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異世界料理道  作者: EDA
第七十六章 太陽神の復活祭(下)
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前夜

2023.2/20 更新分 1/1

・今回は全8話の予定です。

 リーハイムの優勝で幕を閉じた『烈風の会』の翌日――紫の月の30日である。

 ついに本年も、今日を含めて残り2日である。太陽神の復活祭もいよいよラストスパートに差し掛かり、宿場町は大変な賑わいであった。


「それにしても、まさかリーハイムがあのセランジュって娘と婚儀を挙げることになるとはねー! 世の中、わかんないもんだよ!」


 露店区域に向かって移動するさなか、そんな感慨をこぼしたのはララ=ルウである。昨日はレイナ=ルウたちの帰りも遅かったので、ララ=ルウは朝一番にその驚くべき話を打ち明けられたとのことであった。


「そういえばララ=ルウは、セランジュやもう片方の貴婦人に挨拶をされてたことがあったよね。あれはたしか……フェルメスが企画した、仮面舞踏会だったっけ?」


「うん、そうそう! もうシン=ルウにおかしな気持ちは抱いてないって、わざわざ伝えに来てくれたんだよ。あの頃は、あたしらだってまだ婚儀の約束をしてたわけじゃないのにさ」


 と、ララ=ルウはいくぶん頬を染めながら、俺のことを力強く見据えてくる。その海のように青い瞳には、茶化したらただではおかないぞという気迫があふれまくっていたので、俺は「うんうん」と大いなる理解を示しつつ笑顔を返してみせた。


「そう考えると、もともと律儀な一面はあったんだろうね。それにしても、リーハイムと結ばれるっていうのは、俺も驚きだったけどさ」


「うん。リーハイムはリーハイムで、レイナ姉におかしな気持ちを抱いてたわけだもんね。だけどまあ……同じ悩みや苦しみを乗り越えたってことで、何か絆が深まったのかもしれないね」


「そうだね。何にせよ、ルウ家とは関わりの深いふたりだったんだから、ドンダ=ルウもひと安心なんじゃないのかな?」


「あはは。どうだろう? でもまあ、祝福の気持ちに変わりはないと思うよ。最近はジザ兄やレイナ姉のおかげで、サトゥラス伯爵家とも絆が深まってたところだしさ」


 そうして会話がひと区切りしたところで、露店区域に到着した。

 そちらでは、本日も大変な人数のお客が待ち受けている。今日は祝日でもないのに、朝から果実酒をあおっている人間も少なくはないようだ。


「よう、アスタ。昨日はお疲れさん。城下町の祝宴は楽しかったかあ?」


 俺が屋台の準備を進めていると、大柄な人影がこちらを覗き込んでくる。それはデルスの相棒たるワッズであった。


「ああ、どうも。今日はお早いお越しでしたね。そちらも、お疲れ様でした」


「昨日は早くから騒いでたから、早くに寝ることになっちまってなあ。復活祭も明日までだってのに、もったいねえことをしちまったよお」


 ジャガルの南部なまりであるという独特のイントネーションで語りつつ、ワッズは朗らかに笑う。そのかたわらで、デルスのほうは「ふん」と大きな鼻を鳴らした。


「兄貴たちなどは、復活祭のさなかに仕事で駆けずり回る始末だがな。貧乏人というのは、つくづくあわれなものだ。今日などはダレイムの南の端にまで引っ張り出されて、こちらの屋台に顔を出すこともできんそうだぞ」


「あはは。おやっさんたちがいないと、デルスもお寂しそうですね」


「何が寂しいものか。ジェノスの復活祭の唯一の不満は、あのようにむさ苦しい連中と顔をつきあわさなければならんということだな」


 そんな風に語りながら、デルスはふてぶてしい笑顔だ。兄君たるバランのおやっさんとは異なる風情で、あまり素直でない御仁なのである。


 そうしてデルスたちと交流を深めつつ、屋台の準備は完了する。たちまち屋台の前には大勢のお客が殺到して、歓談するいとまもなくなってしまった。

 本日も、お客の勢いに変わりはない。ここまで来れば、ジェノスに滞在する人間の数にも変わりはないだろうが――ただやっぱり、復活祭の最終日を目前に迎えて拍車がかかっているようだ。


