建築屋の送別会①~仕事始め~
2023,3/14 更新分 1/1
明けて、2日目――銀の月の2日である。
俺たちは、晴れて日常に舞い戻ることになった。
夜が明けたら水場まで出向いて、晩餐の食器の洗い物に励む。その後はラントの川で身を清め、薪と香草の採取だ。そういった朝方の作業を再開させるだけで、俺は何だか身の引き締まるような思いであった。
そうしてファの家に帰りついたならば、屋台の下ごしらえのためにあちこちの氏族から女衆が参上する。それらの顔にも、いかにも清々しげな表情がたたえられていた。
「昨日も仕事に励みましたけれど、やっぱり何だか心機一転という心持ちですね! アスタ、今日からまたよろしくお願いいたします!」
そんな挨拶をしてくれたのは、いつでも元気いっぱいのレイ=マトゥアだ。そして、他の女衆にも同じだけの意欲と活力が感じられてならなかった。
「それに、夜には祝宴ですものね。復活祭を終えたばかりなのに、とても贅沢に感じられます」
ユン=スドラもいつも通りの朗らかな笑顔で、そんな風に言っていた。
本日はジャガルの建築屋の送別会で、会場はルウの集落となる。それで、屋台の関係者はのきなみ招待されていたので、本日当番でない女衆は昼前からそちらで宴料理の準備に参加する手はずになっていた。屋台の当番たる俺たちは、もちろん商売を終えたのちに合流である。
「こ、こ、これだけさまざまな氏族が集められる祝宴は、ちょっとひさびさですよね。す、少しだけ気が張ってしまいます」
マルフィラ=ナハムはそんな風に言っていたが、それでもふにゃんとした笑顔だ。彼女もこちらの屋台で働くようになって以来、着実に成長しているのだった。
そうして下ごしらえを終えたならば、まずはルウの集落を目指して出立だ。
挨拶をするべく母屋に立ち寄ると、そちらにはすでにサリス・ラン=フォウとアイム=フォウが到着していた。本日も、アイ=ファが森に入る中天から明日の朝まで、子犬のために留守番をお願いしていたのだ。
「ああ、アスタ。アイ=ファから、子犬たちの名前をうかがいました。いずれも、好ましい名前ですね」
「ありがとうございます。お世話をかけますが、どうかフランベたちをよろしくお願いします」
「はい」と微笑むサリス・ラン=フォウのかたわらで、アイ=ファも温かな眼差しだ。子犬たちの面倒を見てもらうようになってからサリス・ラン=フォウと時間をともにする機会が増えて、アイ=ファはとても幸せそうだった。
「アイム=フォウも、よろしくね。犬の赤ちゃんたちのお兄さん代わりになってくれたら、助かるよ」
俺がそのように呼びかけると、3歳のアイム=フォウも嬉しそうに「うん」とうなずいてくれた。
そうして新たな活力を授かって、俺は荷車に乗り込んだ。
ルウの集落に到着すると、宴料理の準備はこれからであるはずだが、すでにずいぶんと賑わっている。そして、本日の屋台の取り仕切り役であるララ=ルウが「やあ」と笑顔で出迎えてくれた。
「やあ、ララ=ルウ。祝宴のほうも、準備は万端みたいだね」
「ていうより、準備を万端にするために、レイナ姉とリミが駆けずり回ってる感じかな。余所の氏族の女衆を取り仕切るのは、ちょっとひさびさだからね」
最近はルウの血族だけで立派な宴料理を準備することが容易であったため、これほどの規模で余所の氏族のかまど番を迎える機会は少なかったのだ。なおかつ、こちらで祝宴の準備を進めつつ、屋台のほうでもしっかり営業をする心づもりなのだから、頼もしい限りであった。
「屋台のほうも、まだまだ普段以上の賑わいのはずだからね。新年早々しくじらないように、俺たちも頑張ろう」
「うん。それじゃあ、出発しようか」
そうして俺たちは、いざ宿場町に出立した。
ザザの血族も休息の期間を終えたため、本日の護衛役はリャダ=ルウとバルシャの2名のみとなる。昨日や一昨日はほとんどの氏族が休息の日にしていただろうから、そうそう連続でギバ狩りの仕事を休むことは許されないのだ。それでもいちおう護衛役がつけられたのは、年が明けて数日ぐらいは復活祭の余韻が残されることをわきまえているがゆえであった。
