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異世界料理道  作者: EDA
第七十六章 太陽神の復活祭(下)
1323/1698

滅落の日⑤~夜~

2023.2/25 更新分 1/1

 それからたっぷり四半刻ほどが過ぎたところで、ついに青空食堂からすべてのお客が消えていった。


「みなさん、ありがとうございました! 来年もよろしくお願いいたします!」


 最後の一団が立ち去る前に、俺はそんな言葉を投げかけることになった。

 宿場町の領民と思しきそれらの人々は、「こちらこそな!」と口々に言いながら往来に消えていく。その姿を見送りながら、多くのかまど番がしみじみと息をついていた。


「ようやくすべての仕事が終わりましたね。アスタも、お疲れ様でした」


 そのように声をかけてきたのは、レイナ=ルウだ。レイナ=ルウも他の女衆と同じように、頬を上気させている。レイナ=ルウであれば、この瞬間に抱く感慨もひとしおであるはずであった。


「うん。レイナ=ルウも、お疲れ様。今年は城下町の仕事まで入っていたから、去年以上の慌ただしさだっただろう?」


「はい。その分、より大きな誇りと喜びを抱くことがかないました」


 俺たちがそのように語らっていると、リミ=ルウとターラに左右をはさまれたルド=ルウがひょこひょこと近づいてきた。


「よー、お疲れさん。あとは《ギャムレイの一座》の天幕に寄ってから、ダレイムに向かうんだろー? 腹が減ったから、さっさと行こーぜ」


「うん。みんなに指示を出してくるから、ちょっとだけ待っててね」


 去年や一昨年は商売を終えるなりダレイムに駆けつけていたが、ドーラの親父さんから「どうせ朝まで騒ぐんだから、急ぐことはないさ」というお言葉をいただき、《ギャムレイの一座》の天幕を覗いていくことになったのだ。


 その中で、見世物の観劇はもう十分という面々も半数ぐらいは存在したので、そちらは先んじてダレイムに向かってもらうことになっていた。そちらで指揮を取っていただくのは、年長者であるフェイ=ベイムである。


「それじゃあ屋台を返した後は、そのままダレイムに向かってください。俺たちも天幕の見物を終えたら、すぐに追いかけますので」


「承知しました。そちらも道中はお気をつけて」


 フェイ=ベイムの号令で、8台の屋台と4台の荷車が街道へと運ばれていく。その姿をしばし見守ってから、俺はルド=ルウたちのもとに戻った。


「お待たせ。あとはこっちの荷車の見張りに関してだけど――」


「そいつはジザ兄たちが引き受けてくれるってよ。同じ劇を2度も見る必要はねーってさ」


 振り返ると、ジザ=ルウやシン=ルウといった人々が荷車のそばでターラの兄たちと歓談していた。ジザ=ルウたちもまた、ダレイムに向かうメンバーであったのだ。


「それじゃあ、とっとと並ぼーぜ。どーせ四半刻ぐらいは待たされるんだろーからよ」


「了解だよ。それじゃあ行きましょう、ガーデル」


 その場にはジバ婆さんとそれを護衛する4名とともに、ガーデルも参じていたのだ。しかしガーデルは、この期に及んでも気弱げに目を伏せていた。


「ほ、本当に俺なんかが同行してしまってよろしいのでしょうか? 森辺の方々の世話になるのは、気が引けてならないのですが……」


「引き留めたのはこちらなのですから、何もお気になさらないでください。でも、怪我のお加減が悪くなったらすぐに言ってくださいね」


 俺は笑顔でそのように答えてみせたが、ガーデルは目を伏せたままである。ガーデルは俺の生きざまを見守りたいなどと言いながら、実際に相対するとなかなか俺の姿を直視してくれないのだった。


(これじゃあまるで、俺に興味のない人を無理やり引っ張り回してるみたいだよな)


 しかし俺は、ガーデルと正しい縁を結びたいと決意したのだ。このていどのことで、めげるわけにはいかなかった。

 そうして俺たちは一丸となって、《ギャムレイの一座》の天幕を目指す。そちらに行列ができているため、この辺りの往来もまだまだ大変な賑わいだ。《ギャムレイの一座》も最終日まで大盛況で、何よりの話であった。