 しかしまた、このような騒ぎも明日までである。

 それを思うと、物寂しさもわきあがってきてしまうが――しかし、感傷にひたるのは年が明けてからだ。今は何より、目の前の仕事に注力しなければならなかった。


 おやっさんたちは時間が取れないとのことであるが、そのご家族は宿場町で復活祭の賑わいを楽しんでいる。家族のために働いているのは7名の建築屋と、それにおやっさんのご子息のみであるのだ。それに、西の王国を根城にしている別動隊のメンバーも仕事には加わらず、今日も屋台にやってきてくれた。


「俺たちは復活祭のために、紫の月の半ばまでめいっぱい仕事を詰め込んできたからな! この半月は、遊んで暮らすって決めたんだ!」


「そうだとも! おやっさんたちには悪いけど、こいつが家族を持たない気安さってもんさ!」


 そちらの面々も、ぞんぶんに復活祭を楽しんでいる様子であった。

 そうして仕事に励んでいると、やがてアラウトの一行がやってくる。本日も、武官のサイおよびカミュア=ヨシュとザッシュマを引き連れたカルテットだ。


「いらっしゃいませ。昨日はお疲れ様でした」


「はい。アスタ殿は祝賀会まで参席されて、いっそう多忙であられたことでしょう。そちらでは、カルスが何かご迷惑をおかけしなかったでしょうか?」


 アラウトは祝賀会を辞退していたが、料理人のカルスは厨の見学に励んでいたのである。ただ、俺が彼と顔をあわせたのは、祝賀会を終えたのちのことであった。


「俺は宴料理の準備に携わっていないので、カルスとは帰り際にご挨拶をしただけでした。カルスは祝賀会に参席せず、レイナ=ルウの調理を手伝ったかまど番たちと一緒に晩餐を取ったそうですね」


「はい。僕が辞退したのにカルスだけ参席させるというのはあまりに傲慢な申し出でしょうから、厨の見学だけでもお許しを願ったのです。その後に晩餐までご一緒できたのなら、カルスも得るものが大きかったことでしょう」


 アラウトは、屈託なく笑っている。そんな彼に、俺はひとつの申し出をすることになった。


「アラウトは明日、城下町に戻られるのですよね? よかったら、今日はファの家の晩餐にお招きさせていただけませんか?」


「え? よろしいのですか? アスタ殿も、お忙しい盛りでありましょう?」


「いえいえ。ここまで来れば、盛りは過ぎている感じです。アイ=ファの了承はもらっていますので、よろしければお願いします」


「ありがとうございます。アスタ殿のお気遣いに、心から感謝の念を捧げさせていただきます」


 すると、カミュア=ヨシュも横からにゅっと首をのばしてきた。


「俺たちは帰り道の護衛も受け持っているから、森辺にお招きされる際ももれなく同行しているのだよね。アイ=ファもそのあたりのことは承知しているのかな?」


「ええ、もちろんです。アイ=ファが今さらカミュアたちを忌避する理由はないでしょう?」


「そう言ってもらえると、ほっとするねぇ。俺はこういう人間なんで、どこで誰に恨みを買ってるかもわからないからさ」


 そんな風に言いながら、カミュア=ヨシュはチェシャ猫のように微笑んだ。もう出会ってから2年半ばかりも経っているのに、こういう部分は相変わらずである。


 ともあれ、アラウトの了承を得ることができて何よりだ。ひさびさにアラウトをお招きしたいという気持ちに嘘はなかったが、俺はその他にもひとつのミッションを抱え込んでいたのだった。


(『滅落の日』にはアラウトを必ず城下町に戻らせるようにって、ディアルに念押しされちゃったもんな。こういうデリケートな話は、やっぱり家でするべきだろう)


 アラウトが城下町の外に出ずっぱりであるものだから、リフレイアが機嫌を損ねてしまっているという話であったのだ。俺自身、アラウトとリフレイアの関係性にはひそかに着目していたので、それを大事に見守りたく願っていたのだった。


 そうしてアラウトらが立ち去ったのちも、次々にお客が押し寄せてくる。復活祭が正式に始まってからは、もう開店から閉店までこの調子であるのだ。時間の経過は、料理の減り具合で判ずるしかなかった。