やがて宿場町に到着すると案の定、街道は大いに賑わっている。決して浮かれているわけではなく、これまでジェノスに滞在していた人々が出立の準備に勤しんでいるのだ。一昨日までは復活祭を満喫し、昨日は骨休めの休日として、この銀の月の2日に出立の旅程を組む人間がひときわ多いわけであった。
《キミュスの尻尾亭》においても、チェックアウトしようとする人間でわきかえっている。そしてその内の何割かは、俺たちに笑顔を向けてきた。
「よう、お疲れさん! そっちの屋台で腹を満たしてから、出立するからな! いつも通りの刻限にお願いするぜ!」
「はい。復活祭の期間は、ご愛顧ありがとうございました。道中はお気をつけくださいね」
俺たちはあちこちに挨拶を返しながら屋台を借り受けて、レビやラーズとともに露店区域を目指すことに相成った。
その道行きで見かけた宿屋の屋台村も、すでに大層な賑わいだ。どの地を目指すにせよ、中天には出立しないと野宿をする羽目になるようであるので、おおよその旅人はそれまでに昼食を済ませる必要があるのだった。
どこに出向いても大混雑だが、しかしもはや太陽神の赤い旗は飾られていない。これはあくまで、復活祭の余韻であるのだ。ただ、祭の後のわびしさを語るには、あまりの熱気であろう。しかも俺たちはこの夜に祝宴を控えているため、まだまだわびしさを求める段階になかった。
そうして所定のスペースに到着したならば、屋台の準備だ。
街道をはさんだ向こう側には巨大な天幕が張られていたが、そちらはひっそりと静まりかえっている。復活祭が終わった以上、旅芸人の余興を求める人間もいないのだ。《ギャムレイの一座》も本当であれば今日の内に出立する予定であったが、ルウ家が祝宴における余興の仕事を依頼したため、こうしてジェノスに居残っているわけであった。
「アスタ、お疲れ様です」
と、こちらの準備が整うより早く、チル=リムとディアがやってくる。パスタのためのミートソースを温めなおしながら、俺は「やあ」と笑顔で出迎えてみせた。
「今日は仕事もないだろうに、ずいぶん早かったね。みんなもう目を覚ましたのかな?」
「はい。昨日も仕事がなかったため、みなさん早々に寝入ったようですね。だから、こういう日のほうが目覚めも早いようです」
そのように語るチル=リムは、いつも以上に浮き立っているように感じられる。すると、かたわらのディアが相棒のフードに包まれた頭を小突いた。
「どうもチルは、森辺の祝宴が楽しみでならないらしい。朝から騒がしくてならんのだ」
「う、嘘です。わたしは騒いだりしていないはずですよ」
きっとチル=リムは、ヴェールや襟巻きの下で頬を染めているのだろう。ディアのマントをくいくいと引っ張るその仕草が、昨日のユン=スドラと同じように可愛らしかった。
「まあ、美味いものが食えれば、ディアも文句はない。森辺の祝宴というのがどのような有り様であるのかも、いささか気になるところだしな」
「うん。きっとディアも気に入ると思うよ。俺たちだって、聖域の晩餐ではすごく胸が弾んだしさ」
「そのようなことを語れる人間が外界にいるというのは、今さらながら呆れた話だな」
そんな風に言ってから、ディアはにわかに金色の目を鋭くした。
「ところで……今日はあのガーデルなる者は参じないだろうな?」
「ああ、うん。今日はジャガルの方々の送別会だからね。同じ南の人らを数人と、あとはリコたちぐらいしか招待していないよ。……『滅落の日』はいきなりガーデルにひきあわせてしまって、申し訳なかったね」
「まったくだ。チルの素性を知っているかもしれん人間など、うかうかと近づけるべきではなかろう」
「あのときも説明した通り、ガーデルは去年から兵団の仕事を休んでるからさ。邪神教団の騒ぎの際にも、まったく関わっていないんだよ。だけどまあ、デヴィアスとは交流があるから、いちおう名前だけは伏せてもらったんだ」
「ふん。名前を呼べないだけで、こちらは十分に不便であるのだぞ」
すると、チル=リムが申し訳なさそうに俺とディアの姿を見比べてきた。
「わたしのせいでご不便をかけて、申し訳ありません。どうかわたしのために、おふたりが争わないでください」
「いやいや、チルが謝ることはないよ。ガーデルとひきあわせちゃったのは、俺なんだからさ」
「うむ。それにデヴィアスなる者は、チルのみではなくディアの姿も見知っているのだ。だからこそ、ふたりともに名を伏せる必要があったわけだな」
