「作業環境に関しては、まったく仰る通りですね。ただ、料理の内容や価格設定についても何かご提案があるのだと聞き及んでいます。そちらも、ご説明を願えますか?」


「ああ、うん……肝要なのは、そこだよね。どうかアスタ殿には、気を悪くしないで聞いてもらいたいのだけれども……トゥランの新たな領民というのは、宿場町の民ほど羽振りがよくないのだよ。そこのところを考慮して、料理の内容や値段を見直してほしく思うのだよね」


 と、今度はおねだりするような眼差しになるポルアースである。

 俺はついつい笑いながら、「どうしたのですか?」と反問した。


「ポルアースとこういう話をするのはちょっとひさびさですけれど、今日はずいぶん調子が違っているように感じられます。何かよほど口にしにくい内容なのでしょうか?」


「いや、決してそういうわけじゃないんだけど……こっちの都合ばかりを押しつけるのが、何だか心苦しくってね」


 そう言って、ポルアースもはにかむように微笑んだ。


「それにやっぱり、アスタ殿との交渉というのがずいぶんひさびさであったから、僕も調子を乱しているのかな。こんなご機嫌うかがいみたいなやりとりは、きっと森辺の流儀じゃないよね」


「はい。なんでも明け透けに語っていただけたら、ありがたく思います」


「うん! それじゃあ、そうさせていただくよ! つまり、トゥランの領民は宿場町に集う行商人なんかよりも貧しい生活に身を置いているから、つかえる銅貨に限りがあるのだよ。それでも彼らが満足できるだけの料理を買いつけられるように、料理の質と量と値段の調整をお願いしたいんだ」


「なるほど。質と量を決定するには、まず値段の設定が必要ですよね。具体的には、ひとり頭でどれぐらいの支払いを目処にするべきでしょう?」


「年齢や性別で多少の差が出るだろうけれど、こちらで提示するのは赤銅貨2枚から3枚までだね」


 赤銅貨というのは俺の感覚で言うと200円ていどの価値であるから、それなら400円から600円という予算になるわけだ。もっとシビアな数字を想像していた俺は、ひそかに安堵することになった。


「こちらの屋台でも、以前は赤銅貨3枚でご満足いただけるようにという思いで料理の内容を設定していましたよ。まあ、ギバ肉の値段が定まっていなかった頃は、赤銅貨2枚でも十分という状況でしたけれどね」


「うんうん。でも、今はそれ以上の値段になっているのだろう? 何せ最近の宿場町は、羽振りがいいからね!」


「そうですね。それでも平均したら、赤銅貨4枚以内だと思いますよ。人によっては5枚つかう人も少なくないようですけれど、女性や子供なら3枚ぐらいにおさまるはずですからね」


 それはまた、ひと品あたりの金額に左右される面もあるのだろう。俺たちの屋台の料理は成人男性が2食か3食で満腹できるような目安で、ひと品の値段が赤銅貨1・5枚か2枚であるのだ。


「……ただそこに、量の問題がつきまとってくる。同じ値段でもより多くの量を求めれば、自然に質を下げるしかあるまい?」


 と、ここでようやく調停官のメルフリードが発言した。貴族の側の責任者は、あくまでメルフリードなのである。


「荘園の働き手は、おおよそ肉体労働に従事している。宿場町の民や行商人よりは、おのずと多くの滋養が必要になるはずだ。そうまでつぶさに調査したわけではないのだが……こちらでは、2割増しの量が必要になるものと考えてもらいたい」


「1食あたりの分量を、2割増しにするということですか? そうすると……確かに、食材を絞って材料費を抑えるしかないでしょうね」


「うむ。しかし、これまで荘園の働き手たちは、もっと少ない銅貨で腹を満たしてきた。我々が徴収していたのは、男であれば赤銅貨2枚、女人や子供であれば赤銅貨1枚と割り銭1枚という額であったのだ」