 それで次にやってきたのは、チル=リムとディアである。腰の重い《ギャムレイの一座》の面々も、ようやくランチタイムとなったのだ。


「いらっしゃいませ。昨日は顔をあわせられなかったけど、元気にやってたかな?」


「はい。『烈風の会』という催しでは、森辺の方々の全員が勲章を授かったそうですね。どうもおめでとうございます」


 フードと襟巻きの隙間にきらめくヴェールの向こう側から、チル=リムは目だけで微笑みかけてくる。俺は温かい気持ちになりながら、「ありがとう」と答えてみせた。


「あっちの広場も、すごい盛り上がりだったよ。でもみんな駆け比べのほうに夢中だから、さすがに《ギャムレイの一座》でも割り込む隙がないんだろうね」


「はい。昨日は宿場町にも人が少なかったので、わたしたちものんびり過ごすことができました。でも、昼下がりからは普段以上の賑わいでしたね」


 こんなたわいもない世間話でも、相手がチル=リムであれば心も和むばかりである。ただ、商売中はあまり言葉を交わすこともできなかった。


「明日の昼間は、またチルたちとゆっくり語らえるのかな。それに、年明けの祝宴もどうぞよろしくね」


「はい。アスタたちと祝宴をともにできるなんて、まるで夢のようです」


《ギャムレイの一座》は、あくまで余興を見せる芸人として招かれている。しかし、チル=リムがひそかにそのような喜びを噛みしめることに、異を唱える人間はいないだろう。俺自身、チル=リムやディアと祝宴をともにできることを、心から楽しみにしていたのだった。


 そうしてチル=リムたちとも短い交流を終えたら、また仕事に没頭だ。

 それから半刻ぐらい経つと、往来のほうから笛や太鼓の音色が聞こえてきた。食事を終えた《ギャムレイの一座》が、余興を始めたのだ。


 屋台に並んでいた人々も、通りのほうに向きなおって歓声をほとばしらせる。

 明日は祝日であるので、《ギャムレイの一座》が昼から余興を見せるのも今日が最後だ。そのように考えると、ますます復活祭の終わりが近づいていることを実感せずにはいられなかった。


                    ◇


 やがて下りの二の刻に至り、その日の商売も無事に終了した。

 アラウトたちを招くのは夜からなので、今はこのまま帰還である。その帰り道では、リコたちが傀儡の劇をお披露目している姿がうかがえた。


「そういえば、《ギャムレイの一座》のニーヤも『森辺のかまど番アスタ』を歌に仕上げたのですよね。そちらの評判は、いかがなものなのでしょう?」


 ユン=スドラがそのように問うてきたので、俺は「さあ?」と笑ってみせた。


「俺としてはちょっと気恥ずかしい部分もあるから、聞いてなかったんだよね。あと今年は、ニーヤ本人ともまったく言葉を交わす機会がなかったからさ」


「そういえば、ニーヤは屋台に来ても、いつもそそくさと帰ってしまいますね。アイ=ファがいないと、腰を据える理由もなくなってしまうのでしょうか?」


「いや。どちらかというと、カミュアの目を避けてるのかもね。ニーヤはカミュアが苦手みたいだからさ」


 くわしいいきさつは知らないが、きっとニーヤはカミュア=ヨシュの怖い一面を垣間見てしまったのだろう。もとよりカミュア=ヨシュはドンダ=ルウにも匹敵する剣士だと評されているのだから、決して怒らせてはならない相手であるのだ。


(まあ、カミュアが怒るところなんて想像もつかないけど……そうだからこそ、ちょっとしたことで怖く感じる部分もあるんだろうな)


 そんな思いを抱きつつ、俺は森辺に帰還した。

 いったんルウ家に立ち寄ったのち、直帰のかまど番を家に送り届けてからファの家を目指す。そちらでは、ランの家長の伴侶をリーダーとする一同が明日のための下ごしらえを進めてくれていた。


