滅落の日⑥~ダレイムの祝宴~
2023.2/26 更新分 1/1
《キミュスの尻尾亭》に足を踏み入れると、そちらも大変な賑わいであった。
客席からは蛮声が響き渡り、お盆を抱えた手伝いの人間がひっきりなしに行き来している。そちらのひとりに声をかけて、俺たちは厨にお邪魔させていただいた。
「どうもお疲れ様です。お忙しいさなかに、申し訳ありません」
「なんだ。今年も律儀にやってきおったのか」
酒杯に果実酒を注いでいたミラノ=マスが、仏頂面で出迎えてくれる。
いっぽう鉄鍋から汁物料理をよそっていたテリア=マスは、笑顔でこちらを振り返ってきた。
「みなさん、お疲れ様です。ダレイムまで、道中お気をつけくださいね」
「ありがとうございます。みなさんも、よいお年をお迎えください」
厨では、レビやラーズもあれこれ忙しそうに立ち働いている。しかしそちらはつい先刻まで顔をあわせていたので、ここまで同行したルウの面々もマス家の両名に挨拶の言葉を投げかけた。
「こっちも屋台とおんなじぐらい大変そうだねー! みんな、最後まで頑張ってねー!」
「今年もミラノ=マスたちのおかげで、最後まで乗り越えることができたよ。来年もよろしくね」
「シーラ=ルウも、みなさんによろしく伝えてほしいと言っていました。どうぞ安らかに新しい年をお迎えください」
3姉妹がそのように言い終えると、厨の内を見回したルド=ルウが「ふーん」と声をあげた。
「なんかすっかり、同じ家の家族って感じだなー。でも、ちっとばっかりむさ苦しいから、女の子供が産まれるように祈っておくよ」
テリア=マスは「まあ」と微笑み、レビは「やめろよ」と眉を吊り上げる。ただしどちらも頬を赤くしており、ルド=ルウを「にひひ」と笑わせることになった。
しかし確かにルド=ルウの言う通り、その場には家族ならではの温かさというものが満ちているように感じられた。若い夫婦とその父親たちという、いささか偏った構成ではあったが――その温もりの得難さに変わりはなかった。
(これだって、今年になってからの変化なんだもんな)
そんな思いを噛みしめながら、俺は身を引くことにした。
「それじゃあ、今年もお世話になりました。来年もまた、よろしくお願いします」
厨を出た俺たちは、その足で食堂へと向かう。
そちらはもう、街道の賑わいをそのまま切り取ったような騒ぎだ。そして俺たちの姿に気づいたお客のひとりが、陽気な声を張り上げた。
「お、また森辺のお人らの登場だ! 屋台の商売、お疲れさん!」
「また?」と首を傾げつつ視線を巡らせると――客席のあちこちに、森辺の同胞の姿があった。主街道や広場ばかりではなく、こちらでも町の人々と喜びを分かち合っている森辺の民がいたのだ。
「おお! ファとルウの面々ではないか! お前たちは、ダレイムに向かうのではなかったのか?」
遠からぬ場所から、同胞のひとりがぶんぶんと手を振ってくる。それはラッツの若き家長であり、その隣にはついさきほどまで一緒に働いていたラッツの女衆も座していた。ダレイムまで出向ける人数には限りがあったので、彼女は辞退をしたひとりであったのだ。
そして同じ卓を囲んでいるのは、カミュア=ヨシュとザッシュマである。さらには労働のさなかであるレイトが、そちらの卓から空になった皿を引き下げていた。
「どうもお疲れ様です。今回は広場ではなく、こちらにいらしたのですね」
「うむ! まだ腹が満たされていなかったので、せっかくならばこちらの世話になろうと思ってな! ガズの連中などは、南の民の集まる宿屋に向かうと言っていたぞ!」
こちらのラッツの若き家長は、ラウ=レイに次ぐほど血気盛んな人柄であるのだ。それがこの食堂の賑わいと、きわめてマッチしているようであった。
「フォウやランの家長たちは、《西風亭》に出向いたそうですね。まあ、それはユーミとジョウ=ランの一件があってのことなんでしょうが……でもやっぱり、森辺の民が宿屋で騒ぐ姿というのは、新鮮に感じられます」
