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異世界料理道  作者: EDA
第七十七章 銀の月の二つの祝宴
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親睦の祝宴④~かまど巡り~

2023.4/7 更新分 1/1 ・4/10 誤字を修正

 次なるかまどで働いていたのは、マルフィラ=ナハムとリリ=ラヴィッツの両名であった。

 そちらで出されていた宴料理は、鉄板で焼きあげる焼きカレーうどんである。こちらもまた、屋台では出される機会の少ない献立であった。


「おお! 芳しいかれーの香りは、こちらが出どころであったか! 城下町でもギバ料理を食するのに不自由はなくなったが、かれーだけはどこにも見当たらないのでな! 口にできる日を、心待ちにしていたぞ!」


 ひとり陽気なデヴィアスは、子供のようにはしゃいでいる。ともすれば、俺やアイ=ファは真剣な心持ちになってしまいがちであったので、本日は彼の賑やかさがありがたくてならなかった。


「ど、ど、どうも、お疲れ様です。み、みなさんもお召し上がりください」


 鉄板でじゅうじゅうと焼きうどんを仕上げながら、マルフィラ=ナハムはふにゃんと笑いかけてくる。そのかたわらで、リリ=ラヴィッツはお地蔵様のごとき微笑みをたたえていた。


「そちらのおふたりは、城下町からの客人でありますね。森辺の祝宴を楽しんでいただけているようで、何よりです」


「それはもう! 復活祭の間は働き詰めであったので、その分まで楽しませていただいているぞ!」


 デヴィアスが豪快に応じると、その大きな声に導かれたように小柄な人影が近づいてきた。簡易かまどの裏にひそんでいた、ラヴィッツの長兄である。


「これはこれは。聞き覚えのある声だと思ったら、やはりデヴィアスであったか。息災なようで、何よりだな」


「おお! これはまた、嬉しい再会だ! そちらも今日の祝宴に参じていたのだな!」


「うむ。珍しくも、家長たる親父殿が出番を譲ってくれたのでな」


 落ち武者のごとき容姿をしたラヴィッツの長兄は、にたにたと笑いながらデヴィアスの長身を見上げた。家長たるデイ=ラヴィッツは前回の送別の祝宴に参じていたので、今回は長兄たる彼に出番を譲ることになったのだ。


「ガーデルよ! こちらもともに邪神教団の討伐に出向いた御仁であられるぞ! 頭に負った傷も、名誉の負傷であるのだ!」


「そ、そうですか。俺などはいつまでも身を休めて、もう1年以上も職務を果たせておりませんので……兵士ならぬ身でジェノスを救った森辺の方々には、頭が上がりません」


 ガーデルは、相変わらずの調子で目を伏せている。

 それを見上げるラヴィッツの長兄は、いよいよ愉快げに口の端を上げた。


「そちらが噂の、ガーデルか。ラヴィッツの家でも、お前のことはたびたび取り沙汰されている。ようやく挨拶をする機会を得て、得難く思うぞ」


「い、いえ。俺などは、取り沙汰する甲斐もない人間ですので……」


「そのようなことはあるまい。大罪人シルエルを仕留めたというだけで、俺たちにとっては看過できない存在であるのだ」


 ラヴィッツの長兄はガーデルのほうに視線を固定させたまま、背後で働くリリ=ラヴィッツらのほうを親指で指し示した。


「その大罪人が率いていた山賊どもは、あそこで働く俺の母や血族の娘にも矢を射かけていたのだぞ。幸い、手傷を負うことはなかったが、シルエルどもが許されざる仇敵であるという事実に変わりはない。そもそもそやつは十年以上もの昔から、スン家と手を組んで悪さをしていたという話であるのだからな」


 そんな言葉を聞かされても、ガーデルは「はあ……」としか答えない。

 するとラヴィッツの長兄は、何の未練も見せずに身を引いた。


「お前などは、真っ先に祝宴に招かれて然りの立場であろう。どうか心ゆくまで、この夜を楽しんでもたいらい。そちらのデヴィアスともどもな」


「うむ! もとよりそのつもりだぞ!」


 デヴィアスは、焼きうどんをすすりながら陽気に応じる。それを尻目に、ラヴィッツの長兄はかまどの裏へと引っ込んでいった。


「いやいや、デヴィアス殿もずいぶん森辺のお歴々と親睦が深まっているようだねぇ。森辺の祝宴に参じたのは初めてだという話であったのに、まったく大したものじゃないか」


 カミュア=ヨシュがそのように評すると、デヴィアスは満面の笑みで「うむ!」と逞しい胸をそらせた。


「森辺の民とは、ともに刀を振るった間柄であるからな! なおかつ俺はダカルマス殿下のお開きになった試食会や祝宴にも参じておるので、そちらで見知った顔もあちこちで見かけるようだぞ!」