「みなさん、お疲れ様です。何か問題は生じませんでしたか?」


「はい。今日はそれほど、仕事も立て込んでおりませんからね」


 柔和な気性をしたランの家長の伴侶が、穏やかな笑顔を返してくる。明日は夜の商売のみであり、本格的な下ごしらえは当日になってからのことであるので、今日などは来年に向けた乾燥パスタやカレーの素の準備が組み込まれているぐらいであったのだった。


「宿場町のほうは、いかがでしたか? やはり、相変わらずの賑わいであるのでしょう?」


「はい。往来の熱気なんかは、高まっているぐらいですからね。明日も大変な賑わいになりそうです」


「毎日が祝宴のような騒ぎで、不思議な心地ですね。だけどわたしも、ようやくこういった騒ぎが身に馴染んできたようです」


 彼女に限らず、森辺の民はこれまで復活祭の時期にはなるべく宿場町に下りないように心がけていたのだ。それが屋台の商売を通じて、積極的に関わるようになり――ついに今年で、3年目なのである。俺のような新参者とは、また異なる感慨が生まれるのではないかと思われた。


(それに、西方神の洗礼を受けて、王国の民としての自覚を持とうって方針になったのは、2年目に入ってからのことだもんな。最初の年なんかは、復活祭の賑わいを見物しようって考えた人間もそんなに多くなかったはずだ)


 俺がそんな風に考えていると、下ごしらえの作業に合流したレイ=マトゥアがにこやかに笑いかけてきた。


「明日は家に居残る家人たちも、夜通し騒いで太陽神の滅落と再生を見届けようとしているみたいですよ。こういう楽しい習わしでしたら、自ずと真似たくなってしまいますものね」


「そっか。それならレイ=マトゥアも、明日は家に戻りたくなっちゃったかな?」


「えー? もちろん家族と一緒に過ごすのも、幸福な心地なのでしょうけれど……でもやっぱり、わたしはダレイムでみなさんと過ごしたく思います!」


「それじゃあ俺たちも、めいっぱい楽しまないとね」


 レイ=マトゥアは、いっそう朗らかな面持ちで「はい!」とうなずいた。

 遠からぬ場所で働いていたユン=スドラやマルフィラ=ナハムも、ひそかに笑顔になっている。明日の夜の商売に参加する面々は、過半数がダレイムで夜を明かす手はずであったのだ。


 このように楽しい試みも、これで3度目のことである。

 しかし1年に1度のことであれば、俺たちがそういった行いに飽きる理由もまったく存在しなかったのだった。


                  ◇


 そうして、その日の夜である。

 俺とアイ=ファは、無事に客人たちと晩餐を囲むことができた。ふたりの家人に4名の客人という、ここ最近の風潮からするとささやかな人数だ。


「つまりアスタは、ひとりでこれらの晩餐を仕上げたということかい? それは驚くべき手腕だねぇ」


「いえいえ。今日なんかは、仕事の手にゆとりもありましたからね。これぐらいの人数でしたら、どうということもありません」


 アラウトたちを晩餐に招くのは、ずいぶんひさびさのこととなる。しかし彼らは毎晩のようにどこかしらの氏族の集落にお邪魔しているので、今さら気後れすることはなかった。ただひとり、生真面目な気性をしている武官のサイがしゃっちょこばっているばかりだ。そんな客人たちの姿を、アイ=ファも穏やかな眼差しで見回していた。


「では、晩餐を始めたく思う。客人たちは、それぞれの流儀に従ってもらいたい」


 客人たちを招いたときのみ、アイ=ファは食前の文言をはっきりと発声する。しかし、たとえどのような形でも、その文言には晩餐を仕上げた俺の名前が組み込まれているので、俺としては幸福な心地であった。


 そんな幸せ気分を満喫したのち、晩餐の開始である。

「賜ります」という言葉を発したカミュア=ヨシュは、紫色の瞳をきらめかせながら晩餐の皿を見回していった。


「どうも今日は、普段と異なる趣きを感じるよね。これはどういう献立であるのかな?」


「アラウトが、俺の故郷の晩餐に興味をお持ちだという話だったので、それを意識して作りあげました。ただまあ俺自身が食べていたというより、店で出していたものに近い献立ということになります」


