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異世界料理道  作者: EDA
第七十六章 太陽神の復活祭(下)
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滅落の日①~朝~

2023.2/21 更新分 1/1

 そうしてついにやってきた、紫の月の31日――『滅落の日』である。

 泣いても笑っても、太陽神の復活祭はこれにて終了だ。俺たちはいっそうの気合を入れて、その日の仕事に取りかかることに相成った。


 とはいえ、今日の下ごしらえはそれほど立て込んでいない。明日が休業日であるために、夜の商売とそのあとダレイムで振る舞う夜食の下ごしらえのみであるので、『暁の日』や『中天の日』に比べれば作業量は半分ていどであったのだった。


 よって、これまでは3交代制で取り組んでいた下ごしらえも、朝と昼下がりの2交代制で事足りる。中天の前後はスケジュールを空けて、誰もが宿場町に出向けるように手はずを整えることにした。とりわけベイムとラヴィッツの血族にはいつもその時間帯に当番をお願いしてしまっていたので、本日は丸一日オフとさせていただいた。


「……それなのに、マルフィラ=ナハムは朝の当番まで志願してくれたんだね」


 朝一番の下ごしらえに励みながら、俺はそんな言葉をマルフィラ=ナハムに投げかける。そうすると、ふにゃふにゃした笑顔が返ってきた。


「は、は、はい。よ、夜まで何の仕事もしていないと、むしろ調子が狂いそうでしたので……ご、ご面倒をおかけして、どうも申し訳ありません」


「これっぽっちも面倒じゃないし、マルフィラ=ナハムには感謝するばかりだよ。今日はぞんぶんに、日中の賑わいを楽しんでね」


「は、は、はい。い、妹たちの働きぶりを見届けるのが、楽しみです」


 本日も、マルフィラ=ナハムの妹がギバの丸焼きを受け持っているようだ。そちらのほうもサウティの取り仕切りで、つつがなく進行されているはずであった。


 現在は、フォウの血族を中心にした混成メンバーで下ごしらえに取り組んでいる。レイ=マトゥアやクルア=スンなど、夜の屋台でのみ働く予定であった顔ぶれが、マルフィラ=ナハムと同じように志願してくれたのだ。あとは昼下がりからガズとラッツの血族に仕事を引き継いで、それで本年の仕事納めであった。


 かまどの間で働く面々は、誰もが充足した面持ちである。今日は作業量もほどほどであるし、やはり復活祭の最終日ということで気分が浮き立っているのだろう。それでも手もとは確かであるし、気持ちの昂揚が仕事への意欲にきっちり変換されているのだった。


 そうして作業完了の予定時間であった上りの六の刻を前にして、朝方の仕事は無事に終了する。

 俺がサリス・ラン=フォウとともに母屋まで戻ってみると、そちらではアイム=フォウを筆頭とする幼子たちが元気に駆け回ったり、土間の子犬たちの様子を見守たりしていた。


「おやおや、お疲れ様。もう出立の時間ですか」


 年配であるフォウの女衆が、ゆったりと笑いかけてくる。この時間から明日の朝まで留守番をしてくれるメンバーのひとりである。そして朝方の仕事を終えたサリス・ラン=フォウも、今からこちらに合流するわけであった。


「騒がしくしてしまって、申し訳ありませんねぇ。でもなるべく大きな声を出さないように言いつけていますので、子犬たちの眠りは妨げていないはずです」


「はい。むしろこうして人間の気配に包まれているほうが、のちのち人間に懐きやすくなるのではないでしょうかね」


 俺もラムたちの様子をうかがってみると、3頭の子犬たちは母の胸もとで可愛らしく丸くなっていた。生後10日を突破して、子犬たちもだいぶん毛が生えそろってきたので、愛くるしさは増すばかりである。


「では、行くか。下りの二の刻には戻るので、まずはそれまでよろしくお願いする」


 アイ=ファが腰を上げると、アイム=フォウがちょこちょこと駆け寄っていく。アイ=ファは優しい眼差しでその頭を撫でてから、壁に掛けてあった狩人のマントと刀を装着した。


