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異世界料理道  作者: EDA
第七十七章 銀の月の二つの祝宴
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狭間の日

2023.4/3 更新分 1/1

・今回は全8話の予定です。

 建築屋の送別会の翌日――銀の月の3日である。

 昨晩の祝宴の余熱を少なからず引きずりながら、俺たちはその日も屋台の商売に励むことになった。


 俺の故郷であればまだ三が日に相当する日取りであるが、復活祭の気配はほぼ払拭されたと言っていいだろう。おおよその行商人は昨日の内にジェノスを出立していたし、露店区域からは《ギャムレイの一座》の天幕も撤去されていたし、屋台の賑わいもほぼ平常通りに落ち着いたため、まさしく日常が戻ってきたという心地であった。


 俺の心にはまだ別離の寂しさというものが居座っていたものの、それはひとりでしんみりと噛みしめるしかない。それに、たとえ平常でも屋台が大盛況であることに変わりはないので、俺は感傷にとらわれることなく仕事に打ち込むことができた。


 そこに姿を現したのは、プラティカとニコラのコンビである。

 前日から、彼女たちは森辺にお邪魔したいと表明していたのだ。ちょうど朝一番のラッシュを終えたところであったので、俺は余裕をもって「いらっしゃいませ」と出迎えることができた。


「今日はお早いお越しでしたね。この後は、宿屋の屋台にも出向くのですか?」


「いえ。森辺の屋台、ひさびさですので、今日までは、こちらでのみ、食します」


 研究熱心な彼女たちは、森辺の屋台にも宿屋の屋台にも分け隔てなく通っていたのだ。ただし、復活祭の期間はずっと城下町で過ごしていたので、こうして彼女たちがやってくるのも半月ぶりであるわけであった。


「その後、森辺の集落、来訪すること、了承、もらえたでしょうか?」


「はい。族長にもアイ=ファにも了承をいただいておきましたよ。ファでもルウでもそれ以外の氏族でも、お好きな家にどうぞ」


「では、ファの家、お願いしたいですが……アイ=ファ、気分、害さないでしょうか?」


「もちろんです。そのために、事前に話を通しておいたのですからね」


 通常は、アイ=ファも祝宴の翌日に客人を招くことを嫌がる傾向にある。それは、家人だけで過ごす親密な時間を重んずるがゆえである。しかし、昨日アイ=ファに話を伝えたところ、まったく嫌がる素振りは見せなかった。アイ=ファ自身、プラティカのことを好ましく思っていたし――それに、プラティカたちは晩餐にお招きしてもその後は荷車で就寝するため、眠りの時間は家人だけで過ごせると承知しているのだった。


「では、料理のほうをどうぞ。今日は『ギバの揚げ焼き』ですが、いかがです?」


「はい。では、一人前、お願いします」


 なるべくさまざまな料理を買いつけて、ふたりでシェアする段取りであるのだろう。こんな風に過ごしていれば、プラティカとニコラの絆が深まるのも当然なのだろうと思われた。


 そうしてふたりは両手で持てるだけの料理を買い求め、青空食堂に立ち去っていく。

 それと入れ替わりでやってきたのは、カミュア=ヨシュとレイトとザッシュマのトリオであった。


「やあやあ。今日も寄らせていただいたよ。さすがに屋台のほうも、客足が落ち着いたようだね。……まあ、それでもたいそうな賑わいだけれどさ」


 カミュア=ヨシュも、何やら上機嫌の様子である。

 ただし、俺の関心はレイトに引き寄せられることになった。


「レイトも宿の手伝いは、昨日までだったそうだね。あらためて、復活祭はお疲れ様でした。7日の祝宴は、どうぞよろしくね」


「はい。僕までお誘いいただいて、ありがとうございます」


 レイトは本日も、穏やかな笑顔で内心を隠している。しかし彼とももう2年半のつきあいであるため、今さら気になることはなかった。

 そうしてそちらも手分けをして、さまざまな料理を買いつけていく。そののちに、俺は中天のラッシュを迎えたわけであるが――そちらが一段落したところで、今度はカミュア=ヨシュとレイトがふたりだけで屋台の裏側に回り込んできたのだった。