「ところでこやつは、俺のことをまったく見覚えていなかったようだぞ。自分で言うのも何だが、俺のような人間を見忘れるというのは、よほど熱に浮かされていた証であろうな」


 行列に並ぶなりそのように言いたてたのは、ジバ婆さんの護衛役のひとりであるジィ=マァムである。彼はディック=ドムを上回るほどの巨漢であり、背丈などは2メートル近いのだ。そんな彼に見下ろされながら、ガーデルは悄然と頭を下げた。


「ほ、本当にその節は、申し訳ありませんでした。森辺の方々にご迷惑をおかけしてしまい、返す言葉もありません」


「詫びは、1度で十分だ。お前も深手を負っていなければたいそう腕が立ちそうであるのに、どうしてそのように性根が据わっておらんのだろうな」


「お、俺は元来、柔弱な気質なもので……どれだけ身体を鍛えても、中身のほうはどうにもなりませんでした」


 すると、同じ護衛役であったラウ=レイもこちらを振り返ってきた。


「それでもお前は、厳しい修練に耐えるだけの気概はあったのであろう? それを頼りに、もっと堂々と振る舞えばよかろうにな!」


 かつてガーデルを介抱したという経緯もあって、こちらの両名がガーデルの世話を焼いてくれていたようだ。ただ、ガーデルがそのときのことを覚えていないというのは、物寂しい話であった。


「それじゃあ俺やティカトラスとのやりとりなんかも、ガーデルは覚えておられないのですか?」


「い、いえ。そちらのことは、克明に覚えているのですが……それ以外のものが、まったく目に入っていなかったと申しますか……正直なところ、ティカトラス殿のご子息やご息女という方々の姿も、まったく記憶に残されていないのです」


 すると、アイ=ファが厳しい面持ちで発言した。


「ところであなたは、その件について叱責されたのであろうか? 王都の貴族たるティカトラスに大変な無礼をしたのだから、叱責もなしに済むことはなかろう?」


「い、いえ……とりたてて、そういう話にはならなかったのですが……」


「であればそれは、ティカトラスがあなたの振る舞いに関して誰にも何も語っておらぬということだ。あなたはまず、ティカトラスに深く感謝するべきであろう。道理もなく敵意を向けたあなたに対して、ティカトラスはそれほどの温情をかけてくれたのだからな」


「は、はい……」と、ガーデルはますますうなだれてしまう。

 その姿があまりにあわれげであったので、俺は思わずアイ=ファのほうを振り返ろうとしたが――それよりも早く、アイ=ファに耳打ちされることになった。


「こやつの性根を知るには、厳しい言葉も必要であろう。それは私が引き受けるので、お前はお前の思うように絆を深めるがいい」


「……うん、わかったよ」


 それで俺がガーデルのほうに向きなおると、そちらはダン=ルティムにばしばしと背中を叩かれているさなかであった。


「熱に浮かされて不埒な振る舞いに及ぶなど、まるで『アムスホルンの息吹』に見舞われた幼子のようだな! お前さんはもう立派な男衆であるのだから、アイ=ファに叱られてもしかたのないところだぞ!」


「は、はい。申し訳ない限りです……あ、あの、いささか傷に響くのですが……」


「おお、これは悪かった! 身体のほうはすっかり元気そうなので、つい怪我人であることを忘れてしまうのだ!」


 ダン=ルティムは、いつもの調子でガハハと笑う。

 するとガーデルは視線を足もとに落としたまま、弱々しく微笑んだ。


「な、なんだかデヴィアス隊長殿のことを思い出してしまいました。森辺にも、さまざまな人がいらっしゃるのですね」


「ああ、デヴィアスもダン=ルティムに負けないぐらい豪快ですもんね。最近、デヴィアスとはお会いしているのですか?」


 俺がすかさず割り込むと、ガーデルは「いえ」と首を横に振った。


「俺はずっと兵舎にこもっていましたし、デヴィアス隊長殿は非番の日でも出ずっぱりですから……この数ヶ月、数えるていどしかお会いしていません」


「そうですか。でも、復職したらまたデヴィアスのもとで働くのですよね?」


「いちおうは、そういう取り決めになっていますが……そもそも兵士として復職できるのか、見込みも立っていません。俺のように柔弱な人間には、兵士として働く資格などないのかもしれませんし……」


