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異世界料理道  作者: EDA
第七十七章 銀の月の二つの祝宴
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建築屋の送別会⑥~さらなる交流~

2023.3/19 更新分 1/1

 俺とアイ=ファとリミ=ルウは、チル=リムとディアとともに祝宴の場を目指した。

《ギャムレイの一座》の見事な芸で、広場はいっそうわきかえっている。さらに、ピノとドガとロロの3名が広場の中央に引っ張り出されて力比べの開始が告げられると、さらなる歓声が夜空にこだましたのだった。


「森辺の方々というのは、本当に力比べというものを重んじているのですね。そうだからこそ、卓越した力を育むことができるのでしょうか」


「うん。もちろん身体面の素養っていうのも大きいんだろうけど、それ以上に向上心や意志の力が重要なんだろうね。俺なんかは見習うばかりだよ」


 そんな風に応じながら、俺はフードに隠されたふたつの小さな頭を見下ろした。


「ところで……ふたりはやっぱり顔を隠しているんだね。今日は南の客人しかいないから、チルの目の色にさえ気づかれなければ問題はないんじゃないかな?」


「ふん。ディアはチルと出会う前から、こういう姿で過ごしているのだ。じろじろと顔を見られるのは、愉快ならぬ気分だからな」


 ディアは両方の頬に大きな火傷の痕があるため、それを人目にさらさないようにしているのだろう。確かにディアは初めて出会った頃から、フードと襟巻きで顔を隠していたのだった。


「しかし、チルについてはもっともだな。そのために髪の色まで変えているのだから、この場で顔を隠す必要はあるまい」


「はあ……わたしもこういった姿で過ごすのが日常になっていたため、ちょっと気恥ずかしいような心地なのですよね」


 そんな風に言いながら、チル=リムはそろそろとフードを外した。もともと彼女は栗色の髪をしていたが、それを隠すために黒く染めているのだ。

 さらに襟巻きを首のほうにずらすと、玉虫色のヴェールだけが残される。そうしてチル=リムはいくぶん頬を染めながら、俺の顔を見上げてきた。


「……やっぱり、気恥ずかしい心地です。どこか珍妙ではないですか?」


「何も珍妙なことはないさ。俺だって、おそろいの髪色だしね」


 俺が笑顔を届けると、チル=リムもおずおずと微笑んだ。

 広場の中央では、ついに力比べが開始されている。ピノとロロは剣技、ドガは素手の取っ組み合いだ。ロロの相手はラウ=レイ、ドガの相手はジィ=マァムで、ピノの前にはラッツの家長が立ちはだかっていた。


 そうして中央にスペースを空けるために、広場の外周はいっそうの人混みになってしまっている。それをかきわけながら手近な簡易かまどを目指すと、横合いから「おお!」と大きな声を投げかけられた。


「アスタにアイ=ファ! ようやく顔をあわせることができたな! さあさあ、こちらでゆっくりしていくがいい!」


 それは、我らがダン=ルティムであった。もう祝宴が始まってから一刻ぐらいは経過しているのに、これが初のお目見えであったのだ。

 ダン=ルティムは簡易かまどの横手に敷かれた敷物に陣取っており、ガズラン=ルティム、ディック=ドム、モルン・ルティム=ドムの3名と、さらにアルダス、デルス、ワッズ、バラン家の長男という楽しい顔ぶれが居揃っていた。