「でも、わたしと一緒にいなければ、ディアは身を隠す必要もないのですから……」
「それは、ディアの選んだ道だぞ。だから、余人に詫びられる筋合いはない」
ディアは口をとがらせていそうな目つきで、チル=リムの小さな頭を荒っぽく撫で回した。そしてその末に、また俺をにらみつけてくる。
「けっきょくチルを不安にさせてしまったではないか。これもお前のせいだぞ、アスタ」
「うん、ごめん。とにかく、どこに誰の耳があるかもわからないから、この話はここまでにしておこうか。チルも、料理を食べて元気を出しておくれよ。祝宴では、もっと立派な料理を準備してみせるからさ」
チル=リムは「はい」と目もとで微笑んでくれた。
彼女はいまだ、10歳の――いや、年が明けて11歳になったばかりの少女であるのだ。それを思えば、賞賛に値する気丈さであった。
(危険はないと思ってたけど、やっぱりガーデルを近づけるべきじゃなかったかな。今後はもっと、慎重に振る舞おう)
だがしかし、《ギャムレイの一座》も明日の朝にはジェノスを出立してしまうのだ。次に会えるのは年末の復活祭か、早くても黒の月の鎮魂祭なのかもしれない。だからこそ、俺はこの日にチル=リムやディアとも祝宴をともにしたいと願っていたのだった。
(チル=リムは、別人として生きることになったんだから……ひとつでも、楽しい思い出を増やしてほしいもんな)
そうして俺がしんみりとしている間に、鍋が温まった。
他の屋台も準備が整うのを待って、営業開始である。今日はさまざまな料理を買いつけるつもりだと言って、チル=リムたちはミートソースのパスタを6人前だけ購入していった。
他の屋台にも、《ギャムレイの一座》の姿がうかがえる。しかしそれ以外にも大勢のお客が押しかけているため、やはり声をかけるいとまはない。彼らとの交流は、夜を待つしかなかった。
「よう、アスタ! まずは屋台の料理を楽しませてもらうぜ!」
やがてやってきたのは、建築屋のメイトンである。その顔には、実に晴ればれとした笑みがたたえられていた。
「いらっしゃいませ。本日は早いお越しでしたね」
「ああ! 中天を過ぎるまで待ったほうが、屋台も空いてるんだろうけどさ! 昨日はさすがにそこまで飲んだくれることもなかったから、早々に寝入っちまったんだよ!」
事情は、《ギャムレイの一座》と同様のようである。やはり元日は、誰もが骨休みの日としているのだ。
「それに、お楽しみは今日の夜だからな! それに備えて、力を溜めてたんだ! ついでに、銅貨も貯めておかないといけないしよ!」
「ああ。1日分、余計に宿泊費がかさんでしまうんですもんね。それでも了承していただけて、ありがたく思っています」
「森辺の祝宴にお招きされて、文句をつける人間はいないさ! うちの家族だって、大喜びだよ!」
メイトンは、復活祭の際に劣らずはしゃいでいるようである。彼はジバ婆さんに思い入れを抱いているため、ルウの祝宴でご一緒できるのがひときわ嬉しいのかもしれなかった。
メイトンがこちらの料理を確保する役目を担ったため、バランのおやっさんやアルダスは他の屋台だ。しかし夜には祝宴でご一緒できるのだから、寂しいことはない。俺は心置きなく、目の前の仕事に集中させていただいた。
それにしても、ずいぶんな繁盛っぷりである。オープンしてから半刻が過ぎても、客足が落ち着く気配はない。やはり多くの人間は、中天の出立前に腹ごしらえをしておこうという算段であるようであった。
「予想以上の賑わいですね。まるで復活祭が終わっていないかのようです」
本日の相方であるガズの女衆が、笑顔でそのように告げてくる。強い個性は有していないが、いまやベテラン勢たる第三世代のひとりである。そんな彼女も、予想以上の賑わいを嬉しがっている様子であった。
復活祭の客足を鑑みて、本日もかなり多めに料理を準備していたのだが、売れ残る心配は皆無であるようだ。屋台の裏を巡回していたバルシャも、通りすぎさまに呆れたような声をあげていた。
「本当に、復活祭そのままの賑わいだね。だけどまあ……次から次へと荷車が出ていってるから、明日からはずいぶん落ち着きそうだ」
