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異世界料理道  作者: EDA
第七十七章 銀の月の二つの祝宴
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親睦の祝宴⑥~ゆらぎ~

2023.4/9 更新分 1/1

 しばらくして、傀儡使いのリコたちによって『森辺のかまど番アスタ』が披露されることになった。

 それを観劇するガーデルは、『滅落の日』と同じ様子を見せている。幼子のように目を輝かせて、ときには涙をこぼし、ときには手に汗を握り――人の目も気にせずに感情をあらわにして、心から観劇を楽しんでいるように見えた。


 それを横から見守る俺は、きわめて複雑な心境である。

 ガズラン=ルティムと語っていたときのガーデルの姿が、どうにも忘れられなかったのだ。ガーデルは俺の虚像ばかりを追いかけて、生身の俺には興味を示さない。そのアンバランスな熱情に懸念を覚えて、俺たちは彼と絆を結びなおそうと思いたったわけであるが――俺たちが思っていた以上に、その根は深いのかもしれなかった。


(それにガーデルは、四大神の存在を平然とないがしろにしていた。しかもそれを、隠そうともしなかったんだ)


 俺は最初、ガズラン=ルティムの柔和な態度がガーデルの心を開かせたのかと考えたが、どうもそうではないように思えてきた。彼はこれまでと同様に、ただ問われたから答えただけであるように思えたのだ。これまでは、ガズラン=ルティムのように立ち入ったことを問いかける人間がいなかっただけなのかもしれなかった。


 そうして半刻ばかりの時間をかけて、『森辺のかまど番アスタ』は終了する。ガーデルは頬を伝う涙もぬぐおうとしないまま、子供のように手を打ち鳴らした。


「うむ! やはりこれは、素晴らしい劇だ! アイ=ファ殿の美しき心根も、余すところなく表されているしな! ……姿ではなく中身を褒めそやす分には、森辺の習わしを踏みにじることにもならなかろう?」


 デヴィアスはデヴィアスで、あくまで無邪気である。彼はダン=ルティムやドーラの親父さんたちと盛り上がっていたので、ガズラン=ルティムとガーデルのやりとりも聞いていなかったのだ。