「それを言ったら、アスタたちはダレイムまで出向くのであろうが? そんな真似をする森辺の民だって、3年前には存在しなかったはずだぞ!」
ラッツの家長は陽気に笑いながら、酒杯の果実酒をあおった。
カミュア=ヨシュは、乾杯をするように酒杯を持ち上げる。
「アスタたちも、お疲れ様。きっと来年もあれこれ慌ただしいだろうけど、どうか頑張っておくれよ」
「ええ。みなさんも、よいお年をお迎えください」
そうして俺たちが引き下がろうとすると、あちこちから残念がる声があげられる。しかしどのみち食堂は満席であったため、これ以上はひとりだって腰を落ち着けるスペースはなかった。
「それじゃあ、また来年な! 美味い料理を期待してるからよ!」
「明後日には、屋台を開いてくれるんだろう? ジェノスを出る前に、寄らせていただくよ!」
「他のみんなにもよろしくな! 太陽神に祝福を!」
その場にいるのは、おおよそ宿の滞在客なのだろう。しかし、宿場町の領民と変わらないぐらい温かな言葉と笑顔を届けてくれた。
「ありがとうございます。みなさんも、よいお年を」
俺たちは満ち足りた気持ちで、《キミュスの尻尾亭》を出た。
しかし往来も、熱気のほどに変わりはない。太陽神が再生するまで、気持ちを落ち着けるいとまはないのかもしれなかった。
そんな熱気の中を突っ切って、俺たちは街道を南に下る。
その最果てに、いくつもの荷車が並んでいた。宿場町の最後の建物を通りすぎたところで、ダレイムへと向かう面々が待ちかまえていたのだ。
「あー、来た来た! あたしらも、やっと仕事が終わったよー!」
ユン=スドラたちと語らっていたユーミが、ぶんぶんと手を振ってくる。そのすぐそばでは、ビアがランの末妹と語らっていた。それにベンとカーゴを加えた4名が、ダレイムに向かう宿場町の民の総勢である。
いっぽう森辺の民は半数ていどがすでにダレイムに向かっているので、この場に集まっているのは20名ていどだ。ファの屋台の関係者はユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、それに付き添いのチム=スドラとイーア・フォウ=スドラぐらいのものであり、あとはおおよそルウの血族で構成されている。トゥール=ディン、ゼイ=ディン、ゲオル=ザザ、スフィラ=ザザ、ディック=ドム、モルン・ルティム=ドム、レム=ドム、ディガ=ドム、ドッド、ラッド=リッド、リッドの女衆といったザザの血族は、のきなみ先行部隊に組み込まれていた。
(そう考えると、けっこうザザの血族の割合が高いんだな。まあ、それは去年も同じことか)
本日ダレイムに向かうのは、おおよそ去年と同じ顔ぶれであるのだ。大きく異なるのは、バードゥ=フォウらが《西風亭》に向かったのと、あとはリリンの面々がすっぽり抜けていることであろう。昨年はシュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンに、ギラン=リリンとウル・レイ=リリンに幼き長兄まで参じていたはずであった。
(きっと今頃はシュミラル=リリンたちも家族水入らずで、赤ん坊の寝顔を見守ってるんだろうな)
そんな風に考えると、胸の内側がじんわりと温かくなってくる。
しかし、のんびりしているいとまはなかった。
「どうもお待たせしました。それじゃあ、出発しましょう」
俺たちは、それぞれ荷車に乗り込んだ。《西風亭》に預けていたというランの荷車も加わって、総数は5台だ。もともと荷台にはゆとりがあったので、ガーデルが増えても何ら問題はなかった。
もちろんガーデルは、アイ=ファが手綱を握るギルルの荷車にお招きする。そちらに同乗することになったのは、ユン=スドラとチム=スドラとイーア・フォウ=スドラであった。
「……さきほど、レイの家長から事情をうかがった。そちらが大罪人シルエルを討ち取った功労者であったのだな」
荷車が走り出すなり、チム=スドラがしかつめらしくそのように言いたてた。