バルシャの言う通り、街道を北に抜けていく荷車が多数確認できた。シムやジャガルに向かう人間以外は、まずこの主街道を北に抜ける必要があるのだ。あとはそのまま北上してベヘットやムドナを目指すか、あるいは西に折れてダバッグを目指すか――どこに向かうにせよ、今日の夜はそれらの宿場町で過ごすことになるはずであった。
(俺たちにとっては泊まりがけの旅なんて一大イベントだけど、それを生業にしてる人たちがこんなにたくさんいるんだもんな)
俺はしみじみとした思いにひたりつつ、手だけはせわしなく動かし続けた。今日はめいっぱい働きたい気分であったため、もっとも手間のかかるパスタの屋台を受け持たせてもらったのだ。
そうして中天が過ぎたならば、わずかばかりに客足が落ち着く。しかし本来であれば、ここからが第二のラッシュの時間帯であったのだ。ラッシュというほどの勢いではなかったものの、やはり旅人が出払うのを待ち受けていた人間も多かったのか、それなり以上の客足が保持されていた。
「やあやあ。復活祭が終わったというのに、こちらの屋台は大繁盛だねぇ」
そんな声を投げかけてきたのは、カミュア=ヨシュである。彼もすでに寝起きの顔ではなく、のんびりとした笑顔であった。
「いらっしゃいませ。今日はおひとりですか?」
「いや。ザッシュマは、別の屋台に並んでいるよ。混雑しているから、手分けしようと思ってね。レイトも今日までは、宿の手伝いだからさ」
ちょうど料理が尽きたタイミングであったので、新たな麺が茹であがるまでは歓談できる時間が生じた。そうと見て、カミュア=ヨシュも言葉を重ねてくる。
「アラウト殿は、きっと朝一番で出立したのだろうね。俺もたっぷり英気を養ったから、どこかにトトスを駆けさせたいところだけど……森辺の祝宴は、7日で決定なのかな?」
「ええ、もう変更はないかと思います。カミュアたちも、参席していただけますか?」
「あと5日もじっとしているのは退屈だけれども、森辺の祝宴の魅力にはあらがえそうにないなぁ。つつしんで、ご招待を受けさせていただくよ」
「それなら、よかったです。今回はテリア=マスも招待しているので、レイトにも来てほしかったんですよ」
「うんうん。それじゃあ、なおさら断れないよね。ずっと宿を手伝っていたレイトにも、ご褒美というやつが必要だからさ。アスタのそういう気遣いも、俺はありがたく思っていたんだよ」
珍しく、カミュア=ヨシュも素直なようである。いつもそのように振る舞っていれば、森辺の気難しい面々とももっと速やかに交流を深められたのではないかと思われた。
「そういえば、カミュアにもお願いしたいことがあったのですよね。カミュアはガーデルをご存じでしたっけ?」
「ガーデル? それは大悪党シルエルを討伐した功労者じゃなかったかな?」
「ええ、そのガーデルです。俺は今、そのお人としっかり絆を結びなおそうとしているさなかなのですが……カミュアにも、ご意見をいただきたかったのですよね」
「へえ。俺なんかに、いったい何を期待しているのかな?」
「俺の知る限り、カミュアはもっとも世知に長けているお人ですからね。そのガーデルというのは、ちょっと変わっている部分があって……うーん、なかなか手短には説明できないのですけれど……アイ=ファいわく、フェルメスに似ていなくもない一面があるようなんです」
「へえ」と、カミュア=ヨシュは愉快げに目を細めた。
「それは面白い話を聞くものだ。一介の兵士が、あの外交官殿に似ておられると?」
「いやあ、どちらかというと、正反対と言いたくなるようなお人柄なんですが……俺にとってちょっと厄介な部分だけ、似ている要素があるようなんです」
「それはますます興味深いねぇ。そのガーデルも、祝宴に招待されているということかな?」
「はい。まだ正式な返事はいただいていませんが、『滅落の日』の別れ際にお誘いしておきました。怪我の具合が悪くなければ、了承していただけるかと思います」
「そうかそうか。アスタのお役に立てるかどうかは心もとないところだけれども、俺もぞんぶんに好奇心をかきたてられたよ。祝宴に参ずる理由が、またひとつ増えてしまったね」
カミュア=ヨシュは、チェシャ猫のように微笑んだ。
「しかし、そのガーデルがそんな愉快な御仁だったとはねぇ。デヴィアス殿からは、ただただ気弱な人間であると聞き及んでいたよ」