 そんな中、俺に耳打ちしてきたのはディアルであった。


「なんかこのガーデルってお人は、ちょっとばっかり危なっかしいね。四大神を軽んじるような言葉は、うかうかと人前で語らないほうがいいように思うよ」


 彼女は席が近かったため、ガーデルとガズラン=ルティムの会話も耳にしていたのだ。俺は万感の思いを込めて、「そうだね」と応じるしかなかった。


「いやいや、リコたちの手腕は相変わらずだったねぇ。俺は飽きるぐらい拝見しているはずなのに、また見入ってしまったよ」


 と、どこからともなく現れたカミュア=ヨシュが、いきなりそのように呼びかけてきた。

 アイ=ファはいくぶん八つ当たり気味に、そちらをねめつける。


「給仕の役を果たすなどと言いながら、まったく姿を見せなかったな。傀儡の劇が始められるまで、どこで何をしていたのだ?」


「行く先々で、さまざまなお相手と出くわしてしまってねぇ。今日は語り甲斐のあるお人が山ほど参じているので、その誘惑をはねのけることがかなわなかったのだよ」


 カミュア=ヨシュはにんまりと笑いながら、ようやく涙をぬぐい始めたガーデルのほうに向きなおった。


「それでね、ルウ家の最長老がガーデルと語りたいと仰っているのだよ。よかったら、少々時間をもらえるかな?」


「はあ……俺はそろそろ、眠気がおりてきてしまったのですが……」


 ガーデルのそんな返答に、アイ=ファは深々と嘆息をこぼす。しかし、カミュア=ヨシュの笑顔に変わりはなかった。


「まだまだ祝宴は始まったばかりじゃないか。リコたちはもういっぺん劇をお披露目する予定であるみたいだから、それを見逃すのは惜しいことだと思うよ?」


「そうなのですか……では、もうしばし眠気をこらえようかと思います」


 ガーデルは、眠気によっていっそう無防備になってしまったのだろうか。その表情は茫洋として、まさしく眠気をこらえる幼子のごとき風情であった。


「ルウ家の最長老とは、俺も雨季の騒乱の折に少しばかりご挨拶をしたばかりだな! よければ、俺も拝謁させていただこう!」


 そうしてもとの顔ぶれとなった俺たちは、敷物から腰を上げることになった。

 ガズラン=ルティムは、どこか真剣な面持ちで俺にうなずきかけてくる。きっと聡明なるガズラン=ルティムは、俺以上にガーデルの行く末を思いやっているのだろう。ディアルに指摘されるまでもなく、ガーデルの危うさというのは先刻の一幕でいっそうあらわにされていた。


「ああ、ガーデル……祝宴のさなかに呼び出してしまって、申し訳なかったねぇ……どうか少しばかり、この老いぼれと語らってもらいたく思うよ……」


 ジバ婆さんは、フォウの本家の手前のスペースに敷かれた敷物に座していた。ミシル婆さんやドーラ家の母君と叔父君も控えていたが、俺たちが近づいていくと仏頂面で身を引いていく。何か込み入った話があるのだと、事前に告知されていたのだろう。そちらのお相手は、同じ敷物に座していたバードゥ=フォウの伴侶たちが受け持ってくれるようであった。


「『滅落の日』にも、いくらか語らせてもらったよねぇ……あたしはルウ家の老いぼれで、ジバ=ルウという者だよ……そちらのデヴィアスも、ひとたびだけ挨拶をさせてもらったはずだねぇ……」


「うむ。最長老殿が息災なようで、得難く思う。また、俺のような者の姿を見覚えていただき、光栄の限りだ」


 デヴィアスは普段よりもうんと声量を落として挨拶をしたのち、敷物に片方の膝をついて恭しく頭を垂れた。まるで、主人に礼を尽くす騎士のごとき振る舞いである。ただ、その大造りの顔に浮かべられているのは、普段通りの陽気な笑みであった。


「こちらのガーデルとは、『滅落の日』に出くわしていたのか。こやつも気弱な割に礼儀を忘れることが多いので、何も失礼がなかったように願うばかりだ」


「何も失礼なことはなかったよ……おやおや、ガーデルはずいぶん眠そうだねぇ……」


「はあ……普段であれば、就寝している刻限であろうと思われますので……職務も果たさず身を休めてばかりいて、すっかり怠惰に成り下がってしまったようです」


 ガーデルはぼんやりとした面持ちのまま、そのように応じた。

 とりあえず、こちらもジバ婆さんを扇状に囲む形で腰を落ち着ける。するとジバ婆さんは、優しい眼差しで俺とアイ=ファを見比べてきた。


「今日は素晴らしい祝宴だねぇ……アイ=ファたちの取り仕切る祝宴に招いてもらえて、心からありがたく思っているよ……」


「うむ。ジバ婆も心安らかに過ごせているようで、得難く思う」


 アイ=ファもまた、やわらかい眼差しでそのように応じる。アイ=ファも今日はガーデルのことでずっと気を張っていたであろうから、ようやく気持ちを和ませることができたようだ。


「ガーデルは、どうだい……? この祝宴を、楽しめているかねぇ……?」


「はあ……俺としては、気が引けるばかりであるのですが……俺などは、このように立派な祝宴にお招きされるいわれもありませんので……」


「お前はまだそのように抜かすのか。柔弱なくせに、強情なことだな」


 さしものデヴィアスも、いささか呆れた様子で相槌を打つ。

 そしてジバ婆さんは、どこか透き通った眼差しを浮かべた。


「やっぱりガーデルにとっては、迷惑な話だったのかねぇ……今日の祝宴は、ファとフォウの取り仕切りだけれど……あたしも森辺の老いぼれとして、詫びさせてもらいたく思うよ……」