「出発早々、お招きされちゃったね。せっかくだから、少しだけ寄らせていただこうか?」


「はい。わたしはアスタのご判断に従います」


 チル=リムは、屈託のない笑顔を返してくる。普段はフードと襟巻きで隠されている表情であるので、俺は心から幸福な気持ちであった。


「おお、旅芸人の娘たちも連れだっておったか! 何も遠慮する必要はないので、ぞんぶんにくつろぐがいい! 南の客人らも、文句はなかろう?」


「もちろんさ! さっきはあれだけ立派な芸で楽しませてもらったからな!」


 長男は、いい具合に酩酊しているようである。その酒気に染まった顔を見返しながら、ディアが「ふむ」とつぶやいた。


「王国の民には旅芸人を蔑む人間も多いと聞くが、そのような心配は無用のようだな」


「おうよ! 旅芸人なんてのは得体が知れねえが、森辺の人らが懇意にしてるんなら悪い連中じゃねえだろうしな!」


 ということで、俺たちもそちらの敷物にお邪魔することになった。

 次に発言したのは、笑みくずれたワッズである。


「それにしても、アイ=ファは立派な宴衣装だなあ。お城の祝宴でも大層な姿だったけど、それに負けねえ姿だよお」


「ああ、ワッズとデルスも礼賛の祝宴に参席されていたのでしたね」


 ガズラン=ルティムが穏やかに応じると、ワッズは「そうだよお」と果実酒をあおった。


「でも、森辺の娘っ子は別嬪ぞろいだからなあ。貴婦人だらけだったお城の祝宴より、今日のほうが華やかに感じるぐらいだよお。こいつはますます酒が進んじまうなあ」


「ふん。調子に乗って、追い出されるなよ。森辺の民というのは、ただ見目がいいだけの連中ではないのだからな」


 デルスは皮肉っぽく笑いながら、相棒をたしなめる。そしてその目が、用心深そうにディアのほうを見た。


「しかし……祝宴の場でそのように顔を隠されるというのは、落ち着かん気分だな。後ろめたいところがないならば、お前さんも素顔をさらしたらどうだ?」


「ふむ。ディアが顔を隠して、何か都合の悪いことでもあろうか?」


「旅芸人が蔑まれるのは、おおよそ三つの理由からだ。そのひとつは、旅芸人の中に悪人がひそんでいるからだな。食い詰めた旅芸人が行商人を襲うというのは、珍しい話じゃない。だから、顔を隠した旅芸人なんてのは、余計に警戒されちまうもんなんだよ」


「なるほど。そもそもディアは、旅芸人ならぬ身であるのだが……どうせ腹を満たすには、顔をさらす必要があるからな」


 そんな風に語りながら、ディアはフードをはねのけた。そうして真っ赤な炎のごとき髪をさらしたのち、襟巻きを首のほうにずりおろす。それで大きな火傷の痕がさらされると、バラン家の長男がひとりで身をのけぞらせた。


「な、なんだ、ひでえ傷痕だな。それで顔を隠してたのか。……こいつは、叔父貴の配慮が足りてなかったんじゃねえか?」


「ふん。傷痕のひとつやふたつで、人間の価値が変わることはない。それよりも、無法者と疑われるほうがよっぽど損だろうさ」


 デルスは涼しい顔で、大きな鼻を撫でさすった。


「しかしそいつは、奇妙な傷痕だな。それこそ無法者にでもとっつかまって、拷問でもされたのか?」


「いや。ディアは無法者に後れを取ったりはしない。ディアは故郷を捨てるために、一族の証である刻印を消し去る必要があったのだ」


「一族の証? ずいぶん奇妙な習わしだな。そういえば、森辺に居座っていた聖域の民というのは、顔に大きな刻印があったはずだが――」


「捨てた故郷について語らう必要はあるまい。今のディアは西方神の子で、《守護人》を生業にしている」


 そんな風に応じながら、ディアはそわそわと身を揺すった。


「ところで、ディアはまだまったく腹が満たされていないのだ。この場の宴料理を口にしても許されるのであろうか?」


「もちろんだとも! 思うさま喰らうがいいぞ!」


 ダン=ルティムの言葉を受けて、ディアはひょいひょいと宴料理をつまみ始めた。この場に準備されていたのは、乾酪たっぷりのピザと、エビチリならぬマロール・チリ、そして麻婆チャンというラインナップであった。


「……ところで先刻、旅芸人が蔑まれる理由は三つあると仰っていましたね」


 と、ガズラン=ルティムがデルスに呼びかけた。


「旅芸人はひとつところに留まらず、畑を耕すことも税を納めることもないため、王国の民に蔑まれるものだと聞き及んでいました。なおかつ、中には本物の悪人もひそんでいるために警戒されるのだとすると……残りのひとつは、何なのでしょう?」


