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異世界料理道  作者: EDA
第七十七章 銀の月の二つの祝宴
1336/1695

親睦の祝宴②~下準備~

2023.4/5 更新分 1/1

 フォウの分家のかまど小屋に到着したのちは、いざ宴料理の準備である。

 50名以上に及ぶかまど番が5つの班に分かれて、それぞれ3種ていどの宴料理を仕上げるのだ。無理が出ないように作業内容を設定していたものの、決して気を抜くことはできなかった。


 そうして作業を開始すると、ルイアはそれなり以上の熱心さで俺たちの作業を見学していた。彼女はいちおう調理の腕を買われて、宿場町の民でありながら侍女として働くことを許された身であるのだ。現在はニコラやテティアともどもヤンのもとで修行しているはずなので、その熱心さもうなずけるところであった。


 いっぽうシェイラはそれよりも古くからヤンの手伝いをしていた身であるが、そちらは調理よりも雑務を果たす役割であったのだろう。最近ではヤンの仕事を手伝うこともなく、《タントの恵み亭》の様子をうかがいつつアリシュナに届けるための『ギバ・カレー』を運んでくれたり、ポルアースからの伝言を伝えてくれたりと、侍女の本分に立ち返った感があった。


「つまり、ヤンのもとでかまど番として修練を積んでいるのは、ニコラとルイアとテティアの3名であるということだな?」


「はい。もともと料理の準備というのは、侍女の領分ではありませんので……ニコラたちのほうが、特別な待遇であるのです」


 そのようにして、シェイラは調理の見学よりもアイ=ファとのおしゃべりに勤しんでいた。それでシェイラはきわめて楽しそうな様子であったので、何よりの話であった。


 しばらくすると、フォウの若衆に案内されたプラティカたちがやってきたので、シェイラとルイアはアイ=ファの案内で別のかまど小屋へと導かれていく。ひさびさの見学であるプラティカとニコラは、ルイア以上の気迫と意欲をみなぎらせていた。


 いっぽうテティアのひっそりとした雰囲気に変わるところはなかったが――これはもう、持って生まれた気質であるのだろう。あるいは、2年の禁固刑というものが、彼女をいっそうそのような気質に育んだのかもしれなかった。


(もちろん俺は、それ以前のテティアを知らないわけだけど……きっともともと、こういうひそやかな女性だったんだろうな)


 テティアが傲慢に振る舞っている姿など、俺は想像することもできない。ニコラがおしとやかに振る舞っている姿を想像できないのと同じことだ。ひそやかで心優しい姉に、おてんばの妹――彼女たちは貴婦人であった時代から、そういう人柄であったのではないかと思えてならなかった。


(それでニコラはおてんばな本性を必死に押し隠して、侍女らしく振る舞おうと頑張ってるように見えるもんな)


 俺はひとたびだけ、ニコラがおてんばに振る舞っている姿を見たことがある。まだ出会ってから間もなかった頃、トゥール=ディンとリミ=ルウに左右から親切に扱われて、「なんだよ、もう!」と取り乱していたのだ。あの姿こそが、ニコラのまじりけのない素顔なのだろうと思われた。


 それ以来、ニコラは俺たちの前で素顔を見せようとしない。いつもぶすっとした顔で、礼儀正しい態度を取りつくろうとするばかりだ。

 しかしニコラはヤンの弟子と認められてから、驚くほどの熱意を見せるようになった。そもそもゲルドの客分たるプラティカと行動をともにして森辺の集落に泊まり込むなど、よほどの熱意がなければつとまらない所業であろう。それで俺は表面上の態度など関係なく、彼女の真情に触れることができたような心地であったのだった。


(きっとニコラはテティアが戻ってきたときにしっかり支えてあげられるように、身を立てようと頑張ってたんだろうな。その努力が、いまこそ結ばれつつあるっていうわけだ)


 テティアはニコラに引きずられるようにして、ヤンのもとで働くようになった。それはきっと、ニコラが2年がかりで切り開いた居場所であるのだ。そうして現在、彼女たちはこうして行動をともにできているのだから――俺としては、その幸福な時間がこれからも継続されることを願うばかりであった。


