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異世界料理道  作者: EDA
第七十六章 太陽神の復活祭(下)
1321/1695

滅落の日③~意外な客人~

2023.2/23 更新分 1/1

 ピノやチル=リムたちと一刻ばかりも語らった後、俺たちは森辺に舞い戻ることになった。

 ファの家に帰りついたのは下りの二の刻の少し前で、この時間帯の当番であったガズやラッツの面々が集まり始めていた頃合いである。レイ=マトゥアやマルフィラ=ナハムはそのまま宿場町に居残り、この時間まで手伝いを申し出たのはユン=スドラただひとりであった。


(ユン=スドラは、本当に働き者だよな)


 きっとユン=スドラは1秒でも長く俺のそばに留まることで、あらゆるものを学び取ろうと考えているのだ。俺はそんなユン=スドラの心意気に報いるために、彼女からの申し出はのきなみ許容することに決めていた。


 そうして俺とユン=スドラはかまど小屋に、アイ=ファは単身で母屋へと向かう。次の出立は下りの四の刻の半であるので、アイ=ファはそれまでサリス・ラン=フォウたちとともに過ごす予定になっていた。


 やがて下りの二の刻に達し、予定の人員が勢ぞろいしたならば、いざ下ごしらえの開始である。

 ラッツ、アウロ、ミーム、ガズ、マトゥアから選り抜きのかまど番が集結し、かまどの間には朝方に負けない熱気が満ちる。屋台の当番でない人間にとっては、まさしくこれが復活祭にまつわる最後の仕事であるのだ。そこには大晦日ならではの活気と意欲というものがあふれかえっているように感じられてならなかった。


「ただ、明日は明日で下ごしらえの仕事が待ち受けてるから、あんまりはっきりした区切りがないんだよね。それがちょっと、申し訳ない気分だよ」


 俺がそのように語ると、ともに働いていたユン=スドラがきょとんと首を傾げた。


「区切りとは、どういう意味でしょう? 明後日には屋台の商売を再開させるのですから、その前日に下ごしらえをするのは当然のことでしょう?」


「うん。でも俺の故郷では、年末や年始にもっと長い休日を入れるのが一般的だったんだよね。俺の家なんかも、年明けの3日ぐらいは休業にしていたしさ」


「3日も休んでしまうのですか。それは、物寂しいお話ですね」


 と、ユン=スドラは屈託なく微笑んだ。


「でも、ジェノスにおいて骨休みとされているのは銀の月の1日のみですし、そもそも森辺には年の終わりを特別に過ごすという習わしも存在しませんでした。それが今では宿場町で屋台を開き、町の人々と同じ喜びを分かち合えるようになったのですから、とても満ち足りた心地です」