「はあ……そちらが詫びるいわれはないように思うのですが……」


「そちらが迷惑がっているなら、詫びずにはいられないさ……さっきの傀儡の劇でも語られていた通り、あたしらは長いこと同胞だけで過ごしてきたから……まだまだ森辺の外の人らと絆を深めるのに、手探りの部分が多いんだよ……」


 敷物のそばに設置されたかがり火の明かりが、ジバ婆さんの皺深い顔を朱色に照らし出している。俺にとっては、それもまたおとぎ話のワンシーンに思えるような情景であったが――ガーデルはぼんやりと目を伏せたまま、ジバ婆さんのほうを見ようともしなかった。


「だからねぇ……あたしらは、あんたとどんな風に絆を深めていけばいいのか、少しばかり思い悩んでいるんだよ……あたしらはこれまで、おたがいに疎み合っていた相手と絆を深められるように心がけてきたつもりだけど……無関心な相手とは、なかなか触れ合う機会がなかったからさぁ……」


 ガーデルは、「はあ……」としか答えない。

 すると、カミュア=ヨシュも抑制した声量で口をはさんだ。


「横から失礼いたします。最長老は、ガーデルが森辺の民に無関心であると見なしておられるのですね」


「うん……それぐらいは、少し語ればわかることだからねぇ……ただ……ガーデルは、ことさら森辺の民に無関心なわけじゃなく……この世のすべてに無関心であるんじゃないのかい……? あんたにとってはうつつのことよりも、傀儡の劇のほうがよっぽど慕わしく思えるんじゃないかって……そんな風に思えちまうんだよねえ……」


「はあ……傀儡の劇は、幼子の頃より好んでいました。俺のように退屈な生を歩んでいる人間にとっては、それが唯一の楽しみであったのでしょう」


 まるで他人事のように、ガーデルはそのように語った。

 ジバ婆さんは、ますます透徹した眼差しでガーデルを見つめる。


「あんたはずっと、退屈だったのかい……? それで世をはかなむことになっちまったのかねえ……?」


「俺は決して、世をはかなんでいるつもりではないのですが……俺は商人のお屋敷で、父なし子として生を受けました。母は幼き頃に身罷ってしまいましたし、屋敷の主人らは横暴であったので……時おり広場にやってくる旅芸人の芸や劇を見るぐらいしか、楽しみはなかったように思います」


 目を伏せたまま、ガーデルはひっそりと微笑んだ。


「当たり前の話ですが、傀儡の劇で描かれるのは華やかな世界ばかりでしょう? 自分の生が退屈であればあるほど、俺にはそちらの世界が魅力的に思えたのです。傀儡の劇の住人たちは、俺などとは比較にならない苦難に見舞われますが……最後にはそれらを見事に退けて、輝ける行く末を手中にします。そのさまを見届けるのが……俺にとっては、ただひとつの楽しみであったのです」