 サリス・ラン=フォウにもあらためて挨拶をして、俺はアイ=ファとともに土間を出る。表では、これから宿場町に出向こうとしている人々が賑やかに語らっていた。

 それを迎えに来た人々の分まで合わせて、5台もの荷車が並べられている。もっと早い時間にはギバの丸焼きを仕上げる人々を送り届けるために活用されていたし、これからもピストン輸送で何度となく往復することになるのだろう。『滅落の日』たる今日などは、数百人にも及ぶ人間が宿場町で長きの時間を過ごすのではないかと思われた。


 現在の森辺に何頭のトトスと何台の荷車が存在するのか、もはや俺にも把握できていない。町での商売で大きな富をつかんだ森辺の民は、もはや必要なだけ荷車をそろえることが可能になったのだ。そして本日は、その機動力が如何なく発揮されるはずであった。


「あ、アスタにアイ=ファ。よろしければ、スドラの家人をそちらに乗せていただけますか?」


 つい先刻までともに働いていたユン=スドラが、そのように告げてくる。そのかたわらにたたずむのは、ライエルファム=スドラとチム=スドラとイーア・フォウ=スドラだ。スドラでもついに新しい荷車を購入していたが、そちらはもうひと組の若い夫婦に託されて、フォウの血族を同乗させるようであった。


「了解だよ。ライエルファム=スドラたちとご一緒するのは、ひさびさですね」


「うむ。これまでは、ザザの血族に護衛を頼んでいたからな。まあ、アイ=ファさえいれば護衛の人間など必要なかろうが……ともあれ、アスタたちと行動をともにできるのは得難いことだ」


 ライエルファム=スドラは子猿に似た顔にくしゃっと皺を寄せて、そんな風に言ってくれた。ライエルファム=スドラも1歳の赤子を抱えた身であるので家に居残ることが多かったが、それでも祝日にはたびたび宿場町まで足を運んでいたのだ。


 そうして御者台にはアイ=ファが陣取り、ギルルの荷車が出立する。それで次に声をあげたのは、チム=スドラであった。


「復活祭も、ついに今日までなのだな。今回は祝日にしか宿場町に下りていないためか、ずいぶんあっという間に感じられるようだ」


「うん。休息の期間でない限り、祝日以外の日は狩りの仕事があるもんね。疲れが溜まったりはしていないかい?」


「大事ない。そもそも猟犬を扱うまでは、これほど仕事を休むこともなかったのだからな。以前よりも、力は有り余っているぐらいであるのだ」


 そのように語るチム=スドラもライエルファム=スドラも、普段通りの静かな力感を漂わせている。こちらでもアイ=ファは疲れた顔のひとつも見せることはないし、つくづく森辺の狩人というのは強靭であるのだった。


「そもそも、この時期にもっとも多忙にしているのは、アスタであろう? そちらこそ、身体のほうに問題はないのか?」


「うん、見ての通りさ。周りの人たちに助けられて、俺も無理なく仕事を進めることができているからね」


「しかしこの時期は帳簿というものをつけるだけでも大層な苦労であるようだと、ユンからそのように聞いているぞ。そちらに記されている文字や数字を眺めているだけで目が回りそうだ、とな」


「あはは。あれは確かに、なかなか頭を使う仕事だけどね。他の仕事では楽しさのほうがまさっているから、どうってことはないさ」


「……まったく、大したものだな」と、ライエルファム=スドラも声をあげた。


「屋台で出す料理の内容を考え、それに必要な食材を買いそろえ、しかも正しく文字や数字として残さなければならない。さらには屋台やかまどの間では手伝いの女衆を取り仕切り、自らも同じだけ働いているというのだから……それは想像を絶する労苦であろう」


「いえいえ。それでも生命をかけて仕事を果たしているみなさんには、遠く及びませんよ」


「アスタとて、その仕事に魂と誇りをかけているのであろう? ならばそこに、優劣はあるまい。アスタやレイナ=ルウやトゥール=ディンは、かまど番の勇者――いや、いまやかまど番の族長ともいうべき存在なのであろうしな」


 そんな風に言いながら、ライエルファム=スドラはひどく澄みわたった眼差しで俺を見つめてきた。


「このような言葉をかけるのは、少なからず尚早であろうが……今日の仕事を終えたならば、ゆるりと身を休めてもらいたい。この年は今日で終わっても、明日からはまた新たな仕事が待ち受けているのだからな」