「よし、これでひと区切りかな。俺はちょっと他のみんなを見回ってくるんで、しばらくはマルフィラ=ナハムにお願いするよ」


「は、は、はい。ど、どうぞおまかせください」


 マルフィラ=ナハムも決して物怖じすることなく、ふにゃんと笑顔を返してくる。それを心強く思いながら、俺は単身でかまど小屋を出ることになった。


 そうして広場まで出てみると、あちこちで男衆が歓談している。ルウやサウティばかりでなく、小さき氏族からも何名かの男衆が参じたようだ。そんな中、俺の目を引いたのはジザ=ルウとガズラン=ルティムとバードゥ=フォウという屈強の組み合わせであった。


 バードゥ=フォウは本日の取り仕切り役であるし、貴族との会合では同行する立場だ。ジザ=ルウやガズラン=ルティムが相手であれば、話題が尽きることもないのだろう。こういった面々がしっかりと土台を固めてくれているからこそ、俺たちは憂いなく平和な日々を満喫できているのだった。


(……もしかしたら、ガーデルについても話したりしてるのかな)


 俺はそのように考えたが、今は仕事のさなかである。遠い場所から目礼してくれたガズラン=ルティムに笑顔を返しつつ、俺はフォウの本家のかまど小屋を目指すことにした。


 そちらで働いているのは、バードゥ=フォウの伴侶が取り仕切るフォウの血族の女衆だ。ユン=スドラの班に組み込まれた3名を除く血族が、この場に集結している。サリス・ラン=フォウやイーア・フォウ=スドラも、もちろんその一員であった。


「お疲れ様です。こちらも問題はありませんか?」


「ああ、アスタ。こっちは順調だよ。どれも手慣れた料理だしね」


 そのように語るバードゥ=フォウの伴侶のかたわらではギバの骨ガラがぐつぐつと煮込まれており、サリス・ラン=フォウはチャーシューの作製、イーア・フォウ=スドラは麺打ちに励んでいた。

 森辺では指折りで手のかかる『ギバ骨ラーメン』も、今ではすっかり手馴れた料理であるのだ。心強いこと、この上なかった。


「やあ。そっちは早くも、次の料理の下ごしらえかな?」


 俺がそのように声をかけたのは、ヴェラからフォウに嫁いできた女衆である。あの誠実なるヴェラの若き家長の妹だ。髪を短く切りそろえて、一枚布の装束を纏ったその彼女は、落ち着いた面持ちで「ええ」と微笑を返してきた。


「やはり160名分の宴料理というのは、とてつもない量ですね。野菜を刻むだけで一刻がかりだなんて、これまでには考えられない話だと思います」


「うん。フォウの祝宴でこれだけの人数になるのは、初めてのことだからね。君なんかは初めての体験尽くしで大変だろうけど、頑張ってね」


「はい。フォウの家人としてこの日の祝宴に加われることを、心から嬉しく思います」


 きっと彼女は、これほどの規模の祝宴に参席するのも初めてなのだろう。彼女自身の婚儀では、まだ広場もこれほど切り開かれていなかったのだ。そしてまた、フォウの血族の数多くは彼女と同じ立場であるはずであった。


(ルウの祝宴に招かれるのは、ごく限られた人間だけだったもんな。これまでの祝宴を全部ひっくるめても、せいぜい10名ちょっとってところか)


 なおかつ、その多くの割合を占めていたのはスドラの家人となる。立場上、ライエルファム=スドラやユン=スドラ、チム=スドラやイーア・フォウ=スドラが招かれる機会が多かったのだ。先日の送別の祝宴ではついに屋台の関係者としてフォウとランの女衆が招かれたものの、それまではバードゥ=フォウやジョウ=ランなどといった一部の面々ぐらいしか招待の機会はなかったはずであった。


 よって、バードゥ=フォウの伴侶を筆頭とする女衆の数多くが、160名がかりの祝宴を初めて体験するわけであるが――調理の仕事は、滞りなく進められている。このような規模の祝宴は初めてであっても、彼女たちは3回もの復活祭を乗り越えているのだ。そちらの業務も、作業量にまさり劣りはないはずであった。


(あんな現場を体験したら、腕が上がるのも当然だよな。城下町の人らが感心するのも当然ってことか)