「あ、そうか。デヴィアスのほうとは面識があるのですよね。俺も第一印象では、そんな風に思っていたんですが……この1年ほどで、ちょっと印象が変わってしまったんです」
そこで、パスタが茹であがってしまった。
俺がそちらを木皿に取り分けると、ガズの女衆が手早くミートソースを掛けていく。その内の2枚を手にしたカミュア=ヨシュは、最後にまたにんまりとした微笑を残していった。
「ではまたいずれ、詳しい話をお願いするよ。美味しい料理と面白い話を、どうもありがとう」
「こちらこそ。毎度ありがとうございました」
残りの料理もすぐに売れてしまい、またしばらくは茹であげタイムだ。
すると、ガズの女衆がいくぶん心配そうに呼びかけてきた。
「ガーデルという御方については、わたしも家長から聞き及びました。あのカミュア=ヨシュを頼るほど、厄介な事態になってしまっているのですね」
「え? もうガズのほうにまで話が回っているのかい?」
「はい。アスタは昨日、レイ=マトゥアの前でそういった話を語られたのでしょう? それが、こちらにも伝えられた次第です」
確かに昨日はレイ=マトゥアたちの前で、ライエルファム=スドラと語らうことになった。そして下ごしらえを開始したのちは、事情を知らない面々にあれこれ問い質されたわけであった。
「その御方はアスタを偉大だなどとのたまいながら、アスタ本人には何の関心も寄せようとしないようだというお話でしたが……それが、それほどに厄介なのでしょうか?」
「うん。これも聞いてると思うけど、ガーデルは飛蝗の騒乱やティカトラスが来訪したときなんかに、俺の身を案じて我を失うことになっちゃったからさ。このまま放置するのは、ちょっと危なっかしいんだよね」
「はあ……アスタに関心がないのに、アスタの身を案じたのですか?」
「うん、順番が逆なのかな。ガーデルはそういう際に取り乱すぐらい俺のことを気にかけているはずなのに、普段はまったく関心を寄せようとしないんだ。そこにちょっとズレや歪みみたいなものを感じるから……なんとか正しく絆を結びなおしたいんだよね」
とりわけ危険に感じられたのは、やはりティカトラスの一件だ。俺が連れ去られてしまうかもしれないという妄想に取り憑かれて、王都の貴族に敵意を向けてしまうなどというのは、決して看過できない出来事であろう。偉大なるファの家のアスタの行く末を守るためであれば、自分の身などどうなってもかまわない――ガーデルには、そんな危うさが存在したのだった。
(だからこれは、ガーデルのためでもあるんだ。俺だって、自分のせいでガーデルが破滅したりしたら、我慢がならないもんな)
そのためであれば、俺もない知恵を絞りまくる所存である。その結果、ライエルファム=スドラやカミュア=ヨシュを頼ることになったわけであった。
(人を頼ってばかりってのは、情けない気分だけど……俺ひとりの力なんて、ちっぽけだもんな。恥や外聞は二の次にして、頼もしい人たちを頼らせていただこう)
そうして俺が仕事に励んでいると、また慕わしい人々が屋台にやってきた。ゲルドの料理番プラティカと、ダレイム伯爵家の侍女ニコラである。
「ああ、いらっしゃいませ。わざわざありがとうございます」
俺がそのような言葉で彼女たちを出迎えたのは、もともと年明けに来店をお願いしていたためである。親睦の祝宴の日取りについて、最後の確認をしておきたかったのだ。
「親睦の祝宴は予定通り、銀の月の7日にしようという話に落ち着きました。お手数ですが、城下町の方々に伝えていただけますか?」
「はい。了承しました。《銀星堂》、料理人たち……および、ダレイム伯爵家ですね?」
プラティカがそのように応じると、ニコラが仏頂面でもじもじとしながら発言した。
「あの、ダレイム伯爵家の侍女に関しては、本当にわたしとルイアとテティアの3名でかまわないのでしょうか?」
「はい。『烈風の会』の祝賀会で、ポルアースからも了承をいただけましたからね。どうぞよろしくお願いします」
「そうですか」と、ニコラはいっそうぶすっとした顔になってしまう。しかしそれに比例して、前掛けをいじる手もいっそうせわしなくなっていた。きっと彼女も姉のテティアを招待されたことを嬉しく思ってくれているのだろうと思うのだが――そういう内心を決して人前でさらそうとしないお人柄であったのだった。
