親睦の祝宴⑤~交錯~
2023.4/8 更新分 1/1
「あー、アイ=ファとアスタだー! こっちこっちー! こっちの料理も、おいしーよー!」
俺たちが広場を突き進んでいくと、とても耳に馴染んだ可愛らしい声が飛ばされてくる。向かう先の簡易かまどでは、赤茶けた髪をした10歳の少女が仕事に励んでいた。
「リミ=ルウも、ご苦労だな。しかし、今日の受け持ちは菓子だったのであろう?」
「うん! でもレイナ姉がロイたちの料理を食べたそうにうずうずしてたから、仕事を代わってあげたのー!」
「そうか。リミ=ルウは、立派だな」
アイ=ファは優しい手つきで、旧友たる少女の頭を撫でる。リミ=ルウは心から嬉しそうに「えへへー」と笑った。
ちなみにそのかたわらには、当然のようにターラもひっついている。そして、リミ=ルウが嬉しそうにするとターラも同じように顔をほころばせるのが常であった。
「あ、レイトたちも一緒だったんだねー! ほらほら、レイナ姉の仕上げたしちゅーだよー! まだ屋台では出してない料理だから、食べてみてー!」
「ほうほう。これはなかなか、辛みがきいていそうだねぇ」
ご指名されたレイトではなく、その師匠たるカミュア=ヨシュが鍋の中身を覗き込む。これは先日の勉強会でついに完成の目処を見た、レイナ=ルウ考案の新料理であった。
「確かにこれは、舌の痛くなりそうな香りだ。リミ=ルウでも問題なく食せる料理なのであろうか?」
「うん! だから、アイ=ファも大丈夫なはずだよー!」
辛みに対する耐性は、アイ=ファもリミ=ルウもおおよそ同程度なのだろう。ファの家のかまどを預かる俺としても、こちらの料理がアイ=ファに痛撃を与えないことは保証できた。
それで、こちらの料理であるが――辛みを主体にした味付けなれども、とろりとした質感であるため、シチューの名が与えられることになった。そもそもシチューというのは肉や野菜をスープで長時間煮込む料理というものであるのだから、そちらの定義からも外れていないはずであった。
「ターラも食べたけど、すごくおいしかったよー! だから、屋台でも出してほしいってお願いしたの!」
「そうかそうか。それは楽しみなことだね。それじゃあ俺たちにも、一杯ずつお願いするよ」
「うん! それじゃあカミュアおじちゃんとレイトの分は、ターラがよそってあげるねー!」
もとよりカミュア=ヨシュやレイトは、俺たちよりも古くからターラと顔馴染みである。カミュア=ヨシュは《キミュスの尻尾亭》を常宿にしており、ターラは御用聞きで出向く身であったので、そこでご縁が結ばれたのだろう。いっぽう俺やアイ=ファは酔っぱらったドッドに踏み潰されそうになったターラを助けたことで、さまざまな相手とご縁が紡がれたのだった。
「デヴィアスとガーデルも、どうぞ。これもなかなか、目新しい料理だと思いますよ」
「そうかそうか! では、さっそくいただこう!」
カミュア=ヨシュに順番を譲られたデヴィアスは、また真っ先に木皿を受け取る。そして誰よりも早く料理を食したデヴィアスは、誰よりも早く「おお!」と感嘆の声をあげることになった。
「これは確かに、目新しい! かれーとも似て異なる味わいであるようだ!」
「ええ。カレーに負けないぐらい、さまざまな香草が使われていますからね。これを作りあげたレイナ=ルウは、香草の扱いに長けているのですよ」
こちらの料理は、豆板醤に似たマロマロのチット漬けを主体にしている。そこに、レイナ=ルウのセンスでさまざまな香草が加えられているのだ。なおかつその使い方も、ただスープに溶かし込むばかりでなく、ギバ肉をセージに似たミャンツに漬けていたり、何種類かの香草だけ乾煎りしていたり、ホボイ油で炒めた香草を後掛けで加えてみたりと、さまざまな工夫が凝らされていたのだった。
その結果、唯一無二の味わいが完成されている。デヴィアスはカレーを引き合いにしていたが、そちらともまったく異なる味わいだろう。マロマロのチット漬けを主体にして、ホボイの油も少なからず使われているため、どちらかというと中華風の味わいであるのだ。便宜上、『マロマロのシチュー』とネーミングされていたが、『豆板醤のシチュー』と言い換えれば俺の故郷の人々にも理解されやすいのではないかと思われた。