「やあやあ。料理は美味しくいただいたよ。少しだけ、アスタと語らせてもらってもいいかな?」


「ええ、働きながらでよろしければ。俺に何か、ご用事でしょうか?」


「嫌だなぁ。俺に話を持ちかけてきたのは、アスタのほうじゃないか。ほら、例のガーデルについてだよ」


 俺はガーデルとしっかり絆を結びなおそうと考えているので、世知に長けたカミュア=ヨシュにも意見をいただきたい――俺は昨日の営業中に、そのように伝えていたのだ。


「はあ。それはちょっと、仕事の片手間で話すのが難しいように思うのですが……カミュアは、どのような話をお望みなんです?」


「何もかも、かな。正しい答えを得るためには、正しい情報が必要だからねぇ」


 俺が小首を傾げつつ振り返ると、カミュア=ヨシュはチェシャ猫のごとき微笑をたたえていた。


「えーと……カミュアは何やら、ずいぶん楽しそうなご様子ですね?」


「それはもう。あの外交官殿に似たところのある人間なんて、なかなかお目にかかれないからねぇ。俺は昨日から、好奇心をかきたてられてならなかったのだよ」


「そんな風に期待されると、失望させてしまうかもしれませんね。昨日も言いましたけど、人柄なんかはむしろ正反対なぐらいなんですよ? それだったら、むしろカミュアのほうがフェルメスに似ているぐらいかもしれません」


「ははは。俺が外交官殿に似ているだなんて、恐悦の至りと言うしかないね。俺と彼の共通点なんて、せいぜい人を食った態度ぐらいじゃないのかな?」


「いえいえ。世慣れているところとか見識の深さとか、色々あるじゃないですか。それに……カミュアもフェルメスも、どこか人の世を俯瞰で見ているような面があるでしょう? それはなかなか、他の人にはない特徴だと思いますよ」


「俯瞰とは、また難しい言葉を持ち出したものだね。そんな言葉を持ち出す時点で、アスタにも同じような資質が備わっているのじゃないかな?」


 そんなことはありません――と言いかけて、俺は思いなおすことになった。


「それは俺が、大陸の外から来た人間だからだと思います。俺にとってこの世界は何もかもが新鮮で、物珍しいように思えましたから……それで、もともとこの地に住まっていた人たちとは少し異なる視点が備わってしまったんじゃないでしょうか?」


「ほうほう。それは興味深い分析だね。さあさあ、続けて続けて」


 やはり商売の片手間で話すには、荷が重い話題であるようだ。

 しかしカミュア=ヨシュに助言を頼んだのはこちらのほうであるので、俺もギバ肉をじゅうじゅうと揚げながら頭をひねることにした。


「でも、カミュアやフェルメスはまぎれもなくこの大陸で生まれ育ったのに、すごく俯瞰的ですよね。恐れ多いことですが、四大神だとかこの世界の成り立ちだとかまで、冷静に客観視しているように感じられるので……俺にはそれが、すごく特別に感じられるんだと思います」


「世界の成り立ちだなんて、ずいぶん大きく出たね。そのようなものを探ろうとしているのは、もともと『賢者の塔』の学徒であられた外交官殿ぐらいなんじゃないのかな」


 俺は手もとに視線を向けていたが、カミュア=ヨシュのにんまりとした笑顔が簡単に想像できる声音であった。


「まあ、四大神に関しては……俺も北から西に神を移した身だからねぇ。他の人よりは、ちょっと込み入った部分まで考えることになったのかもしれないね」


「シュミラル=リリンには、そんな気配も見られませんけど……それは、西と東が友好国だからなのでしょうかね」


「うんうん。それに、東の民というのは達観している人間が多いからね。他の王国の民とは、また異なる視点でこの世を眺めているんじゃないのかな」


 なんだか放っておくと、どんどん禅問答のようになってしまいそうな気配である。

 それで俺は、目の前の問題に焦点を当てることにした。


「ですから、こういう話題もガーデルには無縁なように思えるのですよね。ガーデルとフェルメスに似たところがあるというのは、まったく別の部分なんです」


「ふむふむ。それはどういった部分であるのかな?」


「簡単に言うと、俺のことを肩書きで見る面が強いというところでしょうかね。ガーデルは、俺のことを歴史に残る偉人みたいな目で見ていて……生身の俺にはさして興味がないみたいなんです」


