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異世界料理道  作者: EDA
第七十六章 太陽神の復活祭(下)
1325/1695

滅落の日⑦~日はまた昇り繰り返す~

2023.2/27 更新分 1/1

・本日の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 俺とアイ=ファは120名からの人々とともに、リコたちの手腕を堪能することに相成った。

 その演目が『森辺のかまど番アスタ』であったため、俺とアイ=ファは小さからぬ羞恥心をかきたてられることになったものの――かがり火だけが目の頼りである夜の闇の中で傀儡の劇を拝見するというのは、なんとも趣の深いものであった。


 それに印象的であったのは、やはりガーデルだ。

 ガーデルは半刻にも及ぶ長い劇を見守っている間、ずっと陶然としているようであった。


 コミカルな部分では屈託なく笑い、緊迫した場面では真剣な面持ちとなり、苦難を乗り越えた場面では目に涙を浮かべ――本当に、幼子のごとき純粋なリアクションである。彼がこうまで内心をさらけだすのは、こういった演劇に夢中になった際だけなのかもしれなかった。


 ただ、彼がこの演目に――すなわち、ファの家のアスタという存在にどれだけ魅了されているのかは、これでしっかり理解できたような気がした。本当に、彼にとってのファの家のアスタというのは偉人であり、英雄であるのだ。それほどの熱情を抱かれるというのは、少し怖いぐらいであった。


 しかし、傀儡の劇が終了し、ガーデルが感涙にむせんでいる姿を見守っていると、俺の胸には別なる感慨が去来した。彼はこれほどファの家のアスタに魅了されているにも拘わらず、すぐ隣に座した俺には何の関心も向けようとしないのだ。まるでガーデルにとっては、あちらの傀儡こそが本当のアスタであると認識されているかのようであった。


(これはちょっと、フェルメスとは似て異なるっていうか……とにかく、ずいぶん根が深いみたいだな)


 しかしそれならばなおのこと、俺は一個人としてガーデルと交流を深めなければならないだろう。

 俺はそのように奮起していたのだが、そんな思いはひとまず空回りすることになった。傀儡の劇が終了するなり、ガーデルが休息を求めてきたのである。


「しょ、食事の後に痛み止めの薬を服したため、眠気に見舞われてしまったようです。しばし休息させていただいてもよろしいでしょうか?」


 怪我人の身でそのように訴えられたら、こちらも肯ずるしかない。それでガーデルはドーラ家の兄弟に面倒を見られながら、母屋に引っ込むことになってしまったわけであった。


「……なんというか、恐ろしいほど腰の据わらん若造だな。あれならば、うちの不出来な小僧どものほうがよっぽど頼もしく思えてしまうぞ」


 そのように評したのは、近い場所に陣取っていたバランのおやっさんである。傀儡の劇が上演される直前に、ガーデルを紹介させてもらったのだ。


「あれが家であったなら、イチから建てなおしたほうが手っ取り早いぐらいだ。ずいぶん妙な相手の世話を焼くことになってしまったものだな」


「ええ。森辺の民にとっては、大きな恩義のあるお人ですし……俺としては、きちんとした関係を結ばないといけないお相手なのですよね」


「さきほどルティムの先代から、ひと通りの事情は聞いている。……今日はあの、スドラの家長は来ておらんのか?」


「ライエルファム=スドラは、家で過ごすそうです。ライエルファム=スドラが、どうかしましたか?」


「あの者こそ、お前さんを大罪人から守った張本人であろうが? あの若造の苦しみを心底から理解できるのは、同じ境遇にある人間だけなのではないのか?」


 おやっさんのそんな言葉に、俺は思わず息を呑むことになった。

 ライエルファム=スドラは俺を守るために、テイ=スンを斬り捨てることになったのだ。それはさきほどの傀儡の劇でも語られていたし、おやっさんは肉眼でも見届けていたのだった。