具材はギバのバラ肉および挽肉に、長ネギのごときユラル・パ、小松菜のごときファーナ、キュウリのごときペレ、レンコンのごときネルッサ、サツマイモのごときノ・ギーゴ、白菜のごときティンファ、ピーナッツのごときラマンパと、外来の食材が中心にされている。とろとろに煮込まれたペレや、ほのかに甘いノ・ギーゴなども、こちらの味付けにはよく合っているように思えるのだ。それに、隠し味として使われている干し柿のごときマトラが、またとないまろやかさを与えているようであった。
「どうどう? おいしーでしょー?」
「うむ! これは文句のない味わいだ! さすがジェノス城の厨を預かったというレイナ=ルウ嬢は、森辺の料理人の中でも屈指の技量であるようだな!」
「……ガーデルも、おいしい?」
賑やかなデヴィアスの脇をすりぬけるようにして、リミ=ルウがガーデルに呼びかける。ガーデルは虚を突かれた様子で、「あ、はい……」と目を泳がせた。
「ずいぶん香草がきいていて、俺には馴染みのない味わいであるようですが……美味だと思います」
「ガーデルは、からくない料理のほうが好きなのかなー?」
「ああ、いえ……決して辛いものが苦手なわけではないのですが……取り立てて、細かな好みなどは持ち合わせていません」
無邪気なリミ=ルウが相手でも、やはりガーデルの態度に変化は見られない。
俺がそこに参戦しようと口を開きかけたところで、カミュア=ヨシュが「おやおや」と声をあげた。
「ようやくお会いできたねぇ。そちらも祝宴を楽しんでいるかな?」
「ああ、もちろんさ。何を食べても、びっくりするような美味さだからな」
それは、レビとテリア=マスの若夫婦に、案内役と思しきララ=ルウおよびシン=ルウであった。その姿に、デヴィアスが「おお!」と声を張り上げる。
「こちらもようやく、シン=ルウ殿にご挨拶をできるな! 今日は素晴らしい祝宴に招いていただけて、心よりありがたく思っているぞ!」
「いや。今日の取り仕切りはファとフォウであるので、俺たちは礼を言われる立場ではない」
シン=ルウは、沈着かつ穏やかに応じる。デヴィアスとは、2年前の闘技会で刀を交えた間柄であるのだ。その後は、城下町における数々の祝宴や試食会などでそれなり以上にご縁が紡がれているはずであった。
「レイトも、どうだ? 森辺の祝宴は、ひさびさなんだろう? 復活祭では働き詰めだったし、羽根をのばして楽しめてるかい?」
レビがそのように呼びかけると、レイトは「ええ」とだけ応じる。レイトのいない間に婚儀を挙げた気まずさはもう払拭できたという話であったが、いくぶん素っ気ない応対であろう。それでレビは苦笑しながら頭をかき回し、今度はテリア=マスが声をあげることになった。
「できれば一緒に広場を巡りたかったけれど、そちらはお師匠と一緒ですものね。でも、レイトも楽しめているなら、嬉しく思うわ」
「ええ。僕のことはお気になさらず、どうぞそちらも祝宴をお楽しみください」
かつては同じ場で幼少期を過ごした、レイトとテリア=マスである。それでもレイトが取りつくろった態度を保持していると、にんまりと笑ったカミュア=ヨシュが口をはさんだ。
「こいつは俺も気がきかなかったね。今からでも、テリア=マスたちとご一緒したらどうかな? レイトだって、そのほうが楽しいだろう?」
「いえ。僕はカミュアの弟子として、あれこれ学ばなければならない立場ですので」
「こんな祝宴のさなかに、何を学ぼうというのさ。俺から祝宴の楽しみ方を学ぼうというのなら、まずは酒の味を覚えないとね」
カミュア=ヨシュがにまにまと笑いながら言葉を重ねると、さしものレイトも苦笑を浮かべた。
「カミュアも、お気をつかわないでください。テリア=マスたちだって、僕などいないほうがくつろげるはずですよ」
「あら、そんなことは決してないわ。レイトが本気でそんな風に思っているなら……わたしは、悲しく思う」
と、テリア=マスが眉を下げてしまったので、レイトは小さく息をついた。