 カミュア=ヨシュは興味を削がれた様子もなく、「ほうほう」と相槌を打ってきた。


「確かにアスタは森辺やジェノスの歴史を変えた立場だろうし、今ではそれが西や南の王都にまで波及しているね。それは傀儡の劇の主人公に抜擢されて然りの偉業だろうと思うよ」


「うーん。でも、カミュアだってあの劇に登場してますよね。そもそもあの騒動だって、裏で手を回していたのはカミュアなわけですし……俺から言わせてもらうと、カミュアのほうがよっぽど主人公に相応しいと思いますよ」


「いやいや。俺に務まるのは、場を騒がせる道化者が精一杯さ。しょせん俺なんて、当事者でもないのに横合いからちょっかいを出していた身に過ぎないからねぇ。自らの信念や同胞の行く末を守るために奮闘していたアスタとは、やっぱり立場が異なるのさ」


 そう言って、カミュア=ヨシュはくすくすと忍び笑いをもらした。


「それでガーデルはアスタを英雄視するあまり、飛蝗の騒乱やティカトラス殿の来訪で心を乱すことになったというわけか。確かにアスタにしてみれば、それは看過できない事態なのだろうね」


「ええ、そうなんです。……あれ? 俺はそこまで説明しましたっけ?」


「昨日、宿場町や城下町で情報を収集してみたのだよ。時間だけは、たっぷり持ち合わせていたからね」


 これだから、カミュア=ヨシュというのは油断できない御仁なのである。俺はフェルメスと同じぐらい、カミュア=ヨシュを敵に回してはならないと考えていた。


「ただ、町ではさしたる収穫もなかったね。だから、アスタ本人に聞くのが手っ取り早いと思い至ったのさ。……彼はそれほどに、アスタに執着しているのかな?」


「はい。ティカトラスのときは、熱で我を失っていたのかもしれませんけれど……飛蝗の騒ぎでは、そんな要素もありませんでしたからね。それなのに、護民兵団が予告もなく演習を始めたという情報だけで宿場町に何か起きるんじゃないかと不安になって、仮病を使ってまで俺のもとに駆けつけてくれたんです。これってあんまり、普通の熱意ではないでしょう?」


「うんうん。昔日の大地震の折にも護民兵団は演習を行っていたから、今回も何かあるんじゃないかという不安に陥ったわけだ。裏事情を知らない人間であれば、そこまでの不安を授かることはないだろうね」


「……カミュアはその裏事情をご存じなのですか?」


「それはまあ、そこはかとなくね」


 裏事情とは、アリシュナが星読みの力で異常事態の到来を予見していたという事実である。マルスタインはその言葉を重んじて、ひそかに護民兵団を動かすことになったのだ。しかしそれは、ジェノスでも森辺でもごく一部の人間にしか知らされていないのだから――カミュア=ヨシュの情報収集能力には舌を巻くばかりであった。


「……ガーデルは、そんな裏事情も知らないはずですよね?」


「うん。護民兵団の一兵卒が、そんな裏事情を知るすべはないだろうね。彼は平民の家の出で、上官たるデヴィアス殿よりも身分の高い相手とは何の関わりもないようだから、なおさらにさ」


「カミュアはすでに、ガーデルの出自まで調べあげていたのですか」


「うん。彼は城下町の武器商人の屋敷で働く侍女の子であったようだね。父親のほうは、ちょっとよくわからなかったけど……その屋敷のご近所では、主人が侍女に手をつけて産ませた子なんじゃないかという風評が流れていたよ」


 ガーデルのいない場でそんな話を聞くのは、いささかならず心苦しいことである。

 ただ俺は、ひとつの疑念を抱くことになった。


「あの、ガーデルはすべてのご家族を亡くされているという話であったのですが……その屋敷の主人というのは、まだご存命なんですか?」


「いや。どうやらその武器商人は、大罪人シルエルと手を組んで荒稼ぎしていたようでね。シルエルが処断された時点で商売を続けることが難しくなって、最後には家族もろとも首をくくることになったようだよ。どうもシルエルの配下であった《黒死の風》に武器を流していたのも、その人物であったようだし……罪の露見を恐れたという面も強かったのかな」