「その言い草が、柔弱に過ぎるのだ! まったくもって、大罪人を斬り伏せた勇者とは思えぬ有り様だな!」


 遠慮のないラウ=レイが、陽気な声音で言いたてる。しかしガーデルは気弱げに微笑むばかりで、何も言い返そうとしなかった。


「森辺において、すべての男児は狩人として育てられます。ですが町ではさまざまな仕事が存在するのですから、あなたも無理に兵士を続ける必要はないのではないでしょうか?」


 と、護衛役の中で唯一穏やかな人柄をしたガズラン=ルティムが、そのような言葉を投げかけた。


「もちろんあなたは兵士として不足のない力を身につけたのでしょうが、それよりも重要であるのは内面であるように思います。繊細な人間にはその人柄に相応しい仕事が存在するのではないでしょうか?」


「……俺は繊細なのではなく、ただ柔弱であるのです。このような人間に相応しい仕事など、どこにも存在しないのかもしれません」


「ではあなたは、どうして兵士という仕事を選んだのでしょう? 自らの意思で、心身を鍛えたいと願ったのでしょうか?」


「いえ……それを望んだのは、亡き母です。俺のような人間でも世間のお役に立てるように、と……そんな母の遺言に従って、俺は兵士を志すことになりました」


 ガーデルの言葉には、大きな起伏が見られない。そんな母親の言いつけに納得がいったのかどうかも判然としなかった。


(どうもなかなか、ガーデルの人柄っていうのが見えてこないな……とにかくこのお人は、自己主張っていうのが希薄なんだ)


 そして、そうであるにも拘わらず、俺が絡んだ話では直情的な一面を発露させる。それが何だか、ずいぶんアンバランスに感じられてしまった。


「お、よーやく列が動いたなー。次の順番ぐらいで、やっと中に入れそうだ」


 前のほうからルド=ルウの声が響き、ほどなくして列が動き始めた。

 しかし、入り口の手前で止められてしまう。やはり入場できるのは、次の順番であるようだ。


「アスター! 《ギャムレイの一座》の人たちがお話したがってるよー!」


 と、ルド=ルウとともにいるリミ=ルウが前からぶんぶんと手を振ってくる。チル=リムたちの名前を出さないのは、ガーデルの耳をはばかってのことだろう。俺は少し迷ったが、アイ=ファとガーデルだけを引き連れてそちらに向かうことにした。

 が、リミ=ルウたちの前にはまだ何人かのお客が立ち並んでいる。その内のひとりが、俺に向かって笑いかけてきた。


「よう、お疲れさん。あんたはここの娘さんと顔馴染みなんだって? 待ってる間、お相手をしてやりなよ」


 それは屋台で何度か顔を見たことのある、宿場町の領民らしき人物であった。その周囲にたたずむ人々も、笑顔で俺たちのほうをうかがっている。


「ありがとうございます。でも、そちらが先に並んでいたのに、かまわないのですか?」


「どうせいっぺんに100人ぐらいは入れるんだから、おんなじこったろ。気が引けるってんなら、入り口が開いたときに下がりゃあいいさ」


 それは、ありがたい申し出である。そして、彼らにそのような話を持ちかけたのは、どうやらリミ=ルウたちであったようだった。


「アスタを気づかって、そのように取り計らってくれたのだな。私からも、感謝の言葉を言わせてもらぞ」


 アイ=ファが優しく頭を撫でると、リミ=ルウは「えへへー」と嬉しそうに笑った。

 たくさんの人々の思いやりにくるまりながら、俺たちは行列の先頭へと歩を進める。そちらには、人相を隠したチル=リムとディアが待ち受けていた。


「お疲れ様です、アスタにアイ=ファ。それに、そちらは――」


「こちらは、ガーデルというお人だよ。あの『烈風の会』でも活躍していたデヴィアスっていうお人の下で働いていた、兵士さんだったんだ」


 俺がまずそのように紹介したのは、ガーデルの前で名前を明かさないようにと伝えるためである。何せデヴィアスというのはチル=リムやディアと対面している数少ない人間のひとりであったため、ジェノスに滞在中はくれぐれも気をつけるようにとあらかじめ伝えておいたのだ。