「そっか。確かに今も、みんな特別な気分でいるみたいだもんね。俺が申し訳なく思う必要はないのかな」


「もちろんです。3日も休んでしまったら、宿場町の方々だってさぞかし残念がることでしょう」


 ユン=スドラのそんな言葉に励まされつつ、俺は下ごしらえを進めることになった。

 しばらくすると、フォウから新たな荷車が到着する。そちらで仕上げたギバの骨ガラの出汁を運んできてくれたのだ。


「こちらの鉄鍋は、ファの家の荷車に積み込んでおきますね。他に何か、手伝うべき仕事はありますか?」


「いえ、こちらは大丈夫です。最後まで面倒な仕事をお頼みしてしまって、申し訳ありませんでした。あとはご自由に過ごしてください」


「承知しました。では、アスタたちも頑張ってください」


 フォウの女衆らは、意気揚々と立ち去っていく。きっとこれから宿場町に出向くのだろう。フォウの家人の居残り組は、のきなみファの家の母屋に集まっているはずなのだ。


 その後も、俺たちは粛々と仕事を進め――あっという間に、二刻半ていどの時間が過ぎ去った。下ごしらえの済んだ食材と食器を荷台に詰め込んで、出立の準備も完了である。


「アイ=ファ、こっちは準備が整ったぞ」


「そうか。では、出立だな」


 サリス・ラン=フォウを筆頭とするフォウの家人らと語らっていたアイ=ファは、凛然たる面持ちで立ち上がった。


「では、行ってくる。引き続き、家人らの面倒を願いたい」


「ええ。アイ=ファたちも、気をつけて」


 サリス・ラン=フォウたちは、このままファの家で新年を迎えるのだ。サリス・ラン=フォウの伴侶や、この場にいる人間の家族などは、夜がふけてからこちらに戻り、ともに太陽神の滅落と再生を見届けるのだという話であった。


「お前たちも、ラムと子供たちを見守ってやるのだぞ」


 アイ=ファは履物を履く前に、あがりかまちでくつろいでいたブレイブたちの頭を順番に撫でていった。ジルベの背中で丸くなっていたサチも、アイ=ファが同行してくれるこの夜はお留守番だ。


「それでは、行ってきます。サリス・ラン=フォウたちも、よいお年を」


 俺はアイ=ファとともに玄関を出た。

 そしてすぐさま、アイ=ファの心をなだめるべく声をあげる。


「なあ。来年は、ブレイブたちも連れていってやろうな。1年たてば、子犬たちもすっかり大きくなってるはずだからさ」


 アイ=ファはびっくりしたように、俺の顔を見つめてきた。


「私もまさしく、そのように考えていたのだが……お前も同じ考えに至ったということか?」


「どちらかというと、アイ=ファに触発されたのかな。ブレイブたちの頭を撫でるアイ=ファが、すごく申し訳なさそうに見えたからさ」


 復活祭というものは、本来家族とともに過ごすべきだとされている。人間ならぬ家人をこよなく愛するアイ=ファであれば、ブレイブたちとともに過ごしたいと思って然りなのだろう。


「でも、去年はそんな考えにも至らなかったはずだから……きっとそれだけ俺たちも、復活祭の習わしが身に馴染んできたってことなんじゃないのかな」


「そうかもしれんな」とアイ=ファは曖昧に微笑みつつ、俺の頭を小突いてきた。

 そうして護衛役の狩人を引き連れてきたディンの荷車とも合流して、いざ宿場町に出立である。


「わーい、待ってたよー! 今日も最後まで頑張ろうねー!」


 ルウの集落に到着すると、ルウルウのそばに控えていたリミ=ルウがぶんぶんと手を振ってくる。そちらにも、こちらに負けないぐらいの荷車が待ちかまえていた。


「いよいよ最後の商売だね。そっちも何も問題はなかった?」


 そのように問うてくるララ=ルウに、俺は「うん」とうなずいてみせる。


「今日も予定通りの量を出せるはずだよ。そっちも問題はなかったかな?」


「うん。『烈風の会』の前日に比べれば、どうってこともないからね」


 その日は屋台のみならず、祝賀会の宴料理の下ごしらえまで同時進行で進めることになったのだ。今さらながら、ルウ家は大変な仕事を引き受けたものであった。


「まあきっと、これが去年だったら宴料理の準備なんて引き受けられなかっただろうね。それだけ血族の女衆の腕が上がったってことさ」


「うんうん。この1年の成長を痛感させられるよね。……それじゃあ、出発しようか」


 あらためて、俺たちは宿場町を目指した。

 この段階で、俺は胸が高鳴ってしまう。夜の商売は3度目であるが、やはり最終日というのは感慨と無縁でいられないものだ。同じ荷車に乗っているユン=スドラたちも、これまで以上の熱意をあらわにしていた。


 そうして、再びの宿場町である。

 まだ日没には一刻以上も残しているので、日差しに夕刻の気配がまじり始めているていどである。そして往来の賑わいは、昼から何も変わっていなかった。

 町のあちこちには、太陽神の象徴である赤い旗が飾られている。それらもまた、明朝には撤去されるのである。次に日の光の下でこういった光景を目にできるのは、1年後のことであるのだから――何もかもが、感慨深かった。