「その大罪人を逃がしていたならば、森辺の民は家にも屋台にも見張りの人間を欠かせなくなっていただろうと聞いている。であれば我々は、どれだけ感謝しても足りないことだろう。まったく遅きに失してしまったが、俺からも感謝の言葉を伝えさせてもらいたい」
「と、とんでもありません。俺は兵士としての職務を全うしただけですので……俺が大罪人を討ち取る役目になったのは、たまたまの巡りあわせにすぎません」
荷車に揺られながら、ガーデルは弱々しい口調でそのように答えた。
「これはもう、四大神やら運命神やらの気まぐれに過ぎないのでしょう……どうして俺のように取るに足らない人間が、そのような大役を担うことになったのか……神の悪意すら感じるほどです」
「ふむ。それはずいぶんな言いようであるように思えるな。そちらはそれほどに、おのれの果たした役割に不満を抱いているのであろうか?」
「それはまあ……俺がおかしな運命に陥ったせいで、こうしてみなさんにご迷惑をかけてしまっているわけですし……」
「何も迷惑なことはありませんよ。森辺の民はこうやって、少しずつ交流を広げてきたのですからね」
なんとか場を明るくするために、俺はそのように口をはさんだ。
「城下町の方々と交流するのも、これが初めてではありません。どうかガーデルも気に病まず、この場を楽しんでください。これからともに、太陽神の滅落と再生を見届けるのですからね」
ガーデルは肩を落としたまま、「はあ……」と溜息まじりに応じてくる。これほどに打っても響かないお相手というのは、なかなかに珍しいのではないだろうか。
(それがピノの言う、らしくない相手ってことになるのかな)
それならこちらは、気合を入れてガーデルとの交流に臨むまなくてはならないだろう。そして、そんな奇妙な決意を抱くのも、俺にとっては馴染みのないことであった。
そうしてぽつぽつと言葉を交わしている間に、荷車はダレイムに到着する。
御者台の脇から覗いてみると、真っ暗な世界の中であちこちにかがり火が焚かれていた。俺たちが向かっているのは、その明かりのひとつであった。
「おお! ようやくアスタたちのお出ましだ! ずいぶん待たせてくれたじゃないか!」
アイ=ファがそちらに荷車を寄せるなり、元気な声が投げかけられてくる。それはダレイムならぬジャガルの民、建築屋のメイトンであった。去年もこの場でお世話になった彼らは、俺たちよりも先行してドーラ家を訪れていたのだ。
そしてその声に誘発されて、家屋の前の空き地に集まった人々が歓声を張り上げる。ドーラ家の縁者たちと、建築屋とその家族たち、そして先行していた森辺の同胞たちだ。たったいま合流した俺たちを加えて、総勢は120名ぐらいにも及ぶのであろう。それがこの空き地の限界いっぱいの収容人数であったのだった。
建築屋の関係者だけで30余名、そして森辺の民も20名ばかりは先行していたので、そちらのもたらす熱気が空き地に満ちみちている。しかしダレイムの人々も、それに負けずにはしゃいでいるようだ。これだけの人数が集まれば、宿場町の広場にも負けない騒ぎになるはずであった。
「やあ、アスタ! やっと来てくれたんだな! さあさあ、トトスと荷車は裏の倉庫に仕舞ってくれ!」
すっかり酩酊気味であるドーラの親父さんが、笑顔でこちらに近づいてくる。その姿に、荷車から降りたダン=ルティムがガハハと笑った。
「俺と飲み比べをする前に、すっかり出来上がってしまっているようだな! 眠りこけて太陽神の再生とやらを見逃さないように、気をつけることだ!」
「いやいや、宴はこれからが本番だよ! トゥール=ディンたちも、さっき厨に入ってくれたところなんだ!」
「はい。俺たちも厨をお借りして、今年最後の料理を準備いたしますね」
「ありがたいね! 昼から酒をかっくらうばかりで、料理がまったく足りていなかったからさ!」
俺たちは主人たる親父さんじきじきの案内でトトスと荷車を仕舞い込み、あらためて母屋の厨を目指すことになった。
ただしこちらは一般家庭の厨であるため、働ける人員には限りがある。後続の部隊からは、俺とレイナ=ルウ、ユン=スドラとマルフィラ=ナハムの4名のみとさせていただいた。