「なるほどなるほど。俺などはジェノスを離れている時間が長いので、すっかり追い抜かれた心地だよ」


 そういえば、邪神教団を討伐する遠征も、ダカルマス殿下の試食会も、カミュア=ヨシュが不在の折の出来事であったのだ。カミュア=ヨシュが同席したのは、チル=リムを巡る騒乱までであったのだった。


「……そういえば、アスタたちはいつどこでデヴィアス殿と知り合ったのかな? 俺が気づいた頃には、すっかり心安い関係であったよね」


「俺やアイ=ファがデヴィアスとご挨拶したのは、フェルメスの開いた仮面舞踏会ですよ。ただし、あの夜はデヴィアスが愉快な扮装をしておられたので、ご尊顔は拝見できなかったのですよね」


 俺は当時を懐かしみながら、ガーデルにも笑顔を向けてみせた。


「ですから、デヴィアスのお顔を初めて拝見したのは、城下町の見物をしていた折です。その際に、ガーデルを紹介していただいたのですよ」


「うむ、確かに! あれからもう、1年以上の日が過ぎているのだな! 懐かしく思えてならんぞ!」


「本当ですね。それに、ラヴィッツの長兄も仰っていた通り、祝宴にお招きするのが遅すぎたぐらいかもしれません。とりわけガーデルは、すべての森辺の民にとって大恩人であられるのに……」


「と、とんでもありません。俺などは、この夜に招待されたことすら気が引けるほどですので」


 ガーデルは目を伏せたまま、弱々しく微笑む。

 すると、料理の取り分けに勤しんでいたリリ=ラヴィッツがゆったりと声をあげてきた。


「あなたは恩人と称されるたびに、気が引けてしまうようですねぇ。悪人を処断するのは兵士の役目であるため、ことさら賞賛されるには値しないということなのでしょうか?」


「ああ、はい……まさしく、その通りです」


「左様ですか。ですが、大きな仕事を果たした人間は、それを誇るべきでありましょう。誇りとは、すなわち力の根源なのでしょうからねぇ。森辺においては狩人もかまど番も、誇りを力にかえているのですよ」


 お地蔵様のような微笑みで内心を隠しながら、リリ=ラヴィッツはそのように言いつのった。


「ガーデル、あなたはいったいどのような思いで兵士を志したのでしょう? きっと生半可な気持ちではなかったのでしょう?」


「はあ……いえ……俺など、そんな大したものではありません。俺はただ、母の遺言に従っただけですので……」


「なるほど。では、兵士になりたくてなったわけではない、ということでしょうかねぇ?」


「……俺は商人のお屋敷で下男として働いていましたが、きわめて粗略な扱いでありました。ですから……お屋敷を離れられれば、何でもよかったのです。兵士になれば兵舎で過ごすことが許されたので、俺にとっても都合がよかったのです」


 何を隠し立てする様子もなく、ガーデルはそのように応じた。

 しかし、リリ=ラヴィッツに心を開いたという感じではなく――ただ、問われたから答えたといった風情である。そういうところも、どこか無防備な幼子を連想させてやまなかった。


「俺の立場でこのように語るのは恐縮の限りだが、兵士のすべてが高い志を持っているわけではないからな! 商家の次男坊や三男坊などが食い扶持を求めて志願することも、決して珍しい話ではない! 肝要なのは、入営したのちにどれだけの志を育めるかであろうよ!」


 デヴィアスは大笑いしながら、ガーデルの大きな背中をばしんと叩いた。


「お前などはもういい齢だし、剣士としてもそれなりに腕が立つのに、心根のほうはキミュスの雛のように頼りない! その柔弱ささえ何とかすれば、隊長の座も夢ではないのにな!」