「そう……ですね。ライエルファム=スドラもガーデルも、俺なんかを守るために人を殺めてしまったわけですし……」


「だからといって、お前さんが気に病む必要はない。悪いのは、罪もない人間に刃を向けようとする大罪人のほうなのだからな」


 おやっさんは緑色の瞳を強く光らせながら、俺の肩をがっしりとつかんできた。


「それに、あの若造はお前さんを守るために大罪人を斬ったわけではない。斬った相手が、たまたまお前さんに害をなそうとする人間であったというだけのことだ。それでお前さんを立派な人間に仕立てあげて、人を殺めた心苦しさをやわらげようなどというのは……言っては悪いが、覚悟が足りんとしか言いようがない。そもそもあやつは、ジェノスの民を守る衛兵という立場であったのだからな。悪人を斬って心を痛めるような人間は、そもそも兵士を志すべきではないのだ」


「……きっとガーデルには、そのように諭してくれる家族もなかったのであろうな」


 アイ=ファがとても静かな声音で、そのように言い添えてくれた。


「確かにあやつは、心が育ちきっていないのだろうと思う。それでも我々は正しく絆を深められるように力を尽くすつもりであるので、バランにも見守ってもらいたい」


「……ふん。俺など、3日後の朝には消えてなくなる身だがな」


 おやっさんは俺の肩から手を離し、うっすらと微笑んだ。


「しかし、お前さんの周りにはこれだけ心強い人間がそろっておるではないか。だから俺は、心置きなくネルウィアに帰らせていただくぞ」


「はい。半年後にいい報告ができるように、頑張ります」


 俺がそのように答えたとき、大柄な人影が左右からおやっさんにのしかかった。それぞれ酒杯を手にした、アルダスとワッズである。


「さっきから、何を深刻な顔で語らってるんだよ? 今日は『滅落の日』だぜ、おやっさん!」


「そうだよお。深刻ぶるのは、年が明けてからでも遅くねえだろお?」


 彼らはいつも同じ宿に滞在しているため、すっかり意気投合しているようである。そして、ふたりの巨漢にのしかかられたおやっさんは、「暑苦しいわ!」とがなりたてることになったわけであった。


 周囲では、ダレイムの住民も森辺の民もジャガルの民も一緒くたになって、大変な賑わいである。ダン=ルティムやラッド=リッドは誰彼かまわず酒杯を交わしているし、リミ=ルウやターラは夜ふかしを許されて大喜びの幼子たちと一緒になってはしゃぎ回っていた。

 それに、ジバ婆さんはミシル婆さんやメイトンなどとしんみり語らっているようであるし、ひと仕事終えたリコたちもドーラ家の家族に歓待されているようであるし、ワッズと別行動のデルスはおやっさんの息子たちに絡んでいるようであるし、ディガ=ドムやドッドはまたかつての家族たるミダ=ルウやヤミル=レイやツヴァイ=ルティムたちと絆を深めているようであるし――どこを見回しても、心の温かくなる交流のさまが繰り広げられていた。


(だからこそ、ガーデルもこの場にお招きしたんだけどな……)


 なかなかうまくいかないものである。

 俺がそのように考えていると、アイ=ファが小声で呼びかけてきた。


「アスタよ。この1年も、去年や一昨年に負けぬ騒がしさであったな」


「うん? ああ、そうだな。何せ、今年は……いきなりティアとのお別れで始まったんだもんな」


 年が明けてすぐ、俺たちはモルガの聖域に足を踏み入れることになった。これほど印象深い1年の始まりというのは、なかなか他に存在しないことだろう。

 その後には、《銀の壺》の送別会やジェノスの闘技会などが待ちかまえていた。それに、クルア=スンを屋台の人員として迎えたのもその頃であるし、月の終わりにはアルヴァッハたちが再来して、プラティカと引き合わせてくれたのだ。銀の月だけで、それだけのイベントがひしめいていたのだった。


 そうして翌月の茶の月には、プラティカの要望でともにラヴィッツやミームやスンの合同収穫祭を見届けることになり、ほどなくしてゲルドの食材が届けられた。さらには南の王都の使節団まで到着し、シフォン=チェルやトゥランで働かされていた北の民たちは南方神の洗礼を受けるためにジャガルへと出立したのだった。

 なおかつ、茶の月の終わりには雨季が到来したため、その直前にはザザの収穫祭にも招かれているはずである。トータルすれば、銀の月にも負けない賑やかさであった。


 それで翌月の赤の月は、まるまる雨季であったわけだが――アイ=ファが生誕の日を迎えたのち、俺たちはチル=リムとディアに出会うことになった。邪神教団との、最初の対決である。その際に俺はこの地にやってきて初めて、深手と言えるような怪我を負ったのだ。その傷痕は、今も左肩にくっきりと残されていた。