 その言葉は、俺に大きな衝撃をもたらした。


「それじゃあ……ガーデルは、俺たちがシルエルの罪を暴いたことで……父親を失うことになったというわけですか?」


「そこの主人が父親だと確定したわけじゃないし、その人物とガーデルの間に親子の情が存在したかどうかも不明だけどね。何せガーデルは侍女たる母親が魂を返したのちも、その屋敷で下男としてこき使われていたようだからね。それで、そんな生活から逃げるようにして兵士を志したようだし……護民兵団に入営したのちも、シルエルから恩恵を授かっていた気配はない。そちらの主人がガーデルを実子として扱っていたならば、もうちょっと陽の目を浴びていたんじゃないのかな」


 俺が言葉を失っていると、ふいにカミュア=ヨシュの声がすぐ背後にまで迫ってきた。


「シルエルはまぎれもなく極悪人であったし、そんなシルエルと手を組んでいた武器商人も同様だろう。だから、俺たちが罪悪感を抱くいわれはないのだろうと思うよ」


「ええ……それはわかってるつもりですけど……でもやっぱり、ちょっと割り切れない気分です」


 俺たちがシルエルの罪を暴くことで、ガーデルの父親と思しき人物が魂を返し――そしてその後、ガーデルが自らの手でシルエルを斬り伏せることになった。そんな錯綜した裏事情など、俺は想像もしていなかったのだった。


「シルエルというのは浅はかな悪党だったけれど、ただ一点、恐怖や暴力や甘言を駆使して他者を操ることを得意にしていた。彼の兄たるサイクレウスも、刑場で巡りあったゲルドの山賊たちも、シルエルの手管で道を踏み外したのだろうからね。であれば、その武器商人もシルエルのせいで身を持ち崩したのかもしれないし……それならガーデルは、父親を悪徳の道に引きずりこんだ仇敵をその手で始末した、とも言えるんじゃないのかな」


 カミュア=ヨシュは俺のすぐ後ろで、そんな風に語っている。今のカミュア=ヨシュは、ジバ婆さんを思わせる透明な眼差しをしているのではないかと思われた。


「まあ、その人物がガーデルの父親だという証もないのだから、こんな言葉を重ねても詮無きことだけどさ。何にせよ、運命を紡ぐのは神々の役割であり、俺たちは自らの正しいと信じた道を進むしかないのだろうと思うよ」


「……ええ。それはわかっているつもりです」


「うんうん。ともあれ、俺もそのガーデルという御仁を看過できない心境になってきたからね。アスタが彼と正しい関係性を結べるように、微力を尽くそうかと思うよ」


 そこでギバ肉が揚がったので、俺はそちらを鉄網に移してから背後を振り返った。


「ありがとうございます。俺も力を尽くしてガーデルと正しい絆を結びたく思いますので、どうぞよろしくお願いします」


「うん。それじゃあ俺は引き続き、城下町で情報を収集してこようかな。今日は護民兵団の宿舎を巡って、彼の人となりやこれまでの行状なんかを探ってみようと思うよ」


 カミュア=ヨシュは深刻ぶらずに朗らかな笑みを残して、レイトともども立ち去っていった。

 油を切ったギバ肉を木皿に移し、焼きフワノと千切りのティノを添えながら、ダゴラの女衆が心配げに呼びかけてくる。


「なんだかますます、話が入り組んできたようですね。わたしなどでは、何のお力にもなれなそうですが……もしも祝宴でガーデルという御方と出くわすことがあれば、わたしも正しく絆を結べるように振る舞いたく思います」