「よう、待ってたぜ。それじゃあ、出陣だな」


 昼には姿を見せなかったレビとラーズが、笑顔で俺たちを出迎えてくれる。彼らはずっと、屋台と食堂の下ごしらえに忙殺されていたのだろう。宿屋の人々にとっては、年が明けるまで仕事が詰め込まれているはずであった。

 それに、居残り組であったマルフィラ=ナハムたちともこの場で合流する。レイ=マトゥアやフェイ=ベイム、フォウやランの女衆など、なかなかの大人数である。そちらを護衛するために、モラ=ナハムやラヴィッツの長兄なども控えてくれていた。


「ようやく来たか。では、荷車が空いたら帰らせていただくぞ」


 ふてぶてしい笑みをたたえたラヴィッツの長兄は、そんな風に言っていた。子煩悩である彼は、家で家族とともに新年を迎えるのだろう。おそらくは、それと入れ替えでデイ=ラヴィッツやリリ=ラヴィッツが町に下りてくるのだろうと思われた。


 人の海をかきわけるようにして、俺たちは露店区域を目指す。

 昼前にも同じ道を辿ったが、やはり仕事に臨むとなると心持ちが変わってくるものだ。日中に楽しませていただいたぶん、俺たちは総力をあげて仕事に取り組む所存であった。


 やがて所定のスペースに辿り着くと、そこには1台の荷車がぽつんと置かれている。昼からそのまま居残った、ルウ家の荷車である。青空食堂ではその荷車の主たちが町の人々と談笑していた。


「みんな、お疲れ様ー! それじゃあ掃除をさせてもらうから、いったん表に出てねー!」


 いつも通り、ララ=ルウが元気な声でそのように宣言する。

 すると、車椅子のジバ婆さんが笑顔でそちらを振り返った。


「ララたちこそ、お疲れ様だねぇ……あたしばっかり呑気に過ごして、申し訳ない限りだよ……」


「あはは。ジバ婆だって若い頃は、あたしたちに負けないぐらい働いてたんでしょ? 今はあたしたちの番ってだけさ!」


 そんな風に言ってから、ララ=ルウはちょっと心配そうにジバ婆さんの顔を覗き込んだ。


「それより、ジバ婆はもう起きてたんだね。この後はドーラの家に行くんだから、無理はしないでよ?」


「ああ……あたしはついさっき起きたところさ……本当に、面倒ばっかりかけちまうねぇ……」


 荷車に揺られて家に戻るよりは、荷台で身を休めるほうが負担も少ないだろうという判断で、ジバ婆さんはずっと宿場町に居残っていたのだ。そしてもちろん、その身は4名の狩人に守られていたのだった。


「ルド=ルウたちも、ご苦労だったな! あとの仕事は引き受けるので、お前たちも身を休めるがいいぞ!」


 と、どこからともなくダン=ルティムが出現する。同行しているのは、ガズラン=ルティム、ラウ=レイ、ジィ=マァムの3名だ。そしてこちらには、ヤミル=レイがひたひたと近づいてきた。


「お待たせしたわね。わたしはどの屋台を手伝えばいいのかしら?」


「今日は俺の屋台をお願いします。ヤミル=レイも、お疲れ様でしたね」


「まったくよ。わたしが途中で倒れたら、文句は家長にお願いね」


 ヤミル=レイは昼から宿場町を訪れて、そのまま屋台に合流するという手はずであったのだ。もちろんそんなスケジュールを組んだのは、こよなく祝祭を愛するラウ=レイに他ならなかった。