 チル=リムはわずかに怯むような気配を見せかけたが、すぐに気を取り直した様子で「そうですか」と目もとで微笑んだ。

 いっぽうディアのほうは、金色の目でじろじろとガーデルを見やっている。


「兵士か。確かにアスタたちが普段懇意にしている人間とは、いささか毛色が違っているようだ。それに、手傷を負っているようだな」


「うん。大罪人を討つために負った、名誉の負傷だよ。でも、この負傷のせいで去年から兵団の職務を休むことになってしまったんだ」


 俺はそのように語ることで、ガーデルが邪神教団にまつわる騒乱には関わっていないと伝えたつもりであった。それが伝わったのかどうか、ディアは「ふん」と鼻を鳴らしつつ口をつぐみ、チル=リムが屈託なく声をあげる。


「では、その御方もダレイムにご一緒するのですか? まだまだ夜は長いので、どうぞアスタたちも最後までお楽しみください」


「うん。できればそちらのおふたりも誘いたいところだったけど、さすがに今日は忙しいもんね」


「はい。それでも明後日には祝宴なのですから、何も寂しいことはありません」


 やはりチル=リムは玉虫色のヴェールのおかげで、ガーデルの不穏な運命が垣間見えることもないのだろう。俺も心置きなく言葉を交わすことができた。


「さすがに最後の夜は、いつも以上の賑わいだね。ガーデル、すでに聞いているかもしれませんが、こちらの《ギャムレイの一座》は素晴らしい芸を見せてくれるのですよ」


「はあ……旅芸人の見世物というやつですよね。俺はそのようなものを目にしたことがありませんので、善し悪しを判ずることもできそうにないのですが……」


「最初に見るのがこちらの芸だと、目が肥えてしまうかもしれませんね。かくいう俺も、そのひとりであるわけですが」


 こういった何気ない会話も、絆を深めるのに重要な行いであろう。アイ=ファも無言のまま、俺たちのやりとりを見守ってくれていた。

 しかし、ガーデルはいかにも反応が鈍い。そもそもガーデルは、何事に対しても関心が薄いようであるのだ。それでいて、あやしげな天幕や人相を隠したチル=リムたちに気後れしている様子はないし――ひどく受動的でありながら、強く誘われるとどこにでもついていってしまいそうな危うさが感じられた。


(まあ、この演劇を目にしたら、きっと無関心ではいられないだろう)


 そうして四半刻ほどの時間が経過すると、入り口の帳が開かれた。その向こう側にたたずむのは、真っ赤なフードつきマントで舞台衣装を隠したピノだ。


「おやおや、今日も来てくれたんだねェ。まだ席を空けてるところなんで、ちょいとばっかりお待ちいただくよォ」


 そんな風に言ってから、ピノは半眼でガーデルを見上げた。


「ふふン……今日はずいぶん、らしくないお相手とご一緒のようだねェ」


「らしくない、ですか?」


 俺はそのように反問したが、ピノはにやにやと笑いながら肩をすくめるばかりである。

 すると、アイ=ファが案内もなしに歩を進めて、ピノに何かを耳打ちした。ピノはにんまりと微笑みながら、アイ=ファに何事かを囁き返す。そんな短いやりとりを経て、アイ=ファは俺たちのもとに戻ってきた。


「それじゃあ俺たちは、もとの位置に戻ろうか。ピノたちも、どうかよい年をお迎えください」


「あらあら、ご丁寧に、ありがとさァん。どうせ明後日には、また顔をあわせることになるけどねェ」


 ピノは相変わらずの調子であったが、チル=リムは嬉しそうに目を細めながら一礼してくれた。

 俺たちは場所を空けてくれた人々にお礼を言って、とりあえずリミ=ルウたちのもとまで引き下がる。そこで入場が許されたため、その位置取りで前進することになった。


 暗い通路を踏み越えて、天幕の内を進んでいく。雑木林まで内包したその面妖な空間にも、ガーデルは気後れする様子を見せなかった。

 広々とした舞台まで到着したならば、先に並んでいたジバ婆さんたちに席を譲りつつ、敷物に腰を下ろす。俺たちの右側がルウの血族のご一行で、左側がユン=スドラやレイ=マトゥアといった屋台のメンバーだ。そして背後の立見席には、さまざまな氏族の狩人たちが立ち並んでくれた。