「はい。お気遣いありがとうございます。ライエルファム=スドラとも、復活祭の喜びを分かち合わせてください」


 俺たちがそのようにして交流を紡いでいる間に、荷車は宿場町に到着した。

 往来の賑わいは、もはや言うまでもないだろう。俺たちが町に下りるのはちょうどジェノス城から果実酒をふるまわれた直後となるので、毎回大変な騒ぎであるのだ。荷車を預けるために立ち寄った《キミュスの尻尾亭》でも宿の前まで座席を出して、祝宴そのものの賑わいであった。


「ああ、森辺のみなさん。トトスと荷車のお預けですか? でしたら、裏のほうまでどうぞ」


 ちょうど扉から出てきたレイトが、裏の倉庫まで案内をしてくれる。宿の手伝いのさなかであるので、前掛けをつけた従業員モードだ。その姿に、ライエルファム=スドラが「ふむ」と声をあげた。


「そのような見てくれであるのに、やはり気配も足音も殺しているのだな。宿に剣士の客などがやってきた際には、さぞかし驚かれるのではないか?」


「どうでしょう。復活祭の期間は日中から酒を召しているお客が多いので、宿の人間などに注意を払うお人は少ないように思います」


「お前のほうは、そうしてしっかり客の検分をしているということか。宿の者たちも、さぞかし心強いことであろう」


 レイトは何も答えずに、ただお行儀のいい笑顔だけを返した。奥ゆかしいというよりは、なかなか内心をさらしてくれない少年であるのだ。


「カミュアたちは、まだ寝所で眠りこけているようですよ。中天の前には声をかけるように言いつけられていますので、ギバの丸焼きが仕上がる頃にはそちらにうかがうことになるかと思いますが」


「うん、そっか。昨日はレイトをお招きできなくて残念だったよ。年が明けてからの祝宴では、どうぞよろしくね」


「はい。僕のような見習いの人間にまで声をかけてくださり、ありがとうございます」


 倉庫を開けてくれたレイトに、アイ=ファがギルルの手綱を受け渡す。

 しかし、宿の仕事で忙しくしているレイトとはなかなか語らう時間も取れなかったので、俺としてはいささか立ち去り難い気分であった。


「ところで、レイトもアラウトとは交流が深まったのかな? アラウトも、レイトの素性をわきまえているんだろう?」


「僕の素性というのは、父親をスン家の大罪人に害されたという話でしょうか? それなら、もちろんご存じです。カミュアがそのような話を黙っているわけがありませんからね」


「うん、そうだよね。……余計な話をつついちゃったんなら、謝るよ」


「何も余計な話ではありません。みなさんはカミュアとともに、父の仇を取ってくださったお立場ではないですか」


 そう言って、レイトはくすりと笑い声をたてた。


「そうして無念が晴らされたため、僕の中にわだかまりは残されていません。ただそれゆえに、アラウト殿に共感する部分も少なくて……あちらには、なんて薄情な人間だと思われているかもしれませんね」


「そんなことないよ。アラウトだったら、レイトがどれだけ正しい心を持っているかもわかってくれるはずさ。レイトは薄情なんじゃなく、強いんだよ」


「……アスタはどうして、この場でそのような話を始められたのでしょうか?」


「うん、ごめん。あんまりレイトと言葉を交わす機会がなかったから、ちょっと喋っておきたかっただけなんだよ」


 そう言って、俺はレイトに笑いかけてみせた。


「それに、レイトや宿のみなさんは、復活祭のさなかでも頑張って働く同志のようなものだと思ってるからさ。今年も最後まで頑張ろうね」


「……ですから僕は、他者に共感するのが苦手であるのです」


 レイトはいくぶん困ったような微笑を残して、倉庫の内に消えていった。

 俺たちは、往来へと引き返す。その道行きで、アイ=ファが俺に語りかけてきた。


「察するに、お前はレイトの身を案じていたのだな。師匠のカミュア=ヨシュがあれだけ嬉々として復活祭を楽しんでいるのに、ひとりで宿の仕事を手伝っているレイトを不憫に思ったのか?」