「マルフィラ=ナハムやレイ=マトゥアなんかも、こっちで合流したんですよ。森辺の女衆の体力には、感服させられます」


「だから、わたしをその枠に入れないでほしいものね。わたしがどれだけ非力であるかは、あなたもわきまえているでしょう?」


「いえいえ。ヤミル=レイも重いものを運ぶのはいまだに苦手なようですが、体力そのものは向上しているじゃないですか。俺は何も心配しておりませんよ」


「ふん。ほめるかけなすか、どちらかにしてほしいものね」


 すると、隣の屋台でユン=スドラとともに準備を進めていたクルア=スンが、くすりと笑う。たちまちヤミル=レイは、切れ長の目でそちらをねめつけた。


「何か面白かったかしら? まあ、こんなに年をくった女衆が鍋を運ぶのに難渋していたら、笑いものになるのが当然なのでしょうけれどね」


「い、いえ。そういうわけではありません。ヤミル=レイの気分を害してしまったのなら、謝罪いたします」


 クルア=スンは、慌てふためいて頭を下げる。しかし、かつてはスンの本家と分家で不穏な関係にあったはずの両者であるのだから、俺としては微笑ましい限りであった。


 そうして屋台の準備を進めていると、荷下ろしした荷車がまた街道のほうに持ち出される。この刻限でもなお、ピストン輸送が発動されるのだ。そして、その1台の手綱を握っていたディグド=ルウが、通りすぎざまに不敵な笑みを投げかけてきた。


「お前たちも、最後のひと働きだな。町の人間は誰も彼もが酔いどれているので、せいぜい気を抜かずに励むがいい」


「承知しました。もしかしたら、ディグド=ルウはもうお帰りですか?」


 彼は朝からジバ婆さんの護衛役を務めていたひとりである。ディグド=ルウは古傷だらけの顔でにやりと笑いつつ、「ああ」と応じた。


「復活祭とは、家族と過ごすべきであるのだろう? だから俺は、家で過ごす。俺の家には赤子や幼子もいるし、そうでなくともこのように騒がしい場所で過ごす気にはなれん」


 彼の家は複数の分家がまとめられており、とても家人の数が多い。そして家長たる彼は、外界に対する興味が薄いのだった。


「それじゃあそちらでは、すべての家人が家で過ごすのですか?」


「うむ。何か文句でもあるのか?」


「いえ。復活祭をどこで過ごすかは個人の自由ですし、大事な家族とともに過ごすというのは町の習わしにも合致しています。町でさまざまな相手と交流を深めるのも、家で家族と親愛を育むのも、まさり劣りのない大事な行いだと思いますよ」


 俺がつい生真面目に答えてしまうと、ディグド=ルウは「ふん」と鼻を鳴らして通りすぎていった。まあ、その顔には最後まで不敵な笑みがたたえられていたので、きっと気分を害してはいないのだろう。森辺の民であれば、俺が本心で語ったことも伝わっているはずであった。


 ユン=スドラやマルフィラ=ナハムやレイ=マトゥア、それにルウ本家の若い家人などは、みんな宿場町やダレイムでこの夜を過ごすつもりでいる。そしてどの家にも赤子や幼子がいるため、家族総出で町に下りることはかなわないのだ。

 それは町の人々と交流を深めるためであるのだから、決して非難されるいわれはないだろう。ユーミやベンやカーゴ、ディアルやラービス、それにアラウトやサイやザッシュマ――なんなら、フェルメスやオーグだって家族とは離ればなれで過ごしている。家族とともに過ごすというのは一般的な習わしであるものの、決して義務や掟ではないのだ。


 いっぽうで、建築屋の面々などは家族総出でジェノスに出向いてきているし、なかなかに奔放な気性をしているアルヴァッハやダカルマス殿下やティカトラスでもその習わしを軽んじたりはしない。人はそれぞれの立場や理念に従って、もっとも相応しい道を選ぶべきなのだろう。


(それに、シン=ルウとディグド=ルウともうひとつの分家は、もうすぐシン家として独立するんだもんな。外界との交流に関しては、シン=ルウやララ=ルウがしっかり引き受けてくれるだろうから……ディグド=ルウが家や家族を大事に守る役割を担ってくれるなら、いい具合にバランスが取れるんじゃないかな)


