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異世界料理道  作者: EDA
第七十七章 銀の月の二つの祝宴
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建築屋の送別会⑤~余興~

 シーラ=ルウたちに別れを告げて、本家の母屋をあとにしたのちは、そのすぐそばの敷物でくつろいでいたジバ婆さんたちに挨拶をすることになった。

 同じ敷物に控えていたのはドンダ=ルウとミーア・レイ母さん、バードゥ=フォウとフォウの女衆、それにメイトンとそのご家族である。どうやらメイトンはずっとそちらの敷物に留まって、ジバ婆さんと交流を深めていたようであった。


「お前さんの熱情も、大概だな。そうまでしつこくつきまとっていると、最長老にもいいかげん愛想を尽かされてしまうのではないか?」


「そんなことはないよ……他の人らも、ひっきりなしに挨拶に来てくれたからねぇ……」


「そうだよ! おやっさんこそ、挨拶が遅いんじゃないか? うちの連中は、もうひと通り挨拶を済ませた後なんだぞ!」


 メイトンは顔中で笑っていたが、頬には涙のあとが残されている。すでに別れを惜しんで感涙にむせんだ後なのだろう。他のご家族は、至極くつろいだ面持ちでこちらのやりとりを見守っていた。


 メイトンがこうまでジバ婆さんを敬愛しているのは、かつて森辺の民の故郷たる黒き森に火を放ったのは自分の縁者であると告白し、それをジバ婆さんになだめられたのがきっかけとなる。それで罪悪感に苛まれていたメイトンの心は救われて、ジバ婆さんの優しさと懐の深さに魅了されることになったのだ。もとよりそれは、メイトンが罪悪感を抱くような話ではないはずなのだが――そうだからこそ、ジバ婆さんのほうもメイトンの純真さに胸を打たれたのだろうと思われた。


(つまりは、おたがいの誠実さで紡がれたご縁ってことだよな)


 そんな思いを噛みしめながら、俺は穏やかな面持ちで座しているバード=フォウのほうを振り返った。


「バードゥ=フォウたちも、ずっとこちらでメイトンたちと語らっていたのですか?」


「いや。先刻まではラッツの家長らが控えていたし、その前にはザザの血族が控えていたそうだ。こちらもそうして順番に、最長老やメイトンらと絆を深めていたわけだな。次はアスタたちに席を譲るとするか」


 そうしてバードゥ=フォウたちは立ち去って、俺とバラン家のご家族と、そしてリミ=ルウやルド=ルウも座することになった。マルフィラ=ナハムとミダ=ルウは母屋の前でお別れしたが、この仲良し兄妹は当然のようにひっついていたのである。


「最長老とは復活祭でも語らう機会があったが、ドンダ=ルウはひさびさだな。まったくもって今さらの話だが、息災なようで何よりだ」


「うむ。そちらが息災なことは、家人から聞き及んでいた。明日から半月、無事に道中を過ごせるように祈っている」


 果実酒の土瓶を片手に、ドンダ=ルウは重々しく応じる。その魁偉で風格に満ちあふれた姿に、おかみさんと次男はあらためて息をついていた。


「本当に族長さんってのは、みんなご立派だよねぇ。最後のおひとりは、今日も顔を出してないんだっけ?」


「うむ。ザザからは次代の族長たるゲオル=ザザが参じている。これがザザでの祝宴であったなら、俺も跡継ぎたるジザに出向かせていたであろうからな」


「うんうん。それでもご立派なお立場の人らがこんなに集まってくれて、ありがたい限りですよ。あたしらなんかのために、ありがとうございます」


 さしものおかみさんも丁寧に振る舞っていたが、その朗らかな表情に変わるところはない。ドンダ=ルウも鷹揚に、「うむ」とうなずいた。


「建築屋の面々とは、さまざまな氏族の人間がひとかたならぬ縁を結んでいたからな。俺たちは、外界について見識を広げなければならない立場であるため……今後も末永く交流を紡いでもらえれば、ありがたく思う」


