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異世界料理道  作者: EDA
第七十七章 銀の月の二つの祝宴
1326/1695

一年の始まり

2023.3/13 更新分 1/1

・今回は全8話の予定です。

 銀の月の1日――俺の故郷で言うところの、元日である。

 その日に俺が目覚めたのは、太陽が中天に差し掛かろうかという頃合いであった。


 何せ俺たちは太陽神の再生を見届けるまでダレイムに居残り、それからのんびりと森辺に帰宅したのである。たとえ中天まで眠りこけても、睡眠時間は普段より格段に短いはずであった。


 去年の今日という日には、俺たちはティアの悲しげな遠吠えに出迎えられることになった。星の動きで新年の始まりを知ったティアは、狩人として生きる時間が終わってしまった悲嘆に暮れて、世にも悲しげな慟哭を振り絞っていたのだった。


 本年はそのように悲しい情景を目にすることもなく、俺たちは無事にファの家まで辿り着き、留守番をしてくれていたサリス・ラン=フォウたちにお礼を言い、人間ならぬ家人たちと年明けの喜びを分かち合ってから、ようやく床についたわけであった。


 そうして短い眠りから覚めた俺は、まだ夢うつつで寝返りを打ち――そこに、アイ=ファの優しげな顔を見出すことになった。アイ=ファもまた目を覚ましていたが、身を起こすことなく俺の姿を見つめていたのだ。


「……おはよう。アイ=ファはもう起きてたんだな」


「うむ。つい先刻にな」


 そのように語る声音も、果てしなくやわらかい。金褐色の睫毛に縁取られた青い瞳には、ひたすら幸福そうな輝きがたたえられていた。

 睫毛と同じ色合いをした長い髪が、アイ=ファの端麗な面やなめらかな肩に流れ落ちて、中天の日差しにきらめいている。アイ=ファはいつでも美しかったが、この瞬間の美しさは息が詰まるほどであった。


「……まだ寝足りない気がするけど、さすがに二度寝をする気分にもなれないな」


「うむ。すでに中天の頃合いであろうからな。いかに骨休みの日であろうとも、ここからさらに眠りをむさぼろうというのは怠惰に過ぎよう」


 そんな風に語りながら、アイ=ファは横たわったまま俺のほうに接近してくる。金褐色の髪が揺れて、甘い香りがふわりと広がり、俺をいっそう陶然とさせた。


「アイ=ファは何だか、普段と様子が違うみたいだな。新しい年を迎えて、何か特別な心持ちなのかな?」


「ほう。それを不思議と思うなら、ずいぶん察しの悪いことだな」


 鼻先20センチぐらいの位置にまで迫ったアイ=ファの顔が、すねているような甘えているような表情をたたえる。それで俺は、ようやく察することができた。


「まあ、今朝がたは寝具を広げてすぐに寝入っちゃったから、アイ=ファとふたりきりになるのは昨日の朝以来だもんな。俺も幸福な心地だよ」


「その通りだ」とアイ=ファは微笑み、しなやかな指先で俺の頬に触れてきた。


「よって、多少ばかりは我慢がきかなくとも、致し方ないことであろう。とはいえ、おのれの柔弱さが嘆かわしい限りだ」


「あはは。アイ=ファが柔弱だったら、全世界の人類がそれ以下の軟弱者だろうけどな」


「それもまた、嘆かわしい限りだな」


 そんな軽口の応酬にいそしみながら、アイ=ファは親指の腹で俺の頬をそっと撫でてきた。その優しい力加減に、俺は思わず目を細めてしまう。


 そうして俺たちは四半刻ばかりも甘い空気にひたりながら、元日の生活をスタートさせたわけであった。


                  ◇


 ようやく寝所を出た後も、これといって為すべき仕事はない。昨晩の祝宴で使用した調理器具や食器は夜が明ける前に現地で洗っていたし、中天を過ぎてから森の端に足を踏み入れるのは危険なので薪と香草の採取もままならないのだ。せいぜいが、水瓶の水で身を清めて、脱いだ衣服を洗濯するぐらいのことであった。