「ふふん。それはな、他人を見下して悦に入る人間が多いということだ。人間というのは、自分が最下層であるなどとは決して認めたくないものであるからな。そういう連中が、旅芸人を蔑むことで自尊心を保っているのだろうさ」


 デルスは人の悪い笑みを浮かべながら、そのように言いたてた。


「それに、旅芸人というのは何の苦労もなくのらくらと暮らしているように見えるものだからな。だからいっそう、あれは卑しい人間なのだと見下していないと、自分が惨めになってしまうのだろうさ。ま、銅貨に困っていない俺には、無縁の話だ」


「なるほど……それは意想外の話でありました。デルスの見識の深さに感服いたします」


「ふん。かつては森辺の民も、同じような目で見られていただろうにな。旅芸人も森辺の民も、他者の目などは気にせずに自分たちの流儀だけで生きているということなのだろうさ」


 そんな風に語りながら、デルスはいっそうせわしなく鼻を撫でた。


「しかし、森辺の民は森辺を飛び出して、外の連中と交流し始めた。それで多くの富をつかむのと同時に、さまざまな苦労を背負い込むことになったのだろうよ。しかも、自分たちの流儀は決して曲げないように振る舞っているのだから、なおさらにな」


「ええ。大きな喜びを得るためには、大きな苦労を負う必要もあるのでしょう。それでも喜びのほうがまさっているからこそ、我々も迷うことなくこの道を進めるのだと思います」


 すると、ダン=ルティムが呵々大笑しながら愛息の背中をばしばしと叩いた。


「隙を見せると、お前さんは堅苦しい話題を持ち出してしまうな! それもお前さんの美点であろうが、今は祝宴を楽しむがいいぞ!」


「まったくだ! 叔父貴もいきなり真面目くさったことを語りだすもんだから、たまげちまったぜ!」


「ふん。いっぱしの商売人ってのは、どんな浮かれた場でもちっとは頭を回しておくもんなんだよ」


 デルスは鼻から手を離し、すました顔で果実酒をあおる。彼がトレードマークである大きな鼻をいじくるのは真剣になっているサインであるので、決して軽口を叩いていたわけではないのだろう。ガズラン=ルティムの清廉な人柄が、デルスの内にひそむ何らかの思いを引き出したのではないかと思われた。


 そこでいきなり大きな歓声があがったため、俺は思わず首をすくめてしまう。何事かと思って背後を振り返ると、へっぴり腰のロロがラウ=レイの咽喉もとに袋剣を突きつけていた。いっぽうラウ=レイは徒手であり、足もとに袋剣が落ちている。おそらくは、ロロの剣技で袋剣を手放すことになってしまったのだ。


 そこに、硬い音色と重々しい音色が続く。

 硬い音色はラッツの家長の手から袋剣が弾き飛ばされた音で、重々しい音色はドガが地面に押し倒された音であった。


「おお! 勝利できたのは、ジィ=マァムだけか! 剣技の勝負は、分が悪いようだな!」


「ええ。《ギャムレイの一座》の面々は、剣技で無法者を退けているのでしょうからね。我々よりも、人間相手の剣技に長けているのだと思われます」


 ルティムの父子のやりとりに、ディアは「ふん」と鼻を鳴らした。


「ピノやロロはすばしっこいので、ディアでもいささかならず手こずると思うぞ。それでも取っ組み合いなら負けることもなかろうに、わざわざ不利な勝負を挑むとは酔狂なことだな」