 ダカルマス殿下の試食会において、森辺のかまど番は平均的な能力の高さを評価されることになった。城下町においても、3ケタ規模の祝宴の準備を経験したことのある料理人など、そう多くはないのである。森辺のかまど番は自分たちの祝宴と屋台の商売の手伝いだけで、それほどのスキルアップを果たしていたのだった。


「それでは引き続き、よろしくお願いします。何かあったら、すぐにご連絡をください」


 俺は本家のかまど小屋を後にして、次なるかまど小屋を目指した。

 そちらで働いているのは、レイナ=ルウが取り仕切るルウの血族およびダイとレェンの女衆だ。リミ=ルウたち4名が離脱しても、13名という人数であった。


「レイナ=ルウ、お疲れ様。何も問題はないかな?」


「はい。中天までには、予定通りに作業を終えられるかと思われます」


 レイナ=ルウは、きりりとした表情でそのように応じてくる。マイムやララ=ルウなどは、いつも通りの元気さで働いていた。


 こちらはもう、レイナ=ルウの指揮下で長らく修練を積んできた猛者の集まりである。ダイとレェンの女衆だけは新参であったのでずいぶん緊張の面持ちであったが、それはその場にみなぎった熱気に圧倒されてのことなのではないかと思われた。土台、ルウの血族というのは森辺の民の中でも気迫や生命力のほどが際立っているのだ。


 そしてその場では、さきほどお別れしたばかりのアイ=ファたちも居揃っていた。相変わらず、シェイラはアイ=ファとの交流にいそしみ、ルイアは熱心に見学していたようである。もちろんルイアはユーミの屋台を手伝っていた身であったので、この場の女衆ともおおよそ顔見知りであるはずであった。


「レイナ=ルウにまかせておけば、何も問題はないだろうからね。その調子で、引き続きお願いするよ」


「ええ。どうぞおまかせください」


 気合いの入ったレイナ=ルウはきゅっと眉が上がっており、勇ましいやら微笑ましいやらだ。彼女は送別の祝宴で大きな仕事を果たしたばかりであったので、今回は俺が取り仕切り役を担ったわけであるが――どのような立場であっても、レイナ=ルウの気合に変わりはないはずであった。


(まあ、それは俺だって同じことだもんな)


 取り仕切り役として全体を指揮する役割でも、ひとりのかまど番として働く役割でも、仕事の内容に多少の違いが出るだけで、気合の差が生じるわけではない。そして、たとえどのような役割でも、美味なる料理を準備するという最終目的にも変わりはなかったのだった。


「アスタは、すべてのかまど小屋を見て回るのだな? では、我々もそれに追従してみてはどうであろうか?」


 アイ=ファがそのように提案すると、シェイラは「アイ=ファ様におまかせいたします」と笑顔で応じた。ルイアも、へどもどと頭を下げるばかりである。

 そうしてかまど小屋を出るなり、アイ=ファが俺の耳もとに口を寄せてきた。


「アスタよ。大きな仕事を果たしているお前にこのような話を告げるのは、心苦しくてかなわんのだが……この移動の時間だけでも、シェイラの相手を願えないだろうか?」


「うん? それはもちろんかまわないけど……シェイラのおしゃべり責めで、ちょっとばっかり疲れちゃったのかな?」


「うむ……しかしシェイラも、心から楽しんでいるようなので……あまり無下に扱うこともできんのだ」


 と、アイ=ファは他の面々に見えない角度で、そっと口をとがらせた。アイ=ファはよっぽど親しい相手でない限り、遠慮なく語らうのが苦手な性分であるのだ。それに何より真っ直ぐな好意をぶつけられるのが苦手であるという、実に奥ゆかしいお人柄であるのだった。


(まあ、シェイラも普段はつつましく振る舞ってるからな。今日はちょっぴり、タガが外れちゃったわけか)


 シェイラは俺よりも早く、アイ=ファに出会っている。俺がリフレイアにさらわれた際、アイ=ファがポルアースの力を頼ることになり――そこで、シェイラと巡りあったのだ。それでアイ=ファはトゥラン伯爵邸にもぐりこむために装いをあらためて、その美しき姿にシェイラが魅了されたという顛末であった。