「明日のための下ごしらえは、いつ始めるのだ?」


「作業開始は、下りの三の刻だよ。こんな日に仕事をお願いするのは申し訳ないから、なるべく遅めの時間に設定したんだ」


「ではまだ、二刻余りは時間があるわけだな」


 身を清めて着替えを済ませたアイ=ファは、半分ぐらいいつもの凛々しさを取り戻している。しかしもう半分は、まだやわらかな雰囲気のままだ。そうして広間で俺と向かい合ったアイ=ファは、凛々しさと優しさの混在した面持ちで微笑んだのだった。


「ではこれより、ブレイブとラムの子たちに名を与えようかと思う。アスタも、異存はないか?」


「ああ。もう子犬たちが産まれてから10日以上は経ってるもんな。俺もそろそろ頃合いだと思ってたよ」


 産まれたての子犬には迂闊に触れるべきではないと周知されていたため、これまでは男女を確認することもできていなかったのだ。俺たちは広間に腰を落ち着けたばかりであったが、いそいそと土間まで移動することになった。


 土間には産箱よりも大きめの木箱が置かれて、ラムと子犬たちはそこでくつろいでいる。今はラムも頭をもたげており、子犬たちはもぞもぞと動いているさなかであった。

 とはいえ、立って歩くことはもちろん、まだ這いずることもできない状態である。そのために必要な筋肉を鍛えているかのように、その場でごにょごにょと身を揺すっているのだ。それでも産毛ていどであった毛もずいぶん生えそろって、愛くるしさは増大するいっぽうである。その姿に見とれていたら、二刻ぐらいの時間はあっという間に過ぎ去ってしまいそうであった。


「……では、3名の男女を確認するがよい」


「うん。俺が確認役でいいのか?」


「人であろうと犬であろうと、私は赤子に触れるのが苦手であるのだ」


 それはもちろん、アイ=ファが赤子の身を慮っているがゆえである。俺としても、このように小さくて身体のできあがっていない赤ん坊に触れるのは、なかなかに勇気がいるところであった。