「ああ、宿屋の人間なんかも、自分たちは簡単な食事で手早く済ませているものねぇ。まったく、頭が下がる思いだよ」


 そんな風に述べたてるカミュア=ヨシュを筆頭に、客人たちは食器を取り上げた。

 本日の献立は、ギバ南蛮の定食というイメージで作りあげている。定食といえばトンカツや生姜焼きなどのイメージが強いように思うが、ギバ・カツは祝宴でふるまう機会が多いし、ケル焼きは屋台の看板メニューであったため、なるべく客人たちにとって新鮮味のある献立を準備した次第である。


 ギバ南蛮は、かつて何度か作りあげているギバの竜田揚げをもう一段階進化させた形となる。俺は竜田揚げのほうでもタルタルソースを使用していたので、そこに今回は甘酢のあんまで準備した次第であった。

 また、フワノ粉やチャッチ粉のみで揚げる竜田揚げと異なり、ギバ南蛮では卵も使用している。これで衣がふっくらと仕上がり、甘酢のあんがよくしみこむのだ。そこにタルタルソースまで加えれば、客人を招いた晩餐にも相応しい豪奢な仕上がりになるものと見込んでいた。


 そんな主菜との相性も考えて、主食もプレーンの白シャスカだ。建築屋の面々をお招きした際にも使用していたが、やはり炊きたてが醍醐味である白シャスカというのは屋台でも祝宴でもいささか扱いが難しかったため、こういう場で供するのにうってつけであったのだった。


 汁物はミソを基調にした具材たっぷりのギバ汁で、カブのごときドーラの煮びたしと、ニンジンのごときネェノンとブナシメジモドキのきんぴら、それにキュウリのごときペレとツナフレークのごときジョラの油煮漬けの和え物を副菜として準備している。ギバ南蛮がどっしりとしているので、副菜では優しい味わいを目指していた。


「俺の故郷には、一汁三菜という言葉があったのですよね。主菜と主食と汁物料理に、3種の副菜で必要な滋養を摂取するという作法です。本日は、そこのところも意識してみました」


「なるほど。副菜のほうもそれぞれまったく違った味わいであるため、とても彩りが豊かであるように感じられます。それに、これだけ手が込んでいても、どこか心の安らぐような味わいで……とても好ましく思います」


 アラウトはそんな風に語りながら、彼らしい純真な笑顔を見せてくれた。


「アラウトは城下町で、酢漬けの作り方を広めてくださったのでしょう? 酢漬けの料理もこういう副菜に相応しいのではないかと思いますので、俺も楽しみにしています」


「はい。復活祭の期間になってしまったため、森辺では酢漬けの作り方をお教えするいとまがありませんでした。あれほどお世話になっておきながら後回しになってしまって、心から申し訳なく思っています」


「いえいえ、とんでもない。城下町より森辺を優先してしまったら、むしろ角が立ってしまうでしょう。俺たちは城下町の方々から習い覚えればいいのですから、何もお気になさらないでください」


 誠実なアラウトと語らっていると、こちらも穏やかな心地になってくる。これこそが、彼の人徳というものであるのだろう。わずか15歳でありながら、彼は本当に人格者の名に相応しい人柄であった。


「こうしてアラウトをお招きすることができて、心から嬉しく思います。今日の晩餐にご満足いただけましたか?」


「ええ、もちろんです。料理の出来栄えもさることながら……アスタ殿の故郷ではこういった料理が食べられているのかと夢想すると、心まで満たされるかのようです」


 すると、にんまりと微笑んだカミュア=ヨシュが口をはさんできた。


「確かにそれは、想像力を刺激されるお話でありますね。外交官殿などは、こういった献立を所望することはなかったのかな?」


「フェルメスですか? いやぁ、そもそもあのお人は獣肉を食せないお立場ですからね。こちらは魚介の料理を仕上げるのに手いっぱいですし、それ以上の要望を承った覚えはあまりありません」


「なるほど。そういう部分では、きちんと自分を律しているのかな」


 どうもカミュア=ヨシュは、フェルメスが相手だと皮肉まじりになることが多いようである。つい昨晩フェルメスと交流を深めたばかりの俺としては、もう少し言葉を重ねておきたい気分であった。