「不利な勝負に打ち勝ってこそ、またとなき力が育まれるものであるからな。俺の血族も、《ギャムレイの一座》のおかげで大きく成長できたように思う」


 ディック=ドムが重々しい声で応じると、チル=リムがおずおずとそちらを振り返った。


「そ、そういえば、復活祭ではあなたの妹さんたちがこちらの座員に挑んでいたのですよね。さきほどは、たくさんのギバ肉をありがとうございました」


「それは力比べを了承してもらった感謝の品なのだから、礼には及ばない」


 ディック=ドムは厳然たる態度であるが、その眼差しは澄みわたっている。それでチル=リムも、嬉しそうに微笑むことになった。


「それにしても、森辺の人らに勝てるなんてすげえなあ! 森辺の狩人ってのはトトスに乗る手際だけじゃなく、剣士としても一流なんだろう?」


「一流どころか、化け物の類いだよお。俺なんて、見習いの小僧っ子ぐらいしか勝てそうにねえからなあ。あの旅芸人どもも、十分に化け物だあ」


 間延びした声で語りながら、ワッズは果実酒を口にする。彼も立派な剣士であるため、森辺の狩人の力量を十分にわきまえているのだ。


「そういえば、お前さんは旅芸人じゃなく《守護人》だって名乗ってたなあ。お前さんも、化け物の部類だろお?」


「化け物とは、妖魅のことか? よくわからんが、ディアも剣の腕は磨いている。しかし……この場に座している森辺の面々は、平地でやりあっても勝てる気がせんな」


「ああ。この場に居揃ってるのは、化け物の筆頭格だろうからなあ。あんたたちなら、あの旅芸人どもにも勝てるんじゃねえかあ?」


「うむ! 今日は酒と料理を楽しみたい気分なのでな! 力比べは、ラウ=レイたちに任せるとしよう!」


 そのラウ=レイは、昂揚しきった様子でロロに詰め寄っている。きっと、再度の勝負を願っているのだろう。しかし、力比べを望む狩人は山ほど控えていたため、今はそちらに席を譲るしかないようであった。

 そうして対戦相手を変えながら、力比べは続行される。それを横目に、俺たちは歓談にふけることになった。


「そういえば、余興の間はチルも姿が見えなかったね。ずっとライラノスの面倒を見ていたのかな?」


「いえ。裏のほうで、ディアやゼッタとともに小道具の準備をしていました。まあ、それほど果たすべき仕事はないのですが……わたしなどは、本当に役立たずですので」


「いやいや。見世物には、そういう裏方も大事なんだろうしね。ゼッタなんかとも、交流は深まったのかな?」


「いえ。ゼッタはごく限られた相手としか口をききませんので……まあ、それはほとんどの方々がそうなのですけれど」


 そんな風に言ってから、チル=リムはにこりと微笑んだ。


「でもそれは、座員の方々が寡黙であるというだけのことです。たとえ口をきく機会は少なくとも、ともにあれるだけで安らいだ心持ちですので……心配はご無用です」


「そっか。チルももう立派な座員なんだね。それを何より嬉しく思うよ」


「ありがとうございます」と、チル=リムも嬉しそうに目を細める。彼女がこうして笑顔でいられるだけで、俺は満ち足りた心地であった。


「ねーねー! リミはまた、お菓子が食べたくなっちゃった!」


 そんなリミ=ルウの言葉をきっかけにして、俺たちは腰を上げることになった。どんなに楽しかろうとも、やっぱり俺はあちこち巡っているほうが性に合っているのだ。ダン=ルティムらも、そんな俺の性分を尊重してくれた。