 そうして100名ばかりのお客が入場を終えると、ピノは舞台の暗闇に消え、右端に楽器を構えたニーヤの姿が浮かびあがる。ニーヤはしなやかな指先で楽器を爪弾き、流麗なる歌声を闇に響かせて――『黄昏の王の物語』が開始された。


 俺やアイ=ファがこちらの劇を拝見するのは、『暁の日』以来となる。すでに内容をわきまえていても、感服の思いに変わりはなかった。やはり《ギャムレイの一座》の見世物というのは、素晴らしい完成度であるのだ。

 普段は人間らしい感情を覗かせない小男のザンも、見事な演技力で王の苦悶や悲嘆を体現している。魔物を演じる他の団員や獣たちも、また然りだ。


 俺が途中で、ガーデルの様子をうかがってみると――彼は幼子のように瞳を輝かせながら、《ギャムレイの一座》の芝居に見入っていた。

 俺はようやくガーデルの内面に触れられたような心地で、ほっと息をつく。その後は、ガーデルとともに物語の結末を見届けた。


「ほ、ほ、本当に素晴らしい出来栄えでありました。旅芸人の見世物というのは、これほどに心の躍るものであったのですね」


 観劇を終えて天幕を出るなり、ガーデルは熱っぽい調子でそのように言いたてた。あの、熱に浮かされた雰囲気ではなく、幼子めいた昂揚をあらわにしてくれたのだ。その際にも俺と目を合わせようとはしなかったが、それでも俺は満足な心地であった。


「それじゃあ、ダレイムに向かいましょう。その前に、懇意にしている宿屋にご挨拶をさせてくださいね」


 俺たちは荷車を見張ってくれていた一行と合流し、主街道を南に下った。

 その道中でも、ガーデルは興奮が冷めやらぬ様子である。それで、ギルルの手綱を引くアイ=ファも声をあげることになった。


「ガーデルは、よほど先刻の劇が気に入ったようだな。ああいったものを目にするのも初めてであったのか?」


「は、はい。城下町に出入りすることを許されるのは、宮殿に招かれるような一座ばかりですし……俺が目にできるのは、せいぜい傀儡の劇ぐらいです」


「傀儡の劇か。ダレイムにも、傀儡使いのリコたちが招かれているのだが……あなたは『森辺のかまど番アスタ』という劇を目にしたことはあるのだろうか?」


 その言葉に、ガーデルは飛び上がらんばかりの驚きを見せた。


「は、はい。そちらの劇は、城下町でも披露されていましたので……あの一座が、ダレイムにまでやってくるのでしょうか?」


「うむ。それでまた、くだんの劇を披露するそうだぞ」


「そうなのですか……」と、ガーデルは深く息をついた。


「お、俺はあの劇によって、アスタ殿の偉大さをいっそう思い知ることができたのです。あれをもういっぺん目にできるのなら、心から嬉しく思います」


「……その偉大という言いようは、あまりに大仰ではなかろうか?」


「いえ」と答えるガーデルの声が、これまでにない強い響きを帯びた。


「アスタ殿は、偉大です。だから俺は、自らの行いを後悔せずに済んだのです。アスタ殿は、歴史を変えるほどの偉人であられたのですから……俺の手など、いくら血で汚れてもかまいません。あの傀儡の劇は、俺にとって大いなる救いであったのです」