「フェルメスは俺の素性に興味をお持ちのようですが、故郷そのものに対しては関心が薄いと明言しておられましたよ。自ら出向くこともかなわない土地についてまでは、手が及ばないそうです」


「そうかそうか。アスタも外交官殿と順当に絆を深められているようで、何よりだ。俺のようにちゃらんぽらんな人間は、むしろティカトラス殿のようなお人のほうが馴染みやすいのだけれども……こればかりは、相性というものだろうねぇ」


「あの素っ頓狂なお人に馴染みやすいというのは、お前さんが同じぐらいの変人であるためだろう。この場にいる全員が、そのように思っているはずだぞ」


 ザッシュマが陽気に言いたてると、アラウトは困ったように微笑み、アイ=ファとサイは素知らぬ顔で食事を続けた。この場において、ティカトラスを擁護できる人間は皆無のようである。


「しかしまあ、今年も何とか無事に乗り越えられたようで、何よりのことだ。アスタたちも、なかなか気が休まらなかっただろう?」


「ええまあ、そうですね。でも、それは毎年のことですので……今年だけが特別難儀だったという印象にはならないようです」


「邪神教団を2度も相手取ることになって、その言い草か! まったく森辺の民というやつは、《守護人》よりも荒っぽい生を送っているようだ!」


 護衛の任があるために酒量はひかえめであったものの、ザッシュマも普段以上に陽気なようである。これもまた、復活祭の効果なのだろうと思われた。


「ところで……アラウトは、復活祭を終えたらすぐバナームに戻られる予定なのですよね?」


 俺が何気なく切り出すと、アラウトは屈託なく「ええ」と微笑んだ。


「バナームの外で新年を迎えるというのは常ならぬ行いですので、なるべく早めに帰参するつもりです。ですが、ジェノスに食材を運び入れる際には同行するつもりですし……銀の月の終わり頃には、また短からぬ期間を滞在させてもらおうかと考えています」


「銀の月の終わり頃というと、やはり外来の客人を見越してのことでしょうか?」


「はい。ゲルドと南の王都の使節団に、さらにはティカトラス殿も再来するご予定なのでしょう? バナームはもはやそれらのすべてと通商する立場でありますため、礼を尽くさなくてはなりません」


 アラウトの穏やかな顔に、雄々しい使命感がみなぎっていく。彼は通商の責任者である兄ウェルハイドの代理人として、また大役を務めようとしているのだ。


「なるほど……それ以外でも、荷を運び入れる際にジェノスまでいらっしゃるわけですか」


「はい。ジェノスの方々とも、まだまだ絆を深めなくてはなりませんので」


「それは何よりです。……それで明日は、城下町で貴族の方々と一緒に過ごされるご予定なのですよね?」


 ようやく俺がその言葉を口にすると、アラウトは何を疑う様子もなく「ええ」と首肯した。


「復活祭が開始されて以来、僕は長らく城下町の外で過ごしておりましたからね。昨日の祝宴も辞退してしまいましたし……最後の祝日ぐらいはジェノス城で過ごさないと、礼を失することになってしまいましょう」


「それは惜しい話ですな! やはり復活祭というのは太陽神の滅落と再生を見届けてこそでしょうから、最後までアラウト殿とご一緒したかったところです!」


 ザッシュマがそのように言いたてると、カミュア=ヨシュも「そうだねぇ」と微笑んだ。


「アスタたちは、今年もダレイムで新年を迎えようという心づもりなんだろう? 昨年なんかはダレイムと宿場町と森辺の民に、南の民や東の民まで入り乱れて、ちょっと類を見ないほどの賑わいだったそうじゃないか」


「ああ、俺たちはけっきょく宿屋で過ごすことにしたけど、想像しただけで大層な顔ぶれだよな! それだけさまざまな人間が入り乱れるのは、やっぱりジェノスならではなんだろうさ!」


 すると、アラウトもどこか夢見るような眼差しで「素晴らしいですね」と微笑んだ。


「バナームというのは余所の領地と縁が薄いので、僕はこの数日間でもジェノスの素晴らしさを思い知ることができました。『滅落の日』では、この賑わいが最高潮に達するのでしょうから……かなうことでしたら、僕もこの目で見届けたかったところです」