「ええ、こちらこそ。今年も復活祭でお邪魔できるように、亭主たちには頑張ってもらわないとねぇ」


「はは! 年の初めから次の復活祭について取り沙汰するなんて、豪気な話だな! まあ俺たちは、毎年家族を連れてお邪魔できるように頑張るつもりだよ!」


 メイトンが笑顔でそのように言いたてたとき、広場の中央から歓声がわきたった。ついに《ギャムレイの一座》が、ぞろぞろと進み出てきたのだ。


「つい先刻、余興を始めるように伝えておいたのだ。……リミよ」


 リミは「うん!」と立ち上がるや、母屋のほうにてけてけと駆けていった。そちらで戸板が開かれるのを見て、アイ=ファが「ふむ」と声をあげる。


「幼子たちにも、余興を見せようという心づもりか。まあ、あれらの余興に喜ぶ幼子は多かろうな」


「……何か文句でも言いたげな顔つきだな」


「文句などあろうはずもない。私も心から賛同するので、ドンダ=ルウが後ろめたく思う必要はなかろうと思うぞ」


 ドンダ=ルウは「ふん」と鼻を鳴らしつつ、土瓶の果実酒をあおった。

 リミ=ルウが開いた戸板からは、コタ=ルウを筆頭とするたくさんの幼子たちが顔を覗かせている。きっと家の外に出ることは禁じられているのだろう。それでも幼子たちに余興を見せようというのは、心にくい配慮であった。


「本日はこのように立派な祝宴に招いていただき、恐悦至極にございます。座員一同、心を尽くして芸をお見せしますので、わずかなりともお楽しみいただけたら幸いでございます」


 真っ赤なターバンや海賊のごとき装束を纏ったギャムレイが、芝居がかった仕草で一礼する。儀式の火を背後にしているためか、早くも炎術の芸を見せているかのようだ。

 そんなギャムレイのかたわらにいくつもの巨大な影が進み出ると、いっそうの歓声がわきかえる。銀獅子のヒューイ、ガージェの豹のサラ、両名の息子たるドルイである。そうして笛や太鼓の演奏が開始されると、その3頭がダンスを踊るように跳ね回り始めた。


 演奏を受け持っているのは、笛吹きのナチャラ、小男のザン、双子のアルンとアミンの4名だ。ナチャラは横笛、ザンは太鼓、アルンとアミンは棒状の鳴り物という編成で、哀切さと軽妙さの入り混じったジンタのごとき演奏が夜の広場に響きわたった。


 3頭の獣たちは、一定のリズムでステップを踏んでいる。おそらくは、演奏の中にまぎれたシャントゥの口笛の指示に従っているのだ。そしてその場に長い棒を抱えたピノとドガが乱入すると、さらなる彩りが加えられた。ピノとドガは躍動する獣たちの間をかいくぐるようにして、優美なる演武をお披露目し始めたのだ。


 ピノもドガも遠慮なく長い棒を振り回しているというのに、獣たちにはかすりもしない。まるで、ふたりと3頭によって綿密に計算された舞踏であるかのようだ。ピノの纏った朱色の装束がひらひらとひるがえり、ドガの巨体は獣たちにも負けない迫力で躍動し、俺はすぐさま御伽噺の中に放り込まれたような心地を授かることになった。


 そしてまた、新たな歓声が巻き起こる。

 巨大なギバにまたがった剣王ロロと、誰よりも巨大なヴァムダの黒猿が現れたのだ。


「イヤアアァァァァハアアアアァァァァ――ッ!!」


 木造りの甲冑を纏ったロロが、木剣を振り回しながら奇怪な雄叫びをほとばしらせる。

 それに恐れをなしたかのように、ピノたちは逃げ散った。

 お次は、ロロたちの演武である。巨大な棍棒を振り回す黒猿と、ギバにまたがったロロの一騎打ちだ。そちらには舞踏めいた優美さなど微塵も存在せず、本物の死闘さながらの迫力にあふれていた。


 そして、いったんは逃げ散った3頭の獣たちも駆けつけて、剣王ロロに加勢する。全員で力をあわせて黒猿を退治しようという構図だ。

 ギバは凄まじい勢いで黒猿の周囲を駆け巡り、その背にまたがったロロの木剣と黒猿の棍棒が激しく打ち合わされる。これも巨大な儀式の火に照らされて、勇ましい伴奏までつけられているためか、天幕で見る余興をも凌駕する迫力であった。