「だから……あんたはアスタの行く末を見届けたいと願っているのかい……?」


「はい……今の俺には、それが唯一の生き甲斐であるかもしれません」


「でも」と、俺は思わず声をあげてしまった。


「俺はここにいますよ、ガーデル。傀儡の劇ではなく、今この場にいる俺の生を見届けてもらいたく思います」


 それは先刻、ガーデルがガズラン=ルティムと対話している折に、俺が言いそびれた言葉であった。

 ガーデルは面を上げないまま、「はあ……」と鈍い声をもらす。


「ですから……俺はいつでもアスタ殿のお姿を目で追っているつもりであるのですが……」


「でも、ガーデルの目は一度として俺のほうを向いていないように思います。ガーデルが見ているのは、傀儡のアスタなのではないですか?」


 俺はほとんど反射的に、横からガーデルの腕をつかんでしまった。

 しかしガーデルはそれを振り払おうともせず、また「はあ……」と気のない声をもらす。

 そこに――小さな人影がやってきた。


「お話の最中に、失礼いたします。ちょっとそちらのガーデルという御方とお話をさせていただけますでしょうか?」


 それは、役目を終えたばかりのリコであった。

 劇の余韻か、可愛らしく頬を火照らせている。その瞳は、いささか場違いなぐらいに明るく輝いていた。


「本当にぶしつけで申し訳ありません。ただ、ガーデルはお怪我をされているのでいつお休みになるかもわからないと聞き及んで……その前に、どうにかお話をさせていただきたかったのです」


「こちらはまったくかまわないよ……ガーデルに、どんな用事なのかねえ……?」


 ジバ婆さんがそのようにうながすと、リコは驚くべき言葉を口にした。


「実はわたしは、『森辺のかまど番アスタ』の新たな物語を紡がせていただきたく考えているのです。その折に、ガーデルのお名前を使わせていただけるかどうか……それをうかがいたく思ったのです」


「なに?」と眉をひそめたのは、アイ=ファであった。


「それは、如何なる話であるのだ? 我々は、何も聞いておらんぞ」


「はい、申し訳ありません。実は明日にでも、ファの家におうかがいしようと考えていたのですが……わたしは大罪人シルエルと《颶風党》にまつわる騒乱を芝居にできないものかと、ずっと思案していたのです。それでこのたびジェノスにお邪魔して、森辺の集落に滞在させていただいている内に、いっそう思いが高まってきてしまったのですね」


 リコは、あくまで屈託がない。

 しかし、アイ=ファの眉はいっそううろんげに寄せられた。


「お前は前々から、そういった話を口にしていたように思うが……しかし、シルエルにまつわる騒乱には、聖域の民たるティアが大きく関わっている。聖域の民の存在をうかうかと語るべきではないので、その思いは断念するという話ではなかったか?」


「はい。ですから、ティアの存在は森辺にまぎれこんだ謎の少女という体裁で取り扱えばいいのではないかと思案いたしました。一見では、聖域の民ではなく自由開拓民の少女であるかのように取り扱えば、貴き方々や邪神教団の目を引くことにもならないでしょうし……森辺やジェノスの方々にご迷惑をかけることにもならないのではないかと考えたのです」


 表現者としての熱意をその瞳にきらめかせながら、リコはそのように言いつのった。


「それに、もしもこの物語が後世にまで語り継がれて……いつか王国の民と聖域の民が手を取り合ったときに、真実が明らかにされたなら……それは、王国の民と聖域の民の絆になりえるのではないかと考えたのです。きっとわたしがどのように物語を脚色しようとも、赤き聖域の民であれば真実をわきまえているわけですからね」


「……そうか。お前はそこまでの思いで語っているのだな」


 アイ=ファは真剣な面持ちのまま、小さく首を横に振った。


「どうやらこれは、片手間で語るような話ではないようだ。お前とは明日、納得がいくまで語らせてもらおう。今は、お前の用事を済ませるがいい」


「ありがとうございます。本当は、ファのおふたりと語らってから申し出るべきなのですが……城下町にお住まいの方々とはなかなか言葉を交わす機会もありませんので、つい気が逸ってしまったのです」


 そのように語りながら、リコは笑顔でガーデルを振り返った。


「それで一点だけ、おうかがいさせていただきたかったのですが……大罪人シルエルを仕留めた功労者として、あなたのお名前を使わせていただいても問題はないでしょうか?」


 リコとアイ=ファが語っている間も、ガーデルはずっと目を伏せていた。そののっぺりとした顔も、眠たげな幼子のごとき表情のままだ。そうして彼は、迷うことなく「いえ……」と答えたのだった。