「ラム。ちょっとだけ赤ちゃんたちをお借りするぞ」


 俺は可能な限りそろそろと、子犬の1頭をすくいあげた。

 その小ささと軽さと温かさが、俺の心を翻弄する。このかよわき存在がたった1年ほどで立派な大型犬に育つことなど、まったく実感がわかなかった。


「どうだ? その赤子は、男児であるように思うのだが」


「ああ、うん。そうみたいだ。ブレイブみたいに立派な猟犬に育ててあげないとな」


 そうして俺は、3頭の性別を順番に確かめていった。

 その結果――2頭が雄で、1頭が雌である。ブレイブに似た赤毛とラムに似た淡い毛並みの子犬が雄で、その中間ぐらいの色合いをした子犬が雌であった。


「そうか。では、雄の1頭を私が名付けることとしよう。残りの2頭はお前にまかせたぞ、アスタよ」


「え? 俺が2頭も引き受けるのか?」


「うむ。ラムに名を付けたのは私であるのだから、そういう順番になろう」


 俺たちはこれまでも、交互に家人らの名前をつけていたのだ。

 トトスのギルルを名付けたのはアイ=ファで、その名は父親のギル=ファに由来している。

 猟犬のブレイブを名付けたのは俺で、意味は『勇敢』だ。

 次のドゥルムアは、森辺に伝わる古い言葉で『疾き矢』を意味する。

 お次は黒猫のサチで、意味はそのまま『幸い』である。

 そして最後が雌犬のラムで、これは森辺に伝わる古い言葉で『慈愛』であった。


「うーん、そうか。これは責任重大だな。……雄のほうは、俺がどっちを受け持てばいいんだろう?」


「どちらでもかまわんぞ。私はこの日に備えて、ジバ婆から森辺の古い言葉を習い覚えていたからな」


 アイ=ファはえっへんとばかりに胸をそらせる。友たるリミ=ルウにそっくりの仕草で、愛くるしいばかりだ。


「そうだったのか。いつの間にそんなことを習ってたんだ?」


「『暁の日』に、ジバ婆たちがファの家を訪れた折だ。男女どちらでも問題ないように、それぞれ2種ずつの名を考案した」


「え? 3頭全員の名前を男女別で考案したのか? だったらいっそ、それを丸ごと使えばいいじゃないか」


「……それでは、ファの家の習わしにそぐわなかろう」


 と、アイ=ファはたちまち唇をとがらせてしまう。しかし、愛くるしいことに変わりはなかった。


「どうせこの先も、ドゥルムアやジルベの子が増えていくのだからな。考案した名前を持て余すことはない。このたびは、お前が2頭を名付けるのだ」


「わかったよ。それじゃあ……雄は、ブレイブ似のほうを受け持とうかな。赤い毛並みって特徴があったほうが、名付けやすいように思うからさ」


 とはいえ、俺はそうまでボキャブラリーが豊かなわけではない。サチなどは案外すんなり決まったものの、ブレイブに関してはずいぶん紆余曲折を経たのだ。


「赤い毛並み……赤といえば、火だよな。西方神は火を司るっていうから、縁起もいいだろうし……かまど番にとっても、火は重要だもんな」


「ふむ。それで?」


「いや、そんなにせかさないでくれよ。えーとえーと……英語だとファイアだけど、それはアイ=ファとまぎらわしいよなぁ」


「…………」


「そのじっとりとした目つきも勘弁してくれってば。あと火に関連した言葉っていうと……フレイムっていうのは、炎のことだっけ? あと、ほむらって言葉もあったような……そうか、気に食わないか。アイ=ファが遠慮なく名付けてもいいんだぞ」


「それでは、ファの家の習わしに――」


「わかったよ。うーんうーん……これだけ毎日火を扱ってるのに、何も思い浮かばないのは不甲斐ない――」


 そこまで言いかけて、天啓のようにひらめくものがあった。


「……フランベとかは、どうだろう?」


 アイ=ファの形のいい眉が、ぴくりと動いた。


「フランベとは、いかなる意味であるのだ?」


「料理にお酒をかけて火をつける調理法のことだよ。ほら、ガズラン=ルティムたちの婚儀の祝宴で、ヴィナ・ルウ=リリンにお願いしただろう? あの祝いの料理を仕上げた調理法の名前さ」


「なるほど……」と、アイ=ファは考え深げに下顎を撫でさすった。これはドンダ=ルウやダリ=サウティあたりがよく見せる仕草だ。


「どうだろう? 子犬の名前に相応しくない要素はあるかな?」


「『ベ』の字で終わる名前というのは、森辺において馴染みが薄いように思う。しかしファの家にはジルベがいるため、私の耳には馴染むようだ」


 ジルベの名は、最初の飼い主であった王都の貴族ドレッグがつけたものだ。そこにどのような意味や思いが込められているかは不明であったが、俺たちの耳に馴染みきっていることは確かであった。


「それに、あの祝宴の夜の炎は、限りなく美しかった。我々にとっては、大切な記憶を連想させる名であろう」


「そうか。それじゃあ――」


「うむ。今日からそちらの子犬の名は、フランベとしよう」


 アイ=ファはとても満足そうな面持ちで微笑んだ。


「では次に、雌の子犬を名付けるがいい」


「いや、ちょっとは頭を休ませてくれよ。アイ=ファのほうは決まってるんだったら、それを先に聞かせてくれないか?」


「うむ。もう片方の雄の子犬は、『チトゥ』とする」


「チトゥ? なかなか可愛い名前だな。それはどういう意味なんだ?」


「森辺の古い言葉で、『砂』であるそうだ。砂は大地に通ずる存在であるため、決して軽んじてはならないという習わしがあったのだと聞いている」


「なるほど。ラムとよく似たあの子犬は、毛並みが砂の色っぽいもんな。……ちなみにあの子犬が雌だったら、どういう名前になっていたんだろう?」


「その場合は、『ミマ』を考えていた。かつて黒き森にて収穫されていた、砂色の皮をした果実の名前であるとのことだ。そちらの果実はたいそう滋養があったそうなので、子犬の名に相応しい面もあろう」