 アイ=ファはきつく眉をひそめたが、その場では何も言い返そうとしなかった。

 俺もまた、上手い言葉を見つけられずにいる。ガーデルの言葉をどのように受け止めるべきであるのか、俺もまだ気持ちを整理しきれていないのだ。


 そこで、「おおい」という声が投げかけられてくる。振り返ると、ベンとカーゴがこちらを追いかけてきていた。


「ようやくユーミのやつも、商売を終えたんだよ。あいつは屋台を宿に戻しに行ったけど、せっかくだったら一緒に行かねえか?」


「了解です。宿場町の出口で合流しましょう。……あ、今日はこちらのガーデルもご一緒することになったんで、よろしくお願いします」


 ベンとカーゴに視線を向けられて、ガーデルはたちまち目を泳がせてしまう。幼子めいた昂揚も、俺について語る奇妙な熱っぽさも、ともに霧散し果ててしまった。


「ふうん。そいつはもちろんかまわねえけど、これまで見かけた覚えのない顔だな。そいつはどこのどなたさんなんだい?」


「ガーデルは城下町にお住まいで、本来は護民兵団の所属です。今は怪我をされて、休職のさなかなのですよね」


「へえ、それじゃあ衛兵さんってことか。こいつは迂闊に、悪さもできねえな」


 森辺の祝宴では貴族とも同席することになったので、ベンたちも今さら衛兵に気後れすることはない。いつも通りの陽気な調子で、ガーデルに笑いかけてくれた。


「じゃ、俺たちはこのままご一緒させてもらうよ。どうせユーミのほうには、ジョウ=ランがひっついてるからさ」


「わかりました。俺と何人かは途中で《キミュスの尻尾亭》にご挨拶をするので、他のみんなと先に行っていてください」


《キミュスの尻尾亭》に立ち寄るのは、俺とアイ=ファ、ルウ本家の兄妹たち、そしておまけのターラのみである。他の面々に荷車を託して、宿場町の出口で合流する手はずであった。


「ガーデルも、先に行っていていただけますか? すぐに追いつきますので」


 ガーデルは何を不安がる様子もなく、ただ気弱げな顔でダン=ルティムたちに引き取られる。俺は《キミュスの尻尾亭》に踏み込む前に、アイ=ファへと呼びかけることにした。


「なあ、アイ=ファ。さっき天幕の入り口で、ピノと何を話してたんだ?」


「うむ。らしくないという言葉の意味を問うたのだ。ピノもまた、人を見る目は確かであろうからな」


「ああ、なるほど。それで、どういう内容だったんだろう?」


「……あのガーデルには、人間らしい熱を感じない。あのように空虚な人間が森辺の民と行動をともにしているのが奇妙に感じられた、とのことだ」


 アイ=ファは厳しい面持ちで、そのように語った。


「私もこのわずかな時間で、少しばかりはあやつの本性というものに触れられたように思う。……あやつはいくぶん、フェルメスに似た面があるのではないだろうか?」


「ええ? フェルメスとガーデルっていうのは、ずいぶん掛け離れているように思えるけど……アイ=ファはどうして、そう思ったんだ?」


「あやつはお前を偉大であるなどと言いたてながら、ともに行動できることに喜びを抱いている様子もない。それはつまり、ジェノスを変転させたファの家のアスタという存在に深く感服し、執着しつつ、お前という生身の人間には何ひとつ興味を持っていないということではないだろうか?」


 そのように語りながら、アイ=ファはますます真剣な眼差しになっていく。


「しかしそれでもフェルメスは、お前を前にすると昂揚する。そういう意味では、フェルメスよりも難儀な相手であるかもしれん。あやつはおそらく、人を殺めた罪悪感を打ち捨てるために、お前に偉大な存在であってほしいという理想を押しつけているのであろうからな」


「なるほど……それは確かに、難儀だな」


 そう言って、俺はアイ=ファに笑顔を返してみせた。


「でも、すごく腑に落ちたような気がするよ。俺がガーデルから感じる違和感は、それだったんだな」


「うむ。しかし、我々の目指すべき道に変わりはあるまい」


「ああ。偉人なんかじゃなく、ひとりの人間として絆を深めるべきってことか。それなら、望むところさ」


 すると、すぐそばで話を聞いていたルド=ルウが「おーい」と声をあげた。


「話が一段落したんなら、さっさと挨拶を済ませちまおーぜ。俺はもう、腹がぺこぺこなんだよ」


「うむ。しかしこの後もガーデルと行動をともにするので、今の内に語っておかなければならなかったのだ。ジザ=ルウにも、今の言葉をしかと胸に留めてもらいたい」


「うむ。ガズラン=ルティムも、あのガーデルという者には少なからず関心を抱いているようだった。フェルメスほど影響の大きい相手ではなかろうが……しかし、見過ごすことはできんだろうな」


 そのように語りつつ、ジザ=ルウはわずかに口もとをほころばせたようであった。


「今の話は、族長ドンダにも伝えておこう。とりあえず、ミラノ=マスらに挨拶を済ませるがいい。それもまた、二の次にはできない行いであろうからな」


 それは確かに、ジザ=ルウの言う通りである。

 俺たちが語っている間も、往来は賑わっている。今は『滅落の日』のさなかであるのだ。俺たちはガーデルともそれ以外の大勢の人々とも、この夜の喜びを正しく分かち合わなければならなかったのだった。

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