「俺のような人間の名前が持ち出されるのは、アスタ殿の威光を汚す結果にしかならないでしょう。……どうか傀儡の劇において、俺の名前は伏せていただきたく思います」


「そうですか。残念ですが、ご本人がそのように仰るのでしたら、致し方ありませんね」


 リコはめげた様子もなく、いっそう朗らかに微笑んだ。


「では、もしも新たな物語を紡ぐことが許されたなら、大罪人を始末したのはジェノスのとある兵士であるという風に仕立てさせていただきます」


「はい……ご期待に沿えず、申し訳ございません。……あなたの劇は素晴らしい出来栄えですので、新たな劇の完成を心待ちにしています」


「ありがとうございます。もう半刻ほどしたらまた劇をお披露目しますので、よろしくお願いいたします」


 リコはその場にいる全員にぺこりと頭を下げてから、小走りで立ち去っていった。

 こちらには、何とも奇妙な空気が残されて――それを最初に破ったのは、カミュア=ヨシュであった。


「ガーデルは、つくづく謙虚なのだねぇ。せっかくアスタとともに名を連ねる好機であったのに、君にとっては迷惑なだけであったのかな?」


「はあ……俺の名前などは、後世に残す価値もありませんので……」


 そんな風に応じながら、ガーデルは眠そうに目もとをこすった。


「あの……申し訳ないのですが、傀儡の劇が始まるまで身を休めさせていただいてもよろしいでしょうか……? 俺はこのように立派な祝宴に招かれるのも初めてであったので……すっかり気疲れしてしまったようです」


「そうかい……あんたは手負いの身なんだから、まずは身体をいたわってやらないとねえ……」


 ジバ婆さんは、とても優しげな声音でそのように応じた。


「どうかゆっくり休んでおくれ……そしてまたいつか、あんたと語らせてもらいたく思うよ、ガーデル……」


「あ、いえ……俺などは、語る価値もない人間ですので……」


 そんな言葉を最後に、ジバ婆さんとの対話も終わりを迎えることになった。

 俺はどこか暗澹たる心地で、ガーデルを分家の母屋まで案内する。ガーデルが身を休める際にはそちらの家を自由に使ってよいと、あらかじめ許しを得ていたのだ。そちらに向かう道中では、あのデヴィアスさえもがあまり口をきこうとしなかった。


(ガーデルは眠気のせいで、いっそう明け透けになったみたいだけど……そうすると、いっそう存在を遠く感じちゃうなぁ)


 ジバ婆さんの言う通り、ガーデルは生身の俺にも森辺の民にも無関心であるようなのだ。

 愛の反対は憎しみではなく、無関心だ――とは、誰の言葉であっただろうか。もしかしたらガーデルと確かな絆を結ぶというのは、こちらを憎む人間を相手にするよりも難しい話であるのかもしれなかった。