「徴収?」とララ=ルウが小首を傾げると、ポルアースが説明してくれた。


「荘園では、自分たちで食事の準備をしてもらっているのだよ。その食材を準備するのは管理者の役目なので、それだけの銅貨を賃金から天引きしていたということだね」


「あー、なるほど。でも、赤銅貨2枚っていったら、こっちでいうとぎばばーがーひとつだから……大の男は、とうてい満足できないだろうね」


「うんうん。こちらではキミュスの皮なし肉やカロンの足肉を準備していたから、赤銅貨2枚でもそれなりの量を準備できたのだよ」


 すると、きりりと引き締まった面持ちをしたレイナ=ルウが挙手をして発言を求めた。


「ひとつご質問です。その際には、どのような料理が作られていたのでしょうか?」


「やっぱり手軽な汁物料理が多かったようだね。ただ、さすがにポイタン汁で満足できる人間はいないので、毎回ポイタンを焼いていたはずだよ。ミケル殿の尽力で、あちらの調理場には立派な石窯が設えられているからね」


「なるほど……それでその銅貨は、すべて食材にあてられていたのですね? 料理を作る女衆に代価などは払われていなかったのでしょうか?」


「うん。だってそれは荘園の仕事を抜けて、かまど仕事に励んでいたわけだからね。特別に報酬を出す理由はないだろう?」


 ポルアースの返答に、レイナ=ルウはいっそう凛々しい面持ちになった。


「ですが、わたしたちが料理を準備する際には、働く人間の手間賃というものも考えなくてはなりません。それで赤銅貨1枚分が上乗せされたのでしょうが……ギバ肉の値段を考えると、それで同じ量を準備するにはいささかならず工夫が必要になるのでしょうね」


「うん。だから、キミュスの皮なし肉やカロンの足肉でも使ってもらえば、話は簡単なのだけれども……それではきっと、ギバ肉の味を世に広く知らしめたいという君たちの理念から外れてしまうだろう?」


 ポルアースは、またいくぶん恐縮したように眉を下げた。

 すると、メルフリードが冷徹なる言葉を飛ばしてくる。


「よって我々も、一考した。もしもそれだけの値段で十分な量のギバ料理を準備するのが難しいようであれば、別なる食材を使った食事の準備を正式に依頼したく思っている」


「……それは、キミュスの皮なし肉やカロンの足肉で料理を準備せよ、というお話でしょうか?」


「うむ。アスタやレイナ=ルウは、かつて懇意にしていた宿屋で料理を仕上げる仕事を受け持っていたのだと聞いている。そちらでは、キミュスやカロンの肉も扱っていたはずだ。ギバ以外の肉を使うことが森辺の民の誇りに抵触しないのならば、一考してもらいたい」


 そう言って、メルフリードは冷たい月光を思わせる灰色の眼差しで俺たちを見回してきた。


「ただしわたしは、森辺の料理人の本領が発揮されるのはギバ料理であると考えている。むろん、其方たちであればキミュスやカロンの肉でも美味なる料理を作りあげることがかなうのであろうが……トゥランの領民により深い満足を与えられるのは、ギバ料理であるはずだ。よって、どうにかギバ料理を準備してもらえないものかと期待している」


「はい。わたしとしても、かなう限りはギバ料理を準備したく思いますが……食材の費用に関する話となると、わたしひとりでは判断がつかないようです」


 と、レイナ=ルウは無念そうに俺のほうを振り返ってきた。


「このような話であったのなら、この場にはツヴァイ=ルティムにも参じてもらうべきでした。自らの未熟さが歯がゆくてなりませんが……ここはアスタのお力を頼らせていただけますか?」


「うん、もちろん。俺も入念に計算しないと、軽はずみなことは言えないけど……たぶん、大丈夫だと思うよ」


 ポルアースが「本当かい?」と身を乗り出してきたので、俺は「ええ」とうなずいてみせる。


「もとよりこちらで食材費がかさむようになったのは、外来の食材を数多く使うようになったからですからね。初心に返ってダレイムの食材を中心に据えれば、食材費はずいぶん抑えられるかと思います」