 どこをつついても、アイ=ファの側に隙はない。それで俺は、深々と溜息をつくことになった。


「ジバ婆さんってのは、頼もしいな。アイ=ファばっかりジバ婆さんのお知恵を拝借できて、ちょっとばっかりずるくないか?」


「であれば、お前も好きな相手を頼ればよかろう。ただ……私はファの家人にお前の流儀で名を付けられることを、心より得難く思っている。その一点だけは、忘れないでもらいたい」


「そんな切なそうな目で見つめないでくれよ……わかったわかった。俺もない知恵を振り絞るよ」


 俺は腕を組み、再び頭を悩ませることになった。


「最後の子犬は、ブレイブとラムの中間ぐらいの色合いだよな。中間……真ん中……ミドル……センター……いやいや、まったくピンとこないな。ふたりの中間ってよりは、ふたりの要素をあわせもってるって意味にするべきか。うーん……」


「……フランベというのが調理法であるならば、それに類するような言葉はないのか?」


「調理法? うーん、フランベってのはフランスっていう国の言葉なんだけど、俺はあんまりそっちの知識が……」


 そこまで言いかけたところで、またひらめいた。


「……たとえば、マニエとかはどうだろう?」


「マニエ? それは、いかなる意味であるのだ?」


「たぶん、混ぜるとか練り合わせるとかいう意味のはずなんだよな。カレーやシチューにとろみをつけるのに、乳脂とフワノ粉を入念に練り合わせるんだけどさ。そういう調理法のことを、マニエっていうんだよ」


 それはブールマニエといい、ブールがバター、マニエが練るの意味であるはずだ。俺が知る、数少ないフランス語のひとつである。


「ふむ……お前はそこに、どういう思いを込めているのだ?」


「ちょっとこじつけになっちゃうけど、両親のいいところをムラなく受け継いでほしいってところかな。マニエが不十分だと、料理の仕上がりも不出来になっちゃうからさ」


「そうか」と、アイ=ファは微笑んだ。


「マニエという言葉の響きは心地好いし、その意味合いにも不足はないように思う。お前とて、決してジバ婆に負けていないではないか」


「それはアイ=ファが硬軟おりまぜたプレッシャーをかけてくれたおかげだよ。……あ、プレッシャーってのは、精神的な圧力とかそういう意味な」


 アイ=ファはくすりと笑いながら、俺の頭を小突いてきた。


「では、これにて名付けは完了とする。新たな家人となった子犬たちの名は、フランベ、チトゥ、マニエだ」


「うん。これなら俺も、うっかり忘れたりせずに済みそうだよ」


 俺たちは申し合わせたように、土間の子犬たちを覗き込んだ。

 フランベもチトゥもマニエも、まだ母親の胸もとでもぞもぞと動いている。ようやく開きかけてきた目からは黒い光がわずかにこぼれ、早くこの世界を眺めてみたいとねだっているかのようであった。


                  ◇


 その後もゆったりと時間は流れて、時刻は下りの三の刻である。

 その少し前から、今日の下ごしらえをお願いしていた女衆が集まり始める。本日の当番は屋台の常勤メンバーと、毎度おなじみフォウの血族であった。


「アスタにアイ=ファ! あらためまして、本年もよろしくお願いいたします!」


 最初の荷車で到着したレイ=マトゥアは、元気いっぱいに挨拶をしてくる。常勤メンバーは朝までご一緒していたので、半日足らずぶりの再会だ。同じ荷車に乗っていたマルフィラ=ナハムもふにゃふにゃ笑っており、誰も睡眠不足に悩まされている様子はなかった。


「みんな、お疲れ様。骨休みの日にまで仕事をお願いしちゃって、申し訳なかったね」


「とんでもありません! この時間までゆっくりできたので、むしろ力が有り余っているぐらいです!」


 そんな風に言ってから、レイ=マトゥアは幼子のように頭をかいた。


「でもきっと、これは復活祭の余韻もあるのでしょうね。昨日は昼から夜明けまで町に下りていて、眠りの時間も普段の半分ていどだったのですから……今日は晩餐を食べ終えるなり、眠りに落ちてしまうかもしれません」