「でしたら、さきほどの発言は撤回します。でも僕は、夫婦水入らずで祝宴を楽しんでほしいと願っているのですよ。そのように願うのは、何も悪いことではないでしょう?」
「ええ。レイトは、優しいものね。でも、たとえ家を出た身でも、レイトはわたしたちの家族なのだから……どうか、そのことだけは忘れないでほしいの」
「……みなさんに育ててもらった恩を忘れたことはありません。そうでなければ、宿の手伝いをしたりはしませんよ」
レイトは表情を隠したいかのように長い前髪をいじりながら、そのように言いつのった。
「だから、そんな悲しそうな顔をしないでください。テリア=マスにそんな顔をされたら、僕のほうこそ困ってしまいます」
「ええ、ごめんなさい。いつもわたしは、レイトに甘えてばかりね」
テリア=マスは、懸命に笑顔をこしらえる。思わぬ展開になってしまったが、それでようやくその場の空気が和んだようであった。
「……こちらのレイトは幼き頃に両親を失って、それでテリア=マスのご家族に育てられることになったのだよ。そして、レイトの父君やテリア=マスの伯父君を害したのは、スン家の大罪人だったわけだね」
と――カミュア=ヨシュが、そんな言葉をガーデルに投げかけた。
「今さら言うまでもなく、スン家の大罪人たちはシルエルと共謀していた。レイトの父君たちの商団を襲ったのがシルエルの命令であったかどうかは不明だけれども……スン家に暴虐な振る舞いを許していたのは、シルエルだ。シルエルというのはそれほどの昔日から、ジェノスや森辺に災厄をもたらしていたというわけさ」
「はあ……そういった話は、あの傀儡の劇でも語られていましたけれども……」
「うん。だけどそれは、おとぎ話でも神話でもなく、現実の出来事だ。その不幸な現実に苦しめられた人々が今もなお懸命に生きているのだということを、君にも知っておいてほしいのだよ」
そんな風に言ってから、カミュア=ヨシュはふいににっこりと微笑んだ。
「そして、そういった人々はシルエルを討ち倒した君に、大きな感謝の念を抱いている。それもしっかり実感してほしいところだね」
「ああ、そのお人がガーデルっていう兵士さんか。俺なんかは、何の関わりもない部外者だったけど……でも、レイトやテリアたちの無念を晴らしてくれたことは、めいっぱい感謝してるよ」
レビが勢い込んで身を乗り出すと、ガーデルはいつもの調子で目を泳がせた。
「い、いえ、俺はただ職務を果たしただけですので……感謝などは、無用です」
「あんたに感謝しなかったら、誰に感謝すりゃいいのさ? いや、もちろんすべての騒動を片付けたのは、森辺の民やジェノスの貴族や、そこのカミュアの旦那たちなんだろうけどさ。あんただって、その内のひとりのはずだよ。だったら、二の次にはできないさ」
レビは力強く笑いながら、そのように言いつのった。
「宿場町の連中も、みんなあんたに感謝してるよ。そんな大悪党を野放しにしていたら、またどんな災厄が巻き起こってたかもわからないからな。あんたはジェノスを救った英雄のひとりってことさ」
それだけの思いを伝えられても、ガーデルは目を伏せたまま気弱げに微笑むばかりである。
すると、それをフォローするようにデヴィアスが「うむ!」と声を張り上げた。
「ガーデルがそのように賞賛されるのは、上官たる俺も誇らしい限りだ! さきほども聡明なるご婦人が語られていた通り、こういった誇りこそが力の源になりえるのだろう! お前も立派な兵士を志すのなら、ぞんぶんに武勲を誇るがいい!」
「うむ。俺もガーデルには深く感謝しているし、その行いに相応しい誇りを抱いてもらいたく思うぞ」
シン=ルウもそのように追従したが、やはりガーデルの様子に変わりはない。
すると、カミュア=ヨシュが「さて」と声をあげた。
「またまた込み入った話になってしまったね。テリア=マスたちも、こちらの料理を食べにきたのだろう? こちらの料理は格別だから、思うさま味わうといいよ」
「はい、ありがとうございます」
テリア=マスとレビ、シン=ルウとララ=ルウの4名が、料理を受け取るべく移動する。それを見守るカミュア=ヨシュは、どこか満足げな面持ちであった。