「うん、まあ、そういう要素もあるのかな。俺たちなんかは夜の商売の後にダレイムで騒ぐ予定だけど、宿の人たちなんかはその間も仕事だからさ」


「しかしレイトは、自らの意思でマス家の両名とともにあることを望んだのだ。普段はカミュア=ヨシュとともに大陸中を駆け巡っているという話であるのだから、復活祭の時期だけでも家族とともに過ごせれば、それは幸いな話であろう。……そしてカミュア=ヨシュも、太陽神の滅落と再生だけはレイトとともに見届けようというつもりであるようだしな」


 そのように語るアイ=ファは、とてもやわらかい眼差しになっている。それで俺も、素直に笑顔を返すことができた。


 やがて往来に辿り着いたならば、再び賑わいの内に身を投じる。3名のかまど番を3名の狩人が囲むフォーメーションだ。ただ本日は俺がもっとも長身であるという顔ぶれであったため、普段以上に視界は良好であった。


 往来は、人間であふれかえっている。この時間は荷車を引く人間も少ないため、まさしく人の海といった様相だ。宿場町の領民と余所からの滞在客が入り乱れて、誰もが喜びにわきかえっている。途中で肩車をされている幼子と目が合ったので笑顔を送ると、そちらからも満面の笑みを返されてきた。


 そして時おり見えるのは、森辺の同胞の姿である。

 誰もがこちらと同じように、男女の組み合わせで行動している。羽目を外した酔漢や無法者などに十分用心をしつつ、それでも数多くの森辺の民がこのように早くから宿場町を訪れているのだ。もしかしたら今日などは、すべての氏族が休息の日にしているのかもしれなかった。


「マトゥアでは、家に居残る方々も夜通し騒ぐ予定だと言っていましたよ。スドラのほうは、いかがですか?」


「うむ。こちらは5人の家人と赤子しか居残らないので、騒ぐといっても限りがあろうがな。それでも、太陽神の滅落と再生というものは、家人の全員で見届けるつもりでいる」


「5人の家人? ということは……ライエルファム=スドラも、夜には家に戻る予定なのですか?」


「うむ。本来、復活祭というのは家族と過ごすべきであるとされているようだからな。最後の夜ぐらいは、伴侶や子たちと過ごそうと決めたのだ。夜まで宿場町に居残るのは、いまだ若年の身である6名のみとなる」


 やはり氏族によって、復活祭の過ごし方はさまざまであるようだ。

 ただきっと、復活祭を他人事と考えている人間はいないのだろう。町の習わしに懐疑的であったラヴィッツやベイムでも、他の氏族に負けないぐらい家人を町に送りつけているのだ。さらに本年などは、屋台の商売とギバの丸焼きの準備を通じて、すべての氏族が復活祭に関わっているのだった。


(よくよく考えたら、37の氏族のすべてが復活祭に関わってるなんて、すごいことだよな。ほんの3年前までは、むしろ復活祭を忌避していたぐらいだったのに)


 俺がそんな感慨を噛みしめている間に、露店区域に到着した。

 こちらではギバおよびキミュスの丸焼きの準備が進められているため、いっそうの賑わいである。空いたスペースには果実酒の樽が積み上げられて、誰もが自由に楽しむことを許されているのだった。


 そうして露店区域の最北端では、森辺の同胞がギバの丸焼きの準備に勤しんでいる。20を超えるの氏族の人間が入り乱れて、それぞれ仕事を果たしているのだ。14台もの屋台で子供のギバや巨大ギバの半身が炙り焼きにされており、またとない芳香で往来の賑わいを彩っていた。


「あっ、ファとスドラのみなさん、どうもお疲れ様です!」


 と、真っ先に声をかけてくれたのは、森辺の同胞ならぬ傀儡使いのリコである。そのかたわらには、ベルトンとヴァン=デイロも控えていた。


「やあ。リコたちも、もう来てたんだね」


「はい! 昨晩はスンのお世話になっていましたので、ともに運んでいただきました!」


 日中は銅貨を取る商売を禁じられているため、リコたちも腕を振るう場がないのだ。その代わりに、こうして思いのまま復活祭の賑わいを楽しめるわけであった。


「ヴァン=デイロも、ひさしいな。息災なようで、何よりだ」


 アイ=ファがかしこまって声をかけると、老齢の剣士たるヴァン=デイロも無表情に「うむ」と応じる。ただし、どちらも眼差しにはやわらかい光がたたえられていた。アイ=ファが日中から宿場町に下りるのはこれが2度目であったし、1度目は闘技場に直行であったため、なかなかヴァン=デイロと語らう機会もなかったのだ。