「それじゃあ俺たちは料理の準備をしますんで、ガーデルはくつろいでいてくださいね」
「はあ……」とうなだれるガーデルは、相変わらず反応が鈍い。ただやはり、俺がそばにいるかどうかは重要でないようだ。これもまた、一個人としての俺には関心が薄いという証であるのかもしれなかった。
「……あのガーデルは、この1年ほどでいささか様子が変わってきたようですね」
と、ジバ婆さんの車椅子を押すガズラン=ルティムが、こっそりそのように呼びかけてきた。ジバ婆さんは多少の疲れが出たため、いったん母屋で休むのだそうだ。
「ああ、たしかガーデルと初めてお会いしたとき、ガズラン=ルティムもご一緒でしたよね」
「はい。その頃から、ガーデルは奥ゆかしい人柄であったように思いますが……あれほどアスタに執着する心は持っていなかったように思います」
「ええ。どうやら傀儡の劇を見て、何か思うところがあったようですね」
「傀儡の劇……なるほど。それで、アスタを救ったことに大いなる意味を見出したということですか。その認識そのものに誤りはないように思うのですが……どこか、危うげな空気が感じられますね」
すると、アイ=ファは車椅子のジバ婆さんに呼びかけた。
「ジバ婆も、あやつと語らったのであろう? ジバ婆は、あやつをどのような人間だと見定めたのだ?」
「うん……あの男衆は、何だか幼子みたいだねぇ……あんなに立派な姿をしているのに、心がまだまだやわらかくって……人間としての形ができあがっていないみたいに感じられるんだよ……」
ジバ婆さんはいくぶん物寂しげな面持ちで、そのように語った。
「あの男衆は、もっと若い時分にすべての家族を失っちまったみたいだから……それで、生きる指針ってやつを見失っちまったのかねぇ……あたしは家族に恵まれたから、ちっとばかり気の毒に思えちまうよ……」
「しかしジバ婆とて、若くして親兄弟を失った身であろう?」
「ああ……だけどあたしは、親も兄弟も大好きだったからさ……あのガーデルってのは、そういう情愛を育む前に家族を失っちまったんじゃないかねぇ……」
長きを生きたジバ婆さんの言葉は、俺の胸に重く響いた。
しかしそこで母屋に到着したため、語らいの場もそれまでだ。ジバ婆さんの護衛役はメンバーを半分だけ入れ替えて、ダン=ルティムとラウ=レイの代わりにジザ=ルウとシン=ルウが加わっていた。お祭り騒ぎをこよなく愛する両名は、祝宴の場で人々と交流を深める役目を担っているのだろう。
「おや……ミシルたちは、こっちにいたんだねぇ……」
母屋に入るなり、ジバ婆さんが嬉しそうな声をあげた。そちらには、ミシル婆さんとドーラ家のご老人ふたりが居揃っていたのだ。
「ふん。あんな馬鹿騒ぎをしていたら、朝までもたないからね。あんたなんかは、朝から出ずっぱりだったんだろう? あんまり無茶をすると、寿命を縮めることになるよ」
ミシル婆さんはいつもの調子で、喧々と言葉を飛ばしてくる。親父さんの母君や叔父君は、それ以上の仏頂面だ。ただし、そちらの面々がジバ婆さんと確かなご縁を紡いでいることは知れていたので、俺は和やかな気持ちであった。
「それじゃあ俺たちは、厨をお借りしますね。そちらが仕上がったら、みなさんも召し上がってください」
4名のかまど番は、勝手知ったる厨へと向かう。するとそちらでは、トゥール=ディンとスフィラ=ザザとモルン=ルティムの3名が、親父さんの伴侶や長兄の伴侶とともに調理に励んでいた。
「ああ、アスタたちはおひさしぶりだねぇ。みんな元気そうで、何よりだよ」
「はい。あとの仕事は引き受けますので、みなさんは祝宴を楽しんでください」
「あたしらは朝から親族連中の面倒を見させられて、もうくたくたさ。しばらくは、年寄りどもと一緒に休ませてもらおうと思うよ」
「あ、ちょうどかれーが温まりましたので、運んでいただけますか? よければ、みなさんもお召し上がりください」
モルン=ルティムが笑顔でそのように呼びかけると、親父さんの伴侶は心から嬉しそうに瞳を輝かせた。
