滅落の日②~童女との語らい~
2023.2/22 更新分 1/1
チル=リムたちと半刻ばかりも語らっていると、ついに中天の到来であった。
ギバの丸焼きが仕上がったと告げられて、屋台にはものすごい勢いで往来の人々が押し寄せている。その勢いがわずかばかりにゆるめられるのを待ち受けて、俺たちも屋台に向かうことにした。
祝日の初日たる『暁の日』にはキミュスの丸焼きのみを口にした俺であるが、屋台が14台に増設されてからはギバの丸焼きもひと切れだけは所望することにしていた。とにかく俺の本懐は、人々と同じ喜びを分かち合うことであるのだ。王国の民として正しく生きるためにも、それは必要な行いであるはずであった。
そうして他の人々と同じように屋台に並んで、半ばもみくちゃにされながらひとかけらの肉を獲得する。そちらの屋台で働いていたのはラヴィッツの血族であり、ナハムの末妹が笑顔で背中の肉を切り分けてくれた。
チル=リムとディア、ライエルファム=スドラとユン=スドラも、同じようにして炙り焼きの肉を食する。そうして往来の騒ぎから離れるために、街道の反対側――つまりは《ギャムレイの一座》の天幕のほうに寄っていくと、同じように移動していた一団と顔をあわせることになった。
「ああ、アラウトたちもいらしていたのですね」
「はい。なんとかギバの丸焼きを口にすることがかないました」
昨晩も顔をあわせたばかりの4名である。アラウトとサイはいつも通りの折り目正しさであったが、カミュア=ヨシュとザッシュマは明らかに寝起きの顔であった。
「やあやあ。昨晩は宿に戻った後も、ついつい盛り上がってしまってね。レイトのおかげで、なんとか間に合ったよ」
「あはは。宿では毎晩、大変な騒ぎのようですね。夜ふかしの本番は今日なのに、大丈夫ですか?」
「そこはそれ、たゆみなく鍛え抜いている身であるからね。まあ、祝祭で騒ぐために鍛えているわけではないのだけれどさ」
俺たちがそんな歓談に勤しんでいると、横合いに位置していた天幕の帳が開かれた。そこから顔を出したのは、ピノとアルンとアミンである。
「聞き覚えのある声だと思ったら、やっぱりカミュアの旦那かァい。ずいぶんご無沙汰だったじゃないのさァ」
「やあやあ。こちらもちょっと慌ただしくてさ。でも、ピノたちの芸は毎日どこかしらで拝見しているよ。例の新しい演劇なんて、もう3回は楽しませてもらっているからねぇ」
「そいつは重畳だけどさァ。ちっとはコイツらの面倒も見ちゃあもらえないモンかねェ」
ピノのかたわらに控えながら、アルンとアミンはもじもじしながらカミュア=ヨシュの長身を見上げている。こちらの双子は、カミュア=ヨシュにたいそう懐いているという話であったのだ。カミュア=ヨシュは寝ぐせのついた頭をかき回しながら、「ごめんごめん」と微笑んだ。
「アルンもアミンもすっかり大きくなったから、もう俺の世話なんて必要ないだろうと思っていたのだよ。寂しい思いをさせてしまったのなら、申し訳なかったね」
「まったくさァ、こんな幼い子供たちをたらしこんでおいて、罪なお人だよォ。エサをやる気もないんだったら、うかうかと手を出さないでほしいもんだねェ」
「それはあまりに人聞きが悪いなぁ。まわりのみなさんに誤解されてしまうじゃないか」
さしものカミュア=ヨシュが苦笑を浮かべると、アラウトがかしこまった面持ちで進み出た。
「カミュア=ヨシュ殿とザッシュマ殿には、僕の護衛役をお願いしていたのです。それで何か不都合でも生じてしまったのなら、僕からもお詫びをさせてください」
「護衛役ゥ? カミュアの旦那は復活祭のさなかに、仕事に励んでいたのかねェ」
「いえ、《守護人》としての正式な依頼ではなく、おふたりのご厚意にすがってのことです。ですから、僕にも大きな責任が生まれることでしょう」