「お、俺なんかに隊長などという立場が務まるわけもありません。……あと、背中を叩かれると傷に響きます」


「おお、悪かった悪かった! では、そろそろ次の宴料理を目指そうではないか! ご両人、美味なる料理を馳走になったぞ!」


 デヴィアスに引きずられるようにして、俺たちは移動することになった。

 その道中で、俺はガーデルに語りかける。


「そういえば、ガーデルはおいくつなのでしたっけ? 俺よりはいくつか年長ですよね」


「はあ……俺はこの年明けで、23歳となりました」


 23歳――では、ジザ=ルウとダルム=ルウの間ぐらいであろうか。しかし、森辺の狩人というのは風格がものすごいので、あまり参考にはならなかった。


(町の人たちでいうと……たしか、ロイがそれぐらいの年齢だったかな。ラービスなんかは、もうちょっと年上っぽいけど……何にせよ、そっちとも比較にならないな)


 ロイなどはか弱き料理人であるが、ガーデルよりは何十倍も堂々としている。もっと年少であるドーラ家の子息らやベンやカーゴでも、それは同じことだ。というか、俺の友人知人でガーデルほど気弱げな若者というのはなかなか思いつかなかった。


(一時期のディガ=ドムやドッドなんかはもっとおどおどしてたけど、あれはスン家の威光を引っぺがされたからだもんな。やっぱりガーデルは、複雑な家庭環境のせいで気弱な人間に育っちゃったのかなぁ)


 俺がそのように思案している間に、次なるかまどが近づいてきた。

 そちらは、なかなかに賑わっている。料理を受け取った人々が、その場で歓談に励んでいたのだ。それはまた、紹介のし甲斐がある顔ぶれであった。


「どうもみなさん、お疲れ様です。サムスとシルも、祝宴を楽しんでおられますか?」


 それは、《西風亭》の関係者とランの人々であったのだ。ユーミ、サムス、シル、ビアに、ジョウ=ラン、ジョウ=ランの父親、ランの家長、ランの末妹という面々であった。


「ああ、アスタ。まだまだ飛ばされちまった魂が戻ってこなくて、楽しむどころの騒ぎじゃないよ。まったく森辺の祝宴ってのは、復活祭にも負けない賑やかさだねぇ」


 そんな風に語りながら、ユーミの母親たるシルは楽しげな笑顔だ。そしてその目がアイ=ファをとらえるなり、「あらま」と見開かれた。


「あらあらまあまあ、あんたはアスタと一緒に暮らしてる女狩人さんだよねぇ? こりゃまあ何とも見違えたもんじゃないか!」


「……私は祝宴の始まりにも挨拶をしているはずだが」


「あんな薄暗がりで不自由しないのは、森辺のお人ぐらいだと思うよ。いやぁ、おとぎ話に出てくるお姫さんみたいに立派な姿だねぇ」


 すると、ユーミの父親であるサムスが「ふん!」と盛大に鼻息を噴いた。その底光りする目は、横目でジョウ=ランをねめつけている。


「それじゃあこいつが、最初に懸想した娘さんってことか。身のほどもわきまえず、高望みをしたものだ」


「……お前はわざわざ、そのような話をユーミの親たちに告げたのか?」


 アイ=ファが不穏な眼差しを送ると、ジョウ=ランより先にユーミが答えた。


「親父のやつがジョウ=ランに浮いた話はなかったのかって根掘り葉掘り聞くもんだから、しかたなく打ち明けることになったんだよ! そんな話、どうでもいいことなのにさ!」


「……まさしく、その通りだな。ジョウ=ランが私などに懸想したのは気の迷いなのであろうから、どうか忘れてもらいたく思う」


「ていうか、アイ=ファに懸想する男なんて山ほどいるだろうからねー! ジョウ=ランもそのひとりだったってだけのことさ!」


「はい。ですが、今の俺はユーミのことだけを――」


「わーっ! 滅多なことを言うもんじゃないよ! そういう部分を、あらためろって言ってんの!」


 ユーミは真っ赤になりながら、ジョウ=ランの頭を叩くふりをする。サムスはこれ以上もない仏頂面で、シルは苦笑いだ。

 すると、しばらく無言でそのさまを見守っていたデヴィアスが、「おお!」と手を打った。


「どこかで見た顔だと思ったら、試食会や祝宴に招かれていた宿屋の娘か! 今日も森辺の女人に負けぬほどの装いだな!」


「うん? ああ、あんたか。ほらほら、これが例の、騎士様ってやつだよ」


 シルが再び、「あらま」と目を丸くした。


「あなた様が、ジェノスの騎士様で? 千名からの兵士を率いるたいそうなお人だって、主人や娘から聞いているのですけれど……」


「それは確かにその通りだが、今はおたがい客人の身だ! 肩書きなんぞは脇に置いて、ともに祝宴を楽しもうではないか!」


「あらまあ、ずいぶん気さくなお人なんですねぇ。どんなにおっかないお人が来るんだろうって、あたしはすっかり腰が引けておりましたよ」


 シルは試食会に参じていないため、デヴィアスとも初対面であったのだ。というよりも、ユーミやサムスがデヴィアスと出くわしていることのほうが、よほどイレギュラーな話であるのだろう。すべてはダカルマス殿下の奔放なお人柄が招いた結果である。