「でも、それだけで2割増しの料理を準備できるのでしょうか?」


 そのように問うてきたのは、レイナ=ルウである。

 すると、俺より早くララ=ルウが返答した。


「それでも足りなきゃ、ギバの臓物を使えばいいんじゃない? こっちの屋台でも一番食材費が安くあがるのは、ギバのもつ鍋だからさ。何せギバの臓物ってのは、普通の肉の半分の値段で取り引きされてるからね」


 その言葉に、今度はメルフリードが反応する。


「城下町や宿場町において、ギバの臓物というものは取り引きの対象に含まれていない。であればそれは、森辺の内に限った取り引きの話であろうか?」


「うん。最近はギバの収獲量が上がったから、どこの氏族でも臓物を持て余し気味なんだよ。何せ臓物ってのは、普通の肉より腐りやすいからさ。それをわざわざ余所の氏族から買いつけてるのは、屋台でもつ鍋を扱ってるルウ家ぐらいなんだよね」


「そっか……」と、レイナ=ルウが肩を落とす。


「臓物を使えば、簡単に食材費を抑えられるよね。そんな話も頭に浮かばないなんて……本当に不甲斐ないよ」


「あはは。レイナ姉は別のことにさんざん頭を使ってるんだから、気にすることないよ。量と値段に関して問題がなくなったら、質のほうで頭を悩ませるのはレイナ姉の役割なんだからね」


 頼もしさと優しさを兼ね備えるララ=ルウは、そんな言葉で傷心の姉を慰めた。

 いっぽうポルアースは、安堵の息をついている。


「やっぱり森辺の方々というのは、誰も彼も頼もしい限りだね。そうすると、あとに残される問題は……時間に関してかな」


「時間? 時間についても、何か問題があるのでしょうか?」


「うん。そもそも荘園の働き手の昼休みは中天から一刻に限られているからね。料理を売る商売ができるのは、その時間に限られるというわけさ」


 それは俺にとっても、いささか盲点になっていた話であった。


「そうか。ダレイムの人たちなんかは、自分の都合で休憩時間を動かせるようですけれど……トゥランでは、そういうわけにもいかないのですね」


「うん。トゥランの働き手たちは、管理者の指示で作業しているわけだからね。トゥランにおいては限られた時間で最大限の効率をあげられる手順が確立されていたから、現在でもそれが活用されているわけさ」


 それが、ジェノスにおける普通の畑と荘園の差であるのだろう。ダレイムにおいてもドーラの親父さんたちは領主から土地を借りている格好であるが、トゥランにおいては作業の進行に関しても貴族の管理下にあるのだ。


「そう考えると、これはますます闘技場での商売に近いようですね。しかも、闘技場では試合が始まる前と昼休みの2回にわたって商売の機会がありますけど、トゥランでは昼休みの1回しか機会がないわけですか」


「うん。なおかつ、商売のほとんどは最初の半刻ていどで片付くだろうね。料理を買った人間には、それを食べる時間と食休みの時間も必要になるわけだからさ」


「……その半刻という時間で、どれぐらいの方々が料理を買ってくださるのでしょう?」


「えーとね、現在こちらの準備した食材で腹を満たしているのは、500名ていどだよ。残りの人員は銅貨を節約するために、家から食事を持参しているのだろうね」


 わずか半刻で500名ものお客をさばくというのは、なかなかの話である。

 俺たちが思わず顔を見合わせていると、ポルアースが心配げに眉を下げた。


「どうしたんだい? 現在でも食事は滞りなく配分できているので、何も問題はないだろうと思うのだけれども……」


「ただ料理を配分するだけであったら、きっと問題はないのでしょうね。でも商売となると、銅貨のやりとりが生じるわけですから……ちょっと難しいかもしれません」


「ええ? 銅貨のやりとりで、そんなに時間がかかるものなのかい?」


「単純計算で、半刻というのはおそらく2100秒ぐらいですよね。それを500という人数で割ると、4秒ちょっとです。仮に料理を配る人間がひとりしかいなかったら、4秒の間に銅貨のやりとりをして料理を受け渡す作業をこなすことになります」