「ありがたいねぇ。亭主たちは食べ飽きてるぐらいだろうけど、あたしらは森辺のお人をお迎えしたときにしか口にする機会もないからさ。ありがたくいただくよ」
ドーラ家のおふたりが、熱い鉄鍋をグリギの棒に吊るして運んでいく。それを見送ってから、俺たちは調理に合流した。この夜は年越しそばばかりでなく、いくつかの簡単な料理を仕上げる予定になっていたのだ。
「トゥール=ディン、お疲れ様。お次は何の料理かな?」
「はい。まだルウ家の方々が準備してくれたかれーとぴらふを温めなおしただけですので、今は肉料理の具材を刻んでいるところです」
「了解。俺たちも、自分の腹を満たさないとね」
この場で晩餐を仕上げることにしたので、かまど番も狩人たちも昼から何も食していないのだ。厨に直結した食料庫には、事前に運んでもらった食材が山積みにされていた。
俺たちは、手分けをして作業に取りかかる。こちらの厨で調理するのも、ちょっとひさびさのことだ。間に復活祭をはさんでいるため、余計に懐かしく感じられるのかもしれなかった。
「ルウ家の人たちは、昨晩もお邪魔してたんだよね。でも、レイナ=ルウは参加してなかったんだっけ?」
「ええ。色々と仕事が立て込んでいたので、リミたちにまかせていました。こちらにやってくることをもっとも望んでいるのは、リミやジバ婆ですからね」
「そっかそっか。でも、『滅落の日』にここで厨を預かるのは毎年のことだから、やっぱり感慨深いよね」
「はい。この役割だけは、余人に譲る気持ちになれません」
レイナ=ルウは、屈託のない顔で笑う。人々とのダイレクトな交流を求めるリミ=ルウたちと異なり、レイナ=ルウは美味なる料理を通してのコミュニケーションに意欲的であるのだ。そこに上下や優劣などは存在しないはずであった。
(みんなの喜ぶ顔が見たいっていうのは、かまど番の共通認識だもんな。《ギャムレイの一座》の人たちも、そういう気持ちで芸を見せてるのかなぁ)
コミュニケーションの形というのは、さまざまだ。
そこで思い浮かぶのは、やはりガーデルの姿であった。
彼はいったい、どんな心持ちで俺と接しているのか。俺にあれほど執着しながら、面と向かって交流を求めてこないのは、やはり俺の肩書きにしか興味がないからなのか――どうしても、俺は後ろ向きの感想にならざるを得なかった。
(まあいいや。俺は俺のやりかたで仲良くさせてもらうしかないからな)
屋台の仕事中は歓談するゆとりもないので、レイナ=ルウたちとおしゃべりをしながら調理に励むのも大きな喜びである。とりわけレイナ=ルウやトゥール=ディンとはこういう機会も失われてひさしかったので、俺は想定以上に楽しい気分であった。
そんな中、最初のひと品ができあがる。とにかく手早く大量の食事をというコンセプトで、山盛りの肉野菜炒めだ。普段といささか異なるのは、タウ油と白ママリア酢とシールの果汁で仕上げたポン酢風の調味液でいただく点であろうか。普段よりも遅めの晩餐であったし、空き地で騒ぐ面々はそれなりに腹を満たした後であろうから、多少なりともさっぱり仕立てにしようと考えた結果であった。
空いた鉄鍋で年越しそばの出汁を温めつつ、俺たちはできあがった料理を母屋に運び込む。そちらでは伴侶のおふたりも加わって、ジバ婆さんたちと和やかに語らっているさなかであった。
「俺たちも、ここで少し食べさせていただきますね。本番の調理に取りかかる前に、腹ごしらえが必要ですので」
「あら、アスタたちはまだ何も食べてなかったのかい? 外の連中なんて昼から飲んだくれてるんだから、何もかまうことはないよ!」
とはいえ、こちらは120名からの人間で食するために準備した料理である。俺たちが持ち込んだ大量の食器とともに、外の空き地まで運んでいただいた。
「ジバ=ルウは、もうちょっと待っていてくださいね。この後には、そばを出しますんで」
「あたしは屋台の料理をつまんでいるから、何も気にすることはないよ……でも、焼きたてのギバ肉の香りを嗅いでいると、また腹が空いてきちまうねぇ……」