(よくよく考えたら、千名の兵士を率いる大隊長って言ったらけっこうな身分だもんな。出自だって、いちおう貴族なわけだし)


 ただし、平服ではしゃいでいるデヴィアスは騎士にも貴族にも見えない。その大らかさが、場を和ませてくれたようであった。


「それで、何を騒いでおったのかな? そちらの若き狩人が、アイ=ファ殿に懸想しておったと?」


「……そのような話を蒸し返す必要はない」


「いやいや、どうしたって気になるではないか! よくよく見れば、そちらの若き狩人も見覚えのある顔であるしな!」


「はい。あなたとは、礼賛の祝宴というやつでご挨拶をしましたね。俺はラン分家の長兄で、ジョウ=ランと申します。俺は、こちらのユーミと婚儀を願っている身であるのです」


 ジョウ=ランがのんびりとした笑顔で答えると、今度はデヴィアスが「なんと!」と目を剥いた。


「森辺の狩人が、宿屋の娘と? いやはや、それはたいそうな話だな! すっかり酔いがさめてしまいそうだ!」


「おや。貴族の間ではとっくに知れ渡っているかと思っていたのですが、あなたはご存じでなかったのですね」


「騎士階級など、名ばかりの貴族であるからな! ううむ、しかし興味深い! それが実現すれば、アスタ殿やシュミラル何某に続いて第三の偉業となるな!」


「あ、あの、俺とアイ=ファは婚儀を挙げたわけではありませんからね?」


 アイ=ファが爆発する前に、俺がそっと掣肘する。しかし、デヴィアスの発奮は収まらなかった。


「何にせよ、偉業であることに相違はあるまい! 是非とも実現するように、俺も西方神に祈らせていただくぞ!」


「……そちらはユーミやジョウ=ランと深い関わりがあるわけでもないのであろう? それでどうして、そのように騒いでいるのであろうか?」


 ランの家長がうろんげに問いかけると、デヴィアスは笑顔でそちらを振り返った。


「俺個人の関わりなど、些末なことであろうよ! 森辺の民と町の人間が結ばれれば、いっそう絆が深まるではないか! 現在のジェノスにおいて、それほど得難き話はなかろう!」


「……そうか。さすがにジェノスの貴族ともなれば、ジェノスの行く末に思いを馳せるものであるのだな」


「ジェノスの行く末を思うのに、貴族もへったくれもなかろうよ! 俺は名ばかりの貴族だと、なんべん口にすれば気が済むのだ?」


 デヴィアスが呵々大笑すると、ランの家長やジョウ=ランの父親もつられたように口もとをほころばせた。ランの家長などはなかなか気難しいタイプであるのに、初対面でそれを和ませられるというのは大した話である。


「それにしても、ユーミの嫁入りというのはなかなか実現しないねぇ。さすがに、慎重に振る舞っているようじゃないか」


 と、訳知り顔のカミュア=ヨシュもしゃしゃりでる。そちらに対して、ユーミは「うるさいなー」と赤い顔で反論した。


「森辺に嫁入りなんていう大それた話は、慎重に扱うのが当たり前でしょ? 伴侶どころか家も持たない風来坊に、偉そうな口を叩かれる覚えはないよ!」


「あはは。これは痛いところを突かれたねぇ。でも俺も、ユーミたちの幸福な行く末を願っているよ」


「だから、うるさいってば!」


 俺たちが合流したことで、その場の賑やかさも倍増したようである。

 ただやっぱり、ガーデルは口を開こうともしない。それはレイトも同じことだが、こちらの聡明な少年は何ひとつ聞き逃すまいと静かに耳をそばだてているのだ。それに対して、ガーデルというのは――いかなる話題にも、まったく興味を抱いていない様子であった。