「あはは。俺もきっと、同じような感じだよ。もし仕事中に疲れが出ちゃったら、我慢せずに声をあげてね。無理をすると、事故のもとだからさ」


 そうして俺たちがかまど小屋の前で語らっていると、新たな荷車が到着する。その手綱を握っていたのはライエルファム=スドラで、荷台からはユン=スドラとイーア・フォウ=スドラが降り立った。


「あ、どうも。ライエルファム=スドラもいらしたのですね。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします」


「うむ。こちらこそな」と、ライエルファム=スドラは御者台から降り立った。


「アスタたちも眠りは足りてなかろうに、息災そうで安心したぞ」


「はい。ライエルファム=スドラも、家人のみなさんと朝まで語り通したのですか?」


「いや。やはり年を食った人間だけで語らっていても、眠気を退けることはできなくてな。けっきょく太陽神の再生は、早めに起きて見届けることになった」


 そんな風に語りつつ、ライエルファム=スドラは落ち着いた眼差しで俺とアイ=ファを見比べてきた。


「アスタたちは、ダレイムで得難い時間を過ごしたそうだな。それで何やら俺に用向きが生じたようだと聞いて、ユンたちを送るついでに出向いてきたのだ」


「そうか。それは年が明けるなり、手間をかけさせてしまったな。実は折り入って、ライエルファム=スドラに願いたい話があったのだ」


 アイ=ファが凛然とした面持ちで進み出る。家人ならぬ相手がこれだけ集まれば、もはや昼下がりまでのやわらかい空気はすっかりなりをひそめていた。


「近日中に、町の人間と親睦を深めるための祝宴が開かれる。ライエルファム=スドラは、それに参ずる予定であったであろうか?」


「うむ? このたびは、若い家人にまかせるつもりであったぞ。俺のような年寄りは、なるべく身をつつしむべきであろうしな」


「そうか。そこを曲げて、ライエルファム=スドラに参じてもらいたいのだ」


 アイ=ファの言葉に、ライエルファム=スドラもいくぶん表情を引き締めた。


「もしやそれは、ガーデルなる者と言葉を交わすためであろうか?」


「うむ。ライエルファム=スドラも、すでに聞き及んでいたか」


「いや。その者がいささか場を騒がせたようだと、ユンから聞き及んだのみだ。ただ、そやつの言い分を聞いていると……何やら、他人事とは思えなくてな」


 すると今度は、アイ=ファがいっそう表情を鋭くした。


「私は決して、ライエルファム=スドラとガーデルが同じ立場だと考えているわけではない。ただ、ガーデルというのはあまりに心が育っていないようなので……ライエルファム=スドラと語ることで、何か得るものがあるのではないかと考えたのだ」


 ライエルファム=スドラはかつて俺を守るために、テイ=スンを斬り伏せた。いっぽうガーデルは、俺に悪意を向けていたシルエルを斬り伏せることになった。そうしてガーデルは人を殺めた罪悪感を緩和させるために、俺の存在を英雄視しているのではないか――と見なされているのだった。


「そうでなくとも、ライエルファム=スドラほど聡明な人間はそうそういなかろう。ライエルファム=スドラの目にあやつはどう映るのか、意見をもらいたく思うのだ」


「アイ=ファやアスタからそのように頼られるというのは、誇らしい限りだな」


 そう言って、ライエルファム=スドラはくしゃっと笑顔になった。


「了承した。俺とて、そのガーデルなる者の存在は気がかりであったからな。バードゥ=フォウに頼んで、俺が参ずる許しをいただこう」


「年が明けるなり世話をかけて、申し訳なく思う。よければ、私からバードゥ=フォウに話を通すとしよう。このたびは、ファとフォウで祝宴を取り仕切る手はずであったのだからな」


「うむ。それではのちほど、ふたりでバードゥ=フォウのもとに参ずるとするか。若い家人を引っ込めて、その代わりに俺が出向くことにすれば、何も許しを得る必要はないのだが……そのような真似をすると、ユンに手ひどく恨まれてしまうのでな」