ピノは切れ長の黒い目でアラウトの姿をじろじろ検分しつつ、「はァん」と鼻を鳴らした。
「見るからに、育ちのよさそうなお人だねェ。そんなお人が旅芸人風情にかしこまる道理はないだろうさァ」
「いえ。カミュア=ヨシュ殿のご友人に、非礼な真似は許されませんので」
「ゴユウジンときたもんだァ。そんな言葉を聞かされちまうと、背中がかゆくなっちまうねェ」
ピノは気安く肩をすくめると、そのついでのように双子たちの頭を小突いた。
「何にせよ、カミュアの旦那はお忙しいみたいだねェ。アンタたちもさっさと引っ込んで、薄暗がりで小さく丸まってなァ」
「そんな無体なことを言わないでおくれよ。ますます申し訳ない気分になってくるじゃないか」
そう言って、カミュア=ヨシュはしょんぼりとしている双子たちに微笑みかけた。
「俺はこれから、こちらの方々を城下町までお送りしないといけないのだよ。でもその後には何の用事も抱えていないから、よければそれまで待っていてもらえないかな?」
「でも……僕たちも、余興を見せなければなりませんし……」
少しだけ髪の短いアルンのほうがそのように答えると、ピノがまたその頭を小突いた。
「そんな恨みがましい目つきで泣き言を垂れるんじゃないよォ。どうせお天道さんの高い内は、何をしたって銅貨をいただくこともできないんだからねェ。遊びたいなら、好きにしなァ」
「ありがとう。やっぱりピノは、優しいねぇ」
「お生憎さまァ。アタシはアンタと違って、目下のモンをしつけるのに手馴れてるだけさァ。鞭をふるうばっかりじゃあ、獣だって言うことを聞きゃしないからねェ」
そんな風に言いながら、ピノは妖しく咽喉で笑った。
いっぽうアラウトは、まだかしこまった面持ちをしている。
「では早急に、城下町に戻ることにいたしましょう。カミュア=ヨシュ殿、ザッシュマ殿、今日まで長きにわたってご面倒を見ていただき、本当にありがとうございました。……森辺の方々も、またジェノスを訪れた際にはご挨拶をさせていただきますので」
ここでアラウトとお別れしたならば、次に再会するのは半月やひと月の後となるのだろう。俺は精一杯の気持ちを込めて、「はい」と応じてみせた。
「帰りの道中も、どうぞお気をつけください。そしてその前に、『滅落の日』をお楽しみくださいね。アラウトがよい年をお迎えできるように願っています」
「ありがとうございます。アイ=ファ殿もスドラの方々も、どうぞ息災に」
そうしてアラウトの一行は、人で賑わう街道を北の方角へと立ち去っていった。
「察するところ、アレは貴族のお坊ちゃんなんだろうねェ。まったくカミュアの旦那ってェのは貴族様にも旅芸人にもいい顔をして、無節操なお人だよォ」
ピノは和服めいた装束のたもとで口もとを隠しながら、くすくすと笑った。
「じゃ、アタシらは薄暗がりで丸くなるとするかねェ。アスタたちは引き続き、新入りどものお世話をお願いするよォ」
「あ、ピノ。そちらのみなさんは、ギバの丸焼きを口にされないのですか?」
「今年はあれだけの屋台を出しても、お宝の奪い合いみたいな騒ぎだからねェ。カタギのお人らのご迷惑にならないように、アタシらは大人しくしとくよォ」
旅芸人である彼らは、このような形で町の人々と喜びを分かち合う必要はない、ということなのだろうか。
それはいささかならず物寂しい話であったが、しかし部外者の身で文句をつけることはできなかった。
「それじゃあピノも、こちらで一緒に語らいませんか? 余興を見せないのなら、ピノもお手すきでしょう?」
「はァん? アタシなんざと語らうことなんて、何ひとつありゃしないだろォ?」
「そんなことはないですよ。今年はとりわけピノと語らう機会が少なかったので、俺も物足りなく思っていたんです」