 俺の返答に、ポルアースはぎょっとした様子で身を引き、メルフリードは鋭く目を細める。そんな中、フェルメスはひそかに優美な微笑みをたたえた。


「人員をふたりにすれば8秒、4人にすれば16秒……うーん、まだちょっと心もとないですね。8人にすれば32秒で、だいぶ楽になりますけど……ちなみに現在は、何人ぐらいの人員で料理を配っているのですか?」


「う、うん。たしか、10名ぐらいだったと思うよ」


「ああ、それなら問題ないでしょうね。銅貨のやりとりもなければ、余裕で半刻以内に収まるでしょう」


「素晴らしいですね」と、フェルメスがこらえかねた様子で発言した。


「まず、半刻を2100秒に換算するという手法に驚かされました。それは、確かな数字なのでしょうか?」


「え? いえ……あくまで、俺の感覚ですけれど」


 一刻というのはおよそ70分ぐらいであろうという憶測に従っての計算である。俺とて、一刻が何秒であるのか実際に計測した経験はなかった。


「我々には、刻を秒に換算するという発想がありませんでした。きっとアスタはそのようにして、細かなところでも故郷の経験というものを頼りにしているのでしょうね」


 フェルメスはくすくすと忍び笑いをもらしてから、メルフリードに向きなおった。


「見届け人に過ぎない僕が口をはさんでしまって、申し訳ありません。せっかくですので、さらに発言することをお許し願えますでしょうか?」


「……深い見識をお持ちである外交官殿に意見をいただけるのなら、ありがたく思う」


「それほど大した話ではないのですが、銅貨のやりとりに時間がかかるという話であれば、いっそ配給制にしてしまっては如何でしょう? 森辺の料理を希望する者には朝の内に木札でも配って、それを銅貨の代わりにするという手法ですね。アスタたちも木札を受け取るだけでしたら、さほどの手間でもないでしょう?」


「ふむ……その場合、銅貨の支払いはどのように?」


「木札と引き換えに徴収するか、あるいは名簿をつけて天引きにするか、どちらでもかまいません。僕が以前に視察した領地の農園や工場などでは、そういった配給制で食事を管理しておりましたよ」


「なるほど……」とメルフリードが沈思すると、フェルメスがこちらに向きなおってきた。


「ちなみにアスタたちは、2種以上の料理を準備しようという心づもりなのでしょうか?」


「それは食材費の計算に着手してみないと、判断がつきませんけれど……料理が1種というのは、いささか物寂しいですからね。可能であれば、2種ぐらいは準備したいように思います」


「であれば、木札も同じだけの種類が必要となりますね。また、男女で必要な量が異なるというのなら、そこの区分も必要です。アスタたちは、対応が可能でしょうか?」


「はい。必要な量に応じてレードルを――あ、いやいや、料理をすくう器具の大きさを換えれば、対応できるかと思います。焼き物なんかは、ちょっと手間ですけど……逆説的に、対応できるような料理に限定するべきなのでしょうね」


「さすがです。アスタたちの側に、問題はないようですね」


「では……その方向で、こちらも考慮したく思う。今日の内に、大まかな内容は決定するべきであろうな。……外交官殿の助言に、感謝する」


 メルフリードが慇懃に目礼すると、フェルメスは「いえいえ」と微笑んだ。


「多少なりともジェノスのお役に立てたのなら、何よりです。外交官の領分ではないのでしょうが、僕とてもはや1年以上もジェノスのお世話になっている身ですからね」


 そう言って、フェルメスはまた俺にも笑顔を届けてきた。いつになく、屈託のない笑顔である。

 彼の見識がこのような形で活用されれば、俺としてもありがたい限りである。それで俺も、邪念なく笑顔を返すことがかなったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] シフト勤務をしたことがあると、休憩時間もずらせば提供対応や食事スペースの確保にもゆとりが生まれて良いんだけと、そこは難しいのかな。
[気になる点] 数字が存在していて秒の概念があり秒を数える事は出来るのに時間を秒にする概念がないってのはありうるの? 不定時法で1刻の概念はあるけど秒分が存在しないってのならわかるんだけど秒が存在し…
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