「うん、ありがとう。俺もガーデルが色んな相手と仲良くなれるように取り計らうつもりだよ」


 そうして俺はさまざまな感情に胸の内側を揺さぶられながら、その日の仕事に取り組むことになったのだった。


                    ◇


 その日の、夜である。

 屋台の商売とルウ家の勉強会を終えた後、俺はプラティカとニコラをファの家にお招きすることになった。

 そしてさらに、サリス・ラン=フォウとアイム=フォウとバードゥ=フォウも参じている。サリス・ラン=フォウたちはもともと留守番をしてくれていたので、プラティカたちがやってくるようであれば一緒に晩餐をいかがでしょうとお誘いしていたのだ。それで帰り道の御者役としてやってきたのが、サリス・ラン=フォウの義理の父親たるバードゥ=フォウであったわけであった。


「……なるほど。ガーデルなる者は、そのような裏事情まで抱えていたのだな」


 しみじみと息をついたのは、バードゥ=フォウである。彼は4日後に迫った祝宴の取り仕切り役であったため、日中にカミュア=ヨシュから聞いた話を余さずお伝えすることになったのだ。


「まあ、何も確証のある話ではないので、裏事情とまでは言えないかもしれませんが……それが事実だとしたら、ずいぶん運命が錯綜していたようです」


「うむ。父なる人間が誰かも判然としないだの、伴侶ならぬ相手に子を産ませるだのというのは、やはり俺たちの耳には馴染まない話だな。……城下町では、こういった話も珍しくはないのだろうか?」


 バードゥ=フォウが何気なく呼びかけると、黙々と食事を進めていたニコラの顔が一気に強張った。

 プラティカが心配そうにそちらを振り返ると、ニコラは何度か深呼吸をしてからバードゥ=フォウに向きなおる。


「ええ。決して珍しい話ではないように思います。わたしの姉テティアも……父が、侍女に産ませた子でありますので」


 俺は仰天して、木皿を落としそうになってしまった。ニコラがもともと貴族であったという話は聞き及んでいたが、姉たるテティアがそのような出自であったとは寝耳に水であったのだ。


「……そうか。ニコラの気分を害してしまったのなら、詫びさせてもらいたく思う」


「いえ。ジェノスの貴き方々の間では知らぬ者もない話ですので、何も隠し立てするいわれはありません。森辺の方々には返しきれないほどの温情を賜っているのですから、なおさらです」


 ニコラは普段以上に引き締まった面持ちで、そのように言いつのった。


「それに、わたしの家とそちらのガーデルなる御方の家では、ずいぶん事情が違っているのでしょう。わたしの姉テティアはそういった出自でありましたが、正式な世継ぎとして認められていたのです。本来の伴侶はわたしの母でしたが、そちらに子が生される見込みが立っていなかったため……テティアが次代の当主と定められていたのです」


「ほう。こうしてお前が生まれたのちも、その取り決めに変わりはなかったのであろうか?」


「ええ。わたしの両親やテティアの母が魂を返し、一時的に当主となった祖母が乱心するまでは。……そちらの祖母も魂を返し、わたしの家は潰えましたので、今となっては語る価値もない話ですが」


 そんな風に言ってから、ニコラは光の強い目を俺のほうに向けてきた。


「アスタ様。その武器商人の主人というものに、世継ぎは存在しなかったのでしょうか?」


「さあ、そこまでは聞いていないのですが……それがどうかなさいましたか?」


「もしも世継ぎがいなかったのなら、そのガーデルなる御方もテティアと同じように世継ぎとして認められていたのではないかと思うのです。貴族にせよ商人にせよ、城下町の民であれば何より家の存続というものを重んじるでしょうからね」


 毅然と胸を張りながら、ニコラは言葉を重ねていく。


「その逆に、もしもきちんとした世継ぎが存在したのなら……侍女に産ませた子などというものは、さぞかし迫害されることでしょう。その御方が主人に重宝された気配もないというのなら、やはり正式な伴侶との間に嫡子が存在したのだろうと思われます」


「ああ、なるほど……城下町では、それが一般的な考えであるのですね」


 俺はまた感情を揺さぶられて、深く息をついてしまう。

 そこで「しかし」と声をあげたのは、アイ=ファであった。


「もしもガーデルが世継ぎと認められていたならば、兵士を志すこともなく、家の滅びとともに魂を返していたのやもしれん。あるいは、父親ともども悪徳の道に引きずり込まれていたのやもしれん。何を幸いと思うかは、本人にしか判じられないことであろう」