「あらァ、アスタはアタシなんざをたらしこもうってェのかい? カミュアの旦那に劣らず、罪なお人だねェ」
ピノは赤い唇を吊り上げて、にんまりと微笑んだ。
「余計なことを考えると、周りのお人らが黙っちゃいないんじゃないかねェ。ほらほら、さっそくおっかなそうなお人らが集まってきちまったみたいだよォ」
なんのことかと思って背後を振り返ると、人垣の上からギバの頭骨が覗いていた。ドムの一団がこちらに接近してきたのだ。
「語らいの最中に、お邪魔する。そちらの人間に用向きがあるので、しばし時間をもらえるだろうか?」
その一団の先頭に立っていたディック=ドムが、重々しい声音でそのように告げた。同行していたのはモルン・ルティム=ドムとレム=ドム、それにディガ=ドムとドッドである。家長の兄妹を除く3名は、俺とアイ=ファにこっそり笑顔を送ってくれた。
「実は俺の家人らが、そちらの人間と力比べの手合わせを願っているのだ。もしも迷惑でなかったら、聞き届けてもらいたい」
「はァん? 力比べってェのは、取っ組み合いのことかねェ。森辺にお招きされるたんびに、ロロやらドガやらが引っ張り出されてたよねェ」
「ええ。わたしはロロに手合わせを願いたいわね。自分がこの1年でどれだけ成長できたか、確認したいのよ」
そのように語るレム=ドムは、すでにその目を爛々と輝かせている。彼女は昨年もロロに挑み、手も足も出なかったのだ。
「俺たちは、どっちのお人にも挑ませてもらいてえもんだな。そのお人らは、ルウの血族でも勇者の力を持つ狩人しか相手にならなかったってんだろう? そんな話を聞かされたら、身体がうずいちまうんだよ」
ディガ=ドムが陽気に笑いながらそのように告げると、ピノはいささか呆れた様子で肩をすくめた。
「アタシらは、年明けの祝宴ってェやつにもお招きされてるんだよォ。たった2日が待ちきれないってことなのかねェ」
「いや。それはジャガルの建築屋を見送る祝宴であろう? ドムの人間はそちらの者たちと深い縁を持っていないため、祝宴には招かれていないのだ。それでこちらの家人らも、思いあまってしまったということだな」
ディック=ドムは、あくまで沈着である。
するとピノは、笑いを含んだ目でその巨体を見上げた。
「祝宴の場で取っ組み合ったのは、あくまで余興さァ。今はどういった理由で、アンタがたと取っ組み合わなきゃならないのかねェ? 言っちゃ悪いけど、森辺のお人らと力比べに興じるなんざ、片手間では済まない話なんだからさァ」
「それはつまり、代価が必要ということであろうか?」
「さァて、この時間は商売を禁じられてるんで、こっちから銅貨をせびることはできないねェ」
「なるほど」と、ディック=ドムはしばし思案した。
「では、そちらがジェノスを出立する前に、手土産としてギバの腸詰肉を受け渡すということでどうであろうか? それなら銅貨のやりとりにはならないので、ジェノスの習わしに背くことにもならなかろう」
「ソイツは豪気な話だねェ。そうまでして、うちのボンクラどもと取っ組み合いたいってェのかァい?」
「うむ。勇者の力を持つ人間との手合わせは、何よりの修練になるのでな」
今度は、ピノが思案する番であった。
「……まあ、アタシらも森辺のお人らにはさんざん世話になった身だからねェ。無下に断るのは、無粋ってモンかァ」
「肯じてもらえるならば、ありがたく思う」
「ははァん。どうせ痛い目を見るのは他の連中なんだから、アタシは丸もうけだけどねェ」
そんな人を食ったことを言いながら、ピノは帳の入り口を指し示した。
「往来で取っ組み合ってたら、衛兵サンを呼ばれちまうだろうからねェ。その気があるなら、お入りなさいなァ」