「ああ、こちらの家ですね。それじゃあ、傀儡の劇が始まったらお声をかけますので――」


 俺がそのように言いかけたとき、熱気渦巻く広場のほうから複数の人影が近づいてきた。

 背丈の異なる、四つの男女の影――それは、シュミラル=リリンとアリシュナ、クルア=スンとその父親たるスンの家長という顔ぶれであった。


「みなさん、お疲れ様です。もしかしたら、ガーデルはお休みになられるのでしょうか?」


 宴衣装を纏ったクルア=スンが、静かな声音で問いかけてくる。

 そして、こちらがそれに答えるより早く、アリシュナが言葉を重ねてきた。


「初めまして。私、占星師、アリシュナ=ジ=マフラルーダです。ガーデル、ご挨拶、願います」


「占星師……?」と、ガーデルがせわしなく目を泳がせた。


「そ、それはもしかして……ジェノス侯の客分であられる、高名な占星師の御方でしょうか……?」


「高名、わかりません。ですが、ジェノス侯、客分です。現在、城下町の貴賓館、過ごしています。かつて、トゥラン伯爵、過ごしていた屋敷です」


 アリシュナは、いつも通りの静謐なたたずまいである。

 だが――ガーデルのほうは、明らかに様子が変わっていた。眠気などはすっかり吹き飛んでしまった様子で、これまで以上に不安げな面持ちになってしまったのだ。


「そ、そんな御方が、俺などにどういったご用事でしょうか? 俺などは、取るに足らない一兵卒ですので……」


「いえ。私、ファの家のアスタ、および森辺の民、好ましく思っています。それら、深く関わったあなた、看過できない存在です」


「お、俺は何も、深く関わってなどはいません。今日の祝宴だって、どうして俺なんかが招待されたのか……」


「あなた、関わり、深いです。星図、そのように示しています」


 夜の湖を思わせる黒瞳でガーデルの青ざめた顔を静かに見つめながら、アリシュナはそのように言いつのった。


「ですが、余人の星、勝手に語ること、許されません。あなた、正しき道、進むすべ、知りたい、願いますか?」


「い、いえ! お、俺はそのようなものは望みません!」


 ガーデルはにわかに我を失い、大きな声を振り絞った。

 その身体が、小さく震え始めている。そのさまに、俺のほうこそ困惑することになった。


「ど、どうしたのですか、ガーデル? アリシュナはただ、星占いを望むかどうか聞いただけなのですよ?」


「お、俺は……占星師というものが、恐ろしいのです。そんなものは、おとぎ話の住人だとしか思えないので……」


「ふうん?」と声をあげたのは、カミュア=ヨシュであった。


「君がアスタを慕うのは、おとぎ話の住人のごとき輝かしさに魅了されてのことなのだろう? それなのに、占星師に対しては恐怖を覚えてしまうのかな?」


 ガーデルは何も答えず、ただ大柄な身体を震わせた。

 カミュア=ヨシュはジバ婆さんを思わせる透徹した眼差しで、そんなガーデルの姿をじっと見据えている。


「他者に運命を読み解かれるというのは、確かに恐ろしい話だろう。でも君は、自らの破滅すら恐れていないようであったよね。それなのに、どうして占星師を恐れなければならないんだろう? どれほど無惨な運命を読み解かれたところで、君が恐怖するいわれはないんじゃないのかな?」


「…………」


「あるいは……君が見られたくないのは、君という星そのものなのかな?」


 ガーデルは、やはり答えない。

 すると、アリシュナが恭しげに一礼した。


「私、ガーデル、救いたい、思って、参じました。ですが、ガーデル、望まないならば、退きます。ガーデル、無用の恐怖、与えてしまったこと、お詫びいたします」


「うむ。俺たちもそのように願われて、アリシュナをここまで案内したのだ。どうか客人ガーデルは、身も心も休めてもらいたく思う」


 スンの家長がそのように取りなして、アリシュナたちを広場の賑わいに導いた。

 そんなさなか、ガーデルはへなへなとへたり込んでしまう。俺は慌てて、その大きな背中に取りすがることになった。


「大丈夫ですか、ガーデル? 家には寝具の準備もありますので、身を休めてください」


「あ、ありがとうございます……ですが、力が抜けてしまって……」


 ガーデルは、それこそ頑是ない幼子のように身を震わせた。

 そんなガーデルを見下ろしながら、カミュア=ヨシュが言葉を重ねる。


「どうも俺には、君という人間がよくわからない。君はずいぶん無防備に自分の不甲斐なさをさらけだしているように見えるけれども……それでいて、本当の心根というものはしっかり覆い隠しているように思えるのだよね。君はいったい、何をそんなに恐れているんだろう?」


「…………」


「俺は最初、君の背信を疑っていたのだよ。君はデヴィアス殿の率いる第五大隊の所属だけれども、そちらの前任の隊長はシルエルの悪行に加担していたからね。君も実は人知れず、その前隊長やシルエルの命令で悪行を働いていたのではないかと……そんな風に疑っていたんだ。だから、シルエルを始末したのも、自らの悪行が暴かれることを恐れてのことだったんじゃないかってね」