 そして――木剣の一撃を弾き返した黒猿が、横合いを駆け抜けようとしたロロの首ねっこをむんずとつかむ。

 それでギバの背中から引き剥がされたロロが小石のように投げられてしまったため、あちこちから悲鳴まじりの声があげられた。

 地面に投げ出されたロロは、砂煙をあげて数メートルばかりも転がっていく。あらぬ方向に折れ曲がる首や手足が、まるで壊れた人形のようだ。天幕での芸を見たことのない人間であれば、不慮の事故が起きたのだと信じて疑わなかっただろう。


 黒猿は地鳴りのごとき雄叫びをあげるや、ぴくりとも動かなくなったロロのもとに駆けつける。そしてその手の棍棒が振り下ろされると、ロロは糸で操られる傀儡のようにひょこりと身を起こして、その一撃を回避した。

 黒猿は、さらに棍棒を振り回す。ロロは細長い身体をくねくねと不気味にくねらせて、それらの攻撃を回避してのけた。たとえ芝居であろうとも、常人にはとうてい不可能な動作である。彼女はこれだけの身体能力を有しているからこそ、森辺の狩人と互角に渡り合えるわけであった。


 そしてそこに、今度はピノとドガが駆けつける。

 ピノは朱色の竜巻のごとく旋回して、長い棒を振りかざした。

 いっぽうドガは、焦げ茶色の岩石めいたものを黒猿に投げつける。直径50センチはあろうかという巨大な岩塊であったが、黒猿は片手でそれをキャッチして、ドガに投げ返した。するとまた、ドガも岩塊を投げつける。黒猿はドガと岩塊のキャッチボールに励みながら、ピノの猛攻を受け流し、そして執拗にロロを追いかけた。


「ふん……たとえ芝居でも、あの黒猿がとてつもない力を持っていることに変わりはない。俺たちの祖は、ギバにも劣らぬ猛獣を相手取っていたというわけだな」


「ああ……しかも黒猿は、木の上を自由に動けるそうだからねぇ……狩人たちは、いったいどんな風に相手取っていたのやら……まったく、大したもんだよねぇ……」


 ドンダ=ルウやジバ婆さんがそんな風に語らう中、ついにロロの斬撃が黒猿の胴体にヒットした。

 さらに、ピノの棒が黒猿の肩を叩き、ドガの投じた岩塊が頭に激突する。それで黒猿は何歩かよろめいてから、ばたりと倒れ伏した。


 見物していた人々は、感服しきったように手を打ち鳴らす。

 そこに、驚嘆の声が重ねられた。地面に転がっていた岩塊からにゅっと細長い足が生えのびて、ピノやロロとともに勝利のダンスを踊り始めたのだ。ある意味では、その姿こそがもっとも悪夢めいていた。


 そんな中、ドガは倒れていた黒猿を肩に担ぎ、のっしのっしと退場していく。背丈こそドガのほうが上回っていたものの、横幅のほうは黒猿のほうが倍以上もまさっていることだろう。そんな黒猿を担いで歩けるというのも、信じ難い膂力であった。


 そうして魁偉なる2名が退場すると、演奏の音色がいっそう絢爛さを増していく。どこからか出現したニーヤがギターのごとき楽器をかき鳴らし、ピノもくるくると踊りながら横笛を吹き出して、曲調も壮大なる行進曲のようなものに転じた。

 ピノの左右にはアルンとアミンが進み出て、棒状の鳴り物を響かせながら、鏡あわせのごとき演舞を見せ始める。ロロはくねくねと踊っているし、3頭の獣も軽妙なステップを踏み、ギバはところかまわず駆け巡った。