 そもそも俺たちが初めて城下町の祝宴にお招きされたのも、シェイラの熱意がきっかけとなる。シェイラが主人らを差し置いて、ダレイム伯爵家の舞踏会にお誘いをかけてきたのだ。それを武闘会と聞き違えてアイ=ファが了承してしまったのも、今となっては楽しい思い出であった。


「シェイラ。あらためて、初めての森辺はいかがですか?」


 俺が自分の役割を果たすべくそのように呼びかけると、シェイラは輝くような笑顔で「はい!」と応じてきた。


「ずっと心臓が高鳴りっぱなしで、何だか胸が痛くなってきてしまいました! この地には、森辺の方々の熱気が渦巻いているかのようで……ただ身を置いているだけで、こちらの血まで熱くなるような心地であるのです!」


「あはは。本当に熱を出してしまわないように、お気をつけくださいね。本番は、夜の祝宴なのですから」


「はい! いったいどれだけご立派な祝宴であるのかと、今から胸が弾んでしまいます!」


 それはどれだけ期待をかけても、決して裏切られることはないだろう。そのように思えるのは、俺としても誇らしい限りであった。


「ルイアはどうだい? 調理の参考になってるかな?」


「あ、い、いえ、わたしのような未熟者では、とうてい理解が追いつかないのですが……でも、森辺のみなさんの手際には感服するばかりです」


 ルイアもまた情緒が定まらないようであるが、それも森辺のかまど番の熱気にあてられてのことだろう。そしてさらに、調理に携わる人間としての熱意も加算されたように思われた。


 そうして俺たちはのんびり言葉を交わしながら、ランの集落を目指す。フォウの集落からは、歩いて数分の距離だ。ただこの位置関係にも、フォウとランの辿ってきた歴史が関わっているのだという話であった。


「そもそもフォウとランというのは、どちらもそれぞれ異なる氏族の親筋であったのだ。よって、80年の昔には、ランももっと北寄りの場所に集落を築いていたのだが……貧しき生活によって多くの家人を失い、親筋たるランの家にすべての家人がまとめられたわけだな」


 いつだったか、バードゥ=フォウはそんな風に語ってくれた。


「いっぽうフォウの家も、それは同じことであった。そうしておたがいの眷族をすべて失った我々は、滅びをまぬがれるために血の縁を結ぶことに相成った。それでランは、かつてフォウの眷族が暮らしていたもっとも近い集落に居を移すことになったのだ」


 そしてそれは、森辺においてまったく珍しくない話であるという。たとえばルティムやレイなども、かつては他なる氏族の親筋であったのだ。それがモルガの森辺に移り住んでから、ひとつの氏族にまとめられることになり――最終的に、ルウの眷族となって生き永らえることになった。現存する氏族の過半数は、そういう歴史を辿っているのだという話であったのだった。


(最近では、スドラやヴィンなんかがそれにあたるわけだな。それに、俺が森辺にやってくる直前ぐらいに、ラッツはふたつの眷族を家人に迎えたっていう話だったし……現在進行形で、森辺の氏族は縮小のさなかだったんだ)


 しかし現在、森辺におけるすべての氏族は家人が増えつつあるという。豊かな生活と猟犬の導入によって、死亡率よりも出生率のほうが上回ったのだ。もちろん2年半ていどでは、微々たる差に過ぎないのであろうが――その小さな変化こそが、希望の光であるはずであった。


 ルウは間もなく、シンという新たな眷族を生むことになる。他の氏族もそのようにして、新たな眷族を生むことになれば、先細りであった未来が明るく輝くのだ。そうして600名ていどである民の数が2000名にまで増大したならば――そのときこそ、森辺の民はかつての故郷たる黒き森で暮らしていた頃と同じだけの繁栄を取り戻せるはずであった。


(できることなら、ジバ婆さんにもそこまでの姿を見届けてほしいよな)


 俺がしんみりとそんな風に考えたところで、ランの集落に到着した。

 こちらにもルウの血族の狩人たちがいくばくかやってきたようで、フォウの集落と同じように歓談の場が形成されている。それに、まだ幼子たちも外に出ることを許される時間であったため、手空きの若衆に面倒を見られながらきゃあきゃあとはしゃいでいた。