(ガーデルの様子に変化はないけど……何だかカミュアは、じっくり一手ずつ外堀を埋めているような感じだな)
きっとこれが、カミュア=ヨシュなりの戦略であるのだろう。
そして俺は、戦略など立てずに正面から挑ませていただく所存であった。
「確かに今日は、込み入った話になることが多いですね。でもそれは、これまでみんながガーデルとご縁を持つ機会がなかった反動なんだと思いますよ。ガーデルは武勲を立てた後に何ヶ月も療養することになったので、時期を逸してしまったのでしょうね」
「はあ……俺などには、過ぎた話であるようです」
「何も過ぎた話ではありませんよ。ガーデルは俺のことを偉人みたいに扱っているようですけど、ガーデルだってそれと同じぐらい大きな役目を果たしたということです」
こちらがどれだけ言葉を重ねても、ガーデルに変化は見られない。
しかし、焦るべきではないのだろう。くどいようだが、相互理解というのは1日にして成るものではないのだ。
「では、我々も移動するか。リミ=ルウ、またのちほどな」
「うん! こっちのお仕事が終わったら、リミも一緒にいさせてねー!」
ぶんぶんと手を振るリミ=ルウやターラたちに別れを告げて、また俺たちは賑やかな広場を突き進んだ。
すると、次なるかまどの手前で呼び止められる。そちらの敷物に、賑やかな面々が集っていたのだ。それは、ルティムの父子にディム=ルティムとジィ=マァム、ザッシュマとドーラの親父さん、それにディアルとラービスという多彩な顔ぶれであった。
「おお、これは楽しい面々だな! どうか俺たちもご一緒させてもらいたく思うぞ!」
デヴィアスは率先して、そちらの敷物に突撃していく。すると、カミュア=ヨシュが俺に呼びかけてきた。
「この人数じゃ敷物に収まりそうにないから、俺とレイトは給仕の役でも果たすことにしよう。アスタたちは、ぞんぶんにくつろぐといいよ」
それは、ザッシュマがいるために後事を託そうという考えであるのだろうか。あまり暗躍されると落ち着かないので、俺は少しばかりカミュア=ヨシュの内心を探っておくことにした。
「ザッシュマと別行動を取ったのは、何か意図があってのことなのですよね? ザッシュマは、これまでどんな役目を果たしていたのですか?」
「べつだんそんな、大した話ではないよ。ザッシュマはガーデルの存在を触れて回りながら、同時にガーデルの評判というものを集めていただけさ。あとは、ガズラン=ルティムと念入りに語っておくように頼んでおいたぐらいかな」
「ガーデルの存在を触れて回るというのは……ガーデルの功績をみんなに知らしめるということですか?」
「うん。森辺の民であれば、ガーデルの功績は周知の事実だろうけどね。外来の客人には、ガーデルの功績を知らない方々も多数おられるようだったからさ」
確かに俺は、ガーデルの功績というものをそうまで声高に語ってはいない。だからさっきもレビがずいぶん熱っぽく語っていたことに、少しばかり違和感を覚えていたのだ。あれもザッシュマがガーデルの功績を喧伝した結果であるのかもしれなかった。
(やっぱりちょっと、俺の性には合わないやり口だけど……でも、文句を言うわけにはいかないよな)
そんな思いを噛みしめながら、俺は「わかりました」と告げてみせた。
「俺は俺なりのやりかたで頑張ります。それじゃあ、またのちほど」
「うん。アイ=ファも、しばらくよろしくねぇ」
俺たちは小声で密談していたが、アイ=ファの聴力であれば聞き取れていたことだろう。アイ=ファもまた厳しい面持ちでカミュア=ヨシュの去っていく姿を見送りつつ、何も文句をつけようとはしなかった。
ガーデルはデヴィアスに引きずられるようにして、すでに敷物に腰を落ち着けている。俺とアイ=ファも、それに続くことになった。
「みなさん、どうもお疲れ様です。なかなか目新しい組み合わせですね」
「そうかもな! でも今日は、どの輪にまぎれこんでも楽しいばかりだよ!」
ドーラの親父さんも、いい具合に酒が回っているようだ。そのかたわらでディアルがにこにこと笑っているのが、何より新鮮であった。