 これが舞台の最高潮かと思いきや――そこに、炎の渦が吹き荒れる。

 これまで息を殺していたギャムレイが、やおら炎術をお披露目したのだ。赤や青や緑の炎が生き物のようにうねりながら夜闇を駆け巡り、人々に歓声をあげさせた。


 ギャムレイが隻腕を振りかざすたびに、新たな炎が渦を巻く。それが虚空に輪を描くと、ヒューイたちが恐れげもなく跳躍してその内側をくぐり抜けた。

 本当に、ギャムレイはどのような手管で炎を操っているのか。時には炎が地面を走り、時にはひゅるひゅると螺旋を描き、時には蝶々の形となって天空を駆けのぼり――曲芸ではなく魔法であると言われたほうが納得いくぐらい、それは幻想的な光景であった。


 最後には、大太鼓を担いだドガとシャントゥを肩に乗せた黒猿も再登場して、演奏と舞踏に彩りを添える。

 そうしてさまざまな色合いをした炎が複雑に絡み合いながら、天に帰る竜のごとき姿を見せたところで、ギャムレイが恭しく一礼した。


「これにて、第一幕は終幕と相成ります。続いて、第二幕は……吟遊詩人の歌をお楽しみください」


 まったく熱気の覚めやらぬ中、他の座員たちは一列になって退場していく。その姿と演奏の音色が舞台の中央から消え去ると、ただひとり残されたニーヤが気取った仕草で一礼した。


「それでは、お聴きください。『森辺のかまど番アスタ』の物語にてございます」


 ニーヤはもっぱら城下町で活動しているため、俺たちがそれを耳にするのは1年ぶりのことであった。リコたちの劇に感銘を受けたニーヤが何日もかけて完成させた、力作だ。しかしそれでもあれだけ派手な見世物の直後に、たったひとりで弾き語りにいそしむというのは、ずいぶん荷が重いように思われたが――そんな懸念は、ニーヤがギターのような楽器を爪弾き、その美しい歌声を響かせるなり、霧散した。人柄のほうはともかくとして、彼の歌い手としての力量はそれほどのものであったのだ。


 また、こちらの歌を耳にするのは1年ぶりでも、傀儡の劇であれば何度となく目にしていたわけであるが――しかし、彼の歌声は俺の心に食い入ってならなかった。彼はたったひとりの歌と演奏で、リコたちの劇に匹敵するほどの小世界を体現させることがかなうのだ。そしてそれが俺自身の物語であるものだから、俺はいっそう情動を揺さぶられてしまうのだった。


 リコたちの劇と同じように、ニーヤの歌声が俺の歩んできた生をつまびらかにしていく。もともと多少の脚色が施されていて、それがニーヤによってまたアレンジされているわけだが、大筋に大きな間違いはない。俺はアイ=ファとともに突き進んだ三ヶ月ばかりの時間を、また追体験させられることになった。


 また、ニーヤの歌というものは、俺の心情を的確に言い当てている。当時の俺が味わわされた気分や感情というものが、怖いぐらい正確に表現されているようであるのだ。その一点において、ニーヤはリコをも上回っていた。語った覚えもない感情の機微まで歌の中であらわにされるというのは、ちょっと空恐ろしいほどであった。


 そうしてニーヤが休憩をはさむこともなく、トゥラン伯爵家にまつわる騒乱についてまで歌いあげて、最後の和音を奏で終えると――これまで以上の歓声が、広場を埋め尽くすことになった。

 ニーヤはどこか放心したような面持ちで、また一礼する。歌を披露する前とは、別人のような仕草だ。彼はそれだけ歌に没入するからこそ、これだけ人の心を揺さぶれるのだろうと思われた。


「どうもお目汚しでしたねェ。《ギャムレイの一座》の芸は、これにて終幕とさせていただきますよォ」


 ふわりと出現したピノがお行儀よく一礼して、放心気味のニーヤを連れ去っていく。その間も、広場には歓声と拍手が吹き荒れていた。


「いやあ、大したもんだ! 天幕での見世物も大した出来栄えだったけど、森辺の広場だとまた格別だね!」


 こちらの敷物でも、メイトンが子供のようにはしゃいでいる。ただその顔には、新たな涙が流されていた。


「それにやっぱり『森辺のかまど番アスタ』ってのは、身につまされちまうね! 森辺の民が、どれだけ苦しい生活を送ってきたか……それでもって、そいつをどうやってぶち破ってきたかが、よくよく思い知らされるからさ!」