「うん……そもそも、ガーデルが主人の子だっていう確証もないわけだしな。でもやっぱり、ずいぶん入り組んだ境遇であるように思えてしまうよ」


「うむ。ガーデルがいささかならず奇妙な人間に育ってしまったのは、そういう苦難に満ちた生を送っていたためなのかもしれんな」


 凛然とした面持ちで語りながら、アイ=ファはふっと優しげな眼差しになった。


「ともあれ、過去の話をどうこうすることはできん。我々にかなうのは、これからガーデルと正しき絆を深めることのみであろう」


「うむ。話を聞く限り、そのガーデルなる者は決して悪しき心は持っていないようであるからな。アスタばかりでなく、森辺の民は全員がガーデルに恩義のある身であるのだから、力を尽くして絆を深めるべきであろう」


 バードゥ=フォウがそのように語ると、これまで聞き手に徹していたサリス・ラン=フォウも発言した。


「ニコラと、それにプラティカにもおうかがいしたいのですが……城下町において、ガーデルというのはどういった扱いなのでしょうか? そのお人は、大罪人を処断した功労者であるのでしょう?」


「ええ。ですが、わたしがその御方の名を耳にしたのは、これが初めてとなります。大きな役目を果たした兵士には、きっと勲章や褒賞などが与えられるのでしょうが……それは貴族や兵団の内で済ませる話であり、市井にまで伝わることもないのでしょう」


「はい。兵士、悪人、処断する、職務ですので。取り立てて、話題、ならない、思います」


「そうなのですね。ではきっと、わたしたちがその分までガーデルというお人に感謝するべきなのでしょう」


 サリス・ラン=フォウはしんみりと微笑みながら、愛息の小さな頭に手を置いた。


「大罪人シルエルに逃亡を許していたら、わたしたちはどれだけ不安な心地で日々を送ることになっていたか……想像すると、わたしは背筋が寒くなってしまうのです。大切な家人らがそのような不安に見舞われることもなく、健やかに過ごせていることを、わたしは何より得難く思っています」


「それはまさしく、その通りであろうな。スン家の大罪人が逃亡した折も、俺たちはひとときも気を休めることがかなわなかったのだ。もしもあのような日々が、1年や2年も続いていたのなら……我々は、思わぬ形で滅びを迎えていたかもしれん」


 そのように語りつつ、バードゥ=フォウも孫のほっそりとした肩に手を置いた。

 母と祖父からそのような扱いを受けて、アイム=フォウは嬉しそうに視線を巡らせている。幸いなことに、3歳の身ではこちらの話もうまく理解できなかったようであった。


「ではまず、4日後の祝宴だな。おたがい取り仕切り役として励もうぞ、アイ=ファにアスタよ」


「うむ。ガーデルを含めたさまざまな相手と絆を深めようというのが、このたびの祝宴の本懐であるからな。バードゥ=フォウとともにこのような大役を果たせることを、心強く思う」


 そうして俺たちは、4日後に迫った親睦の祝宴に向けて、新たな意欲をかき抱くことに相成ったのだった。

◆書籍版第30巻発売記念キャンペーンについて


このたび書籍版の第30巻発売を記念して、キャンペーンが開催されることになりました。

さしあたって、当作に関する質問を募集しておりますので、ご興味を持たれた御方はよろしくお願いいたします。

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2023.4/29追記

・4/28をもちまして質問の受付期間は終了いたしました。ご参加くださった皆様、ありがとうございました。

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https://questant.jp/q/ryouridouq30


その他、壁紙のプレゼント等の企画も予定しておりますので、随時あとがきや活動報告などで告知させていただきます。


なお、第30巻の発売は2023年5月を予定しております。

当作がここまで巻数を重ねることができましたのは、ひとえにご愛顧くださる皆様のおかげでございます。

この場を借りまして、御礼の言葉を申し述べさせていただきます。


ではでは。引き続き、当作をお楽しみいただけたら幸いでございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 書籍版30巻発売(予定)おめでとうございます! 長らく読ませていただいているこちらの作品が、 本という形で世に残ることがとても嬉しいです。
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