「……ユーミも、ガーデルは初めてだったよね。試食会なんかでは城門から会場まで車で送ってくれてたんだけど、見覚えはないかな?」


 俺がそのように水を向けると、ユーミは「んー?」と小首を傾げた。


「どうだろー? 覚えてないかも! でも何か、たいそうな武勲をあげた兵士さんなんだよね?」


「うん。例のシルエルっていう大罪人を仕留めた功労者だよ」


 すると、ユーミではなくシルが「まあまあ」と反応した。


「それはあの、傀儡の劇でも出てきた極悪人だよねぇ? そいつを退治したなんて、そりゃあ大した話じゃないか」


「ふん。傀儡の劇なんざ持ち出す前に、宿場町にも触れが回されただろうがよ? それも、貴族の罪が暴かれたときと、そいつが山賊を引き連れて戻ってきたときと、2回もな」


 と、サムスが疑わしげにガーデルの姿を眺め回す。とたんに、ガーデルは縮こまってしまった。


「そんな大罪人を仕留めたにしちゃあ、ずいぶん頼りねえ若造だな。でかい図体をして、餓鬼みてえに小さくなってるじゃねえか」


「は、はい。もとよりその大罪人は森辺の方々との戦いで深手を負っていましたし……俺などは、そんな瀕死の人間と相討ちになりかけた軟弱者であるのです」


 正確には、シルエルに深手を負わせたのはティアである。ティアは毒矢を射ち込まれながら、シルエルの右手首を噛み砕き――そののちに、シルエルはドンダ=ルウの刀によってわずかに背中をえぐられながら、20メートルはあろうかという断崖から身を投じたのだ。


「瀕死のギバは、思わぬ力を見せることがある。かの大罪人も、それで最後の力を振り絞ったのであろう。それを見事に退けたお前は、まごうことなき勇者であるはずだ」


 ランの家長はそのように言いたててが、ガーデルは困惑したように目を泳がせるばかりである。それをフォローしたのは、やはりデヴィアスであった。


「どうもこやつは、他者からの賞賛が苦手なようでな! 愛想のなさは、勘弁してもらいたい! ともあれ、このように立派な祝宴に招いてもらえたことを、ありがたく思っておるぞ!」


「うむ。俺もなかなか城下町に参ずる機会はないので、そちらのような貴族と縁を結べたことを得難く思う」


 と、デヴィアスに向きなおったランの家長は、また和んだ表情になる。デヴィアスの率直さや善良な人柄が、ずいぶんお気に召したようだ。まあ、俺から見てもデヴィアスというのは、森辺の民と親和性が高いように思われた。


「……あの、会話のお邪魔をしてしまって恐縮ですが、よければお客人もこちらの料理をいかがですか?」


 そんな風に呼びかけてきたのは、簡易かまどで働いていたイーア・フォウ=スドラである。俺たちは会話にかまけて、宴料理をいただくことを忘れてしまっていたのだ。

 そちらの料理の正体は、すでに判明している。ギバの骨ガラの強烈な香りが、これでもかとばかりに漂っていたのだ。そちらに向きなおったデヴィアスは、「ふむふむ!」と大きく反応した。


「これは何やら、尋常ならざる香りだな! いったい如何なる料理であるのか、期待がふくらむばかりだ!」


「ああ、こちらは復活祭の祝日にしか出していない料理ですので、デヴィアスは初めて口にされるのでしょうね。ガーデルは、『滅落の日』に召しあがっていましたっけ?」


「ええ、おそらく……」と、ガーデルはこんな際にも反応が鈍い。

 ともあれ、『ギバ骨ラーメン』をいただくことにする。イーア・フォウ=スドラはフォウの年配の女衆との共同作業で、てきぱきと人数分の料理を仕上げてくれた。


「ほうほう! これはあの、らーめんという料理か! それならば、試食会の場でも食した覚えがあるぞ!」


「ああ、《キミュスの尻尾亭》という宿屋が出品した料理ですね。あちらはキミュス、こちらはギバの骨ガラを出汁に使っているのですよ。その違いをお楽しみいただけたら何よりです」


 真っ先に木皿を受け取ったデヴィアスは、ほとんどひと口でミニサイズのラーメンをかきこんでしまう。とたんに、もともと大きな目がさらに大きく見開かれた。


「見た目はそっくり同じでも、味はまったくの別物だな! 実に食べなれない風味だが……いや、これは強烈だ! 強烈に美味いと思うぞ、アスタ殿!」


「それなら、よかったです。本日こちらの料理を手掛けてくれたのは、フォウの血族の方々となります」


「うむ! まこと森辺の民というのは、誰も彼もが熟練の料理人であられるのだな! これほどの腕であれば、城下町で店を出すことも容易であろうよ!」


「わたしたちは、アスタから習い覚えた通りに仕上げたのみですので」


 イーア・フォウ=スドラが朗らかな笑顔で応じると、デヴィアスは「いやいや!」とさらに大きな声をあげた。


「であれば、誰もが城下町で店を出せるほどの力量であるということだ! アスタ殿おひとりが優れているよりも、そちらのほうがよほど大した話であろう! ……ところで、そちらのご婦人も城下町の祝宴で見た覚えがあるのだが! どうして本日は、着飾っておらぬのであろうかな?」