「では、またのちほどな! 旅芸人の娘らも、ぞんぶんに祝宴を楽しむがいい!」


 もちろんダン=ルティムたちは、チル=リムの境遇をしっかりわきまえている。その上でそんな言葉をかけてくれるのが、ありがたい限りであった。

 そうして俺たちは、あらためて広場に足を踏み出す。ディアは襟巻きで頬の火傷を隠しつつ、真っ赤な頭はさらしたままにしていた。


「それにしても、森辺の祝宴というのは大層な熱気だな。200人ていどの人間が集まっているという話だったが、その倍以上の人数が押し寄せているかのようだ」


「うん。ディアも故郷を思い出したりするんじゃないのかい?」


「ディアの故郷で、これほどの人数が集まることはそうそうなかった。……それに、捨てた故郷について語る気はないぞ」


 金色の目でじろりとにらまれてしまったので、俺は「ごめんごめん」と笑ってみせた。

 その間に、また人々の間から歓声が吹き荒れる。ここまで何名もの狩人を返り討ちにしていたロロが、ついに敗北を喫したのだ。その相手は、ルド=ルウに他ならなかった。


「わー、ルドが勝っちゃったー! ラウ=レイは、いっそう悔しがっちゃうねー!」


「うん。やっぱりルド=ルウは強いねえ。ルウの血族の勇者の中でも、指折りなんじゃないのかな」


「えへへ。ルドも、すばしっこいからねー!」


 大好きな兄が勝利したことで、リミ=ルウはいっそう足取りが軽くなったようである。アイ=ファもこっそり微笑みながら、そんな旧友の赤茶けた髪を撫でていた。

 そうしていくつかの簡易かまどを素通りしつつ、俺たちは菓子を出している場所に辿り着いた。そちらで働いていたのは、ユン=スドラとフェイ=ベイムだ。


「おふたりとも、お疲れ様です。ユン=スドラは、最初から働きっぱなしだったのかな?」


「働くと言っても、菓子を並べるだけのことですので。この場にもさまざまなお人が来られるので、交流を深めるのにも不自由はありません」


 灰褐色の髪を自然に垂らして、宴衣装を纏ったユン=スドラが、朗らかな笑みを返してくる。同じく宴衣装のフェイ=ベイムは、相変わらずの勇ましい面持ちでロールケーキを並べていた。


「フェイ=ベイムは、こちらの当番ではなかったですよね。それなのに、仕事を手伝ってくださっているのですか?」


「ええ。祝宴が開始されてからは為すべき仕事もなかったので、いささか落ち着かない心地であったのです。自らの望みで為していることですので、お気遣いは無用です」


「ありがとうございます。それじゃあ俺たちも、菓子をいただきますね」


 台の上にはガトー・ラマンパとアール仕立てのスイート・ノ・ギーゴ、それに各種のロールケーキが並べられている。俺はまず、チル=リムたちにそれを紹介してみせた。


「これが俺たちの作りあげた菓子だよ。チルはこれまで、あんまり菓子を食べたことがなかったんだっけ?」


「はい。故郷では、甘い果実をかじるぐらいでしたので……屋台で菓子を口にしたときは、心から驚かされることになりました」


 そのように語るチル=リムは、玉虫色のヴェールごしにも瞳をきらめかせているのがわかった。いっぽうディアは、興味なさげな面持ちだ。


「ディアはそれほど、菓子というものに心をひかれない。他の料理を食するために、胃袋を空けておこうと思う」


「うん、了解。アイ=ファだって、菓子にはそれほど興味がないもんな」


「そうだな」と応じつつ、アイ=ファはロールケーキに手をのばした。幼子たちの集められていた場所では、ガトー・ラマンパとスイート・ノ・ギーゴしか口にしていなかったのだ。同じ立場であった俺も、アイ=ファにならうことにした。


 ロールケーキは、キイチゴに似たアロウ仕立て、ブルーベリーに似たアマンサ仕立て、夏みかんに似たワッチ仕立ての3種を準備している。ガトー・ラマンパとスイート・ノ・ギーゴがとろけるような甘さであるため、ロールケーキはいずれも果実の風味を活かしたさっぱり仕立てだ。そのあたりの配分も、トゥール=ディンのセンスにゆだねられていた。