 それに比べると、朱の月はまだ平和であっただろうか。しかしまだまだ雨季のさなかであるし、婚儀を見据えてフォウとサウティで家人を預け合ったり、ジバ婆さんが生誕の日を迎えたり、ディアルがジャガルに里帰りをしたり、ルウ家にルディ=ルウが誕生したりと、慌ただしい印象に変わりはなかった。


 それで翌月の黄の月は――俺が生誕の日を迎える前に、さまざまな出来事が起きている。とりわけ印象的であったのは、ディック=ドムとモルン・ルティム=ドムが婚儀を挙げたことと、ジャガルの使節団が再来したことであろう。俺は南方神の洗礼を受けたシフォン=チェルと再会すると同時に、ダカルマス殿下やデルシェア姫に巡りあうことになったわけであった。

 その後は、もう怒涛の試食会である。俺の生誕の日の前にも後にも試食会が立て続けに開催されて、そのまま翌月になだれこんだのだった。


 そうして緑の月には建築屋の一行が来訪し、バランのおやっさんとアルダスまで試食会に巻き込まれることになった。同時期に滞在していた《黒の風切り羽》のククルエルも同様である。そのまま緑の月は試食会に明け暮れて、月の終わりには試食会で優勝を果たした俺とトゥール=ディンが礼賛の祝宴で大いなる祝福を授かったのだった。


 それで青の月になったならば、恐るべき飛蝗の襲来だ。

 邪神教団との、2度目の対決である。しかも今回はガズラン=ルティムを筆頭とする森辺の精鋭もジャガル遠征に同行することになり、俺たちは飛蝗の後始末に追われながらその帰りを心待ちにすることになったのだった。

 そんなさなか、里帰りをしていたディアルがジェノスに戻ってきた。そうして邪神教団の討伐が完了したのちは、ダカルマス殿下が帰国する番だ。その当日にシュミラル=リリンたち《銀の壺》が帰還して、新たな猟犬と雌犬がジャガルから届けられたのも印象深いところである。それでファの家は、ラムという新たな家人を迎えることになったのだった。

 さらに、ルウ家から新たな氏族を分けると決められたのも、たしかこの月であったはずだ。それで新たな氏族の家長を決めるために、シン=ルウとディグド=ルウで闘技の力比べが行われることになった。そののちに、飛蝗の騒ぎで延期を重ねていた家長会議が開かれたのだから、ひときわ盛沢山の月であったのだ。


 それに比べると、白の月は平穏であっただろうか。レビとテリア=マスの婚儀だの、ヴァルカスをファの家に迎えての勉強会だの、ユーミがランの家に滞在したりだの、《銀の壺》の送別会だの、ルイアがダレイム伯爵家の侍女に迎えられたりだのと、心の温まるイベントが多かったように記憶している。

 ただその間も、ジェノスは飛蝗の被害に悩まされていた、ダレイムの食材が不足して、森辺のかまど番も外来の食材だけで満足な料理を仕上げられるようにと苦心していたのだ。さらには同時進行で、血抜きに失敗したギバ肉の扱い方と、アイ=ファとサウティの狩人たちが考案した新たなギバ狩りの作法を周知させるという行いに取り組んでいたはずであった。


 それで灰の月に入ったならば、王都の貴族ティカトラスの到来だ。

 その一件だけで、この月も大変な騒ぎであったと言い切れるはずであった。

 アイ=ファは肖像画のモデルに任命されて、その完成品をお披露目するための祝宴まで開かれることに相成った。そしてその件が終了してもティカトラスはジェノスに居残り、俺たちの合同収穫祭や、さまざまな氏族の集落の見物まで願い出てきたのだった。


 そちらの騒ぎを引きずったまま黒の月に突入して、今度は冥神の鎮魂祭だ。あれもまた、忘れようのない強烈な思い出であった。

 それでティカトラスは商談のために一時ジェノスを離れたが、こちらはその間にバナームへと遠征してウェルハイドたちの婚儀である。鎮魂祭とバナーム遠征だけで、俺たちにとっては十分以上の騒ぎであった。