 そんな思いにひたりながら、俺は商売の準備を進めることになった。

 そうして鍋が温まったならば、いざ商売の開始である。その後は、もう全力で眼前の仕事に取り組むばかりであった。


「よう、アスタ。昼にはほとんど顔をあわせられなかったな。商売の後も、楽しみにしてるぞ」


 序盤でそのように声をかけてくれたのは、アルダスであった。建築屋の面々は、商売の開始と同時にやってきてくれたのだ。


「はい。商売の後、一刻ぐらいの見込みでダレイムに向かいます。みなさんも、道中お気をつけて」


「ああ、そっちこそな。まあ、狩人さんたちが一緒なら、何も危ないことはないだろうけどさ」


 そうしてアルダスは大皿に盛りつけられた『ギバ・カレー』を手に、立ち去っていった。

 その後も、さまざまなお客が屋台に押し寄せてくる。南の民に東の民、宿場町の領民に余所からやってきた滞在客、若い男女に老人や幼子――往来を埋め尽くす人々が、そのまま屋台にもなだれこんでくる格好だ。客層がまったく偏らないというのも、復活祭の大きな特徴のひとつであった。


「よう。アスタたちは、この後またダレイムかい?」


 と、次にやってきた知人は、宿場町の若衆たるダンロである。本年も、彼は『烈風の会』の賞金で豪遊していた。


「はい。もうちょっとゆとりがあれば、ダンロたちもお誘いしたかったのですけれど……」


「いいさいいさ。こっちは顔見知りの連中まで集まって、何十人っていう人数になっちまうからな。今年も広場で、森辺のお人らと楽しませていただくよ」


 ダレイムに向かえる森辺の民は40名ていどであるため、他の人々は宿場町のあちこちで夜を過ごすのだ。去年の復活祭においても、ダンロたちは宿場町の広場で森辺の民と親交を深めたのだという話であった。


(つまり、ダレイムに向かう俺たちは、立派な少数派ってことだよな)


 森辺には600名ていどの民がおり、その何割かが宿場町まで下りている。その中からダレイムに向かうのは、わずか40名ていどであるのだ。さきほどディグド=ルウに偉そうなことを語ってしまったが、ダレイムに向かう俺たちこそが一番の少数派であるのだろうと思われた。


 そしてそんな想念も、すぐ目の前の忙しさにまぎれてしまう。最初の鍋はあっという間に尽きて、5分ていどのインターバルが生じたが、その時間ものんびりしているいとまはなかった。


「ユン=スドラ、そっちも問題はないかな?」


「はい。具材の減り具合から見て、煮込みの料理と同じ調子で進められているかと思います」


 本日、ユン=スドラが担当しているのは『ギバの玉焼き』である。相方のクルア=スンは至極なめらかな手つきで丸い玉焼きをひっくり返していた。

 同じように、マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアの担当する屋台も見て回る。マルフィラ=ナハムは『ギバ骨ラーメン』で相方はフェイ=ベイム、レイ=マトゥアは『ギバのケル焼き』で相方はラッツの女衆だ。俺としては、歴戦のかまど番をまんべんなく配置したつもりであった。


 ルウもディンも《キミュスの尻尾亭》も、滞りなく商売を進められているようである。そして青空食堂のほうもザザの血族の手を借りつつ、大変な賑わいの中で仕事を果たしてくれていた。

 座席は常に満席で、敷物だけを設置した臨時のスペースも人であふれかえっている。みんな自前で果実酒を持ち込んでいるので、祝宴そのものの賑わいだ。そしてジバ婆さんはまた車椅子でそちらに陣取り、ダン=ルティムらとともに交流を楽しんでいた。