「僕もこちらのお人とは、それほどご縁がなかったけどさ! でも、ユーミやバランたちはずいぶん親しくしてるみたいだから、話題に困ることはなかったよ!」
「そっか。ディアルも祝宴を楽しめてるみたいだね」
「あったりまえさー! この前の祝宴も楽しかったけど、今日だってまったく負けてないからねー!」
ディアルは顔が広いので、ご縁が薄かったのはドーラの親父さんぐらいであるのだろう。ただし、そんな彼女でもガーデルとはご縁が薄いはずであった。
「あ、そちらが例の、大罪人を始末したっていう兵士さんだね! 僕たちはゼランドの鉄具屋で、ディアルにラービスっていう者だよ! 普段は城下町で暮らしてるから、どこかで出くわすことがあったらよろしくねー!」
「はあ……俺などは名もなき一兵卒ですし、現在はその職務すら全うできていない身ですので……どうぞお捨て置きください」
「そんな、捨て置けるわけないじゃん! 僕たちだって、トゥラン伯爵家とはゆかりの深い立場なんだからさ! 今だって、当主のリフレイアとは仲良くさせてもらってるんだよー?」
「……伯爵家のご当主と懇意にされている御方など、俺にはますます縁遠いかと思われます」
ガーデルがあまりに後ろ向きであるため、ディアルはうろんげに眉をひそめてしまう。すると、我らがダン=ルティムが元気いっぱいに取りなした。
「ともあれ、祝宴を楽しむがいい! 手負いの身では果実酒を楽しむこともできなかろうから、その分まで宴料理を喰らうがいいぞ! このあばら肉などは、格別の出来栄えであるからな!」
「おお、これは確かに美味そうだ! 俺たちも、ぞんぶんにいただこう!」
デヴィアスが声を張り上げると、ガーデルはほっとした様子で息をつく。俺には好ましく思えるディアルの陽気さや率直さも、彼にとっては刺激が強すぎるようであった。
「ガズラン=ルティムやジィ=マァムは、『滅落の日』にガーデルと語らうことになりましたよね。ガズラン=ルティムは、それ以前からガーデルのことをご存じであったかと思いますが」
「ええ。ガーデルと初めてお会いしたのは、アスタと同じ日となりますね」
その言葉に、デヴィアスが「おお!」と反応する。
「では俺も、その場で出くわしているということだな! まあその前に、例の仮面舞踏会でガズラン=ルティム殿の雄々しき姿を見た覚えもあるのだが!」
「ええ。デヴィアスは、銀獅子の扮装をしておられましたね」
ライエルファム=スドラやラヴィッツの長兄と同様に、ガズラン=ルティムも邪神教団討伐の遠征でデヴィアスと手を携えた仲である。さらにはチル=リムを巡る騒乱でも、両名はニアミスしているはずであった。
「おふたりと祝宴をともにすることができて、心より得難く思っています。ですが……ガーデルはきわめて謙虚な人柄であられるようなので、きっと落ち着かない面もあるのでしょう。どうか気を張らずに、くつろいでいただければと思います」
ガズラン=ルティムの物言いに、ガーデルは「ああ、いえ……」とまた口ごもってしまう。
そこでデヴィアスが声をあげようとすると、ジィ=マァムがそれに先んじた。
「俺たちが参じた闘技会からも、間もなく1年が経つのだな。やはりデヴィアスは、この年も闘技会に参ずるのであろうか?」
「それはもちろん、闘技会というのは剣士にとっての晴れ舞台であるからな! そういうジィ=マァム殿は、ご参加されないのであろうか?」
「うむ。こちらでも、闘技会に参じたいという狩人は少なからず存在するのでな。俺はそちらに出番を譲ることになりそうだ」
「闘技会か! 俺は商売があるんで見物に出向いたこともないんだが、毎年たいそうな盛り上がりであるようだね! 森辺のお人らが参ずるようになってからは、なおさらにさ!」
ドーラの親父さんも加わって、そちらには新たな賑わいが形成される。
それを横目に、ガズラン=ルティムはひっそりとガーデルに語りかけた。
「ガーデルも、闘技会に参加した経験がおありなのでしょうか?」
「ああ、いえ……俺はあまり、剣技の試合に興味が持てませんので……」