昨晩もドーラ家に宿泊し、その後はずっと宿場町に居座っていたジバ婆さんも、まったく疲れているようには見えない。その元気な姿が、俺の気持ちをいっそう浮き立たせてくれた。
そうして少しばかり腹を満たしたのちは、年越しそばの調理に取りかかる。
昨年は『ギバ骨ラーメン』を供していたが、本年はソーキそば風の仕上がりだ。森辺においても、『ギバ骨ラーメン』より気軽に楽しめる献立として普及させたひと品である。本年は商売用のラーメンと同時にギバ骨の出汁を準備するのがひと苦労であったため、簡易版のこちらをお出しすることに決めたのだった。
しかし、調理の手間はずいぶん減じても、お味のほうには自信がある。それにやっぱり『ギバ骨ラーメン』ほどはどっしりしていないので、このような夜更けには相応しい面もあるだろう。なおかつ、ソーキを意識したスペアリブもどっさり準備していたので、食べごたえも十分であるはずであった。
麺のほうも日中に準備しておいたので、基本的には熱を通すのみである。いちおうの護衛役として控えていたゼイ=ディンにお願いをして表のかまど番たちを招集し、できあがった年越しそばを順次運んでもらうことにした。
「あばら肉はとろとろになるまで煮込んであるから、ジバ婆さんにも食べられるはずだよ。よければ、運んでもらえるかな?」
俺がそのように伝えると、アイ=ファは「そうか」と目もとだけで微笑み、配膳の仕事を担ってくれた。
たとえ温めなおすだけでも、120人前となるとなかなかの作業量だ。俺たちは7名がかりでその仕事を果たし、ようやく最後に自分たちの分を確保することができた。
「いやぁ、これで本当の本当に、今年の仕事おさめだね。よければ、ここでいただこうか」
「はい。最後の仕事をアスタとともに果たすことができて、心から嬉しく思います」
そのように語るトゥール=ディンは、うっすらと目に涙を溜めてしまっていた。
レイナ=ルウやモルン=ルティム、ユン=スドラやマルフィラ=ナハムは充足した笑顔だ。ひとりクールなスフィラ=ザザも、この瞬間にはやわらかな面持ちであった。
そこにアイ=ファとゼイ=ディンを加えた9名で、俺たちは立ったまま年越しそばを口にした。
表からは、ひっきりなしに喧噪の気配が伝えられている。その場に飛び込むのも楽しみなばかりであったが、今はこのゆったりとした空気が心地好くてならなかった。
「トゥール=ディンもレイナ=ルウも、あらためてお疲れ様でした。屋台の取り仕切り役として、今年はとびきり大変だっただろう?」
「はい。ですが今回は、たくさんの血族の方々に力を添えていただけたので……多くの仕事をやりとげるのと同時に、ひときわ心を満たされることになりました」
トゥール=ディンの返答に、モルン=ルティムやスフィラ=ザザもいっそう温かな表情となる。彼女たちこそ、トゥール=ディンの仕事に力を添えた筆頭格であるのだろう。
「そっか。俺は血族じゃない人たちに手伝ってもらってるけど、なおさらそのありがたさを噛みしめないとね」
俺が笑顔を向けると、ユン=スドラやマルフィラ=ナハムも同じ表情を返してくれた。
「レイナ=ルウは来年も、リーハイムたちの婚儀っていう大仕事が待ってるもんね。どうか頑張っておくれよ」
「はい。どうかアスタにも、見届けていただきたく思います」
レイナ=ルウは、力強くも澄みわたった表情だ。本年は、レイナ=ルウにとっても躍進の年であったはずであった。
そうして俺たちが年越しそばとともに感慨を噛みしめていると、表からいっそうの賑わいが伝えられてくる。ほどなくして、ガズラン=ルティムが厨の入り口から顔を覗かせた。
「どうやらリコたちが到着したようです。アスタたちも、表に出ませんか?」
「ありがとうございます。これを食べ終えたら、向かいますね」
『滅落の日』も、いよいよクライマックスである。
ゆるやかな気持ちと昂った気持ちが入り混じり、なんとも整理のつかないところであったが――ただ、俺が幸福な心地であることに疑いはなかった。