「ヴァン=デイロらも、夜の遅くにはダレイムまでおもむくのであろう? 傀儡の劇を目にするのもひさびさであるので、楽しみにしている」


「それを果たすのはリコたちで、儂などは横から見守るばかりであるがな。とはいえ、おぬしたちとともにあれるのは得難きことだ」


 すると、リコも元気いっぱいに口を出してきた。


「ここしばらくは、ファの家にもお邪魔していませんでしたものね! 『森辺のかまど番アスタ』もずっと修練を続けていますので、ぜひご感想をお聞かせください!」


「……私としては、他なる劇を期待していたのだが」


「時間があれば、他の劇もお披露目するつもりですけれど! ドーラのご家族やダレイムの方々は、『森辺のかまど番アスタ』をご所望のようなのですよね!」


 アイ=ファは雄弁なる溜息でもって、おのれの心情をあらわにしていた。

 そこでライエルファム=スドラが「うむ?」と声をあげて横合いを振り返る。俺もつられて視線を動かすと、そちらにはふたつの小さな人影があった。


「やあ、チルとディアも来てくれたんだね」


「はい。帳の外をうかがったら、ちょうどアスタたちの姿が見えたもので」


 フードと襟巻きで人相を隠したチル=リムが、目だけで笑いかけてくる。

 いっぽう同じような姿のディアは、金色の目でライエルファム=スドラを見据えていた。


「スドラの家長か。たびたび姿は見かけていたが、言葉を交わすのはひさかたぶりだな」


「うむ。黒の月の、鎮魂祭以来か。そちらも息災だと聞かされて、安堵していたぞ」


「ふん。こちらは森辺の狩人ほど、危険な生は送っていないからな」


 ディアは気安く肩をすくめる。彼女は赤き民のティアによく似ていたが、こういう部分は彼女ならではのふてぶてしさであった。


「ギバの丸焼きが仕上がるのは、まだ先のようだな。しかし往来はあの騒ぎなので、むやみにうろつくとギバ肉を食いっぱぐれるかもしれんぞ」


「そうだね。ひとまず裏のほうで、ひと息つくことにしようか」


 屋台の裏手は雑木林で、その手前にはたくさんのトトスと荷車が鎮座ましましている。そしてそちらにも見張りの狩人が立てられていたが、本日の宿場町では指折りで人口密度の低い場所であるはずであった。


 そうして俺とアイ=ファがチル=リムとディアをともなってそちらに移動すると、ライエルファム=スドラとユン=スドラも追従してくる。ディアはいくぶん目を細めつつ、ライエルファム=スドラの姿をねめつけた。


「お前たちも、ついてくるのか? アスタの身を守るのは、アイ=ファひとりで十分であろう」


「ふむ。俺の存在が、気障りなのであろうかな?」


「……お前が父親のような口を叩かないと約束するなら、ともにあることを許してやらなくもない」


 そういえば、ライエルファム=スドラはディアの故郷の父親に少し似たところがあるという話であったのだ。ライエルファム=スドラは楽しげに笑い皺を深めつつ、「承知した」と応じた。

 俺たちは屋台で働く人々の背中を眺められる位置で、樹木にもたれて腰を落ち着ける。往来の喧噪も少しばかりは遠のいて、文字通りひと息つけた心地であった。


「お前たちも、復活祭のさなかで身を休められるのは、祝日の日中のみなのであろう? なかなかに、せわしない日々であるのだろうな」


「ふん。ディアは何かの仕事を抱えているわけでもないので、気楽なものだがな」


「わたしもライラノスのもとでお客の案内をしているのみですので、とうてい忙しいなどとは言えません」


「そうか。ディアは《ギャムレイの一座》に仲間入りしたわけではないのだったな。……お前はこの先、どのように過ごすつもりであるのだ?」


 ライエルファム=スドラの問いかけに、ディアはフードの陰で眉をひそめたようであった。


「どのように過ごすとは、どういう意味だ? お前は何か、ディアの行いに文句でもあるのか?」


「いや。お前はそうしてチルとともにあるのが、とても自然であるように見受けられる。今後もそのように過ごすのであれば幸いと思ったまでだ」


「……だから、父親のような口を叩くなと言い置いたはずだぞ」


 ディアはフードごしにがりがりと頭をかいてから、かたわらのチル=リムの頭を小突いた。ライエルファム=スドラの言葉を聞きながら、チル=リムはちょっと心配げな眼差しをディアに送っていたのだ。