「ああ……でも、メイトンたちだって、そこに力を添えてくれた立場であるんだよ……」


 ジバ婆さんが優しい声音で呼びかけると、メイトンは涙に濡れた笑顔でそちらを振り返った。


「俺たちなんか、ただアスタの料理を楽しませてもらっただけさ! アスタの屋台が評判になったのは、アスタとそれを手伝った森辺の人らの成果だよ!」


「でも、悪縁を越えて料理を買ってくれたのは、メイトンたちなわけだからねぇ……絆っていうのは、おたがいに引っ張り合わないと結ばれないもんなんだから……やっぱりあたしは、あんたたちに感謝せずにはいられないよ……」


「うむ。だから俺たちは、おたがいに感謝するべきなのだろうさ」


 おやっさんは、とても静かな声でそう言った。

 そのかたわらで、おかみさんは目頭を押さえている。ただ、そのふくよかな顔に浮かべられているのは、いつも通りの朗らかな笑みであった。


「それにしても、あの物語を聴かされると、あたしたちまで御伽噺の住人になったような気分だよねぇ。できることなら、この祝宴だって物語にしてほしいぐらいだよ」


「ふん。ここにギバの大群でも押し寄せてきたら、少しは物語らしくなるかもな」


 そんな風に言ってから、おやっさんは俺のほうに向きなおってきた。


「さあ、旅芸人の余興は終わったぞ。お前さんは、娘どもの面倒を見るのだろうが?」


「ああ、そうでした。でも、おやっさんともまだまだ語り足りないですね。のちほど彼女たちと一緒に、またご挨拶をさせてください」


「それより先に、他の200人に挨拶をするべきだろうな」


 おやっさんは、虫でも払うように手を振った。

 だがやはり、その眼差しは優しげだ。


「とにかく、早く行ってやれ。まだまだ宴は半ばなのだから、しみったれた顔をするのは早いぞ。……まあ、たとえ宴が終わろうとも、そんな顔を見せられるのは御免だがな」


「あはは。それはお約束しかねますが、ひとます失礼いたしますね。みなさんも、またのちほど」


 俺はぞんぶんに後ろ髪を引かれながら、アイ=ファとともに腰を上げることになった。

 すると、母屋のほうからリミ=ルウが駆けつけてくる。その小さな手が、アイ=ファの腕をぎゅうっと抱きすくめた。


「チルたちのところに行くのー? リミも一緒に行っていい?」


「ふむ。駄目だと言えば、引き下がるのであろうか?」


「ひきさがらなーい!」と、リミ=ルウはいっそう固くアイ=ファの腕を抱きすくめる。どちらも宴衣装であるために、普段以上の微笑ましさであった。

 そうしてリミ=ルウを加えた俺たちは、余興の余熱にわきかえった広場を横断する。《ギャムレイの一座》は1台だけ荷車を広場の端に乗り入れて、そこを本拠にしていた。余興の時間までは、獣たちもその荷台で身を休めていたのだ。


「みなさん、お疲れ様でした。最初から最後まで目の離せない、素晴らしい芸でしたよ」


 俺がそのように呼びかけると、荷車の周辺にたむろしていた座員たちがうっそりと振り返ってくる。そこで返事をしてくれたのは、やはりピノであった。


「あァ、そちらさんも、お疲れさァん。そら、座長、アンタはまだこの人らと挨拶もしてないんじゃないのかァい?」


「うむ? どこかで見たような顔だが、どこのどちらさんだったかな?」


 御者台の脇に腰かけたギャムレイは、土瓶の果実酒をあおっている。昼夜が逆転しているという彼は、今こそが本領とばかりにふてぶてしく笑っていた。


「どこのどちらさんも何も、ファの家のおふたりだろォ? ついさっき、ぼんくら吟遊詩人がこのおふたりの物語をさんざん歌いあげてたじゃないのさァ」


「ああ、あれは伝承の類いではなく、ここ最近の出来事だったんだな。物語の主人公とお目見えできるとは、まったくもって光栄な限りだ」


 ギャムレイはにやにやと笑いながら、また果実酒を口に含む。その姿に、ピノはひょいっと肩をすくめた。


「まったくさァ。そもそもアタシらはカミュアの旦那からこのアスタの話を聞き及んで、ジェノスに向かうことにしたんだろォ? そんな話まで、アンタは忘れちまったっていうのかねェ」