「ど、どうしてそこで、わたしばかりを引き合いにするのですか」


 ユン=スドラが顔を赤くしながら、ライエルファム=スドラの狩人の衣を引っ張った。いっぽうイーア・フォウ=スドラは、くすくすと笑っている。


「よろしければ、わたしが引き下がりましょうか? わたしは屋台の商売を手伝っているわけでもないので、本来であれば遠慮をする立場でしょうし……」


「いや。このたびは、城下町からも客人を招くのだからな。お前はフォウの血族において、ユンの次に城下町の民と縁が深いはずだ。……それに、お前だけを下げてしまったら、今度はチムの恨みを買うことになろう」


 出会った当初は気難しげな顔ばかり見せていたライエルファム=スドラであるが、最近はすっかり砕けた様子を見せてくれるようになっている。この際も、家人を見やる目がとても穏やかであった。


「事情を話せば、バードゥ=フォウも快く許しをくれよう。いざとなれば、俺が宴料理を口にしなければいいだけのことだしな」


「いえいえ、それは駄目ですよ。こっちが無理にお願いしているのに、ライエルファム=スドラにそんな我慢を強いることなんてできません」


 俺が慌てて口をはさむと、ライエルファム=スドラはまた笑い皺を深くした。


「冗談だ。祝宴の場でアスタたちの宴料理を口にできないなど、拷問のようなものだからな。情理を尽くして、バードゥ=フォウを説得することにしよう」


 そんな感じで、話は丸く収まった。

 俺とアイ=ファは『滅落の日』にガーデルと絆を結びなおそうという算段であったが、それが空振りに終わったため、彼を森辺の祝宴に招待しようという心づもりなのである。そこでライエルファム=スドラの力を借りようというのは、バランのおやっさんの助言があってのことであった。


 そのおやっさんが率いる建築屋の面々は、明後日の朝にジェノスを出立する。そしてその前日たる明日には、ルウの集落で送別の祝宴が開かれるのだ。さらにそれとは別に、銀の月の7日あたりに町の人々と親睦を深めるための祝宴を開こうという計画が進められていたので、ガーデルはそちらにお招きしようという算段であった。


 年が明けるなり、俺たちは祝宴尽くしである。

 ただ、これも定例の行事になりつつあった。昨年もこの時期には、親睦の祝宴と《銀の壺》の送別会が開催されていたのだ。復活祭が終わってからしばらくはダレイムや宿場町の人々も手が空きやすいので、祝宴を開くのに都合がよかったのだった。


(それで去年は……祝宴と祝宴の間に、モルガの聖域まで出向くことになったんだよな)


 俺は思わず東の空を振り仰ぎ、モルガの山の威容に目を向けた。

 あちらの族長会議の結果として、ティアは特別にもう1年だけ狩人として生きることを許されたわけだが――その期間も、昨日で終わったはずであるのだ。ティアは今日から気持ちも新たに女衆として生き、生涯の伴侶を探すことになるはずであった。


 きっとティアならば良き母となり、そして立派な族長となることだろう。

 そんな風に想像すると、俺はいつでも胸がいっぱいになり――そして思わず涙ぐみそうになってしまうのだった。


                  ◇


 そうして下ごしらえの仕事を終えたのちは、晩餐の刻限である。

 アイ=ファとふたりきりの、そして本年最初の晩餐だ。俺は中天に目覚めてからこの刻限まで、ずっと温かい気持ちで過ごすことができた。


「今年もちょっとだけ、俺の故郷の流儀を持ち込ませてもらったぞ」


 その成果を木皿に取り分けて、俺はアイ=ファに献上した。

 それを受け取ったアイ=ファは、またやわらかい空気を復活させて「うむ」と首肯する。


「たしか、こちらの料理は……ぞうに、であったか。年の始まりのみに食するものではないと聞いていたが、しかしずいぶんひさびさであるように感じられるな」


「うん。雑煮のほうで餅を使うと、他の料理との兼ね合いが難しくなっちゃうんだよな。でもまあ、今日は強引に使わせていただいたよ」


 こちらの雑煮は海草と海魚の乾物で出汁を取り、タウ油で薄く味をつけている。あとはニャッタの蒸留酒しか使っていないので、本当にシンプルで優しい味わいだ。具材はギバのバラ肉と、小松菜のごときファーナ、ダイコンのごときシィマ、ニンジンのごときネェノン、そしてブナシメジモドキのみであり、シャスカの餅を入れていなければ、基本中の基本であるタウ油仕立てのギバ・スープとそう変わらない仕上がりであった。