「ディアの目的は、この大陸中を見物して回ることだ。《ギャムレイの一座》の連中はまさしく大陸中を練り歩いているので、ディアにとっては都合がいい。それ以上の説明が必要か?」


「ふむ。それでお前はどのようにして、生きる糧を得ているのであろうか? お前は何かの仕事を果たしているわけでもないのであろう?」


「……ディアは荷運びやトトスの面倒や、あの天幕をこしらえる仕事なども手伝っている。それと引き換えに、食事の世話になっているのだ」


「それに、屋台の料理を買いつける仕事も手伝っているよね」


 俺が言葉を添えると、ディアは「そうだぞ」と座ったまま胸を張った。

 その姿を見やりながら、ライエルファム=スドラは「ふむ」と居住まいを正す。


「しかしお前は《守護人》を名乗り、剣の腕で身を立てていたのであろう? そちらの面で、《ギャムレイの一座》に頼られることはないのか?」


「この数ヶ月で何度か無法者に出くわすことはあったが、ヴァムダの黒猿が顔を覗かせるだけで逃げ散っていった。また、それでも怯まない無法者がいたとしても、ピノたちだけで退けることができよう。あやつらは、これまでもそのように過ごしてきたのであろうからな」


「そうか。では……いっそ、ピノのように軽業の芸とやらを身につければいいのではないか? お前はさぞかし身軽なのであろうから、ピノに負けない芸を見せることもできよう」


「なんだそれは」と、ディアは顔をしかめたようであった。


「どうしてディアが、芸などを見せなくてはならんのだ。ディアは剣士だし、もとをただせば狩人であるのだぞ」


「そうして《ギャムレイの一座》に仲間入りすれば、いつまでも健やかな生が送れるだろうと考えたまでだ。かつての身分と故郷を捨てたお前は、チルと似たような身の上なのであろうし……きっと《ギャムレイの一座》というのは、そういう人間の集まりなのではないか?」


 そんな風に言ってから、ライエルファム=スドラは顔をしわくちゃにして微笑んだ。


「とはいえ、俺が口をはさむような問題ではない。父親のような口を叩くなと前置きされているし、これで黙ることにしよう」


「……もうすでに、これ以上もなく無駄口を叩いているではないか」


 ディアはぶっきらぼうに言いながら、さらに乱暴にチル=リムの頭を撫でくり回した。


「とにかくディアは、こやつらとともに大陸中を見て回る。いま考えているのは、それだけだ。そもそも《ギャムレイの一座》の連中だって明日のことなどロクに考えていないのに、ディアだけ頭を悩ませても馬鹿らしいではないか」


「うむ。お前たちは、とっくに同胞であるのやもしれんな」


「やかましいぞ」と言い置いて、ディアはチル=リムのことをじろりとにらみつけた。


「チルもさっさと、アスタと語らうがいい。お前がいつまでも黙っているから、無駄口を叩く人間が出てくるのだ」


「は、はい。すみません」と頭を下げながら、チル=リムはどこか幸せそうな眼差しであった。

 チル=リムは《ギャムレイの一座》の一員となったが、きっとディアはそれに負けないぐらい大切な存在であるのだろう。そもそもチル=リムを邪神教団から救い出そうとしていたのはディアであったのだし、《ギャムレイの一座》のもとまで辿り着く数ヶ月の間でも、いっそう絆は深まっているはずであった。


「……ディアこそ、アイ=ファと喋り足りていないんじゃないかな? アイ=ファもディアとのおしゃべりを楽しみにしていたんだから、思うぞんぶん語らっておくれよ」


「うむ。『中天の日』には、わずかに言葉を交わすことしかできなかったからな」


 と、アイ=ファも優しげな眼差しでディアを見つめる。

 そうして俺たちはギバの丸焼きが仕上げられるまで、穏やかに親愛を深めることに相成ったのだった。

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