「…………」


「でも、それはまったくの的外れだった。君はシルエルと共謀していた武器商人の隠し子ではないかと囁かれていたけれど、屋敷では粗末に扱われていたようだし、屋敷で過ごしていた頃から護民兵団に入営したのちまで、シルエルと関わった痕跡が一切存在しない。前隊長に関しても、それは同様だ。まあ、そのような境遇であったのなら、他の兵士たちよりも入念に身もとを調査されただろうし……それを調査したのはメルフリードなのだから、そんな見落としがあるわけもない。だから君は、潔白の身であるはずなんだ」


「…………」


「でも君は、何かを強く恐れて、何かを必死に隠そうとしている。その正体は、いったい何なんだろう?」


 カミュア=ヨシュが言いつのるたびに、ガーデルはどんどん身を縮めてしまう。

 それを見かねて、俺は制止の声をあげることになった。


「もうやめてください、カミュア。ガーデルが潔白なら、そんな風に問い詰める必要はないでしょう?」


「うん。俺がどれだけ言葉を重ねたって、ガーデルが心を開くことはないだろうからね」


 カミュア=ヨシュは透き通った眼差しをしたまま、一歩だけ退いた。

 すると――それと交代するようなタイミングで、どこからともなく小柄な人影が出現する。それは、ライエルファム=スドラに他ならなかった。


「ガーデルは、ずいぶん心を痛めてしまったようだな。早々に、身を休めさせてやるがいい」


「ラ、ライエルファム=スドラ? このような場所で、どうされたのですか?」


「うむ。まったく無作法で申し訳ない限りだが、俺は最初に顔をあわせた折からずっとガーデルと言葉を交わす機会をうかがっていたのだ。しかし、いささか遅きに失してしまったようだな」


 ライエルファム=スドラのそんな返答に、俺は心から驚かされることになった。


「そ、それじゃあライエルファム=スドラは……あれからずっと俺たちの様子をうかがっていたのですか?」


「うむ。取り立てて気配は殺していなかったので、アイ=ファやカミュア=ヨシュは承知していただろうと思うぞ」


 そんな風に言いながら、ライエルファム=スドラはガーデルのかたわらで膝を折った。

 その眼差しには、ライエルファム=スドラらしい優しさと厳しさが入り混じっている。


「立つ力を失ってしまったのなら、俺が肩を貸してやろう。ただ、お前が身を休める前にひとつだけ伝えておきたいのだが……たとえお前がどのような性根をしていたとしても、アスタが見限ることはない。それだけは、どうか忘れないでもらいたく思う」


 その言葉に、ガーデルはびくんと背中を震わせた。


「あ……あなたは、何を……?」


「お前が恐れているのは、お前自身だ。お前は自分を愛せないから、この世も愛せずにいる。そして、自分のように醜い存在がアスタのような輝ける存在に関わってはならないと判じているのであろう? ……それが、間違いであるということだ」


 ライエルファム=スドラは決して声を荒らげることなく、そのように言いつのった。


「アスタというのは、そばにいる人間を捨て置けるような人間ではない。お前が傀儡のアスタしか愛せないというのなら、生身のアスタには近づかないことだ。いっそ、ジェノスを捨ててアスタから遠ざかるべきであろうな」


「ライエルファム=スドラ! それはあまりに、ひどすぎます!」


 俺が思わず大きな声をあげてしまうと、ライエルファム=スドラは目もとに笑い皺を寄せて微笑んだ。


「この通り、アスタはこういう人間であるのだ。だからお前も、ジェノスを捨てる覚悟を固められないのなら……アスタに、すべてをゆだねるがいい。お前がどのように不吉な運命を抱えていようとも、アスタであればきっとともに乗り越えることだろう」

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