 そうして藍の月にはアラウトたちをジェノスに迎え、時間差でティカトラスの一行とゲルドおよび南の王都の使節団がやってくるというとんでもない事態に陥ってしまった。その締めくくりは、すべての客人を見送る合同の送別会であり――そこから帰還した俺たちは、ドンティ=ルウとエヴァ=リリンの生誕を立て続けに知らされることになったのだった。


 それから紫の月に至ったならば、フォウとヴェラの婚儀に、大規模な茶会たる『麗風の会』、それにディガ=ドムに氏が授けられる儀式を見届けたのちに、太陽神の復活祭である。そのさなか、ファの家では3名もの新たな家人を授かることになったのだ。

 ざっと振り返っただけでも、俺たちがとてつもない日々を過ごしてきたことが実感できた。


「……うん。本当に、去年にも一昨年にも負けない騒ぎだったな」


 俺がそのように言葉を返すと、アイ=ファは落ち着いた面持ちで「うむ」とうなずいた。


「であれば、おそらくは来年もその次も、同じぐらいに騒がしい日々が待ち受けているのであろう。我々にとっては、それが日常であるということだ」


「あはは。そう考えると、《ギャムレイの一座》にも負けない騒がしさだな」


「うむ。そしてその大半は、お前の存在をきっかけとした騒ぎであるのだろう。アルヴァッハやダカルマスやティカトラスらがジェノスにやってきたのも、もとをただせばお前が原因であるのだろうし……お前がいなければ、チルが森辺にさまよいこむことにもならなかったのだろうからな」


 アイ=ファはそのように語ったが、その表情は落ち着いたままであったので、俺も胸を騒がせずに済んだ。


「お前には、人を動かす大きな力というものが備わっている。『星無き民』などというものを持ち出すまでもなく、お前がそういう人間であるのだ。その事実から、目を背けることはできんだろう」


「うん。事情はどうあれ、俺が特別な出自であることに変わりはないからな」


「うむ。しかしお前は私たちと変わりのない、血肉を備えた人間に過ぎんのだ。私たちには当たり前であるその一点が、ガーデルにはわかっていないのかもしれんな」


「俺としては、それを当たり前だと言ってくれるアイ=ファの懐の深さに感じ入るばかりだけどな」


 俺がそのように答えると、アイ=ファは感情を隠すことなく口もとをほころばせた。


「私ほど狭量な人間は、あまり多くはなかろう。そんな私を惑わせる余地もないほど、お前が立派な人間であるということだ」


「俺はただ、アイ=ファの家人に相応しい人間を目指しているだけだよ」


 そのとき、アイ=ファの背後から赤茶けた頭と焦げ茶色の頭が、ひょこりと覗いた。リミ=ルウとターラの仲良しペアである。


「ねえねえ。今日はあんまりアイ=ファとおしゃべりできてないんだけど……まだアスタと大事なお話中?」


「いや。ちょうどひと区切りしたところだな」


 アイ=ファは優しい面持ちのまま、旧友の小さな頭にぽんと手を置いた。するとターラも一緒になって、嬉しそうな顔をする。


「他のみんなも、アイ=ファとおしゃべりしたがってるよー! きっと傀儡の劇のアイ=ファがかっこよかったからだろーね!」


「それはいまひとつ、喜びかねるところだが……ともあれ、ダレイムの民ともジャガルの民とも、正しく絆を深めなければな」


 そうして俺たちは幼き使者たちの導きで、さまざまな人々とご縁を深めることになった。

 この楽しいひとときも、来年にまた振り返ることになるのだろうか。そんな風に考えるのは、いささか俯瞰的かもしれなかったが――それでも楽しい気持ちを阻害することにはならなかった。


 夜明けまでにはまだまだ何刻も残されていたので、ジバ婆さんやご老齢の面々はいったん母屋に身を移す。しかしそれ以外の人間は、のきなみ空き地に居残っていた。たとえどれだけの眠気に見舞われようとも、この楽しい場から離れる気持ちになれなかったのだろう。それで敷物で眠りこける人間が続出したが、周りの人々はかまわずに祝宴を楽しんでいた。


 俺自身は、まったく眠気に見舞われない。今日も朝から晩まで忙しい1日であったが、やはり昂揚した気持ちが眠気を退けてくれるのだろう。それで俺は思うさま、あらゆる人々と喜びを分かち合うことがかなったのだった。