「感謝する。ではその前に、腸詰肉の件を親筋たるザザの人間に伝えておこう。ドッドよ、屋台の裏にゲオル=ザザが控えているはずなので、そのようにな」
「了解したよ」と、ドッドは人垣の向こうに消えていった。
その間に、長らく無言であったライエルファム=スドラがディック=ドムを見上げる。
「ずいぶん思い切った申し出をしたものだな。それほどに、家人らの願いが強かったということか」
「うむ。こちらのロロやドガという者たちがどれほどの力量であるかは、俺もこの目で見届けているからな」
昨年の祝宴の場には、ディック=ドムとモルン・ルティム=ドムも招かれていたのだ。ただし、当時のディック=ドムは拳を負傷していたため、力比べには参加していないはずであった。
「その者たちに勝利できたのは、ミダ=ルウやレイの家長といった勇者の力を持つ狩人のみであったのだ。レムやドッドも、今では狩人として恥じるところのない力をつけているかと思われるが……まだまだあの者たちにはかなうまいな」
「あら、言ってくれるわね。わたしだって、地面に転がるためだけに出向いてきたわけではないのよ」
狩人の眼光を両目に燃やしつつ、レム=ドムはふてぶてしく笑う。
ディック=ドムは、とても静かな眼差しでそれを見返した。
「お前がどれだけ成長したものか、俺も楽しみにしている。しかし夜には護衛の仕事があるのだから、決して力を使い果たすのではないぞ」
「ええ、承知しているわ。大事な腸詰肉に見合うだけの成果をあげてみせるわよ」
レム=ドムがそのように答えたとき、ドッドが舞い戻ってくる。その後にぞろぞろと追従してきた狩人たちの姿に、ディック=ドムはこらえかねた様子で口もとをほころばせた。
「ふむ。これはどうやら、寝た子を起こしてしまったようだな」
「ああ。便乗するようで悪いが、俺たちにも修練の機会を与えてもらいたく思うぞ」
そのように答えたのは、ダナの若き家長である。『中天の日』で護衛役の仕事を終えた面々も、本日は大挙して宿場町に下りていたのだ。それ以外にもジーンの長兄やハヴィラの長兄など、若年なれども確かな力を持つ狩人たちがずらりと居並んでいた。
「世話をかける分は、こちらの家からも腸詰肉を受け渡そう。族長代理たるゲオル=ザザにも了承をもらっているので、どうか肯んじてもらいたく思うぞ」
「ふふン。どうせ苦労するのはこっちのボンクラどもなんだから、アタシは何でもかまいやしないよォ」
ピノはにんまりと微笑みながら、入り口の帳を開いた。
「それじゃあ、お入りなさいなァ。おたがい、怪我だけはないようにねェ」
「あ、ピノ。こちらの申し出に関しては、いかがでしょうか?」
俺がそのように声をあげると、妖しい微笑みが苦笑に変じた。
「アスタも、執念深いねェ。そんな熱心に口説かれると、さすがのアタシも心が揺らいじまうよォ」
「でしたら是非、了承してくれませんか? どのみち俺も、下りの二の刻までには戻らないといけませんので」
「アタシなんざいないほうが、新入りどもとしっぽり語らえるだろうにねェ」
ピノは根負けしたように、小さく息をついた。
「じゃ、気が変わらなかったら、そこで突っ立っていなさいなァ。とりあえずボンクラどもに事情を説明しておかないと、森辺のお人らに殴り込みをかけられたと泡を食っちまうだろうからねェ」
「はい、ありがとうございます」
そうしてピノたちは帳の向こうに消え、こちらにはもとの6名だけが残された。
「勝手な申し出をしちゃったけど、チルたちは嫌じゃなかったかな?」
「はい。ピノは誰よりも頼もしい同胞ですので……みなさんのほうこそ、お気を悪くされていないですか?」
チル=リムが心配げな眼差しを向けると、ライエルファム=スドラは「大事ない」と穏やかに応じた。