 こんな光景も、この夜でひとまず見納めである。

 俺は感傷的な気分を打ち払い、小走りで仕事場に戻ることにした。


「あら、早かったわね。こちらはまだ温まりきっていないわよ」


「そうですか。それじゃあ俺が代わりますので、ヤミル=レイも少し休んでください」


「いいわよ。非力なわたしでも、鍋をかき回すぐらいなら務まるからね」


 ヤミル=レイは、つんとそっぽを向いてしまう。大きな声では言えないが、こういう部分が可愛らしいヤミル=レイであるのだ。

 それじゃあこちらはどうしようかなと、俺が考えあぐねたとき――アイ=ファが「うむ?」とうろんげな声をこぼした。


「どうやら、客人のようだな。あれは……ガーデルではないのか?」


「え? ガーデル?」


 俺が慌ててアイ=ファの視線を追いかけると、青空食堂のほうから屋台の裏に回って近づいてくる人影があった。案内しているのはディガ=ドムで、フードつきマントを纏った客人のほうはそれよりも大柄な体格をしている。


「アスタはちょうど手が空いてたんだな。このお人が挨拶をしたいそうだぜ。レイの家長がアスタの知り合いだっていうから連れてきたんだけど、問題はなかったかい?」


「は、はい。おひさしぶりです、ガーデル」


「……このように多忙な折に押しかけてしまい、まことに申し訳ありません」


 ガーデルが、のろのろとフードをはねのけた。その下から現れたのは、くりくりの巻き毛と気弱げな顔――まぎれもなく、護民兵団のガーデルである。そののっぺりとして特徴のない顔には相変わらず弱々しい表情が浮かべられており、そしてマントの下では左腕が三角巾で吊られていた。


「ああ、まだ具合がよろしくないのですね。もう出歩いても大丈夫なのですか?」


「は……いえ……兵舎で大人しくしているように言いつけられていたのですが……どうしてもこらえきれずに、城門を出てしまいました」


 ガーデルの恐縮しきった返答に、アイ=ファは「なに?」と眉をひそめた。


「あなたはまた、言いつけに背いてやってきたのか? 前回も、それで余計に古傷を痛めてしまったのであろうが?」


「は……その節には、大変お見苦しい姿を見せてしまったため……なんとか年が明ける前に、お詫びを申し上げたかったのです」


 そう言って、ガーデルは力なく目を伏せてしまう。ディガ=ドムにまさるぐらい逞しい体格をしているのに、彼はいつでもこういったたたずまいであるのだ。


「何だか穏やかじゃねえな。このお人は、どういう知り合いなんだい?」


 ディガ=ドムがいぶかしげに問いかけると、アイ=ファが厳しい声音で答えた。


「こちらは護民兵団のガーデルといって、かつて大罪人シルエルを討ち取った功労者だ。その左肩も、シルエルに負わされた傷となる」


「シ、シルエルって、あのトゥラン伯爵家の大罪人かよ? このお人が、それを討ち取った兵士さんだったのか」


 ディガ=ドムは、仰天した様子で目を剥いた。彼もまたトゥラン伯爵家との対決の場で、シルエルと相対しているのだ。あの頃のシルエルというのは、いかにも短慮な小悪党といった風情であったが――その後、大地震のどさくさで苦役の刑場を脱走し、復讐の鬼と化してジェノスに再来したのだった。


「でも、あの大罪人が討ち取られたのは、もう1年以上も前の話だろう? それでまだ、傷が癒えてないってのか?」


「昨年の終わり頃には、このようにして出歩くことができるようになっていた。そしてその後は城下町で、客人を出迎える御者の仕事を務めていたのだが……飛蝗の騒ぎの際にアスタを守ろうとして、また古傷を痛めてしまったのだ」


 アイ=ファの言葉を聞きながら、ガーデルはますますうなだれてしまう。しかしアイ=ファは厳しい口調のまま、さらに言いつのった。


「さらには、ティカトラスが来訪した際、あやつがアスタを王都に連れ去ろうとするのではないかと案じ、傷の癒えぬ身でこの場を訪れた。それでティカトラスに敵意を向けたあげく、熱を出して倒れてしまったのだ。それを助けたのが、ラウ=レイやジィ=マァムであったはずだな」