 途中では、リコたちがまた傀儡の劇を披露してくれる。次に持ち出された演目は、最新作である『マドゥアルの祝福』であった。七小神がさまざまな姿で登場する、ひときわ豪華な内容である。人々は、もちろん大歓声をあげていた。


 そんな熱気に身をひたしている間に、ついに東の空が白んでくる。

 ジバ婆さんやガーデルたちも、そこで母屋から引っ張り出されることになった。


「大丈夫ですか、ガーデル? ついに太陽神の再生ですよ」


 俺がそのように呼びかけても、ガーデルは夢うつつで「はあ……」と応じるばかりだ。ただそののっぺりとした顔は、幼子みたいに眠たげで無防備であった。

 そんなガーデルとともに、俺とアイ=ファは東の空に目を向ける。

 そこにそびえるのは、モルガの山の威容だ。そこでもティアたち赤き民が新年の訪れを寿いでいるのかと思うと、俺は胸が詰まってしまいそうであった。


 なおかつ現在は、森辺の集落や城下町や宿場町やトゥランでも数多くの人々が東の空を見上げており――さらには、この大陸中で同じ光景が現出しているのだろう。

 遠き故郷で家族たちと過ごしているアルヴァッハやナナクエムも、ダカルマス殿下もデルシェア姫も、ティカトラスもデギオンもヴィケッツォも――ラダジッドを筆頭とする《銀の壺》の面々も、《黒の風切り羽》のククルエルも――ジャガルで第二の故郷を授かったエレオ=チェルたちも――ディアルの父親であるグランナルも、ザッシュマの家族であるダバッグの牧場の人々も、バナーム城のウェルハイドやコーフィアも――誰もが俺と同じような気持ちで、太陽神の再生を祝福しているはずであった。


 そっと横目で見やってみると、ガーデルは茫洋とした眼差しで東の空を見上げている。いまだ眠気が覚めないのか、神々に対する信心が希薄であるのか、なんの感慨もなさそうなたたずまいだ。


 昨年はフェルメスと絆を結びなおして、ともにこの空を見上げることになったわけだが――今回は、ガーデルと絆を結びなおすいとまもなかった。何せ当人と数ヶ月ぶりに再会したのが当日の日没寸前であったため、時間も準備も足りていなかったのだ。この課題ばかりは、新たな年に持ち越すしかないようであった。


(だけどまあ、すべての問題がそう簡単に片付くわけもないよな)


 フェルメスに関してだって、去年の『滅落の日』にすべてが解決したわけではない。俺たちはその日に何とか絆を結びなおして、1年がかりで締めあげることになったのだ。それで現在もなお、まだ少しばかりは手探りの部分も存在するはずであった。


 それに俺は去年の復活祭の終わり際に、ナチャラの術式によって心の奥底に眠る恐怖の念というものを引っ張り出されることになった。右の頬に火傷の痕がある、謎の人物――あれもけっきょく正体が知れぬまま、1年が過ぎてしまったのだった。


 きっとこの先も、解決のしようがない問題というのは出てくるのだろう。

 こちらはとにかく、その場その場で最善を尽くすしかない。人の一生というものは、そうしてあがいている内にゆるやかに終わりを迎えるのではないかと思われた。


 そんな風に考えながら、俺が東の空を見上げていると――ついにこの年の最初の陽光が、モルガの稜線をかすめて大地へと降りそそがれた。

 人々は、こらえかねたように歓声をあげる。本日は東の民もいなかったので、祝いの詠唱が唱えられることもなく、ただひたすらに瑞々しい熱気だけが満ちあふれた。

 そんな熱気に身をひたしつつ、俺はアイ=ファのほうを振り返る。

 それと同時に、アイ=ファも俺のほうを振り返ってきた。


「明けましておめでとう。今年もアイ=ファと一緒にこの時間を迎えることができて、俺は幸福だよ」


「うむ。来年は、ブレイブたちも一緒にな」


 アイ=ファは新年の陽光にも負けない澄みわたった微笑をたたえながら、俺の手の先をそっと握ってきた。

 俺は万感の思いをこめて、その温かく力強い指先を握り返す。


 そうして俺たちは、出会ってから3度目となる新年を迎えて――また新たな1年に足を踏み出すことに相成ったのだった。

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