「そんな話をいちいち覚えていたら、あっという間に頭蓋が破裂しちまうだろうさ。お前だって、それが面倒だから旅芸人なんぞに身をやつしてるんじゃないのか?」


「あァあ、すっとぼけた御託はもうけっこうだよォ。……ね? 挨拶のし甲斐がないぼんくらだろォ?」


「いえ。考えてみれば、俺もアイ=ファもそうまでギャムレイとご縁があったわけではないですからね。ただ、こちらはしょっちゅう芸を拝見していたので、勝手に顔見知りのつもりになっていました」


「芸さえ楽しんでもらえたら、こちらはそれで十分さ。今後とも、どうぞごひいきにな」


 ギャムレイは徹頭徹尾、俺やアイ=ファに興味がない様子である。こうまで無関心であられるのは、いっそ清々しいほどであった。

 それに、他の座員たちも素知らぬ顔で楽器や小道具の片付けに勤しんでいる。それはいささか物寂しい気がしなくもなかったが、しかし交流を無理強いすることはできなかった。


「えーと……それで、チルとディアなんですが……」


「あァ。ライ爺がおねむになっちまったんで、寝床の世話をしてるんだよォ。すぐに戻るから、ちっとばっかりお待ちなさいなァ」


「そうですか。みなさんは、今後どのように過ごすおつもりで?」


「こっちは仕事も終わったんで、あとは腹を満たすだけだねェ。お気遣いは、無用だよォ」


 すると、荷車にもたれて座り込んでいたニーヤが、焦点の合っていない目でふっとアイ=ファの姿を見上げた。


「ああ、アイ=ファ……愛しき君よ、愛しき森辺の同胞よ……明日からも我らは希望を胸に生きていかん……」


 それは、『森辺のかまど番アスタ』の最後の一節である。

 ピノはひとつ息をついてから、ニーヤの頭をぺしんと引っぱたいた。


「どうもこいつは、手前の作った歌にすっかり入りこんじまってるみたいだねェ。ま、それだけリコの作り上げた劇がお見事ってことかァ」


「だ、大丈夫ですか? いつも以上に、我を失っているみたいですけれども」


「ふふン。四半刻もすりゃあ、また目の色を変えて女の尻を追いかけるだろうさァ。このまま寝ぼけてたほうが、こっちは気楽なぐらいだねェ」


 そのとき、新たな人影がこちらに近づいてきた。木造りの甲冑を脱いでいるさなかであったロロが、「ひゃあっ!」とドガの後ろに隠れてしまう。


「芸の披露、ご苦労だった! 今日の芸も、見事な出来だったぞ! それでは約束通り、力比べを願いたい!」


 それは、ラウ=レイとジィ=マァムであった。

 しかし、ギャムレイは不敵に笑いながら小首を傾げている。


「約束? とは、なんの話だったかな? 俺たちの仕事は、終わったはずだが」


「なに? 力比べにおつきあいを願いたいと、ドンダ=ルウからお前に申し出たはずだぞ! そちらは快く了承してくれたはずだ!」


「そうだったか。まあ、それで祝宴が盛り上がるというなら、かまわんさ。その分は、こちらも酒と料理を楽しませていただくからな」


 ギャムレイの適当な物言いに、ロロはまた頭を抱え込んでしまう。

 ラウ=レイは「ふん!」と鼻を鳴らしてから、ピノのほうに向きなおった。


「それでだな! ひとつ提案があるのだが! お前にも、手合わせを願えないだろうか?」


「はァん? こんないたいけな娘っ子を、狩人サンがよってたかって投げ飛ばそうってェのかァい?」


「いや! このたびは、剣技の手合わせも願いたいのだ! それならば、お前もロロに負けないほどの腕であろう?」


 そんな風に言いたてながら、ラウ=レイは腰にさげていたものを引き抜いた。それは復活祭の前ぐらいから森辺で重宝されるようになった、試合用の袋剣であったのだ。


「お前はこの袋剣ではなく、いつもの棒でかまわんぞ! さすれば、ロロをも超える力量を期待できるしな!」


「こりゃまた素っ頓狂なことを言いだすもんだねェ。アタシの棒術なんざ、軽業の見世物にすぎないんだからさァ。森辺の狩人サンに太刀打ちできるわけないだろォ?」