「そういうことか……あんたはそんなに、アスタのことを大事に思ってるってこったな」


 ディガ=ドムは得心したように表情をやわらげたが、アイ=ファは厳然たる面持ちのままであった。


「しかしそれは、いささかならず度が過ぎた行いであろう。飛蝗の騒ぎでは虚言を弄してまで仕事を放り出したという話であったし、ティカトラスに対しては刀を向けかねん有り様であったと聞いている。ティカトラスにアスタを連れ去ろうなどという目論見はなかったのだから、あれは道理もなく場を騒がせたに過ぎんのだ」


「はい……返す言葉もございません……」と、ガーデルがいっそう消沈してしまったので、ディガ=ドムが気の毒そうに声をあげた。


「アイ=ファは何をそんなに怒ってるんだよ? アスタを思ってのことなら、ありがたい話だろ?」


「否。あれは王都とジェノスの関係を危うくするような行いであったはずだ。我々とてティカトラスには警戒しながら、それでも正しく絆を結ぼうと苦心していたのだぞ。それをあのような形でかき回されては、むしろアスタにとって害になりかねん。あなたはアスタを案ずるあまり、無用な危険を招きかけていたということだ」


 そのように語りながら、アイ=ファは青い瞳を鋭く光らせた。


「だから、問わせてもらいたい。あなたは何故、そうまでアスタに執着しているのだ? 我々にとってのあなたは恩人だが、あなたにとってのアスタは何ものでもないはずだ」


「俺は……アスタ殿の生きざまをお見守りしたいだけで……」


「それは、アスタから聞いている。ゆえにあなたは、ティカトラスにあらぬ敵意を向けてしまったのであろう? 私が問うているのは、その理由だ。あなたは何故、アスタの生を見守りたいと願っているのだ?」


「俺は……」と、ガーデルは蚊の鳴くような声を振り絞った。


「俺は……自分の行いの意味を……見届けたく思っているのです……」


「自分の行いの意味とは?」


「……俺は大罪人シルエルを討ち取りました。この手で、人を殺めてしまったのです。それは本当に、正しいことであったのか……それを見届けないことには、一歩も立ち行かないのです」


 その返答に、アイ=ファはきつく眉を寄せた。


「それでどうして、アスタに執着することになったのだ? あやつはアスタばかりでなく、ジェノスと森辺に大いなる災いをもたらそうと画策していたのだぞ」


「ですが、あの大罪人がつけ狙ったのは、アスタ殿でした……あの大罪人はジェノスと森辺の絆を断ち切るべく、アスタ殿を襲ったのでしょう……? あの場でシルエルを逃がしたならば、再びアスタ殿を害そうとしたのでしょうから……俺はアスタ殿を守るべく、この手で人を殺めたということになるはずです」


 それは、驚くべき告白であるように思えた。

 俺は、アイ=ファに先んじて声をあげてみせる。


「だから、俺の生を見守りたいということですか? 俺に助ける価値があったのかどうか、それを見定めたいと……ガーデルは、そのようにお考えなのですか?」


「平たく言えば……そういうことなのでしょう……もちろん俺は、アスタ殿が正しいことを……いえ、アスタ殿が偉大であることを信じています。アスタ殿なくして、今のジェノスはないのでしょうから……アスタ殿は、歴史に名を刻むほどの偉人であるはずです。俺はその輝ける生を、この目で見届けたいと願っているのです」


 訥々と語るガーデルの声に、どこか熱に浮かされているような気配が入り混じっていく。

 それで俺が言葉を失うと、あらぬ方向から声があがった。


「でしたら、あなたはただ見守ることに徹するべきかと思います。余計な干渉をしたがために、あなたはいらぬ騒動を巻き起こしてしまったのではないでしょうか?」


 俺は驚愕して、声のあがった方向を振り返った。

 そのように語っていたのは――隣の屋台で働いていたはずの、クルア=スンである。彼女はいつしかユン=スドラに仕事を任せて、こちらに向きなおっていたのだった。


「ただ見守っているだけであれば、誰の迷惑にもなりません。ですがあなたはアスタの運命に干渉しようと考えたがために、飛蝗の騒ぎで古傷を痛め、ティカトラスにあらぬ敵意を向けることになってしまいました。あなたはアスタの正しさを信じ、ただ見守ることに徹するべきかと思います」