「ああ、わたしはすでに婚儀を挙げた身でありますので、森辺の祝宴においては宴衣装を纏わない習わしであるのです」


「それは惜しいことだ! 以前の祝宴における宴衣装は、またとなき美しさであったのに――ああ、いやいや! 婚儀を挙げたご婦人が相手でも、やはりうかうかと褒めそやすべきではないのであろうかな?」


「そうですね。お控えいただけたら、ありがたく思います」


 イーア・フォウ=スドラはきわめて柔和な人柄であるため、眉を吊り上げることなく笑顔で応じる。すると、その横合いに小さな人影がふわりと進み出た。


「俺はイーア・フォウの伴侶である、チム=スドラだ。森辺の習わしを軽んじることなく絆を深めてもらえれば、ありがたく思う」


「おお、そちらがご伴侶であったか! 確かにそちらも、祝宴で見た顔だ! ……もしやチム=スドラ殿は、ライエルファム=スドラ殿のご子息であられるのかな?」


「いや。家長ライエルファムは父同然の存在だが、残念ながら子ではない」


「そうかそうか! 見た目ばかりでなく、纏っている空気もライエルファム=スドラ殿によく似ているように思うぞ! スドラのお歴々というのは、老若男女問わず好ましい方々ばかりであるのだな!」


「……家長ライエルファムに似ているなどというのは、光栄を通り越して恐れ多いばかりだな」


 そのように応じつつ、チム=スドラもはにかむように微笑んだ。

 デヴィアスは、どこでも誰でも速やかに交流を深めることができている。そしてその陰では、ガーデルが大きな身体を縮めながらひそやかにギバ骨ラーメンを食していた。


(うーん……つくづくこのおふたりは、対照的なお人柄だなぁ)


 なおかつ、森辺の民というのは相手の心情を尊重しようという意識が強い傾向にある。じっと静かにしている人間にやたらとかまおうとするのは、ダン=ルティムやラウ=レイといった一部の豪放な人々のみであるのだ。

 しかし本日の祝宴には、そのダン=ルティムやラウ=レイも参じている。

 そして俺は、そういった人々ばかりに頼ろうという心づもりではなかった。


「そちらの料理はいかがですか、ガーデル? ギバ骨ラーメンというのは、ギバ料理の代表のひとつであるのですよね」


 俺が笑顔で呼びかけると、ガーデルは目をそらしたまま「はあ……」と力なく応じた。


「こちらはあまりに風味が強烈で、いささか食べにくく思うのですが……俺などは料理の善し悪しもわからない無粋者ですので、どうかご容赦をいただけたらと思います」


「いえいえ。料理の好みは人それぞれですし、そちらの料理は指折りで風味が強いですからね。ただ、そういう料理こそ、意外に癖になるものなのですよ」


 俺がそのように言葉を重ねても、ガーデルは「そうですか……」と目を伏せてしまう。

 これほどに打っても響かない人間というのは、なかなかに珍しいことであろう。ガーデルは殻に閉じこもっているわけではなく、ふわふわとたなびく煙のようなお人柄であるのだ。無理に手をのばしても、指先をすりぬけてしまうような風情であった。


 しかしまた、俺たちがガーデルと正しく絆を結びなおそうと決意してから、まだ10日も経過していない。人との絆がそう簡単に深まるものではないということは、俺もこの2年半でさんざん学んでいるつもりであった。


 きっと今日1日で、ガーデルとの絆がそうまで深まることはないのだろう。だが、これが最初の一歩となれるように、俺は力を尽くすつもりである。

 ガーデルの気弱げな横顔を眺めながら、俺はそんな思いを新たにすることになったのだった。

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[気になる点] > お地蔵様のような微笑みで内心を隠しながら、リリ=ラヴィッツはそのように言いつのった。 >「デヴィアス、あなたはいったいどのような思いで兵士を志したのでしょう? きっと生半可な気持ち…
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