「こちらはフォウの集落よりも、いくぶん和やかな雰囲気でありますね。でも、好ましいことに変わりはありません」


 シェイラもいくぶん落ち着きを取り戻した様子で、しみじみとそんな風に言っていた。案外彼女は、場の空気に左右されやすい気性であるようだ。


 そちらの集落でも、作業は滞りなく進められている。ユン=スドラの班もトゥール=ディンの班も《銀星堂》の面々も、誰もが活力をみなぎらせながら作業に取り組んでいた。そして勉強熱心なルイアは、《銀星堂》にあてがわれたかまど小屋において感嘆の息をついていた。


「こちらの方々は、森辺の方々ともまた異なる手腕を有しておられるのですね。わたしにとっては、こちらのほうがより尋常ならざるように感じられてしまいます」


《銀星堂》の面々は、3名きりでひとつのかまど小屋を占領している。しかしそれでも手狭に感じられるぐらい、彼らは全員が八面六臂の働きを見せていた。なおかつ、全員が白い覆面と調理着を纏った姿であったため、いっそう異様な迫力がかもし出されるようであった。


「これはいちおうロイ個人の行いなのに、やっぱり覆面をつけて作業されるのですね」


 俺がそのように呼びかけると、素晴らしい手さばきで具材を刻んでいたロイが「ああ」と肩をすくめた。


「俺だって、好きこのんでこんな暑苦しい格好をしてるわけじゃないんだけどな。おっかない兄弟子が目を光らせてるんで、どうしようもねえんだよ」


「ですから、これは汗が落ちないようにするための工夫であるのですから――」


「わかってるって。見えないところで眉を吊り上げんなよ」


 そうして口さえ開いてくれれば、いつも通りのロイたちだ。ただやっぱり、彼らは森辺のかまど番ほどの力強さを有していない代わりに、それ以上の緻密さや繊細さを有していた。具材を刻む手や分量をはかる手のひとつを取っても、機械のごとき澱みのなさが感じられるのだ。ルイアは、そういう部分に感服しているのだろうと思われた。


「ルイアは、この場に心をひかれたようだな。では、しばしこちらに留まることとしよう」


 そんな風に言ってから、アイ=ファは凛々しい面持ちで俺にうなずきかけてきた。ほんの数分間の休息で、心の充電を終えたのだろう。そちらに激励の眼差しを返したのち、俺はひとりでフォウの集落に戻ることにした。


 その後は、中天の休憩時間までひたすら作業である。

 中天に至ったならば、昼食と小休止だ。集落に居揃っているすべての人々に簡単な汁物料理をふるまいつつ、俺たちも午後の作業に備えて英気を養うことになった。

 下りの一の刻に至ったならば、作業を再開する。そうしてさらに、二刻ほどが経過すると――町からの客人の第二陣が到着したのだった。


「やあ、アスタ! 今日はよろしくお願いするよ!」


 ドーラの親父さんは、心から楽しそうに破顔している。そしてその周囲には、不愛想な母君と叔父君を含むご家族のすべてと、さらにはミシル婆さんと孫のひとりまでもが参上していた。

 そちらの到着に合わせて、ルウの血族の後続部隊も到着している。それは、ララ=ルウやマイムの付き添いであるシン=ルウとジーダ――そして、ジバ婆さんに他ならなかった。今日はダレイムからも多数の客人を招くということで、ジバ婆さんも招かれることになったのだ。


「ひさしぶり……というほど、日は空いていないけれど……みんな元気なようで何よりだねえ……」


 車椅子のジバ婆さんがそのように挨拶をすると、ミシル婆さんが「ふん!」と鼻を鳴らした。


「そりゃあたかだか7日ていどで、ひさしぶり呼ばわりすることはできないだろうね。だけど、あたしらみたいな老いぼれはいつくたばったって不思議はないんだから、元気だったら何よりの話さ」


 表情や口調は不愛想であるのに、言葉の内容は友好的だ。ジバ婆さんも、嬉しそうに目を細めていた。


「どうも、復活祭ではお世話になりました。今日もよろしくお願いします」


 と、ミシル婆さんの孫たる若者も笑顔でそのように挨拶する。ただ彼も初めての森辺であるため、ぞんぶんに頬を火照らせていた。

 ちなみに彼はギバの生鮮肉が売りさばかれる肉の市の常連であったため、俺もずっと昔に挨拶をした記憶があった。それから2度の復活祭を経て、それなりのご縁を紡がせていただいたのだ。また、肉の市で当番を果たしたことのある女衆とも、のきなみ顔見知りであるはずであった。