 そんなロールケーキを頬張ったチル=リムは、ぱあっと顔を輝かせる。


「こちらの菓子は、とても美味しいです! 屋台の菓子も素晴らしいですけれど、やっぱり祝宴だといっそう手がこんでいるようですね!」


「うん。屋台でこういう菓子を出すのは、ちょっと手間だからね。他の菓子も、素晴らしい出来栄えだよ」


「ほう。アスタが自分の作ったものを褒めそやすのは珍しいように思えるな」


「ああ、これはトゥール=ディンの取り仕切りで作りあげたものだから、俺も心置きなく自慢できるんだよ」


 俺がディアの疑念に答えると、チル=リムが幸せそうに微笑んだ。


「でも、アスタもともに手掛けたのですよね? ジェノスを離れる最後の夜に、アスタが手掛けたものを口にすることができて……とても嬉しく思います」


「……ありがとう。そんな風に言ってもらえる俺のほうこそ、嬉しいよ」


 身長差のある俺たちは、上と下から微笑を交わすことになった。

 そこに、いくつかの人影が近づいてくる。ユン=スドラたちの背後に控えていた狩人たち――ライエルファム=スドラにモラ=ナハム、そしてベイムの家長である。


「アスタたちも、ようやく会えたな。今はチルたちの案内か」


「はい。みなさんも、お疲れ様です」


 ライエルファム=スドラは鎮魂祭でも復活祭でもチル=リムたちと縁を紡いでいたので、いつも通りのたたずまいだ。しかし、ベイムの家長は探るような目でチル=リムとディアの姿を見比べていた。


「そちらも祝宴を楽しんでいるようだな。……宿場町でも正体が露見することはなかったようで、幸いだ」


「はい。森辺のみなさんのおかげで、何事もなく復活祭を終えることができました」


 チル=リムが面を引き締めて一礼すると、ベイムの家長もまた眼光をいっそう鋭くした。


「俺たちは、見て見ぬふりをしたに過ぎない。それでも俺たちの気性や習わしにそぐわぬ話であることは確かだが……苦労と呼ぶほどのことではなかろう。お前は多くの人間に健やかな行く末を願われているのだとしっかりわきまえながら、今後も心正しく生きてもらいたい」


「はい。こういう場でしか口にすることは許されませんが、みなさんに対する感謝の念を忘れたことはありません。今後も決して道を踏み外したりはしないと、魂にかけて誓います」


 ベイムの家長はしかつめらしく、「うむ」と首肯する。

 すると、リミ=ルウが両手につまんだガトー・ラマンパをそれぞれチル=リムとベイムの家長に差し出した。


「チルは、絶対に大丈夫だよー! それじゃあ、はい! みんなでヨロコビをわかちあおー!」


「……俺はすでに、こちらの菓子を食しているのだが」


「アスタたちも余分にいーっぱい作ったっていうから、いくつ食べても大丈夫だよー! あまっちゃったら、誰かがまとめて食べることになっちゃうしねー!」


 ベイムの家長は、いかにも渋々といった様子でガトー・ラマンパを受け取った。が、彼は壮年の男衆としては指折りで甘党であるのだ。ガトー・ラマンパを口にしたベイムの家長は、こらえかねた様子で「ふむう」と鼻息をこぼした。

 いっぽうチル=リムは、びっくりまなこになっている。彼女はこの場で初めてガトー・ラマンパを口にすることになったのだ。


「こ、これはとてつもなく甘いですね。それに、これまで口にしたこともない味わいなのに……どこか懐かしいような気持ちにもとらわれます」


「これはラマンパをいーっぱい使ってるからねー! ラマンパだったら、チルも食べたことがあるんじゃない?」


「ああ、言われてみれば、これはラマンパの風味であるようです。ラマンパを、このような菓子に仕上げられるのですね……」


 チル=リムは感じ入った様子で胸もとに手を置きながら、正面にたたずむベイムの家長に微笑みかけた。


「本当に、言葉にならないぐらい美味しいです。このような喜びをみなさんと分かち合うことができて、心から嬉しく思います」


「……うむ。俺たちは、ともに苦難を乗り越えた仲なのだろうしな」


 ベイムの家長は仏頂面を保持したまま、スイート・ノ・ギーゴをも口に放り入れた。


「こちらも甘さでは負けていない。まだ口にしていないのなら、確かめてみるがいい」


「ありがとうございます」と、チル=リムも同じ菓子を頬張った。

 そこに、「アスター!」という元気な声を投げかけられる。振り返ると、ディアルにラービスにバラン家の末妹、それにララ=ルウとシン=ルウが近づいてくるところであった。


「やあ。ディアルたちは、ララ=ルウと一緒だったんだね」


「うん! あちこちで、色んな人たちと語らったけどねー! アスタたちと会うのに、ずいぶん時間がかかっちゃった!」


 ディアルも末妹も、ぞんぶんに頬を火照らせている。ラービスやシン=ルウが保護者のように見えるのは当然として、この際は年少のララ=ルウさえもが頼もしいお姉さんのように見えてしまった。