「そもそも俺とユンは好きでアスタたちの後をついて回っているだけであるし、あのピノという娘にも悪い感情は持っていない。あの娘は、族長筋たるルウの面々にも信用が置けると見なされている人間であるからな」
「そうですか。それなら、よかったです」
チル=リムは、ほっとしたように息をついた。その姿に、俺はあらためて感慨を噛みしめる。
「今ではもう、俺よりチルのほうがピノに近しい立場なんだもんね。俺なんかより、よっぽど長い時間をともにしてるんだろうしさ」
「はい。ピノはああいうお人ですので、森辺のみなさんに忌避されていないのでしたら、心から嬉しく思います」
そうして俺たちが語らっていると、ピノがひとりで舞い戻ってきた。
「ロロのやつは、話を聞くだけで半泣きになってたよォ。アイツもちっとは、森辺のお人らの胆力を見習ってほしいもんだねェ。……それで、これからどうしようってェのさ?」
「どうしましょう? いつもぶらぶら歩きながら、適当に語らっているのですよね」
「ふうん。こんな日には、もっと語らいたいお相手が山ほどいるんじゃないのかァい?」
「そういう方々とは、夜の商売の後で落ち合う約束をしているのですよね。だからこそ、なかなか語らう機会のなかったピノとご一緒したかったんです」
「まったく、酔狂のきわみだねェ。アタシなんざ、芸を見せるしか能のないボンクラの筆頭だってェのにさァ」
そうして俺たちは、あてどもなく町を散策することになった。
祝日のこの時間は、いつもこうして往来の賑わいに身をひたしながら、さまざまな相手と交流を深めているのだ。ただ本年、そこにアイ=ファが加わるのは初めてのことであった。
「私も家が立て込んでいたため、ピノとは語らう機会もなかったな。あらためて、チルを受け入れてもらえたことを感謝しているぞ」
「そんなのは、もう何ヶ月も前の話だからねェ。今さらお礼を言われたって、こっちは挨拶に困っちまうさァ」
「そうか。それに、この話も告げておきたかったのだが……赤き民たるティアは、無事に聖域に戻ったぞ」
てくてくと歩いていたピノは、笑いを含んだ横目でアイ=ファを見やった。
「もちろんそいつも、カミュアの旦那やらリコやらに聞いてたよォ。そもそもアタシらだって、森辺のお人らが聖域にまで乗り込むってェ話は、この耳でしっかり聞いてたわけだからねェ。……そんな1年も昔の話を、わざわざ伝えようと考えていたのかァい?」
「うむ。お前とロロは、ティアのために力を尽くしてくれていたからな」
去年の復活祭の時期、ティアは狩人としての修練に励んでいた。そうしてピノは聖域の民に挨拶をしたいと願い出て、ファの家を訪れていたのだ。それでしまいには、ロロとともにティアの修練を手伝ってくれたのだった。
「お前とて、ティアの身を案じていたひとりであろう? 森辺の外にそういった人間はほとんど存在しなかったため、私としても礼を尽くしておきたかったのだ」
「アタシはなァんも心配しちゃいなかったよォ。森辺のお人らが聖域まで出向くってェんなら、なんもかんも丸く収まるだろうと思ってたからさァ」
「そうか。その期待に応えられたことを、得難く思う」
「いちいち大仰だねェ。聖域の民やら旅芸人やらにそうまで思い入れを抱くのは、王国の民としてどうかと思うよォ」
ピノはあくまで軽妙であったが、アイ=ファはますます真剣な眼差しになっていった。
「私も王国の民として、正しく生きていけるようにと心がけている。その上で、自らの心情や信念といったものもないがしろにはできんと考えているのだ。お前とも、節度を守りながら絆を深めたく思っている」
「あァあ、森辺のお人らってェのはみんな真っ直ぐで、自分のひねくれ加減を痛感させられちまうよねェ。人間様にはかけがえのない太陽神の恵みも、石の裏にへばりついた虫なんざにはまぶしすぎるのさァ」