 それ以外にも、宿場町からユーミを筆頭とする騒がしい面々が到着している。俺としてはそれらのすべてと挨拶をしたいところであったが、今は仕事のさなかであるし――それに、真っ先に挨拶をしておかなければならない相手が存在した。


「ああ、ガーデルにデヴィアスも、どうもお疲れ様です。無事にお招きすることができて、嬉しく思います」


「うむ! 俺もついに、職務を離れて森辺に足を踏み入れることがかなったからな! まったくもって、感無量だぞ!」


 こざっぱりとした平服姿のデヴィアスが、豪放に笑い声をあげる。そのかたわらで、デヴィアスよりも大柄なガーデルは小さく縮こまってしまっていた。


「ど、どうも、お疲れ様です。きょ、今日はお招きいただき、ありがとうございます。……でも本当に、俺みたいな人間がこのような場に参じてしまって、よろしかったのでしょうか……?」


「もちろんです。デヴィアスともども、どうか森辺の祝宴をお楽しみください」


 俺はめいっぱいの笑顔を届けてみせたが、ガーデルは弱々しく目を伏せているため視界には入らなかったことだろう。俺だってもうそれなりの頻度で顔をあわせているはずであるのに、彼ときちんと目が合ったことは数えるぐらいしか存在しなかったのだった。


「やあやあ。そちらも、ぞんぶんに浮き立っているようだね」


 と――同じくこの時間に到着したカミュア=ヨシュが、レイトやザッシュマとともに近づいてきた。その姿に、デヴィアスが「おお!」と声を張り上げる。


「カミュア=ヨシュ殿に、ザッシュマ殿か! 今日はともに森辺の祝宴を楽しもうぞ!」


「うんうん。まったくもって、楽しみな限りだね」


 カミュア=ヨシュはにんまりと笑いながら、デヴィアスとガーデルの姿を見比べる。しかしガーデルは、やはりカミュア=ヨシュの足もとに視線を落としたまま頭を下げていた。


「あ、あの、先日は兵舎までお越しくださったのに、あまりお相手をできずに申し訳ありませんでした」


「いやいや。俺はお見舞いにうかがっただけだからね。それでそちらの調子を乱してしまったら、本末転倒というものさ」


 カミュア=ヨシュはそういった理由をつけて、ガーデル本人にも面会を求めていたのだ。ただし、ほんの四半刻ていどでガーデルが疲れを訴えてきたのでさしたる収穫はなかったのだと、俺はそのように報告を受けていた。


「そちらも、到着したのだな。本日の祝宴の取り仕切り役として、客人らを歓迎させていただく」


 と、シェイラとルイアの案内を継続していたアイ=ファも、こちらに寄ってきた。その青い瞳が見据えるのはガーデルの姿であったが、やはり即座に反応したのはデヴィアスのほうだ。


「おお、アイ=ファ殿! 本日も凛々しき姿だな! 夜には麗しき宴衣装を期待できるのであろうか?」


「……たった今、なけなしの気力が踏みにじられたところだ」


「いやいや、相すまない! 森辺の習わしというものをなるたけないがしろにしないように心がけるので、何卒よろしくお願いするぞ!」


 アイ=ファは額に手をやって息をついてから、俺のほうに向きなおってきた。


「アスタよ、お前は仕事のさなかであろう。客人の案内は、私に任せるがいい。お前が客人をもてなすのは、夜を迎えてからのことだ」


「うん、了解したよ。それではみなさん、またのちほど」


 俺はアイ=ファにうなずきかけてから、かまどの見回りを再開することにした。

 ついに、役者がそろったのだ。あとはきちんと宴料理を仕上げて、精一杯の思いで客人たちをもてなすばかりであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 森辺の民が困難を乗り越えて活気付いて、盛り上がっていくのがとても嬉しく拝読させていただいています。 [気になる点] デヴィアスの言動が未だに理解出来ない。 借りにも立場ある人間が、よしとは…
[良い点] デヴィアスはほんとデヴィアスだなぁ 登場して数秒でアイ=ファの気力を削ぐとか(笑)
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