「そうなのですか。ですがガーデルは、自ら望んで兵士を志したのでしょう?」
「ああ、いえ……俺などは、お屋敷を出られれば何でもよかったのです。志も何もない、不出来で柔弱な人間であるのです」
「そうなのですか。ですがガーデルは、その身を呈して職務を果たしたのです。志が高かろうと低かろうと、何も他者に恥じるような生き様ではないように思います」
ガズラン=ルティムの声音は普段以上にゆったりとしていて、とても優しげであった。まるで、愛しき我が子に語りかけているような風情だ。
すると――ガーデルは力なく目を伏せながら、おずおずと微笑んだ。
「俺はべつだん、他者に恥じているわけではありません。ただ……他者に誇るような生き様でもありませんので、身をつつしみたく思っているばかりです」
「そうですか。森辺の民は誇りというものを重んじていますし、きっとそれは兵士の方々も同様であるのでしょう。ガーデルのように繊細な御方には、いささか息苦しい面もあるのでしょうね」
「はは。俺などは、繊細ではなく柔弱なだけです」
俺は、心から驚かされることになった。ガーデルが弱々しいながらも声をあげて笑う姿を、初めて目にすることになったのだ。アイ=ファもまた、獲物を狙う山猫のように気配をひそめながら、ガズラン=ルティムとガーデルのやりとりを見守っていた。
「『滅落の日』にも、このように語らうことになりましたね。あの夜は聞きそびれてしまったのですが……ガーデルは今後も兵士として生きていかれる心づもりなのでしょうか?」
「はい。俺などは、他に何の能もありませんので……まあそれ以前に、復職がかなうかどうかも知れたものではないのですが」
「もしも復職がかなわなかったのなら、それこそが西方神のお導きであるのかもしれません。ガーデルには、もっと相応しき生があるということなのではないでしょうか?」
「西方神のお導きですか……でしたら、このように迂遠な真似はせず、夢のお告げでも何でも手っ取り早く済ませていただきたいものです」
ガーデルのそんな言い草に、俺はまた息を呑んでしまう。あれほど気弱なガーデルが、こともあろうに西方神を皮肉ったのである。それでいて、ガーデルはぼんやりと微笑んでおり――自らの不敬に、まったく無自覚であるようであった。
「我々森辺の民は、いまだ四大神の何たるかを理解しきれていないように思います。ガーデルは、どのようにお考えでしょうか?」
「どのように、とは……? 俺が知るのは、神像の姿ぐらいです。しょせん人間に、神々の何たるかを理解することはかなわないのでしょう」
「我々は、長らく四大神を軽んじていました。ガーデルもまた、四大神の存在に価値を見出しておられないのでしょうか?」
「俺にとっての神々というのは……おとぎ話の登場人物に過ぎないようです。神も妖魅も精霊も、地上からは姿を消してしまったのですから……ことさら取り沙汰する甲斐もないのではないでしょうか?」
「おとぎ話の登場人物ですか。そういえば、アスタも傀儡の劇の主人公として扱われることになりましたね」
ガズラン=ルティムのそんな言葉に、ガーデルは「ああ……」と口もとをほころばせた。
足もとの敷物に落とされた目に、どこか陶然とした光が灯される。
「アスタ殿は、まさしく物語の主人公に相応しき存在でありましょう……言ってみれば、それは神々や精霊に等しい存在であるのかもしれません……ですから、俺は……アスタ殿の光り輝く行く末をこの目で見届けたいと……そのように願ってやまないのでしょう」
「……私もまたアスタの行く末を見届けたいと、切に願っています。であればガーデルも、その目でアスタの姿を追ってみてはいかがでしょうか?」
「ええ。俺の目は、いつでもアスタ殿の姿を追ってしまいます」
そのように語るガーデルは、ずっと目を伏せたままだ。すぐ横にいる俺のことを振り返りもせず――俺がこの場に座していることも認識していないかのようである。
そんなガーデルの姿を、ガズラン=ルティムは静かに見守っている。その眼差しは柔和で穏やかなままであったが、その奥深くには猛禽のごとき鋭さがひそめられているように思えてならなかった。