「お前のそういう物言いも、懐かしく感じられるばかりだな」
そうしてしばらく歩いていると、露店区域の終わりに差し掛かった。
この先は宿屋や商店が立ち並ぶ区域であるが、露店区域に負けないぐらい賑わっている。そこで俺が声をあげることにした。
「普段はこのあたりで、裏道に入ったりするんだよな。主街道は人が多くて、ゆっくり語らうのも難しいからさ」
「なるほど。……危険な区域には近づいておらぬだろうな?」
「もちろんさ。狩人が一緒でも、危ない場所に足を踏み入れる理由はないからな」
ということで、俺たちは横道へと進路を変えた。
こちらは一般家庭の家屋やそれを対象とした小ぶりの商店ぐらいしか存在しないため、人の流れもゆるやかだ。ただし、玄関先に卓を出して騒いでいるご家庭も少なくはなかったし、ご老人がひなたぼっこをしながら語らっていたり、幼子たちが集団で駆け回ったりと、普段よりは遥かに活気に満ちあふれている。主街道の賑わいとは比べるべくもないが、これも復活祭ならではの光景であるはずであった。
「この先は、たしか『ヴァイラスの広場』だったねェ。アタシらも、顔見せの余興で通りかかることが多かったからさァ」
「それなら、ちょうどいいですね。広場でひと息つきましょうか」
「さてさて、ひと息つけるような有り様かねェ」
ピノの言う通り、広場はなかなかの賑わいであった。こちらにも酒樽が持ち出されて、飲めや歌えやの大騒ぎであったのだ。それに、横笛や太鼓の音などもかすかに聞こえてきていた。
「おやおや、同業者みたいだねェ」
遠くのほうに、派手な身なりをした一団の姿がうかがえる。《ギャムレイの一座》の他にも、ジェノスにやってくる旅芸人は少なくないのだ。ただし現在は営業を禁じられている時間帯であるので、銅貨を取らずに場を賑やかしているのだろうと思われた。
「ふん……こんなぼんやりと人様の笛の音に耳を傾けるなんて、なかなかに新鮮な心地だねェ」
「そうですね。ご挨拶などはしなくてもいいのですか?」
チル=リムがそのように問いかけると、ピノは「はァん」と鼻で笑った。
「どうして商売敵の連中に、そんな真似をしなくっちゃならないのさァ? アンタはまだ旅芸人の心意気ってやつをわかっちゃいないみたいだねェ」
「はい。これからも、ご教示をお願いします」
チル=リムは屈託なく、目だけでピノに笑みを返す。そんなやりとりだけでも、ふたりの間に温かい絆が感じられた。
「ジェノスにおいて旅芸人というのは、復活祭の時期にしか見かけません。でもピノたちは、他の時期にも芸を見せているのですよね?」
と、ひさかたぶりにユン=スドラが発言する。
ピノはいつもの調子で「そりゃそうさァ」と気安く応じた。
「アタシらは、芸を見せなきゃ何の稼ぎも手にできゃしないからねェ。復活祭の稼ぎだけじゃあ、あっという間に干上がっちまうよォ」
「そうですよね。つまりピノたちは、毎日が祝祭のようなものであるわけですか。それがどのような生であるのか、わたしには想像もつきません」
「ふゥん。興味があるなら、下働きの人間として使ってやろうかァ?」
ピノがにんまり微笑むと、ユン=スドラは明るい笑顔で「いえ」と立ち向かった。
「わたしは森に魂を返すと決めていますので、その申し出をお受けすることはできません。でも……それはきっと、胸の躍るような日々なのでしょうね」
「さァて、それはどうかねェ。毎日が祝祭だったら、それが当たり前の生活になっちまうわけだからさァ。アタシらほど祝祭のありがたみを知らない人間は、他にいないかもしれないよォ」
「ああ、なるほど……そういう面もあるのかもしれませんね。それじゃあピノたちにとっては、この復活祭も日常の一部ということでしょうか?」