「また甘いものが食べたくなって、来ちゃったんだー! まだひとつまみずつしか食べてないから、もっと食べても大丈夫でしょ?」


「ええ。数にはゆとりがありますので、お好きなだけどうぞ」


 ユン=スドラの返答に、ディアルは「やったー!」と腕を振り上げる。俺と同い年とは思えない無邪気さだ。そうして台に手をのばしかけたディアルはチル=リムたちの存在に気づいて、「んー?」と小首を傾げた。


「あんたたちは、誰だっけ? 今日は南の民しかいないはずだよね?」


「彼女たちは、《ギャムレイの一座》の関係者だよ。そういえば、ディアルは初対面だったよね」


「へー! 旅芸人に、こんな可愛らしい娘っ子もいたんだねー! 僕は鉄具屋のディアルで、こっちはラービスだよ! 森辺の人らが懇意にしてるなら、僕たちのこともよろしくねー!」


 ディアルも旅芸人を蔑むような気質ではないようなので、俺はほっと息をついた。チル=リムもまた、嬉しそうな面持ちで一礼する。


「はじめまして。今後も顔をあわせる機会はそうそうないかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします」


「うん! さっきの芸も、すごかったからねー! 城下町でも、あんな見事な芸を見たことはなかったよ! 機会があったらゼランドまで出向いて、僕の家族にも芸を見せてあげてほしいなー! 妹たちなんて、絶対に大喜びするから!」


「ゼランドですか。のちほど、座長らにお伝えさせていただきます」


 ディアルたちの登場で、その場の空気は一気に華やぐことになった。

 しかし、ベイムの家長らも口をつぐみつつ、身を引こうとはしない。ベイムの家長もモラ=ナハムも外界の民との交流を苦手にしているのであろうが、それでも決して逃げようとはしないのだ。その心意気も、立派なものであった。


「君も祝宴を楽しめているみたいだね」


 俺がそのように呼びかけると、バラン家の末妹は満面の笑みで「うん!」とうなずいた。


「今日は『滅落の日』と同じぐらい楽しいよ! 森辺の人らは、年に何回もこんな祝宴を楽しんでるんだってね! なんか、羨ましくなっちゃうなー!」


「うん。でも、町で暮らしていても、婚儀の祝宴とかはあるんだろう?」


「そんなのはたまにの話だし、こんな盛り上がることはそうそうないからねー! これだったら、森辺に婿入りしようなんて考える人間が出てきてもおかしくないように思えちゃうよ!」


 彼女もシュミラル=リリンとは面識があるはずなのだ。ただし、シュミラル=リリンは森辺の祝宴に招かれる前から婿入りを決断していたわけであるが――そんな話は、些末なことであった。森辺に魅了されたという意味において、そこに大きな違いはないはずなのだ。


(俺だって、それは同じことだからな)


 俺はまず、アイ=ファの存在に魅了された。そののちに、森辺の生活や祝宴の素晴らしさを思い知らされることになったのだ。魅力的な人間が数多く寄り集まっているからこそ、魅力的な空間が形成され――そして、魅力的な空間であるからこそ、魅力的な人間が育まれるのだろう。


(それなら、おやっさんたちを育んだのはネルウィアっていう土地なわけだし……チル=リムはこれから、《ギャムレイの一座》っていう空間で育まれていくんだろうな)


 そんな人々が一堂に会しているからこそ、今この熱気が生み出されているのだ。

 それこそが、ガズラン=ルティムがさきほど述べていた大きな喜びに通じるのだろうと思われてならなかった。

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