「いやいや! お前とロロは昨年の復活祭で、聖域の民たるティアの修練につきあっていたと聞いているぞ! あやつを相手取れるなら、腕に不足はないはずだ!」


 ピノは半分まぶたを下げて、妖艶なる流し目を俺に送ってきた。


「お、俺はそんな話を広めたりはしていませんよ。まあ、世間話の一環で語った可能性はなくもないですけれど……」


「ふふん。どうせお前は、ロロやドガに面倒を押しつけようという目論見だったんだろう? 今回ばかりは、あてが外れたようだな」


 と、ギャムレイが悦に入った様子で笑い声をあげる。

 ピノは同じ目つきのまま、そちらを振り返った。


「ずいぶん楽しそうなお顔じゃないかァ。可愛い座員を助けてやろうっていう気にはならないもんかねェ?」


「ああ。お前が策に溺れる姿など、そうそう見られるものではないからな。せいぜい高みで見物させてもらおう」


「だったらアンタもふんぞり返ってないで、座員と同じ苦労を分かち合ってみたらどうなんだァい?」


「俺の炎は、ふたつにひとつ。すべてを焼き尽くすか、何ひとつ焼かないかだ。森辺の民がどれだけ勇猛でも、修練の手合わせで生命のやりとりなど望まないだろうさ」


「うむ! 修練で手傷を負わせることは、禁じているからな! 何も危険なことはないので、ピノも安心してもらいたい! ついでにあの、ゼッタという者にも手合わせを願えるだろうか?」


「いや。ゼッタも腕は立つが、気が小さい。人前で暴れることなど何より苦手な領分であろうから、それはつつしんでお断りさせていただこう」


 ギャムレイが軽妙な調子で答えると、ラウ=レイは「そうか!」と白い歯をこぼした。


「であれば、こちらもつつしんで願い出を取り下げよう! やはりお前も、きちんと同胞の身を思いやっているのだな!」


「まったくもって、クソくらえだねェ」


 ピノは血のように赤い唇をとがらせながら、傲然と腕を組んだ。確かにピノがこのような騒ぎに巻き込まれるというのは、珍しいかもしれない。俺としては、ちょっぴり微笑ましいような気分であったのだが――迂闊なことを口走ると飛び火しそうであったので、大人しく口をつぐんでおいた。


 そこでようやく、荷車の内からチル=リムとディアが姿を現す。俺たちの姿に気づいたチル=リムは、目もとだけで喜びの感情をあらわにした。


「お待たせしてしまって、申し訳ありません。ライラノスに薬を与えていたので、遅くなってしまいました」


「え? ライラノスは、どこかお加減でも悪いのかい?」


「いえ。ライラノスは普段から、頭痛に見舞われることが多いのです。……きっと、星の輝きが眩しすぎるのでしょうね」


 そうしてふたりは地面に降り立ったが、その場にたちこめた剣呑な雰囲気にディアが「うむ?」と首を傾げた。


「何やらおかしな空気だな。ピノは珍しく、ずいぶん機嫌を損ねているようではないか」


「……そういえば、アンタも大層な手練れであるはずだよねェ」


「なんの話かわからんが、ディアとチルはアスタたちと祝宴を楽しませていただくぞ。ギャムレイとも、そういう約定を交わしたはずだ」


「うむ。お前はあくまで、客分だからな。俺が命令する筋合いはない。これまでさんざん働いてもらったので、あとは好きに過ごすがいいさ」


 そうしてピノたち3名は力比べの場に引きずり出されて、俺とアイ=ファはチル=リムたちと祝宴を楽しむことが許されたのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 俺は穏やかな面持ちで座しているバード=フォウのほうを振り返った。 バードゥ=フォウ の間違いかなと思います。
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