 ガーデルは、怖いものでも見るようにクルア=スンを見た。

 ガーデルの色の淡い茶色の瞳とクルア=スンの銀灰色の瞳が、虚空で視線をからめ合う。


「あなたには……何が見えているのですか?」


 やがてガーデルが弱々しく問いかけると、クルア=スンは銀灰色の瞳を半分だけまぶたに閉ざした。

 もともと端麗なる面立ちと相まって、菩薩像のごとき厳かさである。そしてクルア=スンは、何の感情のゆらぎも感じられない声音で、静かに語った。


「あなたが望むのなら、お答えいたします。……わたしに見えているのは、破滅の相です。あなたはアスタに執着する限り、破滅の道を進む運命であるのです。古傷を痛め、ティカトラスの従者たちに斬られそうになったのも、破滅の予兆であったのでしょう。ですからあなたは、アスタへの執着を捨てるべきであるのです」


 その言葉を聞いて、ガーデルは――幼子のように微笑んだ。


「それでしたら、かまいません。俺が破滅したところで、嘆く人間などひとりもいないのですから」


「な、何を言っているんですか、ガーデル!」


 発作的に、俺は大きな声をあげてしまった。


「嘆く人間がいないなんて、そんなわけがありません! ガーデルにだって、家族や友人がいるでしょう?」


「家族はいずれも絶えましたし、友人などというのは……俺のように不出来な人間には、望むべくもありません」


「だったら、俺たちがいますよ! ガーデルが破滅すると聞いて、俺たちが黙っていられると思いますか? 誰も嘆く人間がいないなんて……そんな悲しいことを言わないでください!」


 ガーデルは、きょとんとした顔で俺を振り返ってきた。

 幼子のようにあどけなく、そして何もわかっていないような顔だ。俺は何だか、泣きたいぐらい胸が痛くなってしまった。


「こいつはどうやら、立ち話じゃ済まない話みたいだな。アスタたちは、仕事に戻れよ」


 と、ディガ=ドムがゆったりと笑いながら、そのように発言した。


「このお人も、ダレイムまで来てもらおうぜ。アイ=ファも、文句はないだろう?」


「うむ。このままこやつを帰すことはできんし……どうせこやつも、帰るつもりはないのだろうからな」


 アイ=ファは鋼の意志のにじんだ声音で、そう言った。


「アスタとクルア=スンは、仕事に戻るがいい。こやつと語らうのは、その後だ」


「……うん、わかったよ」


 ユン=スドラはひとりで働いているし、『ギバ・カレー』だってとっくに温まっている頃合いだ。そこら中に声をかければ、仕事を肩代わりしてくれる女衆もいるのかもしれなかったが――そんな真似は、したくなかった。


「ガーデル、また後で語らせてください。それまでは、俺たちの作った料理でも食べて……それで、俺たちの行いを見守っていてください」


 俺はガーデルの返事も待たず、屋台のほうに向きなおった。

 そちらには、まるで別世界のように熱気と活力にあふれかえった光景が待ち受けていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ようやくガーデルの真意が語られたなぁ。 兵士であるなら克服すべき弱さであるのだが、彼の気性や生い立ちがそれを許さないのかもしれない。 で、罪の意識の置き所に迷ってアスタの存在に仮託した…と。…
[一言] ガーデルの事に関しては、星無き民の子孫だとか、邪教のスパイでアスタに目をつけたとか、そんなのを想像してましたが、人を斬った事による心身失調でしたか まあ悪党とは言え人一人殺すってのは大ごとで…
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