「お前はこれまでに、数々の汁物料理を仕上げてきたが……しかしこういった簡素な味わいも、決して劣ってはいないように思うぞ」


 雑煮の汁をすすったのち、アイ=ファはしみじみと息をつきながら、そんな風に言ってくれた。


「それに、このもちという形に仕上げたシャスカの噛みごたえは、なかなかに心地好い。普段は菓子でしか使われていないように思うしな」


「うん。これはご老人や小さな子供には危険な面もあるから、あまり発展させる気持ちになれなかったんだ。ルウ家では、菓子でしか使わないって厳重に取り決めたらしいぞ」


「うむ。お前のもたらした料理でジバ婆やコタ=ルウの身が危うくなることなど、決して招いてはならんからな」


 そんな言葉を交わす間も、広間には温かい空気が満ちている。これほどに穏やかな心持ちというのは、やはり復活祭の反動なのかもしれなかった。


 そうしてアイ=ファはひとつの餅を食べ終えてから、別なる木皿を取り上げる。そちらはアイ=ファの好物たるタラパソース煮込みの乾酪・イン・バーグであり、本日はバターライスならぬ乳脂シャスカも同じ皿に添えていた。タラパと一緒に煮込んだ野菜もどっさりで、雑煮とこちらのプレートが本日の晩餐のすべてである。


「色んな副菜を準備しようかとも考えたんだけど、それよりはハンバーグの皿にまとめたほうがアイ=ファのお気に召すかと思ってさ。俺の判断に、間違いはなかったかな?」


「……私がお前の作りあげた晩餐に文句をつけたことがあるか?」


 アイ=ファはいかにもたわむれといった風情で、俺をにらみつけてくる。アイ=ファがハンバーグを出されて文句を言うわけはなかったので、俺としても最初から軽口のつもりであったのだ。


「しかし、お前がそのように語るということは……お前の故郷では、ぞうににいくつかの副菜を添えるのが習わしであったということか」


「うん。副菜っていうか、おせち料理かな。それこそ年明けにだけ口にする、特別な料理なんだ。ただ、俺もそれほど口にする機会はなかったけどさ」


「ふむ。それには何か、理由でもあるのか?」


「おせち料理っていうのは、もともと年明けにかまど仕事を休めるように作り置きの料理を準備するっていうのが始まりだったみたいなんだよ。でも、うちは年の終わりまで営業して、年が明けてから3日ぐらい休むっていう日程だったから、むしろ年の終わりのほうが忙しくってさ。それで、おせち料理を作る習慣が定着しなかったんだと思うよ」


 そうして俺はアイ=ファを心配させないように、笑顔で言葉を重ねてみせた。


「だから、最後におせち料理を口にしたのは、母親を亡くす前かな。それまでは、母親がおせち料理を準備してくれたからさ」


「そうか」と、アイ=ファも優しく微笑んでくれた。


「でも、アイ=ファが俺の故郷について尋ねてくるのは、珍しいような気がするな」


「ふむ、そうか。私はお前の故郷に強い興味を抱いているわけではないが、それでも決して軽んずる気持ちもない。必要な際には口にするし、そうでなければ口にしない。ただそれだけのことであろう」


「なるほどな。アイ=ファは自然に俺の存在を受け入れてくれていることが実感できて、幸福な気持ちだよ」


「……それはお前とて、同様であろうからな」


 俺たちは木皿を掲げたまま、また微笑み合った。

 そうして俺たちは、ひたすらやわらかで満たされた時間を過ごし――明日からやってくる賑やかな日常に、万全の態勢で備えることがかなったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] そういえば煎餅作ったんだからもち米ならぬもちシャスカ品種もあるのか。 粽、おこわ料理も広めたいとこだけど、粘り気強い料理は喉につっかえる可能性あるから、迂闊に広めにくいか。 ギバ角煮入り粽…
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