「でしたら、ポルアース様のお言葉をお伝えいたします。そこにシェイラも加えていただくことは可能でありましょうか?」
「え? シェイラも? もちろん、こちらはかまいませんけれど……でも、侍女の方々を4名もお招きしたら、それこそお屋敷のほうが大変じゃないですか?」
「ですがシェイラは侍女の中で、いち早く森辺の方々とご縁を持つことになったのでしょう? それでわたしたちばかりが祝宴にお招きされて、ひどく気落ちしていたため……それを見かねたポルアース様やメリム様が、ご当主様を説得してくださったのです」
それは何とも、申し訳ない話である。
しかし俺はそれ以上に、温かい気持ちを授かることができた。
「こちらのせいでお騒がせしてしまって、申し訳ない限りです。でも、それで4名もの侍女に休みをくださるなんて、ダレイム伯爵家の方々は本当にお優しいですね」
「はい。ポルアース、メリム、無論ですが、当主パウド、寛大である、思います。また、森辺の民との絆、重んじている、証でもあるのでしょう」
プラティカもどこか満足そうな目つきになりながら、そんな風に言っていた。
ともあれ、話は丸く収まったようだ。こちらも招待客がひとりやふたり増えるぐらいであれば、文句をつける人間はいないはずであった。
「それでは当日は、どうぞよろしくお願いします。今日なんかは、お招きできなくて申し訳ありません」
「いえ。南の民、送別会なのですから、私、不相応でしょう。ただし、明日から、森辺の集落、滞在、願いたい、考えています」
「承知しました。いちおうルウ家にも話を通しておきますね。よければ、ファの家にもいらしてください。アイ=ファに了承を取りつけておきますので」
「はい。よろしくお願いします」
そうしてプラティカとニコラもそれぞれ料理を買いつけて、青空食堂に引っ込んでいった。
あとは屋台の仕事をやりとげるばかり――と、俺が仕事に励んでいると、バルシャから来客の旨を告げられた。何者かが、屋台の裏手から俺を訪ねてきたのだ。
「年明け早々、大層な賑わいだな! 俺も職務のさなかであったので、裏からお邪魔させていただいたぞ!」
陽気な声が響きわたり、俺をぎょっとさせる。それは誰あろう、護民兵団の大隊長デヴィアスであったのだ。しかも彼は、白い甲冑姿であったのだった。
「デ、デヴィアスでしたか。今日はいったいどうされたのです?」
「実は折り入って、アスタ殿に願いたい儀があってな! 例の祝宴というやつに、俺も招いていただけないだろうか?」
「森辺の祝宴に、デヴィアスを?」
「うむ! そちらの祝宴に招待されたガーデルが、ずいぶん及び腰になってしまっているのだ! まあ、あやつも大の男なのだから、そうまで世話を焼いてやる筋合いはないのだが……しかし休職中とはいえ、俺の部下が森辺の方々にご迷惑をかけては一大事だからな! ここはお目付け役として、俺も同行させていただきたいのだ!」
そう言って、デヴィアスは心から楽しそうに笑った。
「まあ、そんな話を持ち出さなくとも、俺はかねてより森辺の祝宴というものに心をひかれていたからな! これは千載一遇の好機かと思い立ったのだ! 何とか了承をいただけないだろうか?」
「そうですか。実のところ、貴族の身分にある方々にはご遠慮を願っていたのですが……そういうことでしたら、俺のほうこそお願いしたく思います」
ガーデルは極度の人見知りであるため、たとえ上官でも見知った人間がいたほうが心の安らぐ面もあるだろう。そのような考えのもとに俺が返答すると、デヴィアスはいっそう嬉しそうな顔をした。
「ありがたい! 貴族といっても、俺などはしょせん名ばかりの騎士階級だからな! 他の参席者の面々にも、くれぐれも気遣いは無用と伝えてもらいたく思うぞ!」
それだけ言い残して、デヴィアスはさっさと立ち去ってしまった。察するに、職務のさなかに持ち場を離れてこっそり宿場町までやってきたのだろう。そこで使者などを使おうとしないのが、デヴィアスというお人であるのだ。
ともあれ、5日後の祝宴に向けて、役者はそろったようである。
しかしその前に、まずは本日の祝宴であり――さらにその前には、目の前の商売だ。あれこれ浮き立つ気持ちをぐっとこらえて、俺は茹であがったパスタを鉄鍋から引きあげることになったのだった。