「それならいっそのこと、明日もこっちで過ごしちまったらどうです? ジェノスの侯爵様は話のわかるお人なんで、べつだん文句はつけないように思いますよ」


「いやいや!」と、俺はいささかならず慌てることになった。


「そこはやっぱり、貴族としてのおつきあいというものを重んずるべきでしょう! それに今年は《銀の壺》の方々もいらっしゃらないので、東と南の民が入り混じることにもならないかと思います!」


「東の民なんてのは、おまけだろ。まあ何にせよ、森辺の民が居揃ってるだけで賑わいに不足はないだろうさ」


「で、でも、アラウトは城下町に戻ると約束されているわけですから……最初の約束を重んじるべきかと思います」


 俺が懸命に言いつのると、客人たちがみんなきょとんとしてしまった。


「アスタは何を必死になってるんだよ? アラウト殿がこっちに居残ったら、何か都合の悪いことでもあるのかい?」


「そ、そんなことは決してありませんけど……城下町にも、アラウトをお待ちしている方々がいらっしゃるでしょうし……」


「あっちはあっちで夜通し祝宴だし、ジェノス侯もメルフリード殿もああいうお人柄だからな。アラウト殿がこっちに居残りたいと申し出たら、むしろ感心するぐらいなんじゃないのかな」


 これはもう、俺も手の内をさらすしかないようであった。


「マルスタインやメルフリードはそうかもしれませんけど……たとえば、リフレイアだってアラウトのことをお待ちしてるんでしょう? 『滅落の日』には必ず城下町に戻るとお約束している姿を、俺も祝宴の場で見届けておりますよ」


 とたんに、アラウトは白い頬を赤くしてしまった。


「あ、ああ。そういえば、アスタ殿もあの場にいらしたのですよね。もちろん僕も、約定を違えるつもりはありません」


「そ、そうですか。それなら、よかったです」


 アラウトは赤くなり、俺はへどもどする。そんなさまを眺めながら、カミュア=ヨシュはチェシャ猫のように微笑んだ。


「つまりアスタは、リフレイア姫のためにアラウト殿のお気持ちを確認しようとしていたのかな? だったら最初から、そう言えばいいじゃないか」


「だ、だって、本来は俺が口をはさむようなお話ではありませんからね」


「アスタがそのように仰々しく振る舞うから、アラウト殿もお心を乱されてしまったのじゃないかな? もとよりバナーム侯爵家とトゥラン伯爵家はしっかり絆を結びなおさないといけないお立場なのだから、そのような約定があったのなら俺たちだって無責任に煽ったりはしないさ」


「そ、そうですか。……アラウト、申し訳ありません」


「い、いえ。アスタ殿が謝罪するいわれはありません。僕がそちらの賑わいを見届けたいなどと口走ってしまったのがいけないのでしょう」


 と、アラウトはますます赤くなってしまう。

 するとアイ=ファが、横から俺の頭を小突いてきた。


「あれこれ余計な気を回すから、話がややこしくなってしまうのだ。そのように振る舞うのは、カミュア=ヨシュにまかせておけばよい」


「やだなぁ。それじゃあまるで、俺が謀略家みたいじゃないか。俺なんて、剣の腕だけが頼りの無粋者だよ」


 カミュア=ヨシュは愉快げに笑いながら、アラウトのほうを振り返った。


「ジェノス城の祝宴は、夕刻からでありましょう? それなら明日は予定通り、ギバの丸焼きを堪能してから城下町までお送りいたしましょう。その後は、俺もザッシュマも宿場町に戻らせていただきますので」


「は、はい。お世話をかけますが、どうぞよろしくお願いいたします」


 まだ頬に赤みを残しながら、アラウトは深々と一礼した。従者であり友人でもあるサイは、そんなアラウトのことを心配そうに見守っている。

 かくして無粋者の極みである俺は、アラウトに無用の羞恥心を抱かせてしまったわけだが――何とかかんとか、ディアルとの約束を果たすことがかなったわけであった。

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[気になる点] >「俺の故郷には、一汁三菜という言葉があったのですよね。主菜と主食と汁物料理に、3種の副菜で必要な滋養を摂取するという作法です。本日は、そこのところも意識してみました」 おかしいです…
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