「いやァ、さすがにこれだけ盛り上がる祝祭ってェのは、他にないからねェ。だからこそ、一番賑やかなジェノスを狙ってお邪魔してるのさァ」
そんな風に言ってから、ピノはまたくすくすと忍び笑いをした。
「ただまあこんな毎年お邪魔することになったのは、この3年ぐらいのことだけどねェ。それまでは、数年にいっぺんお邪魔するぐらいだったからさァ」
「ああ、宿場町の人々もそのように語っていたように思います。それまでのジェノスには、あまり心をひかれなかったのですか?」
「あの頃の宿場町には、貧相な料理しか出回っちゃいなかったからねェ。どうしてこんなに豊かな町で、こんなつまらない料理を口にしなきゃいけないのかって、あの頃は首を傾げていたもんさァ。……その理由は、のちのちカミュアの旦那から聞くことになったけどねェ」
それはサイクレウスが、食材の流通を統制していたためである。ほんの3年前までは、タウ油やシムの香草も個人的な売買でしか宿場町に流れていなかったのだ。
「ついでに言うと、あの頃は空気も悪かったよォ。町のお人らは、貴族様に対する不平不満がつのってたし、それに……森辺の無法者が、悪行の限りを尽くしていたからねェ」
さしものユン=スドラも口をつぐみ、その代わりにライエルファム=スドラが口を開いた。
「森辺の大罪人が悪行を働いていたのは、おおよそ10年ほど前までのことだ。それ以降は、スンの若い家人が屋台を壊すなどの無法を働いていたぐらいのはずだな」
「どうやら、そうみたいだねェ。でも、そいつは貴族様の悪評とふたつでひとつの話だったんだろォ? けっきょく森辺の悪人が裁かれることはなかったんだから、10年経っても悪い空気が残されちまったのさァ。あんなに空気が澱んでたら、どれだけ実入りのいい土地でもそうそう近づきたいとは思えなかったねェ」
そんな風に語りながら、ピノはふっと透き通った眼差しをした。
「で、そんな空気を払拭してくれたのが、今の世代のお人たちってわけだねェ。今のジェノスの宿場町は、あの頃とまるきり別もんだよォ。アンタたちは、ずいぶんなことをやってのけたってェわけさァ」
「うむ。カミュア=ヨシュと懇意にしていれば、どういった事情であったかもすべてわきまえているわけだな」
「あのお人は、言葉足らずにもほどがあったけどねェ。それよりも、傀儡の劇のほうがよっぽどためになったよォ。大勢のお人らがあれだけの苦労をしたから、これだけの賑わいを手にすることができたわけだねェ」
そう言って、ピノは広場の賑わいを見回した。
「アタシはとにかく、賑やかなのが好きだからさァ。ジェノスをこんな楽しい場所に作りかえてくれたお人らには、めいっぱい感謝してるつもりだよォ」
「そうか。そうして俺たちとも絆を深めてくれたことを、得難く思う」
しかつめらしい面持ちでそのように応じてから、ライエルファム=スドラは小首を傾げた。
「ところで……お前は10年前から、ジェノスを訪れていたのか? 前々から気にかかっていたのだが、お前はいったいどれほどの齢を重ねているのだ?」
「嫌だねェ。そんな野暮なことをお聞きでないよォ」
と、ピノはいつもの妖艶さを取り戻して、にっと白い歯をこぼした。
その派手な朱色の装束を纏った小さな姿は、これだけの賑わいの中でも際立った存在感をかもしだしている。そういえば、《ギャムレイの一座》の姿を初めて目にしたとき、俺は彼女たちこそが復活祭の賑わいをもたらす使者のような印象を抱かされていたのだった。
(人間の悪念が浄化された土地に神の使いが舞い戻ってくるなんて、なんだか御伽噺みたいなエピソードだな)
俺はそんな考えを思い浮かべたが、きっとこの皮肉屋の童女には一笑に付されるだけだろう。よって、口には何も出さないまま、俺はこの場にいるみんなと同じ喜びをしみじみと噛みしめたのだった。




